はてなキーワード: カーペットとは
こないだ同居人がウイルス性胃腸炎になった。旅行から帰宅した朝に気持ち悪いと言いだして横になったかと思うと、トイレへ爆走し、前夜に食べたタイ風から揚げやモンゴルパンの残骸を吐いた。その一連の動作のすばやさは初期ミスターポポを思わせるほどで、これは大変だと駆け寄り背中をさすったところ、「さわらんでぇ!」と渾身の北陸式ノーサンキューを受けた。気持ちはわかる。吐いてるときに背中をさする人のおせっかい感はピンクフロイドのアルバム「おせっかい」20枚分くらいに相当する。しかたなく水を持って後方待機していると、彼女の全身は嘔吐の瞬間、筋肉が隆起してビキビキになっていく。全力だ。もうめちゃくちゃに全力淑女だった。さっきの韋駄天のごときスピードも考えると、異常な力を発揮している。思えば人間は「なにか」を催してしまったとき、このような通常の範疇をこえた力を出すことがある。そうやってこの緊急事態に立ち向かうのだ。「なにか」は三種に分類され、それぞれ「うんこ」「おしっこ」「ゲロ」である。催し界の三強。というか催し界はそれ以外にいない。この界隈は衛生陶器業界以上の完全なる寡占市場である。かくいう私もこのビッグ3には幾度となく辛酸をなめさせられてきた。特にうんこである。私にとってのうんこは錦織選手にとってのジョコビッチに相当する(だいたい負ける)気まぐれな小悪魔うんこにより私の自尊心は何度もズタズタにされ、何枚ものオキニパンツたちが葬られてきた。つまり私はうんこに辛酸をなめさせられてきた。そう、私はうんこの辛酸をなめてきた(!)あるときは花園神社の境内でむせび泣き、あるときは仲間たちの嘲笑を受けながら学校のトイレにこもり、あるときは家でも寸前で間に合わずカーペット張替えの大惨事をひきおこしてきた。そのときそのときは全力で最悪を回避すべく尽力したが、私は非力だった。彼女のように人の心を捨てミスター・ポポと化してもどうしようもならないことはある。ビッグ3は強大だった。催し界のチャンピオンズリーグを制すには身体能力以外の力が必要だったのだ。私は年2・3回の戦いをコンスタントにこなしながら、ついに王座を奪取するたったひとつの力を知る。それは、「決断力」だ。「決断力」とはなにを「決断」するのか。それは開き直ってクソをすることである。もうただその場でクソをするのである。おしっこならサーモスの水筒へ、ゲロなら弁当箱に突っ込み、うんこもリュックの中にしてしまうのだ。この力をもってして、私はかつてないピンチを乗り越え、それどころかチャンスに変えてきた。ベイブリッジの夜景を眺めていた際の急襲にもなんなく嘔吐を決断し、直後スムーズなキッスをかました。富山のまんだら遊苑では天国ゾーン横の森にてナップザックグソを選択しすれ違う子供たちを欺くどころか、軽薄な交流すらしてみせた! もう何も怖くなかった。2010年くらいのサッカースペイン代表みたいだった。ティキ・タカ状態だった。最近ではもう敗北することはまったくない。私は催し界のCLを制したのだ。喜びのあまり、この話を会社の飲み会でした。今日、私に話しかける同僚はいない。王者はいつだって孤独である。
20万のバッグ、20万の時計、20万の万年筆、20万のベッド、を踏まれたり足蹴にされたら普通は怒るよね?
四人家族全員のiPhoneを地面に並べて踏まれたり蹴っ飛ばされたら、やっぱり怒るよね?
でも20万の革靴なんて満員電車乗ったり、駅のホーム歩いてるだけでも踏まれたするわけじゃない?
そういうときはどうするの?まあまた靴磨きなり、鏡面磨きするんだろうけど、気持ちとしてはどうなの?どう折り合いをつけるの?
いやまあ20万超える革靴なんて腐るほどあるだろうから、毎日タクシーで移動してますとか、私貴族なんでカーペットの上しか歩かないのとか、
そういう人いるかもしれないけど、そういう人は20万の革靴は履かないわけじゃない。
妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます。
2009年春に妹が地方の大学へ進学し、それからアパートで一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約だけが残る状態が続いていた。
丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。
大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造。自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りのアパートを借りていたので、。
開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水の臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリかカマドウマの死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。
最後に居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。
その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫・洗濯機のリサイクル家電を処分した。
片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。
事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。
二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対に心が折れる。
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーでマスク・ゴム手袋・軍手・ウェットティッシュを調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いから独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。
できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越しや祖母の遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。
車も必須。可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能な自治体の清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときにタイムロスになるため)。
土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山も可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋・マスク・メガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズがホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。
作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間のゴミ処分が作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦が必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボールや分別が必要なものの解体や、分別が必要なゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミは玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線が干渉せず、効率的に作業できた。
進捗は正義。
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミも無限ではなく作業に意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍の兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。
一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後の生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から数千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。
延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分の一人暮らしの経験とも照らし合わせながら、整理したい。
ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュ、ビニール袋、綿棒、割り箸、から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシート、アイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。
あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分の一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定のゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。
捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボールは処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボールの処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分も定期購読した雑誌を、未開封状態で積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。
仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのものが散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときにほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しかも調理しないと使えないようなものなど邪魔でしかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らしの栄養状態を心配する母なのだからなおさらだ。ありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷のトリガーとなっていたと思える。
これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。
初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分の大事な荷物をユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。
意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域の特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。
賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単。乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。
別に、よその文化に文句つけたいわけじゃないことだけ、前置きしておく。
単純な疑問だ。
国によっては、家庭の采配で、靴を脱ぐか脱がないかに分かれたりする。
逆に家の中でも靴を履く家庭って言うのも、少数だが日本にもあるかもしれない。
だが外国でも室内でカーペットを敷いて、泥で汚れたら定期的にクリーニングしていると聞いてから「なんでだ?」と思った。
土足なんだから汚れるに決まってる。
逆になんで汚れるのがいやならカーペットを敷いているのか。
クリーニングするということは、きれいに保ちたいということじゃないのか?
酔っ払いのゲロとか犬の糞とか吸い殻とか、目を背けたくなるものも大量に踏んでいるはずだ。
寝るときにバスローブやパジャマに着替えるとき、どうやって着替えるのか。
考えれば考えるほどわからなくなった。
靴を脱ぐことそのものに抵抗を感じて、よその家で靴を脱ぐように言われたら、帰ろうとしたという話も聞いた。
結局、ビニール袋で靴ごと足を覆ってから家に上がった、なんていう話を聞いたら、さらに分からなくなった。
もやは靴をはき続けることにこだわっているというか、靴は体の一部だと思っているらしい。
靴を脱ぐことは裸になるのと同義、というぐらい恥ずかしいことだと、考えているみたいだ。
靴を履いたままでいる外国人なんて見たことないぞ。恥ずかしくないの?
それとも、水泳の時は「それとこれとは別」なのか?
じゃあ逆に、なぜ土足で家に上がることにこだわりを感じるんだ?
謎だ。
床に、配線用の底上げをしてその上にタイルカーペットなんかを敷くので、床下にコードが全部隠れるの。
私も引っ越すなら先にこれにしたいって思っちゃう。
https://item.rakuten.co.jp/harry/c/0000001001/
こんなん
カーシェア辞めてマイカーにしてみて数ヶ月経ったのでどれだけ損したのか得したのか考えてみた。
カーシェアのときにした、大きな買い物(IKEAやコストコ)は、事前にルート考えて割引パック使って往復50キロぐらいの距離を走って80円/kmぐらいの料金だった。
近所の大型スーパーとかでも移動10分(往復5キロ)買い物30分で時間節約のため、マイカゴ持参で15分前に乗車してこちらも80円/kmぐらい
送迎とかは、ほぼ移動のみなので平均40円/kmぐらい
泊まりの旅行は、レンタカーのほうが安いので一回も行かなかったが電車や飛行機で現地に行き借りたが観光もだいたい大きな買い物と一緒
これが使用実績なので送迎2:その他8で平均すると72円/kmぐらいだと思う。
マイカーは、今のところ月1000キロ以上乗ってるので72000円は使ってることになる。
5年で432万円ぐらい
乗り出し300万円で次回車検とオイル交換付きなので
任意保険40万円
15km/Lでガソリンを140円計算の56万円でもお得だった。
持ち家なので駐車場が掛からないのが大きいけど車のランクをカーシェアと同等まで下げれば駐車場代があってもそこまで変わらないかも
あと、マイカーやめてカーシェアにして得だったみたいなサイトは、45円/kmぐらいで計算されてるのであてにならない。
参考に都内の平均旅行速度が20km/hなのでタイムズのカーシェア価格で計算すると41円/kmになるからやっぱりおかしい
僕の料金は結構頭使って頑張った結果なのであてもなく買い物とかゆっくり観光したらもう少し高いかも。
ただ、カーシェアのときには行かなかった買い物や旅行には行ってるので支出は増えた。
カーシェアにしようとかマイカー買おうと検討しているなら参考にしてほしいと思う。
月1000キロもというコメントがあったが軽とかにランク落とせば、燃費も良くなって保険も安くなって1000キロまでの走行距離はいらないと思うよ。多少の下取りもあるしね。
追記
カーシェアのときと比べて乗る頻度が増えたのは、カーシェアの使った費用がすぐわかるという心理的な障壁がなくなったから、カーペット買うにしても今なら車だけどカーシェアで買物に行って選んで持ってくるは、割高だから歩いて抱えて帰ったりした。タクシーでもいいかも。
23区ではあるので近隣の駐車場は3万する、それでも駐車場がついてるお得物件はあるし、自宅購入から数年は来客専用だった。都内の休日は、平日より流れが早いし実は快適。
いろんな車種乗れるのは楽しいけど大抵安いコンパクトカーの最安グレードなのでショボい。一回乗ったら満足する
さらに追記
2万円もあれば車の保証を2年伸ばせるから5年間追加費用もかかることはないよ
「……部屋の模様替えをしよう」
机の電気スタンド、首が痛くなる蕎麦ガラ枕、ブドウ糖の粉末(が入った密閉容器)、等
部屋の荷物をベットの上に置いてから1か月が経った。机をベット側に寄せたら床の面積が広くなって、掃除機をかけて、そこで毛布にくるまって寝て、1か月が経った。
私はイジメられているのだけれども、惰性でイジメられながらも、つるんでいるのである。彼の事などもうどうでもないと思っていたが、こう夢にまで登場してきたリ、どちらかというとその時期好きだった子のこととかより印象が強いのは、一緒にいる時間が長かったし、もう彼はある意味自分の人生の一部分になってしまったのだなと思うと悔しい気持ちにもなるが、怒りが全く沸いてこないことのほうが悔しいのかも。どちらにしろ気分の良いものではなかった。
起床直後はどうしてこう、夢の内容を反復してしまうのだろうか。
起床直後どころか午前中の前半はそんな感じだったので、とても気が重いし、性格の問題なのか、いや、あまり「自分を変えなければ」とか考えないことにした。
トイレに入って窓を開けると、雲一つない快晴、とまではいかないが空気が冷たいので中々秋らしい晴れだ。
5分間という時間は年を取るにつれてどんどんスピードを早めてゆくのだろうかとか、そもそも時間というものが何なのかさえ私には分からないのだ。
便秘気味だがそれなりに出た。私はただ時計が5分針を進めるまでの間に、特別・力むこともなく(・∀・)ウン!!子を出すだけである。
(・∀・)ウン!!子を出しただけなのに、トイレを出る頃には少し前向きになっていて、台所に向かうと弱火のままお湯が沸いていた。
連絡来たから迎えに行ったらべろんべろんで地面に座りこんでんの。んでいつも通り支離滅裂な事をうにゃうにゃうにゃうにゃ言ってやがる
おぶって連れて帰ってきたら部屋に入った瞬間ゲロ。俺と彼女の服はもちろん、下のカーペットにも見事にストライク。鼻水だらだらで過呼吸の彼女の顔は控えめに言ってもブサイクだった。あまりにも無残。
でもちゃんと介抱したよ。服は洗濯して、体も拭いた、部屋に飛び散ったゲロも丁寧に拭いた。カーペットはどうなるかわからんがとりあえず拭いてアルコールぶっかけといた。
守ってあげなきゃ意識で介抱したものの、明日になればいつも通り記憶もなくしてんだろなー。反省してほしいなぁ。直してほしいなぁ。普段から彼女に期待とか全然してないからまぁ無理だろなぁ。
昨日床フローリングが25cm角で抉れて傷づいてひどいと書いた
今朝部屋掃除をかねて椅子をどかし、敷いていた90×120cm角カーペットを廃棄し、
抉れた部分に養生なしで木工パテを塗りつけた
パテが完全に乾燥して表面をならすために削るときには養生としてテープを貼ろう
ここまは想定内だ
パテの塗り残しつまり凹みやヒケがあるかもしれないからそのときはまたパテを盛るしかないので
いまは9時として12時間後の21時にパテの硬化具合を確認して可能ならば
そこで削る加工をしてパテ盛りするのもわるくない
問題はそのあと、塗装
木目をいれたり塗料を何にするかだ
UVウレタンで塗装された木なので同じように水性ウレタンでも塗ってやろうと思うのだ
塗料は以前使った残りがある
木目の色調整などでその塗料に他の塗料、染料なんかを混ぜたら色合いは変わるだろうか?