はてなキーワード: 観光とは
休日の昼間のテレビで「このお店やすーい」「このお店美味しい」「この遊園地おもしろーい」・・・
全部東京の話ばかり!!
アド街ック天国!?一地方の一商店街の話題を全国放送する必要あるかっ
ディズニーランドのお得情報!?東京(千葉)まで行くのにどれだけ交通費かかると思ってんだっ
いや、在京キー局が作った全国向けの番組なら宣伝でもまだ堪えられる(アド街は週遅れ放送という訳分からん形態だけど)。
平日夕方のローカルニュース枠にまで東京が進出してきやがった。
「地元の安売り情報」「地元のおいしいお店」「地元の観光情報」を流せばいいんだよ。
なぜに地方局のスタッフと経費使って都電沿線のおいしいお店の情報やはとバスツアーのお得情報を放送しなきゃならないんだ。
地方局のアナウンサーに「都電沿線のお店のコロッケ、美味しそうでしたねぇ」って言わせてどうしようってんだ。
そんなもん別の時間帯の在京テレビの全国番組でいくらでも同じ内容流してるだろ。
ローカル枠まで進出してくんな!
東京うぜー
金沢市観光協会 - 金沢観光これが定番 http://www.kanazawa-kankoukyoukai.gr.jp/model_01.html
[Yahoo!知恵袋] 茨城水戸から石川の金沢に行く手段を教えてください http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1419922369
兼六城下町 ホテル兼六 http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/65441/65441.html
深谷温泉 元湯石屋 http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/50577/50577.html
KKRホテル金沢 http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/9335/9335.html 金沢国際ホテル http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/165/165.html
終わりがいつかわからない時点で、いつが折り返しなのか不明なんだけど、何度か火葬場で骨を拾ってみた経験から思ったことを書いてみます。
朱印帳とか愛用のカバンとか棺にいれてあげたけども、最後は手ぶら。
車があろうと、本が山のようにあろうと、ゲームが積んであろうと、服がたくさんあろうとも、持っていけないよ。
お金があったら安心かもしれないけど、死んだ人のお金を残った人で分けているってことは、今持っているお金はこの世のものなんだろう。
これまではいろいろと買ったり貯めたりする人生だったけど、これからはいつか死ぬ日に向かってものを手放していく人生だ。
大好きな服は、体型がスマートなときに着たいし、素敵なガジェットも旬のうちに使い切りたい。
読みたい本は、読みたいときに読む。
一番大好きなものに気持ちを注いで、だんだんと身軽になっていければ、いいんだろうな。
自分がこの世に生まれてきたのは何のためか。
星新一的なストーリーだとこの世界を生きることは全然別の世界からのバーチャル観光旅行だったりするのかもしれない。
そんなぶっ飛んだことを考えても空想しても仕方がないので、やなせたかしさんが作詞したアンパンマンのマーチの歌詞を噛み締めながら、「自分がこの世に生まれてきたのは何のためか。」を考えていこうと思う。
「なぜ反原発と叫ぶのか」の僕なりの分析:堀義人氏
に対して、一原発者として反論してみる。
原発推進にいろいろな理由があるように、
反原発にもいろいろな理由があって、
僕以外の立場もたくさんあるとは思うけど。
①電力が経済に不可欠なことを理解できない。
電力が経済に不可欠なことを理解し、経済の重要性を認めた上で、
今受けている恩恵を捨て去ってでも、原発はなくさなければならないと考える人もいる。
もっと分かりやすく極端に言えば、今の職を辞めて、自給自足の生活をしなければならなくなってでも、
原発はなくさなければならないということだ。
自分の都合で原発を推進する人には、考えもつかない発想かもしれないが。
原発の場合、事故が起こった時に、その地域に人が住めなくなる、
単に死者だけの問題ではない。
⑤この機会に人気を上げたい
これは半分そうで、半分当たらない。
数十年単位で考えれば、科学技術が発展してこの問題は解決するだろう。単なる時間の問題。
今はまだ非現実的だろう。
しかし、原発にかけてきたお金と時間が、太陽光発電や蓄電の開発にそそがれてきたならば、
今、どれだけ変わっているだろうかと思わずにおれない。
⑧放射線に関するデマを信じている人(奇形が生まれる、東京が放射線で汚染されている等。事実は、東京の放射線量は、香港よりも低い)。
なぜここで「東京」が出て来るのだろうか?
今回の事故は、数県にだけ大きな影響を与え、それ以外の県では今のところ大きな影響にはなっていないように思える。
数十年後にどういう影響があるか分からない。
レベル8とか9とか、新たに作成する必要があるような事故も考えられるのだから。
⑨CO2を過少評価している人
CO2はたしかに大きな問題で、
反原発と同じぐらい強い思いで、CO2を減らさなければならないと思っている。
ただ、CO2を減らすために原発をと考えるべきではない。
別の道が今ないのであれば、それを作ることに全力を挙げるべきである。
当然だが、原発をなくすべきという僕の主張は、多くの主張の一つにすぎない。
CO2やゴミの問題、社会保障や政治、経済活動に対する見方など、たくさん主張があって、
そのうちの一つにすぎない。
いい機会なので、原発についてネットでもテレビでも、本音で討論したらいいと思う。
ネットでもある程度探したけれど、現地のフリーペーパー(日本語)が確実
現地で日本語だけでもやっていけるらしいし、待遇もしっかりしている
やってられないね
でさ、ふと海外に目を向けたのよ
したらさ、中国はちょっとやだなと思ったんだけど、シンガポールは金持ちだらけなんでしょ
サービス業のアルバイト経験たっぷりあるし、現地に日本食レストランも増えている
人手足りないっていうじゃない
日本でフリーターのようにアルバイトで食いつなぐなら、シンガポールで食いつないでもいいんじゃないかなって
なので、日本よ、さらばなのじゃ
若者が途上国に出稼ぎにいく時代が普通になるんだろうなって思うよ まじで
第一号かな
http://anond.hatelabo.jp/20110518225550
http://www.fastpic.jp/images/483/4388343666.jpg
今回の訪台では気合いを入れて台北觀光護照 (Taipei Pass) なるものを購入してみた。バス・捷運に乗り放題で5日間有効券の場合700NT$。台北は市内交通が安いので、ぶっCHAGE元を取るためには相当ヘビーに使い込まなくははらずそれほど割安ではない。しかし悠遊卡のように残高を気にする必要がなく、また一日票のようにバスが別件バウアーになったりしないので精神的に楽だろうと思っていたのだが、後から振り返るとそれは大いなる間違い・セザールであった (後述) 。
台北の原宿 (ホントに地元の人がそう呼んでいるのかは知らない) ・西門町に来てみたが、時間が早すぎたのか店は開いてないわ人はいないわと散々だったのでスタバで休憩しただけで引き上げてしまった...
http://www.fastpic.jp/images/046/1674902554.jpg
読めないんだけど、WiFi充実してまっせ的な
http://www.fastpic.jp/images/309/6930533542.jpg
http://www.fastpic.jp/images/368/6866033828.jpg
http://www.fastpic.jp/images/887/5768784286.jpg
http://www.fastpic.jp/images/900/9070790027.jpg
アニメとかゲームが充実しているヲタショップビル。ビルは開いていたが、各ショップはほとんどが開店準備中だった。早すぎたんだ... っ!!
http://www.fastpic.jp/images/963/9376592120.jpg
http://www.fastpic.jp/images/059/4945101504.jpg
余談だが台北のスマフォ普及率は異常。もはや誰もフィーチャーフォン (笑) なんぞ使ってなかったと云ってもいいくらいで、ほとんどの人はHTCかアップルを使っている。Xperiaもよく見かけたが、Galaxyを使ってる人を見たのは6日間で2人だけだった
http://www.fastpic.jp/images/736/7613276665.jpg
http://www.fastpic.jp/images/844/8404981894.jpg
http://www.fastpic.jp/images/144/7494518659.jpg
USと同じくメニューにはトール 〜 しか掲載されていないが、頼めばショートも出してもらえる。60NT$。日本より安いがUSより高いんだNE
http://www.fastpic.jp/images/932/3273998486.jpg
http://www.fastpic.jp/images/805/0540681331.jpg
なんか見覚えのある看板
どう考えてもバスで行くべき場所にあるんだが、観光スタート直後でまだ若干ビビッていたため捷運の忠孝新生站から15分近く歩いて到着
http://www.fastpic.jp/images/806/2660481425.jpg
http://www.fastpic.jp/images/522/3232259077.jpg
コテコテなプランだが鼎泰豊に来てみた。人が多く、入店したい旨どうアピればいいのか解らずビビるが、なんのことはない、入り口にいる店員さんに声をかけると「ニホンジンデスカ? 」と云われるので満面の笑みでハイッと応えればおk。写真付きのメニューと伝票を渡されるので、自分の順番を待っている間にじっくりと喰いたいものを選ぼう。
http://www.fastpic.jp/images/266/8636423115.jpg
テキトーに選んでみた麺
http://www.fastpic.jp/images/490/2099745374.jpg
小籠包。メニューには10個入りと記載されていたが、半分にもできますと云われたのでそうしてもらった。味は新宿髙島屋で喰うのと変わらんw
ちなみにテーブルを担当してくれたカワユスな店員さんが歯列矯正していて超絶に萌えた (私は歯列矯正フェチである) 。この後気づくのだが、台北では実にたくさんの人が歯列矯正しているようで、体感遭遇率は東京の数十倍以上。フェチにとっては天国であった
http://www.fastpic.jp/images/006/3610407900.jpg
やっぱり東京より安いですね。あと、サービスチャージがかかるんだNE
http://www.fastpic.jp/images/357/1795835658.jpg
御手洗は二階にある
http://www.fastpic.jp/images/216/4611826945.jpg
鼎泰豊からすぐのところにある永康15。マンコかき氷が美味いらしいので来てみた
http://www.fastpic.jp/images/835/0543480524.jpg
キウイとイチゴとマンコのかき氷をチョイス。写真では解りにくいと思うが、量が尋常じゃない (丼に入ってるくらいの大きさをイメージしていただきたい) 。こんなに喰えるかボケー級の憤りを感じなくもないが、食べ始めてみると常軌を逸する美味しさにザクザクと食が進み、結局 完食してしまうのであったw
http://www.fastpic.jp/images/264/5476926974.jpg
http://www.fastpic.jp/images/914/3461493023.jpg
喰い終わったのでバス停への道すがらパチリ。台湾はNexus Sも売ってるしWP7も選べるしでスマフォ天国でございますね
さて、九份へ出発するタイミングでいよいよ、ビビッていてもしょうがないのでバスを使い始めることにした。バスを避けていてはどこへ行くにも捷運の駅を基点に移動しなくてはいけなくなるので非効率である。どのバスに乗るかの判断はiPhoneのマップに任せればよい。現在位置から目的地までを経路検索すれば乗るべきバスの番号までガイドしてくれる (都市によってはバスの時刻や料金まで表示されるが、台北ではそこまで詳しくは出なかった) し、乗車中も現在位置を表示しつづけられるので「どこだここわ」状態にならず心強い。これから海外各都市へ旅行される諸兄においては、事前にその都市内の2地点間で経路検索してみて、どこまで詳細に表示されるかを確認しておくことをお勧めする。
台北のバスで当初解らなくて困ったのは、乗車時に支払う (もしくは、カード探知機にピッとかざす) のか、降車時に支払うのかの区別の仕方である。旅の後半でやっと気づいたんだが、運ちゃんの頭上に「上車収票」もしくは「下車収票」と表示されていて (上下車収票と書いてあって、上下の文字は片方のみが点灯している) 、上が乗車時、下が降車時であった。これを発見するまでは他の乗客の真似をしていたのだが、ジモティーですら間違えるくらいだったのでけっこう困った。
そして、ここで台北觀光護照の問題が出てくる。これ、バスも乗り放題だから小銭用意しなくていいぜイエーイなどと驕り高ぶっていると、対象外区間でテンパることになる。今回の旅だと九份へ行くバスと、淡水でのバスは対象外であった。で、台北觀光護照が使えないならいくら払えばいいんだ、という話になったときに運ちゃんとコミュニケートしなくてはいけない。大事なことなので何度も云うが、バスの運ちゃんに英語が通じたらラッキーである。結論としては、悠遊卡を残高に余裕を持たせて運用する者が勝ち組である。
http://maps.google.com/maps?f=q&q=25.110092,121.845276%20%28224台湾新北市瑞芳区瑞金公路%29
目指す地点はここ。経路検索で指示されたとおり、捷運の忠孝復興站近くのバス停から1062番に乗り込む。上記のとおり台北觀光護照が通用せず、いくら払えばいいか解らずテンパるが、運ちゃんが料金表の102という数字を指さして教えてくれたので、110NT$を投入 (お釣りは出ないし両替機もないので硬貨の持ち合わせがないと悲劇。悠遊卡を使う方が圧倒的に楽である) 。
http://www.fastpic.jp/images/113/0361316588.jpg
http://www.fastpic.jp/images/517/5751958912.jpg
http://www.fastpic.jp/images/734/6413378908.jpg
1062バスの車窓から。高速を降りると町並みがどんどんアニメみたいになっていって期待が高まる
http://www.fastpic.jp/images/234/6443227427.jpg
http://www.fastpic.jp/images/977/2767698574.jpg
http://www.fastpic.jp/images/493/2349341186.jpg
http://www.fastpic.jp/images/716/8621276341.jpg
http://www.fastpic.jp/images/533/0373455668.jpg
http://www.fastpic.jp/images/847/5704381180.jpg
http://www.fastpic.jp/images/654/6405261721.jpg
なんだか知らないけどそこかしこでジブリ音楽のオルゴールCD的なの (千尋に限らず) が流れている
http://www.fastpic.jp/images/914/7481494772.jpg
http://www.fastpic.jp/images/069/8976506677.jpg
http://www.fastpic.jp/images/703/3370574412.jpg
http://www.fastpic.jp/images/244/7404524182.jpg
http://www.fastpic.jp/images/244/9444422766.jpg
http://www.fastpic.jp/images/975/9597992217.jpg
http://www.fastpic.jp/images/846/9634285700.jpg
http://www.fastpic.jp/images/814/0451582821.jpg
豎崎路をいったん通り過ぎてさらに進むと展望台みたいに開けたところに出る。この眺めを見ながらの告白であればフラれても悔いはないだろう
http://www.fastpic.jp/images/292/7279320733.jpg
http://www.fastpic.jp/images/408/1890049284.jpg
http://www.fastpic.jp/images/590/4029659904.jpg
http://www.fastpic.jp/images/546/2614753877.jpg
http://www.fastpic.jp/images/531/0143759918.jpg
ごちそうを味わいます
http://www.fastpic.jp/images/429/8972343235.jpg
http://www.fastpic.jp/images/044/0464304219.jpg
http://www.fastpic.jp/images/574/4417454169.jpg
http://www.fastpic.jp/images/677/5717761303.jpg
http://www.fastpic.jp/images/243/6314827691.jpg
〜 つづく 〜
よくわからないけど、カネのない地元がいやで関東に逃げ出せたんだから、結果オーライじゃないの?
逃げ出したくもなくて、カネがないのも嫌なら、カネがまわる産業を作り出せば(観光でも工業でも農業でも中身はなんでもいい)気に入らない誘致は必要ないよね。
原子力発電所とは違うかもしれないけど、まともな産業のない便利な田舎にはラブホテルが並ぶ。景観もクソもあったもんじゃないだろうし、地元の人で気持ちのいい人もあんまり居ないだろう。日本中でそんなの当たり前だと思う。
不便でも発展してる街だってたくさんある。
「福島」(?)が発展しないのは、「カネのない地元がいやで関東に逃げ出す」人たちが文句を言うだけだからじゃないかな。文句は言っても言わなくてもいいけど、変えたいなら変える努力をする。努力せずに変わって欲しいなんて、甘い。(そして、多くの田舎の人は、考えが甘い。甘いから田舎になるのかもしれないけど)
田舎の人が思ってる以上に、都会の人はキビシイ環境で生きてきてるんだよ。常に競争社会に置かれ、教育を受け損ねれば(=高校中退とか)、最底辺で生きていくかアウトローな社会で生きて行くことを強いられる。
イナカモンが、イナカモンと笑われるのは、イナカモンだからだと思うんだけどな。
http://anond.hatelabo.jp/20110412222610
原発は金で人をそんなクソみたいな土地に結びつける。観光も、農業政策も、ふるさと創生(笑)も。
そういう土地の人はもちろん「わかってて」原発や観光や大企業を誘致した。
実際どれくらいわかってたのかは分からないけれど、ある程度は分かってた。分かっていなかったとしてもそれはもう、自己責任の範囲だ。
特に原発は反対運動が盛んで、だから、ひどくなるから誘致をやめようという説得材料を、得ようと思えばいくらでも得られた。それでも、もちろん個々人では反対していた人がいるだろうが全体としては、クソを拾って生きていこうと、自分から決めたはずだ。
(ははは、そう国や電力会社はもちろんそれを隠していたし、自己責任と言うにはあまりにひどい被害が出ているし、だから訴えることも出来るよ、それで何が取り返せるか分からないけど)
綺麗な空気はある。星はたくさん見える。でもそれはその土地に住む人たちに価値をもたらすが他人にはもたらさないので、お金は生まれない(観光で得られる収入くらいだ)。
そんな生活が嫌なら、その土地から出ていくしかない。その土地には、金持ちのクソを拾うだけの価値しかないのだから。
仕事がないというのはそういうことだ。
みんな、早く出て行った方がいい。「ふるさとを捨てる」という言葉に罪悪感を感じる教育をされて洗脳されているけれど、できればなるべく若いうちに捨てた方がいい。歳をとってからでも、捨てた方がいい。
もちろん、自分がやりたい仕事をそこで出来るのであれば、その場所でがんばるのもいい(それが出来ていれば本人はそれをクソを拾う仕事だと否定的にとらえたりしないだろうし、そうなればそれは実際に糞尿を拾う仕事であってもこの文章で言うところの「クソを拾う仕事」ではない)。もしできなければ、そしてクソを拾う仕事を辞めたければ、泣き言を言って金持ちから施しをもらうのではなく、クソを拾わなくてもいい生活が出来るところに引っ越した方がいい。
ずっと昔、まだ子供だった頃、私は自分が住む県に原子力発電所があることを知った。
「お父さん、原子力発電所って怖くないの?危なくないの?」
「安全ということにはなっているけどねえ・・・ホントのところはよくわからないかもしれないねえ」
「でも電気がなかったらテレビが見れないからぼくも困るしなあ・・・原子力発電所に反対している人は、電気がなくなっても困らないのかなあ」
「あそこで作っている電気は、全部東京のほうの人たちが使っているから、実はあの発電所がなくなっても、このあたりに住む人は困らないんだよ」
「ええっ、じゃあ自分たちが使えない電気のために、ぼくたちはちょっと怖くても危なくても我慢してるってこと?なんで?なんでぼくたち、我慢してるのに、あそこの電気使えないの?」
「東京のほうが人がたくさん住んでいるから、電気もたくさんいるんだよ。だから福島に発電所を作らせてくださいって、頼まれたんだ。あの発電所はそうやってできたんだよ」
「ふーん、頼まれただけで、怖くても我慢したんだ?」
「お金がなくて、働きたくても働けない人がたくさんいるような場所では、発電所ができれば、それだけみんな助かるんだよ。お金ももらえるし、働く場所ができるしね」
「なるほど、よくわかったよお父さん」
私は心から納得して、うなずいた。
そのことを私は、小学校に上がる頃には、もう学んでいたと思う。
私が住んでいたのはとにかくとんでもないど田舎で、地元の人間のほとんどは、ペンションとか民宿とか土産物屋とか、観光で飯を食っていた。
「えー嘘でしょ、このへんて民放が2局しか映らないんだ、ありえなくないー?」
「買い物行きたくても店がねえよ。よくこんなとこに住んでいる奴らがいるよな」
「夜まっくらだわマジで。おかげで星は綺麗だけど」
「あ、みてみて、子供だ、田舎の子供がいるよー、あの子とかほっぺた真っ赤だ!」
観光客というのは、そんな風に好き勝手なことを言ってこちらを指さして、けたたましく笑う人種で、正直いけ好かないと思ったことは何度も何度も何度もあったが、なにより彼らはありがたくも私達に金を落としてくれる存在だったので、にっこりと笑って愛想良く対応するのが地元の人間の義務なのだということを、私は小さい頃から叩き込まれて育った。
その日、私達は軍手をはめ、ゴミ袋を持って、ジャージ姿で地元の観光スポットに向かう。観光客のために用意された「豊かな自然に包まれて森林浴を楽しめる美しい散策コース」に転がっているゴミを拾わなくてはならないのだ。
空気も水も緑も、自然は確かに美しいが、そこに落ちているゴミは汚い。カラフルな空き缶や、菓子の空き箱なんかを拾うのは、それほど辛いことでもないが、べっとりと食べ残しがこびりついた弁当の空き箱やアイスクリームの容器や湿って黒い液がにじみ出ているタバコの吸殻は、軍手越しとはいえ、触るのも嫌だった。
一番気が滅入るのは、木々の間に白っぽいものが広範囲に撒き散らされているのに気づく時だ。白っぽいものというのは、つまり大量のティッシュで、その下にはたいてい、大便かゲロが隠されている。我慢してティッシュを拾ってもその下からゲロや糞が出てこない時があって、当時はずいぶんほっとしたものだが、数年経って初めてコンドームを見たとき、同じようなびろびろしたゴム製品をティッシュの下から拾ったことがあるのに気づいて、あれは青姦の跡だったんだと知った。
私はゴミ拾いが嫌いだった。嫌いだったけど、これは誰かがやらなくてはならないことだとも、思っていた。
そして、誰かがやらなきゃいけない汚れ仕事ををやる羽目になるのは、金がないほうの人間なんだということも、よくわかっていたのだ。
だってしょうがない、ゴミを捨てる奴らにはにっこり笑って愛想よく振舞って、ゴミを必死に拾い集めて、そうやってやっと、私達は金にありつけるんだから。
観光客(東京のほうからやってくる大事なお客さん達、というのが私の認識だった)は多分みんな、自分たちが撒き散らかしたゲロと糞と精液を、子供たちが始末することになったなんて知らないし、知りたくもないだろう。
彼らが覚えているのは、自分たちの楽しい旅行の思い出だけで、気軽に捨てたゴミのこと、指さして笑った田舎の子供たちのことなんて、綺麗に忘れてしまっているだろう。
糞を人任せにするというのは、そういうことだ。
だけど出した糞を任されたほうの人間は、決してそれを忘れない。少なくとも私は、自分が拾ったゲロと糞と精液のことをしっかりと覚えている。
だから私は、原子力発電所という、どうやら怖くて危ないらしいモノが福島にあると聞いたとき、ホントに心底納得したのだ。
金がないってのは、そういうことだよな。
本当なら近寄りたくもない、悪臭ぷんぷんの糞でも、金が貰えるなら拾い集めて握り締める。
多分それは[取引]だと言われる。もしかしたらその取引は不公平なものだったってことが、後になったらわかるかもしれないけど、その時は[お互い様]だったと思われるだけだろう。
私はそんなのはちっともお互い様とは言わないんじゃないかと子供の頃から思っていたし、今も思っているけど、それでもきっと、どうしようもないことなんだろう。
なんせ金がないんだから。
私の生まれた場所には、生まれる前から原子力発電所があって、正直それが嫌で嫌で仕方なかったけれど、でも多分、そうやって糞を拾い集めて金にありつかなければ、私は生まれることも育つこともできなかったのかもしれない。
ただ私は、他人の糞を任されて生きるのは嫌だった。
今私は、関東に住んでいる。
東京に憧れがあったわけじゃない。私の育った場所には金もなくて仕事もなかったからという、ただそれだけのことだ。
結婚もした。相手は関東の人間だ。友人のほとんども、関東に住んでいる。
震災の後、原発で事故が起きて、毎日何もかもどんどん悪化していくばかりで、だけど私はなんせ関東に住んでいるから、仕事も家もなくならなくて、普通に生きてる。
「もうダメだよ、宿泊の予約は全部なくなったよ」
「今年が終わる頃には、何人か首くくるんじゃないかなー。俺もね正直、ペンション建てるのに組んだローン、どうすればいいかわかんないしね」
なんでだ、と思う。あの原発で作られた電気を、お前は使っていなかったのに。
大学に行くために家を出て、それからずっと関東で過ごしていた私は、毎日毎日、電気を使いながら生きていた。
無駄遣いした電気も、たくさんあった。その電気がどこで作られているかなんてことを、私は考えもしなかった。
子供が生まれたら、私は時々、田舎に連れ帰るつもりだった。自分が遊んだ場所で、遊ばせてやりたいと思っていた、でもダメだ、もうできない。
私は未だに甲子園では福島の学校を応援する。だけどきっと私の子供が福島の学校を応援することはないだろう。
私はやっと、自分が糞を人任せにする人間になっていたことに気づいた。
だからたぶん、私の生活は変わらないんだ。家も仕事も家族も失わずに、生きているんだ。
涙が止まらない。
喜べばいいのかもしれない、もう私は他人の糞を握りしめて生きる側の人間じゃなくなったんだから。自分が他人に押し付けた糞のことなんて綺麗に忘れてしまえばいいのかもしれない。
ただ、涙が止まらない。
会津に観光旅行に行った。会津地方で観光客が激減しているというニュースを月曜日にみて、折よく暇だったため翌日朝一の電車に飛び乗り2泊3日の観光旅行、昨日7日夜東京の自宅に帰り着いた。せっかくなので、一観光客が見聞きした会津の現状や観光したうえで感じたことを書きたい。無計画性が災いして時間が足りず磐梯には行っていないので、会津若松と喜多方のみの話となります。
# # #
1.地震の被害
会津若松駅前の地下道が冠水、未だに復旧せず通行止めであったり、マンホールが隆起していたり、蔵の土壁が壊れていたりと、地盤のよい会津地方も少なからぬ被害を受けており、極一部の観光スポットが休業している。とは言えその数は少なくまた有名どころはたいてい営業しているし、会津内での交通インフラも問題ないので、観光への影響は少ない。
2.原発の直接的影響
大気中の放射線測定値についてはさすがに東京より高く毎時0.2マイクロ・シーベルトあたり(健康には問題のないレベル)だが、野菜や水からはほとんど検出されていない。
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/index_php/info_hazard/view.php
ちなみに、現地の某ラーメン屋に入ったら使用している野菜の原産地をしるす貼り紙があったんだけど、そのなかに福島産の文字がない。つまり暗に福島産は使ってないですよと言うアピールをしていて、なんかすごい切ない気持になった。
3.観光産業の現状
機会があればなるべく現地の人と話すようにしていたんだけど、異口同音さっぱりお客さんが来ないとのこと。前年比で95パーセント減と具体的に数字を挙げてくれた方もいた。これから景気は悪くなるだろうし、外国人観光客も減るだろうから、地震前に戻るというのは何年たっても無理かもしれないが、さすがにこの減り方は異常事態。しかもゴールデンウィークの予約もキャンセルが相次いでいるということもあり、その異常事態のおわりが見えないことが怖い。しばらく続くとバタバタとお店が倒れてしまうかもしれない。
4.今観光すべきなのか?
しかし、このような惨状を見聞きしながらも、会津を助けるために今すぐ観光すべしと人に強く勧める気に僕はなれない。理由はふたつ。今一番困っているのは被災民なのだから、観光する暇と金があるならボランティアしろよ寄付しろよという正論がそのひとつ。そして会津地方は避難民を多く受け入れているというのがもうひとつの理由。関係ない所で自粛だの不謹慎だのと言うのはバカらしいが、さすがに避難民の目の前で呑気に観光と言うのは気がひける。じゃあどうすればいいのか? 現地の人にいろいろ話を聞いてみて思ったのは、今観光客が激減していることよりも、その異常事態のおわりが見えないというところに不安を感じている様子だった。ならば、被災者避難民に配慮しつつ、会津人の不安を解消するには、この異常事態には終わりがあるんだよというメッセージを送ればいいのではないかと思う。それにはちょっと先、例えばゴールデンウィークのホテルの予約を入れるというのがいいんじゃなかろうか。先が見えれば会津の人も安心すると思う。もちろんそこまで被災者避難民に配慮する必要はないよと言う人は、空いている今が好機だと思うので、どんどん行った方がいい。じっくり見学ができるし、スタッフさんと話し込むことができるし、サービスしてくれる店もあったし、写真も撮りやすいし。酒造りはほとんど終わっており、桜はまだと言うことでオフシーズンなのが残念ではあるが。
5.アクセス
東北新幹線・東北本線が運転見合わせで、東部鉄道だと時間がかかり、高速バスはキャパが少ないということを考えると、現状では車で行くのがベターかなという印象。車がなければバスにするか、新幹線・東北本線の復旧待ち。郡山・会津間を結ぶ磐越西線も現在間引き運転中。まあゴールデンウィークまでには意地でも復旧するでしょう。
# # #
以下蛇足。ガイドブックではそれほど注目されてないが印象に残ったところをいくつか、ご旅行のご参考までに。
A.さざえ堂(会津若松)
平面六角形の木造二重螺旋建築。前々から見に行きたいと思っていたもので、今回会津旅行を即断したのもこれがあったから。世界に類をみない奇妙な建築物でありながら、中を廻れるというのが魅力。ずいぶん痛んでいるが、昔から多くの人が入ったという証左であり、歴史の重みを感じる。10年くらい思いを熟成させかなりハードルが上がっていたが、それをはるかに上回る感銘を受けた。
B.長床(喜多方)
新宮熊野神社の拝殿。イメージとしては木造のパルテノン神殿(ただし規模は劣る)といった感じの、壁のない建物。70年代に解体修理復元工事をしており、建材は再利用しているものの建物自体は古くはない。しかし、中にのぼれるという魅力には抗しがたいものがある。また木造の大鳥居も時代がついていていい。
蔵座敷で有名な甲斐本家だけど、注目は売店のなかにある螺旋状の吊階段。彎曲した側桁が一枚で、しかも曲げたのではなく削り出したのだという贅沢なつくり。店主が話好きのおじさんで、面白い話が聞けた。
名物輪箱飯(わっぱめし)の元祖。値段は高いが当然のようにうまい。カウンターの隣には、とある形をした黒塗りの木造が鎮座ましましている。珍妙なことに、その木造には色々な国の紙幣が貼ってあった。訊くと、賽銭感覚で外国人観光客が貼っていったものらしい。ちなみに、2泊3日の旅行中外国人を一人も見かけなかった。
地震の話が多くて、Twitterに張り付いてるのもなんだか気が滅入っちゃうし、友達も少なくて外にも出にくいし、誰にも求められてないけどだらだらと私の恋の話をしようと思う。ソーシャルメディアと恋。
多分というか絶対、本人が読んだらわかるだろうけど、もし万が一読んでも、知らないふりしてね。
その人とは1度しか会ってない。去年の夏に、1度。たった2時間。
友達が留学していて、長期休みのときに彼女を訪ねて遊びにいった。
多くの時間はひとりで観光していたのだけど、一緒に夕ごはんを食べようと約束をしていた日に急に彼女に大事な予定が入ってしまった。
お店キャンセルしてもいいよ、と伝えたのだけど、いやあそこの料理はおいしいからぜひ食べて帰ってほしい、ちょっとどうにかするから、と言われて、とりあえずひとりで向かった。
予約人数を変更してくれるんだろうと思ってた。でも、彼女の「どうにかするから」はそういうことじゃなかった。
今考えるとよくわからないけど、とにかく、異国の地でおいしいごはんを素敵なレストランでいただきました。初対面の男性と。
常日頃からそれが恋になるかはともかく、その人のことがすきかどうかは数分話したらわかると思ってる。
基本的に男の人と話すのってあまり得意でなくていつもびくびくしてしまうんだけど(彼を派遣した友達のこともいっしゅん呪った)すごくすごく楽しかった。
けっこう長く滞在していたなかでも、その夜は特別に楽しかった。
少し話しただけで、この人とは合うな、ってわかった。
気が合う、と言ってしまうのは簡単だけど、そのとき感じてた感情のディティールってもっと身体的なものな気がする。
言葉の選び方、声の出し方、話のテンポ、話題の変え方、「それで思い出したんだけど」のジャンプの程度。
環境もすごくよかった。
夏の夕方から夜にかけて、空は広くて色がきれいに変わっていく時間で、風が吹いてて、料理もワインもおいしかった。
たまたま日本に来る前に知り合っていた人が彼の長く会っていない友人だったりした。
あの日あの天気じゃなかったら気分は違ったかもしれないし、共通の話題のフックがなかったら話が盛り上がる糸口がなかったかもしれない。
もう、タイミングですね。タイミングがとてもよかったのです。そうとしか言えない。
君とは同じにおいがするな、あははわかります、私もそう思ってますよ、だよねわかるよ、また会おうね、と言葉を交わして別れた。
予定がなかなか会わなくて、そのまま帰国した。
もっと仲良くなりたい、とたぶんお互いに思っていて、特段用事もなくチャットするようになった。
「まだ起きてるの?はやく寝なよ」「もう寝るよ!今日オンラインになるの早いね、なにかあるの?」「うん、今日友達の…」。
彼がログインするのを待ってるから最近夜更かしなんだよな、と気づいたときに、ああこれはやばい恋かもしれない、とはじめて思った。
SkypeもGtalkもFacebookも、オンラインになるととても嬉しい。
チャットしながら意味のない一言や単語を書きこんで、即座にふぁぼもしくはLikeしあう遊び。
Skypeのステータスに相手だけがわかるような言葉を載せる。その欄でこっそり会話する。
面白かったブログの記事をメールで送る。何の脈絡もなくWikipediaの読んでるページを送る。
知らないなら聞いてみて、と教えてもらったアーティストの曲のうち、気に入ったものを何食わぬ顔でTwitterで共有する。
Gmailチャット欄に表示されてるよくわからないコメントに対して「なにそれ何があったのw」って話しかける。
会えないけど、生活の様子や思考の足取りを辿るやり方はたくさんあった。
私たちにとってソーシャルメディアはしてることと考えてることを浮かべていく場所だった。
相手の視界にチラチラ入るための努力。あるときは直接的に、あるときは間接的に。お互いにしてるし、それをわかってる。
どうしてチャットって、こんなに仲良くなった気がするんだろう。思い込みすぎかもしれない、と思うくらいだ。
とても深く話した(と思ってる)。時差はあるけど、「今この時間」は同時に共有してた。私の「おはよう」から彼の「おやすみ」までずっとつなげていたこともあった。お互い都合がよいときに書きこむ。
都合が悪い時には返信しなくていいから送る側も比較的気軽で、いつのまにかオフラインになっても気にしなくて、あとからログを読み返してにやにやできて、
盛り上がったら流れが速くなって楽しいし、話しながらURL貼れるし、私のなかでチャットって、電話とメールのよいとこどり。
同じ画面と文字しか共有していないけれど、背景に広がる景色や時間は違うけれど、むしろ「違うところで違う時間で同じものを見てくすくす笑ってる」事実が私たちを親密にさせた。
画面に浮かぶ「おやすみ」と「おはよう」のあいさつはあまりに優しい、と毎回思う。
あなたの生きてる時間軸は別にあるなかで、自分のためだけに向けられた言葉じゃんね。
この大きな地震の日、私は家にいなかったんだけどTwitterは直後から更新してた。
とりあえず東京は大丈夫だよ、電車は動いてないから帰れないけど、安全なところで無事だよ、と答えた。
いろいろと心配されたあとに、どうしようもなくなったらうちに来てもいいよ、高飛びしちゃえ!と言われた。
すごく個人的な話だし、もっと言葉を失うほど大変なひとがいたのは百も承知だけど、それでも遠くでそう言ってくれるひとがいてうれしくなってしまった。
遅くまで起きて待っててくれたみたいだ。
いや、心配してくれる家族はいたのだけど。もちろん。うまく言えない。
東京にいてもなんだか友達にも会いにくいし、ひとりでTwitterとテレビを見てると何か感情がせり上がってくる感じがするけど、
彼とチャットしながら不安とか見たり聞いたり読んだりしたことへの印象とかを「話して」いると気が紛れる。それは安心するってことなのかも。聞いてくれるひとがいることで気を確かにしてる。
今、被災地でなくても、東京に大事な人がいるひとは、話すことタイプすることで救われてることもあるって知っててね。
ある意味ずっと緊張状態なんだ。息が詰まる。停電は起こるのかな、電車は動くのかな、東京にいていいのかな。うまく他人と話す機会がないのって予想以上にキツい。
自分はそんなにパニックになる方ではないと思ってたけど、普段通りのことにとても安心してるので、やっぱり何か気が立ってるのだろうと思う。現在進行形で。
電話は回線もったいないから、Skypeやチャットやメールで、「げんきー?」「疲れたらこっち来たらいいよ!」って話しかけてみてください。
インターネットがあってよかった。
遠くにいても「今ここ」を一瞬で作ることができること、一緒に文章を読んだり音楽を聞いたり、笑ったり楽しくなったりときめいたりできること、インターネットが与えてくれた一番大きなことだと思ってる。
プラスの感情を増幅させることも、マイナスの感情を軽減させることもできてる。
疲れた~って言ってたら元気出して!って猫画像まとめをひっぱってきたり、
最近読んだこの本がおもしろかった、ってAmazonのURL貼って「レビューひどいな(笑)」って笑い合ったり、
クリスマスの街すげーきれい!って言うから、撮った写真を Picasaで見せてもらったり、
こんなに日本の報道されてるよ、って一緒に英語ニュースの動画みたり。
ネットで恋してるけど、超リアルだよ。むしろ対面で話すよりも素です、きっと。
ソーシャルメディアは、パブリックとプライベートの狭間をわざと作るツールなんだなって思う。
「あのひとに」見られてるかな、見られてないかな、をどきどきすることと「みんなに」見られることを意識してるのって全然矛盾しないんだよね。
宛先を明言しない色気っていうか。どちらでもないあいまいさ。にやにや発生装置ですね。
3月末に一度帰ってくる予定だったんだけど、この地震でやめることになりそう。
日本よりさらに放射能やばい!!って言われてるなかで成田行きに飛び乗るのはそりゃあ気が引けるだろう。残念なことに具体的進展は延期です。
でも私はこの地震で彼に精神的に頼ってることを自覚してしまったし、画面の中で仲良くなっただけかも、ってごまかせなくなった。
なんだかもったいなくて、ずっとSkype通話はしてないのです。常に文字なのです。だから本当に2時間しか声聞いてない。
一日でも早く平穏が戻りますように。
ただ、自分の考えとしてはやはり子供が考える「これって無駄でしょ?」に近い。
はっきり言って、それが子供っぽいと言われようが、俺はそっちほうが直感として正しいと思うんだよね。
時代を積み重ねたということに重きを置くのが保守だけど、俺はそこを否定してるわけじゃない。
何というか、もっと現実的な面で、つまり伝統を守るということが現実のこの時代に生きる人間の負荷になるのは困るという感じ。
俺は古代ギリシャの彫刻や文学、その他にも平安の文学やら万葉仮名やら建築や哲学その他多くの歴史を否定してはいない。というより肯定してる。
そういうのが出来るだけ残ってくれるのはありがたいと思うし、記録・保存する人たち(図書館司書など)には敬意を抱いている。
ただし。
それをこれでもかと押し付ける行為が気にくわない。
つまり、「これは時代の試練を経てきた名著だ、だから読め」って言って学校で強制的に読ませたりする行為。これが本当に嫌。
俺が言ってるのはそういうことで、実は祭りや伝統的な街並みそのものを否定してるわけじゃない。
興奮するとそこがごっちゃになることはあるけど、たとえば伝統的な街並みというのであれば、写真などの資料を残し、ミニチュアをつくって博物館に飾るとか、そういうことは大いにやってほしい。
ただ、現実の物理的な世界にそれをどかっと残し続けることは嫌だ。なぜなら、伝統的な街並みは歴史の中でのほんの一部分において「正しい」とされたモデルケースにしか過ぎないのに、まるで未来永劫その正しさが続くかのような雰囲気があるから。
高層ビルだって所詮はこの時代の価値観に基づく正しさにすぎないのだけど、少なくとも合理性や人々の居住というものに関する意識の変化から言ったら理にかなってると思う。
ヨーロッパの伝統的な街並みを見ていると、美しいと思う一方で、そこに住んでる人達は哀れだなと思う。仕事としてその家に住み続けているならまだしも、伝統だとかそういう付加価値を下手につけられてしまったために、壊すことも出来ないんだろうなと。もっと新しい世界を知りたい人達はこんな街に住みたくないだろうなと。
俺が言いたいのは必要のない伝統は記録・保存されるべきで、現実に無意味に干渉してくるなということなんだ。
伝統の多くが必要なくなったのは、それはまさに現代が「変化の時代」だからであって、それ以前の、変化しないように必死で頑張ってきた時代とは全く様相が違うからだと思う。
伝統みたいなものは、科学技術が存在せず、人々はただひたすら自然の脅威・具体的に言えば「風化」から身を守るために作ってきたんじゃないか?現代は、記録する手段や方法はいくらでもあるわけで、さらには科学技術のおかげでどんどん人間にとって都合の良い世界が作り替えられていく。
科学以前はそもそも世界を作り替えるどころか世界を制御する方法すらなかったから、変化を恐れるしかなかった。今はもう違う。なら、今の時代にあっていないものは、資料という形で物理世界からは切り離してほしい。そういう考えなんだよね。
俺が抱くもう一つの嫌悪感は、伝統を守りたい人々っていうのは、それがなぜ守られなければならないのかなんて考えたことなんかなくって、子供の頃から守れって言われてるから仕方なく守ってるっていうところにある。それどころか、守るために守るっていう感じで、もう伝統の意味なんかなくなってるんだよ。祭りみたいなものはものすごい長い歴史があるのかもしれないけど、その元々は雨乞いとかそういう超プリミティブなところから始まったんだと思う。今でも厄除けの祭りとかあるけど、あれだって完全にプリミティブでしょ。あれで厄除け出来るなんて信じてる人間はいないわけで、別に信じてもいいけど、少なくとも祭りがおこなわれるようになった古代というのはほとんど全員が信じていたからああいうのが成り立ったわけで、ほとんどの人が逆に信じていないような状況で厄除け祭りすることに何の意味があるんだと俺は思う。
アメリカ賛美するわけじゃないが、アメリカが素晴らしいのは歴史を持たないことだ。
だからあれだけアメリカは科学技術国として発展できたし、妙なしがらみからも解放されてる。
日本はアメリカの影響を受けたおかげなのか地震対策なのか、街並みを保存することにはあまり関心がないみたいだけど、良いことだと思う。
ヨーロッパの状況は良くわからないけど、伝統的な街並みは観光のために残しておくとして、そういうところと実際の経済活動が行われる場所は区別すべきだと思う。
ごっちゃにするから良くない。東京はそういう意味では、完全に作り替えてしまうべきだし、今も未来都市なんて言われてるみたいだが、未来どころか超未来都市くらいは目指すべきだ。アメリカがその面ではなんだか停滞してるみたいなので、「俺がお手本だ。良く見ろアメリカ!」と言えるくらい大胆なことはやってもいいと思う。
バーチャルな「自然」は、それこそ自然本来がもつ不確定性を欠いているからこそ、そもそも自然の代用品にはならないんじゃないかな。
あと、自然に限らず都市でも同じことだけど、観光ってのは「本物であること」こそが最も重要なものであって、「リアルなフィクション」では、
でも、自然と触れ合うのは危険性も高い。たとえば登山で遭難。川遊びで流される。火遊びで火事。
旅行というのは、人間にとって都合の良い範囲内での行動だけをするから一見問題ないように見えるけど、自然の脅威は依然立ちはだかる。
突然の大雪で電車がストップ。大雨で土砂崩れ。人身事故(人間は何をするか分からないという意味で自然存在)。あいにくの天気でレジャーが台無しとか。
人間が作り出したきわめてリアルなフィクションの世界にはそのようなものは一切ない。全て人間に都合の良いものだらけだ。
観光旅行を求める人間にとって、フィクションというか娯楽の世界はまだまだ不十分なことは確か。
そもそも画面の中にしかないし触れることも出来ない。目と耳でしか楽しめない世界なのだから、自然と触れ合う体験をした人にとってはまだ不十分だと感じてもしょうがない。
これからどんどん技術が進歩すれば間違いなく自然と対等なリアルさと、都合の悪いことは一切起きない良心的な世界が手に入るようになる。
その時、人はむきだしの自然には耐えられない。むきだしの自然には、嫌なことがたくさんある。そこを我慢しろと自然回帰志向の老人たちは言う。だが、結局彼らも我慢などできない。
単に我慢できない人を見て俺は我慢できるぞと虚勢を張ってるに過ぎない。あるいは我慢の経験を積んでいるので多少長く我慢できるだけだ。
頭でっかちになった現代人は、何よりもまず「都合のいい世界」を求める。自然のように、何が起こるか分からない不確定な存在は不気味すぎて耐えられない。
ある程度マニュアル化してみても(ガイドブックなど)、結局不確実な要素は発生する。「何が起こるか分からないのが自然だよな」と得意げに語ってみたところで、実はうんざりしているかもしれない。
そもそも自然派な人間は都市のあまりの「不確実性のなさ」には耐えられない。時間はきっちりと決められているし、少しでも遅れればもう電車には乗れない。両方をとることは出来ない。
いやそもそも、旅行に行くときガイドブックを参照する人間というのは、自然の世界を制御できる人間の世界と同一視している。
あそこには何があり、こんな時はこうすればいい、あんなときはどうすればいい、こういったことをあらかじめ知っておきたがるのは、自然の持つ不確実さを解消したいからに他ならない。
結局彼らの求めている「都市にはない自然」というのも、実はむきだしの自然ではなく「捏造された自然」なのではないか?
これから捏造された自然はますます人間の生活、娯楽に組み込まれていくだろう。
鳥のさえずりが聞こえる雄大な森。しかしそこには気味の悪い虫は排除されている。突然雨が降ったりはしない。夜になって道に迷うと困るので、ライトもある。
こういった捏造された自然を体験するバーチャルツアーが次世代の観光となっていくだろう。
なにせ家から出ないことが一番の節約なのだから。電車に乗る、車に乗る、飛行機に乗る。全て物理的距離を移動するときに費用がかかる。かといって歩くわけにはいかない。時間がかかりすぎる。
多分、物理的現実に依存する物事というのは、料金を下げられる限界というのがある。もしその限界に達したとしても、人間が感じる疲労や、時間の消費といったものがついて回る。
ただ、今よりもさらに旅行が手軽になれば、自然回帰志向とその逆の都市生活志向の人間とがはっきりと色分けされるようになるかもしれない。
もちろん、自然回帰といってもそれは多かれ少なかれ捏造されているのだけどね。その程度の差が問題になるだろう。
未来を題材にした小説では、なぜか未来の生活は賛美されない。それは、書き手が自然回帰志向だからであり、バーチャルなもので満足する未来の人々を嫌悪しているからだ。
しかし結局脳にとって夢も現実も同じだ。どちらがよりリアルに感じられるかだけでなく、より「都合の良い」現実のほうを脳は選択するだろう。でなければ、なぜ今世紀に入ってからも都市の人口は増え続けているのか説明がつかない。本当に人間は自然に帰るべきなら、都市の人口は増えない。というか減るはずだ。
人間は自然の模倣以外には何一つ生み出せない生き物だし、都市が抱える問題を解決するために必要なのは自然の叡智だ。
重要なのは自然を情報化し自由に使えるようにすること。その時はじめて、都市は自然に勝利し、バーチャルな世界が自然を超えることになるだろう。
それを考えるとまだまだ人間には自然由来の知が少なすぎる。完全にバーチャルな自然で育つ「都市人間」が誕生するのはまだ先のことか。
http://anond.hatelabo.jp/20110211132856
東山区 清水寺や三十三間堂など観光名所を多数有し、区内に在する国宝が建造物だけでも軽く2ダース以上。京都といえば観光、観光といえば東山
上京区 京都御苑・京都府庁があり、西陣織・友禅など伝統産業も盛ん、上京こそが京都の政治・経済の中心地。
左京区 京都大学をはじめ文化施設が集中。左京こそ京都の学術・文化の中心地。
北区 高級住宅地が集中、金閣寺を有し有名私立大学も多数あり。『職場は上京区の人でも住んでるのは北区なんだからネ!』
右京区 仁和寺や嵐山など、京都通が好む観光名所が多数。『清水寺より嵐山のほうが観光客数は多いんだからネ!』
中京区 繁華街が集中、その名の通り中心地。ただし下京区から分離して新しく作られた行政区『京都府庁より京都市役所のほうが予算は大きいんだからネ!』
下京区 「上・中・下」の分かりやすすぎるヒエラルキーの一番下。ただし、東西本願寺などを抱える古都でもある『東山区も中京区も、昔は下京区だったんだからネ!』
南区 工場だらけ、自動車だらけ、排ガス等々環境わるし。しかし京都駅と高速・京都インターを有する。『南区こそ京都の玄関口なんだからネ!』
だから、その客を損させたり得させたりすることで店が続くか続かないかは、結局、その店の客層によって違うんじゃない?と思うんだけど。
ラスベガスみたいな、世界的にカジノの街として知られているところの、新しい客が観光目的でひっきりなしにやってくるようなカジノだったら、そりゃ、客をリピーターにさせることなんて考えなくていいから、客の大半を損させても問題ないだろうよ。実際、観光目的で来る客の大半は、損してもしなくても二回は来ないだろうから、最初の一回でいかに金を落とさせるかが重要になる。極少数の客に大儲けさせておけば、宝くじみたいなつもりでみんなカジノに来てくれる。
逆に、常連客しか来ないような所にある店だったら、客に損させたら来る客がいなくなってすぐに店が潰れるだろうから、客になるべく損させないようにして店の取り分を減らす代わりに、客をリピーターにするように仕向ける運営をするだろうよ。
客が再来する確率と、客が一回に平均いくら使うかによって、店の経営戦略が決まるだろ。それによって、店のディーラーへの指示も違ってくるんじゃないの?
116 名前: 京成パンダ(dion軍)[] 投稿日:2011/02/01(火) 00:32:34.61 ID:GsQJVieU0 [3/4]
日本の女っていいよなー
逆に男は全くだし
顔面障害の韓国人にすら、積極性において負けてるせいか、マジで相手にされねーぞ
120 名前: ピモピモ(兵庫県)[] 投稿日:2011/02/01(火) 00:35:48.08 ID:+JkYhRb30
>>116
日本の女は糞低知能で有名だよ
イタリアに居てそう思ったってか言われてた
131 名前: 京成パンダ(dion軍)[] 投稿日:2011/02/01(火) 00:42:30.57 ID:GsQJVieU0 [4/4]
>>120
イタリアかぁ・・そこだと留学と称した観光、男アサリ多いのかなぁ・・・
おれドイツだったんだけど、仲良くなってツルんだ超スマイリーなロシア人に、
ドイツに数ヶ月前にいた日本の女の子がとにかく白人限定でクラス有名になっちゃって、メッチャ顰蹙買ったって話聞いて
おいおい・・ってなった
ってか俺の文グダグダとなげーよ