オッスオラ毒親育ち。
今の気持ちをとにかくまとめておきたくて書いた。書き捨てごめんよ。
ついさっき、病院から電話があったようだ。
不在だったので履歴を見ただけだが、検索したら実家最寄りの病院の電話番号だった。
いよいよか、あるいは何もかもが終わったあとなのかもしれない。
どちらにせよ、もう連絡を取る気はない。疲れてしまった。
傍から見れば立派な親不孝者である。
しかし、俺のことをぞんざいに扱う彼らに対して疲れてしまうことも、我慢しなければならないんだろうか。
親を目の前にしたならば、何もかもを菩薩のように受け入れて、何言われても我慢しなければ、親不孝者と糾弾されてしまうのか。
どんなに暴言を吐かれても、自分はふたりのこどもだからと、我慢しなくてはいけないのか?
答えは否である。
問答はこの数十年間、ずっと繰り返してきた。
そのたびに俺の中での結論は変わらず、心の声は毎回同じ言葉を出力した。
「俺は、ひとりの人間である」
「俺は、彼らの人生を彩るアクセサリーではない」
「俺の人生は、俺自身が築いてきたものだ」
「俺は、彼らのプライドを保つために利用されるお人形などではない」
確かにこの身体は、彼らからつくられたものだ。
でも、その身体に宿るこころは、俺のものだ。俺だけのものだ。
だから、俺は、俺のこころを守らなくてはいけない。
これ以上自尊心を傷つけられてなるものか。
きっと、何も知らない親戚一同には罵倒されるだろう。
何せ彼らは外面を取り繕うことにかけては達人レベルなので。
しかしもう決めてしまった。罵倒される辛さよりも、自分の心を守ることを選んだ。
もうこれ以上、俺という存在を、彼らに蹂躙されないために。
世間からは親不孝者以外の何物でもないだろう。
でも、「あのふたりのこども」というレッテルを剥がせる、逃げられるのなら、悪くない。
社会人になり色々な人と出会った。
いいやつもいれば嫌なやつもいた。めちゃくちゃ合うやつもいたし、どうしたって合わないやつもいた。
でも、彼らのような奇妙で異常な人々には、ついぞ出会ったことがない。
社会には出てみるもんだ。危うく洗脳されたまま搾取されまくるところだった。
人生の半分を使って、非常に貴重な体験をさせていただいた。ありがたくて涙も出ねえよ。
昭和も平成もとうに終わった。もう令和の時代だ。
俺もいい加減疲れた。彼らの言葉に傷付けられるのは、これで最後にする。
さよなら、親父。
今日、あんたは死んだ。
あんたの息子も今日死んだ。
それだけのことだ。