はてなキーワード: 震災とは
キューティーハニー失速。
ドクタースランプ、ひみつのアッコちゃん振るわず→夢のクレヨン王国に負担がかかる、半年延長。3本まとめ売りのひとつのファンファンファーマシィーじゃ弱い。
神風怪盗ジャンヌって覚えている?
原作者がいるのは面倒なので、八手三郎方式の東堂いづみで、おジャ魔女どれみシリーズスタート。
それなりに続くが設定が窮屈になってくる。
そこで、キャンディキャンディの再来を目指して、ナージャさん登場するも盛大にこける。ナージャバトンとナージャミシンが不良在庫に。放送が遅い宮崎と台湾で在庫処分。
大幅に方針変更して、戦闘を取り入れたふたりはプリキュアがスタート。ナージャさんよりはるかにうまく行く。
年 | タイトル | 特記事項 |
---|---|---|
2004年 | ふたりはプリキュア | 手をつないで変身 |
2005年 | ふたりはプリキュアMaxHeart | 前作の設定を引き継ぐ、追加戦士初登場 |
2006年 | ふたりはプリキュアSplash☆Star | 売り上げ半減でシリーズ存続のピンチに |
2007年 | Yes!プリキュア5 | 戦隊もの風に5人に増殖 |
2008年 | Yes!プリキュア5GoGo! | 前作の設定を引き継ぐ、追加戦士でテコ入れ |
2009年 | フレッシュプリキュア! | ダンス要素を全面に |
2010年 | ハートキャッチプリキュア! | キャラデザ大幅変更。売り上げ最大規模! |
2011年 | スイートプリキュア♪ | 震災が直撃。反目し合うストーリーを大幅変更との噂 |
2012年 | スマイルプリキュア! | 復興に支障がないテーマに |
2013年 | ドキドキ!プリキュア | お金がすべてを解決 |
2014年 | ハピネスチャージプリキュア! | 集団アイドル風の衣装だったが関係なかった |
2015年 | Go!プリンセスプリキュア | プリンセスになりたいとか消化不良のまま終了、Splash☆Star並みの売り上げに |
2016年 | 魔法つかいプリキュア! | ハリーポッター? |
「日本人のみなさんへ。台南地震へ募金なんかするより、台南人がもっと喜ぶ応援方法を台南在住のぼくは伝えたい」
http://maeharakazuhiro.com/taiwan-earthquake-message/
こんな現地住在日本人のBlogがホッテントリにあがってブコメも賛同の嵐なんだけども
たしかに倒壊したビル以外はなんともないのに、大震災みたいに伝えられすぎって違和感はわからんでもない。
でも、まだビルの中に生存者がいるかもしれないこの時点で、募金なんかより観光に来てって、今言うことかそれ?
そりゃ観光関係の人は観光客減ったら困るからそういうかもしれないけど、大部分の台南人は、あのビルはさておき観光ウェルカムって気分じゃないんじゃないの。
みんな貧乏で、高度経済成長期になっても貧乏は続いてて、その貧乏人をどう救うかがテーマで、左翼運動なんか盛り上がってさ。
しかしその救うってのは、貧乏人をみんな金持ちにするとかじゃなくて、貧乏自体に価値を見いだそうとしてたと思う。
それでそういう価値観に基づいて作品作ってた宮崎駿や高畑勲が一躍人気になった。
オウムとかサカキバラとか、病気っぽい事件が起きてさ。バブルの崩壊や震災でみんな混乱してさ。
今度はみんな病人だから、病気っぽいモノに価値を見いだし始めた。
そこからつながる今は何かと言えば、不幸の時代じゃないだろうか。
みんな不幸だから、不幸に価値を見いだす時代。まどマギなんかそうだよね。不幸に妥協してる。
インターネットでメンヘラや社畜やニートの不幸自慢を聞いて、楽しんでいる。
不幸に価値を見いだそうとしてる。
現代は不幸の時代だ。みんな不幸で、不幸しか残されていなくて、それを価値にして生きるしかないんだ。
お前も!お前も、お前も、お前も!
最初はふと1羽が止まっているのが目に入ってぞっとしたんだ。それで鳴き声につられて見回したら全部で4羽もいたんだよ。
それなのに、誰も気にも留めないし、twittEr見ても全く話題にもなってないんだ。
いつもなら1羽でもいようものなら大騒ぎで、東日本大震災の時なんて3羽同時に目撃されたって、一瞬でサーバーがダウンするほどだったよな。
ところが、そう思ってキーワード検索したらそんなtwEet全然見つからないし、おれのtwEet自体も全然書いた記憶のないものばかりで、現在進行形で真っ青なんだが。
そいうえば今朝、とある有名ブクメイトの記事を読んでいたら変な感覚があったのは確かだ。
これからの未来に対するサバイバル方法についての内容だったと思う。
「笑顔で周りの人に声をかけて生きよう」って書かれた、ハイライトされた文字が画面に表示された時にその文字が直接頭に入ってくるような感覚があったんだ。
その瞬間金縛りみたいに動けなくなって、視界がどんどん狭くなってきたから「あれ?貧血か、もしかするとちょっとやばいやつか?」って結構焦ったのは確かだ。
そしたら急に周囲の世界が一回ドクンと波打ったように感じて、その直後には身体の自由も戻った。
少し鼓動が早かったから深呼吸で落ち着かせて、頭や首を振ったりしてみても異常はなさそうだったから、その時は、朝から貧血で混乱したかなくらいに思っていた。
ところが、今さっきその記事のタイトルを探してみたけど見つからないんだよ。
その代わりに、おなじブクメイトが書いた記事を開いてみたら、確かにハイライトされたその文字列はあったのだけどそれ以外の内容がガラッと変わってしまってるんだよな。
今時期ってカラスは餌を求めて太平洋を南下しているはずだよな?
未だに残ってるってことはいわゆるシュレディンガーのカラスなのだから、それってつまり、カラスの持つ量子力学的予知能力によって、この近くに彼らが処理しなくてはいけないものが大量に発生するってことだろ?
それが4羽もいたってことは、近い未来に少なくとも人間で言えば1000人規模で被害者のいる事故が発生するってことだ。
あの震災の時だって、1~2ヶ月前くらいから各地で点々と目撃情報が集まってきて大騒ぎだったじゃないか。
それなのにどうしてみんなそんなにも平然としているんだ?
昨日YouTubeで久々に「あいさつの魔法」のCMを見て違和感を覚えた。自分が記憶しているCMと少しだけ違うのだ。自分の記憶の中では、冒頭の「こんにちは」の「ちは」の部分の音がフラットだったのだが、YouTube上の動画では「ち」で一旦音が下がっている。震災の時期に嫌というほど見ていたCMだし、その後も結構好きで動画サイトで見返したりもしていたので記憶には多少自信があるのだが、YouTubeの動画と記憶とが違っている。
それだけじゃない。今朝歯磨きをしていたら、毎日のように見ていた洗濯機の上面に「ふろ水給水口」と書いてあるハッチを発見した。洗濯機を購入してから4年間、毎日のように見ていた場所なのに今朝初めてその存在に気付いた。
いつもなら「まぁ気のせいかな」と思うんだろうけど、2件、しかも結構記憶に自信のある箇所が違っていたので、もしかすると自分はパラレルワールドにシフトしてしまったんじゃないかと思ってしまった。以前暮らしていた世界とはほんの少しだけ違う世界。思い返せばこれまでにもそういうことは何度もあった気がするけど、自分の記憶違いだと思ってスルーしてきた。でも、実はそれってパラレルワールドにシフトしていたってことだったのかもしれない。
普段はそういうことを信じる質じゃないんだけど、今回はちょっと信じたくなってしまった。こういう経験はよくあることなんだろうか。
父親は震災復興のボランティア?的な手伝いもしているので、たまに福島産のお米をもらってくる。
無論母親はそれを食べることはない。
もったいないから私がもらうよ、というと「あんたそんな汚い食べ物食べるの?!ガンになって死ぬわよ!」とか言う。
まぁ、ガンになって死ぬだろうね。うちの家系ほぼ全員ガンで死んでるし。ていうか多分あなたもガンで死ぬんじゃないかな、いつ死ぬかはわからないけど。
自分が福島産のものは食べたくない、と言って食べないのは自由だからもう勝手にしてほしい。
うっかりままどぉるをお土産に渡したときゴミのような扱いをされたのはショックだったけど、持ち帰って私と旦那でおいしく頂いた。
けど、その時もまず福島に行ったことをこんこんと説教され、おみやげも今この場で捨てて食べてはいけない!とか言い出した。
無関係な他人にまでその生活様式を強要するのはやめて欲しいんだ。
震災の時にはすでに結婚して実家を出ていたけど、出ておいてよかった。一事が万事これだったら耐えられない。
この前親戚が福島出身の女の子と結婚し、その結婚式にも出てきたのだが、帰りの車内は酷いものだった。
デキ婚だったこともあるからか、「あんな土地で生活してる子供なんてちゃんと生まれてくるのかしら」とか平気で言ってる。
日本のメディアを変えてしまうだろう「BuzzFeed Japan」、本日オープン
この人、「数年前にハフィントンポストが日本展開した当初「これは当たらないでしょう」と言って大外しした」と思ってるんだ。へえ。でもあれ、紛れもなく大失敗でしょ? みんなそう思ってないのかな。なんかメディア好きの界隈ってミーハーの割に、客観的なメディア評価ができないよね。(NewsPicksが2ちゃん化したみたいな印象くらいは言えるけど、あれは別に失敗ではない。)
大失敗を予言した大学教員は「それでもやっぱり失敗だった」というブログをちゃんと書くべきだよな。特にオバマ当選の追い風をつくった米国側の思惑としたら、完全に大失敗だと思う。たぶん今は失望で激怒してると思う。ハフポストからバズフィードに主要人材が流れたけど、むべなるかな。
大失敗の表面的な理由は、ジャーナリズム色の強いハフポストのブランドを利用すべきだったのに、原稿の読み書きができないX氏に初代編集長をやらせたこと。彼が「編集方針」のイデオローグを持ち得ないことが致命傷だった。それと彼が集めた人たちには、組織のメンバーとして煮ても焼いてもだめな人が混じってた。
慌てて報道が分かる長野さんを微妙なポジションに置いたけど、もう遅かった。根本的な原因としては、朝日新聞側のマネジメントのレベルが低かったということなんだろうけど、まあしようがないよね。朝日は紙の延命しか考えてないから、腹の中では「ざまあみろ」と思ってたんだろう。
X氏はPVとマネタイズしか知らないし、それしか興味ないから、初代編集長の地位と名誉を得たら、さっさとキュレーションアプリに逃げちゃった。テレビにも出られるようになったし満足。
ただ日本側=朝日新聞のねらいは、最初から完全に社内外のガス抜きだったし、米国側の要求のひとつ(金銭的あがり)を考えればX氏でも仕方なかったんだと思う。結果的には成功といえるのかもしれない(どっちやねん)。
ホントは民主党政権や震災のころのニコニコニュースあたりのジャーナリズムが、ハフポスト日本版には一番相性がよかったのではないか。その点、Y氏あたりは最適な人選だったと思うが、打診したのだろうか。あるいは、このあいだ亡くなった竹田さんとか。
総括した方がいいと思う理由は、バズフィード日本版の失敗が目に見えてきたからだ。バズフィードこそX氏のような人にやらせたほうがよくて、まじめな新聞記者出身のZ氏にはムリだ。むしろ彼はバズよりハフポ向きだったと思う。
エヴァQを今更観て考察を色々読みふけっていたのだけれども、新用語の定義をうんうん唸って考察しているページばかりで、作品のテーマというか結局庵野はこれで何が言いたいわけ?というところを誰も言及していないので自分で書く。
※追記(2016/4/25):はてな内外からたくさんの反響を頂いて驚いた。投稿後、考えが変わったところもある(特に震災の影響を見逃していたこと、ヴィレの分離の意味について)のだけれど、もう一度全部見直して加筆修正する時間が取れない。近いうちに頑張りたい(ここ見てる人も少ないだろうが)。
新劇場版のテーマを考察するにあたって、まず旧世紀版のテーマを確認しておきたい。
結論から言えば、旧世紀版の中心テーマは(1)組織上位の命令とあれば人殺しさえやってしまう人間の悪辣さ、(2)若者を自らのエゴの実現のために利用する大人の悪辣さ、(3)自分の価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全、(4)馬鹿は死ななきゃ治らない、の4つである。以下詳述する。
旧世紀版において明かされる最大の謎と言えば、使徒とヒトとがほとんど同じ存在であるということである。そのことはミサトの台詞から良く分かる。
「私たち人間はね、アダムと同じ、リリスと呼ばれる生命体の源から生まれた、18番目の使徒なのよ。他の使徒たちは別の可能性だったの。ヒトの形を捨てた人類なの。」
そして第24話において登場する渚カヲルに至っては、ヒト以上の容姿、能力、パーソナリティを持つ魅力的な存在として現れた。そのことはシンジも認めるところで、以下のように述べている。
「そうだ。生き残るならカヲル君の方だったんだ。僕なんかよりずっと彼の方がいい人だったのに。カヲル君が生き残るべきだったんだ」
しかし周知のように、シンジはこれを殺してしまう。TV版第25話第26話は主としてこの懺悔に費やされるが、そこで繰り返されるのは、ヒトを守るためには命令通りにカヲルを殺害するのは仕方なかったという言葉である。
シンジ 「結局、僕はこれに乗るしかないのか?好きな人を殺してまで。父さんやみんなの言う通りに、またこれに乗って戦えっていうの?母さん、何か言ってよ、答えてよ」
ここには、人殺しさえも上の命令であれば仕方ないとしてしまう人間の悪辣さが表れている。
そしてこの人間の欠陥は、エヴァンゲリオンの元ネタとしてしばしば監督自身が挙げる、岡本喜八『ブルークリスマス』、富野由悠季『イデオン』で繰り返し述べられるテーマでもあり、その両者の背景にあるのは第二次世界大戦である。
なお、エヴァ以降の作品であるが、インドネシアの大量虐殺を扱ったドキュメンタリー『ルック・オブ・サイレンス』においては、被害者の遺族になぜ家族を殺したと問い詰められた加害者が、シンジと同じ言い訳をしているのが分かる。
旧劇場版では、上記のようにシンジにカヲルを殺害させ、深い絶望(=デストルドー)に陥れ、そのデストルドーをトリガーとしてサードインパクトを引き起こしている。
その動機は、ゲンドウについては「ユイに再び会いたい」というもので、ゼーレにいたってはキリスト教的な原罪観から、人間を贖罪させたいというものである。どちらも身勝手な発想に基づくもので、到底人類全てを滅ぼす理由とはなり得ない。
ここには、若者を自己のエゴの実現のために利用する大人の悪辣さが表れている。
なお、エヴァには影響は与えていないが、深作欣二『仁義なき戦い』においては同様のテーマが描かれていて、その背景にはやはり第二次世界大戦がある。
周知のように、シンジは自分の価値をエヴァパイロットであることにしか見出せず、それを失って人に見放されることを非常に恐れている。
TV版最終話はほとんどこのテーマについての議論に費やされている。その一部を引用する。
以上のような問題を抱えた人類は、旧劇場版においてサードインパクトに突入し、シンジとアスカ以外全滅してしまう。
生き残ったシンジは、隣に横たわるアスカの首を絞めてしまう。これは(解釈の余地はあるが)シンジの対人恐怖症がまったく解決されていないことを意味している。馬鹿は死ななきゃ治らないのである。
以上の点を踏まえて、エヴァQでは旧世紀版のテーマをどう扱っているのだろうか。
結論から言うと、シンジは相変わらず人を殺し、大人に利用されている。これは旧世紀版との比較を表にしてみると分かりやすいかもしれない。
旧世紀版 | 新劇場版 | |
---|---|---|
殺した対象 | カヲル君(をはじめとする使徒) | ニアサードインパクト震源地の付近住民 |
殺害の正当化理由 | 上位の命令に従っただけであり仕方がない | 愛する綾波を救うためであり仕方がない |
罪の代償 | 深い絶望 | 周囲の非難 |
贖罪の方法 | 戦自に殺されることを望む | 2本の槍と13号機で世界の修復をする |
上記行為の結果 | ミサトに自殺を阻止され、戦地に送られるが、デストルドーをゲンドウ(とゼーレ)に利用されてサードインパクトが発動。人類はシンジとアスカを除いて滅亡。 | 世界修復の希望をゲンドウに利用されて、フォースインパクトが発動。目の前でカヲルの首が飛ぶ。 |
主な変更点としては、①殺害の正当化理由が「上位に命令されて・・・」という消極的なものから、「綾波を救う」という積極的なものに変化したこと、②贖罪の方法が自殺という消極的なものから、世界の修復という積極的なものに変化したこと、が挙げられる。
さらに、③「(3)自分の価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全」という問題がほぼ扱われなくなっている。
これらの変更の結果、エヴァのテーマは(その善し悪しはともかく)矮小なものとなった。すなわち、旧世紀版においては第二次世界大戦により露わとなった「人類の問題点」ともいうべき大問題が扱われていたのに対し、ここで扱われている問題はあくまで「シンジの問題点」である。このことは、愛する者のために人殺しをしてしまうというのはいかにもフィクションが好みそうなところで、現実でこれが問題となる例は少ないということからも分かるだろう。
さらに、「(3)自分の価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全」という問題がほぼ扱われなくなったことでテーマはより普遍性を失っている。
上記の点を踏まえた上で、なぜテーマの変化が起こったかを考えてみると、私はエヴァの成功と自身の結婚が背後にあるのではないかと睨んでいる。
エヴァの成功により庵野は自身の生きる価値を見出すことができ、「(3)自分の価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全」という問題が解決できてしまった。
さらに結婚により、人殺しの正当化理由として「愛する者を救うため」という理由が俎上に載ったものと推測される。
Qの次回予告においては、次回作では「ファイナルインパクト」が起こることが示唆されている。しかし、それが仮に起きたところで解決される問題は、上記のようなシンジ個人の問題点で、我々からするとどうでもいい問題である。次回作はかなり小規模な作品になるんじゃないかと個人的には思う。
調べたけど好みな作風だった。読んでみる。
あと言いたかったのは、震災の影響で東京はこんなやばい状態になるのか、って目に見えてわかったのが
日本の人にとって衝撃的だったのではないかってこと。
僕は「一度崩壊した世界で生きている人々」を見るのが大変好きだ。
キッカケは何だったのか定かではないが、思うに「クロノ・トリガー」の未来編や、古代編が非常にインパクトがあった気がする。
加えて僕自身は3.11の大震災で、都内を5時間歩き自宅まで戻るという体験をした。
あのときの物資がない、移動手段がない、何もかも止まっている、という現象は大変インパクトがあった。
それは多くの日本人がそうだったと思う。
あのとき確かに「今そこにある自分の日常世界の崩壊」を見たのだ。
そして崩壊後の世界でどうやって生きよう?と過ったに違いない。
映画ではわりとある。アメリカのテレビドラマでもあった(レボリューション)
というか僕が無意識にそういうのを選んでいた気はする。
ということでそういうジャンル(なんと例えているのか知らないけど)が増えればいい。
もしくは教えてプリーズ
(追記)
興味ある人も多いようなので参考になると嬉しい。
気に障られたら申し訳ない。
んなわけあるか、程度に思っていただければ。
どうしてもあれを直視できない。
うまく言葉に出来ないがとにかく消化不良になるのだ。
やめようと思えば思うほど感情移入を止めることができなくなってしまい、普段ちょっとした行動をきっかけに被害者のことを思い出してはまるで隣にいるような気分になってしまうのだ。
夢のなかにだって当然のようにでてきて苦しみと未練を語りかけてくる。
昔の人はそれを霊感と言ったのかもしれないが今日びお祓いやおまじないでどうにかなるとは思えない。
極力テレビは付けないようにしている。
それでも気づけば流れていることもあるし、ポータルサイトでタイトルが目に入ってきてしまうこともある。
あれだけテレビに流れ続けているということは大半の人が目にしているということであるし、それなりにニーズがあってのことなのだろう。
それはわかるが、どうしてそもそも知る必要のないはずのもう取り返すことのできないその人の人生を目の当たりにして平気でいられるのだろうか。
震災のときにもダメージを受けたし、消費税増税も大ダメージだった。
よくある「優秀な人ほど早く転職していく」方式に習って、現在は40~50代の中堅社員が全く居ない。
残っていた30代社員もちらほら辞め始めた。
何よりたちが悪いのは下々から「無能」の烙印を押されていた人間だけが
上層部に残っている。
いい人やデキる人は辞めさせられたのだ。
そうなるとしわ寄せはこちらにやってくる。
無理難題の押し付け、何をしたいのかさっぱりわからない新規案件。
経費削減を叫ぶ割に上層部は経費で飲み食い。
社員に何も言わずに知人の子供を雇ったり、意見する人間や女性社員を
イジメで辞めさせていく。
好き放題やりたい放題だ。
誰も止められない。
こうなってくるともう怒りどころか乾いた笑いが出てくる。
これが終わりの始まりなんだろう。
俺は辞めるぞジョジョー!
最近、いや結構前からか、アニメが地方UHF局のような局でしか放送しなくなった(MXとか)。
人口の大多数(もしかして、国民の99%が)がそういう電波を受信出来るエリアに住んでいるからいいのかもしれないが、少なくともここでは受信出来ぬ。
メディア側の人の話として、先日「円盤を買って頂かないと」とか、「円盤が売れるのを前提にアニメ化してる。円盤でコストを回収している」なんて事もちらほらネットで見た覚えがある。
中身試聴すら出来ない、見られてないのに、円盤買えるわけ無いっしょ。
じゃぁ衛星でも受信すりゃいいじゃん、とよく言われますが、アンテナ出すだけでNHKの料金が馬鹿高くなる。
パソコンでTVを見たくない(画面が小さい)、というのと回線が遅いという。
アクトビラくらいはなんとか見られる環境にあるのだが、それ以外のネットTVはうちのAVシステムでは無理。
そもそもADSLなので厳しいところがある。
ちらっと広告を見てると「光TV」みたいに、光回線とセットらしいが。
じゃぁ、光にすればいいじゃん、今時、ともよく言われるが、光回線維持費高いヨ。
現在ADSLで2000\/月なんで。一戸建ての光回線引いたら維持費は倍以上。
光も「高速」とか言われるけど、1Gbpsなんて使わんだろう。使い切ってる人いるのかな。瞬間最大でその付近まではいく事は有るだろうけど。
通常使用ではADSLのダウンリンク速度(ウチの所は平均8Mbps。契約は12M)で十分で。
そうだなぁ、現状プロバイダから提供されている光回線速度である1Gbpsの)の1/20~1/10、50~100Mbpsででいいから、維持費を半額で。維持費まで1/20~1/10とは言わねぇよ。
未だにADSLを使い続けている人達はけっこういると思うけど、同じなんじゃないかな、と思う。
個人的には、震災を経験して、光回線の災害に対する弱さを見てしまったので、通信インフラの確保としてね。
(PSTNだと、電話線からの給電で電話が通じるとか、切れた時の復旧の早さ(むしろ、光回線の復旧が遅かった)とか)
まぁ、NTT的にはPSTNの維持が困難になりつつあるから、いずれは廃止だろうけど、「無駄に見かけだけの高速を求めてるんじゃなくて、通常使いやすい速度での安価な提供」を求めている事に気が付かないと、光回線への移行は遅々として進まないと思う。日本企業のくそったれなところだよね。白物家電やAVで海外に負けた理由が分からんのか、と。
そういうわけで、ネットTV系も選択外にいるが、維持費予算さえ許せば選択肢の中。
なんだかんだと、アニメオタのつもりだったが、(日単位で)リアルタイムで見られなくなったアニメが多く、しかも円盤を買わないと見られないアニメばかりになったせいか、アニメから遠ざかった自分でありました。再度書くけど、中身を吟味も出来ない状態で円盤は買えないよ。
テレビを見ていて、震災だなんだと出てくれば、そのストーリーはただただ綺麗事ばかりだ。震災で失ったものは、物と人だと、けれど毎日前へ向かって進んでいくのだと。
私は「被災者」と自称するのがあまり好きではない。その理由も含め、書いていきたいと思う。
東日本大震災が起こったその日、テレビでやるようなドラマティックで素敵なことなんて、そうそう起こらなかった。
あたりの店では揃いも揃って食品類の値上げをした。購入者側は買って食べなければ生きていくことができないが、あちらは高い値段でも売ることが出来るからなのだろう。小さな袋に入った菓子の詰め合わせが、¥1200。店主も生きるための術だ、とその時は割り切っていた。
とある避難所では、一人一つと決められ配られていたおにぎりを、一人何個も持っていく人が居た。
知り合いに貸した石油ストーブは、復興しようとしている今でも返ってきていない。
なにも、被災者が皆そろいもそろってこう言ったことをしていたと言いたいわけではない。ただ、テレビの「ドラマティックで感動的なストーリー」だけがある訳ではないと、知ってほしい。
被災者 という言葉が好きではないと書いたが、この原因もまたとある被災者たちによるものだ。
支援物資は本当にありがたいもので、避難所などに沢山届いた。避難所で生活するのはひどく苦しいものだが、支援物資が山ほど、それこそ選び放題と言えるほど届いていた。次第に避難所生活をしている一部の人々は「何かを無償でもらうこと」に慣れ、それが当たり前になっていった。
ニュースなどで「まだ仮設住宅へ移れていない人々がいる」と聞いたことはないだろうか。避難所で生活していた知り合いは、自ら仮設住宅へ移ることを拒んでまで、そこてま生活を続けていたが、それにはこんな理由があるのだという。
避難所の方が、支援物資が届くから。無料でそれを、貰えるから。
私はひどくぞっとした。甘やかされて、こう考えたのだろうかと感じた。
家が流されたという証明書を持って床屋に行き、「無料にしてくれ」と訴えた女性がいた。「被災者だから」と言って、他の生徒の分として渡された支援物資を、盗んだ同級生がいた。
私は当時学生だった。震災から半年ほど経ったある日、学校宛にクリアファイルの支援物資が届いた。中には当時人気だったキャラクターや国民的な人気を誇るキャラクターのものもあり、じゃんけんで分けることになったことがある。ここまではなんら変わりないことだと思うが、その時同級生が話した言葉に、幼いながらに驚いたことを私は覚えている。
「家が流されたから、おれ最初に選びたい」「家が流されたから、あたしあれがほしい」。
家が流されたから。その理由で、自分がほしいクリアファイルをその二人は受け取っていた。
その時から、私は自身を「被災者」と自称するのが恥ずかしくてならない。被災者と自称すれば、私は「被災者だから優先してほしい」とワガママを言っているような気分になるからだ。
何も、被災者がみんな、こう言ったことをしていたと言うつもりはない。本当に感動的なことだって起こったし、自分ではなく他人を優先していたような人だって、沢山いた。私もこの目でちゃんとそれを見てきたし、ちゃんと分かっている。
それでも、私は「被災者」として、このようなことがあったことを伝えたい。感動的な出来事ばかりだったかのように報道するテレビ局に腹が立って仕方ないのだ。あなたが会った被災者は本当に可哀想で仕方のないようなひとだっただろうか。