はてなキーワード: テロ行為とは
https://anond.hatelabo.jp/202306250434
ATM 749MM
風1M/S
湿度52%
モスクワではすべての大規模イベントがキャンセルされ、市内では対テロ作戦が実施されている。どういう意味ですか?
CTO体制は、軍事装備、武器、特別な手段を使用した特別な作戦戦闘、軍事およびその他の措置の複合体である。これらは、テロ攻撃を阻止し、テロリストを無力化し、国民と組織の安全を確保するために実施されます。
これに先立ち、 PMC「ワグナー」創設者エフゲニー・プリゴジンに対し、 武装反乱を呼びかけた事実で刑事訴訟が起こされた。プリゴジン氏は、ロシア軍がワグナーPMCの後部キャンプを攻撃し、支持者らに国の軍事指導部に反対するよう呼び掛けたと述べた。国防省は空爆に関する情報を否定した。同省は、戦闘任務は特別作戦の領域においてウクライナ軍との連絡線上で実施されていると指摘した。その後、プリゴジン氏は、PMC部隊がロストフ地域に入り、その地域の首都であるロストフ・ナ・ドヌに直接入ったと述べた。
- 住民の重要な活動を保証する公共の秩序と施設の保護を強化する。
- 電話での会話や通信チャネルを介して送信されるその他の情報を制御する。
- 住宅およびその他の敷地内に自由に入ることができます (CTO 参加者のみに適用されます)。
- 隔離を導入する。
CTO体制の存続期間は、テロの脅威をどれだけ早く排除できるかにかかっています。テロ行為が停止または阻止され、CTOの領域内にいる人々の生命、健康、財産および法的に保護された利益に対する脅威が排除された時点で、作戦は完了したとみなされます。
これに先立ち、ウラジーミル・プーチン大統領はロシア側に緊急訴えを行った。同氏は、社会の団結を分裂させる現在の行為を、背後への刺し傷、反逆、裏切りと呼んだ。大統領は、ロシア軍が反乱を組織した者たちを無力化する命令を受けたと述べた。
セルゲイ・ソビャニン氏は、入ってくる情報に関連して、首都では治安対策の強化や大規模イベントの中止などのテロ対策が講じられていると述べた。
さらに、ヴォロネジ、ロストフ、リペツク地域の当局は、今後のすべての公共イベントを中止することを決定した。
この地域の住民は、追加の制限を理解して扱うとともに、公式情報源からの検証済みの情報のみを信頼するよう求められた。
こちらもお読みくださいモスクワ地域では治安対策が強化された=ヴォロビヨフゴルベフはロストフのすべての都市システムの機能を維持するための措置を採用すると発表した
そうはならない。理屈が飛躍している。
統一協会の問題と、昨年起きたテロの因果関係は、山上容疑者の供述からはっきりとした事実である。原因である統一協会問題が無ければ、テロが起きなかったであろうことは想像しうるものである。サイボウズ社長はその点について述べただけであり、テロを肯定しているとはいえない。
サイボウズ社長は、「統一協会問題が無ければテロは起きなかっただろう。」と言っているのであって、この発言では、テロ行為を否定も肯定もしていない。
※なお、サイボウズ社長は別のツイートで、テロ行為を明確に否定している。炎上しているツイートのみからはテロ行為の可否について読み取れないため、当ツイートの内容とテロ行為の否定は論理として矛盾しない。
サイボウズの青野の意見を問題視するのはいいけどさ、もっとヤバいのがいるからここからのツリー読んでよ
これが今の外務副大臣だぞ。知ってる人は知ってるが議員事務所の車検切れと秘書によるひき逃げの奴な。
https://twitter.com/syunsuke_takei/status/1647625772700700672
@syunsuke_takei
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申し訳ありませんが100%間違っています。テロによって言論を封殺する者を寸分でも肯定することを誘発することは、結果としてテロリストを正当化することと同義です。
青野慶久/aono@サイボウズ
@aono
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21時間
続き)Q. 加害者を肯定していない?→肯定していません。悪いのは加害者であり、被害者は悪くありません。まずこれは大前提です。そして加害者と被害者を減らしたいのです。そのために、加害者が犯罪を起こした原因を探求し、課題を設定して原因を減らす必要があるという考えです。
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青野慶久/aono@サイボウズ
@aono
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武井先生、お返事をありがとうございます。原因探求が正当化と同義だという理屈がよくわかりません。例えば暴力教師がなぜ暴力をふるったかを探求することは暴力を正当化することと同義だというお考えでしょうか?
@syunsuke_takei
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19時間
その通りです。仮に酌むべき点があるとすれば、それは裁判所が量刑において判断することです。それ以上はないです。完全に間違っています。
青野慶久/aono@サイボウズ
@aono
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19時間
まだ原因探求と正当化が同義であることの根拠を示していただいていないと思います。私にとってはまったく別物です。少なくとも辞書での意味は別物です。「完全に」「100%」とおっしゃっている背景があるのだと推測しますが、何かの法律でしょうか?それとも武井先生のご意見でしょうか?
@syunsuke_takei
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19時間
民主主義の根本を揺るがすテロ行為は絶対悪であり、原因は100%加害者の行為によるものです。それを些かでも揺るがすことは正当化を誘発すると申し上げているのです。この点が納得できないと言われることはテロは絶対悪とはいえない、と考えておられることと同義です。
青野慶久/aono@サイボウズ
@aono
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19時間
繰り返しになり恐縮ですが、原因探求と正当化が同義であることの根拠は示していただいていないようです...。人間の行為には原因があり、100%悪の行為にもやはり原因があり、この原因をつかむことで悪の行為を減らせると考えます。なぜ原因探求を拒むのかがよくわかりません。
@syunsuke_takei
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19時間
青野慶久/aono@サイボウズ
@aono
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19時間
ご回答をありがとうございます。その絶対悪を生み出している原因を探求し、なくしていくことにはさほど関心をお持ちでないということで理解しました。私はもっと真剣に向き合いたいです。悲しい事件を起こしてしまう人と巻き込まれる人を減らすために。
@syunsuke_takei
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19時間
下記お読み下さい。これが国際的スタンダードのあるべき態度です。
ニュージーランドのアーダーン首相は19日、議会での演説で、南部クライストチャーチのモスク(イスラム教礼拝所)で15日に起きた銃乱射事件の犯人を強く非難し、その名前を口にするつもりはないと述べた。
青野慶久/aono@サイボウズ
@aono
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19時間
おそらくこの銃乱射事件の原因を探求し、再発防止に有効と思われる課題を素早く設定したのだと思います。→「事件発生から数時間後には銃規制の強化を約束し、18日の閣議では原則合意にこぎ着けた。」
@syunsuke_takei
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16時間
ここで青野さんが示されているのは対応策で、それは去年の安倍元総理の事件を踏まえ大幅に強化されました。青野さんは原因探求と言われてきました。NZ首相「我々ニュージーランド人はかれに何ひとつ与えない。名前さえも」と述べています。原因探求など皆無。恣意的な言説はやめるべきです。
青野慶久/aono@サイボウズ
@aono
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武井先生、お返事をありがとうございます。アーダーン首相が取られた行為について、私も大変素晴らしいものと共感いたします。そこで、ここを起点に私見を述べさせていただきます。
青野慶久/aono@サイボウズ
@aono
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続き)まず、アーダーン首相はテロ行為に対して無視せず反応し、銃規制の強化まで進めています。犯人がどのような反応を期待していたのかはわかりません。ただ、テロ行為によって政治家が動かされたことは間違いないことと思います。
テロリストの動機や社会的背景について報道するかどうかは、慎重に判断する必要があります。一般的に、報道の目的は真実を伝えることですが、テロリストが自分たちの行動の動機や目的を公表している場合、報道がそれを伝えることで彼らのプロパガンダを増幅することになる可能性があります。
一方、テロ行為の背景にある社会的問題や不満などについて報道することは、社会にとって重要な情報となる場合があります。これにより、社会が問題を解決するための情報を得ることができるかもしれません。また、テロ行為を防止するためには、テロリストがどのような背景や動機を持っているかを理解することが重要です。
報道においては、公正かつバランスの取れた報道が求められます。テロリストの動機や背景を報道する場合は、その情報が彼らの行動を正当化するものではないことを明確にする必要があります。また、報道がテロリストに注目を集めたり、彼らのプロパガンダを増幅することがないよう、慎重に判断する必要があります。
大半のツイッタラーより賢いな
遠い未来、人類は究極の監視社会を構築していた。日常生活から親密な時間まで、人々の生活のあらゆる面が監視され、記録されていた。政府は「公共の安全のために必要」と主張するが、多くの市民は懐疑的だった。
ある日、ボブという名の不器用な政府職員は、監視システムから逃れようとする反抗的な市民グループの監視を任された。ボブは熱心だが、どこか抜けていて、ミスをしがちな職員だった。
グループの活動を監視していたボブは、誤って監視システムの不具合を引き起こし、誤動作させてしまう。突然、街中の監視カメラにボブの顔がライブ映像で映し出されるようになり、ボブは恐怖を覚えた。
パニックになったボブは不具合を直そうとしたが、事態はさらに悪化した。この不具合は他の都市にも波及し、人々は自分のプライベートな瞬間が映し出されることに気づき、混乱に陥る。
事態が制御不能になるにつれ、ボブは自分の手に負えないことを悟った。監視していた反抗的な市民たちと手を組み、監視システムを完全に停止させるため、荒々しい冒険の旅に出る。
監視システムを停止させようとするボブと反乱軍は、さまざまな困難や障害に遭遇する。
まず、監視システムのメインコントロールセンターにたどり着くには、迷路のような官庁街と地下トンネルを通り抜けなければならない。
ところが、そのコントロールセンターは、武装した政府職員が巡回する厳重な警備が敷かれていた。
しかし、ボブが誤ってアラームを作動させてしまったため、連鎖的に捜査官たちに気づかれてしまう。
必死の脱出で、ボブと反乱軍はハイテクな変装、偽の身分証明書、さらにはホバークラフトなど、あらゆる種類のガジェットやギズモを駆使して捜査官から逃れることを強いられた。
ある時は、監視システムをハッキングするための試作品を盗むために、政府の研究室に侵入しなければならなかった。
そして、その旅の間中、彼らを何としても阻止しようとする政府のエージェント・チームが執拗に追いかけてきた。
しかし、ボブと反乱軍たちは、監視システムを停止させ、人々に自由を取り戻すという目標を決して見失うことはなかった。
そして、彼らの努力と決意は実を結んだ。監視システムを停止させ、その背後にいる腐敗した役人を暴くことに成功したのだ。
そして、最初はしがない政府のエージェントだったボブは、監視とコントロールによって抑圧された世界の希望と勇気の象徴として、人々の目に映るヒーローになった。
そして、監視社会の市民は、ボブとその仲間たちの不運にも善意ある努力によって、真のプライバシーと自由を享受することができたのだ。
塵も積もれば山となるで、ボブと反乱軍は国民から英雄として讃えられた。政府はこの事態を計画的なテロ行為と言い逃れようとしたが、圧倒的な証拠があり、市民はそれを受け入れなかった。
監視システムが解体され、その実施に関与した政府関係者が裁かれたことで、社会は再生し始めた。人々は互いにつながり、社交し、プライバシーを楽しむようになった。
ボブは、ある種の有名人になった。行く先々で人々が彼を呼び止めて自撮りをし、彼の姿がTシャツやポスターにプリントされ、街中に溢れた。
当初、ボブはその注目度の高さに圧倒され気味だった。しかし、時間が経つにつれて、彼は自分の名声を楽しむようになった。プライバシーと自由の大切さを説く講演家として、全国を回るようになった。
監視システムについては、再建されることはなかった。その代わり、政府はより伝統的な法執行や情報収集に投資するようになり、侵略的な技術ではなく、人間の知性や探偵業に頼るようになった。
結局、監視社会の人々は、プライバシーと自由はどんな犠牲を払ってでも大切にし、守るべき貴重なものであるという重要な教訓を得た。そして、すべてはボブという名の不器用な政府エージェントの不運から始まったのである。
この件で書いた増田がことごとく伸びないが備忘録として続けます。
https://anond.hatelabo.jp/20221219153937
https://anond.hatelabo.jp/20230106193827
今回考えたいのは、「なぜここまで仁藤叩き(Colabo陣営叩き)が爆発的に、広範囲に、盛り上がったのか?」ということ。
参戦している有名人の顔ぶれと、その他有象無象の皆さんのツイートを見ると、
ありとあらゆる層がありとあらゆる立場からColabo側に批判的に言及している。
が、そのコアにあるのは主に「ネット民の積もり積もったパヨクへの反感」だと思う。
最初は表現の自由関連でオタク層が仁藤氏を嫌っているのがメインなのかと思っていたが、
有本香、ナザレンコ・アンドリー、門田隆将といった保守論客っぽい人たちや
もはや全然オタクでもなんでもない人たちがColaboに批判的・懐疑的、暇空氏に好意的に言及している。
はてな民なら全員わかってると思うが、暇空氏はまともな人間が支持できるような人ではない。
彼らに共通項があるとしたら「リベラル層」あるいは「パヨク層」とされる存在に批判的なことではないだろうか。
実際、ナザレンコ氏と上念氏は「パヨクと戦う暇空氏を支持する」とそのまんま表明している。
これらのレッテルがふんわりしたものであることはわかっているが、そのふんわりしたものがふんわりと嫌われており、
人々から見て仁藤さんは「パヨク」と見なされるふんわりした要素をことごとく身にまとっていたのだと思う。
つまり、これはもう、日本のインターネットの「パヨクへの嫌悪」が表面化・可視化しただけなのではないか。
たしかに昔からネットでは共産党や民主党というのは好かれていなかったし、
現実世界でも支持されていないのだが、暇空氏のテロ行為に便乗して「もう許さん」みたいに怒りを発散している人が多いのではないか。
なお、特にパヨク叩きをしていなかったり、逆にパヨク的として叩かれている人たちも、一定数Colaboに批判的に言及しているように思う。
例えば室井佑月氏や大空幸星氏も、Colaboには批判的に言及した。
彼女ら彼らがネトウヨとかミソジニーとかオタクとかでないことは明らかであろう。
じゃあその一部の「本来パヨクとされる」層がなんでColaboに批判的なのかというと、
これは単純に仁藤さんとその弁護団は大変血気盛んで、いろんなネットバトルを提起し、
「またこいつらか」「というかこいつらが全員集合したのか」「オールスターか」
という構図を見て、みんな暇空氏の正当性とか勝機とかは一切考慮せず、反射的に応援してしまうのかもしれん。
もちろんColabo批判≠暇空支持であり、例えばColaboも暇空も対消滅しろみたいな人も多かろう。
「大嫌いなパヨクが叩かれている。攻撃している奴は極悪人のようだが、パヨクを叩いてくれるならなんでもよい」
夕刊フジにコラムを書いて暇空氏に褒められると喜んで「応援してます!」と言った有本香氏は完全にそれである。
前にも増田に書いたが、これ、どこがゴールで、どうなったら「勝ち」なの?
普通に考えたらデマで誹謗中傷する方が悪いし、裁判官だってそう判断すると思うので、法廷闘争は暇空氏が負けるはず。
なので暇空支持者の方々は「裁判で仁藤をやっつけろ」と思っているわけではないだろう。(ないよな?)
もはや裁判の行方は度外視して、ひたすら「パヨクをやっつけろ」という無責任な掛け声をかけているだけに思える。
Colabo側はもちろん、神原氏が早めに勝利宣言した通り、「裁判でネトウヨ暇空を完膚なきまでに叩きのめす」というのがゴールだろう。
これは大変わかりやすい。神原氏が「正義の勝利!」と叫ぶ絵がすでに見えている。こっちはそういうことで理解できる。
最初は「仁藤氏に謝罪させる」と言っていたが、そんなことが実現するわけがない。東京都に訴えてColaboを委託事業から外させるとか?
あるいは嫌がらせだけが目的で、裁判費用は潤沢にあるから、勝敗度外視でありとあらゆる裁判を起こしてColabo側に負荷を掛け続けるのだろうか?怖っ……。
そこまでならず者だと、さすがにネット世論も付いてきてくれないと思うのだが。だいたいそれで暇空氏が失うものも計り知れない。大丈夫か?
暇空氏支持者のゴールもわからない。この先の道は「暇空氏敗訴」が待っているわけで、何をゴールに置いているんだろう?
しばらくの間、嫌いな仁藤さんを叩き続けられれば満足ということなのだろうか。
高校3年生の冬になっても引退せずにズルズルと続けていたアマチュア無線部の活動を終えたあと、教室に炊飯器を持ち込み、タイマーをセットした。
高校3年生のクリスマスに、石橋君は準備した。男6人の味気ない部室で。学年1位の彼はストレスに苛まれていたのだと思う。
始終を知りながら止めなかった俺も悪いと思う。数日前、学校近所のゴミ捨て場で炊飯器を拾った石橋君が、変な笑みを浮かべていたのを見過ごした。あの時思いついたんだろう。部室でせっせと修理しているのも遊びだと思った。近所でウンコ拾ってきたのもストレスでちょっと壊れてるくらいだろうと思ってた。
投稿時刻に合わせたタイマーで、煮えたぎる犬猫のウンコ。ひょっとしたら、石橋君の尿も入っていたんじゃないかと思う。
教室は学期末を目前にして変更。男子も女子も大パニック。犯人探しの噂は、特別進学クラスに嫉妬した一般クラスのやつだと決めつけられて進んだ。石橋君は何も語らず、ずっとニヤニヤしていた。
大阪駅の萌え絵ポスター、憲法解釈論では「問題なし」 平弁護士と考える「表現の自由」 - 弁護士ドットコムという記事にブクマが集まっているのだが、弁護士らしいよくできた詭弁だなと思った。
はてなーはいつから憲法の解釈で戦ってると思ってたの?と増田でも言っているが、他にもいろいろとおかしいところがある記事だと思った。
1. 大阪駅に掲示された麻雀ゲームのエロイラストは法的には問題ない
3. 国会議員には憲法尊重擁護義務があるので、広告などの表現への批判はするべきでない
記事はまず「今回の広告は「法的」に問題があるのか?」という記者(無記名なのでこの記者が誰なのかはわからない)の問いかけから始まるのだが、このような論点では誰も争っていない。確実に否定できる問いから始めて、自分の正しさを演出する典型的な詭弁術である。
裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan
市営地下鉄の列車内における商業宣伝放送は、業務放送の後に「次は○○前です。」又は「○○へお越しの方は次でお降りください。」という企業への降車駅案内を兼ね、一駅一回五秒を基準とする方式で行われ、一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではないなど原判示の事情の下においては、これを違法ということはできない。
記事は何度も「とらわれの聴衆」判決を引き合いに出して広告批判をするべきでないと主張するのだが、「とらわれの聴衆」判決で問題になったのは市営地下鉄の車内放送で「○○へお越しの方は次でお降りください」という広告を行うことである。駅の構内に性的なポスターを掲示することを同列に扱って議論をすることに意味があるのかは疑問だ。仮に市営地下鉄の車内放送で性的な広告が流れたとして、それについて裁判を行えば判決もまた違ったものになるのではないのだろうか。
ちなみに「とらわれの聴衆」判決は以下に引用するように商業宣伝が表現の自由の保障をうけるものであるかは明らかでないとしているのだが、記事はそれについてはふれていない。自説を展開するうえで都合が悪いからだろう。
およそ表現の自由が憲法上強い保障を受けるのは、受け手が多くの表現のうちから自由に特定の表現を選んで受けとることができ、また受けとりたくない表現を自己の意思で受けとることを拒むことのできる場を前提としていると考えられる(「思想表現の自由市場」といわれるのがそれである。)。したがつて、特定の表現のみが受け手に強制的に伝達されるところでは表現の自由の保障は典型的に機能するものではなく、その制約をうける範囲が大きいとされざるをえない。
本件商業宣伝放送が憲法上の表現の自由の保障をうけるものであるかどうかには問題があるが、これを経済的自由の行使とみるときはもとより、表現の自由の行使とみるとしても、右にみたように、一般の表現行為と異なる評価をうけると解される。もとより、このように解するからといつて、「とらわれの聞き手」への情報の伝達がプライバシーの利益に劣るものとして直ちに違法な侵害行為と判断されるものではない。しかし、このような聞き手の状況はプライバシーの利益との調整を考える場合に考慮される一つの要素となるというべきであり、本件の放送が一般の公共の場所においてプライバシーの侵害に当たらないとしても、それが本件のような「とらわれの聞き手」に対しては異なる評価をうけることもありうるのである。
記事はここまで一応は法律論にのっとって議論を展開してきたのだが、ここから内容は抽象的で曖昧なものになっていく。広告主に表現の自由があるのなら、国会議員にも表現の自由があるし、思想・両親の自由もある。広告を批判した内容についてではなく、批判したという事実そのものを非難するのは難癖としかいいようがない。記事で展開される論に従えば、国内の民間の活動は経済的自由はじめほぼすべてがなんらかの形で憲法によって保障されているのだから、国会議員は憲法尊重擁護義務のせいでいかなる民間の活動に対しても批判することはできないということになってしまうだろう。
記事は広告が法的に問題があるかというだれも気にしていない問題は取り上げるのだが、自主規制のあり方がどうあるべきかという本来の関心が集まっていた問題については驚くほど無関心である。
また、松井茂記教授(ブリティッシュ・コロンビア大学)は、ポルノによる性表現が女性の「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だということで問題にするのであれば、「女性」の場合だけに限定すべき理由が乏しいことから、「およそ人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現はすべて禁止されうることになろう」とし、さらに「おそらく戦争の犠牲者やテロ行為の犠牲者の写真や映像も、公表できないことになろう」と解説しています(松井茂記『インターネットの憲法学 新版』(岩波書店/2014年)169頁)。
このように、「ジェンダー構造を再生産する」とか「女性の人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だといった理由で、表現の自由を制限する方向の議論を展開することは、表現の自由が広く制限されすぎてしまうことにつながりかねず、問題でしょう。
記事はこのように主張するのだが、「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう」ような広告を鉄道の駅に掲示することは現在でも自主規制の対象になるだろうし、そのことについても社会的に広く異論はないはずである。性的な広告を鉄道駅に掲示することの是非は、その自主規制のラインをどこに引くべきであるのかという、より繊細な議論を必要とするのだが、記事はただ「規制は慎重であるべき」という何の役にも立たない一般論を述べているに過ぎない。
記事はわざとらしく「立憲」という言葉を繰り返し強調したり、以下のような文言をはさむなどしており、極めて強い党派性が感じられる。
なお、国会議員等が、与党の解釈改憲や検察庁法の改正問題を批判した際には、憲法学や法律学の通説あるいは多数説によるべきとしつつ、別の局面では少数説の立場に立つという態度は、結局のところ、憲法学や法律学の専門家の意見を尊重して判断をするというのではなく、自分たちの立場と意見が合致するのであれば、専門家を都合よく利用するといった態度である可能性が高いといわざるを得ないでしょう。
常に通説や多数説に従えというのはある種の見識なのかもしれないが、「とらわれの聴衆」判決から「広告表現は憲法で強く保障されている」という通常と真逆のメッセージを引き出す記事でそのように訴えられてもどう受け止めればいいのか困るというのが正直なところだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yuandundun/status/1570729561012436994
「学生運動」に括ってしまう事で、赤ヘルとゲバ棒をただの運動であるかのように言ってみたり
「学生運動」に高尚な思想があったからと、赤ヘルとゲバ棒への批判を嫉妬だとしてみたり
「右派テロ行為」がまるで市民に肯定されているかのように言ってみたり
SEALDsへの批判ってのは、選挙ギャルズへの批判と同列の物なんだけど、その批判も学生運動への批判だとしてみたり
あれらは「どうして解散するんですか?」が批判されるのと変わらんわけよ
ものすげぇ党派性が強いのに、それを隠して「若者の代表」みたいに活動するのは醜悪
違うだろう?
自分で「右派テロ行為」と同レベルまで貶めるって、それ批判派よりひどくねぇか?
国鉄の運動も、結局共産系に乗っ取られて市民の支持を失うわけですよ
JRとかは革マルを追放とか広報する位には、ずっぷりなわけですよ
学生運動もそうだけどそういう「活動家の先兵」とされてしまった結果が、日本で労組やストが忌避される空気感なのに
自分らは正義の執行をしたのに、愚かな国民が台無しにした、みたいな態度は、どうなの?
そういう総括が先だよね
70超えた爺さんがさ、口角泡を飛ばしながら「最近の若者は」ってやり始めるんだぜ?
勘弁してくれよってなるから
今のリベラル界隈では、これを「テロ」と呼ぶだけで、"統一教会"だの、"自民支持者"だのという非難を受けてしまう。
それだったら、立憲民主党と共産党がまっさきにこの事件を「テロ」と呼んだのは何だったの?
もし見解を変えたなら、それはそれでいいけど、私たち国民にむけて謝ってほしい。
安倍元総理が凶弾に倒れられ、命を落とされました。心からご冥福をお祈り申し上げますとともに、このようなテロ行為がわが国で発生したことは許されないことであり、断固として非難をしたいと思います。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2022/07/20220708-teronikougi.html
あと、はてブのサヨク達が立憲民主党・共産党には目をつぶって、こういう元増田に群がってきて叩いてるのは、どういうこと?
両党の見解をなぞるだけで「統一教会」「自民支持者」呼ばわりされるとすれば、それは私も理不尽に感じる……