はてなキーワード: はてな界隈とは
まぁキン肉マンの良くも悪くもジャンクフード気質っていうのは割と深くネチッこく語りたいはてな界隈とは相性がよくないのかも
ノリと勢いだけで語るならそれこそふたばや5chでいいし
ゆでたまご最高傑作との誉高い完璧超人始祖編のアニメ始まりましたね。
X、ふたば、5chとロスジェネというか直撃世代の多いコミュニティは
どこもそれなりに話題になってるようで。
ところがはてなははてブでも増田でもロクに感想も流れてこない始末
よく考えたら2012年の原作再開以来、あんだけネットを沸かした
ステカセキングのマッスルインフェルノやら、悪魔将軍vs超人閻魔の頂上決戦やら
マリポーサやビッグボディの勝利やらジャスティスマンがありえない勢いで
サタン様をボコボコにしたりやら、世代が限られながらも日本のネットをバズらせた
名シーンの数々もここでは不気味なくらい無風なんだよなと
ジャンプラあたりのその場限りでちょっとエモい気分になっても3日も経てば
忘れそうな短編なんかがそこそこバズったりするはてブあたりじゃもうちょい
キン肉マンが話題になってもよさそうなもんだが、ユーザーの気質でこうも
変わってきたりするもんだろうか
実際のところいる人間なんて上にあげたコミュニティと大差なさそうなもんだが
追記:ブコメで2020年のゆでたまご嶋田氏のTwitterでの感想バズの加熱への苦言の呈し方がちょいイマイチで
炎上した件の関連が指摘されてるけどアレは始祖編終わってだいぶ経った後の出来事だしなぁ
追記2:ゆで嶋田氏も炎上で多少は懲りただろうし実際ネタバレ感想言った読者に妙なアクションとった実績なんてないのにいつまでも擦られるのはチョイ気の毒だなあとブコメを見つつ
バカは手もとにテクストを与えられただけで理解したつもりになるし、
任意の単語を拾ってつなぎ合わせて文章を作ることで何やら反論できたような気分になる。どこかで見た「鮮やかな反論」を雰囲気だけ真似ているのだ。
相手の使った単語をわけもわからずコピペで多用する。自分の論があって言葉を選んでいるのではなく、言葉を並べることで自分の論があるつもりになる。
口頭のやり取りや演説や動画コンテンツに対してはコピペ手法が使えない。複数の単語を覚えておくことが難しいからだ。それでYouTubeのコメントは絶賛か罵倒かのシンプルなものになる(でなければまったく関係ない持論垂れ流し)。
バカがつくったワードサラダにはツッコミどころしかないのでついつっこみたくなる。あとは時間と労力を無駄にして後悔する以外に何もない。
そこでスルー力こそがネットやる上で重要でしてよという一種のあたらしい徳目みたいなものが生まれたわけだが、バカでも匿名で誰とでも平場のやりとりができる2ちゃんねる的なネットのあり方は普遍的でも恒久的でもない。
個々の声の大きさに格差をつけるSNSに適応しそこねた「名無しさん」がヤフコメやはてな界隈に沈殿している。
フェイスブックやツイッターは社会インフラとなって安定相に達するかと思ったら全然そうはならなかった。いずれにせよ新たな変化のたびに「リアル」とネットの差は小さくなっていく。リアルで完全ボッチのバカでもネットなら自由に嫌がらせができる、リアルでそうそう遭遇しないレベルのキチガイがネットではいつでもそこにいるのが当たり前、そういう環境は解消されていくだろう。バカのボーナスステージには終わりがある。リアルでボッチの奴はネットでもボッチが当たり前になっていきつつある。
「岩下の新生姜」で知られる岩下食品の岩下社長がTwitterで暇空茜の支持を表明し、波紋が広がっている。
はてな界隈ではそこまで話題になっていないようだが、個人的にはかなりショックな出来事だったので、経緯も踏まえて書いていく。
暇空茜さんからブロック解除されてた。嬉しい。もうサブ垢使わないで済む。(サブ垢で毎日ずっと見てた。毎日!)実はブロックされた時も嬉しかった…最高に清々しかった!
こんな命がけでピュアな人、見たことない。酷いなぁって思うくらい、美しい。頑張ってほしい!
#ひまそらあかね
積極的なアンチの側では「不買運動をしよう」、積極的な支持者の側では「買って応援しよう」、といった意見が広がる。
また、不買運動までいかなくとも、暇空茜の(主にミソジニー的な)言動に良い印象を抱いていない人が岩下社長の発言に驚いたり引いたりしている姿も自分の観測範囲では散見された。
こんなふざけた時代はもう嫌じゃないですか?
一人でも多くに口コミしてください
助けてください
https://twitter.com/himasoraakane/status/1805101991808696539
なんとおぞましい行為でしょうか
そのなかには僕が追及している
こんな人達に皆さん
私は負けるわけにはいかない!
ひまそらあかねを広めてください
https://twitter.com/himasoraakane/status/1805083655150456924
自分とこの大事な商品、ひとこと誰かの「ファンです」ツイートしたくらいで、寄ってたかって潰しに来られたら、そんなん全力で守るに決まってる!
おかしいぞ。何があるんだ?
(なお、この反論の前後には、暇空茜本人や支持者によるツイートも多くRTしている)
最初に「不買」を扇動した著名アカウントに従ってか、リアルで関係先・取引先に苦情入れるひと、本気で迷惑です💢💢
そんな動きに屈するわけないでしょ!うちがそれに屈したら、貴方達、他でもそういうことするじゃないか!絶対に屈しない!
今回の件は、自分のなかでは、「岩下社長が暇空茜を支持している」こと自体の驚きよりも、「岩下社長が自身の立場や影響を顧みずにこのようなことを公言するなんて」という衝撃が大きい。
なお、私は暇空茜についてほとんど興味がない。Twitterでミュートするくらいには苦手だが、「無関心」に近く、氏の活動も漏れ聞こえてくる程度のことしか知らない(ただ、暇空茜を熱心に応援している人たちや、その逆に支持者(と思しき人)を「暇アノン」と呼んで熱心に叩いている人たちのことは、どちらも先鋭化・過激化しているように見えるのであまり近づきたくないなと思っている)。
一方で、岩下社長のことは8~9年ほど前からフォローしており、社長の活動も好意的にみていたし、後述するように尊敬もしていた。もともと興味を抱いたきっかけは自分の好きなミュージシャンを岩下社長も好きだったからで、それまで岩下の新生姜を知っていても食べたことはなかったが今では同社の製品をそこそこ食べている。
ご存知の人も多いと思うが、岩下社長は長年にわたりTwitterで自社のプロモーション活動を積極的に行っている。
現時点でのフォロワー数が21.9万人。自社製品に関するエゴサを頻繁にやっているのでそれで捕捉された経験のある人もいるだろう。
企業の看板を背負ったアカウントにもいろいろなスタイルがあるが、岩下社長の場合は「公」と「私」のバランスがとれており、SNSでの発信もうまいと思っていた。
たとえば、岩下食品の製品の類似品が以前から出回っている件に対して、Twitterで「類似品が『岩下の新生姜』として売られている」「このスーパーでは類似品しか置いていない」などの情報提供を集めて、類似品対策を進めたり(例 https://twitter.com/shinshoga/status/1737457329103397005)。
たとえば、ピンク色のものが映った写真を見かけると片っ端から「あのとき助けた岩下の新生姜なのかい?」と引用RTするのを持ちネタにしていたり(例 https://twitter.com/shinshoga/status/1792205408695935242)。
一方で、グッズで製作された「岩下の新生姜ペンライト」が一部の悪意ある人によってセクハラに用いられていると問題になった際は急遽販売を取りやめるなど、行きすぎた悪ノリを抑えるようなバランス感覚も持ち合わせているように見えていた(https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1610/12/news085.html)。
また、2015年に「岩下の新生姜ミュージアム」を自社のお膝元である栃木市にオープンしてからは、社長自身がカルチャーへの造詣が深いこともあり、さまざまなミュージシャンやアイドル、芸人などを招いたイベントも開催。展示のユニークさも相まって、企業の私設ミュージアムでありながら幅広い層の集客に成功していた。
社長自ら率先してプロモーションするこうした姿勢が功を奏してか、近年はさまざまな企業とのコラボレーションも多く、テレビCMを打っていた先代社長の時代とはまた違う事業の広がり方をしているように思う。
私が岩下社長のことを尊敬していたのも、こうした文化との関わり方や、SNSの使い方にあった。
私は、(もちろん岩下食品の足下にも及ばないが)地方の中小企業を経営している。岩下社長と同じく、家業を継いだ形だ。会社の業種や規模こそまるで異なるが、文化的な趣味(好きな音楽など)が近いこともあり、ある種の親近感を覚えていた。
家業を継いだ経営者、などと自己紹介すると殺伐としたはてな界隈では手斧(懐かしい)を投げつけられるかもしれないが、そんな楽なもんじゃない。挙げたらきりが無いが、たとえば継いできた事業を自分の代で台無しにしてしまったら、みたいなプレッシャーは常にある。社内には自分より長く勤めている人が多いし、取引先のほうを見れば叩き上げの海千山千ばかりで、内外からの試されるような視線は常に感じる。そもそも、自分でイチから選んで始めた業種じゃないから、仕事自体もいわゆる「好きが高じてやりたいこと」などとはかけ離れている。
そういう立場の身からすると、岩下社長の活動は輝いて見えていたのだ。
直接的に文化と関わるような業種でなくても、大都市に拠点をおく企業でなくても、興味や趣味を自社の事業にプラスになる形で(いわゆる「社長の道楽」ではなく)繋げられるし、自社の可能性も拡げられるのだ。そうした実例を目の当たりにして、勇気をもらったような気がしていた。
だから新生姜ミュージアムにも何度も行ったし、さまざまな企業とコラボレーションした商品もいくつも買った。あのスタイルをそのまま真似するのはもちろん無理だが、学ぶところは多かった。尊敬していたし、私淑していたのだ。
ただ、今となってはこういった話をすべて過去形で書かざるをえない。
今回の件に話を戻そう。
岩下社長が暇空茜の支持を公言したとき、私は「岩下社長ともあろう人が、なんでこんなリスクの高いことをするのだろう」と思った。
暇空茜を支持することの賛否云々以前に、先に書いたように、暇空茜に関しては支持者もアンチも過熱し先鋭化している。
実際、今回の岩下社長の発言を受けて「不買運動」「買って応援」といったリアクションが飛び交っているし、そこまで極端でなくても、岩下社長および岩下食品に対する見方をネガティブな方向に改めた人も多いだろう。ましてや、暇空茜のこれまでの発言には良識を疑うものも多く(だから私もミュートしている)、そうした人物を公の場で支持すれば非難の声があがるのは目に見えている。
岩下社長ほどのTwitter慣れしている人が、このような渦中に会社や自社製品を巻き込んでしまうリスクに考えが及ばなかったことがまず信じられないのだ。
岩下社長は「暇空茜を応援したい」という私的な気持ちから今回の発言に至ったのだろう。
たとえばこれが岩下社長個人の、会社とは切り離した匿名アカウントだったら別に何の問題にもならなかったはずだ。しかし、岩下社長のTwitterアカウントは個人名義であっても先述のように「公」の面が強く、実際は会社の看板を背負って活動しているに等しい。
岩下食品ほどの企業であれば、従業員やその家族だけでも相当な数になるだろう。取引先も含めればもっとだ。新生姜ミュージアムのイベント等を通して交流のあったミュージシャン、アイドル、芸人なども多い。
今回の件を岩下食品のステークホルダー(従業員、取引先、顧客etc)がどう捉えているのか、実際のところはわからないが、影響は小さくないように思う。
少なくとも、岩下社長自身が書いているように、関係先・取引先には既に苦情が入っているのだ。
なので、私としては、「暇空茜を支持するなんてがっかり」的な話以上に、尊敬していた経営者が「自分の言動が、従業員やその家族にどう影響するか」を考えずに道を踏み外してしまった出来事、と捉えている。
その上で、「馬鹿にするなよ」発言だ。匿名の個人アカウントならまだしも、会社を背負って、(アンチが過熱しているとはいえ)不特定多数の人たちに向けてする言い回しではないだろう。個人的にはこの発言で「一線を越えてしまった」と感じ、この増田を書くに至った次第だ。
(ただし、岩下社長が感情的なツイートをすること自体は以前からあったし、それは決して見ていて気分の良いものではなかった。しかしその矛先は類似品の販売元に向いていることが多かったので、今回のツイートとは随分と印象が異なる)
なお、私には今回の件をきっかけに不買運動をしようなどというつもりはない。今後も岩下の新生姜や岩下のピリ辛らっきょうなどを食べたいときにはこれまで通り買うだろう。ただし、岩下社長のことは人としても経営者としても見損ないました。本当に残念です。
ひょっとしなくてもこれ理解出来ない?
How Startups Are Like Rock Bands
https://readwrite.com/how-startups-are-like-rock-bands
でなくなあんなトンチキな作文(anond:20240624074544)できないでしょ
https://anond.hatelabo.jp/20240624080648#
あと How Startups Are Like Rock Bands みたいなのって、はてな界隈でも流行りませんでした?
はてな界隈だけかもしれないけど
規模だとNTTデータに次ぐぐらいでっかくって、スパコンの件も含めて他が逃げてやらない仕事を引き受けて完遂できる数少ないSIerではあるんだけど。
最近は他が逃げるまえに真っ先に逃げるようにみえるよね。外から見ると。
官公庁案件でもこりゃ無理となったら真っ先に撤退している気がする。たとえばe-GOVの件とか。
撤退後に炎上の報道がされたりするから嗅覚は確かなんだろうが、
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01157/042200109/
なぜこの「コロンブス」というタイトルの曲とMVを作ろうと思ったのかが、いまだにわからない。
想定されるのは以下3パターンだが
色々な解釈が出回ったし、少なくとも 1 はないというのは、合意が取れていると思う。ま、一般的な人気勝負のメディアでアンチ・ポリコレを攻めに行く意味がない。
一般的なマスコミの批判などは 2が多そうだが、はてな界隈ではロマン優光氏 https://bunkaonline.jp/archives/5214/ や他の増田の考察など猿人の文明他への指摘もあり、さすがに単純に 2 もなさそうという話になっているように思う。
そうすると 3 ということになるが、それがわからない。ある程度知識があるなら、センシティブなトピックだという理解はあっただろう。可燃性が高いのは理解した上であえてその題材を選ぶのだから、何らかの意図があることになる。
しかしだ、MVがなくとも、コロンブスというタイトルで曲を作るだけでハードルは高い。歌詞や各種考察を読んだが、リスク承知で表現したかった何かがあるとは思えなかった。
そこにMVでの、コロンブスを含めた西欧人3人の選出と、猿人のビジュアルが加わる。元々可燃性の高いコンテンツの発火点を上げるビジュアルを突っ込んで、延焼を防ぐ仕組みとして猿人は十分な文明があるとしたのだとして、万人がストレートにそれを受け取って発火しないと現場が思っていたのだろうか。
しかも、大変勉強になったがユロックの母 https://www.yuroksmomlife.com/mrs-green-apple/ によると、私の浅いレベルの知識では気が付かない火薬がさらに色々埋まっていたらしい。猿人の色だとか、バッファローだとか、乗馬に関する指摘とか、これは日本国内においてはWikipediaでちょっとコロンブス(やナポレオン等)をかじっただけでは気がつけない人が大多数ではないか。
そうした埋設された火薬に気が付かなかったことまでは責められないかもしれないが、だとしても、である。
可燃性の高いコンテンツに踏み込んだ意図がまったくわからない。
少なくとも社会的に何を訴えようという意図があったと解釈するのは難しい。
例えばこれがアメリカの黒人問題であれば、普通の神経であればよっぽどの意図がなければ避けるだろう。本邦でも黒人の苦難の歴史は多かれ少なかれ認識されているが、私はBLM運動が盛んになるまで、例えば黒人という言葉をアフリカの人に使っていけないという認識すらなかった。黒人という言葉は、歴史的文脈の中であえて使われているのだと。可燃性が高く、自分のフィールドでもない話題に突っ込むには、相応の意思と覚悟が必要と思われる。
結論、最初の3つのうち、3ではないか、という話もあったが、相応の意思と覚悟がないということであれば限りなく 2に近いとしか思えないのだ。
小説家や映画監督が意図を持って議論が巻き起こるであろう主題を投げかけるような、深い主題があったのだろうか。仮にあったとしても(私はないと思うが)こんな秒単位で分析されたとて https://rna.hatenadiary.jp/entry/2024/06/15/110134 明確に出てこない時点で完全に失敗していると思う。
この話を持ち出すか悩んだのだが、最近だと是枝監督の「怪物」を対比として出してみる。あの映画はプロモーションの仕方を含めて、色々な議論があった。そしてその価値と意味があったと思う。
「コロンブス」にそれはあったか。炎上してすぐ引っ込めたことも含め、私はあったというのは苦しいと思う。
であれば、コロンブスは大航海時代の英雄程度の認識で作った作品との違いはどこにあるのか、というのが私の問いなのだ。好意的な解釈をして、コロンブスや現代人への風刺だったして、可燃性の高いコンテンツでそれができると思ったのはおこがましいであろうし、大した可燃性はないのだと想定したのであれば、コロンブスに対する近年の歴史的認識がなかった場合と何が違うのかがわからない。
結局アーティストとMV作った人たちはリスクを冒してまで何を表現したかったの?
植民地主義への批判だろって増田が散見されるが、そんな社会派アーティストなんだったんだっけ、というのもあるし(社会派じゃなければ作っていけないということではないが)、繰り返しになるが、可燃性の高い素材でそれをやるなら、土俵際で踏ん張る覚悟はほしい。ナチスの軽いパロディで失敗してテヘペロ、とはいかないでしょう。
Mrs.GREEN APPLEの『コロンブス』という曲のMVが「歴史や文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたため」取り下げられた。はてな界隈ではこれはキャンセルカルチャーだということで大変に盛り上がっている。しかし、そもそもキャンセルカルチャーとは何か?ということで了解が取れていないように思う。
ではキャンセルカルチャーについて反実仮想的に考えてみるのはどうだろう?キャンセルカルチャーがない世界ではコロンブスのMVはどう反応されるのだろうか?キャンセルカルチャーの有無でどのように反応が異なっていたかを考えることで、キャンセルカルチャーとは何かをあぶりだしていきたい。いろいろなケースを考えてみた。これがすべてではないと思うが、たたき台として使ってほしい。またキャンセルカルチャーがない世界で起きること(実証的)とキャンセルカルチャーがない世界で起こるべきこと(規範的)の二つの側面があると思うので、それも考慮したい。
書いてみると、現在の状況は、帰結でいうと4に近いと思うが、これはキャンセルカルチャーのない世界でも普通に起こりうる話のように思った。なお、キャンセルカルチャーがあるとされる現在でも批判されたMVのみが消され、音源もアーティストも無傷である。そのためキャンセルカルチャーがない場合でも、アーティストのその他の活動に全く影響はないと仮定した。
30代半ば女性、都内で正社員として勤務していて年収430万くらい。
たぶんはてな界隈だと安月給なんだろうなって思うし、自分の周りはバリキャリが多いのでとんでもない低賃金な気がしている。
でもきっとたぶん普通なんだろうな。世の中の普通なんだろうな。
いややっぱり低賃金じゃない?やばくない??
この繰り返し、このせめぎあい、疲れた。とりあえず手取り年収600万くらいほしい、自分でちゃんと働くからさ。
言葉が雑でごめんねだった。
地方と比べるつもりなくて、都内で430万てどうなのよって気持ちで書いたものでした。
ものすごく切り詰めないといけない、ご飯も食べられないってほどじゃないけれど、月20万の手取りではゆとりはないなあと思って。
とある界隈の雑談系掲示板で言ったら、へーすごいみたいな流れになった。
人気アーカイブTOP3みたいなやつ割と何度も入ったことある。
適当に書いててこんだけ入るんだから、そんなに珍しいことじゃないし、まぁまぁ書いてる人ならまぁまぁ入るだろうなくらいに思ってた。
でもそこの掲示板だと書いたことあるけどそんな反応つかんわ みたいなノリだった。
あ、そうなの?ふーんって思った。
実際、どの程度の頻度でどのくらいの割合の人間が匿名ダイアリー書いてるのか知らんけど。
もしかして割とまぁまぁ反応つくのって珍しいんだろうか。
ありがたいかも、と一瞬思ったけど、私はもちろんはてな界隈の人間が嫌いなので
あのへんの人らと感性近いんだな、なんだかなぁという気分になった。
常に偉そうだし。揚げ足とることが生き甲斐だし。
男女論や炎上系は私はノータッチ。興味なさすぎ。あのへん食いついてる暇な人、怖い。
そのへん以外でも、世の中を斜めからしか見れないASD傾向強めのインドアな人たちってイメージ。
まあこれはお察しの通り自己紹介でもあるが…
みたいな話。
2ch、5ch、はてな界隈なんて今のネットの中で言えば超ニッチだぞ。
2ch全盛期とかならまだしも2024年に2chや5chやはてなを基準に「界隈」とか言うの流石に時代錯誤過ぎるし、Xとかでもインフルエンサーに投稿取り上げられたりしてるし、そこから来る普通の人がいくらでもいるでしょ。
他の健全なネットのどこにも所属出来ないからはてなとか2chみたいなゾンビみたいなネットにへばりついて「界隈の人」を自称しているんだろうな。
左手前に飯を盛った茶碗、右手前に味噌汁もしくは汁物を置き主菜をその奥に置く関東の作法に対し、
左手前に飯を盛った茶碗、左奥にに味噌汁もしくは汁物を置き主菜を右手前に置く関西の作法との文化的衝突がここ最近はてな界隈で話題となった。
私自身は関東の右利きの人間だが、右手前に味噌汁があるのは食べにくそうなので関西式に味噌汁は左側(左奥もしくは左手前の茶碗の更に左側の手前)に置いて食事をしてきた。
しかし今回の論争を見て、あえて関東式とされる右手前に味噌汁を置く方法で食事をしてみた。
よく言われている「右側に味噌汁があると主菜(おかず)を食べようとして味噌汁をこぼす」という事はなかった。主菜に箸を伸ばすことについて、右手前に味噌汁があることは特に障害とはならなかったのである。
関西式に左奥に味噌汁を置いた場合、味噌汁の椀を取るのは左手のみであった。
関東式に右手前に味噌汁を置いてみると、自然と腕を取るのは両手になったのである。箸を持っていない左手と、箸を持った右手の小指側掌底で椀を持ち上げ、腕が口に着く直前で右手が椀から離れたのである。
噂に聞くところによれば、江戸時代以前まで首都であり文化の中心であった京都を中心とする関西圏では主菜が充実しており、食事は飯+主菜をメインとして左手前に飯、右手前に主催があって、脇役たる汁物は左奥であった。
一方関東では、江戸の町人の食事は朝晩は茶漬け、昼は一汁一菜でありと言われ、昼の味噌汁は主菜であった。
あえて関東式の配置をしてみた時に自然と現れる椀の両手持ちは、まさしく「有難や有難や」と主菜たる味噌汁を両手で持ち上げる仕草なのではないだろうか。
さて、和食の例を離れて、中華や韓国・朝鮮料理ではどうなるであろうか?
これは簡単である。汁物の椀を直接手に持って飲むのは日本独特の作法であり、町中華のレバニラ定食や、焼肉屋のハラミ定食などで登場する中華スープや韓国朝鮮スープは蓮華や朝鮮匙で飲むものである。だから当然のことだがスープは利腕側(一般的には右側)にあった方が良い。
店によってはラーメンを汁物と考えて右側に置くが、これについては「汁」「飯」という発想から離れ、単純に器の高さから判断するべきであろう。
つまり、ラーメンの丼よりもチャーハンの皿の方が低い。利き腕側に低い器があった方が圧倒的に食べやすいので、右利き基準で考えれば右に炒飯、左にラーメンがあるべきなのだ。
ココイチに行くと、あることに気付く。必ずカレーが手前、奥がライスになるようにカレーライスが置かれるのである。そして客は無意識のうちにそれを45度回転させてから食べ始める。
利き腕側をライスにするとライスの消費が早くなり、最終的に比較的少ないライスと比較的多いカレーによって濃い味で食事を終える事になる。
利き腕側をカレーにするとカレーの消費が早くなり、最終的に比較的少ないカレーと比較的多いライスによって淡白な味で食事を終える事になる。
ココイチが客に対してカレーとライスの境界線を水平にするのは、右利きと左利きを差別しないダイバーシティの精神があるのではないだろうか。