はてなキーワード: 嘆願書とは
貴乃花の沈黙は戦略を伴ったものなのか真偽は不明であるが、「利得を最大化する戦略」として適切である。
その「狙い」と「戦略」、今後の「結末」をまとめた。
まず貴乃花親方の「最大限」の狙いは、以下すべて達成すること。
これら全部が日馬富士、協会から提示されれば、貴乃花の狙い通りで、示談成立、嘆願書で起訴回避、両者復帰となる。
一方、貴乃花の最悪シナリオは、協会(第三者委員会)主導で、両成敗で、協会何も変わらないこと。
「茨城・中3自殺:第三者委解散」:https://mainichi.jp/articles/20170613/k00/00m/040/066000c
そこで利得を最大化するためにはどうすればよいか?
示談交渉と刑事裁判の両方を考慮し、「被害者から要求を提示しない」。
・刑事裁判の面で不利にならないため
被害者が不誠実と受け取られる。
・協会自ら考えるため
最後に、貴乃花親方の沈黙戦略の結末は、大きく4つに分けられる。
3. 示談不成立 → 刑事有罪(日馬引退) → 協会改革不十分 → 民事 → 協会改革
4. 不起訴 → 協会(第三者委員会)によるあいまい解決(両成敗)
とまぁ、こんな感じで戦略を予想したが、単純に被害者の方から示談要求を出すのは、貴乃花の美学に反するから沈黙しているだけかもね。
とにかく現状は、協会からの示談交渉待ち。(もう水面下で始まっている?)
日馬富士を救う気があまり感じられないので、刑事事件まで行ってしまいそう。
もし示談・復帰となった場合、白鵬の「俺が収拾した」発言が飛び出しそう。
皆さんはどのシナリオを予想する?
しかもできれば、関係各社が傷つくようにした方がいい。今回の件で言うと、日清とJRA。
嘆願書ではなく、不買運動の参加リストとして、この誓約をセットで募るといい。
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絶対に角川系列の商品を買いません。中央競馬に参加しません。日清食品を購入しません。
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まったくの不買を実現するというのは現実的には難しいだろうけど、
このレベルまで脅しつけて、数を集めないと少なくとも実効性がない。
これで各社のKPIに一定の損失が出れば、より大きく問題になる。
特にそれが関係者に見えやすくするために、特定の商品にフォーカスするといい。
たとえば(ほんと、罪もないのに申し訳ないけど)どん兵衛とかね。
取引先に迷惑をかけるのが、一番いい。損失の補填は、カドカワにしてもらえばいいんじゃないですかね。
馬鹿の書いた文なので読みづらさと論考の浅さはご勘弁。
なんとか読み取って言わんとすることを拾って書き直してくれる人が現れることを祈って・・・。
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すなわち、署名活動のメッセージを受け取る相手が、参政権と関わりのない企業等であること。
署名を受け取るまでもなく消費者の意見がまとまり、企業等に伝わっていることがある。
後者は、法的に意味を持っていない場合に署名活動が持つ効果、「消費者の意見をまとめ伝える」ことが既にされている状況を示す。
特に後者は、SNS時代の現代において起こるようになり、また起こりやすい状況である。
分かり易い例で言えば、SMAPの存続、解散撤回を求める署名運動やけものフレンズ、たつき監督の存続署名運動がある。
どちらの例も、署名がどれだけ集まろうと法的強制力はない。その意味に限れば、署名活動は無意味である。
しかし、実際、SMAPしかり、けもフレしかり、無意味であるのに署名活動がされている。
何故だろうか。
ではその意味とはなんだろうか。
前述の通り、署名活動が無意味であると全員が認識していれば、そもそも署名が集まることはない。
つまり、署名活動の参加者は、単に無意味な活動だとは思っていないのである。
そしてもう1つが、「システムとして無意味だと分かっていてもやる」という儀礼的、感情的な活動参加の可能性である。
後者の儀礼的、感情的参加の可能性は、法的に意味がある場合の、本来の署名活動に倣ったパフォーマンスのようなものだろう。
「無意味だと思っていてもやる」 この儀礼的感情的参加による何かしらの影響が、署名活動の意味となっている可能性がある。
ここで、一旦「何かしらの影響」の検討は棚上げし、
冒頭で無意味と説明した状況かつ、消費者が署名活動に意味があると考えて参加している前提で、
はじめに個人によるネット主導や、ファンクラブのような集団主導で署名活動が動き出す。
すると、署名活動中にはネットニュースになったりテレビに取り上げられたりされ、活動はヨリ認知される。
この様子は、ときにテレビや雑誌などのマスメディアで流されることもある。
なるほど、署名活動によって、『世間に意味があると思われている「署名活動」』の情報が広がっているのだ。
企業の単なる動静でもなく、消費者群の大きな潮流でもなく、「署名活動」の情報が伝播しているのだ。
これにより、「署名活動」がされたぞ、○○万人も署名したんだぞ、企業はどう動くんだ?という見方がされる。
「署名活動」がされたという見方、法的強制力のある場合に倣った見方がされている。
そう、参加するほうも儀礼的なら、世間の見方も同様に儀礼的見方がされるのだ。
すなわちこれは、法的強制力とは直接関係のない、社会による風潮であり、勝手なルールなのである。
””署名に意味がある→署名が集まる→世間やマスコミが注目する→企業が注目され、圧がかかる→有意義”” なのだ
加えて言えば、署名による圧により企業が動けば、署名に意味があるという最初の要素に立ち返り、署名活動は自己循環する。
「署名に意味がある」という定義だけが世間に残り、自己循環の度に、署名と意味の関係は強くなる。
ただ厄介なことは、「署名に意味がある」という定義は、参政権に基づいた署名も、企業への署名も、同じ定義を共有して考えられてしまっていることだ。
これが、法律と社会の風潮との誤差になっており、度々、「署名は無意味だ」と言われる原因ともなっている。
この流れは、血液型性格診断と似ている。
血液型性格診断は、科学的に全く根拠がないとされている。しかし、実際はA型が几帳面であるとかO型はガサツであるとか、よく耳にする言葉である。
幾度となく科学的に否定されようと、その声が絶えることはない。
それはおそらく、実際に血液型と性格が一致していることが多いからなのであろう。
なぜ一致してしまうのだろうか。
科学的理由ではないところに、根拠を求めるとすれば、個人の心理や社会にあるだろう。
全く勝手な推測だが、例えば「A型は几帳面だ」と周囲の人間が思っており、
そのように言っていれば、言われた方は暗示が働き、几帳面として振舞うように個人の性格が方向付けられてしまうのではないだろうか。
全ての人間が周囲からの情報で性格が決定づけられるとは当然考え難いが、それでも多少の影響はあるだろう。
人間の生物的根拠とは無関係に、社会的、心理的作用として、血液型と性格が因果関係を持つこともあるのである。
だからこそ、血液型性格診断そのものの科学的根拠はないという、ただその一点で血液型性格診断を否定するのは浅はかではないか。
そして、本文の主題に立ち返り、換言すれば、
署名活動そのものの強制力だけで無意味と切り捨てるのは浅はかであるということ。
「意味がある」という前提が意味のないことを意味あるものにしてしまうパワーがあるということが言えるだろう。
簡単に言ってしまうのはもったいない。社会の不思議なパワーを、今こそ使いこなすべきではないか。
PS.
つらつらと、署名活動を応援するようなコメントを書いてきたけれど、どちらかと言えば私は活動否定派です。
単にこうしろああしろ等と、感情と風潮に訴えるだけの署名には効果を感じません。
というのも、なんというか現代の合理主義的社会関係に見合ってないからです。
かと言って、不買運動を起こすなんてのは、ホトトギスを殺してしまうようでスマートじゃない。
だから、その間を取って、「ユーザーの意見聞かないと、これこれ買うの辞めますよ」って署名を集めるのはどうでしょう。
ジャニーズアイドルが結婚できないのって、結婚したら売り上げに響くからだろ?
これがAKBとかだと卒業した後もずっとファンがついていくし、
たまに増田でも上がってくるけど、ジャニオタ、畑から見て基地外だよ。ヤバ過ぎ。
というかそもそも、世の男児たちはジャニーズに入ろうとするな。
目指すなら俳優を目指せ。
あれだけ貢献したのにあの扱いだぞ。
ファンは嘆願書を出すわけでもなく、世界に1つだけの花を買って事務所に大金貢いで、祭りにして盛り上がっておしまい。
アイドル守れよ糞袋ども。
やるなら不買運動だろ。
脳みそ腐ってんだろ。
つまりアレみてアイドルになりたいと思う馬鹿しか、今後の男性アイドルはいないから絶対同情しない。
AKBも恋愛禁止とか言われてるけど、あんなの表向きだってみんな分かってるから。
どっちも叩かれないといけないのはそうなんだけど、女アイドルは写真流出レベルくらいじゃないとスクープにならない。
アイドルは恋愛したらいけないって価値観、フェミニスト戦士から見たらどうなの?
なんでフェミニスト戦士はこういうのを敵にして活動しないのかふしぎ。勝ち目ないから?
自分らが主役でアイドルを一番使い捨てにしてるのは、ジャニオタ自身だろうが。
それが数字となってるから事務所はそれに合わせて対応してるだけであって、
それを薄々理解してるからこそ事務所に牙を向くことをしないんだよなあ。
本当に気持ち悪い。
フェミニスト戦士はとっとと自慢のポリコレ棒でこいつら血反吐出るまで殴りまくれよ。
キモくてモテない男だけじゃなくてイケメンでモテる男も消費されて不幸になってるじゃねーか。
今年の流行語に選ばれたことにより「日本死ね」という表現について、再びちょっとした話題になっていますね
ネットでの論調は主に「日本死ね」という表現は不適切だったという風に傾いているようです。
ところで今年はネットでこんな騒動があったことを覚えていますか?
このときのネットの論調は主に「そんな深い意味で言っているわけでない」「ポリコレの押しつけだ」「言葉狩り」だと、こちらは逆に批判するがに対して否定的な論調が多かった記憶があります。
「日本死ね」を批判している人は「アイヌ殺す」という表現についてどう思っているんでしょうか
あるいは「日本死ね」を擁護している人は「アイヌ殺す」という表現についてはどう思うんでしょうか
この二つは全く別ものなんでしょうか
なんかおかしい。
わかるよ、ネットニュースでしか見てないけれど、電車が止まったかなにかで客にクレームつけられたかなんかした車掌さんが制服脱ぎ捨てて、線路に飛び降りて、それがテレビでは奇行として笑われているらしい、それに対してネットでは「車掌さんは悪くない」気運が盛り上がっているのは。知ってるし、車掌さんお気の毒やなあと思うし、笑いごとじゃないよなあとも思う。
けどさ、どうして会社に嘆願書を出すの。「処分じゃなくて心のケアをしてくれ」って会社にお願いしてどうするの。それは新しいクレームなんじゃないの。
近鉄からのなんらかの反応を期待してるわけでしょ、この動き。それは、あまりにも勝手すぎるんじゃないの。社員の処遇について、外野がどうこう言うことはおかしいんじゃないの。善意だからって、勝手に突き進んでいいわけじゃない。
なんでいま「車掌さん守れ」って会社に文句言うほうにみんな向いてるかっていうと、クレーマーが誰かわからないからでしょう。もし、この「数人から暴言を浴びせられていた」とされる「数人」が誰だか特定されていたら、その人たちが血祭りにあげられていたでしょうね。
この一連の出来事(人身事故→電車止まる→客怒る→車掌さん飛び降りる→テレビで笑われてるらしい)は、たしかに感情をゆさぶってくる。クレーマー最低、そんなのに詰め寄られたら地獄、それを笑いものにするワイドショー低俗、満員電車に乗らなければいけない働き方がおかしい、いやそもそも消費者が王様になってる今の日本は変だ、とか、いっぱい思いが湧いてくる。
でもさ、そのいやーな思いをさ、誰でもいいから顔が見えている登場人物にぶつけて、手っ取り早く解消しようとするのは違うよ。たとえば、この署名活動が無事実ってさ、「車掌は悪くありませんでした、彼のケアにあたります」ってことになって、なにになる?「『悪質なクレーム行為から職員(大切な社員)を守る』といった強い態度」が見られれば、クレーマー減るとでも思ってるのかしら。車掌さんよかったね、ってほっとするのかしら。
違うでしょうが。「クレーマーに傷つけられた社員を守るよう、会社にお願いする」ことでは何も変わらないんだって。これがもし「クレーマーに困っている駅員さんがいたら、代わりに話を聞いてあげましょうキャンペーン」とかならわかる。実際にクレームが発生したその場で、問題をなるべく小さくしようとしたい、という思いならとてもいいんじゃないかと思う。
けど、このキャンペーン、結局自分は名前を書くだけで何もしないで、「この人かわいそー、よろしくー」って言ってるだけに見える。そういう人たちが5万人いるように見える。たとえば明日会社から帰るとき、駅でよっぱらいが駅員さんにからんでて、そこに割ってはいって「なあなあおっちゃん、ちょっと飲みすぎやで水買うてくるからそこ座っとき」って言える人が5万人いたら、状況は違ってたはずだ。
なにか不都合なことを見つけたときに、「せんせー、すずきくんがザリガニいじめてまーす」って言いつけるところから変わらなきゃいけないと思うのよ。
自分じゃないえらい人がどうにかしてくれるから、自分は何もしなくていい、ってそのままだとできることが署名集めることになっちゃう。学級会じゃないそれ。「そういうことはしちゃいけないとみんなおもってます」って。
たぶん署名に参加した人たち、ただ、腹立つし、なんかやだから、できそうなことをしたくて、ここに名前書いたんでしょう。クレーマーを特定して叩きまくるのでもいいし、車掌さんを笑い者にしたテレビのコメンテーターを袋叩きにするのでもいいし、なんでもよかったけど、「車掌を守れ」っていうのは善意っぽいし、これなら胸張ってできるしって。
何かで読んだけど、「火事だ!」の一言で、善意の人たちがバケツを持って押し寄せてきて、家に水かけて、水浸しにするっていうイメージのとおりだ。その「火事だ!」は誰が言ったのかもわからなければ、ほんとかどうかもわからない。火事らしいという噂だけが広まって、言い出しっぺはどこかへまぎれて、バケツの人たちが帰っていったら、最後はたぶん、家を水浸しにされて立ち尽くす住人だけが残されるんだろう。
本人が印象操作をやるつもりがなくても、無意識のうちにやってしまうことはある。中でも引用や編集という作業はそのリスクが大きい。
それを指摘されたらすなおに謝れよ、って話だわな。
ちなみに、はてこはゲーム会社への嘆願書で、「アイヌ殺す」のツイートに関して
という非難を加えていた。それが誤りだとツッコまれたら、今度はこんなことを言いだした。
大阪市の条例に該当するからヘイトスピーチだ、該当しなければそうではないということではなく、定義を理解してもらうための参考例。
こいつ、何で開き直ってるんだ?? お前は最初、ただのヘイトスピーチとは言ってなくて、条例違反のヘイトスピーチと断定していたよね??
はてこの嘆願書がひどいのは、大阪市のヘイトスピーチ条例を恣意的に引用していること。
このことは下記ブログで指摘がなされている。
はてこはこの指摘について、「削除ではなく一部引用」だとか、「リンク先で全文を確認できるようにしてある」などと述べて釈明した。(※1)
しかし、ソースへのリンクがあれば恣意的な引用をしてよいということはない。リンクが貼ってあるとしても、そのソースを確認しない読者は多い。これはまとめサイトでよくあることだが、引用や編集のやりかた次第では捏造だし、印象操作をおこなって読者をあざむくことができる。
もっとも今回の引用にあたって、はてこの意図がどうだったか分からない。不都合な部分を隠すような「一部引用」には印象操作の目的があったと見られても仕方ないが、その悪意の有無を追及するのは水掛け論になってしまう。
それでまあ、彼女がそのことを故意ではない、過失ではない、そもそも捏造や印象操作に当たらないからセーフと主張するつもりなら、彼女はあの引用方法を修正するべきではない。それなのにこの指摘を受けた後、ちゃっかりと修正していた。表向きはあの引用方法を正当化する釈明をしておきながら、その裏でこっそりと修正するのはおかしい。(※2)
ところで、もしかして、はてこはこの問題を指摘したブログを無視しているのだろうか?
上記のブログは180以上のブクマが付いているし、ホットエントリにも入っている。はてこは恐らくここから指摘を受けて、自分のブログでこの問題について釈明をおこなったのだろう。
それにもかかわらず、彼女が釈明をおこなっているエントリ内には指摘元のブログへのリンクを貼らず、名前を出していない。先方の存在をまるっきり無視しているかのようだ。これはいくらなんでも失礼である。(※3)
アイヌがどうとか差別がどうとかいう問題以前に、彼女のやっていることは不誠実であるし、それを指摘されたときの事後対応もまずかったと思う。
※1 「まとめて返信」http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/15/073000
※2 はてこは嘆願書エントリの追記欄でこの修正について報告をおこなっていない。彼女が嘆願書を修正するときには、追記欄で報告することもあるようだが、この件では報告をしていない。なぜなのか。批判のやり玉にあげられたこの箇所を修正する場合にこそ、はっきりとした理由説明と報告が必須だと思う。
※3 はてこが上記ブログを読んでおらず、べつの人から同内容の指摘を受けたという可能性が微レ存。
この問題を指摘していたブログで、新しいエントリが発表された。
やはり、はてこはこのブログを無視していたらしい。彼女は指摘元の筆者(id:shoheiH)に連絡を送らず、先方のブログ名を隠したままリアクションした。
相手がどこの誰かというのを曖昧にしたまま反論・釈明するのは、すごく卑怯な行為である。はてこは一体どこに向けて反論・釈明をしたというのだ? おかげでshoheiHは「一人相撲」と感じて困惑しているし、はてこのブログだけを見ている読者はshoheiHの見解を参照することができない。こんな卑怯なリアクションをするぐらいなら、指摘をスルーして黙殺する方がよっぽど誠実だ。
私は上記エントリでshoheiHが書いていることに概ね賛同する者である。なのでこれ以上に語ることはないのだが、そのブクマページでid:piripenkoが言っていることも書き留めておく。
はてこは引用にあたり、前後の部分を省略したのではない。中抜きしてツギハギしたのだから、(中略)等のことわりがなければアウトだ。
アイヌという立ち位置から人を集めておいて、一番最後の段落で唐突に「会社人」の立場になるあたり、単に例の嘆願書を叩きたいだけの立場と見た。「この行為によってかえって自分たちの立場が悪くなる」というあたりのありがちなパターンで。
具体例が(日本人に反発されにくい)韓国の反日行動というのも本人は戦略的なつもりなのだろうが、わざとらしさというか、ずいぶん揉み手して擦り寄ってきてるなという感じ。アイヌを名乗った自分の振る舞いがアイヌのイメージにどう影響するかというところには気がまわらないのだろうか。
議論が発生すること自体がマレなので、いいことだと思っている。そう、アイヌのアイデンティティはいままでほとんどのひとが「まるで存在しない」かのように扱ってきた、そのこと自体がひどい差別
と言っておきながら、嘆願書に対するスタンスが「これによってメーカーが萎縮したり自主規制しないようになってほしい」とならないのが不思議だが、まあ人間の感情だからそういうこともあるのだろう。
これでもし仮にSNKプレイモアが反差別アピールを出すなどということがあったりしたら、この人がどう右往左往するかは少し興味あるが、まあこの社会でそれはなかなか難しいだろうなあ。
現役アイヌって変な言葉!言ってもクオーター。親世代では結構差別があったみたい。関東在住の自分には差別とかピンとこない。むしろ、なんとなく特別な存在的なものとして、自身にアイヌの血が流れていることを受け入れて育った。
貧しいシサムの家に生まれたばあちゃんは捨てられ、コタンの有力者のもとで育つ。そしたらそこの家の若者と駆け落ちしちゃった、みたいなドラマチックな展開があるんだけど、先祖のロマンス話は置いといて、そんな感じで自分のルーツにはそういう家があったこと、文化があったことを認識している。そんな立場から何点か
別に。
脅威とは感じない。ただ不愉快。韓国の人たちが同じようなこと言ったり旗燃やしたりしてたのと同じくらい不愉快。
全部の意見は追えてないと思うけど、時々話題になってるのは見た。
肯定する部分もあるし、できない部分もあるし。色々だなぁと思いながら見ている。
アイヌに対して沢山の人が意見を述べることは少ないし、そもそも国内では多民族性に対する議論が発生すること自体がマレなので、いいことだと思っている。そう、アイヌのアイデンティティはいままでほとんどのひとが「まるで存在しない」かのように扱ってきた、そのこと自体がひどい差別だと個人的に思っている。
これはマジでやめて欲しい
どちらかというと、イチカイシャジンとして。
こんなもん会社に届いたらクソめんどくせーわ。会社の文化によるだろうけど、カイシャインなんてみんながクリエイターとして誇りもってないと思う。そういう立場のひとらは「なんで民族性扱っちゃったんだろ、次回作ではやめよーぜ」的な圧力を生む。
個人的には偏見まるだしでも、ファンタジー全開でもいいからアイヌを扱うことはやめて欲しくない。
シュマリ読め。ゴールデンカムイ読め。和人とアイヌのケンカは朝廷の蝦夷征伐以来、我が国の伝統である(という歴史を知っていれば、普通死ねとか言わないと思う)
さすが日本。
まさしく一億総活躍社会じゃねーか。
どうしよう私活躍出来るじゃねーか。
子供を産んで子育てしてても社会に出て働いて税金納めることができる日本まじ万歳!
何が保育園の数が少ないだよ。
子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってる人いたけど保育園入れたから日本まじ万歳!
不倫したり賄賂受け取る人たちいるけど保育園入れたからどうでもいいや。
オリンピックで何百億円無駄に使ってるけど保育園入れたからどうでもいいや。
エンブレム問題でもめてるけど保育園入れたからどうでもいいや。
有名なデザイナーにたくさん払う金あるけど保育園入れたからどうでもいいや。
前は保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ!とか言ってたけどもうどうでもいいや。
保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーって問題視して解決しようとしてくれてるだけで感謝。
金がなくても子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えずそいつらに産ませないため子供にかかる費用全てを有料にしろよ。
国会前で叫んだり、座り込んでる人たちがちゃんと働いて稼いだ金の一部寄付してもらったら財源できるから何かあればそれバラまけばいい気がする。
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最近話題になっている投稿を真似して書いてみました。不快に感じられた方がいらっしゃるなら謝罪致します。申し訳ありませんでした。
皆さんこれを読み終えてどのような心境ですか?
「どうで嘘だろ」と思われたはずです。もちろん嘘です。私は「保育園落ちた日本死ね!!!」という投稿が社会で話題となっていることに違和感を抱いています。
それは国会でも指摘されていいましたがあの投稿は「匿名」であるからです。
国会で飛んだ「誰が書いたんだ!」「出典は!?」などという野次に対してネット上や世間では
「保育園に入ることができないっていう問題があるのは事実なんだから論点がずれてる」などという書き込みが目立ちます。
この人たちは何か勘違いしているのではないでしょうか。この投稿が匿名だからと言って政府が子育てや待機児童に関する問題の解決に取り組まないわけではありません。
安倍総理もおっしゃっていますが政府は既に問題解決のため多くの活動をしています。これからもそうでしょう。
この投稿はアメリカの大統領選に立候補し、問題発言を繰り返しているドナルド・トランプ氏に似ている部分があると思います。
皆が心の奥で思っているけど言えないことを発言してくれる人に注目が集まる。ただトランプ氏は堂々と発言している。
ここがこの投稿と違うところです。私はこの投稿を否定するつもりは全くありません。一般人が名前を出して発言するのは相当勇気が必要です。
話題になっている投稿よりも前に同じような内容で出典がはっきりしている嘆願書などが政府には届けられています。
前回、兵庫県芦屋市における小学校建設の問題についての増田を書きました
http://anond.hatelabo.jp/20150401074440
これの続報です。
以前は、小学校の是非について問うものとなっていましたが、事態は変わりました。
まず、私の意見を先に述べておきますと、最終的な市の決定には従うより他ありませんので
今回小学校が建設中止となってしまったことに関しては、納得しています。
ですので、小学校建設が必要か、そうでないかは今回の議論の対象ではありません。
しかし、「教育」が「政治」のための道具として扱われていることが明白となり
その点に関して怒りを隠せません。
別に今に始まったようなことではないでしょうし、色々な所で往々にして行われている
ことではあるのでしょうが、黙って泣き寝入りするわけにもいきません。
以下、経緯を記載します。
http://www.city.ashiya.lg.jp/kanri/documents/ikenkoukankaihaifusiryou.pdf
これまでの経過、に記載があります。
平成8年1月 兵庫県企業庁が『南芦屋浜地区土地利用基本計画』を策定
・合計 約 27,000 ㎡を確保することについて記載
平成10年~ 10 年~陽光町,15 年~海洋町,16 年~南浜町,18 年~涼風町入居開始
平成20年 潮見地区と南芦屋浜地区の児童数がほぼ同数となる。(各約 240 人)
平成23年4月 南芦屋浜地区の児童数(316 人)が12学級規模に達する。
平成26年4月 建設公営企業常任委員会所管事務調査において,南芦屋浜地区の教育施
平成26年8月
~11月
『南芦屋浜地区教育施設用地幼稚園・小学校建設検討委員会』を設置
(8回開催)
件の小学校建設予定地は、兵庫県企業庁の所有になっており、開発時点で
芦屋市は、企業庁からはいつ学校を作るのか、という問いに対して、それに見合う児童数が
確保できたら、と回答を出しています。
上の経過のように、おそらくは企業庁から、当初言っていた児童数にとっくに達しているのに
去年の8月に急遽、学校設立委員会を芦屋市が立ち上げています。
市の教育委員会で議論が交わされ、学校を新設する方向で市長へ依頼報告が上がってきたようです。
そして、去年の12月の定例議会において、市長が学校建設を行う方針を発表します。
非常に急転直下な話です。
山中芦屋市長は元々、小学校建設を願っていたそうなので、渡りに船ではあったのでしょう。
その後、今年の2月に「地域住民意見交換会」という名の説明会が催されます。
http://www.city.ashiya.lg.jp/kanri/ikenkoukankai2.html
これには私も参加し、その際の発言も記載されていますが、ここでは市は学校建設は行う、と明言しています。
この時点では、いくつかの反対意見もあることが議事録から伺えます。
しかし、反対意見があろうが、市としては「建設する意思」は覆らないという回答がされています。
そして、今年の3月26日に芦屋市議会議員の3分2を占める、14人の議員による「嘆願書」が市長に対して提出されます。
それにより、翌日の3月27日に、山中市長は急遽、小学校建設の白紙撤回を表明します。
(なんとその同日に、前回もURLを貼り付けましたが消えてしまったようで
ビラが各地にまかれています。
http://i.imgur.com/xY8EpUk.jpg
これは嘆願書を提出して建設を辞めさせた議員が、建設を辞めさせた議員たちと、それに賛同しなかった議員という形で
名前を連ねて、地域にばらまいたものです。明らかに選挙を意識した動きであるのは明白です。
しかし、市長が翌日にすぐに白紙撤回するのがわかっていたかのような根回しのよさですね。
ビラはこの議員だけではなく、他の議員からも色々なものがまかれたそうです)
そして、昨日、4月6日に、今回の件に関する説明会が開催されました。
これが今までの経緯です。
そこに参加をしてきて、ボイスレコーダーで議事を録音してきましたので、必要であればYoutubeにでもアップすることは可能です。
ですが、おそらく市から今回の説明会の議事録が提出されるであろうのでそれまでは保留としておきます。
さて、同日に都合2回開催された説明会ですが、内容としては最初に市長から2分程度の謝罪の言葉があり
後は市民の皆様からの意見を頂戴します、と。ただ市民の愚痴を聞いて発散させて、事なきを得ようという
目論見丸出しの会でした。
この会で、多くの疑問が新たに湧く結果となったのです。
まず、山中市長が小学校建設を白紙撤回させた理由について言及した所
・市議会の3分の2を越える議員からの嘆願書が提出されたことを非常に重く捉えている
との回答でした。
我々が選出した市長と議員の総意が民意であることは理解のうちなのですが、
非公式な場での嘆願書により行われ、議論もすることなく議決を得ることもなく
「決定」に至ったことです。
しかもなぜこの時期に、選挙を目前にしたこのタイミングにそれが行われたのでしょうか。
これは、昨日の説明会に参加をした木野下議員もブログにて言及をしておられます。
http://blogs.yahoo.co.jp/urukino07/68394659.html
今回の14名の議員による白紙撤回を求める申し入れ書について、「議決に準じる。印鑑を押してあり、大変重い」と述べたことです。
じゃあこれから、議案を出す前に、この申し入れ方式をとれば、議会なんか開かなくても済むケースが山ほど出てくるのではないでしょうか?
予め、議員には議案を示し、賛成派・反対派がそれぞれ署名捺印合戦をして、多数を占めたほうが、「申し入れを作り、そこに署名捺印をする」。市長は、その申し入れ書を見て、反対が過半数を占めていたら、議会での論議をする前に撤回してしまう。
ある市民の方が、「議会で論議をしてほしかった」と発言されていましたが、まさに今回は、議会での議論をすることなく、市民的な大きな課題が市長の独断で決められ、議員14名の申し入れ書という形をとって白紙にされたということです。
それともう一つ。
山中市長はしきりに「行政は議会の決定に従うしか無い」と訴えていたのですが、
木野下議員の言うように、今後もそうやって嘆願していけば、決定されてしまうのであれば
Youtubeにもアップしている方がおられるようでした。
https://www.youtube.com/watch?v=aKCjcM63AUA
また、次の疑問はこのようなものです。
教育委員会は浜風幼稚園廃園決定の際、単学級が複数年にわたることを理由にしていました。南芦屋浜においても、小学校を新設しても10年後には単学級になる見込みであり、また、既存小学校の学級数、児童数減少を招くことも明白です。市長は、統廃合はしないと言われるが、教育委員会のこれまでの単学級に対する考え方からすると現実的に統廃合検討の対象となります。
以上のとおり、巨額の建設費を投じた上、毎年多額の維持費をかけることとなる小学校は、建設後10年でその必要性を問われることが明確であり、その必要とする理由にも説得力が感じられません。南芦屋浜地区の住民からも反対の声が大きい小学校建設で、これまで市長が3期12年の間、道筋をつけてこられた行財政運営に対する市民からの信頼を損なうことのないよう、英断をもって、計画の白紙撤回をされることを強く申し入れます。
これは大きく分けると
という2点に集約されることになります。
1つ目の単学級化に関しては確かに問題です。
これから単学級になる学校を新たに敷設するのかという点には非常に納得はできます。
しかし、単学級化はここだけの問題ではありませんし、今日本全国で起きている問題です。
長い時間をかけて取り組んでいかないといけない課題でありますし、教育の観点で考えなければ
それに単学級を防ぐために、学校を市に1つにして家の近い児童も、遠い児童も全員に通わせるような
ことは現実的に難しいでしょう。児童の通学にどれだけの影響が及ぶかという点が置き去りにされています。
これは上でもビラを巻いている議員がいると伝えたように、口をそろえて「70億円」の無駄な公共事業
と言っています。
これは30億円の土地費用と、40億円の学校建設費用と言われています。
しかし、実際には兵庫県の他市の事例でも明らかなように、学校用地の土地を使うことは
兵庫県の企業庁のプランでありますので、定価である30億円で用地を売るということは考えにくいのです。
これは過去に山中市長も明言されており、実際には4億や5億くらいで土地を取得できると算段されていました。
学校建設費用の40億円もどんだけ豪華な学校を建てる見積なのかはわかりませんが、
単学級を見込んで小規模な小学校を立ち上げるのであれば、いくらでも縮小化が可能です。
しかしこれらの事実を無視して、反対派の議員は「70億円かかる」と言い切り、当該地域ではない
市民にそれを伝え反対票を集めているのです。
では今からでも、見積をやり直して学校を建設するかどうかの議論を再開できるのではないか、
との問いには「それはできない」の1点ばり。
これはもうなにかの力が働いているとしか思えません。
山中市長は、3月の時点で14名の議員から嘆願書が出ているので、
しかし、議員達は70億円かかると言い続けているわけですし、実際には
それだけの費用はかからないと知っても、本当に議会の決定は変わらないのでしょうか。
その点を重点的に多くの方が意見をしたのですが、山中市長は「無理」としか言わない。
このような決定には納得ができませんし、なにより市議と行政への不信しか残りません。
そして、この事実は多くの芦屋市民が「知らない」まま、4月26日に統一地方選挙が行われます。
3月に、対立候補として出てきた人がいるのですが、その人は政策に「小学校建設反対」を表明していました。
おそらくは、この市長選で山中市長が「小学校建設推進派」だと、この対立候補との戦いになるので
https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007830055.shtml
70億円かからないのにです。
行政と市議が正常に作動していない状況で、市民が振り回されています。
特に昨日参加をした住民の多くの人は「兵庫県」と「芦屋市」と「不動産屋」がそれぞれ口をそろえて
「学校を作る」と明言したため、家を購入した、移り住んできたという人だったようです。
それは詐欺行為にも等しいのではないかと。
そして、参加した私の感想ですと、山中市長はとにかく「謝らされている」感じがしました。
トカゲの尻尾きりで責任だけ取らされているような感触を受けました。
一方、それ以外の議員は、一体何が起こっているのか、どうなっているのかと
闇を感じますね。
年に数回みるな・・・
今回はいつにも増してマジ度が高くてかなり焦った。
卒業かかってる年の前期の試験で、ノートを2P写せばいいってだけの試験で楽勝だと思って13:30開始の試験に来たら、実は試験は13時からで試験終了が13:30だったという、試験時間間違いという致命的なミス。
こればっかりは教授に頼んでも絶対ダメだし、後期で取り返すしかない・・・でも残ってるのが必須科目で簡単に単位とれるようなもんでもないのに・・・でもやるしかないよなあ・・・くそう後期は地獄か・・・とかもやもやもやもやしてたら目が覚めた。
実際は、後期に1個だけとってた必須科目に途中から授業に出ないまま試験受けて、試験後に教授に嘆願の手紙まで書いちゃったという情けないオチなんだけど(嘆願書なんか絶対受け取らないような教授だったから、悪印象にしかならなかったはず)、結果的になんとか単位が出るくらいの解答書けてたみたいで単位は出てギリギリ卒業できた。