はてなキーワード: 弊害とは
井沢元彦という作家が、日本における言霊による弊害を述べている。
コトダマの考えにおいては、雨が降ると言えば雨が降るのだから、戦争が起きるとかそのような不吉なことが書けない社会であると。
※1998年発行の「言霊(コトダマ)の国」解体新書 (小学館文庫)を参照している。2018年の現在までそのまま当てはまるかどうかは分からない。
戦争が起きてほしくないというのと、戦争が実際に起きるかは別の問題なのに、それが混同されてしまうそうだ。
ペンは剣よりも強しとは言うが、言葉自体が本当に「魔力」のようなものをもっていると考えるとこれは危うい。
個人が、引き寄せの法則だと言って、縁起を担ぐ程度は自由だと思うが、事実は事実で言わなければならないことがある。
皆さんは、不吉な事であってもTPOに合わせ、口に出せているだろうか。
体におかしな不調がある、日本の将来が危うい、そういう心配は正直に周りに話した上で、対策を考えないと駄目だろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E9%9C%8A
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%B2%A2%E5%85%83%E5%BD%A6
あくまでも、口に出すことが必要かもしれないという前提においての話だ。
例えば「今後大地震が起きるかもしれないからどの都道府県でも備えは万全にすべきだ」というような話はすべきだ。
一方、「今から大地震が起きて日本列島が沈没するよ楽しみー」というような何の役にも立たない悪ふざけならば顰蹙を買っても仕方ないと思う。
タイムスリップをしたり平行世界を行き来する輩が、そんなのでよく今までやってこれたな。
「あの世界線は夏時間っていうのが導入されているんだ。夏の特定の時間帯、意図的に時刻をズラしているんだよ」
「……何でそんなことを?」
「夏って太陽が照っている時間が長いだろう。だからそれに合わせて時刻設定を柔軟に変更して、仕事とかの効率化を図るんだよ」
「……何でそんなことを?」
説明をしても全く同じ返しをしてくるあたり、ガイドはかなり困惑している。
まあ俺の生きる時代でも、「そういうことをやっていた国もあった」と授業で習う程度だからな。
後世に伝わっていないのも仕方ないか。
元の世界に戻る際、ガイドは『別世界の時間』をそのまま反映させてしまっていた。
普通ならそれでも問題なかったのだが、その『別世界の時間』は『夏時間(サマータイム)』だったんだ。
夏時間のない俺たちの世界と繋いだ際にズレが生じ、時間軸が分裂しかけたってわけだ。
「タイマーを見たとき、体感よりも時間の進みが違うなあとは思っていたけど、違和感の正体はそれだったのかあ」
「寝起きの悪い人間が早く起きるために目覚まし時計をズラして設定するが、ウッカリそのことを忘れて急いで学校に来てしまったみたいな感じだな」
「その例えは分かりにくいけど、これでやっと原因は分かったよ。すぐにその時差を反映させて再設定するね」
ガイドはそう言うと、本当にすぐ設定を反映させた。
辺りに漂う、言い知れない違和感がなくなっていくのが分かる。
多種多様なドッペルも一つに集まっていく。
元に戻ったドッペルは、未だ足元がおぼつかない。
吊り橋の上で揺られすぎた後の弟みたいだ。
「……なんか変な感じ」
「分裂しかけていた世界を繋げたからね。分かれかけた世界で起きた記憶と混濁しているんだろう。まあ、直に馴染むさ」
有り得たかもしれない可能性ってものを、もっと楽しめるものだと思っていたが。
俺自身は別世界でも代わり映えせず、細かな世界の差異は不和しか引き起こさず。
これならテーマパークで遊んでいたほうが幾分かマシだったな。
「そういえば……なあ、ドッペル。お前は別世界でも、趣向こそ違えど変装はしているんだな」
マニッシュっぽくもあり、フェミニンっぽくもある、中々シャレた着こなしだった。
「変装バリエーションを増やすために、あの世界での格好も参考にしてみたらどうだ?」
予想外の答えが返ってくる。
俺の知っているドッペルの服装からして、明らかに傾向が違うんだが。
「ということは、俺と会うときはいつも変装しているってことか」
「だって……なんか恥ずかしいし」
ドッペルは人見知りが激しい性格で、それを抑えるために変装をしている。
そうすることで違う自分を装ったような気分になり、何とか他人とも接することが出来るからだとか。
そのことは知っていたが、俺が今まで見てきた姿は全て変装だったっていうのは驚きだった。
最近はかなり打ち解けてきたと思っていたんだが、どうやら気のせいだったらしい。
別世界の俺なら、もう少し上手くやれているのだろうか。
あれだけ長々とやった割に、この世界では2時間ほどしか経っていないらしい。
「今年ってサマータイム導入されたんだよな?」
「いや、一応確認してみたが、されてないっぽいぞ」
「ええ? サマータイムあったと思うんだけどなあ」
多くの人たちが、あるはずのないサマータイムを「あった」と認識していたんだ。
その他にも電気ネズミの尻尾のデザイン、お菓子のロゴにあるハイフンの皆無。
微細な記憶違いを起こす人が多くいた。
どうやら世界の再結合による弊害は、俺たち以外にも起こっていたらしい。
確か、こういう現象には名前が付いていた気がするが……思い出せないな。
……久々にSF小説でも読んでみるか。
私は18歳の大学生。
中3と高1の時に同級生にレイプされた事がある(それぞれ別人)
理由は私はバカで気が弱くすぐに人を信じて騙しやすいからだそうだ。2人とも別人だけどどちらもこんな感じの事を言っていた。実際にそうで1人は「女友達がお前にあいたいから」と私を家に連れ込みレイプ、一人は「以前にカッとなって腹を蹴ったお詫び」とカラオケに連れ込みレイプ
それだけなら私は騙された被害者だろうが実は2人ともレイプより数ヶ月前に教室で私の胸やまんこを触っている(馬鹿なので居残りがおおい)私は怖くて泣いたが二人とも「もうしない ごめんなさい」「魔が差した ごめんなさい」と謝ったのでそれを信じてまた会話をするようになった。
こんな事があって純粋なレイプ被害者といえるのだろうか?少なくとも私以外の人なら言えるけど自分ではいえない。いまだにそう思う。
中1の時レイプがはじめてのセックスだった。痛かった。血がでた。それでも初めての感覚に気持ち良さはあった。私はどうしていいかわからず泣いた。前述の理由を言われた。友達の〇〇じゃ無くて良かった…私ですら人を喜ばせる事ができたんだ…都合のいい方に思考が変わる。ただ妊娠してないかが心配だったがどうやらしてなかったようだ。そのあとも何回か呼び出されて身体を触られたりフェラチオをさせられた。もちろん家族、先生にはいえない。卒業する前に相手が家庭の事情で転校してそんな日々は終わった。
そして3年後 またレイプされた。凄い勢いでまんこを触られちんこをつっこまれ出血。痛かった。痛みに叫んだけど「黙れ!」と殴られ声が出なかった。もちろん前と違い気持ちよくもなかった。相手はレイプ犯にしては優しい方なのだろうか?コンドームをつけていたから妊娠の心配はなかった。相手は気持ち良さそうなのに嫌がった自分に対する嫌悪感が凄かった。私がすこしでも人の役に立つならそれでいいじゃないか。思考がまた染まる。身体の関係はそれ以上なかったが相手が私が自分で身体を売ったと言いふらし気が弱い私は否定できず卒業までセカンドレイプがつづいた。
その後フラッシュバックも起きたが一人の時だけなので家族や友達にも迷惑をかけずにすんだ。自分が自分じゃない他人事のような感覚。自分でいうのもなんだが性格もかなりクールになった…というか家族でも人に心を開かなくなった。もともとは甘えんぼうだけどまた心を開いて痛い目にあうのはいやだった。嫌だし犯罪とはわかっているけど自分だけが辛い思いをして周りがなにも変わらないならそれでいい。といった考えが私を取り巻く。
そのあと3週間して私に彼氏ができた。2組となりの男子だ。私に一目惚れだったようだ(愛されることが嬉しいので恐怖心はなかった。)数ヶ月すごしてセックスはできなかったけど彼は「まだ早いか」と考えていたらしい。ある日一緒に遊んでいると急にフラッシュバックが起きた。正気にもどった後なにがあったのか聞かれ全部話したというか自然に口から出た。彼は私を抱きしめて「そんな辛い目にあってきたんだね 大丈夫だから。俺が幸せにするよ」「犯罪者の幸せのために辛い目にあう必要はない」と言ってくれた。初めて私が悪いわけではない加害者が悪いと気づいた。(いまだに消えない悩みはあるが)その日から彼の前だけで甘えん坊な性格がでるようになった。セックスもできるようになった。声のトーンや話し方もまるっと変わりおかあさんといっしょやアンパンマンなんかを見るようになった。二人でデートするときはプリキュアなんかのおもちゃも買う。公園でブランコをこぎシャボン玉を吹く。二人でいるときはだっこしてもらったり頭を撫でてもらう。甘えんぼうではなく幼児退行に近いがとても楽しい。自分が自分であるのはその時だけな気がする。
彼もそんな私が可愛いと言って甘やかしてくれる。
だが弊害がある。一人か彼といる時だけなぜかフラッシュバックが起きる。たまに遊びを中断することもあるが彼は受け入れて抱きしめてくれる。
私はいま加害者がなにをしているかわからないし知りたくもない。私は幸せに暮らしているがあなた達が残した傷はかなりおおきい。ということはつたえたい。
終着点が見つからず読みにくい歯切れの悪い終わりかただが吐き出しなので勘弁を。もし読んでくださった方がいたらありがとうございます。質問などがあれば身バレしない範囲で答えます。
30歳、大学出てからは、老後のためにも今後の生活展開のためにも、ある程度貯金が必要と思ってやってきた。
「貯めとくに越したことは無い」という発想は強いけれど弊害も同時に大きい考えだと思いつつ、崩せない行動様式になってしまっている。
とりあえず1400万円たまっている。
今までで一番大きな買い物は、ある資格関係の勉強に100万円弱注いだこと。
それ以外だと、30万円のロードバイクを買ったくらいで、あとはなるべく貯蓄と投資に回している。
でも、iPhoneXとか欲しいとはあまり思わないし、旅行に行くときのデジカメも中古の一眼で十分だと思うけど、なんか物足りないような気がする。
図書館で古事記や和歌集や方丈記や徒然草や南総里見八犬伝、東海道中膝栗毛といった古典をよく読んでいた。
別に読む読まないでさほど影響しないだろうと。
読まなくなって、長文を読むのが億劫になった。
ショートショートと言われる星新一の短編ですら1Pで長いなあと思う様になった。
口頭でも文章でも、まさに今このはてな匿名ダイアリーの日記ですら言いたいことをちゃんとまとめられなくなった気がする。
言いたいことが迷子になったり、順序がめちゃくちゃで見返して意味不明になったり。
これが本を読まなくなった弊害だとしたら、本を読むのって大事なんだなあと思う。
ただ、前述の通り本を読まなくなるとまた読めるようになるのは難しそう。
社会人になってから本を読むようになった人って、どういうきっかけで読むようになったのか教えてほしいです。
参考にしたい。
私は新規だ。
謙遜でもなんでもなく新規のおたくだ。若手俳優界隈自体の新参だ。
私はほんの少し前に推しに出会った。舞台の映像を見て、世界が変わった。汗だくで踊るその人は、本当に素敵だった。これまで三次元にあまり興味のなかった私だが、一気に引き込まれた。
学生身分であることと、親が厳しいことの弊害で見れないものも多かったが、出来るだけ代表作の映像を見た。余っているチケットを譲っていただいて、テスト後に無理やり舞台の予定をねじ込んだ。
初めて生で見たその人は席の問題で遠かったが、凄くかっこよかった。また見たいと思った。ただ、その舞台は初演から一気に人気に火がつきチケットが手に入らず多ステには至らなかったので、円盤を予約した。
それ以降、出演予定のイベントや舞台は、行けると確定しているところは全て応募した。このままではファンとして恥ずかしいと、ダイエットを始めた。生まれて初めて写真集を手に取った。そして今、ブログやインタビュー記事を過去に遡りながらコツコツ読んでいる。
私の周りに俳優のおたくはいない。友人は二次元か声優のおたくなので、私が必死に情報に手を伸ばしているのを「頑張って、協力するよ」と応援して、色んな発表を一緒に喜んでくれる。毎日幸せで仕方ない。
ただ、ずっと怖いと思っていることがある。
時間は巻き戻せない。どれだけ祈ったところで、私が今「推し」と認識しているその人に出会うのを数年前にすることはできない。どれだけ後悔しながら円盤を見ても歴は伸びないし、どれだけ過去舞台のトレブロを回収しようと定価以上に払うお金が推しに回ることはない。
はてブロで「3年目の新規」と書いている人がいた。3年目で新規なら、私はその辺りに落ちている紙切れにも値しないんじゃないか、と考えてしまう。古参の方々は、私のような突然舞台に通い始めた新規を受け入れてくれるのか、笑われやしないか、今のままでは茶の間と呼ばれてしまうのではないか、それが怖い。
私は、別界隈に追いかけ始めて8年になる同性の推しがいる。私より歴の長いおたくは他界した人が多いため、私は今では古参と呼ばれる立場だ。一度推し始めると長いため、もう自分が新規だったことのことが思い出せず、今どうすればいいのかわからなくなってきた。
しかし、今はただ推し俳優さんの演技が見たい。板の上で輝いている姿を見たい。接触に行くつもりは今のところないので、同担さんと何もないことを願うばかりだ。
クソ田舎なので外国人をあまり見ない。先日サクラとして参加したシンポジウムで、日本人の若者が将来の夢について
はつらつと語ったいちばん最後に、外国人留学生のチーさん(仮)も夢について語るよう司会に振られていた。
チーさんは地元の地方国立大学大学院に留学してきているいわゆるエリート層のはずだが、司会に振られた最初の質問は
「志ってわかります?」だった。「漢字って難しいですよね。わかります?」はあ。「何年生ですか?何歳ですか?日本に来て何年目ですか?日本語お上手ですね。」
にこにこ満面の笑みで司会進行するアナウンサー。
大学生にする質問ってさあ、もっとなんか違うもんがあるんじゃないの。あなたの専門はなんですか?とか。
これが日本人の大学生なり大学院生だったらもっと違う質問してただろうなあ、とこれまでの日本人に対する司会の投げかけを見て思ったからより一層寒く思った。
事前に発表する人はだれかわかっているのに通訳なりつけるとかすればいいのにそれもなかったしね。
大衆の前でなぶられる外国人留学生を見て、クソ田舎の文化に対して「そういうところだぞ」と思ったのだった。
あのアナウンサーはもうちょっと事前に何を質問するとか考えたりしなかったのだろうか。
擁護するなら、「外国人」っていうだけでテンパってしまったのかな~って所だが、お前はプロじゃないのか。
レス返し
これを差別というのかなあ?
「とりあえずわかりやすい正義ワード」を使って安易に他人を攻撃していいのか?
なるほど。文意を汲んでもらえなかったみたいなのでレス返すね。
差別って、特定の集団に属する人をそれだけで特別扱いするってことだと認識してるんだけど、
この場合は日本語に不慣れな外国人ってだけで幼児扱いするのが差別だと感じたんだよね。
ここで言いたかったのは、明らかに力量不足のアナウンサーを起用して集団の前で特定の人を侮辱することが
力量不足の司会を起用して、大衆の前で個人を侮辱するのは主催側のいじめじゃん。公的な催しでそんなことしていいの?
クソ田舎の文化の中じゃ、このアナウンサーがプロとして力量不足だっていうことも、あの司会が差別だっていうことも認識されようもないのが
めちゃくちゃ恥ずかしいと地元民として思ったんだよね。ムラ社会の弊害だよ。
ていうか差別って正義ワードなのか?この日記は正義を振り回して過剰に口撃しているのか?
マイノリティへの差別に敏感だと思われる場所で、ヴィーガンに対しては「◯◯人は頭が悪い」「◯◯は犯罪者予備軍」と同じようなレッテル貼りが平気で行われ、そのようなコメントが多くのスターを集めている光景を何度か見て悲しくなったので、この記事をあげます。
偏見の解消に役立つのか、より悪い印象を与えてしまうのかはわかりませんが、「倫理的観点からのヴィーガニズム」について書きます。
まず、宗教上の理由からヴィーガンになる人はいても、ヴィーガニズムそのものは宗教ではありません。宗教は神話や信仰に基づいていますが、ヴィーガニズムは現実的認識や科学的根拠に基づく生き方です。論理的な考察によって動物搾取を倫理的に正当化できないと判断し、犠牲を減らすための次善策を実践することは合理的ではないでしょうか。一部の悪徳な動物愛護団体などがカルト的主張・振る舞いをしているからと言って、ヴィーガニズムをカルトとする理由にはなりません。また、ヴィーガニズムは自然崇拝と相性が悪いです。
ヴィーガニズムへの反応では、事実に基づかない思い込みで論理を飛躍させ、レッテルを貼って貶める人たちが多く見られます。ヴィーガニズムはよく宗教的だと言われますが、知識を得て考えようとせず、主観的な決めつけを盲信することこそ宗教的態度ではないでしょうか。実際のところ、「感謝していただくのが大事」「残さず食べれば供養になる」「人間は特別(理性的存在)だから、(肉食動物と同じように)動物を殺していい」「昔から続いている」「(畜産業は)自然な食物連鎖の流れのひとつだ」「動物を食べないなら植物も」などの反論には筋が通っていませんし、宗教的考え方に近いです。
ヴィーガニズムは、「苦痛や搾取を減らすこと」に重きを置いています。このことからなぜ牛乳や卵がダメなのかも理解できると思います。
なので「命は平等なのに植物の命はいいのか?(植物も同じように尊重しろ)」というよくある反論はズレていますが、これには「それほど植物を大切に思っているなら、肉食をやめれば結果的に多くの植物の命を救うことができる」と答えます。植物を持ち出す人は大抵、真面目に植物のことを考えているわけではないと思います。ただ肉食をやめたくないのだと思います。それなら「たとえ動物を搾取し、環境を破壊し、飢える人を増やすことになっても肉食をやめたくない」と言うほうが、自分のエゴと素直に向き合っているだけまだましだと考えます。
動物搾取に反対することと、ハンバーガーやピザやケーキやアイスを食べることは両立可能です。葉っぱ生活を強いられるわけではありません。
ヴィーガニズムをよく知らない人々の反論は、同じパターンの繰り返しになっています。論理的にものを考えることができれば、ヴィーガニズムについて筋の通った反論をするのは非常に難しいと気がつくと思います。なのでヴィーガニズムを斥けようとする人のほとんどは、理解を拒み、感情や文化や思い込みなどを盾にした詭弁に逃げたり、馬鹿にして取り合わないことで溜飲を下げたり、単なる罵倒に終始しているように見えます。
搾取を低減するために自らの理念を広めて新しい生き方の選択肢を提示することよりも、自分の快楽のために動物たちに苦痛と死を与えることのほうが「押し付け」がましくはないでしょうか。現実的な認識に基づいて倫理と向き合い、動物搾取だけでなく食糧危機や地球環境の問題をも解決できる道を選んだヴィーガンより、それらの問題に関心を持ったことがあるのにもかかわらず、彼らを鼻で笑う人のほうが「偽善者」ではないでしょうか。
世界の問題を解決するためには、まずより多くの人にヴィーガニズムについて知ってもらう必要があります。それさえ気に障る人はいるでしょうが…。肉屋の襲撃などはヴィーガニズムを広める手段として認めることはできないです。迷惑極まりないですね。
ヴィーガンになることを強要はしません。しかし、せめて都合の悪いことに目を背け続けるのはやめませんか、と私は言いたいです。自分の暗い欲望に蓋をしてヴィーガンを揶揄し、「精神異常者」「宗教的な過激派組織」「人間より動物が大事な奴ら」などのようなヴィーガン像を広め、貶める態度ついて今一度振り返っていただきたいです。
最後に、肉食をすることは、畜産業における虐殺まがいの行いを支援することになります。地球環境を守りたいなら、節水するよりも電気自動車に乗るよりも、肉食をやめるほうが効果的です。貧困に喘ぐ子どもたちを救いたいなら、募金するよりもヴィーガンフードを買うほうが貢献できます。かつて奴隷制が当たり前だったように、今は動物搾取が当たり前だとされています。世界で多くの弊害をもたらしているにもかかわらずです。初めから完璧を目指さなくとも、少しのことから始める勇気があれば、前進できます。これらのことを心の隅にとどめておいてくれる人が僅かでもいるなら、私は嬉しいです。
あからさまに非人道的な扱いをするとかそういうのは勿論駄目だけど、
また現実として人間が物理的実体を持つ存在である以上仕方ない範囲で「モノ」になる場合もあって、それも人間たることの要素のひとつなのに
そこを無視するというのはそれはそれで「人間性」があまり丁寧に受け止められてないって思ってしまう
例えば、
また物理的存在である身体を持って、「モノ」であるがための制約を受けながら生きているのが現実だ。
言い換えれば、人間というのは単に「精神」的な部分だけではない。
もちろん、こういうのが絶対的に良い要素でしか無いと言いたいわけではない。そのせいでいろいろ弊害があるのは理解してるつもり。
>このような主人公のキャラクター設定には、高貴な身分から落ちてしまったという悲劇、そしてその境遇に立ち向かい栄光を手にするというサクセスストーリー、といった読者の心を掴む要素があるのではないでしょうか。
>これといった目的やゴールもなくストーリーが進んでいくので、主人公を応援したい気持ちになれず、
いきあたりばったりな書き方は、「奇想天外な物語」を作ることはできても、「物語の奥深さ」を作り出すことはできないのではないでしょうか。
これは全巻一気読みの弊害というか、物語通して一つの目的が無い、終わりをチラ見しながら読んでたらそういう感想になるのも百歩譲って分かる。
ただ、「サイヤ人」「フリーザ」「セル」「魔人ブウ」など時々の目的はあるじゃん。
っていうか奥深さって何よwアクションエンタメ漫画に奥深さを求める意味が分からない。
サイヤ人とかナメック星とか、後付けで徐々に独自の世界観を作りこんでるじゃん。
最初っからカッチリとルールが設定されてないとダメなタイプなのか。
>ストーリーに関しても、当時はまだ「黄金パターン」のキャラクター設定を採用している作品がそこまで多く世に出ているわけではなく、
男塾や北斗の拳、キン肉マンや聖闘士星矢みたいな「王道の黄金パターンで行き当たりばったり」な作品は当時から山ほどある。
選択肢が今ほど多くないのは事実だが、今もそのスマホゲームや数多くの映画の中からドラゴンボールがヒットしてる理由の説明にならない
ジジイ相手の商売ならまだしも、外国人や子供も楽しんでるんですが
そもそも良かった点が見当はずれなので通じるもクソも無い
むしろ中学生時代に大量のPS2ゲームに触れてる世代ですあなたの世代は
最後の最後に「黒船を見た江戸時代の人はさぞ驚いたでしょう」みたいな逆マウンティングをかます姿勢がクソ
というか、「個性豊かなキャラクター」「みんなが真似した必殺技」みたいな要素を魅力として感じれなかったのは好き嫌い以前にマズいだろ