はてなキーワード: アクセサリーとは
世の中には4℃のアクセサリーに大切な想い出を持っている人達がいる。少ない給与から頑張ってお金を貯めてプレゼントを購入した人だっているだろう。昨今のTwitter上での4℃をネタにして自己顕示欲を吐瀉するムーブって、そういう人たちの大切な想い出をあざ笑い、泥を塗る、本当に下品な行動だと思う。
4℃は大切な顧客の想い出を守るためにも、面白半分で4℃をネタにしている連中に対して営業妨害として訴訟を起こすべきではないか。小売ブランドが顧客を訴えることってイメージの問題もあってあまりないけれど、4℃叩きは最早悪ふざけの粋を超えて、多くの人の心を深く傷つけているように思う。そんな人達を守るために4℃が訴訟を起こすのであれば、世の中の多くの人は応援してくれると思う。
別にオルゴールの箱でもHERMESやGUCCIならよかったのでは?
セレブじゃなくても単なる手回しのオルゴールならそれらのハイブランドで買えるな
(アクセサリーを入れる箱になってないやつ)
意識高い系IT増田たちのさ、気持ちを察すると根本的に身の程に合った職で働く意味を感じないんだろうな
中途半端に家は小金持ちだったりする増田多いからくだらんことで呼吸が浅くなって動悸はとまらなくなるが
仮に親に経済的余裕がなければ
生活のために働くかもしくは犯罪に手を染め檻の中にぶち込まれるかして、何らかの形で社会と交わることになっただろうけど
現状は安定した経済力ある親に半分飼われるようにバックボーンがあって
仮にITエンジニアで職場でトラブったりしても実家でこどおじになって働かずに低能先生みたいな一日中はてなに張り付いて暮らせる程度の衣食住はまかなって貰える
あのまま非モテ底辺ITドカタ労働者を一生続けたところで2.5次元クラスの相手と恋や結婚なんて到底無理だし
web系ベンチャーや外資などのクリエイティブでキラキラした仕事で自分を飾り立て非モテから脱出したい
仕事とITスキルとパソコンとは異性にモテて周りにマウント取ってイキリ散らすために自分を飾り立てるアクセサリーでしかない
でも当然本人にはそんな上級な仕事に見合った能力はないし、信用がないので携われないからはてなで虚しく勝ち組起業を演じて嘘と本当がわからなくなっていくジレンマに陥ってんだよ
ドコモのahamoプランへ大多数が移行した場合大量の失業者が出ます。
なんで?って思った人が大多数だと思いますが関連しているのです。
ここが問題です。
(丸の内とかはドコモ子会社のCS運営ですが直営店ではありません)
他キャリアもキャリアショップ運営はほとんど代理店で、直営店は首都圏に十数店舗しかありません。
代理店が何で儲けているかと言うと、新規契約などによる携帯キャリアからインセンティブです。
インセンティブは新規加入、オプション加入などで携帯ショップに支払われます。
アクセサリーの販売も収入源なので、高額SDカード販売などもノルマになっていたりします。
(a○店員はウォーターサーバーのフ○シャスもやってるせいで水商売って呼ばれることも)
その携帯キャリアからのインセンティブですが、年々渋くなっています。
総務省がキャッシュバック規制とか始めた頃から怪しくなっていますね。。
来店がないということは店頭で新規契約とったり、アクセサリー販売する機会はありません。
要するに新プランは代理店に払うインセンティブを払いたくないということですね。
MNP移行も鈍ってきたし用済みということです。
携帯ショップが潰れたところで、携帯キャリア社員が減るわけではないし痛くもなんともないということです。
携帯代理店はインセンティブ減少で携帯ショップを維持するのが困難になります。
携帯ショップが潰れたら携帯ショップを必要とする既存プランのユーザーも不便になります。
最寄りの携帯ショップが5kmから50kmになることもありえます。
料金安くして、ちゃんとサポート料を取るという方法を取るべきでした。
既存プランがなくなるわけではないですが、今回のプランはいきなり、極端すぎると思われます。
増やしすぎです。そのあと減りすぎです。
乗り換え競争バブルに乗って代理店が店舗増やしたあと、総務省がつっついて弾けてます。
総務省がすべての原因では?
ドコモショップのトラブルから考える業界の『構造的な問題』 - ケータイ Watch
https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/mca/1233033.html
「iPhone売らないとヤバい」――元店員が振り返る、重い「販売ノルマ」 - ITmedia Mobile
https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1809/03/news042.html
キャリアショップは全国に7912店舗、この1年で295店減 - ケータイ Watch
https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/mca/1241902.html
集約化が加速する携帯代理店業界 - ケータイ Watch Watch
https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/mca/740196.html
小さな頃から石が大好きだった。母の宝石箱を見渡して、じゃらじゃらと自分に付けてうっとりとした。何万円もする真珠も、イミテーションのガラス玉も、どれも楽しくて見飽きなくいつも遊んでいた。そんな私の姿を見て伯母が「この子官能的やな」と笑った。私が目をとろーんとさせて石を愛でていたからだ。原初の快感だった。
思春期になって、周囲の友人達と軋轢ができた。話が合わなかったりおもしろい反応が出来ないと仲間はずれにされた。ストレスが多い学生時代、私は石を思い出していた。石と居る時間が何より落ち着く。当時パワーストーンなどというのは学生に手の出ない値段であり、金色でゴテゴテした金の願い系ブレスレットだったから買わない。私は空色の石を欲した。ブルーレースアゲート、人間関係のお守りだそうだ。初めて買った石は800円。空色の縞模様がきれいだった。友人関係は相変わらず。
時が経ってアクセサリーが欲しい年頃、アメジストのネックレスを買った、これはビーズのように小さな球が沢山ついたチェーンで、1600円。なかなか好きな物に出会えない。ブームがあったのか知らないが、石を売る店先を見つけて一盛り300円の水晶などを見て目をキラキラさせていた。石の種類を知るたびに私の胸は高鳴った、透明な石、白色の石、私の誕生石…トパーズ。ただひたすら石を愛して欲していた。
母が高額な宝石を買うようになり、いずれお前にやると言われて、すべてを貰った。健康ブームの際のトルマリン 、七色真珠、ダイヤモンドが散りばめられた時計はバブルっぽい。
今どれも手元にあり、それらを新たに加工して楽しんでいる。結婚後、たくさん石を買ってもらった。宝石より少しグレードの低いハンドメイド用の石たち。私はこれらを溺愛している。当時欲しかった石がずいぶん手に入るようになった。どうしてこんなに石が好きなのかわからない。ずーっと小さい頃から変わらない私の嗜好。珍しい石も普通の石も、どれも大好きで手に取ると心が踊る。ミネラルショーにも足を運んだが、人に気圧されて楽しめなかった。でも人生初のハイクォリティジュエリーを一から作ってもらった。サファイアの石にダイヤモンドのプラチナリング。今はネットにも希少な石が多く出ている。楽しくて仕方ない。手に入っても入らなくても、石は面白い。自分の人生の終わりに、たくさんの石がある未来が見える。石はどこかに旅立つだろう。それを私が見る事はないだろう。
今の40台位の人々は、バブル絶頂機を小学校高学年から中学生くらいの間に経験し、大学を出た辺りで超絶的な氷河期に入った、という経験をしている。俺もその中の一人だが、日本社会で印象的だったことをなんとなく懐古してみる。そして、今の時代の伏線は30年前にすでにはられていたのだな、というふうに感じた、ということも書いておきたい。
最近パソナの某がどうしたとかそういう企業による国民の搾取が問題になっていると思うんだが、「こうなるための準備は30年かけて着々とされてきた」ということだ。我々の親の代にはすべて始まっていた、と言ってもいいかもしれない。
まず、自分にとって最も印象的だったのは以下の2つだ。
1. 職業選択の自由アハハン
2. バイト探しが週二回
この2つを覚えている人は多いだろう。つまり、「なにか特定の仕事をやるんじゃなくていろんなこと片っ端から好きなようにやっていこうぜ」という社会的な機運づくりだ。たしかどちらもリクルートがやっていたと思う。リクルートは賄賂かなんかで大変なことになったという印象が強いのはこの辺のせいだと思う。
これまでは、一つの会社に新卒から定年まで勤め上げていく、ということが美徳であり、給料も年功序列、会社はアットホームだった。今でいうとどれも警戒されてしまう単語になっているのだが、この頃の会社は本当に一種の共同体として機能していた。バブルでお金に余裕があったからというのもあったとは思うが、この点は本当で、誰一人ここに疑問を持っていた人はいなかったと思う。
会社で運動会をやり、社員旅行があり、ゴルフ大会なんかもあったりと今では信じられないような状況だった。だが、同時に過労死であるとか、24時間働けますかとかの過剰労働が問題視され始めた時期でもある。
まだ、軍国主義の発想も強かった時代で、過労死した社員は2階級特進で部長待遇で退職したことにするみたいな、会社がそれに報いるとか、なんかそんなこともしていた気がする。この頃は俺は小学生だから、テレビで見た印象、ドラマで見たネタなんかも多分に混ざり込んでいるかもしれない。
タクシーなんかも無礼で、乗車拒否の嵐だったとか、彼女がほしかったらなんとかいうアクセサリーのゴールドを渡さないとだめとか、とにかく金、金、金、の社会だった。なんたら言うアクセサリーのシルバーだと女に「だっせ!どっかいけよ!」とか罵倒されていた。
この頃になると、あまりお金を持っていない男性たちはアッシー、メッシーとか言われて単なる移動手段や金づるにされていた。この辺りフェミニストの女性陣はどう思ってるんだろうか。とにかくひどいのだ。ある女性が彼氏とデートするので自分のことを好きらしい別の男性に長時間列に並ばせてチケットを買わせるとかそんなのをドラマでやれて問題視されない程度にはこのへん行き届いていた。
この頃は女子高生がブルセラショップなる店で自分のパンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際とかに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランド物しか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観は蔓延していた。この辺は今もづついているかもしれない。
新築マンションも棟の単位で10億円とかで売っていたし、ゴルフ会員権とかも何百万円で取引されていた。とにかく金が余って仕方ない、金を使わなくては、という時代だ。
今若者たちが努めている会社にいる50代60代はこういう社会で生きてきた人たちだということは肝に銘じたほうがいいかもしれない。
さて、バブル崩壊だ。バブル崩壊、という言葉自体は自分にはなんの印象もない。当時の経済状況をバブルと言っていた人はテレビには出ていなかったと思う。そもそもガキ過ぎてニュースを見ていなかったというのもあるだろうが。なんにしてもバブルが崩壊した直後に起きたのは「リストラ」だ。
この辺りで自分たちは家族だと言っていた企業が突然社員に牙を向き始めた。
いきなりやってきて「君クビね、さよなら」くらいカジュアルに社員をクビにし始めた。バブルで家を買ってローンもかなり高いものを組んでいた家庭の大黒柱がいきなり収入を断たれる、という状況だったのだが、社会としてそもそもリストラをきちんとルールにしていないので、とにかくやったもんがちだと言わんばかりにどの会社も社員をクビにし始めた。そして代わりに台頭したのが「職業選択の自由を謳歌していた人々」だ。
彼らはとにかく働いた。アルバイトを何個も掛け持ちして月収100万円なんていう人もいた。いつねてるのかはわからないが、バイトがとにかく儲かっていた。彼らは企業に雇われてしまうと自由がない、自由に職業を選べて好きなときに好きなだけ働けて、休みたければ休めばいい、こんな人生最高じゃないですか、というように言っていたが、彼らが今も息しているかはわからない。
バブル崩壊を契機に正規雇用から非正規雇用に企業は主軸を移し始めた。正規雇用はクビにしようとすると大変だが、非正規雇用は単に契約を打ち切れば終わる。正社員への登用をちらつかせることで企業は優位に立つこともできる。多分この辺は今も残っている。制度だけ残して給料は極限まで減らしているということでもありそうだが、移行期間というのは企業もお金を出すので、この頃はバイトは結構儲かった印象が強い。当時の経済状況でも時給800円くらいだったのだから、結構出していたと思う。考えてほしいんだが、携帯電話、インターネッとと言ったものは無いのだ。生活にかかるコストなんかそんなに高くなかったのだ。
同時に問題になったのは銀行の不良債権だ。バブルのときには土地の値段はとにかく上がっていくので、銀行も土地にどんどん融資をした。この辺金融機関としてリスク管理できていなさすぎだと思うんだが、とにかく金を貸した。例えば土地を買うので1億円貸したとする。この1億円はもはや回収できなくなった。なぜなら土地を売っても数千万円にしかならない。日本の不良債権問題は銀行がこの状況を受け入れてしまうとどの銀行も債権が取り返せなくなるのでどんどん倒産してしまう、というところにある。この頃になると俺もある程度ニュースを見たりするようになるので、なんとなくだが覚えている。
返してもらうこともできない、精算してしまった時点で大損確定する債権が大量にある、という状況だ。この辺りはよくわからないんだが、よくある含み益、含み損、と言うやつのことを言っていた。そして、債務者もお金を返せない。債務者は破産していき、債権者はどうしようもない債権ばかりが溜まっていく。そこで何が起きたか、国による救済だ。この不良債権に対して国は税金を注入して銀行を救ってしまった。資本主義の世界であれば、この辺は銀行の自己責任で倒産するのが正解だが、もしそうしたら、日本に銀行は一行も残らなくなってしまう可能性が高い。
銀行は金融庁による介入を受け入れて国は銀行を救済した。とはいえ、いくつかの銀行や証券会社は倒産してしまった。
このときに銀行は「もうこれで銀行は倒産しないことになった」という認識を得たかもしれない。国による救済というのは、ある意味で半分銀行を国営化するようなものだからだ。今後銀行が倒産すれば、国が損を被ることになる。そして熾烈な不良債権処理が開始された。
とにかく債務者から引っ剥がす。貸し剥がしというのが確かそれだ。銀行は自分たちが損したくないのでとにかく徹底的に国民から搾り取った。国民がどうなろうがお構いなしだ。少なくとも日本において債権者と債務者は全く公平ではないということがここに現れる。
ところでなんでこんなにひどいことになったのか、というはなしだ。どの国でもバブルが崩壊することはあるだろうが日本のそれはとにかく深刻だった。国が支配力を強めるためのシナリオでもあったのかと思うくらいにひどい。
おそらく当時の人々は何も考えないで借金して先物取引していたんだろう。借金と先物取引の組み合わせの極悪さは想像すればわかるだろうが、当時の人々はとにかく酔っていた。国はちっとも諌めなかった。
この辺は都市伝説だが、あるときにユダヤ系資本が急に日本から引いてしまったらしい。日本がアメリカの重要なものまで買い取り始めたからかもしれないとかいろいろ言われているが、俺の中にある投資に対する不信感はこの辺にあると思う。「ある時更に力を持つものが食い荒らすだけ食い荒らしていなくなってしまう」ということだ。
さて、このリストラが吹き荒れたことで企業は正規雇用を徹底的にダンシャリして非正規雇用に走った。就職氷河期というが、これは正規雇用を企業がひどく渋ったことによる。使い捨てのバイトがたくさんいたほうが企業としては助かる。だが、国民のメンタリティは社員になってなんぼ、というのが強かった。
更にこの頃になるとITも一般的になり、これまで10人でやった仕事が1人でできるくらいに合理化されていった。もはや人間はそれほど必要ない、という時代に突入したと言ってもいい。コンピュータならぶっ壊れるまで酷使しても違法じゃない。この大きく時代が変わるときにプログラミングが少しでもできた人は大いに特をした。20年後の今は結構苦しんでいるが。周囲が仕事のなさにあえいでいるときに適当な会社で仕事を手に入れることができた。多重請負地獄があるとも知らずに。
時代が変わるときは、大きく得する人と大きく損する人が出てくる。就職氷河期に仕事を見つけられなかった人々の現状はさんさんたる物だ。変な話だが、WORDとEXCELができれば仕事があったのだが、それを受け入れられなかった人(ここには仕事はEXCELカタカタやるもんじゃないという反発する人もいたかもしれない)との間で命運が別れたと言ってもいいかもしれない。
この頃になると、旦那の小遣いなんか0でもいいがそれだと死んでしまうから一日500円くらいは渋々許す(収入の殆どは旦那なのに!)という変な歪みが出てきたように記憶している。お金は子供の習い事や塾、そして、日々家事に忙しい奥様のたまの贅沢に主に使われるようになった。旦那は家に収入の100%を吸い取られるようになった。お金がない旦那似合わせて飲食店も値下げを始めた。ワンコインランチというのを出すようになった。
この辺は鶏と卵の話かもしれないんだが、男性が社会に還元するお金を持てなくなったこととデフレの開始は無関係ではないかもしれない。もうちょっと言うならば、お金の行き先が特定の業務に行くようになってしまい、ほかは旦那の少ない小遣いの獲得合戦になっていったように思える。
そして値下げ合戦が始まる。マクドナルドなんかは何でもかんでも100円とかで出すようになった。アルバイトたちが激務になることはお構いなしだ。値段を下げる、商品もしょぼくなる、デフレスパイラルの開始だ。
デフレスパイラルに入り、企業はお金が手に入らなくなった。手に入らないのだから給料も支払えない。年功序列型の給料をもらっていた中年層が今度は槍玉に挙げられた。日本ではリストラは絶対にできないと言われているが、実はできる。
こうしてみると、今の状況は変な話だがバブル崩壊から始まっていると思う。もっと言うなら明治時代から始まっているかもしれない。パソナの竹中平蔵に対するバッシングが最近すごいが彼の経済学者としての歩みを見ると、1990年くらいから始まっている。彼はおそらくバブル崩壊経済とそれが崩壊することの意味をわかっていたのかもしれない。
小泉内閣から急に出てきたように見えるが、実は小渕内閣の頃にはすでにいろいろやっている
びっくりするくらいブクマされてんのね。
よく調べてかけとか言う人々、嫌だよめんどくせえ。
はっきりいうと自分の記憶と印象だけで書いている文章だから、間違いや事実誤認、正確性の欠如、だらけだろうね。気になるならこの辺の正確な経緯でも書いてみてくれ。
女性向けジャンルで割とよく「概念」の二次創作を見る。「概念」の二次創作ってどういうことだよと言われそうだが、ここではキャラの顔を描写せずにそのキャラが好きなものや関わりの深いモチーフを取り入れてシールだとかアクセサリー、ポーチなどのグッズをデザインして作ることを指している。日常生活にも取り入れやすくて良い!らしい。
ところで、最近自ジャンルでハンドメイドの概念アクセサリーを販売しようとして燃えている人を見た。公式のQ&Aやガイドラインにグッズの制作、頒布を可とする旨が明記されていないためのようだ。
そのアクセサリーは公式のマークなどを使っているという訳ではなく割と普遍的なモチーフで作られており、作品を知らない人、いや知っている人が見ても言われるまではただのアクセサリーにしか見えないだろうと思われた。
たしかに頒布する時に作品名などを出せばそれはその作品の二次創作となるのかもしれない。でも、この場合Minneなどでそういった趣旨を伏せて販売すればただのお洒落なイヤリングやネックレスである。そもそもキャラのモチーフにも著作権などが適用されるのだろうかという疑問もある。こういう時、どういった対応が適切なんだろう?と考えてしまった。
私は女だ。30後半で結婚した。婚約指輪はもらっていない。なぜならいらなかったから。
婚約指輪は女性の憧れ?知らん。私がアクセサリー?気持ち悪い。ダイヤモンドなんか似合うわけないだろ。
結婚指輪は買うけど、何にもダイヤとか飾りとかついてない真っすぐなやつで。これぞ「THE結婚指輪」。うちの親もこれ付けてた。
婚約指輪ほんとうに要らないの?他のものでもいいよ?と言ってくれた夫。
いらないいらない。パールのネックレスなら使うかな?でもバカ高い。いらない。そのままヌルっと婚約期間を終えて入籍。
でね、うちは顔合わせも結婚式もしてないので指輪の出番がなくて、結婚指輪も入籍後にちんたら買いにいった。
ダイヤモンドがいくつも並ぶショーケース。今までは近づいたこともなかった。場違いだ、一生関係ない、あんなのの何がいいのかわからない。つけたらその美しさに見合わず自分が嫌になりそうな気さえした。
が・・・・・夫に促されてダイヤ付の結婚指輪をはめてみたのが沼の始まり。
あれ・・・・・悪くないじゃん・・・まぁでも毎日付けるんだからダイヤは1粒までよ。そんな3個も10個もダイヤ並んでるのはありえな・・・え?悪くない、いやむしろいい、なんだこれ、、、似合う。これ私の手?え?
私の手は、指が太く短く肉感があり、肌が黄色く皮膚もかたい。爪の形も丸くて平たくて嫌い。とにかくモデルの手と正反対の手。
指輪で手を目立たせたくない。だから石なしのシンプルなストレート以外つけたいと思わなかった。
それがな、逆なんだよ・・・・・手が細く長く美しければシンプルな指輪でも映える。
でも私みたいな指には(年齢的な事も考えて)ある程度華やかでデザイン性のあるV字やウェーブといった真っすぐではない指輪のほうがしっくり馴染んだりするのだそうで。
夫も、どうせ買うなら石ありがいいよとゴリ押しだったので、最終的には3石ついたウェーブを選んだ。
これまた便利なのが、落ち着かせたい場面では指輪をクルっとまわし石がついてない面を表にすればいいのである。まさしく2way(こういうの大好き)
一つだけ後悔しているのは、事前情報をサラっとしか調べてなかった事。
「結婚指輪探し」という言葉で検索すると、ブログやインスタ、Twitterでその体験談がわんさか出てくる。これを見てから行けばよかった。いろんなブランドの指輪そのものだけでなく、サービス・接客の様子などもレポしてくれてて助かる。あとみんな綺麗だなー手綺麗だなー爪もいいなーと見とれる(指輪見んかい)
婚約指輪もそうだが、私は指輪を商品としてしか見ていなかった。自分には必要ない。無くてもいい。形にこだらない。
でも、結婚へのケジメや想いをわかるように示す手段としては婚約指輪というのはとても大きな意味があるものなのだと、婚約期間を過ごしてみて実感したのだ。私の婚約期間はコロナの時期に丸被りしいろいろなイベントが出来なかった事もあり、夫ものほほんとしているし想いをきちんと口にするタイプではないので「え?これ婚約してる?大丈夫だよね?」状態だった。ヌルっと入籍したというのはそういう事だ。
きちんと準備して指輪を選びに行った人たちは、本当に幸せで楽しい時間を過ごしたんだろうなと思う。
そして婚約指輪、興味なくてもいいからとりあえず見にいってごらん。買ってもらえるのなら買ってもらおう。後でとても意味のあるものになるから。
私は女だ。30後半で結婚した。婚約指輪はもらっていない。なぜならいらなかったから。
婚約指輪は女性の憧れ?知らん。私がアクセサリー?気持ち悪い。ダイヤモンドなんか似合うわけないだろ。
結婚指輪は買うけど、何にもダイヤとか飾りとかついてない真っすぐなやつで。これぞ「THE結婚指輪」。うちの親もこれ付けてた。
婚約指輪ほんとうに要らないの?他のものでもいいよ?と言ってくれた夫。
いらないいらない。パールのネックレスなら使うかな?でもバカ高い。いらない。そのままヌルっと婚約期間を終えて入籍。
でね、うちは顔合わせも結婚式もしてないので指輪の出番がなくて、結婚指輪も入籍後にちんたら買いにいった。
ダイヤモンドがいくつも並ぶショーケース。今までは近づいたこともなかった。場違いだ、一生関係ない、あんなのの何がいいのかわからない。つけたらその美しさに見合わず自分が嫌になりそうな気さえした。
が・・・・・夫に促されてダイヤ付の結婚指輪をはめてみたのが沼の始まり。
あれ・・・・・悪くないじゃん・・・まぁでも毎日付けるんだからダイヤは1粒までよ。そんな3個も10個もダイヤ並んでるのはありえな・・・え?悪くない、いやむしろいい、なんだこれ、、、似合う。これ私の手?え?
私の手は、指が太く短く肉感があり、肌が黄色く皮膚もかたい。爪の形も丸くて平たくて嫌い。とにかくモデルの手と正反対の手。
指輪で手を目立たせたくない。だから石なしのシンプルなストレート以外つけたいと思わなかった。
それがな、逆なんだよ・・・・・手が細く長く美しければシンプルな指輪でも映える。
でも私みたいな指には(年齢的な事も考えて)ある程度華やかでデザイン性のあるV字やウェーブといった真っすぐではない指輪のほうがしっくり馴染んだりするのだそうで。
夫も、どうせ買うなら石ありがいいよとゴリ押しだったので、最終的には3石ついたウェーブを選んだ。
これまた便利なのが、落ち着かせたい場面では指輪をクルっとまわし石がついてない面を表にすればいいのである。まさしく2way(こういうの大好き)
一つだけ後悔しているのは、事前情報をサラっとしか調べてなかった事。
「結婚指輪探し」という言葉で検索すると、ブログやインスタ、Twitterでその体験談がわんさか出てくる。これを見てから行けばよかった。いろんなブランドの指輪そのものだけでなく、サービス・接客の様子などもレポしてくれてて助かる。あとみんな綺麗だなー手綺麗だなー爪もいいなーと見とれる(指輪見んかい)
婚約指輪もそうだが、私は指輪を商品としてしか見ていなかった。自分には必要ない。無くてもいい。形にこだらない。
でも、結婚へのケジメや想いをわかるように示す手段としては婚約指輪というのはとても大きな意味があるものなのだと、婚約期間を過ごしてみて実感したのだ。私の婚約期間はコロナの時期に丸被りしいろいろなイベントが出来なかった事もあり、夫ものほほんとしているし想いをきちんと口にするタイプではないので「え?これ婚約してる?大丈夫だよね?」状態だった。ヌルっと入籍したというのはそういう事だ。
きちんと準備して指輪を選びに行った人たちは、本当に幸せで楽しい時間を過ごしたんだろうなと思う。
そして婚約指輪、興味なくてもいいからとりあえず見にいってごらん。買ってもらえるのなら買ってもらおう。後でとても意味のあるものになるから。
オッスオラ毒親育ち。
今の気持ちをとにかくまとめておきたくて書いた。書き捨てごめんよ。
ついさっき、病院から電話があったようだ。
不在だったので履歴を見ただけだが、検索したら実家最寄りの病院の電話番号だった。
いよいよか、あるいは何もかもが終わったあとなのかもしれない。
どちらにせよ、もう連絡を取る気はない。疲れてしまった。
傍から見れば立派な親不孝者である。
しかし、俺のことをぞんざいに扱う彼らに対して疲れてしまうことも、我慢しなければならないんだろうか。
親を目の前にしたならば、何もかもを菩薩のように受け入れて、何言われても我慢しなければ、親不孝者と糾弾されてしまうのか。
どんなに暴言を吐かれても、自分はふたりのこどもだからと、我慢しなくてはいけないのか?
答えは否である。
問答はこの数十年間、ずっと繰り返してきた。
そのたびに俺の中での結論は変わらず、心の声は毎回同じ言葉を出力した。
「俺は、ひとりの人間である」
「俺は、彼らの人生を彩るアクセサリーではない」
「俺の人生は、俺自身が築いてきたものだ」
「俺は、彼らのプライドを保つために利用されるお人形などではない」
確かにこの身体は、彼らからつくられたものだ。
でも、その身体に宿るこころは、俺のものだ。俺だけのものだ。
だから、俺は、俺のこころを守らなくてはいけない。
これ以上自尊心を傷つけられてなるものか。
きっと、何も知らない親戚一同には罵倒されるだろう。
何せ彼らは外面を取り繕うことにかけては達人レベルなので。
しかしもう決めてしまった。罵倒される辛さよりも、自分の心を守ることを選んだ。
もうこれ以上、俺という存在を、彼らに蹂躙されないために。
世間からは親不孝者以外の何物でもないだろう。
でも、「あのふたりのこども」というレッテルを剥がせる、逃げられるのなら、悪くない。
社会人になり色々な人と出会った。
いいやつもいれば嫌なやつもいた。めちゃくちゃ合うやつもいたし、どうしたって合わないやつもいた。
でも、彼らのような奇妙で異常な人々には、ついぞ出会ったことがない。
社会には出てみるもんだ。危うく洗脳されたまま搾取されまくるところだった。
人生の半分を使って、非常に貴重な体験をさせていただいた。ありがたくて涙も出ねえよ。
昭和も平成もとうに終わった。もう令和の時代だ。
俺もいい加減疲れた。彼らの言葉に傷付けられるのは、これで最後にする。
さよなら、親父。
今日、あんたは死んだ。
あんたの息子も今日死んだ。
それだけのことだ。
こういうコメント書く人頭悪いのかなって思ってる。
まずおしゃれかどうかに生産年は関係ないのは当たり前だろ。例えば現代に、古代のアクセサリーとか復元したらオシャレだろ。明治時代の建物とかさ。だから生産年を引き合いにおしゃれとかそうじゃないとか紐付けてる事自体そもそも言ってることおかしいんだよね。「すごい!この国、日本じゃないのに四季あるんだ!」みたいなこと言ってるようなもんだおz。
あと、「(感覚的に)古くない」ってこと言いたいんだろうけど、感覚的にっていう接頭辞をつけるならばなんでもありになるんだよね。崇めたい対象はいつまでも永遠に心を打ち続けるんだろうから、古く(たぶん価値落ちのことを言いたいんだろうけど)ならないだろ。
あとそもそも分化はブームが入れ代わり立ち代わりサイクルのように回るのが多いから、数十年前のものがまた現代で使わて新しい扱いされるのも普通なんだよね。「○○年前なのに」とかむしろ「○○年前だからこそ今もてはやされてるんだろ」って感じだわ。
逆に言えばそういうこと言う人達って5年前の音楽を古く感じるだろ。でもう15年経ったら新しく感じるんだろどうせ。その曲自体が新しい古いじゃなく、いい感じに神格化されるまで時がたってきたかどうかってことだろ。頭悪い人ばっかだよ
そしてそもそもJPOPって90年代後半をピークに普通に質的に退化してんだよね。楽器数も減ってる、予算も減ってる、歌手も減ってる、売上も減ってる、ライブも減ってる、コード進行も3パターンくらいになってる、だから過去がよく見えるんだけど普通に過去のほうがいいんだよね。「今聴いてもおしゃれ」なんじゃなくてむしろ「今の曲がしょぼい」んだよね。