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はてなキーワード: 図書館とは

2022-10-27

健康的に生活コストを下げる案

30代独身サラリーマンでの検討です

コンビニでは物を買わない

飲み物水道水使用し、水筒活用

・物のメンテナンスを行う(革靴を交互に掃く、磨く等)

・日々の支出収入をつける

・できれば個人貸借対照表損益計算書・将来キャッシュフロー作成する

風俗はいかない

飲み会は一番金を使うので、状況によっては誘われてもいかない

・車は捨てる

映画映画館に行かずアマゾンプライム

・本は買う前に図書館にあるか検索

・食費はケチらないが、なるべく安くて栄養のあるものを(卵・納豆など)

・おごりは投資相手を見極める

散歩お金にも健康にも最適

会社からは少し遠い電車通勤の家に住む(定期で交通費が浮く)

2022-10-26

ニート生活に入る前は

どんなことして過ごそうかって色々考えて、図書館に行ったり、地元公園散策したり、創作活動をしたりとか色々想定してたけど、結局午前と午後と30分の運動をして、あとはPCの前に座ってるって生活になってるな。

2022-10-25

anond:20221025203314

いや、意味というより普段の使われ方の問題で…

スーパーとか図書館とかの帰れ圧力イメージが強い

葬式でかけられても帰れ圧力感じそう

anond:20221025120832

図書館とか将棋普及活動かに使っては。

なんかこう、世の中の価値の総量を増やせるといいと個人的には思う。

2022-10-23

anond:20221022184030

こりゃあ今の時代、「はだしのゲン」も仮にネットで連載されていたらTwitterでBAN食らうだろうね。

社会的に弱い人たちに対する差別用語が平然と飛び交い、それどころか決死覚悟日本を守ろうとした兵隊さんたちを侮辱する酷い漫画だった。

連載当時も作者の「当事者枠」でギリギリ許されていただけだったが、もはやリベラル価値観から保守価値観からも許されない漫画

Twitter図書館たまたま読んだ子どもたちが傷つく。

2022-10-22

チェンソーマンOP生活保護

俺は欲しいものがある、早寝遅起きしても咎められない環境と(一日12時間寝ないと心身が辛い)、自由時間と、一日一食の最低限の栄養が賄える食事と、狭くても清潔な居住環境だ。

女が抱きたい、良い部屋に住みたい、美味いものが食べたい、旅行がしたいとも思わない。図書館で借りた本を消化してるだけでそこそこ楽しく暮らせるからだ。

前述の欲しいものの為に働けば働くほど、俺は欲しいものから遠ざかる。高卒だし、頑張って貯蓄してもFIREできるような収入には遠く及ばないからだ。

チェンソーマンOP『KICK BACK』の歌詞に「幸せになりたい 楽していきたい」とある。俺は、生活保護さえ貰えれば、その願いを一気に叶えることが出来る。「生活保護受けてたら遊べないぞ」だって?笑わせんな、働いてたら遊ぶ気力なんてわかねえよ、働いてても遊ぼないので問題はない。「生活保護受けると周りの目が冷たくなるぞ」だって仕事出来ない無能の俺を見る職場人間関係者の目はいつも冷たいよ。それが普段接しない世間の目に変わるなら願ったり叶ったりだ。

この手に掴みたい、公的扶助の中の生活保護

2022-10-21

何故昔は大量の死体を穴の中で焼いていたのか?

ホロコーストマニアになって2年以上の私だけれど、ホロコーストには理解しにくい話も多いとは思っている。何故増田にしばしばホロコーストの話を投稿するかというと、こんな話「チラシの裏にでも書け」だと思っているからで、チラシの裏といえば増田しか思いつかないからだ。チラシの裏でなくてもいいネタちゃんnoteかに書いている。

 

歴史とは「起きた事実」について考えることであって、起きた事実を「実際には起こらなかった」と考えることではないので、事実認定は慎重ではあるべきだが、単純にその事実が信じられないからと言って否定的に考えるべきものではない。

しかし、ホロコースト否定派は、「自分が信じられないことは起こらなかった」と考える傾向が極めて強く、フランス人修正主義者として名高いロベールフォーリソンはとにかく自分が信じられないからと、アウシュヴィッツガス室代表例として徹底的に否定した。

 

さて、そのアウシュヴィッツビルケナウ)の火葬場の火葬能力現代火葬場に比べて桁違いに処理能力が高いという史実は、もちろん否定派は信じない。1943年6月28日付のアウシュヴィッツ建設部がベルリン親衛隊経済行政管理本部に送った書簡には、収容所全体の火葬場の能力として1日あたり、4,756体の処理能力があったと記されている。これは計算上、15分で一体を火葬していたことになるため、現代日本では一体1時間かかるので、実にその能力は4倍もあったことになる。しかも、アウシュヴィッツ火葬場は連続稼働が可能で、火葬場が壊れない限り(実際には何度も故障修理していたが)延々と火葬を続けることすらできた。従って実質的には、日本現代火葬場の4倍の能力どころではなく、約二十倍遺体処理能力があったのである日本場合いくら頑張っても1日に最大五体だが、アウシュヴィッツ火葬場は百体近い。

 

何故そんな高処理火葬可能だったのかについては、一つは、日本火葬場では、というか世界中火葬場がそうだろうが、一炉につき一体ごとにしか遺体火葬してはいけないかである。これは当たり前の話で、遺骨を遺族が引き取る必要があるからだ。だから普通火葬炉を一回ごとに冷ましてから台車などで焼け残ったものを炉の中から取り出し、遺族が箸で骨を拾う儀式を行うのである。もちろん遺体を炉に入れる前には通常、僧侶が付き添って儀式を行ってから、となる。清掃も必要だし、あれやこれやで一回転あたり最低でも2〜4時間はかかる。つまり日本現代火葬場はそれ以上処理能力を上げられないボトルネック存在するのである火葬場の人員上の問題もあるので、1日五回転がせいぜいなのだ

 

アウシュヴィッツ火葬場ではそんなボトルネックなどない。儀式など必要ないし、遺骨を遺族が引き取ることもないか複数人の遺骨が混ざっても大丈夫だ。とにかく大量に死人が出るので、遺体処分けが目的である。だから、焼却を妨げない限り、遺体は常時複数を炉に入れて焼却し、炉の下に落ちた焼却灰(完全焼却などされていない)は焼却中にガンガン取り出し、炉内の遺体を入れる箇所に隙間が出てきたら、連続的に新しい遺体を投入してゆく。火葬炉は、三つ(あるいは八つ)のレトルトが内部でつながった構造になっているので、それらそれぞれのレトルト火葬している限り、炉内はあまり温度が低下せず高温を維持できるようになっていた。このように温度変化が少ない状態が続くので、理屈上は火葬材も長持ちするのが特徴でもあった。ただし、戦時下建設された火葬場なので火葬材の品質が悪く、故障は頻発したようである

 

しかし、そんな高処理能力火葬場があったのに、それでも火葬能力が追いつかないほどの死体は発生することもあった。1日あたり最大で一万人も殺していたとされる時期、1944年5月から7月にかけてのハンガリーユダヤ人大量虐殺を行っていた時期である。やっと本題である

 

この時期、火葬場が足りないので、野外に穴(壕)を掘って遺体を焼却していたのだという。ゾンダーコマンドのシェロモ・ドラゴン証言によると「長さ25メートル、幅6メートル、深さ約3メートルの穴が5つありました」だそうである。この証言の他にも野外焼却をやっていた場所もあった。司令官ルドルフ・ヘス回想録によると、大半の遺体を野外焼却によって処理していたそうである。 

 

否定派の疑問(難癖)の一つは、そんな大量の遺体を焼却するためには大量のガソリン必要だったはずだから終戦前年くらいの時期にそんな大量のガソリンを用意できたはずはなく、嘘に違いない、というものである。これはしかし、否定派は「ガソリンが用意できなかった事実」を証明していないので、難癖の域を出ないわけだが、実はアウシュビッツ収容所群の一つ、第3収容所であるモノヴィッツ収容所があったのは大企業であるIGファーベンの工場であり、ここではメタノール製造していた。メタノールが燃料となることは言うまでもない。事実、誰の証言だったか忘れたが、野外焼却でメタノールを使っていたとする証言も見たことがある。

さらには、死体を焼却していると死体から脂肪分が溶け出して垂れてくるので、それを壕の底に溝を掘って溶け出した油をその溝に流して、別の場所に溜めてからその脂肪油を死体ぶっかけて燃料替わりにしていたのだという。もちろんそんな話否定派は信じない。

もう一つの難癖は、壕、すなわち地面に穴を掘ってそこに遺体を溜めて焼却することなど、科学的に考えてできるわけがないとするものである。何故ならば、穴の中が燃焼によって酸欠になってしまうからだ、という。しかしこれは、穴の形状にもよるはずである。凹型の壕ならば、それもあり得るかもしれないが、上に向かって広がっている穴ならばどうか。あるいは幅六メートルに対して深さ三メートル、長さ二十五メートルから、これならば何となく酸欠になりにくい感じもする。もちろんその程度の理屈では否定派は納得したりはしない。

ところが調べていると、日本のあの関東防疫給水部、731部隊撤退時に証拠隠滅目的で、大量の死体を同様に穴を掘って焼いていたとする証言があった。

外には穴が掘られており、穴の中に薪と"マルタ"が交互に積み上げられ、あとは火をつけるだけになっていました。(P93)

 ところが、ほんとうの意味での処理は、それからであった。

 七棟と八棟の近くに、それぞれ大きな穴が一つずつ掘られていた。この穴に、直径一五センチぐらいの丸い鉄棒が何本も平行にわたされた。ちょうど、巨大なバーベキューの網のようである

 わたしたちは、二人一組になって各監房から丸太」の死体中庭に運び出した。運び出した「丸太」の死体は、鉄棒の上に並らべられた。

 そのうえに、たしか重油だったと思うが、燃料がぶちまけられた。火が放たれた。瞬間、赤い焔とともにもうもうたる黒煙があがった。

 「丸太」はこうして、次から次へと、鉄棒の金網の上で焼かれていった。全部で二〇〇体くらいはあったのではないか。(P116-P118)

731部隊(10) 終戦時、「マルタ」の「処分」より

 

残った骨などは砕いて近くの川に捨てに行ったというのだから、規模こそ違えど、やってることはアウシュヴィッツのまんまである

論争相手にこれを示しても、どうやらホロコースト否定であると同時にネトウヨでもあるらしく、731部隊丸太処分の話など信じないのだという。

しかし懲りずにもっと調べていたら、広島原爆でも、穴を掘って大量遺体の焼却処分をやっていたことがわかった。

原爆投下後二日以後方方でこんなすがたが見られた

灼けつくやうな八月の炎天下も夜には満天の星空・・・・・

ひる間の呻き声も次第に聞かれなくなって数多くの人が昇天していった そうして町のあちこちで穴が掘られやけただれた鉄骨を並べた上に死体がうづ高く積まれ油をかけて焼かれていった

穴に死体をうず高く積み上げ油をかけて火葬する風景が町のあちこちで見られた。 | NHK 原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ

 

調べたのはネットだけだが、他にもいくつか穴で遺体を焼いていたとする記述は見つかった。

 

まず焼却燃料について、終戦間際の物資に窮乏していたはずの日本ですら、原爆被害の酷い惨状でも燃料となる油があったとする事実は、ナチスドイツ親衛隊運営していたアウシュヴィッツ収容所終戦前年に「ユダヤ人絶滅作戦という中で、燃料を用意できなかったとする否定派の理屈を非常に弱めるだろう。

そして、ネトウヨ731部隊を信じないとしても、原爆被害実態否定するのは難しいはずである

ともかく、怒涛のように証拠だらけなので、否定派の難癖は無意味である

 

しかし、では何故穴を掘って遺体を大量焼却していたのか? 実のところ、そこがよくわからない。穴を掘る意味がよくわからないのである

高いところから油をぶっかけやすいからだろうか? それとも、焼却後に遺体処分として埋めるのが簡単からだろうか?

 

何か知っている人がいたら是非教えてほしい。近所の図書館に行って、司書さんにまで手伝ってもらって文献を調べたが、それでも結局その理由がわからなかった。

 

※前回書いた似たような内容の増田日記は削除しました。とにかく、何故「穴を掘って」遺体を大量焼却していたのか? 何か知っている人は教えてくださいませ。

anond:20221021132346

でも、ド田舎と違って東京には、スーパーコンビニ高校大学地下鉄電車バスあるじゃん

高校まで(なんなら大学まで)バス地下鉄で行けるなんて、うらやましいぴょん!

え? 自転車通学? なんや、それ!

それどころか、あろうことかスーパーコンビニなんて歩いて行けるそうじゃんかよ、、

おまけに図書館美術館博物館であるそうじゃんかよ、、

おまけに、(もう疲れた

スパルタ人はわざと重い鉄貨を使ったのか?

友達最近藤村シシンさんがFGOギリシャ史と絡めて解説する動画にハマったらしい。ヲタトークをしていたらシシンさんの動画面白かったという話をしていて、それはいいんだけど、「古代スパルタだとお金をわざと重くして人々が堕落しないようにしてたんだって!」と楽しそうに語りだしたので「そんなことある???」と思ってしまった。古代ギリシャ史については素人だけど、流石にちょっと胡散臭くないか

ということで調べてみました!

動画はこれ。

https://www.youtube.com/watch?v=1R-hpr7FJdI

まあトーク番組だから出典をいちいち挙げないのは当然として、じゃあ何がソースなんだろうと思ってちょっと検索してみたら、元ネタプルタルコスの『英雄伝』なのね……『英雄伝』はギリシャローマ英雄たちの逸話を紹介してる本で、日本語訳複数出てるけど、増田素人から手元になくて近所の図書館にもなさそうなので、ネット英訳版を見てみることにする。具体的にはリュクールゴスの章に書かれているらしい。

Not contented with this, he resolved to make a division of their movables too, that there might be no odious distinction or inequality left amongst them; but finding that it would be very dangerous to go about it openly, he took another course, and defeated their avarice by the following stratagem: he commanded that all gold and silver coin should be called in, and that only a sort of money made of iron should be current, a great weight and quantity of which was very little worth; so that to lay up twenty or thirty pounds there was required a pretty large closet, and, to remove it, nothing less than a yoke of oxen. With the diffusion of this money, at once a number of vices were banished from Lacedaemon; for who would rob another of such a coin? Who would unjustly detain or take by force, or accept as a bribe, a thing which it was not easy to hide, nor a credit to have, nor indeed of any use to cut in pieces? For when it was just red hot, they quenched it in vinegar, and by that means spoilt it, and made it almost incapable of being worked.

In the next place, he declared an outlawry of all needless and superfluous arts; but here he might almost have spared his proclamation; for they of themselves would have gone after the gold and silver, the money which remained being not so proper payment for curious work; for, being of iron, it was scarcely portable, neither, if they should take the means to export it, would it pass amongst the other Greeks, who ridiculed it. So there was now no more means of purchasing foreign goods and small wares; merchants sent no shiploads into Laconian ports; no rhetoric-master, no itinerate fortune-teller, no harlot-monger, or gold or silversmith, engraver, or jeweller, set foot in a country which had no money; so that luxury, deprived little by little of that which fed and fomented it, wasted to nothing and died away of itself. For the rich had no advantage here over the poor, as their wealth and abundance had no road to come abroad by but were shut up at home doing nothing. (...)

http://classics.mit.edu/Plutarch/lycurgus.html

なるほど、シシンさんのトークプルタルコス記述に忠実だ。少なくとも彼女は盛って話していたわけではない。

で、プルタルコスの『英雄伝』が書かれたのは後2世紀初頭と言われているんだけど、ここで逸話が語られているリュクールゴスはだいたい前9世紀頃に活躍した人物と言われているのね。彼はスパルタの半ば伝説的な立法者。要するにプルタルコスは直接スパルタで鉄貨を見たんじゃなくて「1000年くらい前のスパルタではそういうことがあったらしいよ」っていう伝承を語っているのよ。古事記かな?

ところで根本的に、古代ギリシャでは鉄の棒を通貨として使っていた地域があったらしいんだよね。「わざと鉄の棒を通貨として採用した」んじゃなくて「もともと鉄の棒をお金として使ってた」だと、かなりイメージ変わってこない?

https://www.brown.edu/Departments/Joukowsky_Institute/courses/greekpast/4792.html

ちょっと古い文献だけど,Charles Seltmanっていう貨幣専門家が書いたA Book of Greek Coinsっていう本にも次のようなくだりがある。

Certain it is that before coined money was used in Greece other states as well as Sparta, chief among them Sparta's great rival Argos, regularly employed iron spits as currency.(34頁)

https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.280124

なんでかというと、スパルタがあったラコニア地方は単純に鉄が採れる地域なんだってさ。そら、鉄が採掘できるなら鉄貨使うわな。

Iron was mined in Laconian territory, in the southern spurs of Taygetus and Parnon which end in Capes Taenarum and Malea. It was, therefore, but natural that the Spartans, with the wealth at their disposal, should employ bar-iron as currency; and their conservatism, combined with their lack of any more precious metal, led them to continue the employment of iron money for four centuries after other Greek states had adopted coin(33頁)

さらにこうも書かれている。

a currency which was possibly kept in use for reasons of economic convenience rather than for the enforcement of a stern rule of life(34頁)

要するに、

ってことね。

質実剛健さを重んじてわざとコインを使わなかった」のが仮に史実だとしても、「あえて鉄の棒を採用した」んじゃなくて「鉄の棒を使い続けた(=コイン採用しなかった)」というのが本当のところなんだろうなぁ。

あと,「偉い人の論文読んでみたら、普通にスパルタでは外国通貨使ってたらしいよ」というブログ記事も見つけた。ただ元の論文がなかなか見つけられないので確定的なことは言えないけれど……

https://hoferjonathan14.medium.com/the-iron-money-of-sparta-likely-a-myth-97d95d431a62

このエピソード英語で色々ググってみたけど全部出典がプルタルコスに行き着くので、考古学裏付けはあまりないっぽいんだよね。まあプルタルコスおもしろネタが満載なわけだけど、そこしか出典がないとなると結構胡散臭いんじゃないかな。

もちろん増田古典ギリシャ語とか読めない素人から、実際には他のところにも記述があったり、考古学証拠が見つかっていたり、リュクールゴス時代古文書が発掘されている可能性もあるわけだけど、個人的にはシシンさんのスパルタの鉄貨に関するトークを信じる気にはなれないかなと思いました。

追記

https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/2907/

この記事に鉄の串の写真があって、シシンさんが解説を寄せている。解説の文面はまあ納得のいく見解なので(串がコインに先立つことや、コイン出現後もスパルタでは串が使われていたと書いている。そこに異論はない)、動画でのトークネタに振り切った感じなんだろうか……

シシンさんの動画のそこ、笑ったw 増田調査サンキューやで / その上で、動画FGOというゲームを楽しむユーザー向けで、論文ではない。そこでネタとして紹介してくれたものに目くじらを立てる気に私はならんな

FGOファン向けなら史実かどうかは怪しいおもしろエピソード史実かのように話していい…ってコト!? ワ…ワァ…FGOファンにもシシンさんにも失礼すぎて泣いちゃった!

様々な論点があるので100字に入りきらないが,スパルタ貴金属貨幣禁止していたということと,リュクルゴス制の成立を前9世紀とするのは後世による「伝統創造であるこことは指摘したい。

書き方が悪かったかもしれませんが、鉄貨の存在貴金属貨幣禁止否定していません。

動画では、シシンさんは「スパルタお金をどんどん重くしていって、賄賂や贅沢を抑止していた脳筋国家である(少しでも金額が大きくなると持ちきれないほどの重さになるから袖の下は渡せないし、持つことで鍛えられるから)」と言っています

これ、前提知識なしで聞くと「バーベルのような鉄貨は堕落を嫌ったスパルタ発明」と聞こえるんですよ。実際に増田にこの話を面白そうに話した友人もそう理解していましたし、増田トークを聞いてそう理解しました。そして実際にプルタルコスはそう書いています

でも実際には、単にコイン発明からスパルタやその周辺地域には棒状の貨幣があって、スパルタはそれをコインに置き換えなかった、という話なんですよね。で、参考文献に挙げた本にも「マッチョイズムじゃなくて経済的から使ってたんじゃない?」と書いてある(最後引用したセンテンス)。これ絶妙史実勘違いさせるトークになってません? って思っちゃうんですが、どうでしょう

(もちろん、副次的効果として賄賂の抑止や筋力増強はあったかもしれませんが、それが主目的であるかのように論じられると……都会民は電車通勤ゆえに自家用車通勤地方民より体力があったりしますが、都民の体力を増強させるために都はメトロを整備したんだ、と言い出したら違う話になるでしょう?)

リュクールゴス実在人物であるかのような筆致はご指摘のように不用意でした。

2022-10-20

幽霊見えるやつがうんこしてた

図書館トイレ入ったら、個室が一つだけ閉まってて他には誰もいないのに音姫がシャラシャラ鳴ってた。

誰に聞かれたくなかったんだろうか。

2022-10-19

平日に一人で非日常を過ごしたい

来週突然仕事休みになりそうになった。

休日は常に家族と過ごしているし、仕事休みな平日もひとりで家に居てダラダラしかしないので、家から出て、家族のいない小さな日常時間を味わいたい。

少し考えてみた。

要件

から出る。

やったことないことをやる。

から刺激を受ける。

運動神経と膝が悪いのでスポーツは避けたい。

19時にはおうちに帰って夕飯は家族と過ごしたい。

当方東京多摩方面在住。都心に出るなら新宿あたりが望ましい。

アイディア

公営ギャンブル

賭け事には興味がないが、(有料ではあるが)机がある席があることに魅力を感じている。

100円ずつ適当に賭けて、レース人間観察をしながら机でどうでもいい考え事や読書をしたい。

本場がなくて場外もない日は開館していないことに注意が必要である競艇は開いている日が多い(そもそもレースが多い)。

東京競馬場(平日の場外は今はやっていないのでボツ

京王閣競輪:開いていない日が多い)

オフト京王閣(場外馬券:非開館日があるナイターだと夕方からしか空かない)

ボートレース多摩川(大体毎日空いている)

立川競輪あいてない日も多い)

劇場寄席

からの刺激はこれかなと思っている。

吉本興業東京ではルミネ→∞@渋谷神保町の順でメジャーな人が出る)

新宿末廣亭

池袋演芸場

鈴本演芸場(@御徒町

浅草演芸ホール

浅草東洋館

カラオケネットカフェ

ストレス解消はひとりカラオケが一番な気がする。

刺激を受けないが、短時間に大声で叫びきるのは良いかなと思っている。

ネカフェパスグランカスタマに行くとかイリーガルチャレンジはできるが、もうそんな年ではない。

プール

運動は嫌いだが、水泳は少しだけできる。

いわゆる市民プールに行くも案だなと思い始めてきている。

ポーカー

Youtuber麻雀クラスタポーカー推してきていて興味はあるが、遊ぶのに時間がかかる趣味だなと思い始めてきたので今回はパス

世界のヨコサワの店で初心者向けテーブルが基本毎日立っているみたいだ。

図書館

大型図書館で過ごすことも考えたが、あまりからの刺激を受けなさそうではある。

https://travel-star.jp/posts/19991

公園神社仏閣・空港

独身の頃によく行っていた案。何もないところに行きボケっとして頭をすっきりさせることができるが、今回はパス

新宿御苑

羽田空港

調布飛行場

深大寺神代植物公園

昭和記念公園

体のメンテナンス

この前初めて突然めまいがしたので、脳ドックに行ってみたい。

検査だけやって結果はWebで受け取れると所要時間が短いのだそうだ。高いが健康への投資別に惜しくはない。

また、歯医者には1年くらい行ってないが、この日じゃなくてもいいかなという気がしている(そのまま一生いかない)。

その他(抜きとか)

いつも新しい発見があるが、いつも行っているか休みにあえて行く必要はない

どうしようか

なやんでます。ご意見くだしあ

2022-10-17

ツキアカリのミチシルベって知ってる?

代Qで掃除してたらCDでてきて当時思い出したので

備忘録代わりにここに書く

数年前ニートやっててな。珍しくもないけど

どんどん金も余裕もなくなってきて、

一人暮らし辞めて親の所に厄介になってたんやけど

その親とも穀潰し相手にはどんどん険悪が増してきてな

なるべく親とは会わないような生活を過ごしてたのよ

毎日図書館とかの無料公共施設利用したり、自転車であちこち回ってたんだけど

まあどうにでもならんでな。当然にもほどがあるけど

ふと、なけなしの金使ってなんとなくコメダに入り、

私でもできる仕事ハローワークサイト探してから

アニメか何か見ようかと思って探していたら

学生時代に見てたアニメの二期やってたな

うそOPが素晴らしかったのよ

ようやく本題だけどこの「ツキアカリのミチシルベ」って曲や

もう初めのワンフレーズから心奪われてな

~答えのない毎日が ただ過ぎていく時間が~

~これから先どうなるのだろう(わからない)~

もう、生まれて始めて歌詞共感してな。

高校の時同級生から洋楽歌詞なんて気にしてない。日本音楽は遅れて~」

っての真に受けてたけど全面的否定するわ

日本人だから英語歌詞からない人が多かったのと

アメリカ多国籍な国だから歌詞を読めないか貧困歌詞をわかるほどの教養を持てなかった人が多いってだけじゃないか

とにかくまあ「これ私のこと歌ってないか?」って錯覚したの初めての経験でな

しばらくそOP延々とリピートしてようやくアニメの本題見てな。

内容はさておき、それを半日ほどきいて数年ぶりにCDで聞きたくなったのよ。

それで久しぶりに欲が生まれて、配達バイトを初めながら就職活動を行って

今は色々あってシステム奴隷として謎の輪っかをグルグル回してる生活を過ごしている(比喩表現

親とは働き始めたら険悪感情が激減して、半年前には兄弟含めて旅行に行った

今の生活の基盤のトリガーとなったこ音楽CDで久しぶりに音楽聞くことにする。

外付けのCDドライブ探すところから初めないといけないけども

2022-10-16

anond:20221016204251

正確に言うと「図書館でばかり本を借りている人間は本好きではなくただの貧乏人」だな。

anond:20221016205551

増田だけど、図書館でただで流行の本読みたい人は1年半待ちとかだよ

anond:20221016204532

流行りの本しか読んでないやつこそまさに図書館利用者だろ。

貸出予約数見れば一目瞭然だが?

anond:20221016204251

研究目的で利用する人間絶版の本とかを図書館に探しに行くんやで。

遊びとちゃうで。

本好きは図書館には行かないんだよね

最新の本がない

作家お金が入らない

買うほどじゃないけど興味があるって人に手に取ってもらう機会を維持したい

こういった理由があるから本が好き人間ほど図書館に行かないという不思議矛盾がある。

面白いよね

司法試験受かった東大生だけど、俺も死にたい

3年生。昨年予備試験に受かって今年本試験合格した。

同じ年齢の時に旧司法試験合格して役人やってる単身赴任中の父親から電話でおめでとうも言われずに「次は国総だな。気抜くなよ」とだけ言われた。

もうなんか生きる気力がない。共学行きたかったのに中高と男子校生かされて、親父と同じ大学に受かって、合格発表の次の日から予備校入って、朝からコムシーの自習室総合図書館でシコシコ論点写経して、合コンお茶女におだてられながら一気飲みしてホテル行く。まじで何のために生きてるか分からん

まあ俺の人生がつまらないのは親とか環境のせいじゃない。主体性が無くて、自分でやりたいことも考えず、少しでも反発するとすぐ大泣きする過保護母親と「愚図が!」が口癖の父親に従ってきた自分自身のせいだ。まさにアイヒマン状態

自殺する勇気はないけど、安楽死法制化されたらすぐに利用したい。いや、安楽死法制化のための活動化になろうかな。でも変なことすると親父に「愚図。間抜け。役立たず」って言われるから嫌だなー。

最近中高の同級生全然仲良くない、妙に甲高い声が特徴の工学部の奴がお茶女にいる俺の妹と一発よろしくしたらしく、「お前の妹とヤったわw」とか言われて余計嫌な気分になってるのもあるかも知れない。

2022-10-15

たんぽるぽる ―もてなかったもの

昨日まで机の上に置いてあった本が今は無くなっている。最近はその上にいろいろ積み重ねていたのでの存在を忘れていたけど、持ち主に「返して」と言われて掘り返すことになった。

のものではないその本だが、私はそれを買ったことがある。

〜〜〜

"歌集プレゼントしたことがある人"になりたくて、誰にあげようかと機会をうかがっていた。たまたま、仲良くしたい人が雑誌ダ・ヴィンチ」の短歌のコーナーを毎月楽しみにしているという話を聞き、きたきたと思った。渋谷hmv&booksの詩歌の棚とにらめっこして、帯に書かれていた

「目がさめるだけでうれしい人間がつくったものでは空港が好き」

という一首に惹かれ、装丁彼女イメージにぴったりだと思い、雪舟えまの詩集『たんぽるぽる』を誕生日に渡した。

なんと彼女はそれを図書館で借りて読んでいてとても気に入り、今度買おうと思っていたという。恋人のいる人をプレゼントでぐさりと刺してしまってヒヤヒヤしたが、それくらいじゃ揺らいではくれなくて安心した。

そんなに人を刺したプレゼントをできたことを自慢したくて、好きな人と遊んでいるときにその話をした。彼女もその一首をきいて、「わたしもその歌集が好きだろうね」と言っていた。

その話をした帰り道、気持ちを伝えて彼女と一歩先へ進んだ。恋人という契約はいらないので特に「付き合ってください」とは言わなかったが、そう名づけてもよい関係に、それからなった。

少し経って二人でhmv&booksに行くことになったとき彼女が『たんぽるぽる』を買った。私は同じ棚から同じ本が2冊別々に旅立っていくのに初めて立ちあった。

そしてまた少し経ったあと、ファミレスで並んで座り、二人でその詩集を読んだ。ドリンクバーティーバッグやそれが入っていた紙の袋を散らかしながら、ページをめくる係を交代しながら、一首ずつ読んだ。逢わなかった次の日に「『逢えばくるこころ会わなければくるこころ愛に友だちはいない』だね」なんて言っていた。

彼女がこの詩集をほしいと思った理由のうちに"嫉妬"が入っていたらどうだろうと思った。"好きな人が私以外に上げたプレゼント"を自分でも持っていたいという感情の渦のなかに自分がいるのだとしたら、とてもなんだかあれだな。雪舟えまの歌は、まるくて優しいものを紡いでいるけれども、そういう棘と無縁ではない感じがあって、このエピソードはこの詩集にぴったりだなと、胸に秘めていた。どうせいつでも返せるからということで、『たんぽるぽる』は私が持っていることになった。

その時をピークに、だんだんと二人の心は離れていき、今まで1ヶ月以上膝を突き合わせていない。「付き合おう」と言っていないせいで「別れよう」と言う必要がないので宙ぶらりんにある。先に向こうの恋が冷めて、友だちでいましょうという話はした。特別大事人間に変わりはないとも言ってくれた。だがこちらは今、それも受け入れられないほど心が離れている。それはまだ話題にもあがっていない。伝えたら驚かせるのか、察しているのかもわからないほど離れたところにいる。「話そう」とも「離そう」ともとれるよう「はなそう」とは言ってある。

宙ぶらりんをやめるためになにか伝えるとして、「もう好きではありません」と自信をもっては言えないが「あなたのことが嫌いです」とは実感を持って言える。"嫌いになった"わけではなく"もともと嫌いだった"ことに気づいた。ひどいことをされたとは思わないけど、向こうが普通にすることにモヤモヤするなと気づいて今に至る。こうしてわたし日中の物足りなさを純粋孤独で埋めるよう感傷にひたっている今、彼女自分を愛してくれる世界へと健やかに目覚めていくために体を休めているのだろうと思うと、そういう人間に魂の何を捧げるつもりなのか、ちゃんちゃらおかしいと思えてくる。同じものをみて同じことを切実に考えていたつもりだったけど、生きているだけで愛され満たされている彼女に切実なものなどなにもないんだろうどうせ。「大事な人だ」とか、「君しかいない」とかは、そのときは本当に口に出して気持ちよかったから言っていたけど、今は口が裂けても言えない。好きになるために無理して言ったわけではないけど、客観的にみると事実ではない。そのときの「私」はそう思っていたけれど、それは今の私と違う心の持ち主だという気がする。先に"冷めて"いただいたあなたですがこの"覚めた"感覚わかるでしょうか。

そういうつ最近までの「あのころ」感じていた気持ちは、"私のものであったことはないけれども、買ったことも読んだこともある"あの本と同じだ。

でも『たんぽるぽる』を読んだときに感じる、"美"みたいなものは同じように感じることができるだろうことは否定できない。でもそれは言葉にできないからかめようがない。

言葉にできないなにかで繋がっていて、言葉にできるすべてで離れている、そんな気がする。

話す必要も会う必要もないが、完全に拒みたいわけではない。持っている必要もない本だけど、これを返してほしい理由が「他の大事な人と読みたいから」だとしたらめちゃくちゃモヤモヤする気持ちはある。まぁこれは誰にでもあることでしょう。本は埋もれていたけれど、あなたのことはこの1ヶ月ずっと手前にあってどうすればいいか考えている。

とはいえどうせ愛される自分がだいじで足りないものなどないあなたは「ならそういうことで」と、本といっしょにこれっきりになるだろうから、悔しくて残念。あなたにとっての"切実なもの"に私がなれたら嬉しいのだけど、私にとってあなたがそうである理由が見当たらないように、あなたにとって私がそうである理由も見当たらないから、悲しいけれど驚きはしない。

わざわざ伝えることではないけど知りたいことかもしれないと思い、見つけてくれればとこんな使ったこともない媒体で書いたことのない類の文を書いている。もらってばかりのあなたにはもう何もくれてやるつもりはないが、手を伸ばしてくれるならどうぞ手に入れてほしい。「違うよ」と伝えたいと思ったら伝えてほしい。

ずっと手元にあったものが、今日無くなりました。貸してくれてありがとうね。

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