みんなわたしに死んでほしいと思っているんですよね。知っています。
死にたくないというのは結局のところ自分のエゴでしかないんだ。死んだら最後、なにもできないから。これから先、もう二度と。やりたかったこともできない。行きたかった場所にも行けない。会いたかった人たちにも会えなくなる。本当は死ななければならないのに、全部自分の我が儘で生きている。
生きているだけで他人に迷惑を掛けるしかできない人間は存在する。人びとは綺麗事が大好きで、そんなこと認めてはくれないけど。そんなことを認めてしまえば、自分が「他人を全否定する最低な人間」になってしまうから。だけどそれは確実に存在して、それは優秀な彼らもきっと分かってる。むしろ、それらに迷惑を掛けられている側なんじゃなかろうか。本当は「死んでしまえば良い」と思っているんだろうな。だから、僕たちにできる最善の選択は、死ぬことだ。
死ぬことが、世界にとって最善の選択だ。たとえ僕一人が死んだからといって、世界が変わるとも思えないけど。だけどきっと、僕の周りだけは、ほんの少しでも変わってくれると信じてる。きっと空気が澄み渡って、ちょっとだけ晴れやかになる。そんな素敵な世界が訪れるって信じてる。だって僕はこんなにも疎まれているんだから。そんな僕がいなくなることで、当たり前のようにきっと美しい景色が戻るだろう。
ああ、ごめんなさい。俺さえいなければもっともっと楽をさせてあげられる。生きていてごめんなさい。生きてきてごめんなさい。
他人のイライラした溜め息も、舌打ちも、怒気も罵声も怖い。だけど俺はそれだけのことをしてきたんだ。これまでも、(生きるとしたら)これからも、ずっとそれは変わらない。それだけのことをしているんだ。
この世の20%の人間は、「私」が何をしても必ず「私」を嫌うという。逆にこの世の20%の人間は、「私」が何をしても必ず「私」を好きでいてくれるという。そして残った60%の人間は、「私」の行動によって「私」を好きになったり、嫌いになったりするのだという。そう出来ているのだと。けれど、それに当てはまらない人間もいるのだと思う。思うし、感じる。きっとこの世の100%の人間は、「私」が何をしたって「私」を嫌い、憎むのだろう。そうなるまでの時間が、長いか短いかの違いしかない。これはもう仕方のないことだ。
決まっている。決まっていることだ。仕方のないことなんだ。
だから死ぬしか道がない。おれがどんなに生きていたいと思っても、だってそれは悪である。本当は誰もが分かってる。死ななければならない人間はいる。自分が悪者になりたくなくて、みんなは黙っているけれど。誰よりもそう思っているのは、他でもないあなたたちで、おれ自身だ。
人間が平和に暮らしていくために、必要不可欠なものがある。共通の敵だ。それが俺だ。人びとは俺という共通の敵を得て、団結の力を得る。敵の敵は味方だ。俺を排する姿を見て、ああ味方だと思うのだ。
死について考えない時間なんて、せいぜい寝ているときくらいだ。死にたい理由なんてない。あってたまるか。おれはただ、死ななければならないだけだ。
「死のうかどうしようか」と迷っているのではない。「どうやって死のうか」「いつ死のうか」「どうすれば遺していくことになる〈大切にしているぬいぐるみ〉を抱えたままに死ねるだろうか」そんなことばかりずっと考えている。ああ、わたしは可愛いあの子と、絶対に離れたくない。死にたくない。この世に生きたい理由が、生きるべき価値があるとするならそれだけだ。
死ななければならないのは分かる。それが世のためであることも。それでも死なずにいるのは、ひとえにわたしのエゴである。生きているだけで迷惑を掛けるから死ななければならないのだけど、自分の仕事を放棄して死ぬのも迷惑だし、だからといって「死ぬことにしたのであと頼んます」なんて言うこともできない。いくら生きることが迷惑だからって「あーあ、人手が足りない上にやるべき仕事もたくさんあるのに何死んでんだよふざけんな」とか思われるのも本意じゃない(迷惑を掛けたくなくて死ぬのに本末転倒だ)。あーあ、はじめから存在しなければよかったな。
謝らなければならない。生まれたことも、今まで生きてきたことも、今生きていることも。いつまでか、これからも生きていくことも。それは正しくない。罪なのだ。わたしに関わるすべての優しい人びとに、心から謝罪をしたい。生まれてきてごめんなさい。