はてなキーワード: 違和感とは
それだけで四谷大塚のようなひどい性犯罪はほぼなくなるんだよ。
でも今は日本版DBSの議論で子供の安全のためなら権利の制限も仕方ないってみんな思ってるよね?
それならもう一歩踏み込もうよ。
それにこれは小児性愛者の人たちを守ることにもなる。
それはわかる。
だから前者の人が後者にならないように子供から遠ざけてあげるべき。
男女平等?なんてどうでもいいよ。
もううんざりなんだよ!
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・
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やっぱり賛同の声が多い。
今いる男性教員を首にするわけじゃなくて新規採用を止めるようなのを想定してる。
採用ハードルが一気に下がるので一時的にはレベルの低い教員が増えるかもしれないけどそのうち問題なくなるはず。
これは気づかなかったけど確かに。
保育士が圧倒的に女性なのは違和感ないし男性が入ると反発がある世界。
これを小学生〜中学生〜高校生へと拡大するイメージで考えれば女性だけでも違和感ないと思う。
でも99%減らせたらすばらしくない?
草。
まじめに答えると数としては増えるけど男性のそれと同じになるとは思えないよね。
その通りだとしても、それなら男性ならではの問題点もあるはずだしなにより性加害以上の悪影響があるとは思えない。
言って聞かない子はどうしようもない。
警備員のような役割だけ安全保安要員とかいって男性にやってもらえばいい。
上に同じく警察へ。
(言ってみたかっただけ)
それが男性教員によるものより多いとかなんかそういうデータあるんですか?
(言ってみたかった2)
それはとっくにある。
全然違う話だよね。
ふわっとしてるね。
まあわからなくもないし男女の教員がいることは大事だと思うけど子どもの安全と天秤にかけたらどちらを優先すべきかは明らかだと思う。
あくまで子供の安全のためのやむをえない権利制限の話をしてる。
基本は男女平等だいじ-⭐︎
数年前に岡山に引っ越してきて、初めて知った催し物に「うらじゃ」というものがある。
初めて出くわしたときはなんかそういう伝統があるんだろうなと思ったが、ボーっと見ているとなんとなく違和感があった。
よく分からない歌に合わせて派手な化粧と法被を着た団体が何やらオリジナルっぽい踊りを披露している。
違和感の正体がよく分からなかったが、無理やり言語化するなら「なんかぼやっとしてる」
あんまり明確に決まりがないのか、踊り方とか音楽とかもそれぞれのチームごとにバラバラで、鳴子みたいな楽器を持ってたり持ってなかったりする。
伝統的な踊りというよりもなんか「体育祭の出し物」って感じなのだ。
その場で調べてみると発祥は1994年、なんと平成に入ってから当時のYOSAKOIブームに乗って作られた行事との事で納得がいった。
岡山で暮らしているとこの「うらじゃ」が話題に上ることがあるが、岡山県民といえど温度感は様々だ。
まずうらじゃを踊っている層を見れば分かることだが、ヤンキー、元ヤン層はわりと素直にうらじゃを受け入れ、何なら仲間や同僚とうらじゃを楽しんでいる感じ。
地元の大学生なんかもうらじゃサークルみたいなものがあるらしい。
一方で、偽物の伝統行事とか、人に見せるほどのものじゃない、とかかなりバッサリ切り捨てる岡山県民もいて、これは比較的高齢者が多い。
うらじゃが成立する前から岡山で生活していれば、あのあからさまに人工的に作られてなんとなく伝統みたいに受け入れられてる行事にうっすらとした嫌悪感を感じるのは当然かもしれない。
自分も最初に違和感から入ってしまったから、正直あんまりうらじゃをいいものだとは思っていない。
わざわざあれをやりたいとか見に行きたいという人の気持ちは全然わからない。
当日は駅周辺で通行規制がかかって面倒だったりもする。
成立自体はパチモンだが何となく一体感と所属意識を醸成するための行事としてはきっとある程度成功していて、成功しているからこそ「なんかキモいな」という感想になる。
元増田のヴィジョンに従うと、台湾問題、南シナ海や尖閣等の領有権問題、インドとの国境線未確定問題、等をプー&中共が解決するモチベーションは低いことがわかる。
本来は政権打倒や内部分裂につながる国内不満分子の注意を、自国外に向けることができるからだ。
また、もし台湾侵攻が現実化し、ウクライナ問題のように戦闘が長期化すれば、プー&中共が恐れている質の低い人民を違和感なく削減するチャンスが得られもする。
アトムやブラックジャック等の手塚スターキャラ達が総出演するアニメ映画『海底超特急マリンエクスプレス』がアマプラにあったので見ると、ルパン3世の音がする。
どのシーンを見ていてもこの音がするのにルパン3世じゃない違和感がすごい。
ルパン3世対手塚とかじゃないの?いつルパン出てくるの?って気がしてしまう。
何でルパン三世の音が?昔のアニメって全部この音でした?って違和感すごかったので調べてみたら作曲家が大野雄二でルパン三世と同じ人だった。
うちの会社の社内ポータルには投稿機能があって、営業部のイベントの宣伝とか役員のメッセージとかそういうのが流れてくる。
中には、ブログみたいに日記のようなものを投稿する人もいるけど、そういう人の中に「壊れちゃってる」人が結構いる。
要は、会社の制度に共感しきれないほどの怒りをぶつけたり、私怨のようなどす黒い感情をぶちまけたりしてる。
で、そういう壊れちゃった人たちになんとなく共通点が見つかったので、垂れ流してみたい。
そういう人たちから感じるのは、長いこと「所属している組織で、あまり良く思われていない」こと。
ものすごく嫌われているわけではないが、「ああ、あの人は・・・」みたいな扱いをずっとされてきたんだろうなあ。というのが伝わってくる。
その結果、本人が自分の周りと比べて「自分は評価されていない・不当な扱いを受けている」と感じ続けた結果、壊れてしまうというもの。
それは、退職を決意するほどでも、メンタルヘルスを害して休職に至るほどでもないが、ただ「ゆるく」さらされ続ける
手厳しく会社を糾弾する彼ら・彼女らが会社を愛していないのかといえば、むしろ逆で、「この会社で働いていること」を誇りに思っていたふしすらある。
この会社で働いていることは、彼ら・彼女らのアイデンティティの大部分を締めているし、自分が社内で発揮してきた能力に自身を持っている。
ただ、その「能力」はほとんどが過去のもので、現在の事業や社会においてはさほど役立つものではない。ようは陳腐化した能力なのだ。
このミスマッチ(と本人の資質?)からくる低評価をどうしても受け入れきれず、「可愛さ余って憎さ百倍」状態で、会社を批判する。
これは、まったく根拠がない決めつけだ。
上記の社内ポータルには、社員のプロフィール機能がり、(やろうとおもえば)自分の顔写真をプロフィールに登録することが可能である。
つまり、ここに書いている人たちの一部は自らの顔写真つきプロフィールを晒した上で、自分のような赤の他人に「壊れている」なんて評される投稿をしているのである。
そんな顔写真を見て、なにか得体のしれない違和感に襲われていたが、その違和感の正体が「目の焦点があっていない」というものだった。
あっていないというかは、「本来合わせるであろう場所にあっていない」というのが正しい。
顔写真なので、証明写真であっても自撮りであってもカメラマンに撮影されたとしても、カメラで撮影するので、カメラのレンズの場所を見るはずだ。人と正対して会話するときに相手の目を見るように。
だが、彼ら・彼女らの写真はなぜか「カメラのレンズに目を合わせている痕跡」がなく、もう少し先の別の何かに焦点があっている。
この現象が、本当に「壊れてしまうこと」と何らかの因果関係があるかは、調査してみたい。
散々書いてみたけど、別に彼ら・彼女らに何か不満や文句があるわけではない。乏しめたり同情する意図もない。
ただ、誰しもこうなることはあり得るし、本人は本人で悲しみや苦しみを抱えているのだろう。そういう想像力だけは持っていたい。
が主に挙げられてると思っている
前者は最近はASDとADHD、その併発型で分けられる事は大分増えたけれど、その内部ではやっぱり相変わらず一括りにされている感じ。
ADHDと一括りにされる中でも、その症状って多岐に渡るし、それらが併存している人もあれば一部しか当てはまらない人だっているじゃん。
全部を「発達障害」に括るじゃなくて、例えば不注意症とか感覚過敏症とか多動症とかに分類するんじゃ駄目だったんだろうか。
自分の場合、不注意や感覚過敏はあっても、物静かでおとなしくて多動傾向は全然ないので、ADHDと括られるには違和感あるんだよなー
私は子供の時から授業中の他の生徒達のお喋りが本当に駄目で、テストの成績は良かったけれど学校の人間関係は全く上手く行っていなかったし
その後就職してからも同様の状態で、周りがうるさすぎて耐えられず首になる事を繰り返している
で、小中学校時代に授業中に騒いでいたようなクラスメイトが、普通に仕事して家庭を築いて成功しているものだから物凄くやるせない。
で、後者も前者にある意味連動していて、「発達障害」に括られる特徴が発現するか否かって、やっぱり環境に依るところが大きいとしか思えないんだよ
全部が全部先天的だなんて思えない
スケジュールに余裕がなくマルチタスクを強いられる職場だったらミスが増えたり
オープンオフィスだと聴覚過敏で苦しむけれど個室なら快適だったり
「少年」とは別に「少女」という言葉があるのに違和感があるだろう。”年が少ない人物”の基礎が男に置かれ、別途「少女」という言葉が用意されている。
ある人が、「1般人」とか「1定」と書いてて、これは流石に違和感がすごかった
白鍵の音を一つ鳴らせば何の音かは分かる。黒鍵は怪しい。
和音も知ってるやつなら分かるかもしれない。適当にグチャッと鳴らした音は全く分からない。
ギター弾いててなんかチューニングズレてるなというのは分かるけど、高いのか低いのかは分からない。まして数ヘルツの違いとかは全く分からない。
ごく普通の絶対音感だと思うけど、これって音感というか単に記憶なんじゃないかって気もする。
音を聞いても素直に音階が浮かばない時、おれは展覧会の絵の一音目のGを頭の中で流す。他にもっと好きな曲なんかいくらでもあるけど、なぜだかこれが一番明確に思い出せる。そのGを頼りに、相対音階でつじつまを合わせていく感じで音階の見当をつける。
これって絶対音感を働かせてるのとはなんか違うよなって感じがある。単なる音の記憶と絶対音感の違いが何かって言われたら分からないんだけど。正確な絶対音感を持つ人の身体の感覚を体験する事なんてできないし。でもカゼ薬飲んで音が低く聴こえるようになった時は滅茶苦茶気持ち悪かったな。通学する時にイヤホン刺した途端滅茶苦茶違和感があった。
「一度聴いた曲ってその場でリプレイ出来るんですか?」「音が分かった所で細かいフレーズとか全部覚えきれない」
いわゆる持って産まれた超正確な絶対音感持ちの人はこういう事を言うらしいけど、いや分かるのは分かるのかよって思う。人体の神秘を感じる。
よくある耳コピってピアノでメロディだけとって適当にコードガチャガチャ鳴らすようなのが多いけど、ああいうのすごいダサく感じる。おれは初めて聴いた音源を親だと思う習性があるので。絶対音感持ちの人が正確に再現したらもうちょっとかっこよくなるんだろうか。そもそもバンドサウンドとかをピアノ一台に押し込むのがナンセンスというのもあるけど……
おじさんが学生の頃はゲーセン全盛期でね、対戦してて怒号が飛んだり台パンなんて日常茶飯事だった。
灰皿だって円盤みたいに飛び交ったし、モニターを割る猛者も居たもんだ。
それなのに今はどうだ。
ストリートファイターの新作が大人気ということでようつべでも盛んに対戦動画が配信されているが、負けたところで怒ることもなければ台パンなんて全くしない。
それはもちろんいいことなんだけど、なんだろうな…
なんだか違和感があるというか本気で悔しくないのか?と心の片隅では思ってしまっている。
昨今では感情を露にするのはよくないよね、みたいな風潮がある気がする。
でも本気でやっているなら、怒ってもいいような気もするんだ。
本当に気持ち悪い。
普段はこんなところで愚痴るタイプではないが、いくらなんでもこんな曲がバズっているのに全然嫌悪感を覚えた人の意見が見つからない状況は違和感がすごいので書く。
https://www.uta-net.com/song/327063/
※ここで文の表層しか読めない人が「曲中でロリコンは汚物扱いされており讃えられてなどいない」と反論してくる。バーカ。「(助かる~ゥ)」がその扱いに対するお前の感想なんだろうがよ。
tiktokでバズってる切り抜きの冒頭10秒の部分だけでも、触って逮捕までされたロリコンに対しロリがわざわざ獄中まできて相手してる状況が描写されており、この時点で常識ある大人は首を傾げるはず。
あ駄目だ真面目な口調でこれ以上書けない
ごめんなさーいじゃねえよそんな軽いノリで済んだら警察はいらねえよ
おいロリコンお前らが標榜してたあのさっむいスローガン言ってみ「YesロリータNoタッチ」よく言えましたねこれ嘘だったんですね~
そもそもメスガキ概念自体気色悪いよな。女児を力で征服したいロリコンの欲望を掻き立てる言動をすることで抜きやすくセットアップした女児像だぞ
それなりにIOSYSの曲聞いて育っただけにまさかジャニー喜多川も総括されるこの令和の世になってからライン越えてくるとは失望です
オタクが言う「曲が良い」って意味ねえよな。だってオタクが「曲が悪い」って言ってるとこ見たことないもん
でもMVはいいですね。1枚1枚実力のあるアニメーターが描いたのでしょう。非常にキレが良いしどこを切り取っても可愛い。
厳密に言うなら、日本人がようやくパクチーの魅力に気づいて広まってくれて良かった。
一時期はタイ料理やメキシコ料理の店に行ってもパクチーが抜かれていることがあって本当にショックだったな。
カレーライスみたいな日本人向け加工の過程なんだろうけど、そこまでやったらもう別物過ぎないって疑問が凄かったよ。
今は色んな店が気軽にパクチー入れるようになってくれて助かってる。
スーパーの生春巻きやサラダなんかにも入ってきてくれるし、料理が苦手な自分でも日常的にパクチーが食べれて幸せだ。
美味しいのに食わず嫌いする人が多いんだよね。
自分も最初に食べたときはちょっとだけ違和感あったけど、二度目にはスッカリはまったよ。
」
こうするとどうなるか?
「パクチーが広まるとか辞めてくれよ……」
「好きだったタイ料理の店がパクチーバカバカ入れるようになって食えなくなったわ。お前らのせいで好きな店が潰れたようなもの」
「パクチーはアレルギー物質みたいなもんなんだから商品の警告欄に入れろ」
これを見て「やっぱ皆嫌いだよね😀」と人知れずほくそ笑むわけですよ。
わざと半分だけ間違っていることを言って完璧な正解を探すテクニックの応用ですかね。
これ特に相手が人格や法人格を持っていて誹謗中傷から起訴に発展しかねないときに有用なんすわ。
だって傍目には自分は単にチョット過剰なファンに過ぎないわけで、通報すべきアンチはそれに載っかってアンチコメ書き込んだ人でしょ?
扇動するだけしておいて無関係を装える無敵パターンの完成ってこと。
漁夫の利猟法みたいな感じですかね。
コロッセオの観客みたいな気分ですよ。
赤と緑のライトで状態を表す家電品が増えたので、色覚異常が原因で日常生活に支障が出る事が多くなった。
例えば充電器は「赤が充電中」「緑が充電完了」な製品が多いが、色の判別が出来ないので諦めて半日充電するとか。
色覚検査をして、出来たのはレンズがピンク色のサングラスみたいな物だった。
・小学校時代のトラウマ「石原式色覚検査表」の丸に、数字が見えた
・毎年デパートで見かけた緑色の謎看板に、赤文字で「Merry Christmas」と書かれているのが見えた
色覚異常の話題で見る「写真を2枚並べて、片方に特定の色を重ねる」画像は、今まで大抵同じ画像に見えていた。
もしかしたら色覚レンズで見るピンク色の見え方が正しく、今までピンク色が認識出来ていなかっただけで、世界はピンク色だったのかもしれない。
しかし景色がピンク色で上書きされるので、違和感がひどい。白米や紙などの白色がピンク色になる。
発達障害の人は非凡な才能があり、それをいかして仕事をしているというキラキラしたストーリーを見かける。
私はまったくそういうのがない、何も取り柄がない普通の発達障害。そして、障害の程度が中途半端すぎて障害年金も障害者雇用も福祉サービスも引っかからないので、普通の人より出来ない健常者として生きていかないといけない。そんな中途半端な障害者の紹介がないので、人生のロールモデルがいなくてこの先どうしていけばいいのか悩んでいる。50年近く生きていき、理解ある彼君は一度もいたことがないため、お一人様の老後を過ごすことは決まっている。
私が間違えたのは、診断を受けたことと、それに起因して自分が出来ない人と思いこんでしまったことではないかと思っている。
大学時代に違和感があって発達障害の診断を受け、知り合いのつてで就職した。事務アシスタントと清掃の仕事だが、簡単な仕事だけを行っていた。ここは障害をオープンにして就職したので、一応の障害の配慮はあった。
しかし、配慮しすぎたのか、簡単な仕事をずっと続けることになった。変化がよくないということで新しい仕事であったり、スキルの獲得ということがなかった。なので、15年間同じ職場にいたのだが、スキルの獲得もなく、キャリアアップとは程遠く、昇給も賞与も手当も一切ない状態だった。
給与は上がらないのか?という相談をしたことがあったが、「時給換算をするとパートの時給を上回るのでこれ以上は上がらない」というよく分からない回答をされて、それ以上何も言えなかった。というか、私はもしかしてパート職員だったのか?という疑問が今でも残る。
経済状態がギリギリすぎて、二次障害の鬱が悪化した(後にこの鬱は双極性障害の鬱であったことが分かったのだが、15年の勤務のうちに鬱だと思っていた二次障害は双極性障害になっていた)。経済的安定を図るために手帳を取得して、障害者控除と障害年金を取ることを主治医から提案された。
手帳を取得し、年金を申請したが年金は落ちた。たぶん、不登校であったり、休職をした期間がないからではないだろうかと予測される。年金申請時の私の状態は、仕事は辛うじて行っていたのだが、自宅では寝たきりで生活はほぼ出来てなかった。食事や身辺の清潔さを保つことができず、帰ってきて布団の中に入ってそのまま動けなくなっていた。
当時、私が住んでいた県は精神障害の人への年金支給がとても厳しい所だった。それもあるかもしれない。
手帳を取得したことにより、障害者控除を受けることで住民税の非課税世帯になった。非課税世帯になっても私の手取りは12万円程度だったので、一週間で使えるお金は4000円程度しかなく、この経済問題が私の鬱の悪化を加速していたように思う。この時の私は貧困妄想が過度に酷く、いかに迷惑をかけずき死ねるのをずっと考えていた。アパートの廊下は壁際しか歩けず(気をつけないと無意識に外側へ踏み出しそうになる衝動を抑えていた)、ベランダ側の窓は閉め切っていた。
ここまでしても15年も同じ所にいたのは、自分はここ以外では働けない、ほかの職場は障害に理解してもらえず、さらに精神的に悪くなると思い込んでいたのと、職場の人に思いこまされていたということがある。
友人が転職をしたことで、転職の仕方が分かった。転職サービスに登録したが、全てに断られた。何もスキルがなく、無駄に15年を過ごしていたので当たり前だと思う。障害者用の転職サービスにも登録したが、ここもすべてお断りをされた。中途障害の人を求めているのではないかと気がついて、絶望したことをおぼえている。
転職活動を2年以上して、在庫管理の仕事へ転職する事ができた。障害はクローズドで健常者のふりをして転職をした。初めて、手取りが20万以上になって、あんなに酷かった鬱が和らいで安定したことに驚いた。
結局この仕事は2年ほど働いて、さらに健常者として転職した。今度は清掃がメインとなる仕事であるが、新卒から約18年ほどで初めて定期昇給、退職金、通勤手当、確定拠出年金がある仕事に就くことができた。前職より手取りは少し減ったが、昇給があるという安定感が今の精神的安定に少し役立ってる。
私みたいに中途半端な障害程度な人は健常者の振りして普通のまともな企業に新卒で入って、スキルを獲得するのがよいと思う。それか、診断が在学中にでたら、就労移行支援を受けて、大企業の障害者雇用に潜り込むのが一番よいように思う。
私のようになにも取り柄のない発達障害は本当に中途半端すぎて生きにくい。なので、新卒カードを無駄なく使わないと、私のように無駄に若い時を過ごしてしまうことになる。