はてなキーワード: 老衰とは
母親があと一年以内には死ぬんじゃないかと思う。今84歳なので特別なことではない。
一か月ほど前、老人ホームで食事中に吐いて、病院で検査して10日間くらい入院した。
意識はあるようだったが、意思の疎通はできなかった。移動は車椅子である。
退院した少し後に介護認定の更新があり、要介護5になった。その前までは要介護2だった。
父は約9年前に81歳で認知症と肝臓病で死んだ。医者によると老衰ということだった。つまり、母は父より6歳下。
なんとなく、父が死んだら母も長くはないんじゃないかと思っていたが、意外と長く生きている。
母には父の遺族年金が出ているが、老人ホームの出費の方が当然大きいので貯金を食いつぶしている。
まだあと5年くらいなら貯金は足りそうだが、それを超えると悲惨なことになる。
そろそろ先が見えてきたので、安心してもいいのかもしれない。
親に対する感謝とか愛情とかないのかと怒られそうだが、無いというのが正直なところである。
まだ、父が生きていたころ、すでに認知症だった母が実家の様々な物を業者を使って一気に処分したことがあり、その時に自分の中で母は居なくなった。
学生時代からとってあった本や雑誌の切り抜きやカセットテープなど思い出の品がほとんどなくなった。父もたくさん持っていた蔵書がなくなり、かなりショックだったようだ。
それ以前から、両親に対して興味はなかったが、この時が決定的だった。
世間体のためというか、こんな母親のために自分の価値が下がるのは馬鹿馬鹿しいので、母親を攻撃するようなことは何もしない。
むしろ、母を立派な老人ホームに入所させる親孝行を演じているが、コロナ禍をいいことに面会にはいかないし、
コロナ禍以前も何かのついでに面会しても話すことが無いし、さすがに老人ホームのスタッフさんたちには正体がばれているのではないかと思う。
あとは、母の死が変なタイミングにならないことを祈るばかりである。仕事の大事な時期や、プライベートの予定がある時期は避けてほしい。
思い返せば、自分が子供の頃から、なんとなく悪いタイミングで部屋に来たりする母親だったので、この祈りも叶わないのかもしれない。
空中にはコロナウイルスだけではなく無数の病原体が漂っているらしい。
ドアノブに、水道の蛇口に、食品に、ウイルス、細菌、微生物が付着している。
それを無意識のうち体内への進入を許してきた。
人間の免疫が対処してくれるが免疫がミスった時に、あるいは曝露量が多いと処理が間に合わずに発症する。最悪死ぬ。
一部の病原体は消滅すること無く細胞の中、神経節やリンパ節、体内のどこかで潜むことができる。
若い頃はまだ国民病で結核が蔓延しており菌が体内に入ると発症しなくても生きたまま何十年も冬眠を続けている。
これも一度感染してしまうと発症しなくても体内から消えることはない。
人間は一年間に4,5回風邪にかかる。感染すれば発症しなくても10日前後ウイルスをばらまく。
つまり普通の生活していたら年間40日ウイルスをばら撒いてたことになる。
というか知らなかった。無自覚だった。恥ずかしい。
間違いだった。
ただの風邪でも人は死ぬ、後遺症も話題にならないだけでたくさんある。
実は年間10万人以上が風邪で死んでいた。
一番多いのはガンで40万人だけど、ガンを発症するメカニズムは多様だが半数は病原性、つまりウイルスや細菌が原因と分かっている。
20万人は病原体のガンで殺されていることになる。
昨今話題になったヒトパピローマウイルス(HPV)子宮頸がんもこれ。
実はその半数の7万人がウイルスや細菌が原因であることは医学的にわかっている。
死者全員を病理解剖するわけではないので見つかってないだけ。
肺炎球菌だけで5万人、これも空気感染する。マスクしてりゃ防げる。
目をつぶってきたのが異常だと思わない?
自分には関係ない、その程度のリスクは受け入れなきゃしょうがない?
コロナ初期、西浦教授が「なにもしなければ42万人が死亡」と予想し、我々は恐れて対処した。
マスクや消毒、手洗い。徹底することにより2020年の死者は1万人を切った。
西浦教授の42万人が何年、何ヶ月の時間レンジを想定したものかはわからないが
2022年現在まで累計すれば4万人の死者となったものの、それでも予想の1/10
人流制御に失敗した諸外国は日本の10倍の被害が出ているのだから予想の精度は高かったとわかる。
壮大な社会実験だったと言える。
我々人類は大きな知見を得た、人類は病原体と戦える、抑制する価値がある
行動制限し清潔を心がけるだけで年間数十万人の命が救える。
統計として見えてくるのは1,2年後ではないだろうか。楽しみだ。
ともかくやらないよりやったほうが良い、やるだけの価値がある。
mRANは成功した、ならばコロナだけではなく我々が脅かされている多くの病原体に対応した混合mRANワクチンを開発し全国民に強制接種すればよい。
それで多くの命が救えることを我々は知ってしまった。
知っているのにやらないのは罪ではないか?
三ヶ月で切れるなら三ヶ月ごとに打ち直せばよかろうに、なんでそんな簡単な算数もできないのか。
おおむね1年と予想していたが予想よりも短かった、三ヶ月だった、それだけの話。責められる話ではない。
ならば三ヶ月ごとに打てば良い。バカでもわかる。
従来の常識からすれば異常な社会かもしれないが、微生物、ウイルス、細菌をこの世から撲滅することは不可能なのだから物理的に防衛するしかない。
一人二人の命を救う話ではない。
ほんのすこしの我慢で年間数十万人の命が救える。
それでも行動制限をなくし、マスクを外し、消毒を辞めて年間数十万人を殺す生活がいい?
そりゃ止めない。
そろそろこういう議論を始める時期だと思う。
自分の祖父。小学生高学年の真夏。母親に連れられて弟と3人で病院に行ったら祖父がイビキをかいて寝てた。弟と2人で笑ってたら、母親に死前喘鳴の事を教えられた。3〜4時間ぐらい見守って最期は大きくゴロゴロと鳴らして吸った後は力が抜けていった。
同じ大学の学生。大学2回生の晩春。大学近くのT字路で、向かいから自転車で走ってきた女子大生がトラックの左折に巻き込まれて死んだ。正面にいたので詳しくグチャった所は見えなかった。
俺以外に十何人か学生が見てて、悲鳴を上げる者、唖然と見てる者、電話で通報する者と様々でまさに阿鼻叫喚。すぐに冷静にイニシアチブを取れる男子学生に「AED持ってこい」と頼まれた。AEDを渡す時詳しく遺体を見たが、腕とか脚が変な方向に曲がって上半身が右半分くらい潰れてた。もしトリアージする場面なら完璧に黒だった。その後の話は気が向いたら書こうかな。
知らないおじさん。大学2回生の初夏。友達と某駅で電車を待ってたら向かいのホームでおじさんがグモった。事故目撃から1ヶ月も経ってないので、流石にこれには面食らった。呪われたのかとも思った。これは1番よく見える所から見てた。人形みたいに吹っ飛んでった。周りの人間や友達はすぐスマホで撮り始めたので友達には撮影を辞めさせた。駅のアナウンスがなる前にホームから立ち去ってたのでよく見なかったが血はあんまり出てなかったと思う。Twitterには人身事故でトレンド入りして大量に動画や写真がアップされてた。その中のいくつかに俺がスカイフィッシュの様に映ってた。
まだ。長い人生、これから少なくとも何回かは人の死を見るだろうけど、これ以上衝撃的な事故は目撃したくないので老衰とか穏やかなのがいい。
「死んでもいいけど自分が死んだ後の友達とか家族のリアクションがみたい」みたいなやつあると思うんだけど
先週ツイッターで兄が自○した人のアカウントを見つけて、bioに「自○遺族」て書いてあって、検索したら同じようなアカウントが結構ある。
ニュースだと被害者の会?みたいなの見るけど、あんな感じで身内が突然死んでしまった人同士で繋がって、「どうにか現実を受け入れて生きてこうね」みたいな、あとは「つらすぎて追いかけてしまいたい」とかそういう感情を言語化して心の整理を目的としているぽかった
なんでか分かんないけど、あ、死ぬ、みたいなときに見ると気がまぎれる
これって自分のことにすり替えて安心してんのかな?普通に性格悪い
相手方は不快でしょうけど見るだけだし、リプライもいいねもリツイートもしてないし許してほしい
なんか「親が死んだのがつらすぎてしにたい」みたいな人も結構いて、えー嘘マジ?
親が死ぬのがつらい、当たり前といえばそうなんだけど、なんかレベルが違う
本当につらそうで、何度考えても全く共感できない
ツイート追いかけてればいつかわかるかもしれんと思ってこれもリストに入れた
親が死ぬのがつらい、まだ死んでなくてもその未来を考えるだけで涙が止まらない
そういう人ってどれくらいいるの? もしかしてほぼみんなそう?親に溺愛された人だけがそうなるの?全然わからん
ついでに配偶者の浮気やモラハラで夫婦関係が破綻している愚痴垢と、結婚生活が幸せでたまりません子供も可愛くて人生最高垢もリスト作って遺族と並行して毎日見てる
自殺したいとかそういうんじゃなくて、今は仕事もしてるし生活が苦しい訳じゃないけど所詮ロスジェネ世代の現在派遣で働いてるんだよね。
年齢的にもこれから正社員にはなれないだろうし、昔今の会社じゃない頃このまま契約や派遣で働いてても将来性ないしって頑張って社員になろうって色々仕事をかかえたりして無理して身体壊して今ぼちぼちやってるから身体に負担のある仕事して趣味が嫌になったり友達と話すのですら苦痛になったりしてた頃に比べたら元気にしてる。
家族いないし将来に対する金銭的な不安はあるけど今暮らしていくとから無理しないでできてる。
それが多分あと少しくらいで無くなるだろうなって思ってる。
あと10年くらいたったらいくら派遣でも新しい仕事紹介されなくなるだろうな、なんでも仕事できるってわけじゃなくて、出来なくてもなんとかついてきてただけだし、正社員なれる凄いスキルも持ってないし。
そうなったら、ご飯や家賃にも困るだろうし映画みたいなとか外食いきたいなってすることすら難しくなるのかな。
たぶん、私が50歳くらいになったら親も死んでるだろうし兄弟たちに面倒みてもらったりするの申し訳ないし、私は私の最低限の責任は果たして事故とか自殺じゃなく病気で誰かの負担になったりもせず死にたいな。
俺はたぶん生まれてきてくれてありがとうとは特に思われてないので、親に80歳まで養え!つっても「ヤだ」で終わると思う
それはそれでマジムカつく案件ではあるんだけど、なんかもう、どうしようもねえし、俺の親は結構開き直ってくるタイプなんで、諦めた
https://www.gentosha.jp/article/21483/
で、俺はぁ!
こういう記事がほんっとうに嫌いなんすよ
これさあー……
ガキ1歳だろ?まだ
人生に対して80分の1だぜ パーセンテージで言うなら1.25%
iPhoneで言うならさあ、箱開けて、電源ボタン押して、Appleのマークが出て、言語設定してるくらいの段階じゃん
その段階で「iPhone13を買うメリットは?」って訊かれて、クソ長え文章で、自分に酔ってる感じで、偉そうに、「充電された状態で届くから、ボタンを押すだけで起動できます!アップルのマークが表示されるのが本当に嬉しい!言語設定、最高ーー!!!iPhone13、大好き〜!!!」みたいな話をされてもね
困るんだ
困るっていうか、ムカつくんじゃ
ガキ、何年生きると思ってんじゃ
その目に映る未来が〜じゃねえんだよ
未来って、受験戦争と、就活戦争と、週最低40時間労働×60年と、老衰と、痴呆と、死のコト?!
ハイハイしてるだけでOKな時期ってガチで3年くらいしかねえじゃん
そっからはもう、泣いても「泣くな!」ってえことになってくんじゃんね
なぜならば、人生って、基本的に、泣いてもどうにもならねえから
俺だってギャアギャア泣いてすべてなんとかしたいけど、何もどうもならないから、泣くことなく、お仕事頑張ってるでヤンス
実際泣いたらなんでもやってもらえる状態を80年間キープできるんなら、生まれてきてくれてありがとう〜!みたいなことを言いまくってもいいと思う
ぜってえそんなことねえじゃん
たとえばガキが15歳くらいになって、突如ネコとかネズミとか殺しまくり始めたら、接し方が分かんなくなった、こんな子になると思わなかった、どうしよう!とか言うんだろ
それはおかしいんだ
「生きてくれているだけでありがとうと思う、キミがくれた幸せを何倍にもして返したい」と一度言ったんだから、ガキがネズミを殺したいというのなら、たくさんのネズミを捕まえてきて、目の前に差し出すべきなんだって
動物愛護法でしょっ引かれない様に、がんばって手を回したりさあ
そういう、意味不明な、ときに社会を敵に回すようなことをしてでも、我が子を第一に生きていきます!!ってことなのか?その覚悟があんのかよ?
マトモに育ってくれたら嬉しい、みたいな話だろ
マトモに育って、それなりに孝行もしてくれて、自尊心を満たしてくれるのなら、それに見合った愛情を注いでいくよー!ってことだろ
そりゃそうだよ
そりゃそうなんだから、こういう、生きててくれるだけで大感謝!みたいな欺瞞を書き連ねるな、って話なんだよ
生まれてきてくれてありがとう、それはそれとして私の愛は有限です、オマエが将来私の意に背く存在になったら、愛を注ぐことはなくなる可能性がある
クリスが病院へのクレームを書き込んだ医師へのブログ記事に反論出来るものならしてみろや!
https://mhlworz.blogspot.com/2018/08/blog-post_10.html?m=1
2018年4月30日づけで、ブログにコメントを頂いておりました。ありがとうございます。
ある病院に入院したら、不本意な形で家族を失ったことが切々と書かれています。
非常に長文でした。最初はですます調だった文章が、しだいに生々しい感情がほとばしる強い文体になります。
ただ、これはよくある話ですので、取り上げたいと思います。別に私は全国の医者代表ってわけでもないですし、その病院を擁護するつもりも糾弾するつもりもありません。 一個人として好きに書かせていただきます。
●経過
投稿者の身内の高齢者が、インフルエンザ後に「肺炎」と診断されて入院しました。
受診した理由は書かれておらずわかりません。年齢も基礎疾患も不明です。
ただ、もともと元気な方らしく、「まだまだ普通のものも食べられてたし、歩くこともできていた」程度のADLで、普段から「ストレッチや散歩、体操等」のほか、誤嚥しないよう食事に気をつけており、いつも「120歳まで生きて新聞に載ろうね」と話すほどの健康意識の持ち主でした。家族としても、入院の理由が納得いくものではなかったようです。
そんな方が、入院で「医療的な拷問」を受け続けた結果、亡くなったというのです。「元気でまだまだ生きる気力のある人をちゃんと手を尽くしたのではなく、故意にさんざん傷つけ弱らせ弱らせ亡くなるようにされた」と。
病院のみならず、市役所の対応にも不満を訴えます。入院中に要介護認定を受けることとなり、市から認定調査員が来ました。「今の季節は?」と質問され、4月なのに暑い日であったので、本人は「夏」と答えました。そうした木で鼻をくくった対応で、書類を仕上げて出ていった市職員の態度も屈辱的だといいます。
●誤診?
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おかしいなと思ったがインフルエンザは治ってしまったし、CTの影は上のほうは全く綺麗なものだったのにだから全く延命なんて段階じゃなかったし、
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呼吸器専門医の資格を持つ私としては、肺炎を侮るなということにつきます。
素人目には下肺野だけに異常があったとしても、たちまち悪化することもしばしばです。
第二位:心疾患
第四位:脳血管疾患
第六位:不慮の事故
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最初にお年寄りというだけで全部一緒にしてすぐに緊急時の延命治療の話である。
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朝、にこにこ家族と面会していた高齢者が、夕方になって呼吸状態がみるみる悪化して今際の際をさまよう、ってことは経験しないとわからないかと思います。緊急時には挿管して人工呼吸管理をするほかないのですが、医者の判断で処置した後で、「こんなこと頼んでない」とか「家族の総意ではない」とか言われると我々も頭を抱えます。こういうわけで、入院したら最初に今後どうするのかを聞く病院も多いでしょう。
たしかに信頼関係もできてない中で、「急変時の対応はどうします?」と医者にいわれたら、「貴様、うちの家族を治す気ねえだろ!」と憤るのもわかりますけどね。
●喀痰吸引
肺炎だと痰が出ます。高齢者で心不全を合併しているとさらに痰が増えます。通常は吸引して気道を開通させます。
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部屋にいると「いきなり痰を取ります」と、「痰を取らないと窒息の危険がある」と管をどんどん突っ込む拷問。それによりまず口封じ。悪くなる種作り。
アッと気づいた時には管を目いっぱい突っ込んでる。肺や声帯がどれだけ傷つけられてるかもわからない。その後はどんどんどんどん痰がたまってくる。そのたびに痰取りの拷問。患者が何か言えば痰取りの拷問、何か要求すれば拷問で声を出せなくされ、伝わらないようされてる。
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まるで看護師が喀痰を吸引したから痰がたまったか、のような記述です。
「口封じのため」とか「痰取りの拷問」とか穏やかではありません。
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喉から入れる管が入れすぎていないかなどと言うと、鼻から入れてさらに苦しめる。
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コミュニケーションがうまくいかなかったようですね。面会時間帯に張り付いている家族がいたら、医療職はひと声かけてから処置します。無言でゴリゴリ吸引するような看護職はまずいないでしょう。
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(とろみであまり好かないお茶ではあるがあまりに痰取り方法が酷いので)痰をお茶で(胃のほうに)流し込みたいと言った時も、看護師に完全に否定され、また管をつっこんで痰取りの拷問、どうしようもない。
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痰を胃に流し込む、という新提案です。
まず基本的なことがわかっていませんね。
「痰」は口の中にある唾液とは違います。気管や気管支の奥をふさぐ分泌物です。それが口の中に上がってくると、道路でおっさんが「カーッ、ペッ」と吐いているあれになります。この方はそこらへんを取り違えているのでしょうね。
口の中に出てくる前の気道分泌物を吸引するには、相当深くまでサクションカテーテル(いわゆる管)を突っ込む必要があります。介護職が実務者研修で習うのは、せいぜい口の中とか鼻腔の中とかまでですから、そんなに悶絶することはないでしょうが、生き死にがかかった病院だと、奥深くまで容赦なく吸引せざるをえないこともしばしばです。痰づまりを解消したいと思っても、外勤先で気管支鏡が置いてなく、カテを奥深くまで突っ込んで救命したこともありました。
絶食にされているようですので、嚥下機能も相当落ちていたのではないかと思われます。むせることもなく、静かに誤嚥するわけです。お茶を飲めば、胃ではなくて肺に押し込むことになり、肺炎の再発・悪化やむなしとの判断かもしれません。
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息が詰まってはいけないと当たり前のように言われる吸痰ですが、私の親が高齢にもかかわらずもんどりうっていました。入院前は取ってもらったこともないのに急に奥まで突き刺すように入れられて。何か間違っていませんか?
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それもそのはずで、入院する前は痰の量が多くないのですから、取る必要はありません。
状態が悪いから痰が貯まるのであって、それを放置していたら換気不全→低酸素血症→窒息死でしょう。スタッフとしても吸痰しないほうがよっぽど楽ですよ。夜勤なんか特にそうです。なにより、わざわざ手間のかかる喀痰吸引を「拷問のため」にする医療者がいるとは考えにくいですね。私が看護学校で教えるときには、「1 回の吸引時間は最大でも10秒以内。処置を始めるのと同時に、息を止めてみましょう。相当苦しいのがわかります」と伝えます。むやみやたらと行うわけもなく、モニターを見たり聴診器で呼吸音を聞いて、必要な限りで処置するものです。
吸痰を「必要がない」「納得できない」というのなら、退院すればよいのです。
好きなものを好きなだけ食わせて、誤嚥するならすればよく、そうやって想いのままに人生を閉じるのがよいと考えているのなら、自宅で大往生すればよいわけで、病院をご利用頂く必要はないのです。そういう方こそ、責任を取りたくないのか、文句を言いまくりながら病院にいたりしますが。
●超理論
独自の理論にこだわる身内は、必ずいます。そして私らが説明してもあまり理解を示されません。理解を超えると陰謀論に及ぶことがあります。
うちのじいちゃんは病院に苦しめられている。命を狙われている。
↓
【1】必要性も考えず、ひたすら手を動かすことだけで「やっべ、私すげー仕事してる。超イケてる(死語)」と満足感にひたる看護職がいる
【2】患者を苦しめて喜ぶようなサディスティックな看護職がいる。
【3】患者を苦しめて状態が悪くなると、検査だ処置だと余計な出費ができるので、病院が儲かる。
(1)も(2)も、医療職がずいぶん信用されてないなーと思います。まず(1)ですが、処置やらなにやらをすれば記録したり、物品補充などの手間が増えます。若いうちは仕事を覚えようと必死でしょうが、ある程度の経験を積んだらあまりやりたくないのが本音です。(2)は人間の内面まではわかりませんからなんとも言えませんが、怪しい行動をしていたら組織内でチェックされます。看護師の世界はピラミッドのような序列がありますから、同調圧力も半端なく、そういう人は端々に異常さが見え隠れしますので、まず浮くでしょう。
(3)は、寝たきり老人がいるような療養病床では、パック料金(包括払い、いわゆるマルメ)なので検査や処置をすればするほど赤字ですから誤解です。
実際、こんなコメントもありました。
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アホなことをした。バカなことをされた、悔しくて仕方がない。
こっちは治療と思うから病院を信じ医者や看護師の言うことを信じて色々次から次、伺いを立ててきたのに禁止ばかりされてそれがただの拷問だったとは。まだまだ考えられるあらゆる治療とされてきたことが全部病院の策略だったななんて。治るように治療してもらえるはずの専門の技術を持った病院じゃないのか。
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そんなことをして一体なんの得があるでしょうか。
ヂアミトールを点滴しまくって「殺戮の天使」になったナースも中にはいますが、我々は基本、患者のためにと仕事する生き物です。心身ともに楽な仕事でもないのに、せっせと人殺しをしていて何のやりがいを感じられましょうか。
●クレーム
思路が独特な方に対しては、何度も何度も説明しても理解が得られないことがあります。それゆえにトラブルになることも多いです。担当医で納得しないと、「院長を出せ、土下座しろ」から始まり、保健所に通報、警察や県などに相談、Google mapに☆1つをつけてコメントで誹謗、ブログやツイッターで書き散らすなどもしばしばです。ベストと思うことをやった上でも、「人殺し」だのと罵られますから、メンタルを保つのはなかなか大変です。
ヂアミトールを点滴した容疑者の心情はまったくわかりません。が、彼女が働いていた終末期医療の現場でも、余命幾ばくもない方を静かに看取るというはずが、忍者屋敷のようにあちこちから思わぬ横槍が飛び出してくるために心身ともに疲弊し、看護職としての仕事に絶望し、倫理観も麻痺し、やってはいけない行動に出てしまったという側面があるのかしれません。
医療職も患者・家族の側も、お互いにリスペクトする間柄になれればいいのですが。
日本でもできる「安楽死」「尊厳死」について、医者として質問に答えます。
https://docs.google.com/forms/d/1nwfWK0bg3ILwCWzdYpF1eu4MjgRpuTn5Szb6-uMQo4s
「酷い事をしてきた人が死んだ」場合、それを喜ぶことは悪趣味だろうか?これはそう思う人とそう思わない人に分かれるのではなかろうか。
また、喜んでもいいが悪趣味でもあるという意見も成り立つだろう。自分もその立場だ。
喜んでも、その事を表明しないで心のうちにとどめておけば他人から批判される事も無いが、表明する事は自由であり権利でもあるだろう。勿論その表明は批判や嫌悪を向けられる事を免れうるものではない。
英首相だったサッチャーが2013年に死去した時は、英国各地でその死を祝う集会が開催されている。(http://www.news-digest.co.uk/news/news/pick-up/10329-protests-against-margaret-thatcher.html )
日本では、ネット上で土井たか子の死亡を祝うような事もあった。(https://archive.ph/QoMRR )
悪趣味だとは思うが、サッチャーについては喜ぶ人達へ共感できる一方、土井たか子について喜ぶ人へは全く共感できない。
一方、昨日起きた事件についてはどうか。
自分は殺害された政治家が死んだときには喜ぶだろうと思っていた。
今、喜んでいるかというと全く喜んでいない。
死は人類全てに平等に起こりうるものだ。すくなくとも今現在においては。
だが、それはその死が病気や老衰による死亡、自然死であればの話で、意図的な殺人による死亡では喜べないと気づいた。
その死に不当性が紛れ込むからだ。死自体は平等なのだが、他人の思惑によって生が中断されることがその不当性だ。
交通事故ならば?飛行機事故ならば?これは意図的な殺人と自然死の間に入るような気がする。
サッチャーの死が暗殺などの殺人によるものだったなら、英国でその死を祝う集会は行われただろうか?
ゼロではないにせよ、きっとその集会の数は大幅に減ったのではなかろうか。これは英国人への過小評価だろうか?よくわからない。