2023-05-11

礼儀」というのは「俺ルール強要しないこと」何だと思う

それはつまり社会全体に既に共有されているルールを守るということだ。

順番に並んでいるならそこに横入りしないとか、相手とあまり親しくないなら敬語を使って心理的距離を近づけすぎないようにするとか、そういったルールがこの世界では概ね決まっている。

ただ道を歩くだけにしろ、逆方向から来る人とお互いが邪魔にならないように片方によるとか、曲がり角では見通しを確保するためにインコースを攻めすぎないようにするとか、常に周囲に気を配って衝突を回避するとか、そういったルールぼんやり存在する。

そういったものは一部に儒教的年功序列感がノイズのように交じることもあるが、概ねはどちらかが一方的に損をしないようになっているものだ。

そういったルールを破り、自分けが得をする行為一方的相手押し付けること、これが「礼を失する」というものだ。

相手にだけ挨拶をさせて自分はふんぞり返る」とか、「自分悪口を言っているのに相手が言ったら不機嫌になる」とか、そういった不平等を平気で行うものこそが無礼者なのだ

こういった無礼行為は「俺は、特別から特別扱いされるべきだ」という俺ルールの元で行われている。

既に一般的存在するルールとは違う独自ルールでっち上げ、それによって自分けが得をし続けようとするのだ。

他人にやって欲しくないことは自分もやらない」というのは当たり前のルールだが、無礼者にそれは通用しない。

彼らは自分にとっての快不快だけを絶対指標としており「俺が気持ちいい物が正しいこと、俺が気持ちよくないのが悪いこと」と考える。

この「俺」の主体が「相手」となることは絶対になく、「俺がお前を殴るのは楽しいから正しい。お前に俺が殴られたら痛いから間違っている」と平気で考えるのだ。

相手にする価値がない人種だ。

そういった謎の尺度という意味では、一部のオタク界隈や競技者界隈にある「この競技に強い奴が人間的に全面的に正しい」という概念はまさしく全人類に対しての無礼行為だ。

勉強が出来る人間けが正しい。だから勉強ができない人間には何をしても良い」という奴に限って、それが「野球が出来る人間が正しい」に置き換わると途端に文句を言いだすものだ。

これは当然、野球が出来る人間サッカーが出来る人間将棋だったりゲームだったりでもよく起きるものであり「この界隈において最優先される能力があるものが全て正しいのだ」はいだって人間社会への侮辱行為に等しい。

つまる所、「万能の権力」なるもの存在する空間は限りなく無礼であるということだ。

たとえばそれは猿山の如き階級社会である

社長に部下が逆らうのは無礼だ」「上官にヘコヘコしない部下は無礼だ」などというものがいるが、これらの発想こそがまさしく無礼のものと言える。

相手無礼一方的に働くことが可能権利存在する」という謎のルールを展開した時点で、そこには礼儀なんてものは既に無いのだ。

つまる所、自分には権力があると信じるものは皆礼儀知らずなのである

権力などというもの存在せず、役割の中において力関係が生じてしまうが故にそれに対しての恐怖で縮こまった態度を取られているだけだと自覚できない人間ほど惨めなものはない。

そういった構造的な力関係を背景にして他人を脅しつけるのは、年功序列社会においては年老いものほどやりがちだが、実際にはそれらの行為は非常に幼いものだ。

だってそれは「親に言いつけるぞ」とえばり散らす幼稚園児と何も変わらないのだから

子供じみたことをして他人忖度を求めることほど人間として小さいものはないが、恥を学ぶことが出来ないまま体だけ成長した大人はすぐにそうやって振る舞いたがる。

本当に惨めで哀れな生き物だ。

自分けが有利になるルール押し付けるというのは、ハンディキャップをつけてくださいと手を擦り合わせて乞食しているようなものなのだが、それでよく惨めにならないものだ。

まあ、そもそも頭にハンディキャップがある場合が多いのだから、仕方ないのかも知れんがね

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん