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はてなキーワード: コナンとは

2023-08-03

大気中の酸素割合普段は21%なのだが、18%以下になると呼吸できなくなって死ぬ

18%あるから苦しいけど頑張って深呼吸すれば大丈夫でしょ?とはならない。

酸素二酸化炭素の交換ができなくなるので、頑張っても酸素を体に取り込むことができないのだ。

同じ理由二酸化炭素が5%以上あっても死ぬ酸素いくらあっても二酸化炭素排出できないと取り込めないのだ。

そうなのだ。らしいのだ。そうなのか?本当か?

じゃあコナンでやってた口移しで呼吸するやつは何なんだよ。

ノゲノラでやってたやつ循環呼吸ってなんだよ。

2023-08-01

anond:20230731190426

増田氏、「漫画アニメ」、エアプか?

在阪テレビ局アニメかなり制作しとるで。

最近やと、水星魔女MBSやし、そうそう、コナン君は読売テレビやな。

在阪テレビ局のおかげで見ることができてるアニメ結構いねんで。

2023-07-30

脚本も絵も音楽も良いのに演者の質が低い

アニメでいえばジブリ作品代表

ほかは素晴らしいのに演者の質だけが見劣りする作品ってなぜか「(演技以外の)全部が素晴らしいから名作」って評価が意外とある

ドラマでもなんでもそうだけど、本来俳優声優演技力って滅茶苦茶大事だし、何なら作品の根幹といってもいいくらいなんじゃない?

キャスティングの段階から重要だし、現場でも演技指導はする。そうしないと作品として成立しないなんてのは子供でも分かる

けれど、なぜか俳優声優の演技がイモなのに、他がよいからという理由で謎の高評価ってのはちょっと納得がいかない

もちろん俳優完璧である理由はないが、全く無知視聴者からしても「こいつは素人だな」という人がキャスティングされているのに、そこをあえて無視するのはどうなの?

そんなの俳優価値って低いの?棒読みキャラクターを全無視しているのを許容してまで評価できるものなの?

芸能人声優が嫌われるのは、そこに重点がおかれていない、ってことでもあるんだよ?

作品全体が「俳優声優なんて誰でもいいんじゃね?」っていう立ち位置なんだよ?ひどいと思うよ

もちろん、棒読みのド下手な人でも意味がある状況は存在する、と俺は思ってる

例えば本人出演とかね

コナン映画で実際のサッカー選手が本人役で出演したけど、それは本人だから意味があるし、酷い演技も笑ってやり過ごしてあげるのが吉だと思う

サッカーテーマならやはり実在サッカー選手が出た方が話題性もあるし、意外な一面が見れるからね(純粋コナンファンには不評だが)

あるいは、映画の中で歌手が演技しているという場合意味があると思うし、漫才映画実在の大物落語家を出演させるのもありだろう

ようは、その人がそこにいる理由が明確なら俺は許せる

けれど、無意味キャスティングやその人を起用するために無理やり作ったキャラクターとかはいらないし、その人たちの棒演技で作品台無しにされたら目も当てられない

なんていうか、俳優なんて誰でもいいじゃんって気持ちで作られた作品なんて、どんなに脚本がよくても程度は低いんだよな

2023-07-29

正直コナンくんのこと羨ましいと思う

俺もパワハラしまくりたい

2023-07-28

anond:20230728125143

コナン君「あれーあれー?おかしいぞ。なんでここだけ街路樹が無いのぉ?」

2023-07-26

anond:20230725215629

コナン金田一のせいで「ミステリと言えば密室殺人」という誤った考えが広まってしまっているのはつまらんことだと思う。

その風潮に踊らされてやりたがる新人が多いのも嘆かわしい。

ミステリもっとずっと自由だし、探偵役の立場捜査方針も沢山あるのに、「どうやって密室に見せかけたのか」に固執してばかりじゃ作家性の出し方が分からなくなっちゃうよ。

2023-07-25

逆に聞くが「おもしろミステリ」って何?

https://anond.hatelabo.jp/20230725215629

これ書いてる増田ミステリ全然読まないのね。で、知人から「まずは『十角館の殺人』とか『殺戮に至る病』読め」って言われて読んだのよ。

正直言うがこの2つ面白いか? キャラクター観が激古くて読むに堪えないって感想がかなりでかい

もちろん、大ネタトリックはそこそこ驚いたので悪くはなかった。でもそれにしたって描写がかなり厳しいと思っちゃったんだよ。

まあ本音を言えばタイトルアオリよ。自分がどうやら小説を読むときキャラクター描写ストーリー偏重しすぎるきらいがあるので、例にあげた2つのおもしろさがわからないのは当たり前というか、どちらもそういうのを狙ってる作品じゃないよね。だからおもしろく思えないのは単にnot for meってのはわかる。

でもなお思っちゃうのはさ、世間的になんであんなにこの2作品が褒められてるのかが逆にわかんなかったんだよ。

で、逆張りでもなんでもなく知りたいのよ。ミステリファン的に

この辺でアドバイスあったら教えてくれないか? 世間的に褒められてる作品理解できないの、多分自分のレセプターが歪んでる可能性があるのでラーニングしたいんすよ。でもミステリに関する知識マジでいからとっかかりがなくてすごく困ってる。

追記

めっちゃコメントきてるありがとう!めちゃくちゃたくさん反応もらって追いきれてないけどすげえ助かる!整理するんで少し待ってくれ!

追記2

いきなり訂正なんだけど俺めっちゃミステリ読んでたわ! みんなが挙げてくれてた作品だとこんな感じだわ!

でも上に挙げた奴あんまりミステリミステリって気持ちで読んでなかったわ!

最初書かなかった事情を書くとさ、こないだたまたま見かけたおすすめミステリ100冊みたいな文章の冒頭に「『十角館の殺人』読んでないならまず読め。こんな文章読んでる場合じゃないんよ」って書かれてたから『十角館の殺人』読んだらピンと来なくて困ってたんだよ。「ミステリとは一体なんなんだ……?」みたいな気持ちですよ。でも全然読んでた! ごめん! 俺が間違ってた!

これはみんなが色々教えてくれて少しわかったと思う。そもそも本格ミステリ」と「新本格ミステリ」というジャンルの間に「社会派ミステリ」ってのがあったんだな。その反動新本格が出てきた。なんか「『本格って単語がついてるミステリ』がわからないならミステリのことがわかってない」みたいな気持ちになってたけどそんなことなかったんだな……。

十角館の殺人とかも、描写がちょい厳しいなってのも時代的なこと考えたら理解はできる。こないだヤマシタトモコの古い作品読んだら「ホモ」って言葉連呼されまくってて「マジで?」ってなったの思い出した。10年程度で感覚全然かわるし30年あれば言わずもがななんだよな。

いやさ「本格ミステリ」とか言われてる作品がピンとこなかったらちょいビビっちゃったんですよ。だって「本格」がわかんないなら「ミステリ」って何? って感じじゃん? でもあんまり気にしなくてよさそうだな。いろいろなミステリがあっていい! そういうことか!

自分が好きなSFとかが「SFとは認めん!」みたいなこと言ってる作家多かった経験からすげえジャンルに対して身構えていたんだけど、当たり前だがいろいろな楽しみ方があるんだな……。ありがとう。そこマジでわかってなかった。ミステリファンは全員「本格ミステリわからんやつはミステリことなんもわかってない」くらいに白眼視されると思ってた(冗談じゃなく本気で思ってた)。これは俺の偏見だったわ。本当にすまん。

どうやら世間的には日常ミステリとかキャラが経ってる新本格とかたくさんあるっぽい。みんなが面白いって言ってくれた作品追っかけてみる。ありがとう!!!

とりあえずみんなが言及してくれたレコメンド列挙した。

多いわ!!!

lady_joker 100文字では書けないのでこっちに書いた。推敲していないので、チビを迎えに行ってから直すかも https://anond.hatelabo.jp/20230726161801

fushigishiatsu 増田友達になりたい、という文章を書きました。https://twitter.com/3216/status/1684044848628916224

フレンド!!!

あと面白かったのがこの方のブコメ

bokmal 子供の頃親の本棚エラリー・クイーンを読んだらおもしろすぎて、小遣いで古本買い集めたけど、大人になってから読むと「おもしろいけどそこまでか…?」てなった。子供ゲームブックと小説区別しないしなー。

気のせいじゃなければエラリークイーン挙げたのこの方だけ?

anond:20230725141642

ジリリリリリリリリッ!!」

(ッ!?

??「待って!コナンくーん!」

ビッグモーターの自社の問題解決に対しての貪欲さは見習いたいよな

普通さ、

街路樹があるから反対車線走ってる車からうちの看板見えへんなぁ、もったいない

で終わっちゃうじゃん。

 

でもビッグモーター普通街路樹枯らすじゃん。

せや!街路樹枯らしたら看板よく見えるで!ってそもそも思わんやろ。

もう古畑任三郎キムタクや、コナン映画犯人の発想じゃん。

観覧車のせいで景色悪くなったから爆破したろwwwwっていう。

 

どんな会社でも「ここ不便じゃないですか?」「そうなんだよ、不便なんだよねぇ」みたいな会話があるじゃん

いや、わかってるんならなんとかせんかいっていうさ。

それを「やれる」企業なのがビッグモーターなんだよな。

から業界大手だし、業界大手からこそこんなことがあってもつぶせない可能性が高い。

2023-07-23

映画ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE

面白かった

ワイスピとコナン思い出した

黄色い車のシーン、

「トムたそ、萌え〜」ったなった

アジア人の女の人のキャラ、良ッ

 装甲車シーン、良ッ

・続編あるって知ってたけど切りよく終わってくれたのでスッキリして劇場でられた

anond:20230723014826

赤安と新蘭は競合しないから新蘭好きな赤安の人多いよね

年齢層高くて初期のコナンリアタイ視聴してた人もけっこういるから完全な嘘で持ち上げてるわけじゃなくて思い出補正も本当にあるし

でもコ受けは新蘭潰しのためにコ哀兼ねてる人も多くて

コ受け古参まとめサイト民と一緒になって蘭を暴力角女呼ばわりしたり蘭が逮捕されたり死んだりするような嫌われ創作を回し読みするのが当たり前の期間を長く過ごした

増田もそれを経て赤安に来てしまったのでメインヒロインの蘭を丁重に扱おうっていう空気が合わなかった

あとガチガチにカプ固定の風潮があって安コや赤コへの当たりも強いし

そういうことなんじゃないの

コ哀が好きって時点で蘭ヘイトはほぼ避けられないから「民度悪っ」って思ってるのはお互い様だと思う

anond:20230723014826

いつからマトモな民度だと思ってたんだよ。漆黒以降のコナンなんか原作も読まない連中の巣窟で極悪民度だって腐女子なら全員知ってるだろ。

古の腐女子である私が赤安をかかなくなった理由


端的に言えば民度が下がったかです


私は所謂、古のオタクであり古の腐女子

オタクは世を忍び、腐女子は隠れるべきという時代にそれらと触れ合った世代です。

幕張メッセの件やらポケモン同人誌事件2ch(現5ch)の電車男ニコニコ動画ボカロ歌ってみた踊ってみた

思春期オタク文化の過渡期と共に過ごした私は、原作絶対であり正義であると考えています

ただ、原作原作として、自分の好みの話の展開、好きなキャラを贔屓したいという想いがあるのは当然だとも考えています


乱暴に言えば、カレーレシピジャガイモ入れろって書いてあるけど、私は入れない方が好きって言うだけの話。

それぞれ好みがあって当然だけど、この人のレシピはこれを入れる。でも、私はそれが好きじゃないから入れない。あるいはこれの方が好きだから、こっちを入れる、みたいな。

そもそも考察二次創作は違うのですよ。

考察とは、なぜカレージャガイモを入れるのかを考えること。

二次創作は、与えられたレシピを見て、自分好みに変えること。

その辺のことを理解できていない人たちが、このレシピならジャガイモを入れるはず!とか、なんでこんなもの入れてるんだ、レシピにないだろう!って切れたりしている。

二次創作二次創作だと理解できない層は、ジャンル人口増加とともに増えていき、統率が取れなくなるとジャンルの衰退を生む。

このことに身に覚えのあるオタクたちもいると思う。

件の赤安も、同様の過程の末に衰退期に入ってしまったように思う。


大きな分岐点だったのは、今年(2023)の映画だったと思う。

コナンと灰原の人工呼吸シーン及び蘭と灰原のキスシーン。

コ哀の民は狂喜乱舞、新蘭の民は怒髪衝天。

ここでよくなかったのは、コ哀の民が一般的映画レビューサイトで、コ哀が公式かのように発言してしまった事だ。

コナンでは新蘭、コ←哀が公式で、決して二人はくっつくことはない。だからこそ、コ哀の民は今回の映画が嬉しかったのは分かる。だけど、所謂オタク構文がまかり通らない公共の場所でコ哀の発言はよくなかった。twitterやmastdonなどで発言するべきだったね。


じゃあ、コ哀だけが悪いのかというと、そうでもないというのが私の見解だ。

公共の場バカ騒ぎをする層は、どんなジャンル、どんな分野、どこにだって一定数いる。

バカ騒ぎをしている人を諫めることはあっても、ただ好きなだけの人を探し出して攻撃するのはバカ騒ぎしている人と同じだ。


正直、拳の時の新蘭の狂い方だってハタから見たらあたおかです。

蘭はそんなことしないとか、こんなの蘭じゃないとか。

自分の口に合わなかった、好みじゃなかった。ただそれだけでしょ。


新蘭とコ哀が民族争いをしているだけだったら、私は筆を折らなかったと思う。でも、新蘭の民は赤安の民も兼任している人が多かったのが決め手だった。

そういう人の多くは、新蘭と赤安の類似性を語っていた。イニシャルが同じだとか、属性が同じだとか。

それだけなら私も「確かに~!」と同調できたけど、赤安を公式扱いし、コ哀を非公式、ありえないと否定していたことが気持ち悪かった。

だって、赤安も公式じゃないじゃん。赤井が降谷に、あるいは降谷が赤井恋愛感情を持っていると明確に分かる表現ってありましたか? 匂わせすらないですよね?

腐女子は無から有を生み出してカップリングを作るので、あったと言ってもそれをもっと客観視してもらいたい。公式でも何でもない、ありもしないカップリング公式扱いしている姿は、赤安もコ哀も変わらない。目くそ鼻くそも大概にしてほしい。

ジャンルの衰退を招いていることを、はっきりと認識してもらいたい。


アニメ作画崩壊制作側の落ち度が大きいので何も言わないが、原作の展開への文句映画への批判をしながら赤安への愛を語っている人を見ると、本当に辟易する。

作者はあなたのために話を書いているわけじゃないし、小学館企業なので利益を出さなければならない。

プロモーションなどに関してもそうだ。自分が読者層から、あるいはマーケティングターゲットから外れたことを自覚してもらいたい。


それでも赤安が好き、新蘭が好きなら、自分だけの、あるいは感覚が近しい人たちとの世界で楽しめばいい。なぜ態々、攻撃する相手を探して回るのか。そんなの、ただのDQNじゃないか

私はそんな人たちと一緒にいたくない。そんな人たちと同じだなんて、思われたくない。だって、いつ自分攻撃が飛んでくるかわかったもんじゃない。


私はそこそこ古い腐女子なので、Kコが流行った時も腐女子をしていた。

当時にもそういった過激思想を持った人がいたけど、情報発信するツールが圧倒的に少なく、被害があまり大きくはなかった。

時代が変わり、オタク社会のメイン層になり、情報発信多角的で、安易なこの世界で、私の考えは古いのだろう。それでも自分が愛した物の正当性を広めるために他者を傷つけ陥れるのは、反社と何が違うのだろうか。


私は今でも原作コナンが好きだし、赤安が好きだ。新蘭も好きだけどコ哀も好きだし、京園や平和はもちろん、Kコや平コ(新)も嗜むし、何だったらコ(新)平が好きまであるジンバボだってバボベルだってジンベルだって、降志保どころか哀歩哀も大好きだ。

から同人誌だって出した。でも、もう二度と出さない。

こんな民度の低い、ヤクザにも劣るような人たちの同族だと思われたくない。だから私は赤安を書かなくなった。

ただそれだけの話。

古の腐女子である私が赤安をかかなくなった理由


端的に言えば民度が下がったかです


私は所謂、古のオタクであり古の腐女子

オタクは世を忍び、腐女子は隠れるべきという時代にそれらと触れ合った世代です。

幕張メッセの件やらポケモン同人誌事件2ch(現5ch)の電車男ニコニコ動画ボカロ歌ってみた踊ってみた

思春期オタク文化の過渡期と共に過ごした私は、原作絶対であり正義であると考えています

ただ、原作原作として、自分の好みの話の展開、好きなキャラを贔屓したいという想いがあるのは当然だとも考えています


乱暴に言えば、カレーレシピジャガイモ入れろって書いてあるけど、私は入れない方が好きって言うだけの話。

それぞれ好みがあって当然だけど、この人のレシピはこれを入れる。でも、私はそれが好きじゃないから入れない。あるいはこれの方が好きだから、こっちを入れる、みたいな。

そもそも考察二次創作は違うのですよ。

考察とは、なぜカレージャガイモを入れるのかを考えること。

二次創作は、与えられたレシピを見て、自分好みに変えること。

その辺のことを理解できていない人たちが、このレシピならジャガイモを入れるはず!とか、なんでこんなもの入れてるんだ、レシピにないだろう!って切れたりしている。

二次創作二次創作だと理解できない層は、ジャンル人口増加とともに増えていき、統率が取れなくなるとジャンルの衰退を生む。

このことに身に覚えのあるオタクたちもいると思う。

件の赤安も、同様の過程の末に衰退期に入ってしまったように思う。


大きな分岐点だったのは、今年(2023)の映画だったと思う。

コナンと灰原の人工呼吸シーン及び蘭と灰原のキスシーン。

コ哀の民は狂喜乱舞、新蘭の民は怒髪衝天。

ここでよくなかったのは、コ哀の民が一般的映画レビューサイトで、コ哀が公式かのように発言してしまった事だ。

コナンでは新蘭、コ←哀が公式で、決して二人はくっつくことはない。だからこそ、コ哀の民は今回の映画が嬉しかったのは分かる。だけど、所謂オタク構文がまかり通らない公共の場所でコ哀の発言はよくなかった。twitterやmastdonなどで発言するべきだったね。


じゃあ、コ哀だけが悪いのかというと、そうでもないというのが私の見解だ。

公共の場バカ騒ぎをする層は、どんなジャンル、どんな分野、どこにだって一定数いる。

バカ騒ぎをしている人を諫めることはあっても、ただ好きなだけの人を探し出して攻撃するのはバカ騒ぎしている人と同じだ。


正直、拳の時の新蘭の狂い方だってハタから見たらあたおかです。

蘭はそんなことしないとか、こんなの蘭じゃないとか。

自分の口に合わなかった、好みじゃなかった。ただそれだけでしょ。


新蘭とコ哀が民族争いをしているだけだったら、私は筆を折らなかったと思う。でも、新蘭の民は赤安の民も兼任している人が多かったのが決め手だった。

そういう人の多くは、新蘭と赤安の類似性を語っていた。イニシャルが同じだとか、属性が同じだとか。

それだけなら私も「確かに~!」と同調できたけど、赤安を公式扱いし、コ哀を非公式、ありえないと否定していたことが気持ち悪かった。

だって、赤安も非公式じゃないじゃん。赤井が降谷に、あるいは降谷が赤井恋愛感情を持っていると明確に分かる表現ってありましたか? 匂わせすらないですよね?

腐女子は無から有を生み出してカップリングを作るので、あったと言ってもそれをもっと客観視してもらいたい。公式でも何でもない、ありもしないカップリング公式扱いしている姿は、赤安もコ哀も変わらない。目くそ鼻くそも大概にしてほしい。

ジャンルの衰退を招いていることを、はっきりと認識してもらいたい。


アニメ作画崩壊制作側の落ち度が大きいので何も言わないが、原作の展開への文句映画への批判をしながら赤安への愛を語っている人を見ると、本当に辟易する。

作者はあなたのために話を書いているわけじゃないし、小学館企業なので利益を出さなければならない。

プロモーションなどに関してもそうだ。自分が読者層から、あるいはマーケティングターゲットから外れたことを自覚してもらいたい。


それでも赤安が好き、新蘭が好きなら、自分だけの、あるいは感覚が近しい人たちとの世界で楽しめばいい。なぜ態々、攻撃する相手を探して回るのか。そんなの、ただのDQNじゃないか

私はそんな人たちと一緒にいたくない。そんな人たちと同じだなんて、思われたくない。だって、いつ自分攻撃が飛んでくるかわかったもんじゃない。


私はそこそこ古い腐女子なので、Kコが流行った時も腐女子をしていた。

当時にもそういった過激思想を持った人がいたけど、情報発信するツールが圧倒的に少なく、被害があまり大きくはなかった。

時代が変わり、オタク社会のメイン層になり、情報発信多角的で、安易なこの世界で、私の考えは古いのだろう。それでも自分が愛した物の正当性を広めるために他者を傷つけ陥れるのは、反社と何が違うのだろうか。


私は今でも原作コナンが好きだし、赤安が好きだ。新蘭も好きだけどコ哀も好きだし、京園や平和はもちろん、Kコや平コ(新)も嗜むし、何だったらコ(新)平が好きまであるジンバボだってバボベルだってジンベルだって、降志保どころか哀歩哀も大好きだ。

から同人誌だって出した。でも、もう二度と出さない。

こんな民度の低い、ヤクザにも劣るような人たちの同族だと思われたくない。だから私は赤安を書かなくなった。

ただそれだけの話。

2023-07-19

レジ袋を仕事中に三角に畳んでたら注意された

時間にして1分も無いけど「休憩時間にしなさい」だって

かに仕事してなさそうに見えたかもしれないけど、頭の中では仕事の事を考えてた

喫煙所に行ってウマ娘の話してるあんたより全然仕事に集中してる

コナンサッカーボール蹴りながら推理すると頭が冴えるって言ってるじゃん

そんな感じ

2023-07-16

anond:20230716143745

初見では気づかなかったが、あの本を読んで涙を流した前後で明らかに性格が変わったのは間違いない

後半は未来少年コナンかのようにパワフルだった

まあコナンなら崩れ落ちる足場にしがみついてギリギリで登るところを、最後まできっちりインコ大王に足場を落とさせて

崩れた木の破片の下敷きになったままじっとしてたのはちょっとわらったけど

セルフオマージュしつつも絶対過去と同じことはしないという強い意志を感じるシーン

君たちはどう生きるか感想(後半ちょいネタバレ

公開数ヶ月前になってタイ人に関するなんやかやの報道でどうでもいい悪印象を与えてくれた鈴木Pでしたが、「宣伝を全くしない」という前代未聞のプロモーション戦略のおかげで、「宮崎駿の新作を全く前情報のない状態で見る」という稀有経験を与えてくれたことに感謝します。

これは実に小学生の頃「両親に連れられて『火垂るの墓』を見に行ったら突然なんか知らないアニメ始まった」以来の驚愕経験であり、その後のジブリアニメ国民アニメとなっていき毎回公開前に怒涛のプロモーションが行われていった経緯と、その時に見た「となりのトトロ」が私の生涯において不動のベストアニメであることを考えると、奇跡のような経験であるといえます

 

ただ、正直あまり期待はしていませんでした。というより期待しないように努めていました。私のジブリへの信頼感のピークは「もののけ姫」とコミック版「ナウシカ」であり、今ではアカデミー賞に相応しい最高のアニメである評価している「千と千尋」も終わった直後は頭の中「???」でしたし、ハウルでは「??????」、ポニョでは「????????????」となっていきました。

ゲド戦記アリエッティは私の生涯のワーストアニメベスト1&2です。

風立ちぬ」「かぐや姫の物語」も、「?」は浮かばなかったものの「ピークを過ぎた老境の作家の遺作としては十分以上の出来だろう」というような妥協した評価に落ち着きました。

 

この作品制作発表された時にまず思ったことは「本当に完成するのか?」という心配でしたが、鈴木Pの斬新なプロモーション戦略により完成するまでその心配を思い出すこともありませんでした。ポスターが発表されてからもほぼ忘れていたのですが、「プロモーションをしない」という鈴木Pの方針話題になってから俄に気になり始め、上記トトロ以来の経験をする決意をしたというわけです。

 

私と同じ体験をしたい人は絶対にこの連休中に観に行くでしょう。連休中に観に行く予定の人はこの先を読まないでください。

 

行かなかった人はその後普通にどのような作品だったか情報を目にすることになるでしょうし、少々のネタバレを食らったところで気にもしないでしょうから、ここから私の感想を書いていきますストーリーの核心をネタバレするつもりはありませんが前提となる設定などは普通にバラしていきます

 

 

 

 

 

面白い

 

カリオストロ」「ラピュタ」のような痛快冒険活劇ではありません。「ナウシカ」のような設定をしっかり作り込んだ異世界ファンタジーでもありません。しかし、見ている最中最高傑作」という言葉が何度も浮かんだのは確かです。「トトロ」や「千と千尋」を上回るか?と言われると、難解で観念的すぎる部分はありますが、明らかに上回っている部分もあるので、評価を決めるにはまだ何度も見る必要があります。というかすぐにでももう一度見たいです。

 

◆この作品を見るべきか否か?

 

文字通り宮崎駿集大成なので、ジブリ映画で育った人間なら見に行かないという選択肢はありえないでしょう。ハウル以降は見なくてもいいと思いますがこの作品を見ずに日本アニメのことを語ることは不可能です。というか、確実に「トトロ」や「魔女宅」などと同じように日本人のDNAに深く刻まれ作品になるでしょう。

 

◆良かった点

 

文字通り集大成なので過去宮崎アニメの要素が全て入っている

 

風立ちぬトトロ千と千尋ハウルポニョコナンカリオストロラピュタ

と怒涛のようにどこかで見たような風景、展開が続きます二番煎じではありません。

本人にしかできないセルフオマージュであり、過去作を踏まえた上で、それが国民記憶として共有されているからこそできる唯一無二の表現です。

そして、あらゆる影響を生み出してきたオリジネイターにしかできない圧倒的イマジネーションがあります

 

宮崎駿自身実存が感じられる

 

主人公モデル少年時代宮崎駿自身であり、半分自伝的な物語になっているが故に、少女主人公とした「千と千尋」などより真に迫ってくる情感があります

何より宮崎駿インタビューで度々口にしていた母親に関する憧憬が、作品として昇華されているところが素晴らしいです。

 

ストーリーが練り込まれている

 

コンテを描きながら公開日を決め、締切に追われながら作られた過去作品は、若い頃は力技で最後まで渾身の力で作りきっていましたが、近年の作品においては終盤明らかに息切れが感じられました。今回は明らかに時間をかけてストーリーが練り込まれており、「ハウル」や「ポニョ」で顕著だった「えっこれで終わり????」という感覚は一切ありません。

既存ストーリー構成の枠にはまらない」という手法は「千と千尋」の方法論を踏襲しているので唐突な展開の連続に難解さを感じる人もいると思いますが、終わってみれば一本筋の通ったストーリーになっており、深く考察する価値がありそうです。

千と千尋」で確立した「ゆきて帰りし物語」のフォーマットを発展させ、導入はよりゆっくり自然に、異世界に入ってからはよりぶっ飛んだ展開の連続で飽きさせません。結末も「これしかない」という納得感のあるものになっています

 

・泣ける

火垂るの墓」以外のジブリ映画で泣いたことはあまりないですが、様々な要因からくる深い感動で終盤は涙が止まりませんでした。米津玄師主題歌がその感動に拍車をかけてきます。ズルいと思うぐらい良いです。

 

◆悪かった点

・なんか説教くさそう

 

説教くさそうなのはタイトルだけです。少年時代宮崎駿が「君たちはどう生きるか」を読んで感銘を受けた、という以上のことは原作との関連は読み取れませんでした。原作を読み返し、何度も見て考察したい点です。

2023-07-15

君たちはどう生きるかストーリー理解できない人に解説する

そもそもこの作品は「メタファー型半ノンフィクション

まずここを理解しているかどうかが大事

「そういう部分もある」では駄目。

これはほぼ100%がそうであるタイプであり、それ以外の部分は繋ぎしかないと思っていい。

作中に説明不足に見える用語が沢山あるけど、それらは作品の外から持ってくる必要がある。

たとえば戦争映画でわざわざ「日本アメリカ戦争をしています日本最後に負けます」と解説しないのと同じで、作品から情報を補わせることで作品テンポを良くしたり仄めかすことでより感情を揺さぶろうとしてる。

困ったときはケツからデータを舐めろ

まずは作品ラストから遡っていき重要用語現実に当てはめて整理していく。

崩壊する塔→宮崎駿が消えた後のジブリ

叔父ジブリの長としての宮崎駿

力を持った石→ジブリという看板

13個目の積み木→宮崎駿長編監督作品ルパン2作とコナン1作を含む)13作目が君たちはどう生きるか

血を継ぐものへの継承宮崎吾朗(アーヤと魔女を見れば分かる通り、継承は失敗している)

インコの王→米林宏昌(それっぽい真似っ子は出来るが……を越えられず、ついには独立してメアリと魔女の花を作っている)

インコジブリアニメーター(塔(ジブリ)の庇護下にあるときは強いのだが、外に羽ばたいて見せると途端に魔法が解けて拾ってきたときのか弱い生き物に戻ってしまう。インコは結局真似っ子しか出来ねえかんね)

産屋→新世代の後継者を生み出す儀式(失敗に終わる)

塔の外の世界視聴者達の世界

下の世界アニメ業界世界

下の世界の死人→アニメーター以外のスタッフ自分たちでは何も生み出せず、いざ作品が形になると群がってくる)

ワラワラ未来の太客(面白い作品を見せて育てることで将来的に太い客になってくれる)

ペリカン→客を食い物にしようとするアニメ関係者(せっかく育てた客を食っていく。傷ついた客がアニメに愛想を尽かすすことも)

若い頃のばあや→古の凄腕アニメーターの現役時代

コレを学ぶものは死す→アニメ業界の門を叩くもの死ぬ

アオサギ鈴木敏夫

主人公は誰なのか

これがマジで難しい。

アニメーターとしての宮崎駿だと考えることも出来るし、宮崎吾朗成長物語だったのかも知れないし、鑑賞者の分身だったのかも知れない。

そういった全てが重なり合った存在であったと解釈するのが自然ではあるのだが……。

たとえば自傷行為心配されているのは宮崎駿引退するする詐欺で周りを振り回したときの様子にそっくり

とあるごとに鈴木敏夫に振り回されているのは宮崎駿もそうだけど鑑賞者側も同じなわけで。

二人の母親について

今作のヒロインは2人の母親である

主人公最初、本当の母親との再開を求めて塔に向かうが、途中から新しい母親を連れ戻すための冒険も同時に進行していく。

塔の中では幼少期の本当の母親と再開し、最後に別れを告げることになる。

また、新しい母親のことを最初他人行儀に読んでいたのが、夏子母さんと母であることを認めることで取り戻すことに成功する。

結果として、どちらもが本当の母であると言わんばかりの終わり方となる。

これは宮崎アニメにおいて「ヒロインをどのようなキャラクターとして造形するか」についての葛藤を描いているのではないか

ハッキリ言えば、「ロリコン趣味を疑われながらも少女主人公とするべきか、そうではないヒロインを描くべきか、それらは物語世間が求めるヒロイン像により時には重なり合い時には反発する」という話をしたかったのだと思う。

歪な時間軸の中で幼少期の母に出会いヒロインとして共に冒険しながら、もう1人の大人ヒロインを救出に行くという混沌とした物語構成が、常にその葛藤に晒されてきた宮崎駿の複雑な心情を描いているのである

材料は揃ったか作品時系列順にまとめてみよう。

  1. 下の世界において古より漁業アニメ制作)が行われていた。
  2. そこでは死人(非アニメータースタッフ)が若かりし頃のばあや(古のアニメーター)が釣り上げた大魚(名作アニメ)を売りさばきワラワラ未来視聴者)が育っていた。
  3. あるときその世界に繋がる巨大な塔(ジブリ)が誕生する。
  4. 叔父宮崎駿)が塔の主になる。
  5. 塔の中では大叔父が石(長編映画)を積み上げていく。
  6. 塔の中では大叔父が拾ってきたインコジブリアニメーター)が少しずつ力をつけていく。
  7. 主人公(観客・宮崎駿宮崎吾朗等のメタファー)がアオサギ鈴木敏夫)に唆されて塔にやってくる。
  8. 塔の中で主人公は本当の母親宮崎アニメロリヒロインメタファー)に出会
  9. インコジブリアニメーター)に脅かされながらも産屋(継承儀式)へと辿り着く
  10. 新しい母親世間から押し付けられたヒロイン像のメタファー)を受け入れることを選ぶ
  11. 出産(新たなるジブリ監督の選出)が妨害されたと石(ジブリ看板)が苛立つ
  12. 積み上げてきた積み木(宮崎駿監督作品)のバランスは既に危ういことを大叔父は悟る
  13. 13個の石(宮崎長編監督作品と同じ数)を新たにバランスよく積み上げることを血の繋がったもの宮崎吾朗)に求めるも拒絶される
  14. インコの王(米林宏昌)は本当の母親ロリヒロインメタファー)を奪いとったり石を適当にズバズバ積み上げたりして継承者になろうとするも上手く行かずにキレる(ジブリから独立
  15. 塔(ジブリ)は崩壊を始めインコジブリアニメーター)達は巣立っていく
  16. お前まだジブリなんて会社があったことを覚えているのかい。でもいずれ忘れちまうんだろうな。


いかがでしたか

こうして纏めてみると結構スッキリした話なんじゃね?(むしろドロドロって気もするけどな(笑)

宮崎駿の目から見たジブリ物語を描いてますよって感じなのでは。

君たちはどう生きるか」というタイトルはこの状況に対しての語りかけで、どこに向けてそれを言ってるのかで意味は変わるんだと思う。

ジブリ関係が深い人に対しては「俺が引退した後好き放題するんだろうけど、何をする気?」みたいな感じだろうし、インコに対しては「真似る相手がいなくなったらお前らもう本当に何も無くなるんじゃね?」とかなんかな。

でもインコの話について観客に対しても「お前らもインコになってねえか?」って圧かけてきててもおかしくないんだよなーこのお爺ちゃん職人気質かいパワハラって読むような所あるからさー正論で人を追い詰めるマチズモなんだよなー。

しょーじきここまでメタファーまみれだと「風斬りの7番」とかも分かる人には分かる要素なのかもね(鈴木敏夫の弱点って聞くと咄嗟とある女性が思い浮かんだりしちゃうが、アオサギ鈴木敏夫じゃなくて高畑勲って解釈もできるし焦っちゃ駄目ね。高畑勲場合柳川堀割物語かな。まあ人間なんかしら人生に汚点はあるからこじつけようと思えばいくらでも出来ちゃうね)。

蛇足 結局この映画どう楽しむの? についての私の考え

アオサギ適当人物に当てはめて「宮崎駿が「お前とは色々あったけど本当に友達だったと思ってるぞ」と言ってるんだ―尊い(T_T)」って適当に感動しときゃええんちゃう

作画スゲーだけで終わらせるのも吉。

ジブリは滅びますぞ―のセンチメンタルのものについて鑑賞者まで深く考えんくていいと思う。

マザコンなのかロリコンなのかハッキリしろって突っ込むとか、宮 崎 吾 朗 wwwwwみたいにヤジを飛ばすとかは見終わってからまでわざわざせんでええのかもなと。

やっぱ全体としてストーリーラインが雑というか、もののけ姫とかに比べて不自然さは凄いし、ストーリーだけを楽しもうとするのは厳しいね

マクガフィン母親であることのパワーを過信しすぎて「え?そこまでする?」になってるのがあまりよろしくないのよねー。

メタファー込みで考えると上手い具合に物語に落とし込んだなって感心はするけど、そんなの見せられても困るんですよお爺ちゃんって感じよ。

悪い意味細田守チックなことされちゃったなーって。

2023-07-13

アマプラ名探偵コナン ゼロの執行人

明日コナン映画見放題終わりだから見た

安室ってキャラ人気だしなんで印象に残ってなかったんだろと思って見てたら「警察組織下りが難しくて萌える余裕がなかったからというのを思い出した

2023-07-11

anond:20230711232026

どっかに作者の説明があったけど、あれは「間」らしいよ。別に、伸ばす記号とかじゃないらしいよ。コナンの「...」みたいなもんやろ。

2023-07-09

anond:20230709172552

まあすごく年取っても漫画描き続けてる人って悪く言えば逆コナンなこともあるかもしれないから、子供目線=作家精神年齢一致として等身大コメントと捉えてもあながち間違ってないことも結構あるかもしれん

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