はてなキーワード: 体重とは
減量(減ってない)を始めて2か月。食事制限と筋トレとプールによる肉体改造を目指しておりましたが全然体重減らない。びっくりするくらい減らない。1日のカロリーを1600kcalくらいにしてたんぱく質を潤沢に、鶏むねと野菜をもりもり食う。そして筋トレ、プロテイン、プール。上半身メッチャ仕上がってるのに体重は一向に減らない。ふくらはぎもバッキバキになってきたけど体重減らない。
減量始めようこのままでは死ぬ、と思ってジムに入会した時のトレーナーさんの言葉がよみがえる。「Tさんは日常生活してるだけで自重トレーニングみたいなもんですからね」確かに。3桁超えると日常のすべてが自重トレーニング。そう考えるとプロテインバリバリ飲んで鶏むねバリバリ食ってることで筋肉がついて体が重くなってるんだ、と思いたい。信じたい。
だってこの努力のモチベーションの素が「体重を減らす」ってことなので、体が仕上がってるのはうれしいんだけど体重が減らないと続かない!足腰の負担も減らない!!!!111
温野菜の方とは別でしょうか、同じ方なのでしょうか。どちらにせよ食欲に打ち勝って強い人。尊敬します。
私の場合は二種の抗がん剤の二番目の時にステロイドを処方され、最初の抗がん剤にはステロイドは使用していないのです。
不眠は初期からだったので、ホルモンを止める注射(リュープリン)の副作用だと思います。
顔面蒼白、顔に色のついたものは目玉だけな状況だった私の頬も真っ赤になりました。
体重が減った抗うつ薬はイフェクサーです。サインバルタは体重にも気持ちにもいまいちでした。
飲み下すときのシャラシャラした感じは好きでしたが。
痩せて嬉しいですが不眠にはあんまり良くなくて調整しております。
寛解後QOLが低下するであろう病を患ってらっしゃるとのこと、お互いうまく現実逃避と自分のご機嫌取りをして、死ぬまで生きましょうね。
私も出ました不眠。なんかこれもステロイドの副作用だったみたいです。
私の場合、食欲にはなんとか(無理矢理ねじ伏せて)勝てましたが、ステロイドによる精神神経症状には滅多打ちにされましたよ。今はパキシルからレクサプロに変わって落ち着いてますが……。
体重が増える系の抗うつ薬といえば、鎮静系のリフレックスやドグマチール。体重が減る系といえばサインバルタあたりでしょうか?
「気分が沈むのは脳内神経伝達物質のせい!」を合言葉に何とか生きてます。
あの食欲に打ち勝てたのですね、強い人。
食べたいのに吐き気がして食べられない、頭の中は肉、カレー、がっつり!なのに、においで気分が悪くなる、そんな抗がん剤明けのステロイドの誘惑を、温野菜で済ませられただなんて。尊敬します。すごい意志です。
太ったのは間違いなく自己管理の至らなさです。ステロイドだけのせい、と読ませてしまったのは失礼しました。ステロイドも一因で、逃避行動に食を選んだわけです。不眠もすごくて、食べると幸せだし眠くもなるから。うつはステロイドの前からきていたと思うので、関係が全くない訳ではないとは思うけれど、期間も短いし、ホルモンぐちゃぐちゃなことが1番強いかなという印象です。ステロイドのくだりまで結構長かったのに、読んでくれてありがとう。
蛇足だけれど止まることを知らなかった食欲は、新しく処方された抗うつ薬でぴったりやんで体重が少し減ってきているのが地獄の中のかすかな光です。
二十代後半で乳がんが見つかった。
乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。
二十代半ばをすぎたころから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、
よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。
巨乳にあこがれて、理想はEカップだったけれど、長い間Cカップだった。
がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。
Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、
しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。
自然と乳がんの話になり、乳がんは肉まんの中に梅干しのタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言った。
肉まんの中に梅干しのタネ入ってるのなんか触ったことないですよね~、と、呑気なフリをしていつもの通りおちゃらけて私は返事した。
実は私の胸にもしこりがあるんですよ~、触ってみます?と、いつも通りの雰囲気で、しかし内心焦って続けた。
胸のしこりは、想像の中にある肉まんの中の梅干しのタネに触り心地がそっくりだった。
彼女たちは触らず、微笑みながら言った。
帰国して約一か月、土曜日にトイレでぼんやりしながら、そういえば、と思い出した。
何となく人気らしい病院を選んだ。院長が講演活動なんかもやっているらしい。
電話がつながったものの、案の定、初めての患者は一か月くらい診てもらえないと応答した女性は言う。
「しこりがあるようなら、うちじゃなくても良いんで、一刻も早く診てもらってください」
あまりにも真剣な声だった。電話で問い合わせただけの相手に言うにはあまりにも真剣だった。
予約がとれなければ面倒だからやめとこう、そう考えていた私に次の病院へ電話をかけさせるには十分すぎる熱量だった。
仕方なく次の病院に連絡をしたら、その日のうちに検査ができた。
マンモグラフィーは痛いものだと健診で受けたことある友人から聞いていた。
それにしても痛すぎるのではないか。
それまでの人生、私は自分が痛みに強いのだと思って生きてきた。根拠があるわけではないのだけれど。
しこりのある胸を挟まれた時、あまりの痛みに体が震えて、冷や汗が出た。
検査技師のお姉さんに肩を抱かれて、一旦休憩しようかとベッドに座らされたときにパニックになりそうだった。
こんなに痛い検査が侵襲性のない検査とされているのがおかしい、どうかしている、
痛みを我慢できなくて恥ずかしい、情けない、あまり働かない脳みそを使ってぼんやり考えた。
しこりの少ない胸を検査された時も痛かった。だけども反対側より随分と楽に思えた。
自分の名前を呼ばれて診察室に入った時に、お医者さんからかけられた第一声は「大丈夫?」だった。
大丈夫ではなかった。血の気が引くとはこういうことをいうのかとしみじみと考えた。
そういう知識は持っていた。普通の会社員として働いてはいるけれど、学校で習った。
エコーでお医者さんが見せてくれたしこりは、もこもこしたクリームパンのような形をしていた。
お医者さんは、難しい顔をしている。モデルのように美しい女医さんだ。
良性の腫瘍の表面はつるりとして、悪性の腫瘍はデコボコしている。
そういうことも学校で習った。
これがもしも何ともなければ、がん保険に入ろう。
だから大丈夫だ、言い聞かせるように胸の中で何度もつぶやいた。
医師の友人に連絡をとった。
友人はマンモグラフィー読影の講習を受けたばかりだから何でも聞いてくれといつになく自信にあふれていて、
エコーがこうで、というと、段々と友人の返信に元気がなくなってきた。
当時、転勤になったばかりで、それまでとは全く別の職種にコンバートされていた。
それまでは暇で仕方なかったのだけれど、打って変わって忙しく
新しい職場は単身赴任のおっさんばかりで、慣れない環境に日々翻弄されるばかりだった。
登録していない番号に胸騒ぎがする。折り返すと病院に繋がり、すぐにお医者さんへと代わった。
電話で細胞診の結果を言うことはできない。でも詳細に検査がしたいので予約時間を変更してほしい。
結果を言うことができないも何も、それは告知のようなものではないのか。
人生を揺るがすほどの言葉を、私は残業中に、会社の非常階段で受け取った。
診察室で細胞診の結果を見た。
あまり詳しくはないけれど、学校で見たことのあるような悪い顔をした細胞が並んでいた。
バコラ生検といって、皮膚を切って漫画のような太い針をした注射器のようなもので組織を吸い上げる。
局所麻酔を打つ。痛みがありますよ、なんてお医者さんは言ったけれど、マンモグラフィーの方がよっぽど痛い。
検査をしてくれた個人病院ではなく、大学病院へそのまま紹介状が書かれた。
色々な説明を受けた。
詳細な検査なしにはわからないけれども推定されるステージ、予後、タイプによる治療方法の違いや色々。
がんのサイズは3cmあったので、ステージⅡ以上は確定だと、悲しい顔で告げられた。
「先生、すぐ治りますか」お医者さんにバカみたいな質問をした。
「うん、すぐに元気になるからね」お医者さんは、今思えばとんでもない嘘つきだった。
大学病院での検査の結果、私はホルモンレセプター陽性、HER2タンパク陽性だった。
簡単にいうと、乳がんの治療薬に対して感受性が良いから治療しやすいタイプだ。予後も非常に良い。
その時は、結果に対して良いことだと感じた。
しかしそれが不幸なこととだと後々思い知る。
術前に二種類の抗がん剤をし、術後に放射線治療とホルモン療法をする。
卵巣の保護とがんの発育を防止するために女性ホルモンを止める注射を打ち
手術は、温存できそうであれば乳房は温存、シリコンは30年で入れ替える必要があるからおすすめはされなかったので
術中にすべてが終わる、同時再建となる。
私の乳がんは治療効果が出やすい。出やすいということは、可能な限りの治療法をすべてやってしまうということだ。
予後が良いことと、元気に余生を送ることは違う。
若いから体力がある、回復が早い、とあまり知識のない周りは言う。
元々同い年の友人と比較しても筋肉痛になりやすく新陳代謝の良かった私に副作用はてきめんに出た。
2,3回の抗がん剤でがんは柔らかくなり、一種類目の抗がん剤を終えるころには触れることさえできなくなった。
それでも、標準治療という、乳がんに決められた治療は命に関わる副作用でもない限り続けられる。
味覚障害にならなかったことで体重はどんどん増えていってしまった。
病気のストレスでどんどん食べる。抗がん剤の副作用の吐き気がおさまれば、
副作用止めのステロイドのせいで食欲がとどまることを知らない。
乳がんです、と職場に言えば早期と言った覚えもないのに早期のがんの扱いをされる。
実際に早期の分類ではあるものの、どうせ早期なんだろ、と軽くみられるのは納得いかない。
咳が止まらない風邪のおっさんが、俺もガンかな、と独り言を言う。
病人扱いはしない、と言われたけれど、仕事は当たり前に1人分用意されていて
懇願しないと手伝ってもらえない。
確定診断の前、がんかもしれないと連絡したらいつもお前は私たちを驚かせてばかりだとなじられた。
そのあとに、あんたが落ち込んでると思って、と電話をかけてきた母に優しさは感じたけれど
最終的にはがんは自業自得だと罵られて終わった。
突然健康と容姿を奪われてしまって、なおかつ職場と家族の理解が伴わない、そうなると当然頭がおかしくなる。
手術はうまくいった。乳首も残せた。傷跡も自分ではそれほどは気にならない。
少しずつ萎縮しているようで、元々がん抜きにしても健側の乳房より大分おおきめだった乳房がかなり小さ目になっている。
それでも医療機関で新しいスタッフに出会うたびにきれいだと褒められる。
術後4年とそろそろ半年がくるが今はがんのためには何もしていない。
時期的にはそろそろ寛解といっていい。
手術痕はきれいなものの、剥がれた背中の筋肉や、弄り回されて傷ついた神経は軽い疲れや天候不順で大いに痛む。
この手術がうまくいっていないようで周辺のスジがひどく痛むし、こうしてキーボードを打っていても
薬指や小指のあたりに力が入らない。
抗がん剤で傷ついた手の表面の神経はいまだに感覚が怪しく、ざらざらした布を撫でると奇妙な不快感を覚える。
足も不意に菜箸でつつかれるような痛みを覚えるときがある。
私は元々婦人科系のホルモン疾患があって、ピルを飲まなければ日常生活を送ることすら困難だった。
しかし、ホルモンがエサになるタイプのがんだから使用することができない。
ホルモンの乱れ、心身に蓄積したダメージ、見た目が元気そのものだからこそ理解されないタイプの不調を抱えている。
こんな体調だし、あまり弱みを他人に見せることが好きではないから彼氏はいない。
太ってしまったものの、髪の毛は生えてきているし、我ながら顔は普通レベルには整っている方だと思う。
だけれど、結婚して、子供を産んで、ということは私には夢物語だ。
人生で一番色恋にうつつを抜かさなければならない5年間私はひたすらに体調が悪くて自分の世話さえままならない。
がんが連れてきた不調によっては死に至ってしまうかもしれない。
幾度も孤独な夜を越え、みじめさと苦しさと痛みに、毛のない頭を抱えてもだえ苦しんだ。
粘膜が弱って、鼻が蛇口になったのかと思うほどの量の鼻血が出たこともあった。
ホルモン療法を始めてすぐはひどい鬱状態に陥り、首を吊りたい欲求を抑えることに必死になった。
それと比べれば瞬間最大風速は今の方がぬるい。
でも、終わりもないし先が見えない。
次にがんができたら、そう、一度でもがんを体験したことのある人間なら頻度はともかく頭に浮かぶだろう考え。
できれば死にたい。
何もなくて、安心を得る人もいる、見つけて、切って、はいおしまい。で済む人もいる。
でもそうでもない人もたくさんいることだろう。
そもそも私は乳がん検診適用の35才より若くに自分で病院にかかったから
がんサバイバーがエネルギッシュな姿をさらすことは勇気を与えるかもしれない
でもサバイバーがエネルギッシュにならなければいけないという無言のプレッシャーがある。
現に、私の母は新聞で見た乳がん患者はこんなに元気なのに、あんたはいつまで病人気取りなんだと叱責してきた。
元気がない人にも声を上げさせてほしい。
下手にがんが見つかるとこういう辛い思いをして、死ねずに生きる羽目になる。
だからそれでも生にしがみつきたい人だけが検診をする覚悟を持てと。
やさぐれて、どうしようもなくて、地の底を這いずり回って泥水すするような気持ちで毎日を送る羽目になるぞ。
末期で見つかっていれば、大事な人にありがとうと、嫌いな人へ呪詛を伝えて心軽く天国だか地獄へ行けていただろうに。
病気になる前よりずっとずっと性格が悪くなってしまって悲しい。
長い長い、そろそろ自分を乳がん患者と呼ぶのにためらってしまう三十路女の独り言。
たくさんの方に愚痴に付き合っていただけたことに、少し気分がすっきりしました。長くてすみません。
Amazonの欲しいものリスト!?公開したら物をいただけるの!?さもしい私は飛びつきそうになりましたが、三十路レディなので澄ました顔で見ない振りができます。
お肉食べたい!不眠改善のために良い寝具欲しい!楽して痩せるダイエット器具!
…物欲は止まることを知りませんが、あなたの周りの少し元気がない人に美味しいご飯やおやつをごちそうしてあげて下さい。
回り回っていつか私がご相伴に預かることになるかもしれません。
◆母のこと◆
クソ!母親が!!うちひしがれている娘に!!!そんなことを言うだなんて!!!と、当時発狂しそうに悲しんだんですけど、母も恐かったんでしょう。
恐がりなんです、恐がってる自分を受け入れられなくて、私に当たることしか出来なかったんだと思います。
今も、私が一刻も早く普通に戻れることを期待しています。私の体調が悪いこと、気持ちの落ち込みがあること、すべてを気の持ちようで片付けようとしています。
私は、母の中では病人であってはならないのです。あって欲しくないのです。
だからと言って、娘に言って良いことと悪いことの区別がついていない理由にはなりませんが。
母は、母なりに私に愛情を持っていることだけは誤解されたくなくて追記しました。
内弁慶で臆病なおばさんなんです。
ちなみに、近親者で乳がんは父方の祖母(60代発症)だけで、姉も、おばや従姉妹、その他男性、他に誰も乳がん患者はおりません。
◆職場について◆
国家資格は取得しているものの、勤めている会社ではその資格を使ったお仕事はしていません。
ですので、デリカシーのないおっさんらもあんまり医療知識がないです。
とは言え、どう考えても非情な対応をされたことは間違いありません。
もっと貶してください。
叩いて下さい。
あの頃耐えて笑っていた私が報われます。
今は優しい人達の多い職場に転勤しています。仕事にも人にも恵まれています。
泥水をすすりすぎて、濾過した雨水うめぇ!水道水最高!って言っている状態なのかもしれません。
分子標的薬で心不全症状がガンガン(乳がんだけに)出ていた最中に引越しを伴う辞令を出した会社には多少わだかまりはあるものの、結果オーライで職場環境は確実に改善されています。
それでも体が辛いものは辛い。
そうなんです、八つ当たりなんです。
わかっているんです。
気軽に乳がん検診に行こう、それで簡単な処置で助かる命がある、それは尊いことなんです。
ファッション感覚でピンクリボン、ウェーイ!としている女子が妬ましいんです。
ウェーイしている女子がいるからこそ気軽に検診が出来る、それが本来の目的なんでしょう。
ただ、若年性乳がんって、乳がん全体のほんの数%なんです。貧乏くじ引いてしまった感が否めないんです。
元々ちょいちょいツイてなかった私が、こんな所でもツイてなかったかー、と。
妬ましく思っても許して下さい。
エネルギッシュに闘病体験を語って、良い感じの活動をしている先輩サバイバーを見て、そうはなれない(なりたい訳でもないけれど)不定愁訴がしんどいんです。
残っている後遺症のようなものも障害レベルではなくて、1個1個は誰しもが抱えている何らかの不調なのかもしれません。
不調の数が多すぎて、歯車がガタガタで、支える気力も尽き果てた状態が今の私です
ぶっ飛ばさせて、レッドリボン軍だか、クリボーだか、びっくらぽんだかのアイツを。匿名のこの場でくらい。面と向かっては、きっと吐き出せないので。
優しい言葉をありがとう、長い愚痴に付き合ってくれてありがとう。
嵐のような感情の発露は鍵付きのTwitterだけで行っていました。
初めて書き散らしたこの場で、思いもよらずたくさんの方に見ていただけて、嬉しく思います。
大好きなアーティストに懇願して(服の上から)触って貰ったことあるので、本体の私は乳のせいで地獄のクソ煮込みをわんこそばで注ぎ込まれている割に、乳だけは世界で1番幸せ者かもしれません。
寝るのはかまわないんだよね。
でも、ど真ん中の駅で寝た人がいた。
私はその人の右隣。リーマンは左隣。
前にぐいっと体重かけて寝ればいいのに。
リーマンがムカついたのか
もちろん、私に思い切りぶつかってきた。
最悪だった。
そのあとも、真ん中の兄ちゃんは
相変わらず寝た。
なにもしない。
「私はなにもしてない」とでもいうように
そのまま寝る。
お互い嫌な思いしたくないでしょ!
まじでやめて。
とにかく怠惰で生きていけそうにもない
社会では容姿よりも頭脳よりも勤勉さ(とそれを周りに見せる能力=コミュ力)が重要だと日々実感する
ほぼ全ての職場においてどこまでがサボりと見做されるかという基準は曖昧である
トイレの時間は何分まで、書類を書いた後次の書類に取り掛かるまでの時間は何分までと決められている職場はほぼ存在しないと思われる
はじめは何とか働くがトイレに行く回数が増え、一度のトイレに要する時間も長くなり、あの手この手でサボろうとしてしまう
当然、出来高も減っていくので言い訳の回数も増えるし謝ることも増える
これでは駄目だと思うけど体が言うことを聞いてくれない。
実際に働いている時間が職場にいる時間(勤務ということになっている時間)の3割くらいになったところで居辛さが限界に来て辞めてしまう
スペックが高いので次の職場も割とすぐ見つかるが、後5, 6年もすると見つからなくなる気がして毎日生きた心地がしない。
容姿 : 身長178cm, 体重58kg それなりに言い寄られて恋人には困らなかったので悪くないと思われる。たいてい怠惰さによって喧嘩になり別れる。現在は既婚(怠惰で妻に申し訳ないので結婚するべきでなかったと反省している)、子供はいない
学歴・資格など : 京都大学卒、職に困らない専門資格持ち(医師資格や弁護士資格のような最強資格からは遠く離れるけど)、TOEIC 800~850
収入 : 年700~900万
年齢 : 30前後
ADHDも疑っているが病院に行っても二回目の病院に行くことができないので(行くのをサボってしまう。予約してキャンセルを繰り返しすぎて行きづらくなり行かなくなる)未診断である。
子供が生まれてまだたったの2週間なんだけど、ここまでですでにパパがやる気出して頑張ったけど全然ダメだったことがけっこうあったので思ったことを書き記しておく。
まず一つ目は検診での婦人科。まず病院の待ち時間が長い。これは仕事への支障を考えると辛い。男性としては「妻の検診なんで休みます」というのは言いにくいところ。しかも時間が読めないので午前中の診察でも午前半休ではダメな可能性もある。病院によるのかもしれないけどなんとかしてほしいところ。
んで、長い待ち時間のあと、「先に奥さんだけどうぞ」とか言ってくるの。俺の出番はというとそのあと「ご主人どうぞ」なんて言われて、エコー見せられて「ここが目ですねー」とかやって終わり。
いや、そこじゃねーんですよ。妻の体調がどうとか、体重がどうとか、そういうところですよ。こっちはつわりで偏ったものしか食べない妻に対して毎日栄養価と食べやすさ考えて食事作ってんですよ?まあいろいろ恥ずかしいところもあるからとかいう配慮なのかもしれないけど、もうちょっとなんかないんですかね。
お腹も少し大きくなってきた頃。住んでいる自治体にあった母親学級、両親学級。妻しか参加しない母親学級のほうで妊婦の食事はなにを食べたら良いとか、栄養士の人がきて教えてくれたりするらしいじゃないですか。いや俺にも参加させてよ。沐浴の仕方も両親学級のときより詳しく教えてくれたらしく、いや俺にも教えてよ、そういうところで夫婦の持っている知識に差つけようとさせるのなんなん?って感じ。
出産時。自然分娩なので予定が見えない中、出産はやはり立ち会いたいので会社は陣痛始まったらすぐ休みとって行ったんですよ。これも調整がけっこう辛い。まあ予定見えないから仕方ないねこれは。
生まれた後。翌日から赤ちゃん同室。まだ体力の戻っていない妻に対しても「おっぱい出さないと張っていたくなりますから」とか言って預かるのを渋る看護師。眠くて辛そうな妻。何もできない俺。もうちょっとなんとかならないんですかね?何か手伝いたかった。
入院中にまず抱っこの仕方からミルクのあげ方、ゲップのさせ方、沐浴のさせ方、オムツの変え方、全部母親にだけ教えるんで、俺は何も知らぬまま。。。
退院。退院後に里帰りをさせる予定だったのだけど、妻の実家がいろいろあってすぐには里帰りできないとのことで、とりあえず頑張って1週間休みとったんですよ。
家に帰ると早速うんち。妻に両親学級でやったよねって言われてオムツ替えしてみるんですよ。で、当然うまくできない。連日の寝不足もあってキレる妻、泣く我が子。そしてこれが何かあって泣くごとに俺がやる全てのことにキレる妻。そして紙おむつの外に漏れるうんち。さらにキレる妻。夜泣いても起きない俺。猛烈にキレる妻。仕事休み取るために俺も残業しまくったんだよとは当然言えず謝る俺。泣く我が子。俺も泣きたい。
キレられてもめげずに頑張って、5日後にようやく妻の実家に里帰りさせ、妻も少しは寝れるようになってよかったねという話なのだが、これでまた会わない間に妻の方が赤ちゃんの扱いうまくなっちゃうんかなぁ。はあ。。。
天然子宮がいかに優れているかを知らないからこういう論になっちゃう。
いやわかる。おれも高校生くらいまではそんな感じだった。
おれが指摘する問題点は誤字ではなくてコスト意識が欠落している点だ。
天然子宮と同じ性能の人ロ子宮が作れたとして、一体いくらになるんだろうか。
したがって人工子宮が500万円以上だったら使えないわけだ。
10か月間のショバ代もある。病院か農場かわからないが、少なくとも10か月間間借りして24時間管理してもらう。いくらになりますか。
赤んぼの材料代もある。安全な餌を10か月間絶えず与え続けることになる。羊水に含まれる重要なタンパク質は全て胎児が合成しているわけではない。母体由来のサイトカインやらなにやら諸々のタンパク質がいくらになるか…想像もつかないがニボルマブよりまあ100倍は高額になるだろう。FBSを知っている人にはいかに難しいか想像がつくはず。
安全性の検査に一体何年間かかるのかという問題もある。徹底的な動物実験で攻めていくだろうけど、この手の動物実験の結果をヒトに適用することの難しさはもう想像を絶する。五体満足で生まれるだけでは不十分で、少なくとも生まれてくるベイビーの寿命体重知能が並程度でなければ誰も使うまい。人間の寿命を調べるのに何年間かかるだろうか。
開発に要したコストはもちろん製品価格に反映される。税金で賄いますか。人口の半分が男性なのに、そんな決定ができるだろうか。
つまりアフォーダブルな製品を開発することはできないだろうということ。
製品化できそうもないものの研究をする人がどれだけいるかということ。
極めつけに、女性はほぼ全員が使用可能な天然子宮を備えている。治療法を確立しなければ死ぬしかない病気とは違って、安くて実績充分の代替案があるのだ。つまり代理母という代替案がある。
高コスト高リスクの人工子宮をわざわざ使う(使える)人が、技術確立・市場形成に十分な数現れるとは、おれにはとてもとても信じられません。
なお、アメリカ人はそんなまどろっこしいことしないで養子をとるようですよ。
完
急に痩せたわけじゃなくて小さい頃から細かった。糖尿病ではないし、摂食障害でもない。
しかし胃腸が弱い。食べ過ぎると気持ち悪くなり腹痛になるので、たくさん食べて太るというかカロリーを摂取して太ることができない。
外食に行って一人前の食事を選んでも食べきれないぐらいに食が細い。食材にも店に対してもいつも申し訳なく思う。(マックのチキンマックナゲット 5ピースで満腹になるぐらいの胃)
子供を産みたいというわけじゃないが、30代40代この細さだったら早死にするだろうな……と危機感を抱いてるし、実際疲れやすくて毎日ヘトヘトなってしまうので生命の危機がすごい。
死ぬぞ死ぬぞと言われ続けたあいつが、特に病気らしい病気を患うこともなく40を無事突破した。
20代から、体重は3桁、γ-gtpも優に100は超え、血圧、尿酸値等々、
食事は大盛&お代わりの安定の立ち上がり、間食は好き放題、飲みに行けば十度以上のアルコールをがぶ飲みする。
それを俺は傍らで見つつ、節制しつつ、彼にいうわけだ。
「おいおい、死ぬぞ。」と。
そうすると彼はいつも
「いいんだよ、俺は太く短く生きるんだよ。今の欲望を100%満たせるなら、明日死んだっていいよ。」
と言い続けて十余年。
けど、もしかしたらあいつはこのまま平均寿命を優に超えて生き続けるのかもしれない。
とにかく、(縦に)身体が大きい女性を好む性的指向を持っている。
既婚だが、妻は身長160cmくらい、体型はやや痩せ型。
同い年の三十路で、いわゆる「夫婦生活」は充実しているが、上記の性的指向は妻には打ち明けられていない。
おそらく説明しても、理解してもらうのはほぼ不可能だろう。そんなことは分かっている。
「身長は絶対180cm以上、できれば体型もぽっちゃりめで体重三桁でも興奮するなぁ」なんて言ったところで相手もリアクションに困るだろう。
そんな自分の性的指向が叶える場所が、幸いにして、存在するのである。
そう、風俗だ。
考えてもみてほしい、貴方の周りに身長が180cm以上の女性がどれくらいの割合で存在するだろうか。
全くいないわけではないだろうが、少なくとも、私の周囲では、170cm台後半の女性すら皆無である。
好みの女性が「物理的に存在しない」となると、アタックもしようがないのだ。
だが、そんな希少価値のある女性でも、風俗を利用すればご対面できるのである。
流石に180cm以上の長身の女の子となると、都内にも数えるほどしかいないが、「いる」のである。
風俗を利用することについて嫌悪感を覚える人もいると思うが、とにかく身長が高く、身体が大きい子に相手してもらう…いや、リアルで確実に出会えるのは、風俗以外にない。
そして、私が一番お世話になっている女の子こそ「身長185cm、体重90kg」の大きな身体の持ち主である。
理解できない人には全く理解できないと思うが、その希少価値ゆえ、むしろ予約指名が難しかったりする。
顔だとか、肌質だとか、この際どうでもいい。少なくとも嫌悪感を覚えるほどでもないし、何よりもう慣れた。
家庭のこともあり、頻繁に通うわけではないが、かれこれ数年もお世話になっており、すっかり顔見知りだ。
大きくて肉付きのよい身体に抱き寄せられ、見下ろされることを想像するだけで勃起する。
正直、ノーマルな性的指向だったらどれほど楽だっから…とも思う。
おそらく風俗なんて一生利用することは無かっただろう。
でも、この特殊な性的指向を抱えている以上、捨てることはできない。大げさかもしれないが、自分のアイデンティティを構成する重要な要素だ。