はてなキーワード: 長所短所とは
H22民訴
全体として項目があってすごく読みやすかった。
・設問3
・代理要件については、顕名がないという点だけど、加藤解説では、顕名なき訴訟代理の可否という項目立てて論じてた。この論点の論理の流れは、顕名の趣旨は、当事者本人が誰であるかを相手方に示すもの→代理人が本人の名で訴訟行為やっているから趣旨が妥当する。また、法定代理の場合と異なり、訴訟代理人の氏名は訴状の必要的記載事項ではない(133条2項1号後段対照)から、民事訴訟法は、訴訟委任に基づく訴訟代理の要件として訴訟代理人の氏名の表示を要求してない。よって、民事訴訟における顕名なき訴訟代理も認められる。
こんな感じだった。④の書面の話は解説では触れてなかった。
・当事者の確定を論じるときになぜ、当事者の確定を論じるかを書けるとよかったかもしれない(俺もできてないけど)。具体的には、被告がGとされると、訴状の表示の訂正を要するだけで、Gのした訴訟行為の効力がEに及ぶ。対して、被告がEである場合は、Gがした訴訟行為は被告ではないGが被告として行ったものとなるから、原則として無効となる。そこで、EGいずれが被告かが問題となる、といった感じか。
設問4
(1)
・この問題の長所短所というのは、法律上の主張として裁判所に認められるかどうか、という意味での長所短所らしい(採点実感)。ただ、多くの答案がそのように書いてなかったらしいから、問題が悪いような気がする…
そうすると、法律構成①の長所の記述では点が入らないかも。加藤が書いていたのは、信義則という一般条項を用いることなく既判力を遮断できるから、法律上の主張として裁判所に認められやすい、ということだった。
法律構成①の短所は、既判力の正当化根拠と整合しないことと処分権主義に反する、といことらしい。ただちょっと解説聞いても意味がよくわからなかった・・・すまん・・・
この辺の所は、藪口連載で出題されてたような気がする(問題みて困難でねーだろと思って解説は読んでないが)
(2)
・条件付給付判決は将来給付判決なので135条必要とさらっと加藤は流してた。
・135条のあてはめでは、Fが第1訴訟の時点から被担保債権の金額を争っているため、これを先決問題とする抵当権設定登記抹消登記手続請求義務の存在も争っているといえるから、Aが同義務の履行を求める時期においてFが即時に同義務を履行することが期待できない、というあてはめをしてた。義務者の対応を問題として認めているってことかな?
・246条違反の話だけど、これって原則例外の話なのかがちょっと気になった。あんまり質的一部認容判決の話で原億例外っていう感じで論じているのを見たことがないので。違ってたらごめん!
・被告の防御権を侵害するかのところで、加藤は、残債務500万円のところに既判力が生じない、という点を論じていた。ただ解析とかでも訴訟で争えったから不意打ちではないって書いてあったから、ここまでかけた人がどれだけいたのか疑問ではある。
イレーナ(study)三部作を読んだ。純粋に面白かった。ハラハラドキドキワクワクさせてくれる、強い物語をずっと読みたいと思っていたので大満足だった。
毒見師イレーナから始まる今回の作品群の魅力は、かなりシビアな状況設定にあると思う。主人公が選ぶことになる最初の分岐点にしても、殺人を犯した罪で死刑になるか国の最高司令官の毒見役になるかだから押して図るべし。
国の体制も面白くて、管理社会主義と呼んでもいいシステムの良い面と悪い面がちゃんと描かれていた。後々出てくる南の民主国家との差異もはっきりしているから、より長所短所が明確になっていた。
孤児院での悲惨な過去があり、死刑を免れたと思ったら誰にも気を許すことのできない毒見役の仕事が待っていて、その生死さえ周囲の人々の賭け事にさせられしまうイレーナだけど、なんやかんやで懸命に生き抜こうとするところが格好良かった。時折優しくなるけどいつも心の内が読めない上司のヴァレクを筆頭に、イレーナの周りを彩るキャラクターも生き生きしている。のちに良き理解者になってくれる軍人のアーリとジェンコは武芸のいい市販であり優しいお兄さんたちだったし、同じく軍人のマーレンは戦い方の道を決めてくれた姉御肌の人だった。最後まで意地悪な家政婦のマージもいい味を出していたし、料理人のランドや裁縫氏のディラナも素敵なキャラクターとして配置されていた。
敵役が憎々しいのもいい。微塵も感情移入できない屑どもなので、最後にはスカッとできると思う。
世界観としては魔術がかなり強力なんだけど、武芸の練習をしっかりしているところなんかは精霊の守り人を思い起こさせた。また生い立ちとか境遇を見ると獣の奏者のエリンにも似てるところがあるなあって思った。だから上橋菜穂子作品が好きな人は楽しめると思う。というか、ファンタジー好きならいける。ファンタジーが好きじゃなくてもいけるはず。テンポもいいし、ちょっと変な言い方だけど章立てがするとずるいので、一度読みはじめたら最後まで読み進んでしまうと思う。
そんな一巻「毒見師イレーナ」は策謀の張り巡らさせた軍国を、平凡な主人公が前向きな性格と機転をきかせて生き抜く物語なんだけど、二巻の「イレーナの帰還」では追放された南の民主国で自分の居場所を見つける物語になる。でもって、この二巻からこのシリーズ最大のヒロインであるキキが登場する。ぶっちゃけてしまうと馬なんだけど、口足らずな言い回しや、胃袋の具合から世界をのぞく精神性など、本当にかわいらしかった。微妙に主人のいうことを聞かないのもいい。すごくいい。本当に。
さて、二巻では民主国家のいいところと悪いところが描かれている。軍国にはなかった着衣の自由や移動の自由がある一方で、路上には幼い物乞いがおり、誰も彼らに手を差し伸べようとはしない。少しでも優しくすれば彼ら際限なく要求するからだってのが理由なんだけど、イレーナは違和感を覚える。完璧な国家は存在しないと軍国の最高司令官はいうんだけど、現実社会においても同じことが言えるよなあって思った。
物語として二巻は居場所を主題にしていると思った。始まりからして生き別れた家族との再開が描かれているし、養成所での身のふるまい方に苦悩するところなんかも、一巻の生き死にの問題とはまた違った悩みを描いている。そんな二巻だけど、テイストとしてはミステリっぽい連続殺人犯を探す展開もあって新鮮な読書感が得られた気がする。ただこの巻からイレーナの性格の問題が噴出しはじめるので、もどかしくさせられることが多くなった気がする。
また二巻から翻訳者が変わってたのにはびっくりした。思えばちょっぴり文章が柔らかくなっていたのかもしれない。けどあんまり気がつかなかった。翻訳者ってすごいですね。
三巻の「最果てのイレーナ」は自分自身と向き合う物語だったと思う。この巻は読んでいて結構つらかった。どんどん悪い展開になっていくし、イレーナが覚悟できないから仲間との関係も悪化してしまう。追い詰められていくのって嫌な感じだよね。ただその分、最後のカタルシスは大きかったと思う。自分自身と向かい合い、与えられた力の意味を知った途端に形成が逆転するのは気分がいいです。
一巻一巻が長いなんだけど、読みはじめたら止まらなくて、一気に三巻も読んでしまった。どの巻も登場人物が多くて、ちょっと把握するのが難しいところがあるんだけど、それぞれの表裏というか、いい面と悪い面がしっかり描かれていたので、人間味があって生きている感じがよく出ていたと思う。
全巻本当に上質なファンタジー小説だったので、いろんな人に読んでもらいたい。ありがちな中世ヨーロッパがモチーフのファンタジーじゃないから、そういうのに倦んでる人も安心なはず。加えてヤングアダルトっぽさもあるので、若い子にもおすすめ。朝読書の時間に読めば、え、海外の小説読んでんのってびっくりさせられると思うよ!
そして、願わくばこの作者の他のシリーズを翻訳してほしい。この三部作の続きとなる物語もすでにあるって話なので。どうかお願いします。翻訳してください。このとおり。
本を読まない人種とはそもそも気が一定以上合わないってことがわかった。結果論としてね。特にちゃんとした理由はない。
読みまくってる人ってわけでもないし、たまに読むってだけでもいい。全く読まない人とだけ、気が合わないんだと思う。
別に自分がめっちゃ文字に対するこだわりだとか、愛があるわけでもなく、また別に自分が論理的な思考に長けているとも思わない。
この文章に関して言っても、自分の言語表現と思考のアウトプット能力の低さを感じるし、別に自分が本を読んでいて論理的な思考を得たとも思っていない。
そもそも論理的な思考ってはたして自分が頭の中でしている「これ」なのかもわかってない。
まったく本を読まない人って、ほぼ例外なくほんと直感的に生きている感じはすごくする。
湧き出した感情だけで行動する人、いるじゃん?
A「手伝ってよ!」B「え~」みたいな。
で、本を読むと鍛えられるのは言語能力はもちろん、情報処理能力、多角的な思考力の上昇に効果があるといわれているし、すごく実感している。
たぶん本を読まない人って、本を読むことによって得られるコミュニケーション能力を、失ったことに気付きたくないんじゃないかな。
やはりこうまとめていて思ったけど、たぶん本を読まない人って、ある意味頭が鈍いって言い切っていいと思う。
おそらくもう慣れすぎていて本を読むことにすら脳がその疲労に耐えられないんじゃない?
それが「本読まないんだよね」っていう言葉に隠れているけど、
ようは「本を読むの耐えられないんだよね」っていうことだよたぶん。
また、本を読む人は本を読む人とレベルが合うし、本を読まない人は本を読まない人とレベルが合うんだろうね。
良し悪しはない。
結構この読書するかどうかによる人間の分け方は信用できると思う。
本を読む人って、やっぱり論理的な思考、そのアウトプットにも優れているから、
それが本を読まない人にとって「理屈っぽい」「冷たい」っていう言葉になって表わされるんだと思う。
本を読まない人にとって本を読む人の言葉というのは感情を感じないんじゃなかろうか。
「冷たい」「理屈っぽい」って、ようは少しでも文語的な表現になるのに慣れてないだけで、
ただ、本を読む人っていうのも、そりゃもともと人間うまれたとき「ほん」なんてものは知らないわけだし、
文字を読むことを知ってしまってから脳みその構造が変わってしまっているだけで、
もしかしたら生物的に見たら本を読む人の方が、毒されているというか、普通じゃない可能性もあるね。
要するに本を読む人は文語的な表現を口語でするようになるから、
本を読むことに脳が耐えられない人にとって「冷たい」「理屈っぽい」という表現になる、
しかし本を読むことってはたして常識かといわれると、本当は人間は本を読まない状態が自然であるといえる。
さぁいったいどっちが正しいのか?
そりゃ本を読む人だよ。
だって1900年以降の現代社会の進化って、論理的な思考なしには不可能だからね。
いまのこの世を回しているものに、自らの価値を反映させるには、論理的な思考が絶対的に必要だからね。
この言葉が持つ意味は現代では広すぎるけど、これ以外の言葉もないんだよね。
一般職や専業主婦を目指す女性か、人と接し続ける仕事をする男性にのみ効果があって、それ以外の人が感覚的に生きると、
自分の意見がない、周りに合わせる、協調性があるとしか言えない、自分の長所短所がわからない、
そういった事態に陥るので、決してよくないと俺は考える。
一番なんとなく腹が立つのは、こういう人間に限って自分の長所を「情に熱い」っていうんだよね。
その熱さ、みんなあるよ。
本を読まない人に告ぐ。
君らが思う、「あいつは何考えてるわからない」という言葉って、
要するに「俺には理解できない。俺に合わせろ。」って言ってるのと、同じことなんやで。
本を読む人からしたらね。
ただ、本を読まない人にとって、本を読む人がそれに対して立腹すること自体が理解できないから、
俺ほんと頭悪い文章書くな。
技術者を抱える組織のマネージャーって、専門知識についても理解があって(もちろんほんとのエキスパートには敵わないけど)、
部下のそれぞれの担当領域の報告について、今後どう進めるかの決定権とその責任を持つ、という認識でいいのだろうか。
その決定によって、今後の方向性とそれに伴う予算やリソースが決まるわけだし。
部下の報告の方法は、ソフトウェアであれば、上司にソースコードや要求書読ませるのは職務放棄とは思うが、
取りうるいくつかの選択肢と、それぞれの長所短所とかかるコスト等の分析までしていれば最低限はOKだろう。
全部を定量的に可視化できれば理想だが、定量的に表現するのが簡単じゃない(時間や手間がすごくかかる)場合や、
そもそも方法が確立されていないような場合、可視化しきれなかった部分は仕事としてみなされない。
決定する対象にもよるが、自分が管理しているチームの定量化できない部分の事情にも理解を持ち、
ある程度アナログな決定ができるのがマネージャーとしての能力ではないかと自分は思っている。
全部定量的に示せたら、それ既にマネージャーの判断要らなくないですか。
専門知識とか、年々変化している技術動向や開発環境について、新たに勉強しようとしない人が出世して、
「俺がわかるように説明しろ」て言ってるのはなんでだろう。
小学生のとき、多分文集か何かだったと思うけれど、名前の由来や長所短所を書く親の欄に「長所・なし」と書かれたことがある。
母は私の長所が思い浮かばずにしばらく悩んでいて、どうしよう何を書こうと私に相談してきた。
何も思い浮かばないんだったらなしでいいんじゃないの?と言ったのは覚えてる。それもそれで面白いからいいや、と子供心に思ったのも覚えてる。
母は私の言葉通りに書き(え、ホントになしって書くんだと驚いたことも覚えているから、おそらく本当にそう書くとは思っていなかったのだろう。なんだかんだ言って最後には長所を書いてくれると思っていたのだろう)、それが文集になり皆の目にさらされるとは思っていなかったらしく、知らなかった「なし」と書くんじゃなかったと後から言っていた。
ああ、何も思い浮かばずに子供の言葉通り「なし」と書いたのに、それが文集にのると知ってたら違うことを書いたってこと?嘘を書いたってこと?
あ~思い出すなぁ。あの時感じた母への違和感。信頼感がなくなっていく感じ?
数年後かな。弟の部屋で何故だかわからないけど文集をパラパラと見ていて、そこに同じものがあった。両親が書く欄。名前の由来と長所短所。弟の長所は、もちろん「なし」なんかじゃなくてきちんと書かれていた。確か優しいところ、だのなんだの。泣きそうになったなぁ、あの時。ショックだった。ああ私の良いところなんて考えても出てこなかったのに、「なし」と書かれたのに、弟はこうやって書くんだ、と。当時の私はヒステリーが激しくて、機嫌が悪いときや嫌なことがあるとすぐにギャーギャー騒いでいたから、母はかなりしんどかっただろうと思うけれど、あれから20年以上たつのに未だにふとした瞬間に思い出すよ。これだけじゃない、今までのうらみつらみ。(って言葉は大げさ?)
不思議だよなぁ、してもらって嬉しかったことももちろんあるはずなのに、傷ついたことばかり思い出して、忘れられない。
女の子が欲しい、と素直に無邪気に言える人って、母親との関係が良好だったからじゃないのかなと思う。幸か不幸か分からないけれど、男の子をふたり授かりました。ひとりごと終了。
学生時代に力を入れたことや長所短所と違って、なんの裏付けもないことを自信満々に話すなんてどうかしてる。
大学で友達ができないことを、まぁ俺が悪いんだろうな、でも無理して周りに合わせることもないし適当に生きるわHAHAHAと、そう重要な問題でもないと捉えてやってきたのだけれど、事の原因となる精神上のバグは結構看過できないんじゃないかと思えてきた。
僕は物事をメタ的に考える癖があって(この文章もそうなんだけど)、何に参加するにしても、何を見聞きするにしても、務めて客観的に判断しようとしてきた。そうすると、どんな物事にもある長所短所を明確化してしまい、それをリターンとリスクに置き換えることで心の天秤にかける癖がついてしまった。するとリスクが怖くて一歩が踏み出せなくなって、でもそんな臆病な自分を認めたくなくて、結果的に物事をシニカルに批判することで、それをしようとしない自分の立ち回りを正当化してきた。
もちろんこういう態度は少しずつ改めなければならないと思うのだけれど、友達ができないことと性格を結びつけたとき、やっぱり「あんな遊び方をする大学生はアホだなぁ」と、見下して、滑稽にも自分の精神的優位性を何よりも大事に大事にしてきたのかな、と思っていた。
でも本当にそれだけが原因なのか?と感じたのは、何をしても楽しくないと気付いたときだった。
いつものように分析的になる前に、いや、よく考えなくてもやっぱりこれは楽しくないなと思ってしまったのだった。要するに今まで現状の原因は全て自分の自己形成にあったのだと思っていたのが、やっぱり先天的に集団に向いていないのではないかと思い返さざるをえなくなったのだった。
昔からなんとなく、僕は人に媚びるのも媚びられるのも嫌いだった。友達が描いた絵よりも雑誌で見る絵のほうがかっこよかったから、なんだか友達を褒める気になれなかったし、友達から来た内輪ギャグメールにも対応する気になれなくて全て無視してしまっていた。よく言えば、自分の中の評価ラインを持っていて、身内だからといって贔屓しようとは思わなかった、のかもしれないが。
けれども友情は相互承認から生まれてくるものだと思うし、相互承認の自覚も必要なのだから、きちんと承認を伝え合わなければいけないと思う。
さて、表題なのだけれど、自分が集団や相手に愛着を持てない原因は自己形成なのではなく育ち方にあったのではないかと、別方向の考え方を提供してくれたのが「愛着障害」という本でした。同じように悩む方は是非読んでみるとよいと思います。
例えば母親をなくした人が、例えば安心できる家庭環境になかった人が、愛着の持てるものを幼少期に与えられなかった人は愛着障害に陥り、過度な人間回避又は他者依存に陥るのだという。その他にも重度のトラウマを抱えたり、親に褒められたことがなかった場合など、多岐に渡るケースが取り上げられているので参照されたい。
要するに、まぁ前半の僕の自分語りはほんとどうでもよくて、すみません、人間関係で悩む方は自責するばかりではなく、別の視点からの問題を知ることで、解決に役立てればよいのではないかなと思いました。
最後に、この文章は結構痛くて、中二病っぽいんだけど、僕としてもそうであってほしかったというか、他人と違う自分を誇らしく思っていた時期もあったのだけれどそれは自己韜晦の上に成り立つ特異感だと思っていたからであって、いざその時期を過ぎると本気で悩みの種にしかならなかったのです。そういうことってありませんかね?
今年も就活の時期はやってきた
私も昨年、今年の就職活動のことを懐かしく感じている
そして、面接に対して「コミュ障だから落ちる」という意見をよく目にする
私はこれに苦言を呈したい
かくいう私もコミュ障だ
※コミュ障
>人とまともに話すことができない、極度の人見知り、どもり、対人恐怖症など。
>長年引きこもり生活が続くと発症しやすい。また、逆説的ではあるが、コミュ障の人は引きこもりになりやすい傾向にある。
(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B3%A5%DF%A5%E5%BE%E3 より引用)
極度の人見知りだ
休日は絶対に家から出ないし、友人も少ない、彼女ももちろんいない
なにより男女問わず、仲良くない人と話すのが嫌いだ
言い淀んでしまったり、気まずくなってしまったりすることも多い
面接が1次~3次とあれば、1次で落ちることはなかった
むしろ面接までいければ最終、もしくは内定をいただけることが多かった
なぜか?
相手が親切にも知りたいことを聞いてくるからだ
メールの返信と同じだ
好きな子とメールを続けるには疑問文を入れるとよい、とはよく言われる
そこまでの熱意がないか、志望理由が曖昧であるか、もしくは頭の回転が悪いか、だろう
質問に対して答えは浮かぶものの文章として口から出せないのは、
単に文章力が乏しいのだろう
「変なことを言うと気まずくなる」
言われたことにただ答えればいいのだから
もちろん面接の中で
「相手にどう話せば自分をアピールできるか」
「どう話せば自分に興味を持ってもらえるか、うまく伝わるか」
などは考えなければならないが、
それは「話す」こととは関係ないと、私は考える
もろもろの聞かれやすい質問には回答を用意しておくのは当然のことだ
話を戻して
趣味も合わない、相手のこともよく知らない、何を話していいかわからない、話したくもない
それでも話しかけられたときなどやむを得ないときは話さなくてはいけない
相手はこんな私と話して楽しいのだろうか?
自分の興味のある職種・企業、相手に自分をアピールする"目的"での対話、自分の将来のために話す
そして内定が頂けたら、自分自身が、自分の話がその企業に認められた証拠だ
こんなに嬉しく楽しいことはない
論文でも書いてみたら?
学生は学業に力入れてなんぼのものだろ、という面接官へのウケはいいかも。
それはともかく
学生時代に力を入れたことはこれです、と虚飾でも何でもいいので、話ができるネタを1つ。
あると便利。
就職活動をはじめると、自分がどういう人間で、長所短所がどうのとわかってくることもおおい。
個人的には、
大学を卒業する圧倒的多数は「沈黙者」になってると思うのだけど。
声の大きな、発信する力のある人ばかりが目立ってしまっているだけで。
通勤電車の乗客のうち、どれだけの人が羽ばたくことができたのだろう?
それほど多くはないんじゃないかなあ。
自己分析必須論とか、批判論とか、この時期学生は惑わされ続ける。
この間そんな後輩から相談されて話した内容を、本人からの要望もあって、増田に書くことにする。
発端はこうだ。
大学時代の部活の後輩から「相手から見た自分を知りたいので、ぜひ書いてくれ」と長所だの短所だのを書いて欲しいとメールがあった。
んで、大学時代の後輩を思い出しながら「カタンでは資源バランスを重視して、極端な戦略をとることが少ない」とか「ドミニオンの後半戦では集中力が切れるのかミスが多いので、熟考した方が良い」とか書いたが、せっかくなので飯でも食いながら相談にのることになった。
自己分析をしているが意味があるのだろうか、と開口一番聞かれた。
そりゃ意味はあるだろうと答えて、しばらく話してて、どうにも噛み合わない。
どうも自己分析は不要とか、むしろ害だ、みたいな話があるらしい。
確かにその場でググるとまあまあ出てくる。もっともな意見もある。
なので、オマエの思う自己分析とはなんだ、と聞いてみた。
「自分の内面に本気で向き合う」「その業界に入りたいか真摯に見つめる」みたいな事を言う。
まあ、どっかで読んだんだろうが、どうにも文学的な表現が多い。
だから、自分もやったし、意味もありそうなやり方でやり直して見ることにした。
いくつかポイントを話して、後日また飯を食うことにした。
時系列的にここで一週間ぐらいあくから、その間にポイントを噛み砕き直して話すことにする。
例えば、ググると以下の様な事故分析を見つけることが出来る。例だけどな。
限られた予算でより大きな事故削減効果を得るためには事故発生要因の科学的・客観的な調査分析に基づいた対策が重要と考えられます。当研究室では道路環境的要因に起因して発生する交通事故を削減するために実施される交通安全対策の立案を支援するために、主に道路状況、交通状況と交通事故との関係を分析しています。
(中略)
4車線道路での中央帯の有無による事故率の違いを分析したものです。事故率の低減には幅員1.0m以上の中央帯、すなわち分離帯の設置が有効であることが分かります。
分かりますとか書いちゃってるが、そのへんのツッコミポイントは取り敢えず置いとく。
要は、分析ってのは、データを集めて、何がしかを得たいためにやるわけだ。
んで、データの中から『中央帯の有無による事故率の違い』ってのを拾ってきて、
交通事故を真摯に見つめたり、分離帯に真剣に向き合ったりはしない。(してるかもしれないが、レポートには書かない)
『内定獲得対策の立案を支援するため』にやる分析だったら、『○○の有無による内定率の違い』のデータ引っ張ってきて、『だから○○の実施が有効』って導かなきゃならん。
だから、就職活動でよく言われる自分を見つめなおす自己分析みたいなのは、まだデータ取りの段階で、分析には他と比較せにゃならん。
そういう事を話したら、納得したのか次の週に持ってきた。
曖昧なもんだが、本人もOKらしいのでざっくり書くと、次のあたり。
さらに飯くいながらヒアリング(ってほどでもないが)をして、加えた。
「この中で、どの有無が、内定率に影響しそうか?」って。
俺は大学名、成績表、研究室の名前、出身地とかもじゃないかな、と指摘した。
その上で、最も大切なことを後輩に伝えた。
「で、これって他のやつと比べてどうよ?」って。
あんまり変わんないかもしれないですね、ってのが後輩の答えだった。声は小さかった。
俺は、まずそこが第一歩だ、と言った。
自己分析なんて言ってはいるが、自分と他人、大仰に言えば自分と世間とを比較するわけだ。
他者なしに自己はありえないと言うとカッコイイけど、何も言ってない。当たり前だからだ。
自分の長所短所なんてのも、世間様一般と比べて秀でているか劣っているか、みたいなことを聞かれているわけだ。
世間様のモノサシでオノレを測る作業を、自己分析とか言うから惑うのだ。
他人と比較しよう!世間水準と比較しよう!と素直に言えば良い。
自分を真摯に見つめなおして、実はロリコンじゃなくてショタらしいと解ってショックを受けてどうするつもりなのだ。
NTRが好きなんじゃなくて、実は着衣に萌えてたと新たな発見があって、何がしたいのだ。
(営業だけは嫌だと思ってたヤツが、実は営業が好きかも、と思うのは、どっちかというと見つめなおしじゃなくてインプットが足りないだけだ)
後輩には、結局就職活動なんて運みたいなもんだと言った。
なんかぐちゃぐちゃ言ってきたので、例え話をした。
いろんな女王様が、軍団の新入りを募集していると仮定しろ、と。
例えばすげえ好みの女王様がいたとして、募集に応募したとする、と。
それで、結局新軍団員にはなれなかったとする。オマエが恋焦がれていたのにもかかわらずだ。なぜだと思う?と聞いた。
他のやつと熱意に差があったから。いや、オマエすげえ好みだって言ってた。
他のやつと体力に差があったから。想像したくないがみんなオマエみたいだった。
じゃあ俺がフラれて、そいつらが傅けるのはなんでだ!とか興奮に磨きがかかってきた。
そう。女王様の好みは判らんし、その理由を聞いても本人も判らんかもしれない。今朝のトーストが上手く焼けたから左のオトコ、とか言ってるかもしれないのだ。よく判らんが。
ポイントは、外から推測しても、女王様の好みは変えられないってことだ。
ここで、自己分析に戻る。
後輩にもうっすらわかって来たようだった。
つまり、女王様に気に入られるにはどうしたら良いか考えれば良いと。
肉体を磨き上げる時間がないのであれば、少しでも周りと比較してアピールすれば良いと。
ヨイショも当然必要だから、女王様の情報は舐めるように調べると。
そして、「自分はあまり秀でてはいないかもしれないけど、劣ってはいないと思う。だから、周りが劣っていれば普通の自分でも選ばれるかもしれない」と。
素晴らしい女王様は、他の奴らも軍団入りを狙うし、きっと自分が選ばれるのは女王様の気まぐれに期待するしか無いから、確率が低いだろうと。でも後悔しないように行くだけ行ってみたいと。
それでいいんだ、それが二歩目だよ、と言った。
じゃあ、まず何持ってるか確認しないと。
自分は七対子が作りたいのか、三暗刻をほんとに狙いたいのかと悩む奴はいない。
作れるのか、狙えるのか、だ。
だれだって天和したり、直撃して逆転したいに決まってる。俺だって2chを監視して3兆ぐらいもらえる仕事が本当に心の底からしたい。でも無いんだよ。
4種しかないのに国士狙うってのは、無謀ってもんだ。別に夢に生きてもいいが、負けるのが前提だ。
長くなったし自己分析と就職活動の狙い方が混じってきたから締めるが、そういうことだ。
自己分析は必要だよ。手持ちのカードを見ないで勝負はできない。
数字にできる勝負どころがないなら、気に入られそうな利点をあげても良い。
十人並みの嫁さんだって、口説くときには「俺と良い国作ろうぜ」ぐらいは言うもんだ。(最近は揉めてるらしいが)
そういう、オノレを知り、どこに賭けるか検討する作業は、やって損はない。
結局、後輩は、かしずいても良いと思える女王様の軍団に入れた。
>一枚のバスタオルを一週間繰り返し使う
大きさ以前に個人的にここが無理、二日が限界一週間は無理
雑菌繁殖してそうで耐え難い
それはともかく
拭き心地は完全にバスタオルに軍配が上がる、あと大きいとは言え一枚で済むので干すとき割と楽
身体にも巻けるし縫うとバスマットになれる、というか別に縫わなくてもほつれ気味なのを二つ折りにして敷いたりして使えなくもない
フェイスタオルは旅行に持ち出せて便利って程度かな…最近腰の調子が悪いのであまり枚数が多いと干すのが面倒
あとバスタオルが身体に巻けるというならフェイスタオルは頭に巻けるので重宝する(長髪なので)
ともあれ
バスタオルにはバスタオルの、フェイスタオルにはフェイスタオルの長所短所があるものなのですから
わざわざ家庭で統一しないでそれぞれ自分の使う分準備すればいいじゃない
私はIT系専門学校に通っている。わかりやすく言うとプログラマ養成校だ。これからそういう学校に行こうと思ってる奴、考えている奴らに、長所短所をシェアしようと思う。
・良いところ
基本情報がとれること。あえてあげるならこれであろう。今のシステム開発業界はリーマンショック以来の冷え込みがつづいている。昔ならプログラム未経験でもホイホイやとってくれたものが、今ではベテランでもどんどん切られる。そういう時代である。私も面接時に基本情報をもっていることが評価された。大学などでは基本的に資格取得のための授業をしてくれない。そのため独学でやる必要がある。もちろん独学で取れない資格ではないし、独学がのぞましい。しかしこれは全ての情報系検定の基礎になるものである。できるならば誰かに教えてもらうのが好ましいと思う。私は今はプロジェクトマネージャ試験という、試験の勉強をしている。これは情報系国家試験の中で”Level4”に区分される高度試験である。(ちなみに基本情報はLevel2)実はこのプロマネ試験、基本を取っていれば以外と独学でいけるのだ。これは他のLevel4試験にも言えることだと思う。基本的な知識は基本情報で勉強し、高度試験ではそれの読解、論述が出題されるイメージだ。高度試験取得のためにも、基本情報はしっかりと教師に教わったほうがよいと私は考える。
・悪いところ
企業側からの専門学校の評価が低い。これにつきる。正直そのへんの大学よりは授業内容も深く、仕事に活かしやすい。しかし、最低学歴として大卒を設定している企業が非常に多い。とくに中堅・大手にはその色が強い。そのため、それまでITとは無縁だった文系大学生にも追い抜かれてしまうのだ。ただこれについては本人のやる気しだいだといえる。yahooやドワンゴなどの一部の企業は専門からでも採用している。そういった大手を狙うならば、入学したその日からそれに向けて努力すべきである。情報知識などは正直ほどほど。求められるのは圧倒的自主性とコミュ力。例えば自分でサーバつくっちゃったよ~とか、クラスメイト巻き込んでサイトたちあげたったなど、クリエイティブな活動が評価される。
結論から言うと、純粋にプログラマを目指したいならこれほどよい教育環境はないだろう。短期間で資格習得することができ、実務に近い授業を受けられる。しかし大企業などを目指したいなら専門学校に来るべきではない。3流でも4流でもいいから大学に行くべきである。そして目標が曖昧な奴な絶対に来ないほうがいい。そのへんの専門とは違い、ほとんどの授業が座学である。それに耐え切れずに挫折したクラスメイトも普通にいる。適当に遊びたいならファッション系か3流大学にいくべきだ。この記事が、未来ある若者のためにならんことを
奥さんと私の妻はすごく似ているっぽいです。ついでに元増田の人と私はとても似ているっぽいです。
読んでいて、あるあるwとニヤニヤしてしまいました。
私たちの場合も、妻が同じように良くわからないタイミング、理由で爆発して、私が理解できずに困惑する、ということが続いていました。
今でもたまにありますが(なくなる、ということはないと思います)、いろいろあってだいぶ改善しました。
それまでは、私はずっと相手を理解してあげたい、自分がうまくやることで解決したいと思っていたのですが、
一度我慢が限界に達し、私のほうが相手に対して怒る形になり、
君の考えていることを察してあげたいけど、残念ながら自分はそういうことがうまく出来ない。
君はあまりそういうことが得意じゃないみたいだけど、思っていることをちゃんと言って貰わないとわからない。
不満や要望があるなら溜め込まないでそのときに言ってほしい、でないとずっと同じことを繰り返すことになる、
というような話を頑張ってした結果、問題の一端を理解してくれたらしく、以降はだいぶ改善されました。
思うに、お互い性格が違っていて、長所短所があるのは当たり前なわけで、
お互いに自分と相手の長所短所をを自覚できれば二人で改善していけるのではと思います。
逆に一人で頑張ってもどうにもなりませんし、フェアではないです。
もし私たちと同じパターンだとすれば、元増田の人は書き込み上の建前だけではなく、奥さんの前でも自分ばかり改善しようというスタンスで臨んでいるのでは?
それがうまく改善されない理由になっているように思います。
あなたとしてはそれが思いやりなんだと思いますが、奥さんの言っている傲慢というのも、それに近い意味なのではないかと思います。
まぁいざそういう話をしようとすると、また衝突してしまいそうで気が引けると思いますが、
そう考えていること自体があなたの性格を現していて、問題になっているのだと自覚すべきと思います。
あなたが正しいと思っていることは、「真実」ではなく、「あなたが正しいと思っていること」にすぎない。
あつかましいようですが、少しでもヒントになればと思いまじめに書きました。
さっき一回書いただけなのにいつもの粘着扱いされたんだけど何なんですかね。
とりあえずまだ未婚だし自分自身は幼稚園組で保育園組がうらやましかった口なんだが。
あと子供の面倒をみる仕事をしてたから、親のやり方や環境なんてたいしたパラメータじゃないって思うし。ちょっとひねくれたり我を通してみたりするのは、誰でも通る道で、遅いか早いかだけみたいな。
長所短所どちらにもあるけれど、完璧な育児なんてないだろうし、どちらかというと失敗してもそれを掬いあげる社会であってほしいとは思うよ。でなきゃ息苦しすぎる。仕事だってなんだって失敗しながら学ぶもんだろう。何で育児にはそれがきかないんだ。