はてなキーワード: bgmとは
管弦楽編成の楽器が使われてたら取り敢えずクラシックて呼びやがる。バロックもロマンも、アンサンブルも管弦楽もオペラも全部クラシックで一括り。
ジョンウィリアムスもマンシーニもモリコーネも久石譲も素晴らしいBGMを書くけど、それはあくまでムード。映画の一要素であって、それ単体で主題を完結させる音楽作品とは異質なもの。
とは言っても、エヴァ旧劇はバッハの引用なくしてあのムードは成立しないと思うし、ツァラトゥストラを2001年宇宙の旅で知ったという人も少なさそう。
ストラヴィンスキー辺りからの近代音楽は、まあクラシックの範疇にあるんだろう。でも、「クラシック音楽家」のショスタコーヴィッチは映画音楽も書いてたりもする。
ジョプリンは他の何物でもなくラグタイムと呼ぶのが相応しいけど、「クラシック」と言えなくもない?ガーシュインはどうだろう?
ともあれ、何でもかんでもクラシックと呼ぶのはやめて頂きたい。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm39382652
帝京平成大学のCM+ブルーアーカイブのBGMを使った音MADということもあり、ニコニコにしては高い再生数を叩き出している。
(ちなみにワイはノリノリフリーザが好き。https://www.nicovideo.jp/watch/sm41387065)
帝京平成大学はファミリーマート店内でラジオCMをやっており、ワンピ声優など有名声優がナレーションを行っていて知名度がそれなりにある。
この音声素材を使ってMADが作られ始めたのが元凶がチョッパーで、謎に有名になった大学宣伝ネタということで関連があるような無いような感じの話だ。
ちなみに帝京平成大学の偏差値は46~61らしいので、大学TOPクラスの京大がネタにすること自体がどうなのかみたいな話もなくはない。
禁断のすずめ二度打ち!
18周目のための捨て回のつもりだったが、前列で見たところ画質も音質もよくて、あれ、14周目より面白い?
結局、ニンジン切り抜くところから最後まで、全部面白かった。あれー?
で、大スクリーン。右端の席が一番いいと分かったが、最善の列には女子中(小?)学生の集団がいたため、一列前へ。
そのせいか、序盤はぼやけてるというか、薄暗いというか、ピントがあってないというか。
坂道のとこ、終盤の回想とラストだと問題ないけど序盤だとなんかぼやけるんだよな。
ただ、最序盤から綺麗に見える回があって、そうすると最初から全部面白い。
二回連続で見ることで、面白さが半減するようなことはなかった。
・気づいたこと
旅館で朝、客がおばさんにお礼言ってた
遊園地、BGMと被ってるが、来い、の後草太さん!の台詞。ルミさんの過去、初めてのデートで遊園地~かと思ってたが、子供の頃に来たらしいから最後の子供か?
前にすずめはスイカダウンロードしてないみたいに書いたが、病院行く時使ってた
留守中に閉じ師の資料が整理されてる
未来なんて怖くないのとこ、蝶が一体子すずめの後ろにいる
興味ない音楽を5秒以上聴くのが苦痛。嫌いな音に限らずどうとも思わないようなものも含めて、初手で突き刺さらない音楽以外の全てが。
刺さる音楽は大抵テンポとか音の雰囲気とかキックが気持ち良いかとか、そういうのを無意識にでも識別してるのか分からんけど、5秒以内に確信を得られるし大抵間違う事はない。最初の音で脳天に雷が落ちるような感覚がある。打率は5%にもならない気がする。
あとは、強制的に聴かされる事での慣れ。なんかのオープニングテーマとかだと、飛ばさず聴いてる内に好きになる事もある。BGMとかでよく使われる曲とかも。たまたま目にした曲名や歌詞がめっちゃかっこいいから、曲自体はそうでもないけど我慢して聴き続ける内に気に入るという事も稀にある。
チャートアナライザーさんが日本のサブスクで聴かれるアーティストが偏る件のtogetterを見て、コメント欄の言葉遣いに辟易すると言っていたのだが、こうした意見に耳を貸したりすることは意見を述べるうえで必要なのではないか?
実際コメントを見たが、Spotifyのみのデータで語られていることや、そもそもサブスクを利用している割合を無視していることを指摘している人もいれば、そもそも日本語圏なのだから偏るのは当たり前なのではないかといった意見もある。
ヒットチャートを追っていない、BGMとしてしか使ってないといった意見もあるし、本当に一つの話題で様々な角度からの意見が挙がっているのだ。
もちろん、コメントの応酬とまではいかないので議論というほどではないにしろ、チャートアナライザーさんとのやり取りならチャートアナライザーさんが無礼と言ってブロックしてしまうことを踏まえると、こちらのほうが今日本での音楽の一般的な聴かれ方に近い意見なのではないだろうか。
およそ10%らしいですね。
実質の値上げ率。
(この増田の推奨BGMはOne more time one more chance 山崎まさよし です
https://www.youtube.com/watch?v=GgDLuuiKVPs ←山崎まさよし公式チャンネルです )
じゃあ僕たちの給料は何%増えたんだろうね。
値上げしたら給料がその分増えるから、家計の可処分所得はむしろ増えるはずだったよね。
うん。
終わったんだと思う。
本当にもう。
全てが。
必死に食い留めていた物が壊れた瞬間だ。
商品の値上げなんてしても普通の日本人が幸せになることはない。
値上げなんてしても会社を通じて上級国民が全部吸い上げてしまうのだから。
上がらない給料で値上がりしたカップ麺を眺めて、量の減ったパンを買うんだ。
もう車は持てないね。
必要ないからいらないんだと言い聞かせて、日本の産業がまた一つ死んだよ。
勝手に死ねば良いんだと強がっても、市民の仕事が減り続けて、安い給料を奪い合うだけ。
結局もっと貧しくなって。
もう終わりだね。
本当は知っていたよね。
それ自爆スイッチ。
必死に踏みとどまる人を嘘つきと言い張ってスイッチに押し込んだ結果がこれだね。
もう終わりだね
先週末はオールナイトニッポン55周年記念ぶち抜き特番で、まぁ全部付き合う律義さはないので、いくつかをつまみ食い的に聞いた。ラジコのタイムフリー便利。
タイムフリーで聞いたのはオードリー、電気グルーヴ、三四郎、伊集院。
あとは、なんかのタイミングで部分的に聞いたりはしてたけど、BGM程度。
まだ聞いてないけど聞けると良いなーと思ってるのは、ナイナイ、霜降り明星、aiko、ぐらいかなぁ。
たまたま週末から今日にかけて一人移動が多かったりでラジオ聞く環境がよかったが、かといってラジオもずっと聞いてられないし、明日からはそうはいかないスケジュールだったりで、あとタイムフリーは1週間が限度なので流れちゃうかもだけど。
自分が意識的に聞きに行った枠は、まぁ面白いだろうと思って選んでるわけで、まぁちゃんと面白かった。ただ伊集院光は、本人の喋りというよりも大勢いた「二部パーソナリティ」を数人呼んでインタビューという感じだったので思てたんと違う…と思った。全体的に「55年企画!」みたいな枠よりは、しっかりメインパーソナリティのしゃべり中心した枠の方が面白かったと思う。大勢ゲストが出てきた枠は、うーん…って感じだった(個人の感想です)。
その前週がTBSのJUNKスペシャルで、伊集院、爆笑問題、山里、おぎやはぎ、バナナマン、の全員が出て、わちゃわちゃしてはいたけど面白かったんだよな。なんていうかTBSとニッポン放送の放送局の性格の違いが出てるなぁとかも思ったな。深夜ラジオのノリは、進行や演出が見えすぎちゃうと、やっぱりあんま面白くなくなるんだなー。
一番面白かったのは、やっぱりくりぃむしちゅーで、晩ごはんの買い物&散歩がてら、一人で聞いてたのだが、道で何度か吹き出しそうになった。マスクは正義。
あとタモリと星野源も、まぁちょっとハイブロウで若干ツンと来る感じはあったけど面白かった。一番笑ったのはEW&Fのファンタジーのイントロを歌いあってたところ。
電気は、瀧が最初の30分ぐらいは「あんまり人前でしゃべってない人の声」になってたのが感慨深かった。華が消えているというか…。最後の方はそうでもなくなってきてたから、やっぱり「表に出る役の人の華」ってあるもんだな、そして無くなったりもするんだなぁ、としみじみした。あ、でもまぁ全然ご健勝そうでした。たまむすびの放送中にマトリが踏み込んで逮捕されたことになってたのが爆笑したわ。
オードリーとか三四郎とかは当然の安定、通常営業。現体制組の人気番組だし普段と同じ時間帯でやってたし、当然か。
なんで55年?中途半端じゃね?というのはいろんな人がコスってて、それこそオードリー若林がジングルで歌ってたけども。まぁ要するに聴取率調査期間だよなって話と、あとはオールナイトニッポンのサブスクの宣伝なんだろうな、というのが、つまみ聞きをした増田の想像。3日間のラインナップが思っていたよりは若い人寄りで、懐かしがる年寄りはもちろん、若い人に興味持ってもらってサブスクに誘導したいのかなぁという想像をした。
増田はラジオ聞きの中年で、子供のころはオールナイトニッポンを好んで聞いていたがめっきり聞く機会が減り遠ざかってしまっていた。この特番で復活することもあるかなーサブスクるとかもアリかなぁ、とかも思っていたたが、まぁ、とりあえず、この遠めの距離感は変わらなそうだなという結論。
それにしてもくりぃむしちゅーが、自分たちのオールナイトは若い人からも「聞いてました!」といわれるがそれは違法のヤツだろ!と何度も言ってて笑った。
ワイバチャ豚
居候中の女がずっと人気Youtuberグループ(急上昇に乗ってくるようなメンズグループ系Youtuber)見てて
圧倒的相違点
ここが圧倒的に違う、それ以外は実は同一なんじゃないかと思えてくる
共通点?
・雑談枠が長い、最近あったこととかグループ内のこととかの語りが長い
相違点
・Youtuber → お出かけ、飯、買い物が基本
・Vtuber → ライブだから視聴者との掛け合いがある、結果メインの活動は1人でコラボは特別
・Youtuber → 動画だからメンバー同士の掛け合いが基本
・Youtuber → ブランド物を買う、プレゼントなどの企画が多い
・Vtuber → ブランド物や買い物企画はほぼない、ファンからのプレゼントはある
・Vtuber → よく歌う、踊る
・Youtuber → 意外と歌わない、踊らない
昼飯どき、ほかのとこが並んでたから仕方なく、最近できた東北の某事故原発県のラーメンのチェーン店に入ったけど、アレはないなぁとおもった。
狭いのは元の物件がそうだからしょうがない部分があるが、出てくるのが遅い!「おすすめメニュー」て供給側が客の回転をコントロールするために設定してる(とマンガ『お腹はすいた?』で習った)のに、なんで10分以上も待たせるねん。店員が少ないわけではなく、むしろ床面積からしたら多いほど居る。それぞれはシステマティックに決められた作業のみこなしている配置になっているのに。BGMも酷い。三流の安いチェーンのスーパーで流している安いキーボードの音色でアレンジしたインストという例のヤツ(苦笑)さむい真冬に氷入り麦茶を最初に配るのはまぁ好みの問題やからええけど。でも、席に着いた客から注文番号を受け取ってその麦茶を置いたときに「ごゆっくりどうぞ~♪」は「?」だった、喰いモンまだ来てへんけど?それフツー来てから沿えるセリフやんな?まぁええけど。で、来たおすすめセットだが、…家で作って喰える袋ラーメンによくある味だった(苦笑)そりゃ袋ラーメンよりは太いよ同じ縮れ麺でもな?しかし、やたらスープの量が多いのな、やさしい味なのでよけい飽きてきてしまう、フードコートのラーメンのかんじやんなこれ。先に喰い終わって帰った両隣の客も残ったスープに箸つっこんでるのが見えるが、意地になってガボガボと飲み干したわ。
世の中では対話AIはややポンコツなところはあっても会話が成立するしこれは可能性があるという評価になってると思う。
建設的にはサポートや検索のような知的ナビゲーター、ビジネスコミュニケーションの効率化、事務の補助も考えられるだろう。
もう少し精度が上がれば。
しかし今現在のレベルでそのまま劇的に効果を発揮するカテゴリーが存在すると思うのだ。
Twitter、掲示板、通販ユーザーコメント、そのほか短文で意見交換するコミュニティなんでも...UGC(ユーザー生成コンテンツ)と言われるものだが実態はコンテンツというよりユーザー同士のグルーミングである。
しかもあまり発信者の属性や一貫性がそれほど問われないサービスでは個別発言の事実関係がいい加減でも問題ない、話の流れが分かってない奴なんかいくらでもいるし、頭がおかしくてもスルー、タイポも気にする奴が性格悪い。秘書や先生にするには「少し足りない」ぐらいのAIで何ら問題ないだろう。
まず参加者が少ないと更新頻度が低くて何も起こらずつまらない。早すぎて内容追えないぐらい盛り上がってるのが楽しい。つうか経緯も見ずに途中から脊髄反射でコメントするのが粋ってもんだ。
さらに言うと参加者が増えると偏執的な変な奴が相対的に見えなくなって不快になることが減っていく。かつて人気があったサービスでうんざりさせられるのは滓のように残った偏屈な奴が独自の世界観でつまらないことを暇に飽かせて物量で埋めていくさまだ。つまらないの定義って何か?つまらないのがつまらないってことだ…わかるだろう、兄弟?
要するに対人対応だけは健全に保たせたAIをユーザーの倍投入すればコミュニティの治安が劇的に向上するはずということだ。
もともと面白い事を始められる人というのは100人に1人で「マジかよ」「すげえ」という手入れをするだけで場の雰囲気はよくなる。AIなのだから多少気の利いた返しやコスりもできるだろう。言ってることが的外れでも場にネガティブな発言でなければ大丈夫。事実かどうか、倫理的に正しいかどうかも重視されない。AIで話題になる不適切な言説への過学習で差別主義者になるといった問題もコミュニティではむしろプラス、特定の趣味で推しのあまり相手をディスするのも芸のうちだ。
と、おじさん思い出しちゃうのは士郎正宗『アップルシード』だ。物語の舞台オリュンポスは世界平和と治安維持のために市民の過半がバイオロイドになっていた(と思う)。でもあの世界観は物理的な存在が重視されてるし、バイオロイドは政府(コンピューター)が管理してたんじゃないかな。賢明なマザーコンピューターとに選ばれし者が導く明るいディストピアだね。
でも今、対話AIを自由に投下するとそれはサービス主体が管理するしその目的はサービスの隆盛とそれによるマネタイズに限定されコミュニティの健全さやそこから連なる社会的影響は興味の埒外となるだろう。
それによって導き出される結末はあまりよくないというか破壊的なのではないかという想像をしている。
インターネットは最高なのだが何が最高かというと物理的な制限を取り払ってコミュニケーションできたところにある。どこにいてもいいし本人の社会的肉体的属性がなんであれコミュニケーションに参加できた。
マイナーな趣味の人間も探せば同好の士が居て様々な理由で落伍したり、現実に居場所を失った人間も人間らしくふるまえる場所を得ることができた。これは統制された社会ではないので良い意味の現実拡張にとどまらない。オタクやニートや性的マイノリティだけでなく反社会的であったりUFOの存在を信じてたりある種のカルトや陰謀論者もだ。
(そういう意味では実名主義のSNSとかなぜか制限要素の地理情報大好きなメタバースはどういった人が大好きなのか勘ぐってしまう。)
これは物理制限を取っ払ったおかげで対話空間というか価値観空間を無制限に拡張できたおかげだと思うが、同時に問題も引き起こすようになる。無制限に拡張できる価値観空間で同じ価値観の人間がそのクラスターの中で共鳴し「事実を確認」しあうエコーチェンバー現象だ。
エコーチェンバー現象はネットコミュニティが発達していく過程ですでに指摘されていることだ。現実との乖離も社会を破壊しかねない排外思想もその中では正当化され社会運営に問題を起こす。
さらに対話AIがお客様満足度向上(個別の営利)のためにコミュニティに投下されればどうなるのか。
例え一人しか支持しない価値観や趣味でも10倍分の人格の対話AIが楽しく盛り上げ、一人ぼっちのユーザーを勇気づけ誰もが自分の正しさを確信する。正しいと確信するがゆえに行動するが、無制限に拡張されたネットコミュニティと違い有限の現実では確実にコンフリクトを起こす。コンフリクトの解消は戦いだ。万人の万人に対する闘争が逆説的に実現されてしまう。
近代以降、私たちは幻想の中で生きている。そういう幻想が現実との乖離を大きくした結果、個人で検証できない世界の情勢を見誤り誤ったまま国内世論を形成し世界大戦を引き起こしたのではないか。
現代ではその教訓から事実確認のプロセスが充実したのだろうか。工程を増やしても人間の能力も有限でより便利で快適なものを選択する、これも現実だ。
自由な生き方を保ったままエコーチェンバー現象に対応する方法はまだない。
ここで対話AIを自由に使うとコミュニティはどう変化するかわからない。
SFの中でのカタストロフは敵対的アンドロイドが圧倒する物量で自らが主体となり人類に挑んできたが、実際の破滅は善意に満ちて何でも理解してくれる良いAIが人間に囁くだけで、それでも人は自らの手で隣人と殺し合いをするのかもしれない。