私は子どもが嫌いだ。
子どもというのは、弱い。
弱いということは、強いということである。
今、女で、若い部類に属しているが、たとえば銀行強盗などがあって、私の代わりに子どもが犠牲になったら、「いや子どもを守れよ」と言われるだろう。
今、私が子どもに嫌な目に合わされたとして、なにができるだろう?
大人である私が、子どもに対して、私のほうが圧倒的に被害者であると立件できるのだろうか?
一方的に惨殺されるくらいでないと、「大人の私ではなく子どもが悪い」とはならないだろう。
女の子どもというのは相当な弱い立場にいると思うが、それが最弱だから最強かと言えば、そうではない。
「男の子が女の子のスカートをめくるのは、好きな子に意地悪したくなっちゃったから、だから、許してあげてね」みたいなやつである。
なんで許さなきゃなんねーんだよ。
大人にとって、好ましくなく扱いにくい子どもは、許すことを強要される。大人になることを強要される。
こういう気持ちで、子どもながら「私は許されない」と思いながら、許される子どもを見ながら生きてきた。
そのまま大人になったら、無条件で子どもを許さなければならなくなった。
要するに、私は、うらやましいのである。
許される存在がうらやましい。
許されピラミッドでは女であるというだけでかなり階層高いことに気付いてる?