はてなキーワード: 不動産とは
たかが地主の都合で借地料を勝手に値上げされ、勝手に前払いも求められ
その借金が返済されることもまずなく、貧困にある小作人たちが地主に苦情を述べ立てれば
時には死刑になるような社会が、GHQの農地改革で廃止され、健康保険や生活保護制度ができ
土地を得た小作人たちの息子や孫が大学行って大学が儲かったり、
そのうち農業やめて農地を手放せばマンションがボコボコ立ったりして不動産屋が儲かったりするが
地場の不動産屋にクソがいるのはわかるが、ハウスコムを持ち上げるのはハウスコムの敷居をまたいだことがあればあり得ないと思ってる。
地場の旅行代理店が旅行知識もどうしようもないクソだけど、HISで手配したら金だけとられて次回以降の相談もたらい回し、現地手配は何もできてなかった(いつものこと)、みたいなのと同じ。
別の種類のクソなだけ。
江川氏は94年スタートの前身番組「スポーツうるぐす」でメインキャスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説で選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。
巨人原辰徳監督(63)からはビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。
MCのくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。
上田はあきらめず「ひょっとしたら原監督から『ちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後は上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。
終盤には、今年まで巨人の場内アナウンスを担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川、背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者やスタッフに感謝の言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っています。ありがとうございました」と、意味深なコメントで締めた。
選手としての特徴
江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないかと推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川のストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之、西本聖、槙原寛己など多数の人物が異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ、好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日のGoing!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年の中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。
江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球はカーブしか投げられなかった。掛布や高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないかと高木は解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。
1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しかし2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレートは普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。
《なお、2021年のMLBでは、回転数が高いボールの効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》
1985年頃から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリが話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手のマスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代のライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。
阪神のランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年と1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打と連続試合打点記録更新中の最後の試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川の引退時、バースは江川を「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。
9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線の選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代にチームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。
江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリのコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川の場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川はボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手からの懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手はコントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。
被本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年はリーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打は通算で1.23本である[59]。
上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神戦通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁は阪神に移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。
打撃の優れた投手としても知られているが、初安打はデビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初の打席で、阪神の山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。
少年時代の写真に笑顔で写っているものはない。それは父親から「写真は真顔でとられろ」と言われたからである[62]。
裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親が財産の管理が上手かったことから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。
幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機嫌いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川が米国開催の日米大学野球選手権大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたことである)。かつて巨人の北海道遠征の取材で東京→盛岡→青森→函館→札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプの取材でも東京→博多→新八代→鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川が引退した翌年、1988年に青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲームを取材したときでも、松山→岡山→東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディングで江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナは松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄へキャンプ取材する際も、時間に余裕があるときは鹿児島から24時間かけてフェリーで沖縄に移動するほどである。横浜DeNAベイスターズの春季キャンプの取材で沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会のハワイでの取材時にも長嶋茂雄から「江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである。飛行機嫌いの一因には幼少時代の体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長も犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。
大学時代、後の夫人となる女性と交際していたときにデートと東京六大学の試合の登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から何時間後」というように時間を指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。
現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフ・アール・イー、2007年1月に破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社の役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名は桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。
現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。
本人曰く「成金趣味」に結構な金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。
テレビでの野球中継において選手を呼び捨てにしている解説者が多い中、江川は基本的に呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。
データ分析の練習や説明用によく使われる、「1970年代の」ボストンの不動産価格データセットは、"ethical problem" があって、いろんな機械学習ライブラリから排除されるのね。
“B”
Just in case you’ve gotten this far without somehow paying attention, the column in question is called “B”:
B: Black proportion of population. (1970 US Census)
This is already offensive to 2019 eyes (and hopefully 1975 eyes). But let’s try to give the authors the benefit of some doubt that I’m missing something historical, or otherwise relevant, that would warrant the inclusion of this field in the “common specification” of hedonic house pricing.
racist data destruction?. a Boston housing dataset controversy | by M Carlisle | Medium
https://medium.com/@docintangible/racist-data-destruction-113e3eff54a8
Deprecated since version 1.0: This function is deprecated in 1.0 and will be removed in 1.2. See the warning message below for further details regarding the alternative datasets.
sklearn.datasets.load_boston — scikit-learn 1.0.1 documentation
https://scikit-learn.org/stable/modules/generated/sklearn.datasets.load_boston.html
データに含まれる "B" という「地域住民のうちの黒人の割合」を示す列がいかんらしいね。まぁ、日本で「〇〇市の不動産価格データセット」があったとして、そこに「地域住民のうちの部落出身者の割合」が同じく "B列" であったら燃えるだろうしなぁ。でも、実際に目的変数である不動産価格に負の影響を及ぼしてるんだけどねぇ。
毎日、ポストに大量に投函されているチラシ広告が本当に鬱陶しい・・・。
そこで、チラシ広告を送り主に返送するサービスとかどうだろうと考えた。
①一定エリアのマンションや個人住宅と契約して専用のゴミ箱を置かせてもらう
②毎日集配する
というサービス。
発行元の企業に返還する様子は、契約者には動画や画像で配信しても面白いように思う。
サービスの認知度が上がれば、専用のゴミ箱が置いてあるマンションや住宅は、チラシの投函を避けられるようになりゴミが減る・・・かもしれない。
もっと拡大すれば、チラシ広告自体が撲滅する・・・かもしれない。
みたいなことを考えたのだが、そもそもメインの顧客ターゲットの最上位にいる不動産デベロッパーがチラシ広告をしまくっているので、このサービスは難しいと判断。
中国でもコスプレ写真を撮るってのはあるのだけど、クオリティ高いのって不動産などで金持った金持ちがやってるのな。
不動産資産てさ、多かれ少なかれババ抜きとかチキンレースみたいな、リスク引き受けてリターンが得られるかも、ってもんだよね。
ゼロリスクを信仰するなら不動産を持たない選択もありだし、他の資産とのバランス考えたうえでメリットあるなと思ったら買えばいいし。
トヨタは今は禁止されたリトラクタブル・ライトという族車もどきを作っていた会社だ
もちろんヘッドライトが収納できようとできまいと、狙った車に後ろから体当たりし路肩に押し出して衝突させ逃走する族はいるし
そういうのが車を持っているということで自分を大きく見せつつ、佐〇急便の見習いドライバーを標榜していたりして、警察と国交省に媚を売る
・不動産屋は東京都の人口が減ってもあの派手なホイールキャップで古い家屋を買いたたきに回るかね
・かつて深夜労働者の酷使により格安綿製品を輸出し開戦直前の貿易摩擦を引き起こした業界はEV移行で何を企むのか?
・明治時代にはカウキャッチャーのない汽車があり著名人の人身事故もあった、車もまたプロテスタントカルトの恐怖政治の武器として使われていた可能性は当然にある
・バブル崩壊以降、2005年ごろまでの交通事故負傷者の激増は携帯電話普及のためという理由づけは、プロテスタントカルトの政策だったのか?
たとえば、都道府県別のGDPは東京が1位だと思うけど成長率は下位10位には入っている
たとえば、この統計では中央世帯で東京の可処分所得は46位になっている
https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001389727.pdf
今から東京で働いてもスタート地点とゴール地点がほぼ同じなのに、成長しないにも関わらず東京は人を集めている
若い人が東京に行ってもほとんどの人は、働けど働けどなおわが暮らし楽にならざり、データを見てもそれは明らかなのに誰も止めようとしない
なぜなら富裕層はそれに気が付かないように奴隷がごとく使っているのだから
他には不動産を買った小市民も東京を否定したくないのだろうけど
こんなことを主張すると「地方には仕事がない」と言い出すけれども、仕事は結構ある
というか、人手不足のこの時代に仕事がないとかよく言えるなと、働いているのかと
私は福岡あたりに税金をガンガン投入して開発するのがいいんじゃないかと考えている
それなりにしっかりした賃貸マンション住まいを続けていたが、そこから安い木造戸建てを購入・引っ越しして数年経った。一般化できるかどうかは分からないが、想定していなかったコストが色々発生しているのでメモとして書いておく。
要はエアコン代。断熱がクソなので、暑いから冷房、寒いから暖房、PCは常時起動とやっていると電気代が月2万を超える(超えた)
いくらエアコンを入れてもトイレにまでその恩恵はなかなか届かない。夏の暑さはまだマシだが冬はクソ寒い(トイレだけに)。また我が家はトイレに空調がなく、窓で臭いをなんとなく追い出すという発想のため、用を足した後はどうしても臭いがこもりがち。改善したければ空気清浄機等をトイレに設置する必要がある。自前で。
マンションであればオートロックと高さが最初の関門となるが、戸建ては圧倒的に侵入が容易。人が多くも少なくもない適度な田舎なので今のところはあまり気にしていないが、状況が変わったら何らかの対応をする必要が出てくるだろう。自前で。
置き配を頼むと玄関前に放り出されることになる。今のところ盗難や水濡れといった問題は起きていないが。
マンションの共有回線よりは必然的に高くなる。光回線を占有できるのでこれは利点でもある。
これは不動産屋から念を押されるはず。管理費こそないが、壁の塗り直し、屋根の補修などを定期的に行わないと傷みが加速していくため毎月いくらかの積み立ては必須。
申し訳程度に適当な木が植えられていることが多いが、どう扱えばいいか分からないまま放置していたら毛虫が大発生して泣きながら殺虫剤を撒いた(その後15万円ぐらいかけて全部撤去した)
マンションとは違って防音もクソなので、騒音耐性がない人がお隣さんガチャでハズレを引くと厳しいことになると思う。子供の泣き声、犬の声、洗濯機など。逆に自分が騒音の発生源にならないかどうかを気にしてしまって窮屈な思いをする面もある。
駐輪場がないので自転車が雨ざらしになりがち。10万ほどかけて屋根を据え付けてみたが、ちょっと風が強いと雨が降り込んでくる。ただ自転車から降りて即玄関というのは良い。
風呂に窓があり、昼間や夕方に入浴すると明るくて快適なのだが(日光はやはり良い)、窓を挟んだ先はお隣さんの家。どうしても音に気を遣ってしまうためあまり自由ではない。