2020-11-16

病院から電話があった


オッスオラ毒親育ち。
今の気持ちをとにかくまとめておきたくて書いた。書き捨てごめんよ。





ついさっき、病院から電話があったようだ。
不在だったので履歴を見ただけだが、検索したら実家最寄りの病院電話番号だった。
いよいよか、あるいは何もかもが終わったあとなのかもしれない。

どちらにせよ、もう連絡を取る気はない。疲れてしまった。
から見れば立派な親不孝者である
しかし、俺のことをぞんざいに扱う彼らに対して疲れてしまうことも、我慢しなければならないんだろうか。
親を目の前にしたならば、何もかもを菩薩のように受け入れて、何言われても我慢しなければ、親不孝者と糾弾されてしまうのか。
どんなに暴言を吐かれても、自分ふたりのこどもだからと、我慢しなくてはいけないのか?

答えは否である
問答はこの数十年間、ずっと繰り返してきた。
そのたびに俺の中での結論は変わらず、心の声は毎回同じ言葉を出力した。
「俺は、ひとりの人間である
「俺は、彼らの人生を彩るアクセサリーではない」
「俺の人生は、俺自身が築いてきたものだ」
「俺は、彼らのプライドを保つために利用されるお人形などではない」

かにこの身体は、彼らからつくられたものだ。
でも、その身体に宿るこころは、俺のものだ。俺だけのものだ。
から、俺は、俺のこころを守らなくてはいけない。
これ以上自尊心を傷つけられてなるものか。

きっと、何も知らない親戚一同には罵倒されるだろう。
何せ彼らは外面を取り繕うことにかけては達人レベルなので。
しかしもう決めてしまった。罵倒される辛さよりも、自分の心を守ることを選んだ。
もうこれ以上、俺という存在を、彼らに蹂躙されないために。

世間からは親不孝者以外の何物でもないだろう。
でも、「あのふたりのこども」というレッテルを剥がせる、逃げられるのなら、悪くない。

社会人になり色々な人と出会った。
いいやつもいれば嫌なやつもいた。めちゃくちゃ合うやつもいたし、どうしたって合わないやつもいた。
でも、彼らのような奇妙で異常な人々には、ついぞ出会たことがない。
社会には出てみるもんだ。危うく洗脳されたまま搾取されまくるところだった。
人生の半分を使って、非常に貴重な体験をさせていただいた。ありがたくて涙も出ねえよ。

昭和平成もとうに終わった。もう令和の時代だ。
俺もいい加減疲れた。彼らの言葉に傷付けられるのは、これで最後にする。

さよなら、親父。
今日あんたは死んだ。
あんたの息子も今日死んだ。
それだけのことだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん