2017-06-04

私が子どもが嫌いな理由

私は子どもが嫌いだ。

子どもというのは、弱い。

弱いということは、強いということである

今、女で、若い部類に属しているが、たとえば銀行強盗などがあって、私の代わりに子ども犠牲になったら、「いや子どもを守れよ」と言われるだろう。

子どもは、年若いというだけで特権階級なのである

今、私が子どもに嫌な目に合わされたとして、なにができるだろう?

せいぜい学校通報するくらいか

大人である私が、子どもに対して、私のほうが圧倒的に被害者であると立件できるのだろうか?

一方的に惨殺されるくらいでないと、「大人の私ではなく子どもが悪い」とはならないだろう。

では、子ども時代はどうだったかと言えば。

女の子どもというのは相当な弱い立場にいると思うが、それが最弱だから最強かと言えば、そうではない。

「なんでも許される子ども」というのが存在する。

要するに、金八先生に出てくるヤンキーみたいなやつである

男の子女の子スカートをめくるのは、好きな子に意地悪したくなっちゃったから、だから、許してあげてね」みたいなやつである

なんで許さなきゃなんねーんだよ。

大人にとって、好ましく扱いやす子どもは、許される。

大人にとって、好ましくなく扱いにくい子どもは、許すことを強要される。大人になることを強要される。

さないほうが、心が狭く、嫌なやつなのである

こういう気持ちで、子どもながら「私は許されない」と思いながら、許される子どもを見ながら生きてきた。

そのまま大人になったら、無条件で子どもを許さなければならなくなった。

要するに、私は、うらやましいのである

許される存在がうらやましい。

大人になっても、「許される」人はいる。

きっと、「許される」子どもだった人間だと思う。

私にとっては、許される存在代表子どもから、うらやましくて、嫌いなのである

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