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2024-02-12

anond:20240212205651

ナウシカ母性表現したくて胸を大きくしたって宮崎さんが雑誌かなんかで言ってた。

宇崎ちゃんは独特の押しの強さを表したんだろなって思う。貧乳だと被るキャラ結構いそうだし…

甘露寺蜜璃は確かにあれ貧乳だとキャラ違くなるなって思う。子供っぽすぎになるっていうか。

まあ理由があるのもあるしないのもあるんじゃねって思うました。

まあでも確かにわりかし母性キャラ貧乳とかだとビジュアル的になんかちぐはぐかも。まあそれはそれで個性かもだけど。

アニメとか漫画キャラクターってみんな童顔になりがちだから

おばちゃんとかおばあちゃんならシワ描けばいいんだけどハイティーンから大人の女性までを表すのにそのくらいしか特徴持たせられんとかそういうこともあるのかもー。

画力とか制作コスト問題とか。

anond:20240212204721

この言葉は、平賀源内(へいがげんない)という江戸時代文化人が考案したとされる、遊び心のある言葉遊びです。平賀源内は、江戸時代活躍した思想家文人発明家として知られています

「ヒョッヒョッヒョ!エレキテルじゃ!」という部分は、源内が「ヒョッヒョッヒョ」という笑い声をあげつつ、「エレキテルじゃ」と言っているような言葉遊びです。これは、当時の新しい技術である電気表現したものとされています

一方、「平賀源き内「電気じゃ」」は、同じく平賀源内言葉遊びをもじったもので、日本語の「電気」を「源き内」と読み替えています。これは、源内の名前を遊び心で使ったものであり、平賀源内自身が「電気」という新しい技術に興味を持っていたことを示唆しています

平賀源内のような人物が、その時代最先端技術文化に興味を持ち、その中で遊び心を発揮したことは、彼の独特な個性知識の広さを示すものとして注目されています

anond:20240211232908

> 小澤征爾演奏を聴いてもそこには指揮技術の巧みさは感じるが、音楽表現個性が感じられない

まったく同感です。

きっちりしている、とは感じますしか小澤さんの音楽には引き込まれものがありません。

メカニカルというか、ハートがないというか、そんな感じでしょうか。聞いていて苦痛になってきます。また聴きたいと思えません。

同じ日本人ですし、応援したいという気持ちもありますから小澤さんの指揮はいろいろ聞きましたが、他の指揮者作品よりいいと思ったことが

ほとんどありません。比較的いいなと思ったのはレスピーギローマ三部作くらいですが、それは他の指揮者があまり取り上げない演目から

というだけのことかもしれません。

正直なところ、演奏が立派な人ではなくて、経歴が立派な人、という印象です。

まあ実際、小澤さんの紹介文はどれを見ても経歴しか褒めてませんからね...あの作曲家作品解釈をこう変えたとか、

この演奏が物議を醸したとか、音楽解釈について褒めている人はいないように思います

聴いても良さがよく分からないということの裏返しではないでしょうか。

anond:20240212004151

胸揺れを喜んでいるアニメ視聴者一定存在しますが、全ての視聴者が喜んでいるわけではありません。胸揺れが登場するアニメ漫画は、一部の視聴者にとってはエンターテインメントとして楽しめる要素の一つであり、そのようなシーンが登場することで楽しんだり、興奮したりする人もいます

一方で、胸揺れを好まない、または不快に感じる視聴者もいます特に、過剰な胸揺れや性的描写が登場する場合には、一部の視聴者から批判の声が上がることもあります

アニメ制作側が趣味で胸揺れを入れている可能性もありますが、その背景には様々な要因が考えられます。例えば、視聴者へのエンターテインメントとしての提供や、キャラクター個性や魅力の表現、または商業的な成功を狙った演出などが挙げられます

総じて言えることは、胸揺れが登場するかどうかは作品制作側の方針依存しますが、その描写視聴者にどのように受け止められるかは個々の感性や嗜好によって異なるということです。

2024-02-11

小澤征爾のどこが凄いのかよく分からない

日本代表する世界指揮者小澤征爾さんが死去された。ご冥福をお祈りしたい。

だがよく分からないのは、なぜ小澤征爾世界的に評価されたのか?である

長年にわたってアメリカの名門オーケストラであるボストン交響楽団シェフを務め、後に世界大歌劇場の一つであるヴィーン国立歌劇場音楽監督に任命されたのだから欧米で高く評価されていたのは事実だ。

だが小澤征爾演奏を聴いてもそこには指揮技術の巧みさは感じるが、音楽表現個性が感じられないのである音色的に白色に近い透明で、蒸留水のような無味無臭な感じがする。

例えば、クラシック音楽オーケストラのメイン・レパートリーはまず第一モーツァルトベートーヴェンブラームスブルックナーといったドイツオーストリア交響曲であり、そこにやや邪道マーラーオーストリア)とRシュトラウスドイツ)が加わり、その周辺にチャイコフスキームソルグスキープロコフィエフショスタコーヴィチなどロシアソ連音楽スメタナ・ドヴォジャークといったチェコ東欧音楽グリーグシベリウスなど北欧音楽ドビュッシーラヴェルなどフランス近代音楽構成されている。

で、その最もメインのモーツァルトベートーヴェンブラームスブルックナー交響曲聴くとき、その素晴らしさを味わうならばワルターフルトヴェングラーベームカラヤン、アッバードラトルといった指揮者聴くのが普通だ。日本指揮者聴くなら、朝比奈隆小林研一郎聴くというのも分かる。

ベートーヴェンブラームス交響曲のような最も王道の曲目で、あえて小澤征爾の指揮した音源聴くという人は、どこがどう良いのかを自分言葉説明して欲しい。

ボストン交響楽団ヴィーン国立歌劇場シェフに任命されたんだから欧米では高く評価されているんだよ。だから素晴らしいのは間違いない」みたいなのは一切禁止な。それは自分の耳で素晴らしさを認識したんじゃなくて権威の意をかる狐だから

anond:20240211230213

ゲームクリエイター作品だとアピールした先駆者から

ある程度規模が大きくなってきたゲームは一人で作るのが難しいからどうしても集団制作になる

集団になると関わり合う一人一人の個性は薄れて一人のクリエイター作品という印象は薄くなる

これは映画アニメでもそうだった

今時は宮崎作品庵野作品という意識大衆作品を見ているが、

平成の初期ごろまではアニメ監督の名前なんて誰も知らなかったし意識していなかった

ゲームでも事情は同じだが、

業界には自己顕示欲が強くてクリエイターとして自分名前を認めさせたいという奴らもいた

小島とか上田とかその類な

飯野賢治はそういう俺が俺がの自己アピール激しい連中の先駆者だったので、そういう奴らからリスペクトされる。それだけの話

石積み

幼少期

はじめて、教えられたのは

石積みだった

プルプル・・プル・・・

コトッ

ママ

「わーーーーーーーーー!!」

「パパ見てーーー! のんたんが、石積みしたよ!」

パパ

「おー、のんたん。さすが、でかしたぞ!」

ママ

「きっと、この子は立派な石積みする子になれるね!」

パパ

「そうだな、のんたんの将来が楽しみだ」

石積み、

それになんの意味あるかなんて、ぼくは分からなかった

だけど、ママもパパも、石積みをしている

隣のおじさんも、近所のお姉さんも、友達けいすけくんも

みんな毎日毎日、石積みをしている

ぼくは、ただなんとなく、石積みをしなければならないのだなって思った。


学校

学校で教えられることも、みんな石積みについてのこと

石積みについて、いろんな見方で石積みのことを教えている

先生は言っていた、みんな将来は立派な石積みをする大人になるんだぞ!って

クラスのみんなも、みんな毎日毎日石積みに励んでた

高く石を積めた優等生のおざきさんを、先生は褒めた

「おざきは、立派だ!みんなもおざきを見習って、高く積めるようになるんだぞ!」

みんな石積みをして、立派な大人になりたかった

立派がなんなのか、よく分からないけれど

石積みをちゃんとしていれば

いつかは立派な大人になれるんだと思ってた

だけど、

石積みは石積み

誰もしたい訳じゃない

したいっていうやつもいるけれど

それは、石積みをした後のことを楽しみにしていて

石積みだけがしたい訳じゃない

石をひとつひとつ積み重ねていく

それは、とてもめんどくさくて、退屈な作業

みんな石積みは嫌いだけど、けどしない人はいない

ぶーぶー文句いいながら、みんなちゃん毎日石積みをしていくのだ

中には、周りを油断させる為に

「俺、石積みなんて全然してないよー」とか言いながら

徹夜で、石積みをしているやつもいるか不思議なもんだ

コトッ

そして、ぼくも今日も石積みをする・・


社会

社会に出ても、ぼくは、毎日相変わらず

石積みをしている

ぼくは割りと、容量よく石積みが出来る方なので

子供ときから、積み上げてきた石の高さに見合う

会社仕事をしている

石積みを続けてきて、分かったこ

それは石の積み方には個性があるということだ

学生時代の連中も、それぞれ石を積み上げてきた

石をたくさん積むのだけど、慎重すぎて積み上がった石が高くないやつ

石を積むのはうまいんだけど、安定感がなくてどこか危なっかしいやつ

石積みというものをいまだに、分かっていないやつ

石積みをしなきゃしなきゃと言いながら、全然やってないやつ

一見大きな石の山のようになっているけれど、親の積み上げたものに石を乗せている、すねかじりのボンボン

そう比較すると、わたしの石積みはとてもバランスがよくて、石積みをよく理解していると思われるような綺麗な山だった

崩れないほどに安定していて、無駄に安定させず工程数も増やさない、理にかなった重ね方

石積みの真髄は、いか効率よく無駄な手間をかけずに高く積み上げること

そんな石積みを見て、まわりは評価する

君の石積みは立派だ

ぼくも君のような、石積みがしたいと

けれど、わたしには

いままでずっと感じていた疑問があった

なぜ、石 積 み を し な け れ ば な ら な い の か ?

子供とき、一度先生質問したことがある

「なんで、石積みをしないといけないの?」

「それはな、大人になってから分かる。そして大人になってから、石積みをしていて、よかったなーって気付くものだよ」

他の大人も似たようなことを言って、

同級生友達も「石積みはしなければならないもの!」の一点張り

それからわたしのこの疑問は胸の奥にしまわれたままだった

いつか、わたしが立派な石積みが出来たら、分かる日が来るのだろうと・・

けれど、そんな日は来なかった

理想の石積みに近づくほど、疑問は鮮明になっていき

日に日に、なぜ石積みをしなければならないのか

理解しなければならない気持ちが大きくなってきた

みんな石積みはしなければならないと、子供ときから教えられ

ただひたすら、石積みのことばかり教育されて、

石積みをさせるようにマインドコントロールさせているようにしか見えない

もう、意味もなく目的もなく

石積みをするなんて訳の分からないことするのは、疲れた

そんなある日、ひとつ広告を見つけた

「石積みに疲れたあなた。いらしてください」

路頭に迷っていたわたしは、行き先もないのでふらふらとその病院へ行った

すると、医師わたしに、鬱病だと言った

そうか、わたし鬱病なのか

鬱・・そうなのか? わたしおかしいのか?

石積みを真剣にしている方が、おかしくないか

まーまー、あなたは、いままでがんばりすぎるほど、たくさん石積みをしてきました。

もう、のんびり石積みをしていけばいいんじゃないんですか?

けど、わたしは石積みをする理由が分からいから、石積みをしたくないんです。

あんまり、石積みのことを考えてしまうと、それが負担なっちゃますから、あまり深く考えずに、のんびり〜のんびり〜いきましょう。

はぁ・・

あと、気持ちが安定するお薬も出しておきますね。

悩んだときは、これを飲むと、落ち着きますよ。

わかりました。



1ヶ月後

それからわたしは、石積みに対する疑問は、ならべく持たないようにした。

それでも、考えてしまう時は、安定剤を飲んで紛らわせた。

これからも、わたしはきっと、石積みを続けていくんだろうと、ぼんやり思った。

蟻たちは地面の腐敗物を清掃するように

きっと、石積みをすることが、わたしたちの役目なのだろうか

今日わたしは、石積みをする為に会社にいく。

あぁ、なにかおかしい気がする

気を紛らわせてまで、したくもない石積みをしなければならないのは

なぜだろうか

2024-02-09

anond:20240209170230

もうAIゴリゴリ使えば量産できるはず



期待しすぎ。ゴミを量産してもしょうがない。

オブラートに包むのやめて、正直に言うと…このAI NPCゴミだ。AIキャラの会話は無味乾燥感情個性もない。『サイバーパンク2077』のナイトティは、街自体ネオンが溢れたディストピアだが、制作したCDProjekt Redはその街を適当NPCで埋めたわけではない。

リパードクのヴィクターベクターは、僕(のキャラ)に、自分の死が近いことを告げ、外科医の真面目さと痛みを抱えた友人として、その悲痛な事実を共有してくれた。僕はヴィクターというキャラのことを忘れないと思う。一方で、ラーメン屋ジンのことはきっとすぐ忘れる。つまりそういうことだ。

ゲームのノンプレイヤーキャラはどこまでリアルに近づけるか

https://www.gizmodo.jp/2024/01/nvidia-ai-npc.html

anond:20240209102431

そのへんすげー厄介なんだよな。

障害個性」とかで今いる人らの立場をアゲてきた経緯があるから

まれる前に直しましょうとか言い出すと、「個性じゃなくてやっぱり病気じゃないか」となるやつがいる。

 

増田の言うような当事者ばかりなら話は早いが、当然そうじゃないし。

2024-02-07

anond:20240207131306

あ、「中の人はいない」ってそういう話?

そりゃ本物のAIではないんだから「『本物のAI』というキャラクターを演じてる人」はいるでしょ。

でもキズナアイ場合、「『本物のAI』といううキャラクター性格経験」≠「『本物AI』というキャラクターを演じてる人の性格経験」だったわけで、そのあたりが今のVtuberの「中の人」と明確に異なるところだろうな。

まあキズナアイだって、「アニメ漫画のようにキャラクターとして作られた設定で100%動いていた」というわけではなく、1、2割は「中の人」の経験個性アドリブ的に反映されてたけれども、

とはいえ今の、活動言動殆ど中の人経験個性に裏打ちされたものになってて、設定は1割残ってるかすら怪しい主流なVと同列に語るのはさすがにね。

キズナアイ中の人がいなくても成立させられる余地があったけど今のVtuber中の人ありきの存在なので絶対無理

そういう違いがあるよね。

2024-02-06

anond:20240206144132

横だが俺はあれ別の意味で嫌だわ

だっておかしいやん

なんで能力に沿った名前がついてるわけ?

轟みたいに親が子供個性を狙いすまして配合してる場合はいいけどそれ以外で個性名前が一致してる奴おかしくね?

ひでー場合苗字と一致してるわけよ

2024-02-04

映画】哀れなるものたち

・脳破壊(され)おじさん

 これはアカデミー助演男優賞ノミネート納得すぎる

・そういや2人のおじさんが各々のやり方で脳破壊されとる…

・もうopから「そこらの映画とは違う」感だしてくる

こんなクレジットの出し方初めてみたオシャレや

・97%のさすがこの監督や…!という気持ち

3%のヤギかわいそう…でもこの行動は監督思想が反映されての行動だからそこに関しては監督と考え方がちょっと違った部分であって駄作という訳では決して無い…ロブスターとか女王陛下監督畜生観はなんとなくわかってたやろ…!ヤギだって群れで行動してたら「俺なんか他の個体と色々ちがくね?」で病むとかわいそうだけど恐らく邸宅内で比較対象なく終生飼育からまあええか…というきもち

・紛うことなオサレで眼福映画だがテーマは何だろうアートメインの映画かな?と思ったら格差貧困女性自身の性の主体性選択権を持ち自立して生きるという予想以上に社会派テーマだったし説教臭くなく手段目的になってないヨルラン監督、流石だぜえ!の映画だった

・おじさんが脳破壊される途中は「男女の恋愛機微、よくわかんない…」ってみてたけど格差社会〜のくだりけら「おおっ」となってパリから「なるほどそんな感じのテーマ映画か目茶苦茶今な感じのテーマやんな」ってなった

格差社会×労働×階級上下がまんま物理的にも上下とかそのへん逆転のトライアングル連想した

理解ある彼くんに逆プロポーズのくだりで「よかったね…!」という気持ちと同時に湧いた「性に奔放なのは選択の自由として行動に伴うリスク(性病)は?」に即質問で回収しててよかった

理解ある彼くんと努力が素直に反映される優秀な頭脳があれば…叶えうる理想やね…これは啓発というか励まされるための映画から…これは物語から理想を形にすることから社会が変わる一歩になるんや…

・米映画、やたらフェミフェミしてんなとは思うけど中絶禁止法?やらが現実に出てきて論議に上がってる世界と対岸の事として見てるジャパンの己とは「マジさ」が違うんだろうな〜とは思った

・パッパ…よかったね…泣いた

追記

・賞レースガンガンなのは納得の良作品なんだけど若干心が凪なとこあるな…なんでだろと思ってたら

他の人の感想で「この監督の毒や個性を薄めたむしろ普通寄りの映画なのではないか」ってあってそれ〜ってなった

被害加害の白黒分かれた他罰的すぎるポリコレ映画つかれた 

2024-02-03

anond:20240203135546

要するに、競争の激しい漫画小説でヒットを叩き出した人材と、作家崩れのドラマ脚本家じゃコンテンツを生み出す力がぜんぜん違うって話。

脚本家なんてオリジナルをやろうとしたり、原作を改変して自分個性だそうとするとか余計なことをしなくて、原作の良さを活かすことだけ考えてろってこと。

2024-02-02

anond:20240202050322

ただの個性社会の役に立てなかったら

病気扱いして薬漬けにする社会怖い

2024-02-01

anond:20240201182409

お気持ちじゃなくて残っている文章ベースで話したら?

 

「枠にハマったキャラクターに変えないでいただきたい。

私が描いた「セクシー田中さん」という作品個性を消されてしまうなら、

私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、

どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、

粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本

完成にこぎつけましたが…。

 

(中略・気になるなら魚拓見て)

 

そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は

8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、

私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。

特に9話、10話の改変された脚本ベリーダンス表現も間違いが多く、

ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、

「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフ

そのまま脚本に落としていただきたい」

「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、

別途相談していただきたい」

といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、

その後も、大幅な改編がされたプロット脚本が提出され、

それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業

数回繰り返されたと聞いています

最終的に、日本テレビチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との

指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。

 

ドラマ制作スケジュールリミットもどんどん迫っていましたので、

本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、

加筆修正をさせていただきたかったのですが、8話だけ、

何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。

9話、10話に関する小学館日本テレビさんのやりとりを伺い、

時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、

当初の条件としてお伝えしていた通り、

原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、

正式小学館を通じてお願いしました。

 

 

でもまぁ、製作過程のあれこれ脚本ドラマの良し悪しは一概には言えないので、そこについては深く言及しないとしても、

(言及している人いるしね)

高橋しん+しんプレ@shinpre

不幸なのは

作品が変えられることではなく

作品が失敗することではなく

作品

作家の痛みを自分たちの痛みとして感じられない人に委ねられる

そう感じさせてしまう事です。

https://x.com/sinpre/status/1752935130912706949

赤木アカ

漫画実写化は、漫画の連載を100年やっても読まないだろうなっていう遠い層に向けて「かぐや様」を届けてくれる漫画家としては滅茶苦茶有り難く、かゆい所に手が届く文化です

原作を好きで居てくださる方々には、かぐや様がより遠くの人へ届く様に、後押しする感じで応援して欲しいと願っております

https://x.com/akasaka_aka/status/1130672667147685888

 

 

誰がどう見てもアカンやろかつ事実確認出来るインスタでの奇行について言及ではなく、

詳細は確認できない書類周りにお気持ちベースでなんか言ってるのマジでなに目的なんだ?ってなる

 

とりあえずひとりは、『法律解説ごっこ(anond:20240201182631)』と、『原作者は神ではないがやりたい二次創作フォロワー(anond:20240201181732)』ってのは

わかったのでスッキリはした

縦長

駆け出しの芸人俳優とかがしょーもない陳腐な縦長動画を(人をあざ笑うとか)作って本来職業を見失っているのが悲しいし、そういうのされるとかなり生きづらくなるし人の個性もなくなる

anond:20240201150011

増田世界線ではお気持ち人員を稼働させたりするんでしょうけど

現実世界では契約にのっとって人員発注稼働させます

 

下記を元にした契約になっていたから、

 漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

 まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

 原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

 原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

 場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

そのようにした、ただそれだけです

 

そして、下記は著作者の法的権利お話であってお気持ちではないです

私が描いた「セクシー田中さん」という作品個性を消されてしまうなら、

私はドラマ化を今からでもやめたい

 

 

まぁ実際の契約内容や製作状況は公開されていないから誰にも分かりませんけど、

殆どの人はそこの話は問題にはそもそもしていないんですよね

 

増田は、やっぱ下記全部なんですかね?

anond:20240201141016

原作者側が同一性保持権を持ち出す余地がないようにね

フツーに脚本に1ー8話に脚本に介入して、9話と10話は作者自らが1から作り直してますけど?

 

 

そこに検索バーがあるじゃろ?魚拓を見たら?

僭越ではありましたが、ドラマ化にあたって、

 

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。

 漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

 まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

 原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

 原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

 場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

 

これらを条件とさせていただき小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。

また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマ制作スタッフの皆様に対して

大変失礼な条件だということは理解していましたので、

「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに

何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

 

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました。

漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう。

個性の強い各キャラクター特に朱里小西・進吾は原作から大きくかけ離れた

 別人のようなキャラクターに変更される。

・「性被害未遂アフターピル男性の生きづらさ・小西と進吾の長い対話」等、

 私が漫画セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、

 大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、

 納得のいくお返事はいただけない。

 といったところが大きなところですが、他にも細かなところは沢山ありました。

 

「枠にハマったキャラクターに変えないでいただきたい。

私が描いた「セクシー田中さん」という作品個性を消されてしまうなら、

私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、

どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、

粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本

完成にこぎつけましたが…。

 

(中略・気になるなら魚拓見て)

 

そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は

8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、

私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。

特に9話、10話の改変された脚本ベリーダンス表現も間違いが多く、

ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、

「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフ

そのまま脚本に落としていただきたい」

「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、

別途相談していただきたい」

といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、

その後も、大幅な改編がされたプロット脚本が提出され、

それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業

数回繰り返されたと聞いています

最終的に、日本テレビチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との

指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。

 

ドラマ制作スケジュールリミットもどんどん迫っていましたので、

本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、

加筆修正をさせていただきたかったのですが、8話だけ、

何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。

9話、10話に関する小学館日本テレビさんのやりとりを伺い、

時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、

当初の条件としてお伝えしていた通り、

原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、

正式小学館を通じてお願いしました。

 

結果として、日本テレビさんから8話までの脚本執筆された方は

9話、10話の脚本には関わらないと伺ったうえで、

9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき

脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、

という解決策となりました。

2024-01-31

日テレ約束を守らなかったのか?

セクシー田中さんの件、SNS議論著名人の発信、スターを稼いでるブコメなどを読んでると、日テレ脚本家批判する人たちも擁護する人たちもどうも事実を正しく認識できていないように思えて仕方ない。

そこで今一度芦原さんのブログに立ち返って冷静に事実確認をしたい。

まず今現在批判してる人や擁護してる人が漠然と抱いている事の顛末は以下のようなかんじじゃなかろうか。

1.日テレからドラマ化のオファーがあり、原作者は「原作を忠実に再現すること」を条件に許可をした。

2.しかし実際に脚本が上がってくると大幅に改変されたものがあがってきた。

3.脚本化が自我を出したせいなのか、芸能事務所等の大人の都合によるものなのか真相はわからない。

4.原作者の抗議の声も聞き入れられず、脚本はそのまま使われて原作とは大きく異なるものが8話まで作られてしまう。

5.さすがに腹に据えかねた原作者脚本家を降ろし、9話、10話は自ら執筆することを決意。

6.だが8話までの改変を修正しきれず慣れない仕事なことも手伝って満足のいくものに仕上げられなかった。

7.原作者最初に出した条件が守られなかったせいでこのような結果になってしまったと後悔している。

では事実はどうだったのか、芦原さんのブログを元に順を追って確認したい。

1.日テレからドラマ化のオファーがあり、原作者は「原作を忠実に再現すること」を条件に許可をした。

→これは事実だ。

ドラマ化のお話いただき、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただきながら、

最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした。

セクシー田中さん」は連載途中で未完の作品であり、また、漫画の結末を定めていない

作品であることと、当初の数話のプロット脚本をチェックさせていただいた結果として、

僭越ではありましたが、ドラマ化にあたって、

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。

漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

これらを条件とさせていただき小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。

また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマ制作スタッフの皆様に対して

大変失礼な条件だということは理解していましたので、

「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに

何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

2.しかし実際に脚本が上がってくると大幅に改変されたものがあがってきた。

→これも事実だ。

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました。

3.脚本化が自我を出したせいなのか、芸能事務所等の大人の都合によるものなのか真相はわからない。

→これはわからない。芦原さんのブログには書いていない

4.原作者の抗議の声も聞き入れられず、脚本はそのまま使われて原作とは大きく異なるものが8話まで作られてしまう。

→これは事実と異なる。芦原さんは上がってきた脚本をできる限りすべて加筆修正し、原作に沿った脚本に仕上げてそれを元に実際のドラマは作られている。

「枠にハマったキャラクターに変えないでいただきたい。

私が描いた「セクシー田中さん」という作品個性を消されてしまうなら、

私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、

どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、

粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本

完成にこぎつけましたが…。

5.さすがに腹に据えかねた原作者脚本家を降ろし、9話、10話は自ら執筆することを決意。

→ここも一部事実と異なる。脚本化を降ろし、9話、10話の脚本原作者執筆したのは事実だが、その理由スケジュール上の都合だ。

そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は

8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、

私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。

特に9話、10話の改変された脚本ベリーダンス表現も間違いが多く、

ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、

「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフ

そのまま脚本に落としていただきたい」

「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、

別途相談していただきたい」

といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、

その後も、大幅な改編がされたプロット脚本が提出され、

それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業

数回繰り返されたと聞いています

最終的に、日本テレビチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との

指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。

ドラマ制作スケジュールリミットもどんどん迫っていましたので、

本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、

加筆修正をさせていただきたかったのですが、8話だけ、

何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。

9話、10話に関する小学館日本テレビさんのやりとりを伺い、

時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、

当初の条件としてお伝えしていた通り、

原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、

正式小学館を通じてお願いしました。

結果として、日本テレビさんから8話までの脚本執筆された方は

9話、10話の脚本には関わらないと伺ったうえで、

9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき

脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、

という解決策となりました。

6.だが8話までの改変を修正しきれず慣れない仕事なことも手伝って満足のいくものに仕上げられなかった。

→これも一部事実と異なる。9、10話を納得できるものに仕上げられなかったのは事実だが、それは8話までの出来とは関係なく単に原作者の力量不足ゆえだ。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。

素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。

漫画セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本

執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います

どのような判断ベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、

改めて、心よりお詫び申し上げます

7.原作者最初に出した条件が守られなかったせいでこのような結果になってしまったと後悔している。

→ここは判断が難しい。原作者最初に出した条件が守られていなかったと思っているが客観的にみると条件は守られている。それについては後述する。

そして全体の評価で言えば後悔ではなく感謝している。

最後となりましたが、素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、

ドラマ制作スタッフの皆様と、「セクシー田中さん」の漫画ドラマを愛してくださった

読者と視聴者の皆様に深く感謝いたします。

論点日テレ約束を守らなかったのか?

7の項で書いたように原作者認識では守られていないように感じていたようだ。だが客観的にみれば実際には守られている。

まずおさらいだが、原作者が出した条件は以下の2点だ。

ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。

漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、

まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したもの原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、

原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、

場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある。

要約すると、

1.漫画に忠実にドラマ化すること、そうでなければ加筆修正する。

2.終盤部はこちらで用意したあらすじからセリフまでをそのまま脚本にすること、できなければこちらが執筆する可能性もある。

そして問題はこの条件が守られたか否か?

ブログには以下の事実が書かれている。

原作者は7話までの脚本を加筆修正してほぼ原作通りに仕上げた。

・8話も改変前の内容に修正できた。

・9、10話は脚本家を降ろし、原作者が自ら仕上げた。

これは当初提示した条件通りではないだろうか?

原作者視点では「思っていたように仕事がすすまなかった」のは事実だろう。

しかしそれはあくまプロセスでの問題であって、結果をみれば原作者は最大限尊重されていた。

まり日テレ約束を守った。

しろ途中で降板させられた脚本家のほうが日テレから軽くみられていたといえるんじゃないか

 

というわけで、今回の件で明らかになっている事実は以上の通りだ。

どんな意見を述べるにせよまずは事実を正確に把握してから発信して欲しい。

原作者にもいろいろいるのよ

原作者個性バラバラ一枚岩でもないという話。

今回、最悪の事態になってしまった先生のように

強いテーマを持って漫画を描き、一つの文芸作品として扱い、絶対主張を曲げない原作者もいる。

その一方で、ビジネスライクマーケティングをして受けそうなテーマ漫画を描き、

主張とか何にもないかドラマ化とかでも改変自由

その代わり視聴率取ってバズらせて漫画で儲けさせてくださいと注文つける原作者もいる。

まぁ、大変よな。

2024-01-30

今回「契約」という点でのみ敏感に騒がれてます

漫画映像にしたり、文章漫画にしたりする上で「脚色」という言葉があります

そんなのは知ってる、と皆さんは言うでしょう。

でも実際には分かっていない事が多いんだと思います

だって完全には分かりません。

ですが、違う媒体で全く同じに作るというのは、殆ど難しいというのは分かります

例えば漫画にはコマがあるしページがある。映像には固定フレーム時間がある。

別物です。

しか大勢の人が関わって作っている、現場は生き物です。

契約」で全てを約束するのは到底難しいのではないでしょうか。

(こんな主張をしておきながら、ハリウッド映画の様にきちんと役職を細かく分ければあるいは、と今ふと思いました。

おそらく予算問題で難しいでしょうが、それはそれで実現可能なら見てみたい未来です)

私は今回の件で誰かかを擁護したいとは思っていません。

ただ、私は、原作者個性が好き、脚本家個性が好き、監督演出家個性が好き。

それぞれでいいんじゃないかと思います

原作のここはよかったけど、映像はここの演出はいいな。とかそういう感じ。

その上で、私が言いたいこと。

原作が無ければ形にならないのだから原作者が一番偉い、という主張はどうなんでしょうか。

私が好きなタイトルでも、実写映画化された物より原作小説が好きなものはあります

ですが、その逆も然りです。

いま、誰が一番偉いとかいう論争をするのは下らないと思いませんか?

原作者大事にしなかったからこうなったんだ、というのは陥りやすミスリーディングではないですか?

大事なのはコミュニケーションです。

文章でも漫画でもアニメでも映画でも、優れている作品には

作っている人たちの想いが乗っかっていると思っています

お互いにリスペクトして、なるべく手を繋いで作っていって欲しいし、自分も作りたい。

あらゆる作品も、この社会も。

誰が偉いとかそういう話は、社会の分断を深めるだけではないでしょうか。

乱文失礼しました。

anond:20240130222309

ここ数日色んな人にそれ使ってるけど個性認識してほしくてやってるの?

友人が、陰謀論の旗振り役になってた

ここ最近ずっとモヤモヤしてるので、陰謀論に深くはまり込んだ友人のことを書かせて欲しい。

その人のことは仮にAさんと呼ぶ(以後、"彼・彼女"と書くべきところを全てAさんで統一します)。

疎遠になった友人からの連絡編

7, 8年くらい前にひょんなことから知り合って、よく遊んでた友人がいる。ノリがよく、冗談などで周りを盛り上げる、陽気で楽しいひとだった。

しばらく一緒に出かけたりして頻繁に遊んでいたのだが、何となく「Aさんのことが苦手かも」と気づいたこともあり、いつしか疎遠になった。

別に絶交したわけでもないし、そこは現代人の付き合いあるあるで、疎遠になったAさんともSNSではなんとなく繋がったままだった。

まりSNSを熱心に使うタイプではない私は、ここ最近はAさんのことはすっかり忘れて、ごく普通な日常を過ごしていた。

そんなある日、半年ぶりにSNSを開いてみたところ、Aさんからグループの誘いが来ていることに気づいた。


陰謀論についてのグループだった。

ガチ陰謀論グループだった編

最初は、「久しぶりの連絡で陰謀論か。何年経っても冗談を言うキャラは変わってないんだな」と思った。

グループ参加者を見てみると、当時よく遊んでいた仲間たちのアイコン名前が並ぶ。そしてそのグループは、参加しないと投稿が閲覧できないプライベートな設定になっていた。

「仲が良かった界隈でまた集まるために作った、同窓会的なグループなのかな?」と思い、ひとまずグループに参加してみてみることにした。

参加してみて、驚いた。

そこにはパーティー候補日を知らせる投稿や、当時を懐かしむようなやり取りは1つもなかった。


ただただ、Aさんがさまざまな陰謀論を説く投稿。そして、陰謀論に関する記事動画へのリンクがびっしり並んでいたのだ。


ガチ陰謀論グループだということを知った瞬間、私はそのグループを抜けた。参加していた期間は、およそ2, 3分もなかったと思う。

人は、あまりに予想外の状況に直面すると、例えそれが命にかかわるようなことでなくとも、心拍数が130を超えるらしい。いらん知識が一つ増えたなと思いながら、Apple Watchからの警告の通知をオフにした。

しばらくしてみてみると、グループ参加者欄に並んでいた共通の知人は、知らない人たちのアイコンに置き換わっていった。私のように、騙されて?参加した人が多かったらしい。

投稿の数々に度肝を抜かれる編

遊んでいた当時のAさんに、陰謀論の陰は感じたことはなかった。

「さすがに何かの間違いだろう」と思い、SNSでAさんのページを開いてみると、そこに並ぶのもやはり陰謀論の数々。

地球平面説や、反ワクチンSNS投稿できないからなのか、伏せ字を使っていた)やら、フリーメイソンやらの陰謀論投稿

ピザプリントされたシャツを着ている人が痙攣してる動画シェアして、「ほらな!」みたいな反応をしてたりして。

私には、何が「ほらな!」なのか全然からなかった。が、Aさんが昔とは変わってしまたことだけは分かった。


あれほど友人が多く、明るくコミュにケーションが上手だったAさん。

しかし、伝え聞く話では、今やAさんは友人間で「やばい奴」認定され、関わる人はほとんどいなくなったらしい。

SNS投稿も、ひたすら自分の見ている狭い世界から、外側に対してのヒステリック罵詈雑言だらけになっていた。

単なる陰謀論者ではなかった編

ここまでは(普通ではないにしろ)、ある意味定型的な陰謀論にハマった人間の観察日記だと思う。

Aさんは、その遥か先をいっていた。

SNSのページをスクロールしていくと、Aさんは自身が関わっているセミナーや、著書の宣伝をしていた。

セミナー…?著書…?

悪い予感を覚えつつ詳細をクリックしてみると、当然のように陰謀論についてのセミナーであり、陰謀論についての著作だった。

思えば、昔から動力があったAさん。その特性個性をあらぬ方向に伸ばしてしまったようだった。

リプライには大絶賛が並び、SNSを見てもどうやらAさんはその界隈では名うての論客の一人みたいな扱いをされているようだった。

Aさんは、着実にステップアップし、陰謀論キャリア形成において謎の成功を収めはじめているようだった。

そんなAさんは、今日SNSに「常識を疑え!あなたたちは洗脳されている!」みたいな投稿をしている。

Aさんはどんな人だったのか

Aさんはそこそこ辛い過去経験したらしく、単なる冗談好きで気さくな人間ではなく、なんとなく陰を感じさせるところもあった。

そして振り返ってみると、Aさんには素質があった。学歴社会的立ち位置など、類型化された陰謀論者の特徴をかなり備えていて、今ならAさんが陰謀論者になるのは必然とさえ思える。

からみたAさんは、こんな人だった。

思い込みが激しく、頑固

一度思い込んだら、最後まで意見を曲げない頑固さがあった。

思い込みが激しくて頑固だったせいで、陰謀論にハマる過程忠告してくれる友人に耳を傾けることはなかったのだろう。

人をコントロールしたがる

近しい人をコントロールしたがることは、当時友人の間でも知られていた。それはAさんの家族に限らず、友人にも及ぶことがあった。

自分意見を疑うことは決してなく、非常に独善的で、客観性対義語のようなひとだった。

専門性

これは私がAさんのことを苦手だと意識し始めたきっかけでもある。Aさんと仲良くしていた当時、私は進学のために猛勉強していた。

ある日、Aさんと私の専門分野に関するトピックの話になった。

とある出来事に対しての私のコメントが、Aさんの考え方とは違ったのか、「あなたはそんなことも知らないのか、私にはわかる。あなたの言ってることは間違っている」みたいなことを、みんなの前で結構強めに主張されたことがあった。

私は議論がしたいわけでも、論破をしたいわけでもなかったし、何より驚いてしまって何も反応できず、2,3言ぶつぶつ言っただけで、折れた。

素人目にもAさんは明らかに間違っていたのだが、Aさんは最後まで譲らなかった。


近しい人が陰謀論者にならないようにするにはどうしたらいいのか

Aさんのことを考えるにつけ、こういった性格の人が、片足を突っ込み始めたらどうすればいいのだろうと悩む。

私自身Aさんには何の未練もないのだが、AさんのSNSを見るたびに、言いようのない無力感に襲われそうになる。「これがもっと近しい人間だったらどうすればいいだろう」と考えてしまう。

大切な人にはこまめにコンタクトをとり、様子がおかしいか確認するしかないのだろうか。

じゃあ実際に様子がおかしかったら…?

オチらしいオチがなくて申し訳ないが、答えの出ないこのモヤモヤした気持ち増田で書き殴るしかなかった。

anond:20240130145657

ワイもそう思ったやで。

いや、感じ取ったが正しい表現かな。

原作者が本当に表したかった個性とか心情とかそういった物が捻じ曲げられてしまったように感じたんだが。

原作者としては原作に対して一番表忠実に現してもらいたかったところがそうしては貰えなかった、

脚本家なのかプロデューサーなのか分からないけど、そういった高い圧力に捻じ伏せられてしまった、ような感じかと受け止めた。

anond:20240130142954

私が描いた「セクシー田中さん」という作品個性を消されてしまうなら、

私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、

どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、

粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本

完成にこぎつけましたが…。

と書いてるからほぼ原作通りで契約反故にされてないやで

ただ、脚本家のプロットボツになったか脚本家がキレたのと、毎回毎回加筆修正必要原作者も疲弊した

ということとは関係なく、原作者のブログ曲解して脚本家ぶっ叩きに行ったバカ原作厨のせいで原作者が追い込まれて…

正直、脚本家に迷惑かけた認識もあったんだと思うで、原作者さんは

せやから自分意思とは無関係に動くバカファンネルについて普通以上に申し訳なさを感じたのではなかろうか

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