はてなキーワード: 図書館とは
貧しい人にも本を読んでほしいなら、わざわざ図書館まで足を運ばせて貸すんじゃなく、ネットで自由に閲覧できるようにすればいいじゃん
本に関わる仕事がしたいけれど図書館司書は給料が安すぎて生活できないことが問題であれば、他の仕事をしながら本に関わる何かをやればよいのでは? 他の分野でもそれだけでは食べていくことができないから、直接関係のない仕事につきながらやりたいことを追求している人はたくさんいるのでは?
人と付き合うのは苦手だけれど本に向き合うのは得意だから一生本に関わる仕事がしたい、と思って司書になったところ給料が安すぎて生活できないし、他の仕事にもつけない、ということが問題ならば、それはその人個人の問題では?
図書館司書は専門職でしかるべき専門教育を受けたのでそれほど他の仕事にスキルを移転できない、ということが問題であれば、図書館司書という職種で得られるスキルセットそのものとその養成教育の方が問題なのでは?
図書館司書は国民の知識と文化の水準を担保する公共の役割を担った重要な存在であり、そのような役割を担う人が非正規雇用低賃金で不安定な立場に置かれている、けしからん、だが雇用の市場において図書館司書は供給過多だから今後も賃金が上がる見込みがない、ということが問題であれば、公立小学校の教師と同様、制度運用が破綻してなり手がいなくなり、サービスの受益者に直接の不利益がもたらされ、人々が騒ぎ出すまで何も変わらないので、世を憂いる風をしてもっと給料上げろといっても、とくに現状では何も変わらないのでは?
たぶん自分の視野が狭くて問題の本質を見逃している可能性があるので、上記が重要な論点を外しているとしたら、そのように指摘すればよいのでは?
そしてこれでわかるように碌に教育をうけられなかった大人にも図書館に足を運んだならスマホがなくても無料で知識の源を貸し出してもらえる
日本はこれからどんどん貧しくなるので、貧しさをバネに教育(資格取得とか)をすすめるために、生活保護とならんでライフラインとなるべきだ
たとえばサラリーマンで手厚く社内教育をうけたおっさんも定年後に蕎麦屋を開くにも、農業をはじめるにも、全く知らないジャンルだから
手ほどきしてくれる本がないといけない
運動して電子書籍を図書館から貸し出すことを合法化する法律というのをつくった
図書館にかぎらずamazonキンドルなど、家族内にかぎらず友人に電書貸し借り7日間を合法化してるのがアメリカ
逆にいえば、DMCAでその他の(貸し借りでない)アップロードは政府がクラウド検閲して自動削除させてるから元がとれるからできること
司書は政治運動はまず利用者じゃなくて自分のためにしないと、めんどくさいから君首ね、で生活保護受給者になってしまうところまでおとされている
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余談だが民意ってのは分かりやすさを選ぶから愚行権がめだつんだよな
小泉改革で「派遣は切りやすくしよう」とか「二位じゃだめなんですか」とかやったでしょ
警察ってのが自殺をあんまり調べなくなったからいじめだの事件も自殺ですまされちゃう
郵便局は民営化されたので土日は配達しないし82円の切手を貼ってだしても平日3日後にしかとどかない
こういうわかりにくい不便、複雑さはわかりやすい目先の得「政府の出費を削れ」ってとこから発生してるんだよ
結局おなじことをだれかやらなきゃいけないのなら専門家をやとってまとめてやったほうが得なんだよ
でもまとめてやって1000人が得してても1人がみのがされた、あいつらちゃんとやってない、個人でやったほうがましだ、っていう(ゆたぼんとかそうだね)
そういう人がでるごとにまとめて面倒見られる人数が減っていくんだよね
いまや1対1でも「女性に子供なんかそだてられるのか」ってなってるでしょ
そりゃ育てられないから産みませんってなるわ
みてな
これからまともな教育を子弟にうけさせたければ貴族が家庭教師をやとわないといけなくなるぜ
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話が逸れたけど、まあちゃんとした内容のオンライン書籍を貸してもらいたければ一日待つかくっだらない宣伝動画見るんじゃなくて
本質は司書云々じゃなく公共セクターの非正規の待遇が悪すぎるという話だろう
・正規公務員での採用枠とはなんの関係もないのでキャリアパス上のメリットもない
特に最後の点が重要で、研究者がポスドクになるとかはまあキャリアパス上の通過点として選ぶ意味があるが
そうじゃないと本当になんのメリットもない
しかしなぜわざわざこういう待遇で雇われようとする人間が絶えないのか?
他に行き場所なかったとかならともかく
図書館司書とか大学でわざわざコースを選んで自分から行っているわけだからより理解不能
ではなぜやるのか、続けるのか
情報の入手が容易じゃなかった時代ならともかく現在はもうこのあたりは周知の事実なのに
謎すぎるだろ
マジレスすると司書の給料が少ないのは、負ってる責任がすごく限定的な仕事だから
別の言い方をすれば、司書は知的なイメージと違いマネジメント層ではない
彼らは利用者の増減や地域の知識向上など、大きな社会的責任を負ってるわけではなく、あくまで自身の実務的な仕事の結果が責任の範囲になる
結局は軽作業労働者としてしか働いていない(とみなされている)ので、軽作業労働者としての賃金しか与えられない
実際には様々な工夫をしてる優秀な司書さんがいらっしゃるので、彼らにもっと大きな地域単位でプロジェクトを任せるような体制になればいいのかなと思う
ここで大事なのが評価体制で、PV集客的な発想で司書を評価すると漫画をずらっと並べた司書が出世するハメになる
ではどんな風に司書の仕事を評価すればいいか。それは国民が「どんな図書館を欲しいか」「理想とするか」によって変わる。
その理想を形にする役目を司書に持たせれば、司書の給料は上がる
今の仕事に辛いなと思って、数日休んでるんだけど。
気晴らしに外に出てるんだけど、どの仕事も大変そうだなと思って。
運送の人も大変そうやし、家作ってる人も大変そうやし、美容師さんも大変そうやし、電車の運転手も大変そう、精神科医も大変そう
保育士さんも大変そうやし、ユニクロの店員さんも大変そうやし、amazonデリバリーの人も大変そう、コンビニの夜勤も大変そう
みんな大変そう。
図書館の本の貸出している人は楽そうやなと思ったけど、一日中あれすんのもなと思った。
図書目録は昔は紙のカードだった(図書分類コードの知識がある司書さんがメンテしてた)けど、今は当然コンピュータ上のデータベース(入力作業はあるかもだけどISBNがあるから誰でもできる単純作業)
図書館司書の仕事って図書を通じて国民の文化教育教養の発展に貢献することでしょ?
そのために必要なことって、ただ図書を分類するだけじゃなくて、
どんな本が世の中にあって、どんな本にどんな価値があるか、どんな人に読んでもらうべきかを鑑定判定して、それを国民に伝えることでしょ?
それができるためには本をよく読み、その価値が理解できる教養や知識が必要で、
司書の給料の話はよく聞くが、図書館でタダ読みされてその分の売上を失うライターの話は聞かないよな。
リファレンスサービス、なんで図書館ごとに置くんだろうな。特定の図書館と結びつく必要もないだろ。
正社員数が3000人オーバーの企業で働いているのだが、社内に資料室や図書室がない。転職する前は、今より大きいところにいたが、そこにはあった。だが、蔵書の管理や更新がされてない状態で、かつ、閲覧室が社員の憩いの場と化していて、在籍期間中に資料を見ている人間は私以外に一人も出会わなかった。
社内に資料を管理する施設や部署がないので、定期刊行の業界誌のようなものは各部署で購入した上で死蔵ないし捨てられている状態である。価格の高い業界年鑑的なものや民間シンクタンクが作る有料レポートのようなものは購入することがない。また、関連のある学術誌のようなものや、専門の学術書のようなものを社内で購入することもない。
社内にある書籍・学術情報を当たった上で、社会と業界の分析を行ってものごとを考えるということをする人間がそもそも非常に少ない。そのようなことをする人間は社外の図書館を使うか、あるいは難しいこと自体をコンサルにやらせればいいのだ、となる。
こうなってしまうと負の連鎖で、新しい人間が入ってきても、知的に骨の折れることができる環境がないし、社内の風土もそうなっていないので、自分の頭で考える人間が育たない。また少し違う視点で考えると、いまの会社や前所属レベルのところで書籍を購入しないのであれば、書籍雑誌の販売が落ちて、情報を作って売る側もしんどいのではないかと思う。
富。
僕が物心つく頃には、人はこれしか求めていないんだということを薄々と感じはじめていた。
それなのに、向上心を感じられないのはなぜだろう
そんな違和感はどこにいても僕から離れてくれることはなかった。
遠くを目指したい。
そう思ったのはスイスの高校に留学中、先生の授業を聞いていたときだった。
窓にふと目をやると、旅客機が空の青いキャンバスに白のラインを描いていた。
僕には目指すものがない。
すでに生まれた時点で将来が決まっていた。
親を選べなかったように、なりたいものも選べなかった。
家が裕福なおかげで、ほしいものも、やりたいことも不自由なくできていた。
学友に恵まれ、充実した日々は決まっている将来の前ではどこか虚しいものがあった。
彼らは人類が成し得なかった、空を飛ぶという夢を飛行機に託した。
ヒトは、鳥のように大空を羽ばたくことはできないが、ずっと遠くまで飛ぶことのできるものを作ることができる。
将来が決まっていても、何かを作って託すことはできるのではないだろうか。
目指していたのは、ただ遠くどこまでも誰よりもその先。
それは今日まで変わることはなかった。
10月13日、我が国は過去最長の4600kmの飛距離を実現した。
目指していたのは、ただ遠くどこまでも誰よりもその先。
それは今日まで変わることはなかった。