はてなキーワード: 罵声とは
まずスマホは、言うまでもなくAndroidとiPhoneな。
ぶっちゃけ「スマホなんて、LINEとツイッターとソシャゲとインスタと電話と音楽聴くのを、テキトーにポチポチやる感じでパッとできればいいじゃん」
くらいのスタンスの人に、iPhoneほどマッチするスマホはない。
Androidと違って、徹底的に決まりきった使い方しかできないけど、その決まった使い方の中では世界一直感的に操作できて、かつド安定。
デザインもリンゴ臭いことこの上ないけど、これ以上ないくらいイケてるリンゴなわけで。
Androidは本当に色々な特徴を持った機種があるけど、そこから自分だけの「当たり」を引くのは、とても素人の手に負えるものじゃない。ぶっちゃけ面倒。
結局、不自由と引き換えに、快適をカネで買うほうで満足してしまうと。
にじさんじは所属人数も多く、本当に色んな人がいるんだけど、そっから自分的に面白い人を探すとかマジ面倒でやってらんねー。
だからってわけじゃないけど、最近は「大型新人」の西園チグサしか見てないわ。
まあ所属タレントの多様性と、業界の健全性を牽引するという信用を活かして、今後様々な業種の企業案件を引っ張りまくるという、エンタープライズ向けのLinuxみたいな売り込みでもすればいいんだろうけど、どのみちパッとしなさそうなのがなんとも。
一方のホロライブは、一見色んな配信者がいそうに見えて、ガチガチに徹底していることがある。
このうち1は「楽しい配信のために必要な、最低限のことはできている」という品質保証になっている。
2については、
という手法を採っているっぽい。
3を具体的に書くと
特にこの「海外対応」を極限まで突き詰めた、まるで戦艦大和と武蔵みたいなスタンスの配信者が、湊あくあと兎田ぺこらの2人である。
にじさんじのゲーム実況ではトップクラスの人気を持つ本間ひまわりや笹木咲とは全く異なる切り口で、このジャンルの配信では先輩だった彼女らを、気がつけば追い抜いてしまっていた。
…こう書くと「コンビニ弁当かよ」と思うくらい、かなりテンプレ的というか、ハッキリした営業方針を取るのがホロライブなのだが、今や業界で飛ぶ鳥を落とす勢いなのはこちらである。
普通コミットは上司が部下に使うケースが多いはずだが、なんとなく釈然としないまま飲み込んで過ごした。
「それはLineにコミットして会話してないからフラレたんでしょう」
「コミットしたら体が柔らかくなりましたね」
前半はいい。しかし後半はなんだ? コミットはそんなパワーワードじゃなかったはずなのだが。
コミットしたら結果が出る点は同意したいが、会話の内容はやや行き過ぎている気がする。
先日の照れワークに没頭していた仲間さんはいつもこの時間帯に食事にきている。
私が食券を買って食堂のおばちゃんに渡すとおばちゃんは何やら不満そうな顔をした。
「あんたねえ、そういうのは困るんだよ」
突然の苦言にたじろいだが、一体苦言の正体は何かと聞き返した。
「もっとこうねえ、わかるだろう? 食券を渡す時 "ガッ" とコミットしてこないと」
このおばちゃんは何を言ってるんだ。
私は適当に会釈すると天ぷらうどんをトレイに乗せてテーブルへと向かった。
しかしテーブルへ座ろうとした私に仲間さんが何やら身振り手振りでこちらに指示してくる。
ただならぬ雰囲気だ。
やむなく私は仲間さんの示す相席へと座り、うどんをテーブルに置いた。
すかさず仲間さんがまくしたてる。
一瞬面食らった後、またか、と思った。
「部長のポストともあろう人が、昼間からうどん? それもカレーうどんじゃなく天ぷら止まりですよ」
あ、いや、と言いかけた私を遮って口撃は続く。
「ここはガツンと胃もたれするカレーでしょ。天ぷらじゃ天下を取れません。天ぷら程度で止まってるから部長止まりなんですよ。そこはもっとフォーカスしてコミットしていかないと!」
何だこのダメ出しは。うどんを頼んだ人の人権がすべて剥奪される勢いだ。
私は渋々了承すると早めに天ぷらうどんをかきこみ、手を合わせた。このスピード感は良かったらしい。
仲間さんは「今のはちょっとコミットしてましたね」と頬を赤らめた。
面妖な現代美術を飲み込めない観覧者のような面持ちだったに違いない。
私がため息を付きながら部署に戻ると、部下が何やら騒ぎ出している。
「部長、部長がコミットしないから取引先が怒ったじゃないですか!」
他にもざわめきの中でいろいろな罵声が浴びせられたが、何一つ意味がわかるものは存在しなかった。
「私も先日ワイフと息子のドライブに随分コミットしてね、家族コミットってやつだよ」
職場は急に静まり返った。宗教の勧誘でも見るような目線でこちらを見始める社員たち。
「そこはコミットしてませんよね」
というざわめきから始まって、その波紋は拡大してゆく。
「ちょっとあなた、なんて卑猥なことを言ってるの。そこは息子のコミットがワイフでドライブでしょ」
「コミットが日帰りなら地下からコミットして網走あたりにコミットするくらいがいいコミット感でしょ」
私はしだいに混乱してきて、何やら楽しい会社だなと感じうるに至った。
で、コミットってなんだろう?
『職場の様子が変だ』
あなたの目線に、「放置されている実在児童の搾取」事例が全く目に入っていないことはよく分かったよ。
たとえば、10代グループのアイドル、高校野球を「児童の搾取だ」として批判する意見は、この社会で十分聞き届けられているだろうか? その結果改善されているだろうか? 背景にある膨大なステージママ、コーチ親父の存在に搾取と虐待という視点で切り込んだ事例がどれくらいあるのかな、そしてその結果それはどの程度改善されたのかな? はっきり言うけど、ほぼゼロじゃね?
街を歩いているだけで見かける、子どもに罵声を飛ばす親。明らかに不健康な時間に連れ回す親、周囲の大人は通報してるかな。通報して、取り合ってもらえるのかな。それこそ「グローバルスタンダード」では考えられないことじゃないの? なぜそこには目を向けない? どうして今日も子どもの車内放置が起きる?
性的な搾取、被害に限っても、大多数は親族からの加害というデータを無視して、どうして不審者にばかり目をやる? 「親子の在り方」「家族の在り方」や「児相の権限拡大」に切り込もうとせずに? そして髪を染めさせ盛り盛りキャバ嬢の真似をさせる親を、問題視しようともしない? それで、ネットでこそこそと「Vtuberが問題ですぅ」って書き込みって、アホか。
日本はまだ治安もそこそこだから、堂々と実在児童の性的搾取が行われたりしているケースは少なく見える。だが、非合法に近い滞在外国人やその子どもに関して言うと、しっかりと権利が守られているか極めて危うい部分もある。人身売買について、日本は割と危険な国だと認識されているのは理解しているか?
「Vtuberのここが嫌い」って意見なら堂々とそう言え。キモいでもなんでもいいだろう。だけど、自分を正当化するために、【現実にある】子どもの人権侵害や搾取の問題をそういうくだらない話に矮小化するな。そういうの、本当に迷惑だ。
芸人はトークがうまいから、以前までは芸人の深夜ラジオをギャハギャハ笑いながら聴いていたのだが、
最近はトークに潜む「いじめ的な要素」が気になるようになり、聴くのが辛くなってきた。多分自分はこのままフェードアウトしていくと思う。
ツッコミ側がボケ側に対して異常に「上」に立つ。「バカ」「ぶっ飛ばすぞ」「お前はダサい」等の罵声や、見た目を貶す発言を連呼する。非常に「いじめ的」な会話。
いや、本番中だからそういうモードになってるってのは理解してるんだけど、それにしてもやり過ぎでは… と感じてしまうし、そういうのを視聴者がウケると思ってやっているなら それこそ良くないのでは?と思う。
もし本当に、こういった「貶し」が視聴者にウケているのだとしたら、そりゃ世の中からいじめは無くならんよねぇと思う。
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7
ロリコン・ショタコンを叩く連中が持つ差別心とその自覚の無さにほとほと呆れている。
上記noteでは「性的指向」と「性的嗜好」を分け、「性的嗜好」に過ぎない「小児性愛」の持つ加害性を自覚して自重しろと迫ってくる。
小児性愛は「性的嗜好」である。性的行動の対象にその人固有の特徴がある、という意味で、簡単に言えば「好みやこだわり」に分類される。ジェンダー間での、性的魅力を感じるパターンや性的なアイデンティティを指す「性的指向」とは全く異なる。
確かに「小児性愛」はアメリカ精神医学会やWHOによる定義で「性的嗜好」に分類され、精神障害とされている。
しかし「同性愛」もアメリカ精神医学会には1974年まで、WHOに至っては1993年まで「性的嗜好」であり精神障害だとされてきた。
現在「小児性愛」を「性的嗜好」で病気だと叩く人間は30~50年前だったら「同性愛」を「性的嗜好」であり病気だと叩く人間であろう。戦中であれば戦争反対を唱える者には非国民と罵声を浴びせたことだろうし、1950年代には漫画を悪書として校庭で焼いたであろう。
「同性愛」や「漫画」が今現在差別されなくなってきたのはこの50年の間に人類が賢くなって差別しなくなってきたからだろうか?
否である。「同性愛」や「漫画」が「逸脱ではない」という空気が醸成されたからにすぎず、社会的に逸脱しているとされる対象に対しては差別を続けている。差別はなくなったのではなく、矛先が変わっただけである。
上記note筆者は「小児性愛」の対象は社会的弱者である子どもなのだから実際に行えば直ちに犯罪だ、とも言っている。
当たり前だ。
ここに関しては掘り下げるときりがないのでサックリといくけども、精神が未発達の児童と成人が恋愛関係を達成する、ましてや性的な接触を行うことは、明確に児童の人権侵害に当たる。なので法で禁じられている。ここですでに「?」な人は、ちょっとどうしようもないので自分で色々調べてくれ。
人に云々言う前にお前が調べろという感じだが、日本の刑法で規定されている性的同意年齢は男女ともに13歳以上だ。児童福祉法とも関連があるから全てが合法というわけではないが(というか現実的に発生する18歳未満との性交の多くは違法だろうが)、相手が成人年齢を下回っている場合ただちに犯罪に当たるわけではない。その実態が問われる。
騒動の発端となったショタドール所持者がどうかはさておき、上記のような言い切りは「真摯な恋愛」をしている人に対する「無理解さ」の露呈であり、直球の「差別」である。
そして極めつけはこれである。
小児性愛という嗜好を社会へ受け入れてほしいならば、当事者たちが「そんじょそこらの大人より児童の人権に配慮する」姿勢が必要ではないか。
黒人青年が母から言われた「16のやってはいけないこと」が、黒人にとって警察がどれほど脅威かを教えてくれる
https://www.huffingtonpost.jp/entry/unwritten-rules-black-man-follow_jp_5edb3ee5c5b6a80a46d465f7
差別のない社会とは、同性愛者や黒人のようなマイノリティとされる立場の人がそれ以外の人と同じような行動を、なんら躊躇なくなんら留保なくなんら呵責なく行える社会である。同性愛者だから、黒人だから、とそれ以外の人より注意しなければならない社会は公平ではない。
こういうことを言うと、同性愛者や黒人と小児性愛者を並べるなと激怒する人間がいる。
しかし未成年との性交がただちに犯罪となわるけではなく、実際の様態に拠る以上、小児性愛者=犯罪者予備軍であるかのような言動は慎むべきであろう。
そしてかつては元服が11~16歳前後で行われていたように、成人とみなされる年齢も社会的相対性を伴うものであって、今後社会や科学の発展によって子どもの社会的成熟が早まらないとも限らない。50年前は同性愛が病気とされていたように、社会の常識や観念は変動しうる物と理解した上で、当たり前とされることから「逸脱」する者も包摂することが差別のない社会であり、今我々が真に求めるべきものではないか。
小児性愛者は病気であり、小児性愛者以外の人間より慎重に生きろ、そうでなければ社会は認めてくれないぞ、と脅してくる人間は1974年より以前の世界では同性愛がどういう扱いだったのか調べた上で己の差別心とその無自覚さに向き合ってほしい。
会話が苦手だったのでメールが救い、と述べられてはいるものの、不安が原因であると匂わせる描写はない。このような妄想で相手の境遇を勝手に類型の枠に当てはめ、斬って捨てることに快感を覚える典型的エゴイストは実際にどこにでもいる。
他人の日記を要約した挙句に「気持ち悪い」などと直接罵声を投げつけてくる人間が、礼節だと??
笑ってしまうよ。
返信を投稿するボタンを押す前に、一瞬でも躊躇していたら自分がしでかすことになることの滑稽さに気付いただろうに。あるいはそういうメタ認知は欠落しているのか。
他人の被害者意識をどうこういう以前に、自分が加害者である可能性には気づいて欲しい。
こんな人はもうどうにもならないかもしれないが、うまくいくように変わっていくことを望む。
※ヒプノシスマイクというコンテンツの概要については省略します。
アパルトヘイトを持ち出すまでもなく中王区は間違っている。
と自分に言い聞かせるけれど、どうしても中王区に憧れる気持ちが消えない。
あの壁の中は現実よりずっと幸せな世界ではないかと思ってしまう。
途中まで情報が少なくて勘違いしていたのだけれど、ヒプマイの世界はH歴が始まるまでは普通の男尊女卑社会なのね。
コミカライズで乙統女がクーデターを宣言したあとの人々の発言が顕著で。
(『ヒプノシスマイク-Before The Battle- The Dirty Dawg』1巻 track-1)
「女が調子に乗ってんじゃねー」
「さっき映ってた偉そうなババアみたいにしてみろや!」
「女なんてのは男の道具なんだよ!」
「ざっけんなよ! 何が女主体だ!」
という感じで。ありふれた罵声が名もなき男性たちから叫ばれていて、作品の設定は戦時下だけれど、ベースは現実と同じような社会なのだとわかる。
そう思うと中王区の、男性だけを圧迫する異常な政治にカタルシスを感じてしまう。復讐心を満たしてくれるわくわくした気持ちになって、ざまあみろと言いたくなる。
ざまあみろ、これからはあの「偉そうなババア」が社会を作るんだ。彼女が「男」から権力を奪ってくれたんだ!
さて、とはいえ作中でも中王区は別に全ての女性が救われる世界ではない。
乙統女はクーデターを成功させて、異常な政治で男尊女卑社会を壊そうとしている。でもこれは壁の中に入れる選ばれた女のための世界だ。
壁の中に入れなかった女性たちは普通の延長線上の社会に取り残されているのだろう。
男性だけが圧迫されることになった世界に、それこそ「クソ女ども」と憎まれながら。
(これは想像込みだけれど、作中の名もなき女性たちの生活がさほど変わっていないことを考えると劇的な変化は無いのだと思う)
それでも権力を手にして壇上に立っている三人を見ると夢をみてしまう。
たとえ壁の中に入れる選ばれた優秀な女にはなれなくても、彼女たちがその場所に居る世界なら。
性別を理由に黙って減点するのをやめてくれって言っただけで、ま〜んとか、フェミガーとか罵られずに済むのかな。
一言一句、隙なく論理的にどんなときも冷静でないと許さないと言われながら、暴言と変わらない批判を繰り返されなくて済むのかな。
女に生まれてきたことが嫌になるような叩き潰されかたをしなくて済むのかな。
正しくないことを言えば、中王区への憧れはそんな感傷的なものだけじゃなくて。
強い女に庇護されたいとか。
勝った側の仲間でありたいとか。
性別を消費し返してやりたいとか。
この憎悪をすっきりさせてほしいとか。
だめなものもたくさんあるよ。
念のため言うと中王区がフェミニズムとはまったく違う思想だとはわかっているよ。
ただこうして、だめなところもわかっているけれど夢をみてしまうんです、って言い訳を書くのも、これ書いておかないと揚げ足を取られてボロクソにされるからなんだよね。
ヒプマイが中王区とどんな決着をつける結末になるかは期待はしていない。丁寧に作られた楽曲やキャラクターと比べて、ストーリーがあまりに雑なので、無難に終わってくれたらいいほうだと思う。
甘利氏、安倍首相を「休ませて」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/667549412599268449
労働時間でいえば過労死ラインを超えているであろう安倍首相(150連勤くらいしてたよね?)が休みを取りつつあるのに対して
「辞めたらもっと休めるよ?」「疲れの原因はお前の無能さのせいだ」とか罵声を浴びせてるはてなー達の人権意識の低さよ。
あなた達は、仕事はできないが労働時間がやばい同僚が「休みを取りたい」と言ってきたら、
「辞めればもっと休めるよ」「疲れの原因はお前の無能さのせいでは」って面と向かって言えんの?
女性の社会進出が進んだ昨今においても、社会人として女性であることはそれだけで一つの特色のようなものでないか
それはメリットもデメリットにもなり得るが、ときに自分に付与された消しがたい属性を鬱陶しく感じることもある
これは性別に限った話ではない
若さ、顔立ち、声の高さ、身長といった、肉体、つまり器の個性は否が応にも、我々と社会との繋がり方に影響を与える
我々は器の個性に縛られながら生きている
そして進路、就職、進退、結婚ーーといった数々の人生の岐路において「自分は何者か」「自分は何をすべきか」というアイデンティティの問題に直面する
◇
増田は、出世と結婚の狭間で、自らのアイデンティティに悩み、これからの生き方に悩む独身女性である
インターネットの匿名に沈み込み、現実から逃避しようとしたある日、増田が手にするのは「おっさんの皮」。
社会における没個性の象徴であるスーツ。若い女性の増田にとって、強固に社会に埋没した存在である「おじさん」
この二つの合わさった「皮」は、悩むことに疲れた増田を「女性であること」から解放する
皮を着た増田は、社会では、若さや性別に起因した他者からの評価、夜道や痴漢への恐れから逃れ、思うままに働く
そして、プライベートでは皮を脱ぎ捨て悩みの根源であった「女性性」を目一杯楽しむ
二つの在り方を手にし、増田の人生歯車は回り出す。何もかもがうまく行き始めたように思える
が、幸せな絶頂の瞬間、皮は増田と一体化し、増田は「女性」を失ってしまう
おっさんとして手に入れた成功の代償は、若い女性として手に入れた愛であった
しかし、元の器を失い、おっさんになっても増田が増田でなくなってしまったわけではない。彼氏からの罵声を浴び、狼狽た増田の「あっうっ」という情けない声。これこそが、完全におっさんに変化してしまった中年男性「増田」の素の声であり、女性の皮では女性を演じ、男性の皮では男性を演じる不自由な増田の本来の姿なのである。
ーーー
(あとがき)
アイデンティティと匿名性、若い女性とおじさん、心身二元論について考えながら書きました。自分自身から逃れたいという願望が叶ったとき、人は何を失い何を得るのかがテーマです。解説をつけてみました。
どうやら、夕勤夜勤の皆(オーナー除く)が奇異な目で見ていることが、私のレジでしかお会計をしようとしないお客様ご本人に知られたっぽい。私のレジでしおか会計をしようとしないお客様は、最近は私のレジで会計をするために何度も列に並び直さなくなったし、私に会計されるまで何度も来店するのはやめたっぽい。そして、私がシフトに入っていない日にも来店するようになったと、Bさんが言っていた。私にしかタバコを注文しないのは相変わらずらしいけど。
AさんもBさんも私のレジでしか会計しようとしないお客様の奇行を直接咎めた訳でもないし、何か対応を変えた訳でもないのだけど、なんか雰囲気とかで伝わるものがあるのだろうか?
何故か先月よりも、お客様達がエコバッグを持参したために会計待ちの長蛇の列が出来る現象が酷くなった。ちょっとピリピリした空気が漂うことがあるけど、待ち時間が長くなるのが店員のせいじゃなくて他のお客様のせいだと、短気なお客様達も罵声を浴びせたりとかは中々しないようだ。
でもこの間、お支払いをするときにポケットから小銭を出すのにやたら時間のかかるお爺さんなお客様を、すぐ後ろに並んでいたお客様が罵って蹴ろうとしたことはあったと、オーナーが言っていた。
みんなわたしに死んでほしいと思っているんですよね。知っています。
死にたくないというのは結局のところ自分のエゴでしかないんだ。死んだら最後、なにもできないから。これから先、もう二度と。やりたかったこともできない。行きたかった場所にも行けない。会いたかった人たちにも会えなくなる。本当は死ななければならないのに、全部自分の我が儘で生きている。
生きているだけで他人に迷惑を掛けるしかできない人間は存在する。人びとは綺麗事が大好きで、そんなこと認めてはくれないけど。そんなことを認めてしまえば、自分が「他人を全否定する最低な人間」になってしまうから。だけどそれは確実に存在して、それは優秀な彼らもきっと分かってる。むしろ、それらに迷惑を掛けられている側なんじゃなかろうか。本当は「死んでしまえば良い」と思っているんだろうな。だから、僕たちにできる最善の選択は、死ぬことだ。
死ぬことが、世界にとって最善の選択だ。たとえ僕一人が死んだからといって、世界が変わるとも思えないけど。だけどきっと、僕の周りだけは、ほんの少しでも変わってくれると信じてる。きっと空気が澄み渡って、ちょっとだけ晴れやかになる。そんな素敵な世界が訪れるって信じてる。だって僕はこんなにも疎まれているんだから。そんな僕がいなくなることで、当たり前のようにきっと美しい景色が戻るだろう。
ああ、ごめんなさい。俺さえいなければもっともっと楽をさせてあげられる。生きていてごめんなさい。生きてきてごめんなさい。
他人のイライラした溜め息も、舌打ちも、怒気も罵声も怖い。だけど俺はそれだけのことをしてきたんだ。これまでも、(生きるとしたら)これからも、ずっとそれは変わらない。それだけのことをしているんだ。
この世の20%の人間は、「私」が何をしても必ず「私」を嫌うという。逆にこの世の20%の人間は、「私」が何をしても必ず「私」を好きでいてくれるという。そして残った60%の人間は、「私」の行動によって「私」を好きになったり、嫌いになったりするのだという。そう出来ているのだと。けれど、それに当てはまらない人間もいるのだと思う。思うし、感じる。きっとこの世の100%の人間は、「私」が何をしたって「私」を嫌い、憎むのだろう。そうなるまでの時間が、長いか短いかの違いしかない。これはもう仕方のないことだ。
決まっている。決まっていることだ。仕方のないことなんだ。
だから死ぬしか道がない。おれがどんなに生きていたいと思っても、だってそれは悪である。本当は誰もが分かってる。死ななければならない人間はいる。自分が悪者になりたくなくて、みんなは黙っているけれど。誰よりもそう思っているのは、他でもないあなたたちで、おれ自身だ。
人間が平和に暮らしていくために、必要不可欠なものがある。共通の敵だ。それが俺だ。人びとは俺という共通の敵を得て、団結の力を得る。敵の敵は味方だ。俺を排する姿を見て、ああ味方だと思うのだ。
死について考えない時間なんて、せいぜい寝ているときくらいだ。死にたい理由なんてない。あってたまるか。おれはただ、死ななければならないだけだ。
「死のうかどうしようか」と迷っているのではない。「どうやって死のうか」「いつ死のうか」「どうすれば遺していくことになる〈大切にしているぬいぐるみ〉を抱えたままに死ねるだろうか」そんなことばかりずっと考えている。ああ、わたしは可愛いあの子と、絶対に離れたくない。死にたくない。この世に生きたい理由が、生きるべき価値があるとするならそれだけだ。
死ななければならないのは分かる。それが世のためであることも。それでも死なずにいるのは、ひとえにわたしのエゴである。生きているだけで迷惑を掛けるから死ななければならないのだけど、自分の仕事を放棄して死ぬのも迷惑だし、だからといって「死ぬことにしたのであと頼んます」なんて言うこともできない。いくら生きることが迷惑だからって「あーあ、人手が足りない上にやるべき仕事もたくさんあるのに何死んでんだよふざけんな」とか思われるのも本意じゃない(迷惑を掛けたくなくて死ぬのに本末転倒だ)。あーあ、はじめから存在しなければよかったな。
謝らなければならない。生まれたことも、今まで生きてきたことも、今生きていることも。いつまでか、これからも生きていくことも。それは正しくない。罪なのだ。わたしに関わるすべての優しい人びとに、心から謝罪をしたい。生まれてきてごめんなさい。