はてなキーワード: カーペットとは
たとえば金曜日の夜にうちに来ると、そのまま日曜の夕方までずーーっといる。
金曜夜、土曜朝、土曜昼、日曜朝、日曜昼と(土曜夜は外食として)
それなりのご飯を5回も作るのがしんどすぎる。
台所が狭いので彼に手伝ってもらうのは難しい。
常に気を遣っていて緊張感が張り詰めている。
カーペットにコロコロをかけたいけど「お前のせいで床が汚れるんだが?」みたいなニュアンスにならないようにするにはどうしたらいいか、とか
何より、彼を性的に刺激してしまわないように常に座り方や話題に気をつけている。
彼はちょっとしたことで急に欲情して、触ったり押し付けたり、急に性的な行為をしてくることが頻繁にある。
痴漢と何が違うのか…
お風呂に入ると、ろくにバスタオルで拭かないまま全身ビチャビチャのまま居室に入ってくる彼。
お願いだから早く帰ってほしい…
そして、48時間我慢していた感情が崩壊して、涙が止まらなくなる。
結婚の話が出たらどうしよう。
仕事から帰ると、子供が散らかした部屋と食卓。これは仕方ない。
食器は使いっぱなし。これをまず流しに持っていき水につけ、ささっと余った夕飯を食べる。
調理に使った野菜、調味料、調理器具なんかはほぼ全て出しっ放しなので、これを片付ける。
昨日から干しっぱなしの洗濯を取り込み、畳み、新たに洗濯を干す。
翌朝、自転車で2人の子供を別々の保育園に連れていってから仕事へ。
この繰り返し。妻は子供と一緒に寝ちゃうことがほとんどなので、通常21時過ぎには寝ている。
土日はほどほど家事分担できるけど、「布団を干す」「シーツを洗う」「床を拭き掃除する」などの
土日にしか出来ない家事を妻は絶対にやらないので、全て自分が対応する。
生協の仕組みって、一度注文確定したら、変更かキャンセルしない限りずっと同じものが届くのだけど、
変更・キャンセル処理をすぐ忘れてしまう上、なぜか注文した食材を使わないので、冷凍の鶏肉が4キロ、
ちょっと耐えきれなくなって、せめて出したものはしまう、使った食器は水につける、くらいは徹底して
ほしいと懇願したところ、「食洗機を買うのはどうか」「お金出してアウトソースするのはどうか」という。
「私もそんなこと言われて辛い」と言う。
とりあえず、「出したものはしまう」「洗ったものを水につける」を徹底するように握った。
ただ、やっぱりそれは実践されず、今日牛乳を注ごうとしたら、ドロリとした液体が出てきた。
わかる。。。
なんか以前より住みにくい。
昔感じていた東京の包容力とかはなくなって、ただただ正しいこととか、
手段を問わないような強さが幅を利かせている感じとか、、、、
増田の言う通り、生活に便利な店は近くにないのに駐車場もない。
出かけるのがおっくうというのもわかる。
新生活で必要な衣装ケースやらカーペットやらの持ち運びも一苦労。
ちょっとした良いものなんかも、適正価格に是正されてきて高価。
千と千尋に出てくる神様用の食べ物のようにすごく美味しそうな物も
山のように積みあがって売られているし、冗談だろうと思うような
高価で良いものが過剰に溢れてるけど、買えない。
駅から遠くても家賃や地価が高い割には、あちこちに廃墟のような
これが格差の広がりなのかなと思う。
グローバル化が浸透してくるとこういう感じなのかもしれないなと
思ったりする。
結論聞きたい事としては、コンクリートマンションて音の響きは仕方ない事なの?ということだけども、経験によって認知に誤りがあるかもしれないし、甘すぎるおかしい事を言っているのかもしれないので書いてみようと思い立った。
昔は学生時代は軽量鉄骨アパートから戸建まで経験したが、ガキだったからか隣近所からの騒音の事を気にした事はなかった。
一人暮らしを始めて、最初は音の響きとかも分からず、親も結婚するまで、戸建や音響きのない会社寮に住んでいた事もあってかアドバイスも特になく木造アパート最上階角部屋を選んで、よくあるうなぎの床寝と呼ばれる間取りだった。隣が1日中家にいて、時々笑ってるのか何なのか唸り声を上げる物件で反対隣は毎回半年持たず出て行く感じだったが、こういうものかなと思うのと、すぐ引っ越すのは良くないという謎の思い込みで何年か住んだ。
2軒目の物件はコンクリート物件で最上階角部屋、下が事務所だった。隣も水場、風呂とくっついているが音は少ししか聞こえず、多分料理しない人なんだと思ったけれども、下の事務所からの動きや音も何もなく、生きてきた中で一番快適に過ごせた。
3軒目は、コンクリートマンションの最上階角部屋で下の住人がこちらが昼間に少し音を立てたり、宅配のダンボール開けたりすると布団を思い切り叩いたり、窓やドアを思い切り閉めたりしていた。自分は嫌がらせぽく思えていたが、違う常識を持っている人だったのかもしれない。わからない。自分が悪いのか下が悪いのかもわからない。防音カーペットを床に敷き詰めて、無駄に攻撃されるのを防ごうとした。夜10時くらいに何かわからないけれど爆笑する声が聞こえてきた。窓しめや戸閉めで床が揺れた時はあまり良くない手段(管理会社に言わず)床ドンをたまにしたりした。その時だけ静かになった。隣の音も聞こえたけども、まだ我慢できるレベルだけど、隣も床ドンしてたりしたんで同じ悩みを抱えてるのかなと思ったりした。床ドンしてるのに矛盾していると書いていて思ったけれど、管理会社に言ってさらなる戦いになるのが嫌だと思ってしまい言わなかった。下は頭おかしい人だと勝手に思ってしまっていて、刺されるかもしれないからと認識をされたくなかった。
4軒目は逃げるように引っ越したコンクリートマンションの中階角部屋だった。上の風呂を抜く音とかどうやったらこんな音出せるのかという何かを引きずる音とか前と同じく、引っ越しダンボールを開封してると掃除機かけたりがあるのと、上の住人がたまに人を呼んでその足音が深夜1時まで異様にうるさい時があったり、住んでから少し床鳴りがする事に気付いたけれども、そこを踏みしめた瞬間下からドンが来る時がある。深夜の謎の上からのドンで起きる事があるので耳栓して寝ている。
正直自分の認識間違いも多々あるかもしれないし、自分が悪い部分もあるかもしれない。情報弱者かもしれない。神経質過ぎということかもしれない。
下や隣が事務所の物件探せばと言われそうだけどなかなか見つからないので、見つかるまで探すしかないのか…。
戸建に住むべきか…。
分譲賃貸マンションに住むべきか…。ピンキリだとは思うけれども。
稼ぎを良くして、高い物件に住めるようになるべきか…。
やはり、ある程度は賭けなのか…。
母親が死んだ。ずっと体調が悪かったのに無理して働いて、病院に行ったときにはもう手遅れの、よくあるやつ。
父親はすでに他界しており、兄弟ふたりが残された。俺と弟。どっちもアラサー、独身。
弟は新卒で務めた会社を数年で辞め、今は長い長い充電期間。つまりひきこもりである。退職理由は社内で受けたいじめだという。弟が語ったいじめは凄惨で、精神を病むのも無理はなかった。……その話が本当ならば。
弟は昔から、息をするように嘘を吐いた。所々に綻びはあるものの、妙にリアリティを持った物語を創作するのが上手かった。すぐに咎めて問い詰めれば、目を泳がせて言い訳をした後ではあるが、嘘を認めて謝る『ことも』あった。不気味なのは、時間が経つにつれ、弟の中で嘘が真実になってゆくことだった。
例えば、弟が文房具をなくしたとする。どこにやったと父に聞かれて、弟は「クラスメイトに貸したまま、その子が転校してしまった」と答える。
文具自体は高いものではない。素直に失くしたと話しても、父はそれほど怒らなかっただろう。だがそういう場面でも嘘をつくのが弟なのだ。
弟の嘘を後から聞いて、俺は迷わず父親にチクった。弟のクラスに先週転校した子がいるのは本当。でも彼が引っ越した後、俺は弟がその文具を使っているのを見た。
その時の父の表情を、何と表したらいいのだろう。「そうか」とだけ呟いた。多分気づいていたんだと思う。
その年の年末、大掃除をしている際に、本棚の裏から転校生が持っていったはずの文具が転がり出てきた。問い詰めるとしらっとした顔で「僕のじゃない。そんなの知らない」とのたまう。どう見てもお前のだろうと貼ってあるシールを指さしても、僕のじゃないと泣く。嘘泣きじゃないのがわかってゾッとした。当然父にも雷を落とされ、弟は言い訳の方向性を変えた。転校生に手紙を書いて、ペンを返してもらったと。けれども彼の住所は答えられない。彼からの手紙や封筒ももちろんない。弟は号泣し、ようやく嘘を認めたが、それは返してもらったくだりだけで、転校生が持っていった件については頑として意見を曲げなかった。「確かに彼が持っていった。どうしてここにあるかは本当にわからない」と、誰にも信じてもらえない主張を貫いた。
その後しばらくして、弟がふとした拍子に「昔、友達が俺の物を持ったまま転校してしまった。手紙を送って返してもらったんだけど」話すのを聞いて、耳を疑った。お前嘘だと認めたじゃないか。自分の頭がおかしくなったのかと思った。父に話すと、昔と同じ表情で、やはり「そうか」とだけ言った。
弟と話していると、自分の記憶に自信がなくなる。明らかな矛盾があるのに、そこをつくと「じゃあ勘違いかな。AじゃなくBだったかも」と、本当に勘違いしている人の顔で言う。あるいは「そんな昔のこと、はっきりとは覚えてないよ!細かい所まで覚えている方が不自然だろ」と必要以上に動揺する。怖くて早く家を出たかった。
職場のいじめは、ある日突然の村八分、いやがらせや恫喝だったと言う。泣きながら母に打ち明けたらしい。
ちなみに本人は知らないが、弟が辞めた会社には、俺の知り合いも働いている。いやがらせも恫喝も、少なくとも彼の知る限りなかったと言う。ただ遠巻きにされていたのは事実で、それは優しい人には露骨に横暴な態度を取る、いじられキャラの人には面白くないいじりをしつこく繰り返していたかららしい。小さな嘘を無意味に重ねていたのもあって、前から警戒されてたっぽい。弟らしいと思った。
話してくれた知り合いに、思わず「ごめん」と言いかけたが飲み込んだ。俺は弟じゃない。弟も俺じゃない。
しばらくは遺産で生活できるだろうが、その後は……。母が死んでから、俺への態度に親しみが増した。昔から仲が良かった兄弟みたいに。今も弟の中では記憶の改変が始まっている。徐々に記憶の中の父親が、アル中のDV親父に作り変えられているのがわかる。1年も経てば、弟は虐待被害者だろう。
もうダメだ、と思う。
今は遺産があって引きこもりで、他人との接触は最低限だからいい。ただこの先、俺はまだしも他人に迷惑をかけるようなことがあるならば、と考えずにはいられない。
ここまで書いておいて悪いが、この話はすべてフィクションだ。青いカーテンを締め切った、高校の頃買った白黒のチェックのカーペットを敷いた6畳の部屋で、iPhoneと古いアンドロイドと3つのディスプレイに接続されたPCに囲まれた部屋にいる、ベッドにカービィのぬいぐるみを置いたお前もフィクション。全部嘘。
足を床に張り付かせる音をさせながら歩く。
その音が耐え難いほど不快で、聞きたくないから耳栓をしている。
(集合住宅なので、夜に大きな音を出すのは嫌だし
イヤフォンでずっと音楽を聞いてたらこっちの耳がおかしくなりそうだから)
何故履かないのかというと単純に「履きたくない」かららしい。
ずっと靴を履いているから家では開放されたいのだろうが。
何も自分の部屋内で履いてくれとは言わない、共有部分では履いて欲しいだけだ。
足の裏にも汗をかく、床に汗と一日繁殖させた菌をばらまきながら歩くのは不潔だ、
もしかして水虫菌をばらまいているかもしれない(気づかずなっている人もいる)、
誰しも無菌と言うわけではないしいっさい汚すなと言うのではない、
ただスリッパを履いて欲しいだけで、それで防げるものを、何故履かないのか。
言うとへらへら笑って逃げ出すかごまかすかで、絶対にわかった、履くとは言わない。
「え~~でも~~」などと言いながら逃げるだけ。
まだ「そこまでの思い入れがあるならば」とこちらも思えるものを、それもない。
(まあ、言い返せないのだろうが)
帰ってきてすぐに風呂に入るとか、足を清潔にする配慮をしてくれればまだしもそれもない。
いつまでもだらしなくリビングでテレビを見て、そのまま風呂にも入らず寝落ちしてたりする。
今夜もぺったぺったぺったぺった、汗と汚れを床にスタンプする音が聞こえる。
正直、育ちが悪いと思う。他人の家にも裸足で上がる人間なのだろうか。
ぶっちゃけ奴はチビデブブサイクのおっさんなので、もう妖怪にしか見えなくて、
そもそも、自分から変わる気のない他人を変えることなどできないし
変わってくれればという期待もとうに捨て去った。
離婚して出ていくことにした。
今夜はお祝いだ。
本文をうっかり読んでしまうのは時間の無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。
これは一人のクソ女の自分語りだ。
多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクションの小説が好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。
文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。
特に意見やアドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。
そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。
石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。
それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的で趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう。
さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。
私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレの中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。
親に無理矢理突っ込まれた進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値で勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。
結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試のきれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校を受験して合格した。
妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。
彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。
彼は誰にでもそうする人間だ。
そういう人間を私は好きだと思った。
高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛を満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。
彼は時折、家族が留守にしている放課後や休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車をこいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身を他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。
彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。
たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だからと地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。
いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。
部活の大会や模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。
関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。
鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校の卒業も危うくなった。彼のメールを無視し続けた。友人たちのラインもブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。
音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センターも保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。
高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬と睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。
私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業式から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像をはるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校の前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室で卒業式をやってくれた。
さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学に合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。
私は全くもって元気では無かった。
恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。
人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末を説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。
そういうことでお付き合いは継続されることになった。
彼は大学に入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。
私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死に家族に説明し、ひたすら精神科に通った。
彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。
彼はサークルが忙しかった。理系だから男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。
私達はあまり会わなくなった。
彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから。自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。
色々なことがあった。
死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。
私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。
そんな状況を医者は許さず、私は精神科の閉鎖病棟に入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。
看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。
母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。
少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。
これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。
あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。
閉鎖病棟に入院したことがあるレッテル付きの私は母からの罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。
そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。
母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。
彼はおめでとうと言ってくれた。
新調したスーツ、きれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達。
私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。
しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。
私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。
大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。
そういえば私は彼とセックスしていなかった。
呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。
セックスする前に私は酒を飲んだ。
薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。
こんなもんか、と思った。
彼は別にセックスしたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。
その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかったからだ。彼と話すのは楽しかった。
それが数ヶ月前のこと。
それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。
精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠も規則的になった。
兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。
私の生きる価値は無くなった。
ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。
終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。
翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟が一人暮らしをしている家に転がり込んだ。
それから紆余曲折あり、結局兄弟の仕送りで私は生活している。兄弟は大学に行き、私は自分と兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。
もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。
今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。
彼と連絡を取っていない。
これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。
私は多分もう駄目だ。大学は妹宅からは距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。
自分は異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・
彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかもセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛とかいうフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。
友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。
さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学の夏休みの期間を調べている。
でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。
こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。
生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。
そろそろ死んじゃおうと思っている。
メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。
恋愛には向いてなかった。
多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。
罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気を治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。
参ったなあ。