はてなキーワード: アカデミックとは
後進国では高等教育は英語の教科書で英語で学ぶ必要があるということを指摘し母国語で高等教育を受けられる日本は素晴らしいと主張する人がいつも湧いてくる。バカなのか?大日本帝国が世界を支配して日本語が世界の共通語になっている平行世界でならその主張に意味はあるだろう。しかし現実としては英米が世界を支配し世界の共通語は英語、アカデミックは英語で出版しなければ誰も読まないし無価値という状態になっているのであるから、日本語で高等教育を受けさせられることは多くの学生にとって本当に幸せなことなのかということを考えてもらいたい。高等な知恵を日本語で学んでしまうとまた日本語と英語のマッピングを脳内で形成するという二重手間になることは想像に難くない。日本語で高等教育を受けられて幸せなのは英語すらできない低能どもである。そしてこのような低能は本来大学教育を与えても意味はなく専攻と全く関係の無い単純ホワイトカラーにしかならないのである。
修論の話を見るたびに思い出す。
修士を25で中退した。一度留年させてもらって、それでも論文が手に付かず結局中退した。
今でもどうすればよかったのか、多いときで3日に一回は悪夢のように蘇ってくる。特にお風呂の中で考えることが多い。
テーマを自由に決めていいから、勝手にやっててね、ただしダメ出しできる範囲でダメ出しするよというタイプの研究室だった。
修論でも大きいことをやりたいと思っていた。
でもそれがダメだったのかもしれない。
テーマ選びをし、ダメ出しされ、テーマ選びをし、ダメ出しされ、なにか新しいテーマを考えるもなにがわからないのかわからなくなり、、、
結局教員にも相談できず先輩同期にも相談できず、一人で悩んでるうちに病的にに論文が手に付かなくなり最後の半年くらいはPCを見るのも怖くなっていた。
プライドがあったのか、そもそも何を相談すればよかったのかわからなかったのか、なにもわからないなにがわからないかがわからないと叫ぶのが惨めだったのか。
もっと教官を頼ればよかった、もっと先輩に頼ればよかった、惨めな思いをしながら泣きついてでも苦しんでいることを相談すればよかった。今ではそう思う。
死なない程度の大怪我をして入院しながら大義名分で休めるようになって研究したいと思っていた。
それくらい錯乱していた。今思うとうつ病だったのかもしれない。
もう研究者になりたいという野心は捨てたし、研究者への夢をじっくり3年かけて諦めただけに圧倒的な劣等感に苛まれながらなんとか生きている。
よく東大出身なのに謙虚だねと言われるけれど、謙虚どころか圧倒的な劣等感を感じざるを得ないというのが本当のところ。
ちゃらんぽらんでも修士を卒業する人がいるなか3年かけて中退したのだから。
でもまだどこかでアカデミックへの憧れとか捨てきれておらず、修士の3年間を悪夢のように思い出す。
このサイトを見て当時熟読してればまだ少しは救われたのかなと思う。
なんで引用している文献のほぼ100%が英語なのに、論文を英語で書かない人いるんだろう?
普通さ、お世話になったコミュニティ(先行研究を引用させてもらった研究者コミュニティ)に恩返ししたいと思うだろう。そうじゃないとただの一方的な知的搾取でしかないよ。論文って研究者の知的労力の結晶でしょ。
補足すると別に英語じゃなくてもいいんだ。フランス文学やっててフランス語で書かれた文献を引きまくるんなら、論文フランス語で書こうぜ。国文やるなら日本語で論文書けばいいし。自分が引用している論文の著者に自分の論文読んでもらうために言語選択しようぜってこと。言語の壁云々についてはさ、外国語で論文書いたことがない人が外国語で書かれたアカデミックな文献を理解できているとも思えないんだけど(院生とか若手は仕方ないし、むしろこれから頑張れ!と思う)。
まあ、英語(外国語)帝国主義的主張をしたいわけではない。日本語での論文を書くことの意義はあると思う。でも、日本語でしか書かないっていうのはどういう了見なんだ?
てか、日本語論文にきちんとした査読者付くの?研究レベルの話じゃなくて、1億人強ぐらいの話者しかいなかったら、きちんと査読できる人探すのほぼ不可能じゃない?
数年前に『白いメリーさん』を読んだ
枝葉切って、いらんところがないくらい都市伝説ホラーがぎゅうっと詰まっている短編だった
今年になってネットだったか雑誌だったか忘れたが同じく中島らも著の『ガダラの豚』の推薦文を読んだので、読んでみた
民俗学×アフリカ呪術×新興宗教×マジック×旅行記×バイオレンスアクションみたいな盛り込みすぎだろってくらいの娯楽小説だった
タイトルとちょっと重めのプロローグからして宗教テーマの重めのホラーかと思ったけど、雑学、おいろけ、ギャグ、戦闘、哲学的会話なんでもあれって感じで読み手をめっちゃ楽しませてくれる
なんかテンション的には手塚治虫の漫画みたいな真面目さとドタバタ感のバランスだった
巻末に40冊くらい参考図書が挙げられていて、アフリカ呪術とか密教系の本とかの中に『月刊少林寺拳法』が混ざっているのを見て、めっちゃ少林寺拳法してたもんなとニヤニヤしてしまった
あー、おもろかった
こういう気楽に読めて、アカデミックな会話で勉強になった気になるけど、最終的に血がドバドバ出てたなっていうB級ホラー映画みた後くらいの感想しか出てこない作品も夏の推薦図書にしてくれ、集英社
私は、修士課程のころ、指導教員の印鑑を勝手に買って使ったことがある。
他人の印鑑を勝手に使用することは有印私文書偽造罪と立派な犯罪だが、なぜかバレなかった。
その研究室は、専攻分野の中でも際立った研究をしており、かなりの実績を出していた。
担当教員もかなり力のある人物で、設備も充実していたことに魅力を感じた。
研究テーマも、他の学生と全く異なるものを任せてもらい、やりがいもあるだろうと思っていた。
そこで論文執筆や国際学会発表をたくさんこなして博士課程まで進み、アカデミックに残りたいと思っていた。
だが、研究室に入ってすぐ、そんなことはできるわけがない現実に直面した。
まずコアタイムが厳しく、コアタイム外のゼミ会が毎週あったり、それ以外の時間も暗黙の了解で残らせるところだった。
夏休みも学部生が1カ月以上あるのに対しこちらは長くて1週間、春休みはなし。
書かれていないことは暗黙の了解に過ぎないと無視していたら、指導教員直々に「お前やる気なさすぎ」とまで言われた。
雑用当番や研究室行事も頻繁にあり、ただですら研究で疲弊しているところに追い打ちをかけるようだった。
また、研究室が優秀ならメンバーも非常に優秀ですぐについていけなくなった。
そんな中、研究成果をうまく出せず、指導教員に叱責される毎日を送っていた。
指導教員は言うことが頻繁に二転三転するうえ、こちらの意見は全く聞き入れられず、ストレスが溜まっていった。
うまくいかない実験に関しこちらが改善案を出しても一切認めず、ただやり直せと言うのみでにっちもさっちもいかなくなった。
学生相談制度で別の教授と会ったときも「ここまで緩い研究室すら無理なら退学すべき。就職も今は人物重視だから問題ない」と言われた。
学内の相談員も同様に、遠回しな言い方ではあったがやたらと退学を勧めてきた。もしかしてそういう校風だったのだろうか。
そしてある日、ついに限界を迎えてしまい、半ば喧嘩別れの形で研究室を飛び出してしまった。
その後は好きな講義を受講するなど学部生に準じる生活を送っていた。
ところで、私は学内で国際教養を認定するプログラムに入っていた。
それは対象の講義をいくらか受講し、さらに留学すると大学から認定証とともに国際教養のお墨付きがもらえるというものだ。
もちろん国家資格とかじゃないからこれで食えるわけではない。ゆく先々話のネタにはなる程度だ。
ちょうどお金もたまっていたのでそれに応募しようと思った。
しかし、大学院生は何をするにも教授の許可がいる。授業の履修だけでなく休学・退学ですら例外ではない。
もちろん留学にも指導教員の許可が必要で、願書には指導教員の記名押印をもらう必要がある。
しかしその時の私は指導教員と仲違いしており、のこのこと研究室に出て「ハンコ下さい」なんて言うわけにもいかなかった。
実際、これまでのことを謝罪しに行ったことはあるのだが、取り付く島もなく追い返された。
となるとどうにかして印鑑を押してもらったことにするしかない。
研究室へ行くとバレてしまう。ならば指導教員と同じ苗字の印鑑を買って押すしかない。
ダメで元々店に赴くと、かなりメジャーな苗字だからか簡単に入手できた。
指導教員の名前はWordで印字し、買った印鑑を押したら問題なく受理された。
(後で知ったが「記名押印」は印鑑さえ押していれば氏名は印字やハンコでもOKだという。氏名も手書きが必要なのは「署名捺印」)
申し込むとすぐに「学内選考合格。返済不要の奨学金付きで先方に推薦するので応募手続きを進めるように」という返事が来た。
そのまま応募手続きを進めたところ、留学先による選考にも合格してしまった。
ちなみに、一番大変だったのは英文の履歴書と志望理由書の作成だった。インターネットで調べて何とか出来たが。
留学担当部署へ合格を報告すると、選考だけでなく留学にあたり書く申請書にも指導教員の印鑑が必要だとわかった。
ここまできて引き返すわけにはいかないが、同じことをすればいいので良心の呵責はなかった。
こちらの行動がバレるきっかけはいくつかあったが、追及は全くなかった。その原因を考えてみたい。
まず印鑑を使った段階についてだが、これは簡単だ。印鑑を買って押したところは目撃されていないのでわかるわけがない。
書類を受理した側についても、建前上指導教員の許可が必要としているが、実際は印鑑の有無を事務的に見るだけだからだ。
銀行ではないのだから印鑑登録をしたり、その真正性の判定や所有者への確認はしない。
もし不備が見受けられるのなら書類を突き返して作り直しを命令するだけでよい。
受理された後も、書類は関係する諸手続きにしか用いない。つまり用が済んだら即時破棄が普通だ。
そこで一番バレる原因になりそうなのが教授会だ。
国際教養プログラムの担当教員によると、プログラム修了認定の議題を教授会に出したという。
となると、配布資料または口頭で私の名前が出ており、それを指導教員が認知しているはずなのだがなんの追及もなかった。
不思議に思ったので原因をいくつか考えてみた。
私としては、ありそうなのは順に③、①、②だと思う。
確かに指導教員の許可を要する物事は数多く存在するが、そうでないものも多い(証明書の発行、通学定期の購入など)。
従って、国際教養プログラム参加には指導教員の許可は不要と思っていた。
当然、私が無断でやったことにも気づいていない。
講座の受講や留学には指導教員の許可として記名押印が必要である。
指導教員は許可などした覚えがないのに私が勝手に受講を始めてプログラム修了まで至っている。
しかしながら、それを立証する証拠がない。留学の応募書類などを開示してもらうことはできるがこれでも立証は難しい。
(なお、卒業生については事務局が学位・単位の修得状況だけ保有し他は破棄するため、現在は教員による立証は不可能)
私を呼び出して話を聞こうにもいくらでもすっとぼけられてしまう。教授会の開催も私の修了間近と追及する時間的余裕もない。
もし事前に立証できているなら、学科内のエライ教授に話をつけて懲戒処分に持っていけるはずである。
とはいえ、私がこんなことをしていようとも指導教員自身や研究室には何の実害もない。
それに、ヒエラルキーの非常に強いアカデミックの世界だ、こんな不確かなことで騒ぐのはもったいない。
下手に騒いだせいでお偉いさんに目をつけられるとキャリアが台無しだ。
特に、私を大学から追い出さないといつまでも居座られる。ならば研究成果が不十分でも修了判定を出すしかない。
(一応、学生を放置することで在籍可能期間を満了させて除籍に持ち込むことはできそうだが、問題になるのだろう)
大学教員は如何に予算を取ってきて研究成果を出し出世するかが大事。
こんなことどうでもいいし、私がやったことについて調べるのも面倒。
帰国後は残りの単位を修得し、国際教養プログラムの認定要件をクリアした。
学内カウンセラーの方に仲裁してもらい、無事研究室にも戻れた。
研究室には指導教員とは別にもっとエライ教授がいたが、私が不在にしている間、何の前触れもなく退職した。
私以外のメンバーにも退職日や理由などを事前に知らされなかったそうだ。
そういえば私が研究室に入る前、その教授は「近い将来指導教員を独り立ちさせる」と言っていたので、それ絡みだろうか。
研究室に来なくても研究を進められるようになった。連絡は口頭でなくチャットソフトを使うことになった。
研究や生活面、あらゆることでこちらを詰めてきたはずの指導教員も対応が事務的になった。
今までは研究報告でさんざん貶されていたところを、提出したらすぐに「よいと思います」と言われるようになった。
高圧的に命令してきたところが、丁寧語で提案するような口調になった。
「どんなことよりも研究を優先せよ」だったのが、「やりたいことがあるならそちらを優先した方がよいです」と言うようにもなった。
ただ、「発言が二転三転する」と言われたのが心外だったのか、何度も「研究ですので変更もありえます」と言うようになった。
発表資料も何度も突き返されたところを、指導教員が大枠を作り、こちらはデータだけ書き加えればよいことになった。
雑用当番やゼミ会、研究室行事も免除となり、学部生に準じる夏休みももらえた。
修士論文は序論として先行研究に続いて自分の研究背景をまとめ、あとは研究報告書を要約していけば完成した。
その代わり、
・私の研究ポスターや発表実績を外部(研究室ホームページや研究棟の廊下など)に公開しない
・修了間近に私のデスクを片付けに行ったら、そこが荷物置き場になっていた(最も、研究室を飛び出す前からよくこうなっていたが)
など、私をいなかったことにしたいようだった。
学位記授与式を過ぎ離籍しても、就職先への出社日前日まで研究をさせるところだったが、私は修士論文を出した時点で解放された。
(本当はこれ、部外者を研究に従事させているので万が一のことがあった時を考えるとマズいことなのだが…)
結局、修士の学位記と認定証、そして「修了おめでとうございます。さようなら」とそっけない言葉をもらい大学から去った。
(なお、博士課程については、1年次後期の時点で指導教員直々に「テメーはダメだ」と言われたので断念していた)
何のつもりか研究室からの寄せ書きもくれた。数人はメッセージなしか当たり障りのない内容だったけど。
一応研究ノートとかは返してないが、こちらも特におとがめなし。まぁ「門外不出にする価値もない」ってことなんだろうけど。
研究室に感謝する義理もないので、研究室のパソコン内のデータや研究実験用ソフトなどを全消しするプログラムを仕組んでおいた。
バレにくくするため、研究室を去ってから数か月後に全消しプログラムを作成してから消えるパッチファイルだけ入れておいた。
全消しプログラム生成からさらに数か月後、そのプログラムが作動しパソコンがダメになるというわけだ。
今頃どうなっているか気になるが、今は部外者で研究室とも仲が悪かったため覗きに行くことができないのが残念だ。
ところで、私が去った後の研究室や専攻の方針がどうなったのか気になるところである。
私のような学生のニーズに最大限配慮した研究・進路指導をするようになったのか。
TSMC、韓国半導体勢、SpaceX、中国のEVなどもそうだが、政府が積極的に関わっている。
日本だと、政府に打開策を期待する一方、政府が関わると失敗するので民間に任せるべきという意見も多いが、
結局、1企業だけでは難しく、問われるべきは政府をどういう体制にするかだろう。
政府が介入する場合、金だけ出しても結局コケるのは、日本でずっと起こっていたことだ。
特に技術について、常日頃から将来のロードマップを考慮して国がアセットの準備・研究をしておくべきではないか。
おそらく研究費は出しているのに、国内でどういう研究をしているのか、研究結果を活用するにはどうすればいいか、という道筋がなく、
研究に金を出すべきとよく言われるが、研究はすれども、日本の産業界にどう活かすとかがなく、
結果が他国企業で使われて稼がれるといったことにしかなってない、
アカデミックと産業界で人の行き来がない、といったことも原因の一つだろう。
小さな政府を、民間でできることは民間で、というのは良い面もあったが、
自分の頭の中の整理だと思って書き溜める
もともとはアカデミック寄りなエンジニア(企業内のR&D部門)みたいなところに行きたかった
最新技術や科学的な考えを取り入れて数値解析やPoCをするような仕事がやりたかった
一方でアプリやWebアプリなどなんでも作れるようなエンジニアにも憧れがあった
結果的に新卒で入ってしまったのはなんちゃってR&D部門だった
結局の仕事はテスターとなんちゃってチームリーダーといわゆるSEでしかなかった
そこで何年かいるうちにキャリアが潰れたし、目標も見失いつつある
30も過ぎて今さら修士もない未経験でR&D部隊に行くこともできないし
鉄の話ではないが、学会活動なんかもそういう感じだなと思った。
俺が学部4年で合宿するスタイルの学会に初めて行ったころは、飲み部屋に集まって、ほかの研究室の人と交流するのが普通だった。
若い先輩たちはいろんなテクニカルな話をしていて、それが面白かった。
遅くまで残っていると大御所的な先生が学会運営から研究室運営までいろんな話をしていて、それも聞いているだけでも面白かった。
博士を卒業するころには飲み部屋から好みのお菓子などをピックアップして仲間内だけで飲むからと出ていく人がそれなりにいた。
多分、不特定多数の人とそれなりに人間関係を築いたり、年上の人の話を聞いたりするのが出来ない層が目立ってきたのがこの辺なんだろうな。
俺は結局アカデミックには進まなかったので、その傾向がその後どうなったかは知らんが、不特定多数と話をするのを嫌がる人が増えてきたら、ユースホステルも閑散とするだろうな。
...と書きながら、親戚一同で集まったりする文化の衰退、核家族化の普及、携帯電話の普及と関係しているんだろうかとふと思った。
半導体に関して、国が関与しようとしていて、また失敗するのではという論調は多い。
だが、放置して民間だけに任せておけば成長するという時代は終わっている。
競争相手を見てみればわかるが、米国、台湾、韓国も国をあげて支援をしている。
金だけじゃなく、技術も、人も、法律も、国家リソースを注ぎ込んでいるのに、1企業では対抗できない。
金さえ出せばいい、という意見もあるだろうが、日本の場合、金を出すだけだと失敗する。
研究環境が整ってない所や、技術がない所にいくら金を注ぎ込んでも芽が出ない。
進捗管理だけして他社に投げて失敗する。
国に足りてないものは沢山ある。
半導体のような分業体制になっている場合、把握出来てないのだ。
報道陣も把握出来てないので、業界ランキング上位企業やコンシューマ向けニュースのみで検討となる。
日本の場合、国が研究費を出しているが、民間に技術をどう移管するかというのが弱い。
研究内容についても、民間とアカデミックで離れてしまっているので、研究者の興味関心に閉じてしまい、活かしにくいというのもあろう。
そもそも国が、日本国内でどういう研究が行われていて、どう民間に移管して稼ぐかという戦略がない。
米国が強いのは、人、金、物、技術を国の組織が把握しているからだろう。
常にゲームチェンジャーとなる技術が米国外含め世の中に出ていないか情報収集をしている。
日本の場合、国内報道されるものだけが全てになっているし、メディアも力が弱くなり政治以外は国外まで把握出来てない。