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はてなキーワード: アナーキズムとは

2024-03-28

anond:20240328105819

日本人というのは、宗教を信じていながら「自分無宗教」と言いがちな変な民族

 

新興宗教が定期的に起こってきたし、寺社仏閣があまりにも文化と一体化しているし、異教徒への排斥全然いから、

宗教信仰」というのを"普通の寺とか神社以外の信仰をめちゃ熱心にしていること"だと思ってるんだよね。

キリスト教圏にいくと、無宗教っていうのはアナーキズム無神論者のことだから、そこでおかしなことになるって話が有名だ。

 

ちゃん宗教とか日本文化を学んだ層だけが

日本というのは仏教が入り混じったアニミズム、いうなれば日本教を信じていますよね。

……という正しい理解をしている。

 

なんで、それに関してはネット意見とかアンケートとか何一つアテにならないよ。

ネット信仰ないですって意見してるやつに、いや自分初詣いくから仏教徒じゃん?って正論いったら、確かに~~って掌かえしてくれるよだいたい。

2024-02-23

自分の実力だ」と思わせるべきではない

何事も。「自分は誰にも助けられずに自分の力で何とかしてきた」というのは、本人には成功体験だが社会にとっては失敗なのだ

そういう体験を積むと他者弱者特に次世代へのあらゆる資産転移が停止する。先輩に世話にならなければ後輩に教えようとは思わない。誰かに助けられた経験がなければ、困っている人にも自分で何とかしろと思う。個人ではアリだけど社会全体でコレをやると社会としては維持できなくなり、失敗になる。

団塊バブル崩壊後、採用を絞り非正規化を進めたのは「戦後日本を豊かにしたのは俺たちの実力、努力のお陰(ただの人口ボーナスという運なのに)」その豊かさが己の物だと誤認した。だから「渡さなかった」

団塊から氷河期へのあらゆる転移が断裂した事で、日本人口減少による停滞は決定された。

また今の会社で、氷河期の生き残り上司が下に親切にしてるのを見たことがない。奢らないし教えないし、投資子供中学受験で、運良く手に入れた今の資産を守る事で頭がいっぱいだ。

本当は実力で何とか出来たのではなく、ほぼ運。俺は努力した?努力できるかどうかも運であり、選べない。

例えば貧しく生まれても国のおかげで大学まで無料で、失職しても災害にあっても手厚い保護が受けられるなら愛国心もつく。そうでなければ「実力があるから出ていこう」と思うし、出ていけないものレイシズムアナーキズム、半出生主義に傾倒する。

人間には、どんな幻想でも良いから「バトンを受け取って誰かに渡す」存在としての認識必要自分の実力で生き抜いたと勘違いした者は、いつまでもバトンを握って離さないまま走って倒れるしかない。

2024-01-08

リベラル派かつ冷笑趣味オタク俺氏、寄る辺ない

昨今の日本インターネットでの冷笑系は、アンチ左派アンチリベラルを基本としてたまに右翼活動家を笑い、稀に自民ネタにするって層が人気だと思うんだけど。

俺は自民も立憲も、右翼活動家フェミ冷笑してるけど、政治嗜好を強引に一言でまとめればやや左って感じだから、なんかいまいちおもんないんだよね。

俺のポリシー

・まず否定から入れ。他人意見を見たら「でもそうとは限らないよね」と考えろ。

逆張りしろ、水を差せ。

・何事にも本気になるなかれ。

なわけ。

それでヘラヘラしながら何事にも逆張りしてると、自然ゆるふわアナーキズムとかゆるふわリバタリアンぽくなったけど、でもその辺も最近新自由主義とかオルトライトのキマッてる人たちの匂いがしてきたからやーやーなの><って感じ。

つーか最近、どこの議論ガチな人が多すぎるんだよね。

そんな気合入れて冷笑したり他の人の発言RTしてるの、冷笑つーか嘲笑って感じで重いわ暑苦しいわ。

ネット床屋政談なんてもっと思考実験って感じで、次の日には逆の立場から意見を言って遊ぶくらいでいいんじゃないの。それはやりすぎか。まあどうでもいいけど。

2023-11-21

AIを使って専門家おちょくることを趣味にするな

専門家一般人を同格に見なそうとするのは自由主義に反する

党首AIに置き換えようとするアナーキズムである

2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

2023-09-02

関東大震災アナーキズム満映

関東大震災から100年ということで朝鮮人虐殺話題が次々はてブに上がっていて、それはそれで大事なことだと思うが、他にも色々と転機になる出来事があった。

例えば復興支援のための大幅な金融緩和。これが銀行リスク管理を緩め、溜まってゆく不良債権の山が台湾銀行などの首を絞めてゆくことになる。そして「渡辺銀行破綻した」という国会での失言が引き金となり昭和金融恐慌へとつながっていく。

例えば甘粕正彦という憲兵隊中尉震災の大混乱に乗じて、アナーキスト大杉栄虐殺した事件責任を問われ、軍を追われる。しかしなぜか満洲国顧問かに転身、満州映画会社満映総裁として植民地文化政策要職に抜擢される。敗戦とともに自殺

甘粕の名前映画ラストエンペラー」で坂本龍一が演じたことで人々の記憶に残ることになり、文庫本で読める大杉栄の「日本脱出記」は旅行文学歴史に地歩を残した。

ふと思い出したのでメモ資料とか見ないで書いてるので間違いはご容赦。

2023-04-20

anond:20230420063044

そうかな?結局芸術家スポンサーバイヤー意向体現するので王や神の威光が大事だった時代には保守になり、資本主義的な時代には神の見えざる手お金があればたいていのタブーは吹き飛ばせる自由万歳アナーキズム個人自由万歳左翼的になるのかも。

いま左翼って定義がよくわからないな。資本主義拝金主義はだめだ、というコミューン理想論みたいなのが左翼なんだろうか。はてサと言われてる人たちはコミュニティ志向じゃなくて反対で、PTAはイヤ、家族の縛りはイヤ、私は私、みたいな徹底的な個人主義だよね。それって左翼?我儘アナキスト

2023-04-11

anond:20230411122258

そんなん革命個人主義アナーキズムに決まってんじゃん。こういう馬鹿社会の徹底的破壊を望むもの相場が決まっている。猿なんだよ。

2023-04-03

https://togetter.com/li/2116428

アナーキズムとしては何も間違ったこと言ってないでしょ。同意はしないが理解はできる。

国の秩序を守るということは、警察権のような暴力装置を独占して自由抑制するということである、くらいのことはまあ自覚しておくべきかと。

2023-01-17

anond:20230117085313

反出生主義と漢字廃止運動が嫌いだ。

どっちも本気で実現させる気は毛頭なく「周囲とは違う自分」に酔うためのアクセサリーであり、内部の論理的整合性はあっても現実社会との接点を欠いた、理屈のための理屈からだ。

フェミ屋の念仏もそのたぐいだね。

性差別を無くしていこう」というのは広く共有された現実課題だ。

それはみんなの努力ちょっとずつでも日々前進させるべきものであり、実際にそうなってきた。

フェミ屋の理屈はそれとは違う。社会構造自体が間違ってるんだからゼロから社会を作り直さなければ意味がないという机上のアナーキズムだ。

単純なハリボテの理屈から馬鹿でも口真似できる。

そして「周囲とは違う自分」に酔うことができる。

2022-12-11

anond:20221211060302

アナーキズムは全て(の価値)を平等にぶっ壊すからアナーキズムなのであって、

恣意的に選別してぶっ壊してるならそれは単なるテロリズムだ。

アナーキズムへの風評被害をやめてください。

anond:20221211060302

そうか、あれアナーキズムなんだ。

アナーキズムの割には何か近代思想みたいな立ち位置にいることのほうがおかしいのかも知れんな。「大学ではアナーキズムを専攻していました」なんてのが就活で有利になるわけないのに「フェミニズムを専攻していました」って話題だけで意見が別れて吹き上がってたのも納得がいく。

anond:20221211053642

自由平等という近代リベラリズム規範立脚するリベラルフェミニズムは、既に現代人のコモンセンスに溶けて輪郭がなくなった。

元々前近代的伝統規範へのアンチテーゼとして出てきたものから、何せもう幕府大日本帝国もないんで、ハッピーエンドを迎えた話。もちろん女性差別のものはまだ撤廃されてないが、活動家役割はもうない。

ポストモダンフェミニズムのほうは、既存規範のもの女性差別インストールされているからどんどんぶっ壊せという一種アナーキズムなので、同時代生活者にとっては浮世離れした迷惑な話でしかない。

要するにまともなフェミニズムはその啓蒙的使命を既に終えており、それ以外のフェミニズムそもそも社会の敵。つまりフェミニズム社会必要ない。

我々がやるべきことは男女の所得格差是正するとかの具体的な問題解決努力だけだ。

2022-10-16

anond:20221016135212

いわゆる左派の主張する大きな政府とか福祉国家というビジョンフランス革命以後の国民国家を前提にしていて、その限りでナショナリズム自体左派にも内在している。順序としてはリベラル価値観である個人権利擁護するためにナショナルな団結を要請したわけだ。

ここから個人権利をラディカルに主張して国民国家を含めたナショナルもの解体にまで行くと左翼極北アナーキズムに至る(共産主義の最終目的地でもある)。

他方で右翼場合一般的にはナショナリズムを前提としてその限界内で個人権利を認めるという形になる。

まり左翼にせよ右翼にせよ市民革命以後、国民国家以後の概念なので、前提としているところはそう変わらず、個人権利ナショナリズムをどう位置づけるかに相違がある。

からナショナリスティックな左翼もありうるし、リベラル右翼もありうる。

これが極右極左になると、どちらも国民国家以後の「近代」という枠組みからの脱却を志向するものになる。大ざっぱに言えば、極右近代以前に近代の超克を求め、極左近代以後を想像する。

2022-09-14

anond:20220914114857

マジレスすると、フェミニズムが「正しくない」=生物としてのヒトの気持ちに則さないが、故に、必然として生まれしまうのがツイフェミたちだと思ってる。

思想思想として正しく獲得するだけの理性を持たない奴らが、生物としての感情だけを振り回してる形だ。

 

 

もしもヒトとしてのあるがままの感情が全て正しいという立場をとるならば、確かにツイフェミらは「フェミニズム」よりも正しい

が、まあ、そんな倫理的立場をとることは、さすがに無いよね。アナーキズムもいいとこだし。

逆に言えば、アナーキズムとしては成り立ってるけど。

2022-06-15

anond:20220615115818

その関係行政公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います

俺はこの、国家権力に認めてもらいたい、というのが全く理解できない

あの界隈には日頃アナーキズムを気取ってる手合いも多いんだが、それでもなぜか同性婚だけは国家承認を欲しているのが多いのが俺には欺瞞に見える

2022-05-10

anond:20220510013719

からゾーニングじゃなくてクソコラボを責めてるよね

いつからゾーニングの話だとおもっていた?このばあいゾーニングが当然効かないしそれでも困ってる人がいるよって話だよ

なんで原作レイプでも表自戦士くるんかまったく意味わからん

おれたちはオタクでもなんでもない、ただのアナーキズム野蛮人です、ついでに最後まで文章読む読解力もありませんよ

っていう自己紹介がしたいのかな、表自戦士

マジいらん存在だな

2022-04-27

さすがイーロン・マスク自由が何かを理解している

イーロン・マスク氏はTwitterを「月2ドル以下の定額制」にしようとしているらしいが、その是非についての議論が巻き起こっている

https://togetter.com/li/1878341

イーロン・マスク氏の「投稿削除やアカウント永久凍結にはとても慎重でありたい」がもし、SNS企業ヘイトスピーチ・偽情報対策の後退を意味するなら被害者は一層、裁判手続きに訴えるほかなくなる。

裁判を通してのみ投稿削除やアカウント永久凍結をすることこそ、本物の自由

裁判の結果すら受け入れないのはアナーキズムであり、裁判すら通さずに投稿削除やアカウント永久凍結するのは自由ではない

2022-03-13

33歳の僕たちについて

僕たちは生まれながらにして不幸だった。

僕たちに希望が語られるときはいつも建前だった。

物心がついた時には経済成長など実感できないほどなく、平和のみが幸運にも固定されていた。少子高齢化無責任押し付けられ、いつも年金説明では僕たちが下で、いっぱいの先人が上に伸し掛かる絵を繰り返し見せられた。

小学生のころには阪神淡路大震災があり、生活不条理に突然破壊されることを知った。

オウム真理教天災だけでなく人災があることを教え、それを報道するテレビには頭のおかしい人をいじめることの楽しさと正しさを刷り込まれた。

学校はいじめがあっても誰も救ってくれなかった。子ども大人も誰も責任を取らずに済んだ。

どう大人を信じようと努めても、彼らの正しさの裏にある保身だけが形を濃くするだけだった。

いじめ学力低下、キレる十四才、僕たちだけが責められている気がした。勝手に「ゆとり」を与えられ、数年後には「ゆとり」だとバカにされた。

ノストラダムスの大予言も二千年問題世界を無くしてはくれなかった。変わらないんだ、という陰鬱な気分を虚構ごと生活に仕組まれた。

社会に参加するまでの過程で、どんどんと多様性という理想が叫ばれるようになっていった。でも現実はまだそう出来ていなかった。ゆとり教育でも、AO入試でも、新卒一括採用でも、実験最前線で僕たちは消費された。

社会の正体に近づくほど、実験甲斐なく何も変わらずに、大人たちは利権を固定させようと頑張っていることがわかった。かつて多くの若者たち理想主義が現実主義に敗北し、僕たちの生活には既に革命の「か」の字すらなかった。

センスが良いとされる大人は肌触りの良い冷笑諦観で、理想から現実からも逃げているだけだった。

芸術に届くわけではないわずかな詩情の中に逃げ、丁寧な暮らしとやらで現実隔離しただけだった。雑草も食えるらしいと、何も新しくない発見雰囲気の良い雑誌で語った。

とにかく真っ当ではなかった。僕たちには老朽化した線路と駅が残された。

いつかみんな死ぬ、くらいしか希望はなかった。僕は、小学校四年、五年と苦労したあとに六年生になったときのような開放感を待っていた。

インターネットは唯一僕たちに与えられた現代的で民主的革命だった。僕たちは最前線に立つことを初めて喜んだ。僕たちが社会実験していた。大人の腕の中で揺らされるのではなく、自らが世界開拓していた。

過去日本では文学学生闘争に向いたであろう若者の活力がインターネットで遊ぶことに費やされた。情報の波をサーフィンしていた。

けれどアナーキズムなど思想と呼べるほど突き詰められてはいなかった。脱法とジョーク、たくさんの知識組織化しない雑多なカオス世代や日陰者の雰囲気ベースとしてただ在った。

東日本大震災とき、僕たちは初めて大きな波を感じた。世界ごと変えてしまおうというワクワクがあった。

ネットから始まる民主化現実世界にも網目を伸ばし、キレイ情報を伝播させることを夢見ていた。

実際のところ我々には思想がなかった。正確には思想が育っていなかった。長い間の自己否定カオスたちの団結は思想形成させなかった。

論壇はインテリっぽい動きに酔っているままで、ほとんどの人間責任を背負おうとしなかった。

大衆は十分なリテラシーを持っていなかった。目の前の文字自分を騙そうとしているかだけを考えていた。

もちろん先行者と同様に誰も責任を取りたがらなかった。波は結果的芸術の一部分だけに還元された。

僕たちの革命は、革命という皮すら被れずに失敗した。あの頃目立った人間たちのどれだけがまだ実際に社会有効なことをしているのだろう。

僕たちは生まれから今までずっと負け続けている。逃げ続けている。立ち向かう人間を冷たい視線嘲笑っている。かつて"カッコイ大人たち"がしていたように。

拗ねた子どものままで皮肉センチメンタルを捏ねくり回している。

最近は「多様性尊重」がブームになっている。拡がり分化する人間の在り方を認めようとするのは正しいことだと思う。

だが、それは欺瞞だ。多様性排外主義への攻撃だ。多様性を求める社会多様性をもたらさなもの排除する。

最大限の寛容ではなく、この時代この社会における妥協点でしかない。

ただそれよりも深刻なのは多様性未満の僕たちだ。多様性で救われるのは国籍、性指向、いくつかの快い思想である。いわば十分に形作られたアイデンティティーのうち、現代社会適応するものだ。そして主張に成功したものだ。

僕たちの苦しみはアイデンティティーの未発達である差別をされたり、大事に築き上げたもの喪失したわけではない。時代により幾度となく無意味化された結果、育たなかったのだ。

社会の複雑さへの想像力ありのまま他者の受容、明確な善への地図が無かった。

今までのシステム近いうちに崩壊すると言われつつも、なかなか崩壊しない。仮に崩壊したとしてもサバイバルを生き抜く知恵が無い。広大な大地に丸腰で放たれるのだ。

僕たちは無責任という親に育てられ、不勉強という病気死ぬ

ちゃんとしなきゃ死ぬ」とトリプルファイヤー吉田靖直は歌った。「ちゃんとしなきゃ」という要請けが社会にある。

なんとなく、どこか生きにくい僕たちの行き場はどこだろう。ちゃんとした職があればいいのか?ちゃんとした病名がつけばいいのか?ちゃんとした人になれればいいのか?ちゃんとした人ってなんだ?

今になってようやく哲学文学などの人文学に解答を求めることができるだろうことに気づいた。それは人間として真っ当な足掻きに思えた。

まだ遅くはないと信じて、攻略サイトには無く、ビジネス書より直接的な、人間思索の旅に出ようと思う。良い哲学の書を教えてくれ。

2021-08-22

エロ漫画反体制主人公ばっかなんだけど?

この路線代表的なのだと「わんぴぃす」とか。

これはロリコンという体制から思想のものを悪とされた者たちが、自由を求めレイプという犯罪行為に手を染める物語

言ってしまエロ漫画ブラックラグーン

んでまあ似たような「体制側の思想に逆らって行動」する漫画エロ漫画的には多数派と言える。

一時期は「えちえち学園の調教カリキュラム」「政治家裏金を回して黙認」みたいなモロに体制側なエロ漫画流行っていたが、最近は「竿役の校長が汚くて萎える」「女教師ババァからいらない」などの理由により廃れつつある。

現在エロ漫画の主流となる催眠アプリ系の使用者はもっぱら冴えない一般人であり、彼らの多くは抑圧された社会の中である種のアナーキズムへと覚醒することでエロ漫画主人公へと開花していく。

これらの情勢を見ればわかるように、「体制側の漫画が多すぎる」と主張するのは単に自分エロ漫画を読み込んでいないからだ。

エロ漫画を読め。

問題解決する。

anond:20210820215935

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