はてなキーワード: 朱印帳とは
目の前に朱印書き上がるのを待っているおじさんがいる状況で、突然横入りしてくる老夫婦。そして話しかけてくる爺。 〜
糞爺「いいかい」
見りゃわかんだろ朱印書いてるんだから待っとけやと言いたいところだが、まあ話しかけられたら答えざるを得ないので朱印を書きながら答える。
神主様「何でしょう」
糞爺「祈願を頼みたいんだが」
神主様「遠くにいらっしゃる方の御祈願ですか(…だから机を叩くな)」
糞爺「なんや杓子定規に答えよってから!物書きながら答えよってから!」
神主様「(…ハア?)」
最近はこういう、“先に待っている人よりも自分を最優先で応対しなければならない”という謎理論を振りかざす老人を割と見る。
机を叩いたのも明らかに朱印を邪魔する目的。おかげで朱印の字も乱れた。自分以外の受付者がどんな迷惑蒙ろうと自分が最優先ならばそれでいいと。
で。被害者である、朱印待ってた全然関係ないおじさんは、突然ヒートアップした爺さんを三度も止めに入ろうとしてくれていた。
最終的には、「社務の妨げ及び他参拝者への迷惑行為及び職員への暴言及び個人情報の開示強制のかどで警察を呼びますよ」と言い続けたらようやく帰っていった。
無論これだけで終わる大人しいクレーマーなんざ存在しないので、警察には相談という形で記録を残して貰うというテンプレ対応もしっかりこなす。後で役立つからね。
神社においてはお客様は神様ではないんだがなあ。神様は本殿の奥にいらっしゃって、お客様はお願いにあがる立場なんだがなあ。
だから別に神主様を敬う必要もねえが、自分がお客様で神様だと思ってるのなら、わざわざ神社になんか来んなや。
お客様が神様だってんなら、神様は自分の願いくらい簡単に叶えられるっしょ? 神社に来る必要これっぽっちもないっしょ?
神社で最高級のおもてなしを受けたいなら神様になってから来いやと。具体的には死ね。
老人が自分勝手に振る舞い、その割を食う形で、全然関係ない朱印待ちのおじさんがトラブルに巻き込まれたり朱印帳乱されたりで損するばっかりの世界。
キチ女「朱印帳持ってきて無いので」
神主様「貼り付ける紙の御朱印ですね。ご用意します(日付サラサラ)」
キチ女「日付薄くないですか? もっとちゃんと書いて下さい」
神主様「は?(長い事朱印書いてるがそんな事初めて言われたんだが)…、数日前にあらかじめ書いた朱印部分と、今記入した日付では、どうしても濃さに違いが出ますので」
キチ女「(人の筆をつつく)この筆古くなってしまっているんじゃないですか、薄くてお葬式みたいじゃないですか」
神主様「(同じ墨使ってんだが)乾くまで少し待って頂ければ、色が定着して同じように見えますが」
キチ女「書き直してください」
神主様「…(使ってない筆を取り出す)」
キチ女「なんでそれ使うんですか、書き直すなんて失礼じゃないですか」
神主様「(書き直せって言ったのはお前だろうが)…(新しい朱印用紙を取り出す)」
キチ女「もういいです(退出)」
一同呆然。
あー、キチ女。たぶん後で旅行サイトあたりで悪口書きまくったりするんだろうし、期待してるとこ悪いんだけど、アレだよ?
参拝者に失礼な態度取ったからアイツは後で怒られるに違いない!とか考えてそうだけど、
お前が言った言葉やつけた注文は、お前からしてみれば珍しくもない当たり前の事を言ったつもりなのかも知れないけど、
長 年 神 主 や っ て て 初 め て 耳 に し た レ ベ ル の 異 国 語 だ か ら 。
御朱印は、お金を払ったら神主野郎が見せる大道芸などではありません。
注文つけたり文句つけたりするものではなく、感謝をしておし頂くべきものです。
有難く受け取れ。
さっき凄い言い訳を聞いた。
御婆様「すいません御朱印下さい」
御婆様「旅の途中なので持ってないので、紙に書いたのございますか」
御朱印帳は旅に持参して参拝した寺社の朱印を受けるためのものだが、旅の邪魔になるので旅には持って来ない。という。
持 っ て こ い や あ 。
“紙に書いたの”もそりゃあるけど、アレは基本、御朱印帳をうっかり忘れた人の為のものだから。
ペラ紙の半紙貰って、御朱印いただきましたーほっくほく、みたいな顔すんなと。ちゃんと帳面持ってこいや。
ちゃんと朱印帳持ってくるし
「ゴシュイン オナガア シマス」とか頼み方も丁寧だし、(かわいい)
「朱印料○○○円になります」「すいません一万円しかないんですが」みたいな無茶ぶりもしてこないし、
集団で興味深そうにガン見してくるし、
So beautiful!とか騒ぐし、
…まあそんなリップサービスは別にいらないんだけど、とにかく態度がよい。
最近の御朱印ブームだかなんだかで増えた御朱印拝受者層は、実際あまり態度良くない。ここは観光地じゃねえんだ。あくまでも参拝者であって参拝客ではない事を思い出せ貴様ら。
あとこういうのが特に多い。
取 っ て こ い や 。
終わりがいつかわからない時点で、いつが折り返しなのか不明なんだけど、何度か火葬場で骨を拾ってみた経験から思ったことを書いてみます。
朱印帳とか愛用のカバンとか棺にいれてあげたけども、最後は手ぶら。
車があろうと、本が山のようにあろうと、ゲームが積んであろうと、服がたくさんあろうとも、持っていけないよ。
お金があったら安心かもしれないけど、死んだ人のお金を残った人で分けているってことは、今持っているお金はこの世のものなんだろう。
これまではいろいろと買ったり貯めたりする人生だったけど、これからはいつか死ぬ日に向かってものを手放していく人生だ。
大好きな服は、体型がスマートなときに着たいし、素敵なガジェットも旬のうちに使い切りたい。
読みたい本は、読みたいときに読む。
一番大好きなものに気持ちを注いで、だんだんと身軽になっていければ、いいんだろうな。
自分がこの世に生まれてきたのは何のためか。
星新一的なストーリーだとこの世界を生きることは全然別の世界からのバーチャル観光旅行だったりするのかもしれない。
そんなぶっ飛んだことを考えても空想しても仕方がないので、やなせたかしさんが作詞したアンパンマンのマーチの歌詞を噛み締めながら、「自分がこの世に生まれてきたのは何のためか。」を考えていこうと思う。