はてなキーワード: イコールとは
そもそも元増田の内容自体何ら統計データに基づかない「生活上の感想」にすぎないわけで、それに「生活上の感想」をぶつける意味が解らないんだよな
強者男性も、最終的に求めてるのは大体セックス(ただ無理に行かないだけ)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20211007114302
この元増田を要約すると
になる気がするんだが、同意してる人間はこれに同意してるのか?
「確かに強者男性もレイプするわ」と追記はしてるけど本文の主張を撤回してるわけでもないし。
こういうのは人間の状態に対する可能性や自分の行動を述べてるだけだから(あってるあってないは置いといて)わかるし自由やん?
元増田の話は流石に一線超えてる気がするんだよな。
自分もモテたことなんて一切無いし、余裕の童貞年齢イコール居ない歴で、逆に女性にガッついた経験もゼロだけど、それら自体は何言われようが別にいいし、好きにすればいいと思うんよ。
でも今回みたいに単なる属性で多数の人間から無条件で避けられるのが当然みたいなノリは普通に理不尽で辛いわ。
元増田が言ってる性欲と承認欲求の解釈だとか男女観だとか、その辺は主観の読み物だし好きに楽しめばいいと思うけど、外的な要因で括って差別を呼びかけてんのは流石にアウトじゃないんか
そんなものあったらいいのに。
賛成派も反対派も感情論で語る論者が目立つ。
もっと現実的な法律婚が強制的に夫婦同姓しかないことへのデメリット、法律婚の中に夫婦別姓が混ざることでのデメリットを感情論抜きで議論しろよ。お互いに対立する派閥を見下すことに繋がるから感情論の論者が目立つのはダメなんだよ。
それと外国人との結婚とかいう例外を議論に出すのやめとけば?例外でしかないんだろうから。
改姓で結婚する片方にだけコストがかかる、海外やアカデミズムな分野では通称が使えない、現状通称利用が不十分などの現行制度によるデメリットはあるのは知ってる。
個人のコスト面だけ考えると法律婚しないか、法律婚すると強制的に夫婦別姓になるのが一番じゃないのか?選択肢を増やすだけと言うが他の人には本当に何の影響も出てこないのか?
賛成派の意見見てるとそう思う。
戸籍制度が、日本の伝統が、と言われても、昔の事例では婿養子として男が改姓するのもあったが、発言主は改姓したのか?改姓してないとしても、嫁に全部任せっきりじゃなく嫁のサポートなりしたのか?
反対派の意見見てるとそう思う。
大人である結婚する男女より、か弱い子どもの方が大事だろ。選択的夫婦別姓の優先順位を上げることで結婚率は増えるかもしれないが、出生率が上がると言い切れるのか?結婚と子どもを持つことは完全にイコールではないが、婚外子が少ない日本においては結婚制度と子どもは密接に繋がっていると言えるのではないだろうか。
独身世帯にだけの負担がない、出生率を上げる政策、子育てしやすい政策を重視した方がパートナーがいても独身でも生きやすい社会になると思うんだが。
近頃の表現の自由を守ろうという界隈やVTuberやオタクの界隈に対して、統一教会を結びつけて論じる話には辟易している。単なる統一教会の危険性を知らせる警鐘に留まらず、もはや誹謗中傷の様相になりデマとレッテル貼りを繰り返している。何よりもVTuberという新しいカルチャーに対して無理解な様には、新しいカルチャーに理解がないのだなと悲しくなってくる。
始まりは、VTuber戸定梨香に対するフェミ議連の差別と偏見に、表現の自由を守ろうという界隈で、おぎの稔が先導して抗議署名を立ち上げた。その抗議署名の賛同団体にある一国民の会が問題視された。
この一国民の会は、減税や規制緩和を目的にしてはいるものの、その代表である渡瀬裕哉がクセモノであった。
渡瀬裕哉は、統一教会がバックにいる『ワシントン・タイムズ』のエグゼクティブ・ディレクターを務めている。
さらに渡瀬裕哉が主催したイベントに、表現の自由を守ろうという界隈で有名な山田太郎が一度参加したこともあった。
このことから、表現の自由を守ろうという界隈の裏には統一教会がいるのではないかと疑惑があがった。
その疑惑の声のまとめもある。
表現の自由戦士、統一教会関係者だった 山田太郎、おぎの稔、音喜多駿ら界隈の著名人が教会関係者主催のイベントに登壇
つまりは統一教会がバックにいるマスメディアで役職にある渡瀬裕哉が主催するイベントに山田太郎が一度とはいえど参加したこと、渡瀬裕哉が代表である一国民の会におぎの稔が関わっていることから、統一教会が表現の自由を守ろうという界隈の裏にいるのではないかと疑惑が持ち上がったのだ。
しかしである、論理的に考えるのであれば、この渡瀬裕哉が統一教会の信者であり、積極的に統一教会に取り込もうとしているのかどうかをまず疑うべきだ。
だが渡瀬裕哉は統一教会のみならず幸福の科学とも積極的に関わっており、いわばビジネスで繋がっているというというのは、上記のまとめの中ですら指摘されている。
統一教会のみならず幸福の科学ともビジネスでつながっていると思しき人物が主催するイベントや団体に関わっていた。
これをもって表現の自由を守ろうという界隈は統一教会に取り込まれていると主張するのは早計だ。さらに言えば今回の件で言えば幸福の科学の関わりに疑惑があがってもよさそうだがそうはなっていない、なぜだろうか。
そうは言えども、このように間接的にでも統一教会が関わることで統一教会の影響力増大になるのだから、警戒心を持って少しでも統一教会と関わる相手とは縁を切るべきだと、山田太郎やおぎの稔、その支援者に対して警鐘を鳴らすべきだ。統一教会の影響を相対化したり矮小化したりする声にも警鐘を鳴らすべきだ。などと言うのならまだしも、統一教会が表現の自由を守ろうという界隈の裏にいる、さらにはVTuber界隈もオタク界隈もその異常性から統一教会に取り込まれているとデマやレッテル貼りが繰り返している人が多く見られる。それも全くの無名じゃない、それなりに名前のある人達が語っている。
https://twitter.com/segawashin/status/1442486624986664963
これがわりと冗談にならなくて背筋が寒くなるの、オタク向けコンテンツの性的規範の妙な保守さかげん(エロとは別腹で恋愛はやけに純愛指向、結婚=ゴールインみたいな妙に古くさい男女観、なんなら運命の人は向こうから勝手にやってくる)と統一協会の教義がやけに相性よく見えるからなんだよなあ。
このnote記事に関しては誇張表現が悪質だ。VTuberとVRChatを意図的に混同した論調は根も葉もないVRChatへの風評加害も心配だ。追記:note記事作者が関係者に謝罪して大幅に書き換えました。事実無根の記事でバーチャル美少女ねむ様に風評被害を与えて申し訳ありませんでした→旧記事名:統一教会系メディアとVtuberがズブな件
Vtuber関係で露呈した統一協会への危機感のなさが予想外で困っている
上記のnote記事を無批判に取り上げ、さらに統一教会の影響を相対化したり矮小化したりする声も散見できるとあるが具体的なソースもなし、一方で2例しかない統一教会系のVTuberへのインタビュー記事を複数あると記載するなど、いささかバイアスがかかりすぎている。
こうした表現の自由を守ろうという界隈やVTuberやオタク界隈に対するデマやレッテル貼りを問題視するのがマトモなリテラシーの持ち主であり、統一教会を危険視する警鐘と同程度にはデマやレッテル貼りにも警鐘を鳴らしていくことも大事だと思います。
実際、上記のnote記事であがった疑惑に対して、当のねこます氏が疑惑を晴らすためのnote記事を投稿、さらにデマやレッテル貼りへの警鐘を鳴らしている。
ねこますが""2018年2月に""Viewpoint様のインタビューを受けた経緯の説明
取材も事実確認もしないまま、読んだ人に誤解を与えるような記事を書くのは、その内容の正誤以前に道徳的に如何なものかと思います。
思うに、最近の表現の自由を守ろうという界隈やVTuberやオタクの界隈に対してデマやレッテル貼りを繰り返すのは、昨今の表現の自由を守ろうという界隈やVTuberやオタクの界隈に対して理解がないからではないか。
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20210930/1633010640
この文章からVTuberに対して理解がないという事が分かる。近頃のVTuberは3DよりもLive2Dという2Dが主流であるというのもそうだが、なによりもVTuberにとってのアバターやキャラクターに対する理解が足りない。
VTuberにとってアバターとは単なる外見ではない、もう一人の自分であり、そして何より大事なのはキャラクターを単に演じているのではなく、リスナーと共に作っていくものだ。それも厄介リスナーや杞憂民など面倒くさいリスナーも御しながらだ。だからこそ年月を重ねたVTuberが、自身の初配信を見直すと現在のキャラクターと違うことで恥ずかしくなってワーワー騒いでリスナーと共に笑うということが出来る。だからこそVTuberが引退するからといって、アバターを別の人が使い回すということはできない。
VTuberにとって演者とアバターはイコールのものであり、キャラクターは演者一人で作り上げるものではなくリスナーと共に作り上げていくものだ。
だからアバターに隠れてキャラクターを演じるとか個性が出にくいというのは、お門違いの理解にも程がある。
かつて犯罪が起こると、その犯罪者とオタク趣味を結びつけた報道が度々あったものだ。
それは自分たちにとって理解できないオタク趣味を異常なものと結びつけて、理解できない自分を正しいと視野が狭い人々に寄与した。
今、表現の自由を守ろうという界隈やVTuberやオタクの界隈に対して、デマやレッテルを貼る人々は同じことをしているのではないか、
理解できないものにレッテルを貼りデマを振りまき、理解できない自分を正しいと思い込む。まったくリベラルから外れる行いではないか。
統一教会の影響を危険視して、統一教会の影響を相対化したり矮小化したりする声に対して警鐘を鳴らすのも大事ですが、同程度には、表現の自由を守ろうという界隈、そしてVTuber界隈やオタク界隈へのデマやレッテル貼りにも警鐘を鳴らすことがマトモなリテラシーの持ち主だと思います。
金銭的なコストもそうだし、精神的なコストにおいてもかなり高いものを必要とされるので、今のフレキシブルな時代に明らかに不向きだなって思った。
乱暴な言い方をするとライフスタイルの多様化に家族というユニットが全く適応できてない。
価値観も流行もそれはそれは目まぐるしく変わっていく中で、家族というユニットはタイムカプセル見たく時間を止めないといけなくなる。
例えば昔見たく趣味といえばいくつかの選択肢しかないような時代だったら、ワンチャン家族内でみんなの趣味が揃うってことはあると思う。
でも、今の時代はあまりにも趣味が多様化しすぎて、例えば親の趣味を押し付けるとかもはや虐待レベルなんだよね。
だって、学校で友達が当たり前にゲームやってるのに、親の判断でゲーム禁止で野球だけしかやらせないなんていったらすでに虐待でしょ。
親子もそうだけど、夫婦もそうで、最初は意気投合したかもしれないけど、10年もすればお互い趣味が変わってて当然で、それなのに同じ趣味じゃないと不仲みたいな空気があるのは本当に不健全。(どちらかというと、同じ趣味だと幸せという同調圧力みたいなもの)
これも情報量の話だけど、昔は出会い(恋愛的なものを含まず)そのものが今と比べれば全然少なくて、それってイコール価値観が刺激される回数も少なかってことで、人の好みとかが変わる確率も今と比べれば全然低かった。
ところが、SNSがこれだけ流行った今、少し情報を追いかけただけで人生観ががらりと変わってしまうことだってありえなくないわけじゃない。
それなのに、生涯添い遂げるが美徳というのは、すでに足かせだし重荷でしかないよね。
浮気の肯定ではなくて、価値観が変わってしまったことに目を背けて、美徳に縛られていることは不幸以外の何物でもないよって話。
今はまだ美徳って言われるかもしれないけど、あと20年もしたら生涯添い遂げたカップルが幸せそうにしている姿を見て、可哀想って言われる時代になるんじゃないかな。割と真面目な話。
子供なんかも、いつまでも親の古い情報や価値観に縛られているより、中学卒業と同時に親元離れて独り立ちしたほうがその後の時代に取り残されなくてよいと思うんだよ。
ぶっちゃけ、最近の少子化対策って、家族というユニット単位で支援しようとしてるけど、はっきり言って時代錯誤もよいところで、本当は、早い段階で子供が自立できる方向で支援すべきだよね。
結婚のネックって、離婚がリスクになってることで家族の自由を奪う結果になってる点に集約されると思うんだよ。
それよりも、例えば中学生まで集中的に子育てしたら、子供の自立支援が手厚くて、夫婦はその後の人生を個別に好きに選ぶことができるって言われたら、どう?結婚してもいいかなって思えない?
離婚したら子供が不幸って言われるより、両親の幸せを考えたら子育てが終わったら離婚は自由って言われたほうが良くない?
その結果、生涯添い遂げたというならそこで始めて美徳があるわけで、離婚が悪っていう呪いのまま生涯我慢したからってそれは別に美しくもなんともない、不幸な話だよ。
本当に少子化対策したいなら、家族というユニットを維持するためのコスト負担を下げて、短期集中で切り抜けられるような仕組みづくりが必要です。
結局、今の結婚の制度って、過去に自由恋愛が禁止されていた時代から自由恋愛による結婚が許されたときに作られたシステムでしかないんだよね。
自由恋愛が当たり前になって、むしろそのほうが結婚率を下げてる結果になっている以上、次に必要なのは子孫繁栄だけを目的にした結婚システムだよ。
嫌だと感じてしまった相手と無理やりセックスレスを解消するより、子育てが終わればパートナーチェンジが許容される世の中のほうが絶対に幸せ。
少なくとも俺はもう限界。抱かれようともしない妻を子供が自立したあとも養おうとは思えないし、それで離婚したら子供が不幸だと言われて、不倫でもしようものなら世間から冷たい目で見られるのは、少なからずおかしい。
世間はすっかり秋ね。
昨日のお月様も雲間から見え隠れして綺麗だったわよ。
意外とそうじゃないんだって。
ちょっと机の整理をマジするようにしたいわ。
なんか仕事できない人っぽくも見えるし仕事できるっぽくも見えるからまた厄介なところね。
でもとにかく整理整頓よ。
でさ、
ずっと休業しているから、
秋刀魚食べ放題フェアも今年はやんのかなー?って心配してるけど
たぶん、
ぜひ足を運ばなくちゃって思うの。
私の好きな秋の味覚三天セットと言えば、
秋刀魚の塩焼き、キノコのホイル焼き、茶碗蒸しの3つと相場が決まってるんだけど、
とうとう秋セット(3点)って謎のメニューが載るようになって、
私も秋セット!って言えば3回品物を言う手間が省ける裏メニュー的な装いで、
秋だなーって秋を満喫して味わうことが出来るのよね。
私が秋って勝手に言ってるだけで
もっと秋のイメージを植え付けるキャンペーンもをやっているところよ。
秋には茶碗蒸し!って
フォーマットを作りたいわ。
みなが口にするの、
でさ、
青山テルマさんっているのならテルヤマモミジさんって人もいそうでいなさそうだけど、
秋だからって油断できないわよ。
そんなわけで、
飲食店再開ーの、
私の好きな秋の三点セットがまた賞味できますように!って
願ってやまないわ。
うふふ。
まだそんなに寒くないにしても、
熱々の白湯ホッツとは暑すぎるので
クックパッドでもまだ乗ってないレシィピの
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
作ればいいというものじゃない。買って食べてもらわないと意味がない。
今は、生産と消費と災害と補助金、高齢化による離農と参入、規模拡大がある意味よくバランスされていると思う。
ただちょっとした揺らぎでどこでどう転ぶか分からないので、とても不安ではあるが、
そのリスクを打ち消してくれるのが農業収入保険という制度。もはやこれは社会保険の一種だとも思う。
ただその効果は3年程度だ。過去5年の売上を平均して収入補填をする仕組みなので、
●消費拡大を唱えるが、輸出はできない
長期的に消費は落ちていく。
今のところ、輸出で成功しているのは高級果物と肉と加工品(日本酒など)だと思う。それ以外はムリ。
そこには色々な事情があり、個別の農家ではどうしようもない。一例をあげる。
・コメ
1俵2500円、安い安いと騒がれている今年のJA仮渡金(販売額みたいなもの)の一番安い地域の1/3だ。
もし輸出前提で作るコメに補助金がつくのであれば、その大義は国防だと思う。つまり過剰生産しても国民の食糧を守るということ。
そもそもコメの生産国は、自国消費分を作っているのがほとんどであって、生産量に比して輸出量が少ない。
基本的にはほとんどの国が国内消費を前提としている。例外的に生産超過しているのがタイとインド。
中国は現時点ではコメは生産力不足で輸入超過状態。しかしリン鉱石産出量世界一という農業上の最大のアドバンテージがあるので今後は未知数。
肥料について、すでに中国に首根っこを掴まれている状態のようだ。
・野菜
日本には野菜を長期保管するように加工できる施設が十分にない。
なぜなら、日本は国土が狭く生鮮品が生鮮のうちに目的地に着くため、加工施設が必要ない。
その他冷凍・長期保存技術の普及状態などは、おそらく勝ち目がない(たぶん)
投資をしたところで、ほとんど輸出前提の場合のみに使える技術となるので、元から加工が必要な国と比べると分が悪いだろう。
すまないが、これは想像も入っているので、気になる人はファクトチェックをお願いしたい。
全ての工程を自動化することは不可能だ。必ずボトルネックが存在し、そこには人間がいる。
農業は種籾を入れたらコメになるような機械が存在するわけではないし、
この例えですら「種籾を入れる」というボトルネックになりうる工程が存在する。
(#追記:籾を入れてコメにする機械は存在し、それを精米機というが、ここでは主題から外れるのは理解してもらえるだろう)
自動化をすすめるというのは「どこまでコストをかけてボトルネックを解消するか」という問題に半分は置き換えられる。
残念ながら、機械が高度になればなるほど、人間の作業環境は過酷になっていくのではないだろうか。
例えば田植え機を自動化できたとして、今の速度の2倍の速さで作業ができるようになったとしよう。
(田植え期間は限られるので、機械の性能向上と達成可能な規模拡大の最大値はイコールになるだろう)
苗の補給はというかコメ栽培で最も重労働なものの一つ、田植え作業の半分は苗運びと言っても過言ではない。
・2倍の作業者を投入して2倍の面積をこなす(田植え機をボトルネックになる)
・作業者数を同じとして規模を1.33倍にする(苗運びがボトルネックになる)
である。高齢化人不足の業界で前者が容易ではないのは想像つくだろうし、
後者は機械に乗る時間が規模拡大前の0.67倍になるが苗運びの時間は1.33倍になっている。
多分体がもたない上に2倍のはずの機械の能力が発揮されている気がしない。
これでは規模を拡大しない方が正解な気がする。
余談だけど、ヤンマーが提唱した密苗は、この業界では珍しく苗運びの負担減までを考えた優れたパッケージだと思う。徒長しやすいという問題は残ったが。
僕の予想は
・機械化はもう少し進むけど自動化は止まる。結局は人間がやる方が応用がきく。AIの出る幕は全然ない。
・分業が少し進み、プロ農家の仕事は野菜・作物を作ることにフォーカスされていく。イメージとしては酒蔵の杜氏が近いと思う。
・セミプロ農家としての収穫家(とでも言うべきか、収穫調整に特化した人、今はパートのおばちゃんが担当)の登場
・野菜農家は農作業者(正規雇用)1名あたり700万円程度の売上で4人程度で1経営体あたり年商3000万円程度(北海道を除く)
・コメ農家は1経営体あたり15-30ha程度、農作業者(正規雇用)が1-2名程度
多分、このくらいがそこそこ機械に投資もできて利益も上がる、最も競争力が上がる領域ではないだろうか。
そこから上は、規模拡大だけならハイリスクローリターンの領域なので、
突き出るためには、余程の工夫を凝らすか、余程良いビジネスモデルを構築できたものだけだろう。
・きちんと対策を打っていかないと、セミプロ農家が低賃金化していく。
・需要があれば規模拡大を狙う農家は出る。田んぼ一枚増えたところで限界費用は低い。それゆえ食糧不足にはならない。
・60歳あたりで参入してくる人は相変わらずいて、80くらいになれば誰でも限界が来る。農業従事者の高齢化は高止まりしたまま動かず70歳あたりを維持する
も付け加えておく。