はてなキーワード: なるたけとは
去年の話題はほぼコロナ、今年の話題もコロナだろうか。自分はいま某繁華街のアパートの中でこの文章を書く。自分か他の誰かが将来、この文章を見てくれたらいいかもしれない。
ブクマカ、ヤフコメ、Twitterは、コロナの話題になるとだいたい自民党、菅、二階の批判をしつつ緊急事態宣言早くしろの論調だ。ニュースピックスはピッカーは立場上割と冷静だが本音のところはどうだろう。コロナは風邪、の言説はニュースピックスでたまに見る。
ブクマカについては、それまでxevraにしか使ったことなかった非表示機能だけど、コロナについて口汚かったり読んでてつらくなったりしてちょっとでも気になるブコメをしたブクマカは積極的に非表示にするようにした。ガチ医師専門家のアドバイスにオレオレコメントするブクマカほど害悪なものはない。特に医療関係については、100のブクマカより1人の専門家の意見のほうが正しいと思う。
感染者数の多寡で一喜一憂するのにも疲れたが、一喜一憂しているコメントを見るのにも疲れた。
それにつけても政治家はコロナに対する意識が絶対的に緩いと思う。インパール作戦よろしく政治家が後方で宴をやりながら前線には苦労を強いるのをリアルで見るのもしんどいが、会食について自由恋愛だか三店方式みたいなトンチをリアルに聞くとは思わなかったよ。マスコミが飯の種として政治家の会食情報を積極的にキャッチしているんだろうけど、それにしても知らない人と飯食うのはコロナ的に飛沫感染がヤバいって思うじゃん。別に会食じゃないからOKってわけじゃないと思うよ。少なくとも自分はそう思うんだけど政治家の人は思わないのかな?もしかしたら万が一コロナに罹患しても金持ってるし身分の高い政治家だからVIP待遇で十分な治療を受けられるししんどい思いもしないし死にはしないだろうって思ってるんだろうか。どっかのマスコミもそんなこと書いてたし。ワクチン接種が2月から医療関係者を中心に始まる予定なもんだから、実際夏のオリンピックまでにはあらかた終息するんじゃね?とか思ってそうではある。少なくとも2月以降はワクチンでコロナは快方に向かっていくだろうから、今緊急事態宣言を出して経済をまたガタガタにするよりは、かかっても死にゃしない病気なんだから罹患したら運が悪かったねってことでワクチン始まるまで適宜経済回してくれよまである。
街を歩いていると、まあまあ人だかりが多い。実際の売り上げは分からないけど、新規感染者数がどんどん増えてるコロナ真っ盛りにしてはかなり人が多いと思った。店によっては満席なところもある。スクランブル交差点のライブカメラの元旦0時付近は、流石に例年よりは少なめだけどそれにしたって警察が交通整理で出動してたし。
年末年始で閉めてる店や、コロナの影響で閉店しまった店もちょくちょくあるけど、それでも通りがけの居酒屋は比較的満員御礼で客はノーマスクで密集して宴を楽しんでらっしゃる。それを見て自分はとても複雑な気持ちになる。
流石に普段はみんなマスクしてるし、このご時世に積極的にマスクしてないやつなんて絶対めんどくさいから近づきたくないけど、鼻マスクしてない人とか、なぜか喋る時だけマスク下ろしてるやつとか、それはそれでギリギリ許せるようにはなった。目の前でやられたくないけど。
在宅で外に出ないうえに人と会うこともないのになぜか身だしなみと美容院の経済状況を気にして月一で美容院通ってるが、当然ノーマスクなのでそれはそれでしんどい。
インターネットは特にコロナについてアレコレ罵詈雑言が飛び交ってて不安になるけど、街の雑踏を歩いているとみんな普段通り歩いてるしコロナなんて別に大丈夫なんじゃね?って気分になり、それはそれで怖い。
ここまで色々書いたが、自分もコロナにかかるのは怖い。今日にしたってcocoaから濃厚接触通知が来る夢を見てしまった。自分は帰宅後毎回うがい手洗いはしてるし、こまめに手指消毒してるし、気づいた時には顔まで洗ってるし、コロナやべーから本格的にタバコも辞めた。酒もほぼ飲まないし人付き合いも悪いしうるさいのが嫌だから居酒屋にも行かなければ会食にも行かない。知らない人にも会わなくて交流はインターネットだけだ。外出はコンビニとスーパー、贅沢するにしてもデパ地下だ。でも今は本当に家から出たくない。なるたけ気をつけてるほうだし基礎疾患もないけど、それにしたってコロナにかかったら何が起きるか分からないから怖い。
とはいえ、今の自分には、外出会食三密を控えてうがい手洗いするしか出来ることはない。誰かが言ってたがニュースは最早ファンタジーだ。ブコメは確かに娯楽にはなるだろうが、頭の中でこねくり回した妙な理屈や幻想を100文字以内で書き散らす文章構造では起承転結が機能しないから正しくないのも多いし見るのも疲れる。しかも身元もわからずブログもやらないでブコメだけで罵詈雑言を展開するやつとか背景が分からないから余計に読む価値がない。
楽しいことだけ考えて生きていたい。少なくとも今年は生き延びたい。
男女バトル、この構図なんじゃないかと思ってる
男は基本的にガンガン加害する代わりに自分が加害されても文句は言わないというか、言うにしても個人的な争いに留める文化 加害を行う権利にフォーカスされてる
女はなるたけ加害しない代わりに自分が加害された場合は怒って外部に助けを求めて良しとする文化 加害をされない権利にフォーカスされてる
男は男文化で育って、多少の加害を受けてもものともしない一方で自分の加害行為に文句を言われると驚く価値観
女は女文化で育って、加害行為を行わない・抑えることに長けている一方でちょっとした加害行為でも受けるとダメージを大きく食らう価値観
男だと「うわっ、ブッサイクやなあ!おめでとう!」みたいなリアクションがまあ許容される (ただこの「ボケ」はガチでブサイクな場合許されない感じがするので、もうちょっと複雑な文脈はありそうだけど)
女でこれやると彼氏の実態に関係なく総スカン食らいそう とりあえず褒めておく・第一声から罵声を浴びせるのはアウトみたいなとこあるイメージ
気軽に何でも言える男文化をとるか、誰も傷つかない女文化をとるか…みたいな話な気がしてる
でも俺は罵倒って行為が好きだからちょっと寂しい気もするんだよな しかしこれは奴隷制を懐かしむ農園主とかそういうアレで全く顧みる必要はない感情なんだろうな
母は承認欲求が満たされないまま老けていった。
母は本当に何もできない人だった。頭が悪いし、専業主婦なのに家事は出来ないし、不器用なので大抵の事は人よりも下手。性格も良いとは言えない。
故に家族を含めた周囲からの評価も、あまり良いものではなかった。
それでもレイク・ウォビゴン効果とダニング=クルーガー効果の典型例である彼女は、自分が何故か優れていると信じて疑わない。
もしくは分かっていて目を背けているか。
「自分はすごい人間だ」「しかし誰も褒めてくれない」が発生したとき、人はおかしくなってしまう。
自分は狂気の始まりに気が付いて、なるたけ母を褒めるようにしてみた。今日の服が似合ってるとか、珍しく家事をした日には称えたり。
しかし母はそれでは全く満足しなかったようで、自分の褒め言葉を嬉しくなさそうに一蹴して、インターネットというものに目を付けた。
まずいつもネットで見ているブロガーに憧れて、ブログをやり始めたいと言い出したのが昨年だった。
しかしながらどうやらアクセスがほぼ0だったようで、モチベはすぐに消し飛んだ。
次にSNSを始めたいと言い出し、Twitterを始めたが、やはり誰からも相手にされなかったようですぐに終わった。
詳しく聞いたところ、自分が映るのは嫌なので、死ぬほど寝起きが悪い増田弟がなかなか起きずに暴れてる寝起き映像でも撮って大儲けしたいとのこと。
ツッコミどころが多い。まず肖像権の侵害だし、タレントでも何でもない一般人の増田弟が布団でうずくまっている映像、一体誰が面白いんだそれは。
しかも自分は映りたくないのに人は勝手にアップロードするっておまえ、
をオブラートに包んで伝えたところ、なら猫なら流行るだろうから猫を飼おうと言い始めた。
自分の承認欲求のために猫を飼おうとするな。動物愛護団体さんこっちです。
しかも驚くべきことに、自分は愛にあふれていて倫理観もあると思っているらしい。怖すぎる。
最近増田でオタクのお気持ち長文を読んでいると、みんなよくやっていると思う。
めんどくせえなとか思わなくもないけど、少なくとも母の1億倍マシだと思う。
自己研鑽をしているか、しようとしていてしきれていない自分を知り、
オタクたち、辛いことはあるだろうが、時々吐き出しながらどうかたくましく生きて欲しい。
そしてどうか脳が衰えてもこういう老け方をしませんように。と願うばかりだ。
未婚化少子化への解決策って保育園や教育費の無償化もそうだが、
いやだってそもそも結婚しないと子供を保育園へ預けるとか学校へ通わせるとかのステージへ辿り着かないじゃないか。
知り合いの独身者とか話してても「金が無いからそもそも婚活できない」(あるいは、婚活が続かない)って聞くんだよね。
結婚相談所や婚活パーティーにかかる費用を支援して無償にしたらいい。
あとデートにかかる費用(交通費、食費、遊興費、ファッションや清潔感身嗜みにかける費用etc…)も支援して無償にすべき。
…まあ完全無償にするのは難しいにしても、これらの費用をなるたけ安く済むようにすべきだろう。
とにかく総合的に「婚活は金がかかる」というイメージを払拭させる必要がある。
Twitterでそれなりにバズってる話題でこんなものがあった。
金融機関で働いている方からDMをもらいました。そのまま掲載させていただきます。これは私の意見ではなく別の方の意見です。私と同じ状況にある方が他にもたくさんいるのです。このアカウントはたった一人の意見ではなく、金融機関で働く多くの方が同じ境遇にあることを知っていただきたいです。 pic.twitter.com/YoEEaVRhhm— 金融機関のコロナ対応について (@P8RqLEQOYPLiCoA) April 18, 2020
https://anond.hatelabo.jp/20200417193708
ようするに、銀行に大した用もなく来るなという内容だ。
このコロナ禍の中でも社会インフラを支える立場として客前に立たなくてはいけない人たちの叫びつづられていて、読んでいるとそれなりに同情的な気持ちになる。
ただその一方で、一見たいしたことのない用で来ている人にも、その人なりに理由があって来ているということを想像してモノを言うべきでは? とも思ってしまう。
私が個人的に思うのは、そうした人たちは引きこもり生活に限界を感じて、しかし行き場がないから銀行に来ているのではないかという点だ。
自分のことを話させてもらうと、私は数年前に精神的に病んでカウンセリング通いをしていた。
今はもうそちらにはお世話になっていないが、それでも人よりメンタルのバランスが傾きやすい部分は治っていない。
とくに同じ場所にずっといると考えがグルグル巡って思い詰めやすい性質だ。
そのため、私にとって外出は心の健康を維持するための必須行為で、外出自粛が求められるようになってからもなるたけ回数は減らしているが程々の外出は止められてない。
なるたけ人のいない公園での散歩などに留めているが、無目的な外出だと頭の中のグチャグチャが晴らせないことも多いので、なんらかの店に行くことも少なくはない。
まあ私のようなキャパシティが極端に低い人間は少数派かもしれないが、コロナ鬱なんて言葉が一般的にも使われているように、外出自粛に耐えられなくなってしまっている人間は既に出てきているし、これからドンドン増えていく。
そして、そうなった人たちは、安全に配慮した上での外出でたまたまコロナに罹る低確率の可能性と、対処しなくては確実に来る精神の不調とを天秤にかけ、冷静なリスク計算として後者への対処を優先し、外にくり出すだろう。
一ヶ月くらいなら耐えられる人も多いかもしれないが、5月6日以降もまずコロナ騒動は終わらず自粛生活は続く可能性が高いので、これは根っからの引きこもり気質でない限り、今は余裕余裕と思っている人も他人事ではいられない話だ。
長期的な目線で言えば、これから先は根性論での外出自粛ではなく、現実と折り合いをつけ、安全と外出の両立をいかに行うかという視点が絶対に必要になってくる。
それで、話を銀行に戻そう。
上述のように、人は外出自粛に対して限界があるにも関わらず、そうした最低限の精神の慰撫のための遊びさえ許さない雰囲気だ。
その結果として、行き場を失った人は銀行のような「用事があって仕方ないんすよ~」という雰囲気を出せる施設にやむを得ずやってくるのだと思う。
そうした人の相手をさせられて感染リスクにさらされる銀行員のような人々には同情する。
中には単純にコロナを軽視して毎日のようにやってくる奴や、安全に配慮しないで大声で唾を飛ばす輩もいるだろうし、そうした人たちはいくら罵倒しても構わないと思う。
ただ、大したことのない用事でも本人なりの理由でやってくる人を非難するのは違うのではないだろうか?
情報を発信する前に、もう少しそういうことに想像力を働かせてみては? と言いたい。
加えてもう一点言えば、もう少し世の中が自粛に耐えられなくなった人の行動も考えた方が良いのでは? とも思う。
冷静になって見てみれば、混んでいて対面でやりとりをする銀行なんかよりも感染リスクの少ない外出先はいくらでもある。
例えば、朝一の喫茶店などの方がよっぽど空いているし、銀行に行くよりも気も晴れるだろう。
ただ、世の中の風潮的にやはりそうした店には行きにくいと感じる人も多いと思われる。
世の中がもう少し程々の外出というものに寛容になれば、人々は様々な空いている場所に散るようになり、感染リスクの分散・軽減につながるのではないだろうか?
コロナ騒動が大きくなってから増田でもSNSなんかでも店員や受付窓口対応の人なんかが「こんな時に来るな、自粛してろ、馬鹿、〇ね!」って愚痴を吐いているのをよく見かけるが、その手の人を見ると想像力が欠如しているんだなーって気持ちになる(愚痴にマジレスするのもアレだが)。
お前のところにやってくる客の多くは、馬鹿でもなんでもない。
実際のところは普段ちゃんと自粛をしていて、その上でその日はたまたま外出してきたって人達なんだよ、と。
まず前提として、政府の掲げた自粛期間でコロナ騒動は終わらない。
そうなるとコロナ騒動が収束しなくても、やらなきゃいけない手続きがたまったり、閉じこもり生活への精神的な限界が来たりで、結局みんな外出するようになる。
それが分かっている人はもう現実的な落としどころとして、なるたけ外出回数を減らして出かける時もマスクや手洗いうがいで安全を考慮しつつ、必要に応じてだったり、たまの自粛の息抜きだったりで、ほどほどの外出をしている。
今、外出している人の多くはそういう現実的な生活と感染リスクとを天秤にかけてその上で外出を選んだ人たちなんだよ。
まあ、中には感染リスクなどどこ吹く風で大した用もないのに毎日やってくるような迷惑な客もいるだろう。
そういう人に関しては好きなだけネットの海の中で罵倒して良いと思う。
解説ありがとう。長文に思い入れというかこだわりのある人だったんだね。今伝わったからあんしんしてね!
私としてはど真ん中ストライクというかナチュラル極まりないなあという肌感覚でいるのだけど、増田みたいな多くの人にとっては外している判定になるらしくて、いつもごめんねって思う。
なんかね、そういう感じの増田定義の「長文」(確かにこれ長文としか言いようがないね、もはやめちゃくちゃ紛らわしい同音異義語の域だね)を楽しみに増田を見にくる勢というのも確かにいるから、日記を書くにしてもなるたけご迷惑をかけないようにしようとは思っているのだけど、そんな思惑とは裏腹に私たちこうして出逢ってしまってほんとごめんね。
割と本気で申し訳ないから普段はあんま表に出さないし、今日はなんか我こそはインターネットなりみたいな気持ちになったので久々に増田にのーみそコネクトしたものの、びびりなのでいっぺん白紙投稿してから時間差で編集使って書いて、五~六ページは埋もれさせといたんだよね。なんで掘り返されちゃったんだろうねこれ。
なんだろう、ちょっとしたギャンブルというか、自分のアウトプットをインターネットのどこかに置き逃げして、誰の目にも止まらずスルーされたら勝ちみたいなのをちょくちょくやってて、今日はチートまでしたのに、増田とかを巻き込んで負けてしまった訳です。未必の故意丸出しでごめんね。
時短復帰の前、総務から「他の社員より勤務時間を少なくさせてもらってるのだから、しぬほどがんばれ(大意)」みたいな説明されたときは正直クソだなと思ったんだよね。
勤務時間少ない分給与は減ってるわけで、ちゃんと代償は払ってんだからトントンじゃないん??なんでより頑張らないかんの?同じ頑張りじゃだめなん???て思ってたんだけど。
でも実務はどうしたって「急な今日中のタスク」が発生するし、自分が早めに上がるぶん、それは他の社員にやってもらわないといけないんだよ。
ごめんね、申し訳ない、ありがとう、って言ってなるたけのフォローはしてくけど、どうしたって不公平だよね。もしかしたらその社員だって口には出さないだけで「今日早めに上がれたら映画でもみよっかな」て思ってたかもしれないじゃん。でも保育園のお迎えのほうが正当な理由として通っちゃうんだよ。
日々の仕事は集中して効率化もできるけど、それって毎日全力疾走ってことでけっこうしんどい。今日気が抜けちゃったから残業してくかー、てのもできない。
支え合いとも言うけどさ、うちの子の手が離れて他の社員が時短復帰したらそりゃあ全力でフォローするつもりだよ。でも子供持たなかったら?ずーっと独身の社員はいつまでも割りを食うだろどうすんだよ、て言われると、まじで良い案が思いつかないんだよ。どうすりゃいいの。
しかも昨日は2年目の社員が当日必須の作業ほっぽって帰っちゃったから(お迎え遅刻してまでフォローしてったのに)、わたしにはその人にちゃんと注意するタスクと、翌日作業するタスクと、各方面にごめんなさいと再作業の調整するタスクが一気に乗るんだよ。毎日効率化(笑)で作業ギリギリなのにね。そこまでしても結局「やっぱ時短の社員は時間の融通効かないし使いづれーな」って思われたら?
しかもさ、真の理由は時短じゃないんだよ。こなせない自分の能力不足なんだよ。できる人もいるんだよ。でもそれで完結しちゃっていいんか?できる人に照準合わせて後を切るのはいまの時代に合ってるん?でもそれってただの自己弁護?
よくわかんないよ、どうすんだよもう。7億円当たりたい。
いつ職場から電話が来てもいいように携帯の電源を入れてなきゃいけない。
映画館でも当然のように、携帯の電源は「ON」だ。バイブモードにした上でポケットに仕込み、ドアの近くでなるたけ端の席に座る。
意識の5%は常にそこに、絶対に100%を画面に向けたりはしない。上映中はスマホを見れない。震動を一度逃せばそこでアウトだ。
我が社では緊急の連絡に応じるのに30分かかったら晒し上げられる。5分遅れても曖昧な情報ながらも「あいつのせいでうちの部署の評価がー」と噂が立つ。
休息はあっても安息はない。
今の私は、映画館に行くことにあまり価値を感じない。映画館のいいところは映画しか見れないことだ。画面に集中できる。否応なく。それがなくなった。
正直、家で見るほうがよっぽど画面に集中できる。大音量の着信音をセットしたスマホを脇に於けば、画面に全ての意識を向けててもすぐに応答できる。
正直、この現状に納得できない。
がめつい言い方をすれば、時間は拘束せずとも精神や即応できる態勢の維持という形での拘束を受けているんだから、金を払ってほしい。いっそ時給の20%や10%ぐらいくれ。払ってくれ。アラームの音を一切気にせず寝られる日曜日を返してくれ。そうじゃないなら金をくれ。
自分は33年生きてきて一度もパチ屋で遊んだことはない。トイレの為入店したことはあるが、そういう男なので、パチ屋の事情はよく知らない。
だがはてブで「飲み会代を代理でクレカ払いして実質現金化しパチ屋へ」という記事を見かけて、疑問が湧いたのだ。
クレカのショッピング枠現金化はダメですよという話はよく聞くし、ネット上でもアマギフやらチュンカやらを経由してそれを実行しようとする人がいるのは知っている。
でもそこまでして現金を調達したがる人は、多重債務で返済に追われている人か、ヤクザのような現金オンリーの闇取引をしている人だけだと思っていた。
パチ屋は三店方式で賭博として扱われないようにズルをしているグレーなビジネスだということは知っている。
調べたらtotoやBIGのようなスポーツくじには使えるし、競馬や競輪といった公営賭博でもクレカは使えるらしい。
また、賭博ではないがいわゆるソシャゲでもごく普通にクレカ決済ができるし、限度額まで使う人の話もちらほら耳にする。
けれどパチ屋でクレカが使えない理由は、少しぐぐった程度ではよく分からなかった。
仕方がないから自分で考察すると、おそらくパチ業界の自主規制なのではと思う。
あるいはカード会社が、パチ屋を反社勢力と捉えて忌避しているかのどちらかだろう。
パチ屋は自分たちのビジネスが、上で挙げたような他の賭博類よりもいかに悪質であるか理解している。
クレカを解禁すると破滅して「被害」を訴える顧客が続出し、当局に見逃してもらっていた立場が危うくなるのではないか。
そうであるとしたら、パチ屋にはぜひクレカを解禁していただきたい。
そうでないと、本当に愚かな人は、負けを取り返そうとして闇金や換金業者を装った詐欺師にすら引っかかるのだ。
パチ屋の問題は、パチ屋自体の悪質性だけでなく、こういう完全な犯罪集団も寄せ付けているところにある。
オンラインゲームが、RMTに手を出してカモられるユーザーを減らすために「公式RMT」とも呼べる仕組みを作り出したように、
なるべく言わないように気をつけたいと思っている言葉が、「自分で選んだことじゃん」ってやつ。
個人的な体験に紐付いてこの言葉をあまり言いたくないと思ったので、簡単な自分語りから始める。
僕は自宅から勤務地までがそこそこ遠い。県を一つまたいで、ドアtoドアで2時間半弱といったところ。
朝は早いし、必ずしも早く帰れるわけでもないので、必然睡眠時間が短くなる。
睡眠時間が短くなると頭は働かないしメンタルの方は弱ってくるしで、泣き言を言いたくなる。
職場まで遠いから寝不足でつらい、と言うわけだけれど、そこで出会ったのが「自分で選んだことじゃん」という言葉だった。
何も間違っていない。間違っていないんだけど、それを言われると本当に立つ瀬が無い。口をつぐむしかない。愚痴くらいは言わせてほしい。
このある種の自己責任論はとても息苦しい。何も言えなくなってしまうな、と思う。
自分の外部の環境に原因を見出して自分は悪くないと言いたくなることや、改善したいからこそ自分の外部の原因を探すことだってあるのに、自分の内面の問題にされてしまうと、甘んじてこの辛さを全て引き受けなければいけないような気持ちになる。
つらいことや失敗があったときに、自分でね、これは自分の責任だって自己帰属するのはいいんです。
ましてや疲れているときなんかは正常に思考が働かないのだから、自分の責任、他人の責任、環境の責任、などをきちんと分けて考えることなんてできやしないんです。
そんなコンディションで「自分で選んだじゃん」なんて言われると、それを無条件に受け入れざるを得ない瞬間だってあるんです。
ということで、自分が嫌だったことはなるたけ人には言わないようにしよう、の精神で、「自分で選んだことじゃん」をなるべく言わないようにしよう、言うにしても状況をきちんと考えようと思ってるよ、って話でした。
この言葉で奮起できるパーソナリティの人や、状況なんかもあるんだとは思うんだけれど、叱咤激励にならないんだとしたら建設的な声かけには微塵もならないような気がしている。
あんまり論が立ってないような気がするし、過去の事例から入場禁止も仕方がないと思われるって明言してるし、特に読んでなさそうだからもう一回言うね。現状刺青の偏見があるとして、それを撤廃するのが喫緊の課題と考えるのはだいたいタトゥーをしている側なわけ(当然なんだが)で、タトゥーをしている側が権利だけを盾に反対意見を封殺するのが認められないとすれば、タトゥー嫌いの側が個人の自由の範囲を超えて他者を傷つける言動や擯斥するような行為も認められないだろうという観点で意見をしているんだけれど……。現在の意識やマジョリティの意見を反映した上で一方は堂々と間違いを犯し、他方は同じことをすれば指摘されるなんて状況をなくしてなるたけ対等な立場で話し合うほうが道義的だと思うな。少なくとも合理的。
前に面白いとはどう感じるか?と吐き出してみようと思ったけど、
前提を一つ書き忘れたのでここで。
人間って、知ってることは思い出せるけど、知らないことは思い出すことすらない。
どこかの巨乳バインバインメガネおさげ女子高校生のセリフみたいな事言い出してるけど、
実際知らない事を伝言ゲームでもしない限り理解できる人はいない。って事を前提にしたい。
まあ、増田じゃ思考実験出来る人ばかりだろうから、理由は言わなくてもいいよな?
言い換えると、どんなにバカでも、それがIQ30切っていようとも、条件としては成り立つという事。
これ言っとかないとしつこく。しかも同じことを何度も聞いては「俺構われれてる」という認知がずれたまま楽しむ人が現れかねないからね。