漫画を映像にしたり、文章を漫画にしたりする上で「脚色」という言葉があります。
そんなのは知ってる、と皆さんは言うでしょう。
でも実際には分かっていない事が多いんだと思います。
私だって完全には分かりません。
ですが、違う媒体で全く同じに作るというのは、殆ど難しいというのは分かります。
例えば漫画にはコマがあるしページがある。映像には固定フレームや時間がある。
別物です。
「契約」で全てを約束するのは到底難しいのではないでしょうか。
(こんな主張をしておきながら、ハリウッド映画の様にきちんと役職を細かく分ければあるいは、と今ふと思いました。
おそらく予算の問題で難しいでしょうが、それはそれで実現可能なら見てみたい未来です)
私は今回の件で誰かかを擁護したいとは思っていません。
ただ、私は、原作者の個性が好き、脚本家の個性が好き、監督や演出家の個性が好き。
原作のここはよかったけど、映像はここの演出はいいな。とかそういう感じ。
その上で、私が言いたいこと。
原作が無ければ形にならないのだから、原作者が一番偉い、という主張はどうなんでしょうか。
私が好きなタイトルでも、実写映画化された物より原作小説が好きなものはあります。
ですが、その逆も然りです。
いま、誰が一番偉いとかいう論争をするのは下らないと思いませんか?
原作者を大事にしなかったからこうなったんだ、というのは陥りやすいミスリーディングではないですか?
作っている人たちの想いが乗っかっていると思っています。
お互いにリスペクトして、なるべく手を繋いで作っていって欲しいし、自分も作りたい。
誰が偉いとかそういう話は、社会の分断を深めるだけではないでしょうか。
乱文失礼しました。
乱文じゃねぇよ、契約以前に法を守れよ。 法治社会に生きてるんだろ。
「契約」という点でのみ敏感に騒がれている、そのようなご意見があることは承知しました 誠実に検討を重ね、真摯に実行していくつもりであります
また擁護か もういいよ