はてなキーワード: 同性カップルとは
当たり前だけど基本的に法律って作れば作るほど自由がなくなるものだからね。
契約自体はどんな契約も自由に交わせるのが資本主義社会の原則で、民法はこういう契約は無効だとか特別記載がなくてもこういう責任が生じるとか制約を追加してるだけ。
社会制度的に認められれば税制上の優遇とかそういう金銭的なメリットはあるけど、権利の面ではむしろ制約される部分が大きい気がする。
それに今更同性カップルを認めるのも周回遅れというか、フランスとか見てると世界的には異性カップルにとっても結婚自体が不要という流れになっていくと思うんだよね。
この人、日本で同性婚が認められるように活動してる人だと認識してる。
一応調べたけど、そこが間違ってたらごめんなさいね。
で、問題なのはそうした活動をしようとしてる人が短期間で2度もパートナーシップを解消してること。
私が気になるのはパートナーシップ期間の短さよりも、次のパートナーとの交際までの期間の短さ。
今回「好きな人ができたから別れてほしい」って理由が書かれてた。
前回のことはよく知らないけど、やっぱり同じような理由で別れたのだとどこかで見かけた。
(今回の件について、慰謝料がどうなったのかは言及されてないのでわからない。でも、あそこまで細かく書いてる勝間さんなら「受け取りました」とか「申し出があったけど辞退しました」とか書くと思う。別れてほしいって言われてから短期間でパートナーシップを解消してることから見ても、慰謝料の話は出なかったんじゃないかなと推測する。あくまでも推測。事実はわからない)
多分この人は、結婚にはメリットがあると同時に責任も発生するってことがわかってない。
わかってないのは別にいい。
異性愛者にだってそういう人間は山ほどいるし、実際に同じようなパターンで結婚を繰り返す人だっている。
ただ、そういう人が今から同性婚という権利を得ようとしてる集団の先頭に立っているのはまずいと思うのだ。
少なくとも建前として「同性愛者にだって異性愛者と同じように一生添い遂げたい相手がいる」「相手が同性だというだけで権利が侵害されるのはおかしい」という主張があったはずだ。(と、私は認識している)
改革の先頭に立つなら、この建前に沿って行動するのが理想的だ。
「長年一緒に住んでいて、これからも生活を共にしようと誓ったのに同性というだけで結婚できません。おかしいですよね」という主張はわかりやすい。
物事を有利に進めるるならわかりやすい物語を持っている人が先頭に立った方が良いというだけだ。
一生一緒にいるつもりでパートナーシップを結んだけど、数年で別れました。2回目です。
という人が先頭に立っていたら「あなたに結婚制度必要ないよね?どうせ数年で別れるんだし」と思われても仕方ない。
もちろん、理屈としては間違ってる。
あくまでも有利か不利かという話だ。
同性婚の議論において、もっとも重要なのは一刻も早く同性カップルが異性愛者のカップルと同様に法律婚できるようになることではないのか?
もしくは、同性婚が認められるまではパートナーを変えずにおとなしくしていた方がいい。
こちらは時すでに遅しだと思うけど。
この人が先頭にいることで同性婚が認められるのが遅れかねない。
何度も繰り返すけど、理屈に合ってるかっていう話じゃない。
思春期にBLやら女性向け同人にハマって腐界に住むようになってから、15年ほど経過した。
ハマった当初からネットがあるので、補給も発散もネットやSNSで手軽にできる。
そして、ルールやマナーや暗黙の了解…いつでも学級会がどこかで開かれている。
今SNS上の女性たちは女性人権に様々な声を上げられる時代になった。
腐女子たちも同じで、趣味のアカウントでも女性人権やハラスメントや痴漢や育児…色んな女性の問題の話題が流れてくる。
なんとなく以前は、趣味のサイトやアカウントでこういう話は嫌悪されていたように思うので時代は進んだなぁ、いい事だなぁと思う。
何かがひとつずつ変わるたびに
「次は自分の求める何かが変わってくれるかも」と希望を持てる。
でも、
一方でまだまだ人権感覚黎明期なのか、自分が好む属性の人間しか人権がない、と思っている人も多いようだと感じる。
人権の話をする時、何かの人権を尊重しようと声を上げるみんながみんな、反差別や人権派なわけではない。
時に、自分の差別心を肯定してくれるから〇〇人権の話を建前にする流れになってしまったりもする。
この差別を批判することで別の差別を肯定する、というのはあまりにも前時代的というか、その手法を人権先進国で嬉々として話したら単純に差別主義者に見られる…ということをまだまだ多くの日本人は知らない。
だから、ついつい自分の認めた人種、自分の好きな属性の人権だけを高らかに気持ちよく発する。
とにかく属性で見るのが好きすぎるのはなぜなんだろう。
……ああ、ほら、また〇〇だ。だから〇〇は…。
〇〇がみんなそうなんですか?という疑問は「それってノットオール〇〇ですよね」に封じられる。
表題について、
女性人権について、SNS上のフェミニストたちと女性人権を語る腐女子は時々「男性嫌悪」について同調しあうが、途中から道が分かれているな、といつも感じる。
最近、一部のSNSフェミニストの間で「トランス女性は女性ではない」といった論争があった。
性別…ジェンダーはSEXを覆すことができない、肉体的に男性性を持つ以上は男性なのだ、だから男性嫌悪を是とする派にとってトランス女性も、それからゲイも嫌悪する対象なのだ、と。
ここで、腐女子と道が分かれている。
以前から、「BL妄想」と「現実にいるゲイ」の様々な学級会があった。
マナーとして失礼な扱いや現実との混同などの問題があれど、基本的に腐女子はゲイの存在に否定的な人は少なく、好意的な印象だ。
男性嫌悪があらわな腐女子でさえ、ゲイの記事をRTし、肉体的な、性的な魅力のある男性の写真をBL妄想とともにRTする。
ゲイの悩みや欲求には耳を傾け、ゲイが物申すツイートも肯定的にRTする。
でも、ゲイではないただの男性や、おじさんのツイートにはその内容の善悪や是非にかかわらず否定的だ。
「男同士でなんとかすれば?」
「ほんとにあったの?(真偽はわからないけど)嘘っぽい」
「(本人ではなく男性の)日頃の行いが悪い」
という。
これらは女性が長らく言われて苦しんできた言葉でもあるが、それを苦しめる言葉だとわかっていてあえて使ってしまっているのか、
言われちゃいけないし、言っちゃいけないんじゃないの?と思うがそれを咎める人は少ない。
男性嫌悪していても、ゲイやBL的に見栄えするものに対してはまったく態度が異なるのはなぜなのか。
フォローしているBL作家さんのRTを意識してみていたが、やはり普段は男性嫌悪だがゲイの記事だけにはなにをもっても肯定的だ。
そして、特定の相手ではなく概念としての「団塊世代の老害おじさんたち」を嫌悪しながら、そのおじさんが俳優やキャラクターや魅力的な写真の誰か…目に見える相手になった場合にBL妄想の種にするのは大好きだったりもする。
中年でもないが学生ほど若くもないお金も友達も特定の彼氏もいないおじさんだ。
以前、ネットでBLをたしなみ始めたころなはコミケで男性の購入おことわりなどの話を見ていてイベントには行けないな、などと思っていた。
いつの頃からか、腐女子はゲイには優しいなあ、などと感じはじめていた。
そしてまたいつの頃からか、それを男性嫌悪の波の中にある異質なワンポイントとして認識しはじめた。
生まれ持った男としての性への責任と罪というのを、女性多数の趣味の世界の中にいると強く強く念押しされるのを感じる。
そのたびに、間違わないように生きたいと思いながらも、
先人の男性たちやどこかの誰かが犯した罪を背負う責任を説かれ、
自分の世代や、次の世代の男の子たち、これから生まれてくる男性性を持ってしまった赤ちゃんたちに「罪人の性」としての負債を残していく事を望んでいる…
そんな日本の一部の「男は男で生まれただけでマジョリティで優位者」という考え方に呑まれながら
でもふいに「ゲイは別だよ」と肩をたたかれたときのゾッとする感覚。
なんだろう、これはなんだろう、とずっと考えていても答えがわからない。
マイノリティな属性を持っていたら「男に生まれた罪」から解放されるのか?社会的に弱者であると認識されたから優しくされるのか?
でもそれは正解じゃないかもしれない…。
男性嫌悪のおじさん批判は、金なし友達なし恋人なし職なし趣味なし病気あり介護あり…であっても容赦なく叩くから、ただ弱者であってもダメなんだと思う。
普段自分の性別は明かさないが、腐男子だとわかると嫌悪してくる腐女子も多く出会ったし、それまで交流があって普通に話していたのにそれで終わることも多い。
でもやっぱり、ゲイだと話すと優しくされる。
彼氏がいたころなんて毎日のように相談に乗ってくれたし、いろいろ話を聞かれたりもした。
それは、エロおやじが女の子の性の話題に食いつくのと同じなんじゃないのかな、要するにオカズとして見られてるのでは?なんて感じるようになって話さなくなった。
ゲイやオカマは人生に役立つ格言を言ってくれる、人生経験豊富、みたいに思われるのも嫌だった。
丁度、男性の同性カップルの殺人事件があったときだった、不謹慎だけど萌えた~って言われて理解ができなくてブロックしてしまった。
書いていればまとまるかな?なんて思っていたけれどだめだね、どうしてだろうなんでだろうが止まらなくなってしまった。
今日も好きな商業BL作家さんも二次同人作家さんも、概念おじさんを、悪いおじさんなのか良いおじさんなのか、それはどこの誰で、顔見知りの誰かとどう違うのか、
そんなのはどうでもよくすべての男性という大きな主語で嫌悪しながら、「でもゲイはいいんだよ」とでもいうように同調され支援され萌えを語られる。
お前は悪い人種だお前はダメな人種だと指さし囲まれたあとに、「でもゲイでいれば許すよ」と頭を撫でられる。
これって腐女子にとってはゲイだけど、誰にでもある「好む属性の人権だけ認める」現象の、ひとつなんだろうか?
みたいなものなんだろうか。
なぜそうなのか、なぜなのか、誰もちゃんと教えてはくれない。
現状の結婚でも、支援は妊娠子育てのみで、ただ夫婦になってるだけのメリットはなくしていく方向に社会全体がなっていってるのに、いまさら同性カップルにも結婚のメリットを、となっても、えーっ…となってしまうよな。それは違うだろうと。
求めるなら既存の結婚制度をなくして、ゆるいパートナーシップ制度を設ける方向性にして、あとは子供と両親の権利だけを厳格にすればいいのに
便乗して、自分の考えをまとめてみる。
前提として、国の制度としての結婚は、国が管理しやすい枠にはまって義務を負う代わりに、税金優遇などが受けられる制度という程度の認識で、あまり神聖なものと思っていない。
国として、人口増を見込める異性婚を推奨するのであれば、税金優遇における結婚という制度は異性婚に限られても仕方ないのではないか。
もちろん、それとは別に同性カップルが幸せに暮らせる制度が作れるなら、あったほうが良い。
同性カップルの関係性を表現するために結婚という言葉を使うなら、制度としての結婚と混同しない前提でだが、現状でも同性で結婚したと表現するのは自由。
婚姻届を出さなくたって結婚式は挙げればいいし、私たち結婚しましたというポストカードを知り合いに送るのも自由。
これは解決すべき。
ただ、既存の結婚という制度に同性カップルを含めるのか、同性カップル向けの制度を作るのか、2つの選択肢があるが、上記の点を考慮すると後者を新設したほうがいい気がする。
そもそも、見舞いに関しては同性カップルだけじゃなくて性的関係にない単に仲のいいおっさん同士とかでも行けるようにしておいたほうがいいと思う。
全くの他人同士でも相互扶助義務を負った関係性を登録すれば、ある程度税金優遇するような制度があってもいいんじゃないか。
そういう関係を認めたほうが、国の介護支出とか生活保護とかが減ってトータルの国の支出が抑えられたりしないかね。
これは2019年の増田なんだけど、この時の話から全然先に進んでなくて驚きだな
古い家制度とは全く異なる貞操の義務を相互に負う新しい制度が必要な時期になったんだよ
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わかる。同性婚単独で問題を考えると、現行の結婚制度との整合性が全然取れない。
というのもそもそも結婚という制度自体、当人同士の事情を鑑みず他人が家族の形に口を出し縛る制度なんで、
縛りというのは下のこと
(1)異性同士がパートナーにならなければいけない(→これは今変わろうとしている)
(2)性交渉の相手と子供を育てるパートナーと相続の対象は同一にしなきゃいけない
(4)親兄弟、はたまたおじおばと甥姪もパートナーになってはいけない
同性婚でよく言われる「選択肢が増えるだけで誰も損をしない」という主張は、この(1)~(4)の縛りすべてに対してきちんと整合をとっているのか?
ここを放っておいて野放図に賛成しているのは、単に「声が大きい人間に便宜を図っているだけ」に見える
具体的には以下の2点が気になる
一番問題になるのは(3)。今重婚が否定されているのは、たとえ成人した当人同士が納得していても
男女の権力差がある以上どうしても男性優位になることが免れないからだ
だとして、男女の権力差がない同性婚の3人婚・4人婚を否定する根拠は?
選択肢が増えるだけで今結婚している人が困らないなら、同性婚は3人以上が行ってもよいのでは?
(4)の縛りも近親交配で血が濃くなることを防ぐためだと思うけど、そもそも子供を作れない同性婚で縛りを加える必要はないのでは?
これらの縛りを同性婚に加えるのなら、その理由は「マジョリティである異性婚の人間に悪影響を与えない範囲で権利を許可する」しか考えられない
(4)に反対し(1)に賛成する意見の根拠として「親族は既に相続の対象や緊急連絡先として取り扱えるが、同性カップルにはその手段がない」という批判がある
実は同性カップルも養子縁組ができるので法律上の問題点は現行制度上でも回避できるのだが、
もうちょっと手続きを楽にしたいという意図があるのかもしれない
そこで考慮すべきは(2)だ。
財産の相続や家計の管理を特定のパートナーと行いたいと考えるのなら、別にそこに性愛が伴っている必要はない
性愛が問題にならないのなら、そのパートナーは3人・4人でも問題ないし同性愛者以外でも同性をパートナーにして問題ないだろう
こう考えると、元増田のいうとおり法律的に家族と同等の権利を得るパートナー制度を整備して
同性愛者以外に様々な家族を作りたい人間に対応するほうが、よりリベラルな態度のように思える
[参考]
同性愛者でも異性の家族を迎え入れた例。こうした事情に汎用的に対応できる方がよい
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5cdce24be4b01571365beb3b
恋愛と性指向の性が異なっている人の例。単なる同性婚の許可では対応できなさそう
http://nightyqueer.hatenablog.com/entry/2018/01/29/223807
冒頭にも書いていたとおり、これら諸問題は結婚という制度自体が個人主義と相性の悪い前近代的なものだから発生している
この制度に無理に新しい権利主張を対応させようとするから問題なのであって、
ただし
「なら古い結婚制度というものは解体しよう」という意見には反対する
最初のスタンスだった「他の人に影響はなく、新たな選択肢を加えるだけ」という前提に反するからだ
↓
法律いじらないって言うんなら「とりあえず目につくものだけ承認する」でもいいよ
身近の同性カップルを祝福してなさい
「現在の倫理で絶対に認められない」は同性婚も同じだったんで、いずれ行き着く
今でも遡上にあげようとしてる人達がいるけど、この人達を目の前にして「お前らは拒絶する」と言える?
https://snjpn.net/archives/105504
内縁関係で権利が保証できていると認識するなら今の同性カップルにも同じ地位を与えればよい
本来の趣旨と違う運用してるので法律を拡張してほしいという話なら
ちょっとはわかる
別に俺の増田以外にもこのブコメ使える。単に反発したいだけか?
少しは議論の中身に参加したら?
それなりに様々な国・地域で導入されてるね
http://emajapan.org/promssm/world
参考にできると思う
近親婚を役所レベルで禁止できるとか、現行制度にも利点はあるんやで
これがないと結婚式に証人を立てるとかしなきゃいけないけど日本にはそれが確立されてない
まあ性急に今の制度を廃止するのは俺は反対だ。新しい何かを作ろう
勉強になるって言ってくれてありがとう。増田書いた甲斐があったよ
どう感じるかは読者の自由だけど、迷走が嫌なら自分自身で迷走していない直球の議論を元増田と進められたい
結婚離婚くりかえしてる芸能人とか重婚してるようなもんだし慣れの問題だと思う
わかる(つらい)
汎用的なパートナーシップを望んでる人は案外多くて、宗教団体は法律にたよらなくてもそれを実現できるってのが実態に近いと思う
法律や条例の拘束力が強すぎる問題もあるかと思うので声明発表とかで様子を見る選択肢もある
誰か代弁者を探して
→各自治体で導入が進んでるパートナーシップ制度に対して法的拘束力をつけるよう要請するのが早道です
既に法制化が進んでるし俺も含め反対者が少ないんだからこっちを推し進めた方が絶対有利と思う
・一気に物事は解決しないのだから目の前に見える問題を少しずつ解決すべき
→わかる。
なので今の結婚制度に手をつけず新たな制度を設けるべきと主張してます
マジョリティに比べて完全な権利ではないことは理解するが、そこは「少しずつ進めよう」
・今LGBTが求めているのは制度ではなく承認などの情緒的問題
→俺がいつも取りこぼしがちになる領域。はてなは法律や制度の話しかしちゃいけない場じゃないんだけすっきり解決できる方法がないので勢い無視しちゃう。どうすればいいんだろうな?
・勉強になった、参考になった
ありがとう。今後の議論で「権利が増えるだけだから問題ないでしょ?」とフワッとした言い方を見かけたら
例えば今後日本が移民国家になって「本国から妻を2人呼びたいんだけど」なんて議論がわいてきたとき
おいやめろ
普通に結婚したかったので、性転換手術をした元女性(現男性)です。娘さんは、本当に悩んでご家族に打ち明けたと思います。僕は、同性カップルでいることが難しかったので、不妊手術(性転換手術)をして性別を変えてしまいました。
簡単に僕の状況を説明しますね。性自認(自分がどちらか)は、9割側男性より。でも、体は女性だし、自分は女性だなと同時に思っていた。性指向(どちらの性別が好きか)も、9割側男性より。でも、男性でも好きになれたし、結婚も考えることもあった。
しかし、僕は同性(女性)を好きになる割合が多めで、同性でカップルでいることの辛さをよく知っていました。10代のころ、手を繋いでいて「(男と女)どっちかな?」と指を差されることばかりだったし、当たり前のようにカップルとして祝福されることはすごく少なくて、腫れ物に触るようにいつも扱われました。逆に男性と交際したときは、拍子抜けするくらい、社会から受け入れられて驚いたものです。20代になってから、そういう偏見の目を彼女たちに向けさせたくなかったし、自分が男性である自認が強かったので、診断を受けて、戸籍は女性のままで、世間一般では男性として生活しました。
同性カップルであることのストレスは、僕の外見が変わったことで、日常生活においては、ほぼなくなりました。しかし、誰が見ても男性に見えても、入籍はできないままです。日本の法律では、性別を変更するためには不妊手術で内性器を摘出する必要があります。手術は体にも家計にも仕事にも負担がかかるし、普通の生活では男性と見分けがつかなくなっていたので、性別を変更することには二の足を踏んでいました。しかし、結局、結婚をする際に、不妊手術をして、戸籍の性別を変えて、入籍をしました。入籍で得られるカップルの制度が同性カップルでいるよりも整っており、ご両親へのご説明もしやすく、かつ書類の性別を変えることで個人的な各種ストレスも軽減されるためでした。
交際相手と世界が二人だけであれば、本当はどちらでもよかったのです。現在の妻からも当時、手術を反対されました。全身麻酔の手術で何百人に1人くらいは死んじゃいますし、手術後も数日間ベットから起き上がれずに、手術後の半年間は体力も戻らなかったし、一生定期的な注射が必要になってしまった。それでも、僕が戸籍を変えたのは、僕が社会からの圧力にとても弱かったからです。いろいろな人から指を差されて、偏見の中で数十年生活するくらいなら、自分が自然な姿の自分を捨ててしまえば、解決すると思ったのです。
話は、娘さんに戻ります。僕は、同性カップルがどのように指を差されるのか知っていて、恥ずかしながら、そこから逃げて安牌に走った人間です。僕にとっては、命を賭した手術と、子孫の断絶を合わせて、安牌に思えるレベルの苦痛が同性カップルでいることだったのです。(あくまで、僕個人の持つ様々な状況の中での答えですから、丸飲みにはしないでください。この答えを出すのにも30年以上かかりました。)ですから、娘さんがどんな覚悟で同性カップルでいることを選び、ご家族にお知らせしたのか、どれだけ考えて息子さんの精子についてお話したのか、少しは理解できるのです。でもね。残念ながらわかりやすい答えなんてないんですよ。
娘さんが社会から自然に受け入れられるために娘さんかパートナーの方に僕のような手術を望む方もいれば、そんなことをさせるくらいなら自分たちが味方になって社会へ説明をしていく方もいるし、何も受け入れることができずに絶縁してしまう方もいる。ステレオタイプの家族以外の情報は、現代の日本にはとんでもなく少ないですから、ロールモデルを見つけるのもとても大変です。
倫理的に良いか、家族がどう感じるか、答えは国や家族の数だけあるので、家族のみなさんでたくさん書籍(専門書とエッセイ両方をバランス良く)を読んで、そしてたくさん娘さんと息子さんとお話してください。今までどう感じて、どう生きてきたのか、よく娘さんとパートナーさんとお話してください。僕たちは、ご家族の知らないところで20〜30数年ずっと考えてきて、今の自分達の答えを持っています。ご家族が数時間でそれに一足飛びに追いつくことなんてできないことはよくわかっています。だから、時間をかけて、ご家族にもゆっくり自分達の答えを見つけてほしいと思っているはずです。焦らなくてもよいはずです。
全てがグラデーションやグレーで答えのない世界に辟易としたり、時には不安になる情報もあったり、絶望することもあるとおもいます。そこで勝手に判断して、歩みを止めないでくださいね。その一つ一つの絶望の何十倍もの数の絶望を乗り越えて、僕たちは自分の答えを見つけました。歩みを止めずに、ゆっくりゆっくり色んな本を読んで、新しく勉強してきたことを娘さんカップルに一つ一つお話ししてみてください。ご家族にとって、良い答えが見つかりますように。
そもそも私企業が社員へ提供する福利厚生ってのは「より優秀な人を集めたい」から存在するものだし、
夫婦に補助が出るのは大抵扶養補助であって、これは「夫婦=夫が稼いで妻が支える」という形が当たり前だった時代に
「独身より妻がいる男の方が会社にとって色々と都合が良い(妻のバックアップがある分より働かせられる、妻の生活を支えているから簡単に辞められない、等)
から独身男性社員の結婚を促したい」ってんで出来たもんだからね。
なので今だとそういった夫婦ばかりではなくなり意味が薄れているから、いずれそういった補助も削減されていくんだろう。
後はその企業の考え方だろうな。
同性カップルであっても片方が稼いで片方がそれを支えているのであれば、同じ理由で独身者よりは都合が良いから
それを補助する事でそういう同性カップルを集めたい、ってのも人材確保という面で一つの戦略となり得るだろうし
それでそういう同性カップルが増えるなら、独身の同性愛者や共働きで扶養補助が使えない同性カップルであっても
「同性愛者に理解があり、実際に同性愛者の同僚も多い働きやすい企業」と言う事で集まってくる事はあるかもしれない。
異性愛者であっても、そういったリベラルな企業で働きたいという人はいるだろうし、
その企業の商品を買う客にしても、企業のそういった取り組みを評価して購買意欲が増えるという事はあるかもしれない。
勿論逆に「同性愛者がいるなんて気持ち悪いから働きたくない」異性愛者がその企業を避けたり
「同性愛者がいる企業の商品なんて気持ち悪いから買いたくない」と言う客がいて売り上げが下がる、と言う事もあるかもしれないが。
女の浮気は心が伴うのでタチが悪いし、真に相手を裏切っているので赦されるべからずであり、
男の浮気や風俗通いは体の欲求を満たすためのものに過ぎないので真に相手を裏切っているとは言えず、黙認されるどころかある面では甲斐性と評価される、みたいなのがあったという。
今の時代は(表向きは)そういうことは言わないが、そういう価値観を今でも持ち続けている人はいるようだ。
ブコメでもそういうの見るし。
でさ、男性同士のカップルは相手が風俗行ったり浮気をしたりしても「気持ちの上では当然許せないが、俺も男だから体だけの関係って理解はできるな、くっそー」って
飲み込めたりするのかな?
そういう風にならないと、「男の浮気・不倫は体だけのものだから女性配偶者は片目をつぶってみるべし」ってこれまで言ってきたのは、
結局、経済力の低い女性配偶者にテキトーな事言って忍の一時を押し付けていただけじゃね?ってことにならん?
同性カップルは進歩的な人たちだから、そんな古典的な価値観に縛られてねーよ、ハイ論破ってのは駄目だよ。
まあそっちは興味ないから今回は考えんとこーっと。
「同性同士でも好きあっている人がいるのに婚姻関係になれないのはおかしい!」っていう理論自体は間違ってないと思うんだけど
婚姻関係を結ぶ意味が子供を産み育てるのに体裁上両親という関係でいるため、としか正直思えない私には
子供を産むことができない同性カップルの「結婚したい」願望がわからん(批判というより単純に疑問)
おそらく、正式に家族という形になりたいんだろうけど(子供を望まない夫婦もそうだよね)、
このご時世、異性愛者のカップルでも結婚という道を選ばない人だって存在しているわけで、
2人が幸せで一生寄り添って行くって決めればそれでよくないか。それでもう夫婦のようなものではないか。
確かに現状、同性カップルを認めたくない人がいても、結婚できるようになれば認める認めないなしに夫婦(この場合どう言うんだ?)である事実ができるから、
同性結婚が社会的に認められることがLGBT差別撤廃の第一歩になるために動いてるんだろうとも思うけど、
本当に差別のない社会なら、婚姻関係が結べずとも、周囲は夫婦のように扱ってくれるし、むしろわざわざ婚姻関係を結ぶ意味はなくなる気がする。
結婚して1年半が過ぎた。世間ではまだ新婚と言っていい範疇なのか、自分達でもよく分かっていない。どちらも遅めの結婚だったし、子供をつくることもないと思う。ただし、一緒に生きていくんだ、という意識は強く感じるわけだ。
この意識を感じることで、いわゆる同性婚に対しての意識が少し変わった。あー、ちなみに私達はヘテロセクシュアルで、互いの肉体と精神の齟齬もないんだが、ホモセクシュアルなカップルにおいても、この「一緒に生きていく」ということこそが、極めて重要な意味があるのだろうと思う。同性婚という社会制度を求める、ということの本質はそういうことなのだろうと思うのだ。一緒に生きたい。一緒に生きている自分達を、社会に受け入れてもらいたい。大手を振って、一緒に生きていきたい。別に情念的、観念的な言葉で飾ろうというわけじゃない。これこそが本質なのだと思うのだ。
同性婚を認めると出生率が下がるとか、家族制度が崩壊するとかいうことを言う人々がいるわけだけど、そういう人達が「一緒に生きていく」ことをどのように捉えているか、ということを、その主張ははからずもあらわにしている。この主張をする人達は「一緒に生きていく」こと=「子をつくること」「(旧来の形態の)家庭を営むこと」と思っているわけだろう。でも、同性カップルでアダプトしたい人は少なくないだろうし、精子提供や代理母出産で我が子を授かりたいという人も少なくないだろう。まず出生率が下がるという主張は怪しいものだと思う。家族制度が……というのは、そもそも「家族」の定義って何でしたっけ、と思う。家族って一定のかたちを満たしていたら家族なんですかね。父、母、子が同じ箱の中にいる。でも彼らが「一緒に生きて」いなかったら、それは家族っていえるのだろうか。
結婚して、このような意識を持つに至り、同性カップルに「一緒に生きていく」権利を保障することが社会のミッションだと思うようになった。日本でも、早いところそうなってもらいたいと思うし、ヘテロセクシュアルな人々にとっても、ここから自分達の「一緒に生きていく」ことを考えてもらえれば、社会は少しはましになるのかもしれないなあ、と思うのだけど。