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はてなキーワード: ハンディキャップとは

2023-10-05

anond:20231005160743

みんな=業界内。ちゃんミヤネ屋たか

自然言語におけるみんなの範囲なんで文脈次第なのにそこら辺考えず数学論理学みたいな捉え方しちゃうようなら読解力にハンディキャップがあると疑った方がいい

2023-09-28

栄冠ナインって何がおもろいの?ずっと同じことの繰り返し…

こんなん20年も有難がってやってるって野球好きって頭にハンディキャップでも背負ってんのか?

いい大人電車とかプリキュアに夢中なのと何が違うの?

スマホで出てたからやったけどゴミ過ぎて草も生えん(7年目で甲子園優勝したためもうやることがない。毎回毎回同じことの繰り返しだからもうやる意味もない)

コナミもこれでよく長期運営しようと思ったな

野球関係者みんな頭にデッドボール受けたことあるだろこれ…

2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

2023-09-24

anond:20230924001845

どんなに容姿頭脳が優れていても、母親結婚せずに精子提供で生まれたこと、最初から母子家庭であるとがめちゃくちゃハンディキャップになると思います

40歳ならどうしても子どもが欲しいなら仕方ないですね…と思いますが。

2023-09-22

3年間で0から350冊くらいまで本を読んだ話し

文章支離滅裂になるかと思うけど、許してほしい。

近々図書館司書さん達にお礼を言おうと思っている。その前にでも自分の頭の整理のために書いておきたい。

そして誰かの参考になればいいな思う。

タイトルの通り自分は3年前まで本が全くと言っていいほど読めなかった。本を開いても1~2行読んで「あ~もう無理」って感じですぐ閉じて、すぐ自己啓発youtubeに逃げていた。当時だと西野亮廣与沢翼メンタリストDaigo、よくわからない弱小自己啓発youtuber、俺的名言集など。

今でこそ笑い話だが、当時は「こんなに役に立つ情報無料で見られるなんて、youtubeってマジ天国じゃん! これを吸収して俺は人生を逆転するんだ!」とか本気で思っていて、与沢翼がアップした1時間尺くらい(人生本質とか何とか)の動画×5本くらい(10本くらいあったが途中で断念した)を1つ10時間くらいかけて見て、ノート一言一句書き写すとかっていうことをやっていた。

今考えたら馬鹿まりない。でもそういう知的レベルだった。

「本なんて読まなくても、youtube動画を見れば人生逆転できる!」って本気で信じていた。

そして自分はそんな自分のことを「俺、周りよりも頭いい!」と思い込んでいた。

今思えば、陰謀論者みたいだな。

ちなみにその時の自分は37歳。男性彼女なし。

高卒。ここまで正社員経験無し。公務員試験受験に落ちてから、ずっとコールセンターフリーター人生

それ以外の仕事倉庫作業新聞配達、どぶ板営業

そして35歳で借金風俗など)による自己破産

仕事も降格1回。会社もクビ2回。ナンパにも10年くらいハマったり。ってくらいに馬鹿である

毎日AV見てオナニー

あと、精神3級レベル精神疾患を持っている。

どうだ?

みんなよりもクソな人生だろう。

メンタルヘルス精神医学系の本を何冊か拾い読みした結果、おそらく自分にはADHDASD系統性格傾向があると思われることがわかった。だがこれはあくまで「傾向」だ。でも少なくとも100%定形ではないだろう。自分感覚だと3割くらいはその気があると思う。

話を戻す。

書いた通りのバカで、でも謎に「いつかは人生逆転してやる!」って息巻いていた。

でも実際はなかなか行動に移せず、その鬱憤を自宅に帰ってきてはyoutube自己啓発動画を見て「俺はやれるんだ!」って自分を高めては、翌日また現実世界に打ちひしがれて帰ってくる・・そしてまたyoutubeを見る、という日本全国どこにでも居そうな陰キャ生活を送っていた気がする。

図書館に行くきっか

そんな自分図書館に通うきっかけとなったのはパニック発作

仕事プレッシャー職場人間関係からなるストレスから発症したと思う。

(日付を見て気づいたが、ちょうど3年前の今頃だったと思う)

http://www.toyama.med.or.jp/wp/?page_id=1347

※「パニック障害」ってどんな病気? ~公益社団法人富山県医師会

症状としては死への恐怖が一番強かったかな。

主治医に診てもらっても、自分の辛さがなんだか伝わっていないような気がして。とりあえず薬を出されて終わり。そんな感じだった。

「めちゃくちゃしんどいのに、お医者さんは何もしてくれない。それなら自分で調べるしかない」

それが図書館に行くことの始まりだった。最初ポジティブ理由でもなんでもない。

「この病気自分で調べなきゃ自分が死んじゃう」そこがスタート地点。

最初メンタルヘルスうつ病パニック発作パニック障害とかの本をとりあえずひたすら読んでいった。

本の読み方とかもよくわからずに。ただむさぼるように読んで行った記憶がある。今の症状について、医者からほとんど何の説明もなかったからだ。だから知識が欲しかった。

本を読みいろいろな知識を得ていくうちに「あれ? 本ってもしかして人生を逆転出来るツールなのでは?」と思うようになる(単純)

ちなみに、この時の自分読書の本当の凄さにはまだ気づいていなかった。

ただなんとなく、当時見ていた自己啓発youtubeよりも多種多様情報図書館にはあるな。これを頭に入れることが出来れば、自分は今のクソみたいな環境から脱出出来るのでは? 

それくらいの解像度だった。

それから仕事帰りに、ほぼ毎日図書館に通うようになった。

たまたま18時に終わる仕事だったので、図書館直行して閉館の21時まで入り浸る毎日を過ごすようになった。

1冊読み終わったらまた1冊。そしてまた1冊と次々に違う本を読んでいった。

いわゆる「乱読」というやつである。ただその時は「よーし、乱読するぞ」なんて思っていなかった。

「目の前にモンスターが出てきたから、とりあえず倒す!」くらいの感覚だった。

幼少期に多少読書をしていたとはいえ、こんなにも本を読んでいない。ましてや大学にも行っていないし、仕事文章を読んでもいる訳でもない自分が、急に読めるようになる訳はない。

パニック症関連の本はある意味必要に迫られていたので、中身をなんとか頭に入れることが出来たが、当時の自分にとって自分に関連性のない分野の本は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。

なので自分写真多めの本から読むことにした。

図書館には「旅」のコーナーがあるので、旅日記旅行記それから写真集、絵本など、文章が少なく、写真や絵が多い本から初めてみることにした。これが意外と自分には合っていて徐々に自分を本に慣れさせて行くことが出来た。

旅行系の本は結構充実していて「一度は行ってみたい世界絶景」みたいな本とか、「島、海、空」に特化した写真集なんかも何度も読んだ。とっても楽しかった(書きながら思い出している)。ああいう本はたぶん知らないうちに、自分の心を豊かにしてくれたんだなと思う。

それから宗教学入門書を読んだ。

俺の実家宗教が複雑に入り乱れており、新興宗教に入信した兄弟もいたような家庭だったので、宗教には興味があったんだ。

宗教学? 宗教を信じるための学問?」って思っていたくらいよく知らなかった。

その後も、少しずつ少しずつ。1日30ページずつとかではあるけれど、読書は続けていった。

その頃のジャンル宗教学人間関係、旅、メンタルヘルスハンディキャップ、働き方、思考方法など。

そうして徐々に、文字が多い本(いわゆる新書など)も読めるようになっていったと思う。

余談だが図書館環境も良かったと思う。自分が通っている図書館音楽が流れソファが用意され、読書をするには最高の環境だった。

読書をするためにわざわざカフェに行って、お金を払う必要がなかったのは大きい。

選書もとても良く、新しい本から古い本、海外翻訳本まで次から次に読みたい本が見つかる。こんな素晴らしい図書館出会えたのは本当に運が良かった。

3年後

そうして3年が経った今年。

3年前には本を開いても1~2行しか読むことが出来ず、youtube自己啓発動画に逃げ、動画の先にいる配信者を盲信していた自分が、今では読書を3~4時間は平気で行うことが出来るようになり、読むジャンル法律社会学経済学起業関連など、多少難しい本を読めるようにもなった。

それから、これまで乱読に近い読み方をしてはきたが、これがいわゆる「リベラルアーツ」という学問に当たるということも最近知った。

https://www.obirin.ac.jp/academics/arts_sciences/what_is_liberal_arts.html

リベラルアーツとは ~ 桜美林大学

そして自己啓発動画現在も見るには見るけど、以前と違い盲信することは無くなった。

Twitter(現X)のバズツイートや、インフルエンサー情報発信を見ても、安直に信じることも無くなったし、必ず別の可能性を考えられるようになったと思う。

自分にとって本を読むことは、偉人、先輩方との対話であり、その本が入っている本棚図書館偉人たち、先人たちといつでも話が出来る場所だと思うようになって来た。

何かを考えるときも「あの本にはこんなことが書いてあったよなぁ・・」と頭の中で引用出来るようになってきた。

頭の中に様々な専門家が常時いるようなイメージだ。口寄せの術。

この3年。変な自己啓発本やビジネス書の類(書店平積みされているようなやつ)は、ほとんど読んで来なかったことも大きい。

今までは「与沢翼のブチ抜く力」とか「西野亮廣革命ファンファーレ」「あなたを癒やす100の名言」みたいな本ばかり読んで、わかった気になっていたが、そのような本に盲信することはもう無いだろう。

ただ、おかげさまで有益情報はある程度取捨選択出来るようになったので、その意味では今後は目を通すことはあると思う。

岡田斗司夫図書館のことを「貧乏人が行くところ」と評したが、自分は「司書さんがプロ目線有象無象の中から、適切な本を選んでくれる最高の場」と言いたい。

最近は「得た知識抽象化していつでも引き出せるように」訓練している。

読書を始めたきっかけは精神疾患とはいえ、本が読めるようになったこと。

本当の意味で本が読めるようになったことに感謝したい。

また、読書のおかげで新たに人とのつながりも出来るようになってきた。これは予想外の副産物でもあった。

新しい人に出会った時に「本を読んでいます」というと、話が発展することが多くなったし(今までは、AVの話しやナンパの話し。風俗借金の話ししか持ちネタがなかった)、読書サークルなんかにも通えるようになった。

そして今までは読んだ本(学問)同士のつながりを感じることが出来なかったのだけど、リベラルアーツという言葉を知ったおかげで、これまでの読書が一本の線でつながるような気がしてとても嬉しいんだ。

今後も引き続き勉強をして行きたい。 あと今後は文学作品も読んでいきたい。

だいたい、みんな「読書」って言うと、小説などの文学作品のことを語る人が多い。

自分のようにリベラルアーツ系の読書から入って数を重ねる人は一般的では無いのかもしれない。だからこそ小説を読むのは知らない世界を知れそうで楽しみである

自分はこれまで、生活に苦労してきて、かつ学歴にもコンプレックスがあったりしたが。

ここから先の人生読書が出来るということを武器にして、豊かに生きていきたい。

そして「自分って高卒なんだよな。結局大卒には勝てないんだよな」

ってひがんじゃう自分がいつかいなくなることを願って。

最後

読書楽しい死ぬまで続けたい。これから自分に心の豊かさをもたらしてくれるものだと思っている。

そして読書ができる人は実はそんなに多くない。だいたいの情報youtubeなどのネットで得られる世の中だからだ。

電車に乗っても、子供から学生、そしてサラリーマンに至るまでみんなスマホをいじっている。スマホに夢中だ。

そんな中、自分リュックから本を取り出し、ひとり本を読む。 

youtubeの切り抜き動画や対談動画にも、有益ものは非常に多いが、元をたどると古典などの本から情報であることが多く、だからこそ読書他人差別化が図れるものだと思っている。

これからも続けて行きたい。

いつか、通信制でもいいので大学にでも行こうかな。そんなことを最近は思う。

最後まで読んでくれてありがとう

そして図書館司書のみなさん。ほんとうにほんとうにありがとう

9/24追記

いろいろな人が読んでくれたようで本当にうれしい。

書いた後に、改めて自分でも振り返ってみたが、これほどまでに読書継続できた理由ひとつは、やはり図書館環境がとても良かったこと。

それからオンラインで参加していた読書サークルに私よりも知的な方々が沢山いて(博士課程の学生や、大学講師など)、「このまま読書を続けたらどう変わって行けるのか」という、少し先の未来自分に見せ続けてくれたということが、大きかったんだという事にも気づいた。

読書サークル内では日夜テキストチャット議論のようなものが繰り広げられていて、最初は会話に全くついて行けなかったけれど、だんだん話していることが理解できるようになってきた自分が嬉しかったりした。

自分ひとりでは絶対にここまで来られなかったと思う。

いろいろな意味で運もあったのだと思う。

それは、素晴らしい図書館が近くにあったこと。

読書サークルたまたま知的で素晴らしい方がいらっしゃった事。

友だちが少なく、親の介護も無く、仕事要職についている訳でも無かったがために、逆にプライベート時間を、読書にフルベット出来たこと。などなど。

この文章を書いてからナンパをしていた時代毎日の様に行って、よくたむろしていたビル飲み屋カラオケホストクラブダンスクラブが入店していて、たまり場になっていた)に用事があって行ってみたんだ。

歓楽街ということもあり、相変わらずの雰囲気だった。

派手な服装女性と、その女性口説き落とそうとしている男性

酔いつぶれた若い男性

ウェーイって騒いでいる学生

エレベーターで降りてきた勤務終わりのキャバ嬢

怖めの車で迎えに来た怖めのお兄さん。

仲間で歩いているホストくん達。

そして女性たちに声を掛ける男性

この世界から抜け出せただけでも本当に良かったなと。それだけでも100点以上だと思う。

これから読書は続けていきたい。

ありがとう

2023-09-18

anond:20230916112348

病気治療するよね、現に病原菌ウイルスいるから。

ケガも治療するよね、破壊された体細胞があるから

障害ってのはね、「自分他人も困ってます」ってことなんだ

障害は一生ものなんてのは嘘で

困らない場所にいければそこで「不自由しない=治った」といってもいいんだ

からなんとかしてハンディキャップのあるひとも

障害年金というお金をあげて今居る場所で困らないようにしてあげたり

一生困らない場所につれていくことも治療のようなものなんだ

 

でも日本語話者はみんな古い観念で固まってる(どれだけ保健や家庭の授業をおろそかにしていることか)から

治療とは医者につれていくことだ、まだ医者にかよっているなら治療はおわっていない

という非常に雑な認識しかない

からエンパワメントとか英語でいうんだよ

医者に通いながらですが普通にくらしています、一病息災です」

こんなの親世代祖父母世代年賀状でよくみているハズなのにね

2023-08-16

anond:20230816122728 anond:20230816130743

ポルノコミック推し活や港区女子(失笑)や風俗業界などが許容され、どこでも目に入る現状は、

日本の文化民族性による影響もある可能性があり、この点は一定の理解が得られると考えています

 

しかし、性的サービス契約していないにも関わらず他人勝手に触る行為は、文化民族性よりも

しろ個人の知能や感情制御能力に関連する問題だと言えます

 

法的な観点から重要なのはハンディキャップの有無に関わらず、「してはいけないこと」を明確に定義することです。

個人の行動においては、多様な視点を持つことが不可欠であり、知能や感情制御能力課題がある人々も存在するため、

良い側面と悪い側面を含めた多様性尊重しつつ、適切な行動を取ることが大切です。

 

このような考え方で生きることで、ネットフェミ自称する人たちのように生きづらさを感じることなく、

より理解ある社会を築いていくことができると思います

生きるのがつらい者たちへオススメニコ生主を教える

生きるのがつらい者たちへ、生きる希望が湧いてくるオススメニコ生主たちを教える

生きるのがつらい増田たちはニコ生のどうしようもないやつらを見て元気出して行こうな

男性生主

ニコ生男性生主無職キチガイ無能罵倒コンテンツ

七原くん

ニコ生の一番人気。ADHD 腎臓機能障害 1級

https://note.com/akaska2900/n/n329949f68384

黒澤

岐阜住み介護職チー牛。とてつもない無能二次元オタクロリコン

一向に成功しないナンパ配信リスナーから罵詈雑言コンテンツ

配信を始めた当初は東京住みの無職漫画家を目指していたが、その後介護職についたりやめたりしている。

ニンポー

40代ニコ生一の嫌われ者

いろんな女生主に恋をしては嫌われている。

気持ち悪い自分語り恋愛観、僕はこんなに可哀想人間という被害者意識を語り、それに対する罵詈雑言コンテンツとなっている。

ぽんちゃん

水頭症白斑の二重苦。

身長120cm台でも元気にしぶとく生きている。

なお性格も悪く、金にがめつい。死にかけの金バエから最後の遊びの誘いに、奢りじゃないとわかった途端キレて断る。

佐賀県唐津ローカルタレント堀田みなみに恋をし、一時鬼電、鬼LINEをしていた。

ぽんちゃんハンディキャップを前に自分の悩みはちっぽけなことに思えてくるだろう。

サダ

巨人心臓疾患持ち無職無職なのにリスナー恋人ができ結婚

「はざーっす、インターネッツ」が持ちギャグ挨拶

配信はとてもつまらない。

堀田みなみに気に入られており、ぽんちゃんとは一時ライバル関係にあった。

ぽんちゃん唐津堀田みなみに会いに一人旅に行く際、追いかけて出発しデッドヒートを繰り広げた。

たこ

無能ハゲチビクチバシ。

チャリ東京から大阪へ行く企画途中トンネルで後ろから車に激突され腰の骨を折る。

事故相手保険会社医者には将来的に半身不随になると宣告されている。

この事故以降、街ブラ配信事故りかけるとタコスチャンスと言われるようになった

イノシシ

広島住み無職ハゲ40代

「のうや」「じゃけえ」が口癖。

女性生主

女性にはゆのんやかなたのような珍獣枠のほか、容姿の可愛さで癒やす癒やし枠も存在

ゆの

すべてを優しさで包み込む魔界から来た永遠中二病天使自称14歳

マジックアップルというメイドカフェ店員

「ありがたきー」や、「~魔界(語尾)」など独特の語彙が特徴。

眼帯をして、幼稚園児のような格好をして恥ずかしげもなく街を練り歩く。

こいつを見ていたらあまり珍獣っぷりにきっと元気が出てくる魔界

https://twitter.com/iroma29/status/1622281800088457216

まがりまり

ニコ生可愛い天使

バイトを一日でやめるなど何をやっても続かないダメ人間無職。一級プロバックラー

マックバイトでは検便を提出するのが嫌でバックレる。

コールセンターバイトは4回行って自分ダメさに嫌になりバックレる。

絵を描くのが趣味

「んふーww」という笑い方が特徴。可愛い

クリスマスケーキを作る配信では、ケーキ完成直後に床にケーキをぶちまけるミラクルを起こす。

ニコ生彼氏詮索コメントに耐えかね、転生しイセカイ・リーネというVtuberとして活動を始めるもそれも続かず音信不通に。

https://isekaisekai.com/

かなた

仙台住み、3x歳無職

女性生主でおそらく一、二を争う罵倒をされているお笑い

リスナーからラーメンマンと言われている

ブス罵倒質問攻め、リスナーに歓迎されないお色気がコンテンツ

https://twitter.com/gin_tonic55/status/1691113767273447425

あかねこ・みーたん

美人エロ巨乳姉妹

リスナー教育が行き届いており、治安の悪いコメントは少なく、雰囲気ウェザーニュースに近い。

大型連休でも配信を行い恋人の陰はなく弱男でも安心して推せるニコ生の檜山沙耶枠。

ゆばにゃん

美人だがヤニカスポンコツなところもあり、囲いコメは少ない。

アニオタゲームオタク

みーの

宮崎訛りがすごい。天然。

パチンコ店員。

ポンコツびぃちゃん宮川みやび

24Gカップポンコツタレント

ニコおじをハゲ扱いする。

らす

ニコ生一の美人元アイドルしか配信は全く行われていない

https://www.youtube.com/watch?v=S3wrJT4Lnhc

刑事

世界一下品な女。下ネタや下の話を赤裸々に話すことに抵抗がない

姉は元アイドル

りなもい

元アイドル可愛いけど配信初期から彼氏であるおさむらいさんの存在を明かしておりガチ恋勢のいない健全配信となっている

彼氏おさむらいさんとは無事結婚

2023-08-12

ガチャ説教する人間の嫌な所

ガチャ失敗したと愚痴っている人間に「努力しろ」と説教する人間の何が嫌いって努力基準勝手そいつが決めてることだわ。ハンディキャップ背負ってる人間努力といわゆる普通人間努力って全く評価基準が違うだろ。大抵の人間はやれる範囲努力してると俺は思う。

あと簡単他責思考とか言うのも嫌。確かに他責のみで生きてるやつはいるし、動かないのは愚かだ。でもそれ、ハンディキャップ絶望して無力感で動けなくなった奴も含まれてるだろ?俺はそんな奴を更に追い詰めるようなことしたくないわ。

俺としては共感が前提にあって初めて他人努力しろって言えると思うんだよな。インターネット人間に求めるものじゃないけど。

2023-07-27

ハンディキャップ

40代も半ばに差し掛かり、運動不足もあって体が思い通りに動かなくなってきた。もうすぐ45歳になる。

今は亡き父が45歳でまだ健在だった頃、自分高校3年だった。

ある日、同級生の友人男女を離れの部屋に招いて酒を飲みながらドンチャン騒ぎをしていた現場が見つかり、怒り狂った父に友人共々追いかけられた。

浜辺まで追い詰められたところで、友人たちを逃すために止むを得ず父と取っ組み合いをした。

当時の自分レスリング部で地区大会常連柔道経験である父に負けないよう全力で向かったところ、圧勝してしまった。負けを認める父がなぜか嬉しそうだった。

あれから四半世紀ほど経ち、当時の父とそっくりな小太り体型の自分がいる。そして、あの一戦にはハンデがあったことを知る。

2023-06-30

障害者ブクマカへの遠慮

なんだこりゃ、ひでえな、と思うようなブコメを見かけて、そのユーザーのほかのコメントざっと流し読みしてみたら、障害者だった。

多くのコメントで「自分障害者だけど云々」みたいなアピールじみた前置きを繰り返していた。たとえそれが不要と思える論旨でも。

普通の人だったら増田で吊るし上げたり同じブクマで当てこすりを書いたりしたいところだったのだが、控えておいた。

健常者・障害者とは関係なく人として無茶苦茶なことを色々書いていたんだが、障害者だと知って責める気持ちが失せてしまった。

きっと楽しいことよりもつらいことのほうが多い人生だっただろう。

その結果、世を拗ね、人格ねじくれてしまったんだろう。

そう思うと、その人が頭のおかし理屈無差別に毒コメント攻撃的に吐きまくって周囲にいやな気分を撒き散らしていることを、自分が責めてはいけない気分になった。

自分にこの人を指弾する資格があるのか、気持ちの奥底では自信が持てなかった。

本来、クソなコメントはクソだし、それを書くやつもクソだ。健康上の境遇関係なく、みんな平等であるはずだし、平等であるべきだ。障害者からといって大目に見てやる義理はない。それは頭の中ではわかっているけれど、自分が健常者であることの後ろめたさが通せんぼしてくる。

俺に限らず多くの人はそういう感情を抱くだろうし、障害者社会的にもそう扱われてきたはずだ。

いたわられ、保護され、優遇され、そして、多少のことは大目に見られる。

その結果、厚かましく・尊大になっていってしま弱者もいるだろう。

社会的弱者であることを笠に着て理不尽要求を通し、利権を手にする人権団体もある。

社会的強者の抱く後ろめたさにつけこんで大目に見てもらおうという手合いだ。

むかしは同和問題、今は女性問題がそうなりつつあるのかもしれない。

どれほど社会ユニバーサルバリアフリーになったところで、大元ハンディキャップがなくなるわけではない。ハンディキャップ存在する限り、社会的強者の後ろめたさもまた存在し続ける。

これが解消する日は来ない。

2023-06-06

APEXのカスタム大会Twitterで回ってきた

ランクマッチの到達ランクで参加コストが決まるという定番のチーム分けっぽいけど、

何故か女性ランクコスト-2ってなってて???ってなった。

普通に体を使うスポーツなら男女混合大会ハンディキャップ必要かもしれんが、なぜゲームハンディキャップ・・・

そりゃトップスリーマー層に女性が少ないのはわかるが、そこらへんのVtuberとか配信者程度のランク帯だったら女性普通に活躍してるし・・・

運営女性参加者増やして連絡先欲しいだけなんじゃとか思ってしまったわ。

普通に考えてダイヤ帯のランクコストプラチナ帯と同等の扱いって頭おかしすぎるでしょw

2023-05-25

日本家電メンテナンスできない理由

anond:20230524213039

 

空調機器開発者です。たしかメンテナンス考えてないケースは多い。だがその多くは安全上の理由である

 

私はx年前までメーカー設計や開発をしていた。

私は元増田ほんと日本の男って家電開発のセンスがないわ同意する点は多い。だが白物家電ジャンルによるが、開発チームの3割程度は女性だ。普通に会議でも女性意見は求められるし、お客様要望として上がってくる。メンテナンスフリーじゃないのが男性主体であるという推察は、まったく的外れであるとは指摘したい。

 

だがまぁ、事実としては。マジでメンテナンス関連の開発優先度は低い。

強いて言うなら、修理部門から「分解しにくい」「パーツが壊れる」などの報告が来たときに改良する程度。

お客様掃除をする設計に出来ない理由は大きく2つある。

 

 

1. 安全上の問題

電気というものは危ない。人は簡単死ぬ

さらモーターも危ない。指くらい簡単に飛ぶ。

電子レンジに濡れた猫を入れるなんてジョークのような話があるが、科学教養がなくセンスのない馬鹿は世の中には掃いて捨てるほどいて、開発者はどうすれば馬鹿でも安全に使えるかに心血を注ぐ結果、部品に触らせないようにする。

メンテナンスできない理由の8割はこれだ。

 

もう10年以上昔だが、某エアコンにおいてメンテナンスを重視するべくファンや熱交換器を交換型アタッチメント式にする企画があったが、一瞬で却下された。最大の理由は「電源をオンのまま交換を行うお客様がいた場合、重大事故につながる」というものだった。

それにお客様の住環境によっては、電源コンセントを抜きにくい配置であったり、物理的にスペースがなくてパーツを外しにくい場合があるだろう。

事故クレーム可能性は吐きたくなるレベル無限存在する。いや開発時に考えすぎて吐いた同僚がいた。

安全懸念があるものは開発できない。

 

 

2. 省エネによるパーツの巨大化

エアコンが顕著だが、2007年省エネ法など法的な規制が厳しくなっている。

だがいくら技術や素材が進歩たからといって、そう簡単省エネにできるはずがない。じゃあどうすればいいかデカくするのだ。

エアコン冷蔵庫などは熱を交換するという性質上、巨大パーツを動かす事で省電力化に寄与する。小さいコップに注がれたお茶と、大きな鉢に入ったラーメンが同じ温度だとして、小さいコップの方が早く冷めるのと同じ理屈だ。実際に多くの家庭用エアコン本体・室外機ともに20年前より1.5倍程度デブになっている。

デカくすると重たくなる。結果、メンテナンス性が下がる。

例えば多くの家庭用エアコン解体者の左側にスペースがないとパーツの取り外し自体が難しい。右側に電気制御基板があるため、左側のフィン軸などを浮かせてパーツを分解するためだ。脚立の上で重たいパーツを抱えた結果、バランスを崩して転倒するのは目に見えている。実際、プロエアコン修理業者ですら事故を起こした報告を聞いている。

 

 

 

……とまぁ、メンテナンスできない理由は上述の通りだ。

元増田が上げてるすべての家電ジャンルに私は携わったわけではないが、回転駆動するモーターを内蔵する機器、高温になる機器大電流を必要とする機器は、どうしても安全性を重視せざるをえないのは想像に難くない。回転するモーターがあって高熱で大容量電力が流れる状態で分解・清掃する馬鹿が、マジでこの世には山ほどいるのである。本当に信じがたいが。家電開発をしていると、もしかして人類全員は単細胞じゃないかと思えてしまう。冷や汗がでる危険行動をとる人がいる、いまくる、いすぎるのだ。あまりに多くて本当に気が狂ってしまうよ。

掃除やすくした結果、事故が起きては取り返しがつかない。お客様の命と同時にメーカーの信頼も失う。

 

 

とはいえ私自身も元増田投稿には心情的にかなり同意する点は多い。

ブコメにも指摘はあるが、メンテナンス製を重視して製品ラインナップを展開しているのは三菱電機くらいである。

環境負荷のことを考えても、適切に分解・洗浄ができて、長く使える製品を開発する事はメーカーの責務であると私も思う。だが上述の事由や、歴史的文化的企画判断では、メンテナンスの優先度は極めて低い。

 

全体的に「増田くらい清潔にメンテしておきたいって気持ちを持つ人は極少数」なのは知っといてもらいたいね

修理とかで使われた物見ると分かるけど「一切の掃除をしない」っていう人も相当数います

家電関係の仕事してるので反論・説明してみる

非常にわかりみが深い。だが私はこの認識は少し古い気がしている。

SDGsの広まり一過性ブームなのか、もっと継続的ものになるかは意見が分かれるだろう。しかし私はお客様の声や販売スタッフなどの話からメンテナンスに対する需要2020年頃から高まっているように感じる。若手から企画報告でも、TikTok・Instagramm・YouTubeでのお掃除動画の盛り上がりなど、気になるトピックが増えてきた。

メンテナンスを行いたいという感度の高い客層は、10年前・20年前に比べて増えてると私は考えている。生まれた時から多くの家電に触れ、ご友人の評判やネット商品レビューから使いこなしを意識した、家電教養の高いお客様が増えている事の裏返しだと思う。

大手メーカーで一瞬で却下された企画を形にしたような、バルミューダデザイン家電がヒットしたように。メンテナンス家電メーカーXが今後登場する可能性はある。かもしれない。

 

 

ところで元増田海外製品の良さを記しているが、これは歴史的文化的な側面があるのではないかと思う。

日本は「町の電気屋さん」として、販売メンテナンスを行う中小企業が多い。平成・令和となった今はビックカメラケーズデンキなど大手家電量販店はすべての都道府県存在するが、これは世界でも珍しいどころか、おそらく世界日本だけの唯一無二の状況である

お客様アクセスやす家電サポートが身近にあるため、メンテナンス機能実装優先度が下がると思われる。

一方国土が広いアメリカや、サポートスタッフが少ない途上国なんかだと、そうはいかない。お客様自身メンテナンスできる機構必要だったのではないか

 

それからメンテナンスができるとして、どこまでやれば良いのかという話もある。

洗濯機エアコンが顕著だが、高温多湿な日本環境は、家電にとって大変なハンディキャップである

どんなにメンテナンスしてもカビ・ホコリは発生する。これを書くのは心苦しいが家庭用エアコンのお掃除機能は、ハッキリ言って焼け石に水である

じゃあ完全分解洗浄するのか? そんな事をしても1年後には汚れまみれである。 毎年3万円かけて掃除業者メーカーエアコン完全分解洗浄をするくらいなら、全く掃除せず3年目に9万円の新品を購入した方がマシではないか?

メンテナンスコストを下げるために改良した製品を投入するとは、この部分こそが未知の領域である。いったいどのレベル製品ならば、お客様の満足と、それに見合うコスト釣り合うのか。誰も分からないだろう。

批判承知乱暴な言い方をするなら、

お客様メンテナンスされて汚れを認識するくらいなら、奥にゴキブリが挟まってたとしても見えない方が良いという事だ。

 

 

個人としてはメンテナンスがしやす製品が登場し、長く使って愛せる家電が増えればいいなと思ってるけどね。

しまりがわるいので、最後一言だけアドバイス

家庭用エアコン用お掃除スプレー絶対に使うな。あれは汚れを溜めて故障をさせるゴミ製品だ。絶対に使うな。絶対にだ。

2023-05-23

オタク推し燃ゆを読んだ

なんか朝起きたらとんでもなくめんどくさい仕事の連絡がきていて、ああ、って思った。

からミーティングがあったのでそれだけこなして、今日はもう仕事はせず、PCの画面すら見たくないと思った。

出かけようかとも思ったけど雨だし、お金もないのでずっと積んでいた本を読むことにした。

買うだけ買って、ビニールすら剥がしていない本がいくつもある。

とりあえず、以前数ページだけ読んだまま放置していた「推し燃ゆ」という作品に手を伸ばした。

推し炎上から始まる、1人の女の子人生の話だった。

私は女性地下アイドルオタクだ。コロナ流行って現場が無くなった頃からVtuberも見ている。

から、というわけではないが、界隈の特色もあって私自推し炎上するいう経験は何回かある。

ここから先は本編のネタバレを含む内容。

感想を率直に述べるとすれば、「私はまだ大丈夫な方だ」だった。

主人公はおそらく、ADHDの診断を受けているのだと思う。

作中で明確な病名が明かされているわけではないが、病院で言われた、人と同じようにできない、という描写からそのように解釈した。

じゃあどうして私がそのような感想に至ったかというと、自身も似たような境遇にあるからだ。

数年前、躁鬱の診断を受けた。

ADHDも躁鬱も、レントゲンを撮ったり、血液検査をして明確なエビデンスの元下される診断ではない。言って仕舞えば、患者気持ち問題だ。

実際、病的なまでに人と違う点があるのだから病気”とされているが、気持ち問題が含まれるために世間から理解も乏しくなってしまうのだと思う。

重要になってくるのは、その病気に対してどう向き合うかだ。

この作品主人公は、どうも病気に甘えているような印象を受けた。

わたし病気から仕方ない。そういったニュアンスの心情描写が何度も見受けられる。

かに病気から仕方ないところはある。努力してもどうにもならないことはある。

けれど、そこで「私は病気から」何もしなくていいというわけではないのだ。理解を得たいのであれば努力をしなければならない。

最近、心の病気に対する世間認識は徐々に変わってきているように思う。少しずつではあるが、確実に、理解を得られるようになってきている。

しかし、日本社会は甘くない。

世間から認めて欲しいのであれば、病気だろうがなんだろうが努力するしかないのだ。

趣味を全うしたいのであれば、それ相応の働きをしなければならないのだ。

好きなことだけやって、やりたくないことはやらない、なんてことは現代日本社会ではまず許されることではない。たとえ病気だったとしても。

努力なんていうものは、尺度ベクトルも人それぞれだ。

自分がどんなに自分なりに努力していたって、世間から認められないのであればしていないのと同じになってしまう。

では、努力を人に認めてもらうにはどうすれば良いのか。

回答は明快だ。「世間尺度に合わせれば良い。」

作品の後半で、主人公高校中退してしまう。

この作品だけ読めば、まるで推し炎上きっかけに人生が壊れていくさまを描いているようにも思うが、登場人物人生だって地続きだ。推し炎上してもしなくても、同じ結果だったのではないかと思う。炎上は時期を早めただけだ。

中退した後、主人公家族から就職をするように言われる。

それを言われた主人公は、数ヶ月の間で数社の応募をしたのだという。

数ヶ月の間で数社、というのは世間尺度で見れば到底努力しているとは言えない数だ。もしその状況を正当化させたいのであれば、相応の理由がなければならない。

だって人間だし、親だって生きるのに金がかかる。無償の愛などこの世には存在しない。

この本の帯に、このようなコメントが添えられている。

未来考古学者に見つけてほしい。時代を見事に活写した傑作。」/朝井リョウ

この感想を得た朝井さんがどの部分に「時代」見出したのかは定かではないが、私はこのコメントを見て酷く納得した。

かに推し炎上」という題材はこの令和ならではだと思うが、この作品が打ち出す「時代」というのは、今回つらつらと書いた精神疾患の方にあるのではないかと思う。炎上は、そのテーマを引き立てるためのものしかない。

からあった病気ではあるのだろうが、その存在が明るみになり頻繁にメディアで取り上げられるようになったのはここ数年のことだと思う。

世間から理解を得難い病気を患ってしまった自分が、どのように世間と接していけばいいのか。そういった教訓が、この本に描かれているのだと私は解釈した。

私は今日仕事からの逃避をするためにこの本を手に取った。間違いではなかったと思う。

このあとまた、とんでもなくめんどくさい連絡と向き合わなければならない。

しかしそれは給料を得るためだけではなく、己の信用獲得にも繋がるのだと、この記事を書きながら痛感している。

躁鬱というハンデを伝えた上で採用された会社だ。恩がある。

ぜひ、所謂オタクよりも自身ハンディキャップに苦しむ人に読んでほしい。そんな本だった。

2023-05-18

個人輸入抗うつ剤を服薬したゾ

吾輩は鬱である診断書はまだない。

(この日記フィクションです。)

近代社会ダブスタ具合には辟易するものがある。

メンタル弱者に寄り添う生暖かいメッセージや誰も得しない死にたがり電話センターが乱立しているが、

実際問題メンタルヘルスの問題を抱えていると、人並みの社会生活を送ることは厳しい。

まず、生命保険の加入、および住宅ローン団体信用生命保険の加入)が組めない。上記2つをやろうとすると、それぞれの既往歴チェックに引っかかる。

既往歴の申告期間は、生命保険がだいたい5年、住宅ローン(団信)が3年。つまり何らかの診断をもらうと、上記間中保険にも加入できないし、ローンを組んで家を買うこともできない。

厳密には引受基準緩和型の保険や、フラット35なら団信が任意だったりするのだが、健常者よりはコストがかかったり、資産価値が下がり続けるマイホームに35年かけてローンを払い続けるのは正直勘弁してほしい。

加えて、転職活動が非常に難しい。厳密には転職活動に際し、既往歴を開示する必要はないのだが、だいたいの職業面接では病歴について面接官に質問されることがデフォルトである

これに答えないこともできるが、普通に考えれば病歴を開示しない人は採用されないだろう。かといって、健常者である と嘘をついても、どこかしらのタイミングでバレることになる。(入社時に前職の源泉を渡すなど)

また、メンタルが不調なまま新しい職場で健常者を装いながら仕事を覚えるのはかなり酷なものである

勝手メンタルを潰しておいて態度がでかい、何様だと憤りを覚えるモーレツサラリーマン様もいらっしゃると思うが、こんなクズでも養わなければならない家族がいたりと、クズなりの正義義務存在するのだ。そんなクズ社会におけるハンディキャップ回避しながら鬱を治療する方法の一つが、個人輸入による投薬治療である

これは必ずしも人に薦められる手段ではないし、私が責任を取れることは何もないが、現状 自分が服用するために個人抗うつ剤を輸入して使用することは、法律上はセーフ(のはず)

ただし、薬品の種類によってはアウトだったり、一度に輸入できる量に制限があったりするので、そのあたりはきちんと調べる必要がある。

私は今年の3月初旬、現職からIT業界への転職を目指してプログラミング学習をしていた。しかし、当時ChatGPTがもてはやされ、プログラマという職業がなくなるのでは、と喧伝されていたこと(今考えると馬っ鹿馬鹿しい)や、現職が非常に忙しくなってきたこと、加えて元々体が弱く季節の変わり目でガタがきていたこともあり、精神状態が非常によろしくなかった。

具体的には家中の物に当たり散らかす、職場の同僚と話している時に突然キレる、妻とまともに会話できなくなる(私の荒れた様子をみて怖がっていた)、外に出る事を避けるようになるなど。ただのやばいなのだが、自分コントロールできない自分自身への絶望も相まって、精神状態加速度的に悪くなっていた。

私が在職中にメンタルをやってしまったのは2度目で、前職では家庭事情実家)のストレス抑鬱状態悪化し、めまいで体を起こすことができず、壁などの支えがないとまともに歩くことができない時期が1年以上続いた。その時はきちんと休職して通院し、抗うつ剤を処方されていたが、飲み初めのセロトニン症候群めまい症状が劇的に悪化し、結局飲まずに時間の経過だけで症状をある程度改善させた。しかし、実際は(めまいが発生したり、抑うつ症状が発生した場合でも健常者のふりをして社会生活を行う)というスキルがついただけで、自身メンタルヘルス自体が良くなったわけではない(と思っている。)

働き始めて2度目のメンタル不調がきたことで、根本的な治療を行わなければならないと思い立ち、前回はできなかった投薬治療をもう一度挑戦しようと考えた。ただし前回の休職転職時に、メンタル関連の診断が降りるといわゆる「まともな人」が送れる社会活動が一部阻害されるとわかったので、個人輸入抗うつ剤仕入れ休職と通院なしで薬と気合いで何とかする手段を思い立った。

私が購入したのは、トルコ製薬会社製造している、とある抗うつ剤ジェネリック薬品。主に不安症状への効果が高いとネットに書かれており、もともと人嫌いな性格自分に合うのではないか、と思い、軽い気持ちで1ヶ月分の錠剤を購入した。注文してから日本に到着するまで約3週間かかった。香港倉庫から出庫されるまでは早かったが、トラッキングサイトを見るとフライトへの搭載と通関で時間を食っていたようだ。

ボロボロ状態で3週間を耐え抜き、ようやく手に入れた直後に規定量を服薬する。やはりセロトニン症候群によりめまい吐き気が起こるが、今回は初期症状がおさまるまで我慢して飲み続ける。服薬してから5日ほどで、めまい吐き気はなくなった。

そうすると、今度は薬による本来作用を感じるようになった。私が飲んでいたのはSSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)という、セロトニン血中濃度が上がるタイプの薬なのだが、この効果なのか常に「お風呂上がり」のような感覚が体に染みついて離れないようになった。

風呂上がりの時に、昔の辛い思い出が蘇ったり、将来に悲観したりすることはあまりないだろう。つまりは、通常の思考を妨げるマイナス要因が差しまれなくなった という表現が近い気がする。脳みそにあたたかバリアが張られているような?

飲み始めて1〜2週間はその感覚が強かったが、3週目以降はそれが当たり前のようになり、日常生活を送る中でトラウマフラッシュバック衝動的な不安に襲われることがほとんどなくなった。とんでもないものである

しかし、良いのか悪いのか、現状の生活に満足ができるようになったので、IT業界への転職活動学習は全くやらなくなってしまった。

ところが、GW中に運悪くコロナ感染してしまい、それなりに症状が重かったため1週間ほど薬をガバガバ飲みながら寝込むことになってしまった。コロナの諸症状を抑えるための薬が抗うつ剤バッティングしないか不安だったため、一時的抗うつ剤の服薬を止めたのである

これにともない、不安抑うつ症状が復活するかと思いきや、高熱と咳と呼吸困難てんやわんやのためメンタルどころではない。生命危機メンタルもクソもないのである。結局、コロナの症状が治まった後も抗うつ剤の服用は再開していない。

3月に服用を始めた時は、自分の中の不調の波がピークだった時なので、今後も波がきた時に飲み始めればいいやと思っている。

服薬をやめて、また人嫌いや外に出たくない欲求が少しづつ復活してきている(程度はしれているので、元の性格に戻った、が正しい)。加えて、IT業界への転職欲求が復活してきている。

これは、現状維持では満足できず、慢性的に何らかの焦燥感に苛まれていることが原因だと思う。自分が抱える不安症状が、現状を脱するためのプラスの力になることもあるのだな、と、自分性格を前向きに捉える事ができる良い機会となった。

文章として書いていて気づいたが、やはり自分クズであるちゃんとしている人たちから見れば、人並みのことができない人間が人並みの幸せを得ようとするな!信用もねえやつがローン組んで家買おうとしてんじゃねえ!と思うだろう。

現職の同僚や、休職してしまった前の会社の同僚にも迷惑をかけている。それを責め立てようとする自分もいる。

しかし結局、自分の身を立て直すこと以外で、迷惑をかけた方々へ報いる手段はないのだ。そう開き直ることで今日もなんとか働いている。今日わたしは人並みの幸せを追い求め、ゴキブリのように生きていく。

2023-05-11

礼儀」というのは「俺ルール強要しないこと」何だと思う

それはつまり社会全体に既に共有されているルールを守るということだ。

順番に並んでいるならそこに横入りしないとか、相手とあまり親しくないなら敬語を使って心理的距離を近づけすぎないようにするとか、そういったルールがこの世界では概ね決まっている。

ただ道を歩くだけにしろ、逆方向から来る人とお互いが邪魔にならないように片方によるとか、曲がり角では見通しを確保するためにインコースを攻めすぎないようにするとか、常に周囲に気を配って衝突を回避するとか、そういったルールぼんやり存在する。

そういったものは一部に儒教的年功序列感がノイズのように交じることもあるが、概ねはどちらかが一方的に損をしないようになっているものだ。

そういったルールを破り、自分けが得をする行為一方的相手押し付けること、これが「礼を失する」というものだ。

相手にだけ挨拶をさせて自分はふんぞり返る」とか、「自分悪口を言っているのに相手が言ったら不機嫌になる」とか、そういった不平等を平気で行うものこそが無礼者なのだ

こういった無礼行為は「俺は、特別から特別扱いされるべきだ」という俺ルールの元で行われている。

既に一般的存在するルールとは違う独自ルールでっち上げ、それによって自分けが得をし続けようとするのだ。

他人にやって欲しくないことは自分もやらない」というのは当たり前のルールだが、無礼者にそれは通用しない。

彼らは自分にとっての快不快だけを絶対指標としており「俺が気持ちいい物が正しいこと、俺が気持ちよくないのが悪いこと」と考える。

この「俺」の主体が「相手」となることは絶対になく、「俺がお前を殴るのは楽しいから正しい。お前に俺が殴られたら痛いから間違っている」と平気で考えるのだ。

相手にする価値がない人種だ。

そういった謎の尺度という意味では、一部のオタク界隈や競技者界隈にある「この競技に強い奴が人間的に全面的に正しい」という概念はまさしく全人類に対しての無礼行為だ。

勉強が出来る人間けが正しい。だから勉強ができない人間には何をしても良い」という奴に限って、それが「野球が出来る人間が正しい」に置き換わると途端に文句を言いだすものだ。

これは当然、野球が出来る人間サッカーが出来る人間将棋だったりゲームだったりでもよく起きるものであり「この界隈において最優先される能力があるものが全て正しいのだ」はいだって人間社会への侮辱行為に等しい。

つまる所、「万能の権力」なるもの存在する空間は限りなく無礼であるということだ。

たとえばそれは猿山の如き階級社会である

社長に部下が逆らうのは無礼だ」「上官にヘコヘコしない部下は無礼だ」などというものがいるが、これらの発想こそがまさしく無礼のものと言える。

相手無礼一方的に働くことが可能権利存在する」という謎のルールを展開した時点で、そこには礼儀なんてものは既に無いのだ。

つまる所、自分には権力があると信じるものは皆礼儀知らずなのである

権力などというもの存在せず、役割の中において力関係が生じてしまうが故にそれに対しての恐怖で縮こまった態度を取られているだけだと自覚できない人間ほど惨めなものはない。

そういった構造的な力関係を背景にして他人を脅しつけるのは、年功序列社会においては年老いものほどやりがちだが、実際にはそれらの行為は非常に幼いものだ。

だってそれは「親に言いつけるぞ」とえばり散らす幼稚園児と何も変わらないのだから

子供じみたことをして他人忖度を求めることほど人間として小さいものはないが、恥を学ぶことが出来ないまま体だけ成長した大人はすぐにそうやって振る舞いたがる。

本当に惨めで哀れな生き物だ。

自分けが有利になるルール押し付けるというのは、ハンディキャップをつけてくださいと手を擦り合わせて乞食しているようなものなのだが、それでよく惨めにならないものだ。

まあ、そもそも頭にハンディキャップがある場合が多いのだから、仕方ないのかも知れんがね

2023-04-25

anond:20230425122327

皮下脂肪の付き方は、男女平等ではないんですよ。

女性はね。ホルモンの影響で、男性より多くの皮下脂肪がついてしまうのです。

これは重大なハンディキャップになるのです。

1日24時間、常に、男性より重い重りを背負わされているのです。

困難になる女性が増えてしまうのも当然です。

2023-03-29

anond:20230329145332

なら普通に基礎を教えるといえばいいじゃん。なして基礎「から」始めると言うのか。コミュニケーションハンディキャップあるだろそういうやつは。

2023-03-16

anond:20230315173432

主張としては分からんことも無いが、いくつか矛盾があるよな。

門前払いされる事が無いなら、なぜ制度がいるの?

門前払いにされることがない、と言うが、それが本当なら障害者雇用制度対象にしなくてもいいよね。
でも実際には障害者雇用制度を儲けなければ就労できないと言う様なハンディキャップがある訳だけど。

就労支援制度精神障害者などの採用が少ない事が問題だ、と言うのはわかるんだけど、そこで車椅子利用者を腐す理由分からん

年金

障害者年金所得制限あるじゃん所得が平均賃金以上になると半額に減免され、更にそこから100万プラスになると停止になる。これは障害者年金を含む値だから、実質一般給与より100万円程度低い給与所得を受けた時点で半額になる。

から車椅子利用者だけ年金と両方得られてお金が有り余ってる、と言う主張は構造的に間違ってるよね。そんなことは起きない。

車椅子利用者は、物理的に見下されるのが嫌だから外で見ないのだ」←???

普通にみる様な気がするんだが……。もちろん、車椅子利用者が利用しにくいような場所では見ないけど、イオンモールとかではよく見るけどなあ。

お礼を言わない

これもちょっと理解に苦しむ。というのは、障害者の人って周りに助けてもらえないとできないと言う意識があるからか、無茶苦茶お礼言うよね。車椅子の人も例外なく。
うそんなに言わなくてもいいよ、ってくらい言うよね。



この間、加山雄三最後コンサートドキュメンタリーを見たんだが、昔の様子に比べて無茶苦茶「ありがとう」「ありがとう」を連発している様子が出ていて、なんか胸が苦しくなった。脳卒中やってからだと思うけど、そういう風になるのが普通で。俺の身近な人はみんなそうなってるよ。
から増田がそう言うのは、なんか特殊相手だけなのでは。もしくはピック病のように、精神疾患からくる感情の乱れである可能性も。

2023-03-08

トランス男性男性スポーツに参加することもハードルが高い

まれつき身体女性の人が性適合手術を受けてトランス男性としてスポーツに参加する場合も様々な問題がある。

特に世界大会クラス場所まで行くとなると非常に厳しくなる。

 

最も大きいのがドーピング問題

性適合手術済みのトランスジェンダーは基本的ホルモン治療を行う。

トランス女性女性ホルモン注射し、トランス男性男性ホルモン注射する。

このホルモン治療問題になる。

 

男性ホルモンを増やすことによってより強い筋力、より強い筋量を得られることがわかっている。

よって、男性ホルモンを外部から直接的に取り入れる行為

基本的ほとんどの競技ドーピングとして禁止されている。

 

身体女性である男性は当然だが男性ホルモンの分泌量が低いので筋力、筋量ともに劣る。

その時点でスポーツ的に大きなハンディキャップを抱えていると言える。

その治療のために外部から男性ホルモンを入れると今度はドーピングとして引っかかってしまう。

 

この逆のことがトランス女性女性スポーツに参加することで起こっている。

男性並みの男性ホルモンを持った女性女性スポーツに参加する」ことは、

簡単に言ってしまえばナチュラルドーピングしているのと変わりない。

 

なので、スポーツ業界では「性別ではなくホルモン量で競技を分けるのはどうか」という議論が行われたりもしている。

2023-02-06

anond:20230206211218

何かハンディキャップがある訳じゃなくて、単に弱肉強食ヒエラルキーの下層ってだけだからね。

救いの手を差し伸べようにも、救うべきポイントが明確じゃないよね。

結局、「這い上がれ」ってことになっちゃう。

2023-01-17

anond:20230117124224

知ってて煽ってんだよ

初産が30超える年齢なのは1年あたり男の年収-100万に相当するハンディキャップなの自覚すべきだよ

2023-01-13

anond:20230113223236

実家が当てにならず学校に行っても最低限の職につけないレベル知的ハンディキャップを抱える子供だったら食品コンドーム誕生日に送る程度の支援じゃ何の役にも立たないだろ

保護されてないなら今すぐ保護しに行くべきだし、保護されてるなら今更食品コンドーム送ったって別に大して役に立たないし、そういう判断能力のない子供に性行為奨励するようなことしたら余計駄目でしょ

弱者のためとか言いながら弱者自身のことをな~~~んも考えてないのがバレバレやねアホフェミ

福祉はお前らのオナニーのために存在してるんじゃねんだわ

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