「誰にも言えない」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 誰にも言えないとは

2022-11-15

仲のいいフォロワーさんがずっと人の顔の絵ばかり描いている

自分も絵を描くけど、顔を描くのが一番楽しくて背景とかものを描くのつらいもんで、他の絵師さんで背景きちんと描き込んでる人とか見るとえらいなぁと思うタイプからその人の絵は「楽で好きで楽しいとこばっか描いてんなぁ」みたいな気持ちがわいてきてしま

無言でいいねだけ推してるけどね

誰にも言えないので供養

2022-11-12

体調不良

誰にも言えない

言ったら心配をかけるしみんなそれどころじゃない

病院行けるような気力もない、ただ辛いから辛いと聞いて欲しいだけ

からここで

頭いたい、だるい 息苦しい 気持ち悪い………

身体上手く動かせない

食欲無いことが辛い

2022-11-04

怒りっぽい自分をどうしたらいいか

自分が常に怒っている理由ははっきりしていて、とにかくめちゃくちゃバカみたいに労働してるのに、もっと時間をかけて丁寧にやれ、と言われること

仕事の量が死ぬほどあるのにじゃあほかの人がやってくれるかというとそうじゃない

上司が細かくて厳しいせいで、ほかの人と成果物の差はあまりないように思える(実際にそういわれる)のに、もっと丁寧にやれと、細かい部分をつつかれる

時間がないかイライラしている、だから時間のとられることを言われるとすごく怒ってしま

自分奴隷だと思って自分のすべての時間会社のために捧げるのだ、そのぐらいの勢いでないとこの怒りは収まらない

もちろん会社で怒りを表明したりはしないようにしているが、己の中の怒りはどんどん蓄積されていくばかりで消えない

会社にささげたってアラサーの私がそのあとどうなるかなんて会社は知ったことじゃないだろう

この怒りはどうマネジメントしたらいいんだ

ずっと怒っている 半年以上ずっと

誰にも言えないままずっと怒っている

2022-10-30

大学に行けたならよかったなあ」って言う高卒の人は沢山見るけど、俺は「大学になんか行かなければ今頃もっとマシな生活してたのに」って毎日思いながら生きてるよ

これ言うと大学に行ける恵まれた家庭環境に生まれた癖になんてことを言うんだって思われるし俺もそう思うから誰にも言えないけど

なんの勉強がしたいわけでもなく何かに打ち込みたいわけでもない俺みたいな奴に親や周りが「キャンパスライフ絶対楽しいから」「就職に有利だから」みたいなこと言うから適当に進学しちゃった、その辺の私大に。4年間と学費を失っただけ。

卒業だけはしたけど何も得られてない、高卒でもできる仕事をしてる

高卒で働いてた同級生はもう社会人経験が4年以上俺よりあるんでしょ

そもそも特定学部でしっかり学んだ人じゃないと働けない仕事の方が少ない

4年間ニートの方が学費が手元に残るだけマシだった。洗濯機を買い替えたいよ俺は今

2022-10-21

自分が「不妊様」になるとは思ってなかった

誰にも言えないから、ここで。

不妊治療で専門病院に来ている。

子連れで通っている方の、

赤ちゃん子供の声がマジで耳障りなんだよね…。

不妊様みたいなこと言っちゃってるけど、

街中とか、電車とか、友人とその子供たちとご飯食べてるときとか、日常生活では全然気にならないんだよ。

病院だけ、内心で不妊様が発動する。

人気の病院でめちゃくちゃ混むから、3時間くらい聞いててつらい。

二人目不妊とか事情もあるだろうから、顔や態度には出さないようにしてるけどさ〜。

一人産まれてていいなぁ、っていう嫉妬なんだろうなぁ、やっぱり。

2022-10-15

父親を殺したい

タイトルの通り。

自分20代後半。男。

高校に上がるまで殴られてました。

食事後に「皿を片付けなかった」という理由で腹を殴られたり、夜寝るときに「エアコンを付けたい」と言ったらうるさいと顔を殴られたり、他にも温度を上げたシャワーを頭から浴びせられたりと、こんな小学中学生活を送ってきました。

この頃僕は学校でも虐められていて、正にどこにも逃げ場がない状態で、誰にも言えないので耐えるしかありませんでした。正確に言えば当時の担任には言いましたが、解決するどころかより陰湿になりました。

父親がこんなんでして、じゃあ母親はというと、父親の味方でした。何かあれば父親電話や対面で報告し、僕が殴られる。父親は殴るだけですが、母親は殴る蹴るの両刀です。でも父親の方が圧倒的に畏怖の対象でした。アニメなんかの表現で、「自分が縮小、相手が拡大して画面一面を相手存在が覆う」みたいなのあるじゃないですか。あれは「対面する相手との力の差が歴然となっている表れ」みたいなもんですけど、実際そんな風に見えました。まるで自分存在ゴミ同然のような、そんな感じでした。

母親父親と比べれば力もそうですし、今振り返れば精神年齢が当時の僕に近かった気がします。例えば売り言葉に買い言葉みたいな調子とか、子供喧嘩特有(?)の「相手言葉を真似して挑発する」行為とか。なので母親に関しては、機嫌を取っていればそこまで脅威ではありませんでした。振り返ってみれば、ですけどね。当時の僕にそんな器用なことはできませんでした。何が琴線に触れるのか分かりませんでしたし、正直今も分かりません。

小学生の頃に一度、家での暴力学校の虐めがキツくて、つい「ストレスが溜まってる」ということを母親に言ってしまいました(虐めのことは両親は知りません[今は母親だけは知ってます。多分後述する]。言ったら殴られると思っていたので)。母親は「子供がそんなことを言うな」と怒りました。父親電話して、そのことを伝えました。その電話自分が受け取り、父親は「帰ったら殴る」ということを言いました。今でも覚えています小学3年でした。僕はこの頃から死にたいと考えるようになりました。家の屋根から飛び降りれば死ねるかな、でも飛び降り死ねなかったら痛いから嫌だなとか、そんなことを考えていました。

中学生になっても家では殴られて、学校での虐めはより陰湿になりました。この辺りから僕は、死にたいと思っても死ぬ勇気も気力もない自分について理解しました。小学生の時には虐めている"加害者"に反抗したりもしましたが、先生に言ってからその度合いが増したことから無意味なんだと悟りました。耐えるしかありませんでした。親に関しては前述の通りの有り様なので言っていません。

学校での話に逸れたついでなのですが、配布物で「名刺くらいの大きさの、24時間相談できるような、電話番号が書かれたカード」みたいなやつ配られた事ありますか?なんちゃら相談室みたいなやつです。僕のところはそういうの配られていたんですよね。

これって使う人いるんですか?学校での虐めだけだったら使えるんですかね。僕は使えませんでした。

当時は

ケータイを持っておらず家電からかけるしかない

自分が家にいる時は母が家にいる

家電の親機はリビングにある=親の目がある

・子機は使うと親機が「子機使用中」のような表示に光る

・じゃあ公衆電話はというと、そもそもお小遣いが無い

のため、バレずに電話することは不可能だと考えていました。「もし電話して親にバレたら」と考えると、どれだけ殴れるか、想像したくもないくらいでした。

僕は今生きていますバイクに乗るのが好きで、各地の観光地グルメを楽しんでますアニメゲーム漫画が好きだし、音楽も好きだし、お酒も好きだし、新しいことを始めようと勉強もしています仕事楽しい…とは言えませんが、それでお金を稼ぐからこそ趣味に使える訳なので、別に不満はありません。

10年来の友人もいて、未だに1ヶ月に1度程度はあったり、リモート飲み会したりしてます

これでも人間なので好きな人ができたりするんですけど、いざ告白しようとすると、「自分恋人なんてできていいのだろうか。まして結婚でもしてしまったら、子供が産まれしまったら手を出すんじゃ」という考えがよぎり、1歩踏み出せなかったり。

「『子を殴る親になりたくない』から結婚したくない」「結婚したくないので恋人はいらない」っていうと、「子どもは欲しくないって人と結婚すれば」って言うかもしれませんが、そういう人って果たして一生子どもは欲しくないって思っていてくれるでしょうか。

話が逸れてしまいました。

というわけで自分なりに楽しく過ごしていますが、未だに、寝る前に昔のことを思い出して泣くことがあります。「昔はあんなんだったけど、今楽しく生きてる!」ではなくて「今楽しくて忘れてた。僕はこういう人間だ」と、過去現在の差があるほどに虚しくなりますいくら楽しいこと・嬉しいことがあっても、過去が纏わりついて全てを壊します。

子供の頃、両親のことは嫌いでした。当然です。

でも僕はちょろいので、会話の回数が多い母親のことは、好きかと言われれば言葉に詰まりますが、今は嫌いじゃありません。友好的だと思います。こうなってから、話の流れで母親には当時自分いじめられていたことを話しました。

では父親はどうかというと、嫌いではありません。「他人」です。仕事で例えると「別部署にいる、存在だけは認知しているあの人」みたいな感じです。

じゃあ過去を無かったことにするくらいなのかと言われると、殺したいです。必ず殺します。

昔は自分死ねば楽になると思っていましたし、まぁ今もそう思うことはありますが、「自分死ぬ前にあいつは絶対に殺す」と考えてます。全く根拠も無い、ただの妄想なのですが、次口論になったら間違いなく殺すと思います。僕は「父親を殺した」という罪に関して、逮捕される覚悟はもうとっくにできています。むしろ父親を殺せるなら自分死刑になっても良いとさえ思っています死にたいと思って、その勇気が無いまま人間として生きてしまった歪んだ存在なので、父親をこの手で殺せて、且つ自分を殺してくれるんだったら何も言うことはありません。

人を1人殺してそれでも生きるんだったら、まぁやりようはあります

すいません、長々と書いてしまいました。何言ってるかわかりませんね。文章が変だったら申し訳ない。要はタイトルの通り父親を殺したいだけです。自分の生死についてはなんとも思いません。早く口論したいです。

口論の種はあります祖父母は僕に結婚して欲しいと思っているので、それを父親がいる場面で僕に聞いてくれればそれを否定して、理由も言って、なんやかんやあって口論になって殺す。こんなうまくいくとは思いませんが、楽しみですね。

2022-10-07

トイレで見事な一本糞を排出できると達成感が凄い

けど誰にも言えない

2022-10-05

誰にも言えないけど

みんな生理嫌だ嫌だっつってて、まあ私ももちろん嫌なんだけどさ

でも実はひとつだけ楽しみなことがある

殿方は知らんだろうが 

生理って経血の他に内膜も一部剥がれ落ちてくるんだよ

皮みたいなやつ

あれがマジで美味いんだ 本当に美味いんだよ

経血レバーなんてもんじゃない 旨味があるんだ 

あれだけは楽しみだな、

今日デカいのをひとつナプキンの上から拾って思った。

かわいいかわいい猫ちゃん寿命宣告されたらどうする?

自分の命より圧倒的にかわいいのよ

近づいたらさ ご飯ないのにスリスリしてきてさ

撫でてあげたらそれだけで幸せそうににゃごにゃご言うのよ

もう8年見てるのにかわいいね〜〜毎日見るごとに可愛くなるねえって言えちゃうのよなのになんで????????

自分は癌も乗り越えて今いてるのに、なんで猫ちゃん???

誰にも危害加えてないし寧ろ癒ししかないのに???

なんでこの子が??今元気じゃんってなんのためにって

今日ご飯食べ荒らしたこの子

アレルギーもちにも撫でてほしくてゴロゴロ近づいてたこの子

今日寝返りしまくって仕事中のリモートカメラで笑ってたあの子

10歳超えて いつもよりいいご飯あげてわわわってなってるこの子想像できるのに

なんなんだよいいことないじゃん猫ちゃが病気になるなら自分がそのまま死んで寿命分ければよかったじゃん

もしも願いが叶うなら自分病気にして猫ちゃん病気忘れ去ってくれよ猫ちゃん以外いいこともない人生なんだからさ頼むよ

神様いないと思ってたけど今だけ頼みますうちの猫を苦しめないでよ

誰にも言えないから泣きながらここに書いてるけど自分の代わりはいくらでもいるけど猫ちゃんの代わりはいないんよ

2022-09-30

足の指が痒くてカサカサして焦った話

水虫かと思って憂鬱だったけど、単なるアトピーだった。

元々アトピーもちで、こう言ったことは数回繰り返している。

とりあえず処方されているステロイド軟膏で良いとのこと。

誰にも言えないのでここで吐き出した(様式美

2022-09-26

誰にも言えない

現在、四歳の娘と生後5ヶ月の息子がいるが、理想は三人姉弟。四人でもいい。金銭的には余裕があるが、私の体の都合でもう産むのは難しい。

養子縁組が頭をよぎるが、現実的ではないので、誰にも言えない

2022-09-19

子供が欲しいという男性が怖い

妊娠出産に対してトラウマを抱えている。

保育園児か小学生くらいの時に見た出産ドキュメンタリーで、とてつもなく痛がって叫んでいるお産シーンを見てから出産することに対して恐怖心が長年拭えない。

から最近子どもは○人欲しいっすね〜」と無邪気に笑顔で答える男性を見るとゾッとする。

自分の子孫を残すためなら女が痛みや死亡リスクを抱えることは当たり前、もしくは考えたこともないという顔をしている。

一回自分のけつあなから産むと考えてみ?それでも無邪気に「○人欲しい〜」って言えるのかな

同時に、「結婚しなくてもいいか子ども欲しい」と言う女や、「好きな人の子ども欲しいって思わない?」と聞いてくる女も理解できない。

離婚を二度経験したが、2回とも妊娠したいとは思えなかった。むしろ、2回とも相手浮気が原因で離婚したけど、「ああこれで出産しなくて済む」とホッとしたくらいだった。

こんなこと誰にも言えないけど、ぶっちゃけ何も考えずに妊娠しちゃって産んじゃえる子たちを羨ましく感じたこともある。

「痛いの嫌だ」「子ども責任」「親の期待」「お金」などなど考えて悩む必要ないんだから

2022-09-16

anond:20220916095310

そうなんですよね。友人みたいに20万とか50万とか膨れ上がる前に相談すれば良かった。

実際に、その友人が借金完済するまでは、飲み会も持ち寄りの宅飲みだったり、公園ピクニックとかして遊んでたし。

自尊心と共にここまで膨れ上がってしまっては、誰にも言えないし、身動き取れない。

誰にも言えない

大学進学を機に都会へ出てきた。実家は貧しい。

そこそこの会社に勤め、平均的な給料をもらっている。27歳。

けれども、日々の生活が苦しい。

MAX借りた奨学金の返済、実家への仕送り

人達何気なく行く、飲み会ランチお茶の出費が苦しい。

普通会社員を装うための服装化粧品美容代の出費が苦しい。

でも、普通に見られたいから。貧しいなんて知られたくないから辞められない。

大学時代からつるんでるの友人のうちの1人が、リボ払い20万円の借金があると皆んなに告げた時、私も一緒になって彼女を怒った。彼女ボーナスで一括返済で借金完済し、二度と借金しないと反省していた。

でも、ごめん。私、あなた10借金ある。奨学金とは別に

偉そうに説教出来る身分じゃない。

普通の友人達は、結婚したり、将来を考える恋人が出来たりしている。私は誰かの特別になりたい。でも、いつも消費されて終わり。

普通になる為に、どこまで落ちればいいのだろう。

2022-09-13

「これは増田の正しい使い方」という意味のないブコメ

「これは増田の正しい使い方」とだけコメントするの何なの?

そもそも投稿主は正しい使い方だと思ってるから投稿してるのであって、それに対して「正しい使い方」と言われても情報量ゼロだよ?

もう100回くらいは見てるけど、何なの?

ブコメする方もそうだけど、それに毎回それなりに星が付くのもまた謎だよね。

こんなこと、周りの誰にも言えないからわず増田に書いちゃったよ。

2022-09-11

30代なかば独身だけど、はてなブックマークという媒体がキツい。

はてなという媒体を使いはじめたのは、友人が媒体運営していた10年くらいまえ?に「(自分運営している媒体記事を)新着記事に入れたいかブックマークをしてくれ」と頼まれ登録したのが最初だった。

 

それまで実は存在も知らなかったけど、友人に指定された記事を(自分思想とそこまで剥離していない限りは)ブックマークをしていた。

その媒体はもうなくなってしまっているが、アプリも入れたのでニュース話題コンテンツを調べるときに使いがちになった。

 

ヤフー知恵袋とか、どこかの誰かが人には言いづらい本音をぶちまけてる匿名記事を見るのが

結構面白いと思っていたけど、なんか最近、上がってくる見出しがすごく辛くなるものが多い。

なんだい、30代なかば(以降)の独身に対して風当たりが強い意見がここ最近一気にふえたなと思うのは自分だけだろうか。

 

まあもう、そうなったら媒体から卒業時期なんだろう。辛い気持ちになるぐらいなら離脱すればいいだけなんだけど、

古い宿泊施設かにおいてあるノートに書きなぐるような感覚で、ここにメモをのこしていこうと思った。

 

自分職業柄(広告とかなんかそういうかんじ)いろんな年齢層が読む媒体を把握しているのだけれど、

はてなはどちらかというと中年以降が多いじゃないですか。30〜40代代それ以降とか。

ヤフーニュースとか大きな媒体ももちろんいるけれど、それとはまた違った「中年ニーズ」にかなっている気がして。

そんな重点ニーズの人たちの心臓を刺すような見出しが、最近増えたように感じている。

 

これはどういう傾向なんだろうね。

自分は少し前に恋人ができて、人生ではじめて可能性を感じた結婚という文字

相手のっぴきならない事情ですごくすごく、かすんでしまったという背景もあり、

「さんじゅうなんさいを過ぎたおんなは婚活市場でどうこう」「さんじゅうなかばをすぎた独身はどうこう」

みたいな言葉が、以前よりも増して突き刺さるようになった。

 

自分自身のことを言われているわけではないのに、

自分自身にあてはまるカテゴライズに向けた意見を見ると、つい「私が言われたんだ」という気持ちになてしまう。

 

まあインターネットとはそんなもんだ。仕方ない。

このまま結婚もせず、子どももうまず、ひとりで、どこかにやっぱり難があるおんなとして、

ひっそりと生きていこうと思う。

 

もちろん、おもしろ発見出会いもたくさんあった。

人の、誰にも言えない声を見かけるきっかけにもなる匿名ダイアリーは、面白かったし救われたこともたくさんあったよ。

 

またそのうち、くるかもね。

2022-09-04

既婚者の不倫率高すぎない?

から見た目なのか話し方からなのか無害認定・口固い認定されてクソ重い人生相談とかカミングアウトとか誰にも言えない悩みとか話されることが多い

社会人になってから死ぬほど不倫してる話、不倫された話を聞かされてる

俺の周りがクズすぎなだけなのか俺の結婚観がピュアすぎるだけなのか

みんなは?不倫してる?みんなの周りはどう?

2022-08-21

忘れられない男

36歳既婚女、子あり、地方出身、在住。高校の時付き合っていた男が未だに忘れられない。

忘れられないけど誰にも言えないのでここに書いてみる。

その男=(Sとする)は小学生から友達で小中のうちに2回告白してくれた。

その時は友達で仲良くしていたけど全く付き合う気持ちにはならなかったので断るでもなく誤魔化して友達のままでいようとした。

趣味が合うし話しやすいし、正直に言うと私のことが好きだということも若干利用してわがままなことも言っても許される空気が楽だった。

高校ときに私は別の人と付き合っていたがSとはよく遊んでいて普通に家でと遊んでいた。

いきなりキスをされて押し倒されたがビックリして抵抗も受け入れも何もできずに固まってしまった。しかしそのまま先には進まず、Sもバツの悪そうな顔をして帰っていった。

そんなことがあっても、しばらくすると私は友達でいてほしくて何もなかったかのように振る舞ってまた同じ関係に戻った。そのキスについても何も触れなかった。Sも普通にしてくれていた。

しばらくして私は付き合っていた彼氏とも別れた。そのときに、やっとSのことがすきなのかもと気づいた。

から告白して付き合い始めた。

別の高校に通っていたので一週間に一度くらいしか会えなかったが丁度良く楽しかった。

バイトもしていたし高校も遠かったし受験のために塾も行っていたので忙しかったけど、会える時間を作った。散歩したり、ほしいインディーズバンドCDを色んなお店を回って探し回ったり、ブランコにのってコンビニおでんを食べたり、それだけで本当に楽しかった。

でも楽しかったのは最初の1,2ヶ月だけだった。

段々とSが私を束縛し始めた。

連絡を5分以内に返してほしい。

他の男と事務的ものでも連絡するな。

過去の男の話を想起させるような話をするな。

大学に行ってもサークルに入るな、飲み会行くな。

などなど、それまで私のことが好きな何でも言うことをきいてくれる幼馴染の男の子。であったSが彼氏になったことで全然言うことを聞いてくれないキレると怖い男になってしまった。

極めつけが、とにかくセックスをしたがること。セックスをしているときだけは満たされる。私の過去を気にしなくてよくなる。と言い、とにかく毎日セックスをした。

一日の少しの時間でも隙間があればSの家に行かなければならなかった。行かなければ、死にたい、殺してほしい。というほど落ち込んで立て直すのにかなりの時間必要だったから、行くしかなかった。

そんな毎日が大変だったのにも関わらず、私もSに依存していった。

こんなに愛されるなんて二度とないことかもしれない。他の人と付き合ってももう満足できないかもしれない。と思った。

Sが一緒に死にたいと私に言うと、私もそうしたいと思うようになっていった。

依存が加速していくと、この瞬間を永遠にしたくなる、だから死にたい、みたいな、よくわからない感覚になっていくらしい。

初めての感覚だった。それも嬉しかったんだと思う。

忘れられないのは、セックスをしているときの彼の顔。苦しそうな幸せそうな顔を毎回していた。

その顔が今でもフラッシュバックする。

お互い相当依存していたが、大学にいくようになり、新しい世界に入ると、段々洗脳のようなものが薄れてきて、やっぱりこの関係は良くないよな。と思うようになった。

それをそのまま伝えると、Sは別れたくないと泣いて怒った。そして勢い余って私を殴った。

首を絞められたことはあったが殴られたのは初めてだった。

殴ったことは流石にSをも正気にさせたのか、私はその場から逃げて、それきりになった。

そんなふうにして別れ、私はそれからも何人か付き合ったりして今の夫と結婚した。

今の夫はとても穏やかで優しく私のこともとても好きでいてくれて幸せではある。

けど瞬間的な、暴力的な、あの異常な空間の愛(と呼べるかはわからないが、相手支配したいという感情)が未だに忘れられないし、できることならまた味わってみたいと思ってしまう。

あれはなんだったんだろう?狂喜に満ちていて、でも未来が全く見えない恐ろしさが常にあった謎の恋愛

二度としたくないような、またしたいような。

Sは今どうしてるんだろう。

元気にしてるかな。

彼も私のことを忘れられないでいたらいいのにと思ってしまう。

2022-08-19

anond:20220819103230

世間一般的価値観自分価値観が違うとすごく生きづらいよね

子ども嫌いとは別に聴覚過敏とかあるかもしれないから、耳鼻科行って異常なければメンタルクリニック行ってみると少しは楽になるかも

外出時はノイキャンヘッドホンつけたり、会話が必要な場面では聞こえをマイルドにする電子耳栓つけてる人もいるよ

俺は逆にベドフィリアでなるべく子どもを避けて生きてる

みじめだし誰にも言えないから増田気持ちよく分かるよ

2022-08-14

誰にも言えない性格悪い趣味

急に雨ふってきたら急いでベランダいって外を見る

そして、取り入れ忘れの洗濯物とか布団がビショビショになってたり、

傘もってない人間が雨に振られて困ってるのを見てニヤニヤする

2022-07-21

anond:20220720101306 みなさんありがとう

いろんな人が意見を書いてくれていてビックリしました。

みなさんどうもありがとう

私は、幼少期に親族商売をしている関係連帯保証になった人が逃げちゃったのを見てきたり、

実際にギャンブル借金こさえてどうにもならなくなって、子ども含めた家族捨てて消えちゃった身近な人を知っていたりするので、

お金借金)に対して「すぐに人を狂わせるもの」という価値観人一倍強いのだと思う。

そして、みなさんの(特に、恐らく恋人に近しい感覚の人たちの)意見を見させてもらって、

自分の「別れる!!!」という直感を引き延ばすことはできても、覆すことはできないんだろうなと改めて感じました。

 

去年、誰にも言えない恋人との惚気をここに書いたときは「末永く幸せに」と、自分でも驚くほどたくさんの方に言ってもらえたのに、人生は何が起きるかわからいね

 

みなさん、どうもありがとう

これまでの人生で培ってきた私の価値観も、「やめた方がいい」としっかり警鐘を鳴らしています

 

私は、恋人とおじいちゃんとおばあちゃんになるつもりで同棲をはじめたんだけどね。

宅配便が届くたびに、違う名字ではなく、同じハンコを使えた方がやっぱり便利だよねって思ってた矢先。

ずっとこんな日が続くといいなって、つい数日前まで思ってたから、あまりの落差にまだ心が追いつかないみたい。

 

みなさん、どうもありがとう

 

そして、なにかの神サマ。(私の守護霊とかご先祖さまとかか?)

答えは出てるんだけど、あともう少しだけ、考えるふりをさせてください。

2022-07-12

anond:20220712014805

教会全然関係ないけど家が何か自分でどうにもならない問題で荒れていて、まともではなかったと思える家庭にいたか気持ちが少しわかってしまうのはわかる。

責めきれない。殺人は援護できないし誰にも言えないけど。

母親統一教会信者で苦しんだ話

私は今年35歳になる。

人生でただの一度も他人に「母親統一教会信者である」と言ったことない、言えるわけがない。

今回の安倍元首相事件の話でフラッシュバックしてしんどいのでせめてここで吐き出そうと思った。

母親は多分、結婚後の私が生まれるかその後か、1990年前後に入信している。

きっかけは知らない。

ただ、限界集落のようなド田舎出身で、結婚して街に出て友人もいなかった母にとって、統一教会存在は心の拠り所だったんだろうなという想像はできる。

物心ついた頃には教会と呼ばれる施設へ連れて行かれ、ビデオを見せられたり、お祈り場に参加させられたりした。

そのせいでお経?のようなものを覚えてしまい、うっかり父の前で唱えて怒られたことを覚えている。

ちなみに教会ではよくメッコールを飲まされていた。同じ経験をした人はあれをそんなにマズく感じていないと思う。

ある程度自我が強くなってからはそういった場所には行かなくなったが、母は教会へ足繁く通い、献金や水行や断食をしていた。

高麗人参エキスを買わされていたり、姓名判断ができたり(多分印鑑を売るための手段の一つ)、ハングルを覚えたりしていた。

そういったことがバレるたびに父とはよく揉めていて、深夜にDV家具の破損はよくあった。

朝起きて、物が壊れたり部屋中に暴言が書き殴られていたり、顔を腫らした母をみる日が定期的にあった。

そのせいか中学生になるまで夜尿が治らなかった。

いつだったか、母が私を含めた兄弟祖母の家に預けどこかへ行こうとしたことがあった。すぐに父に見つかって、また大変なことになっていた。


献金がとにかく大変だったようで、借金をしたり、定期契約の集金のパートをしてそのお金を回したりしてやりくりしていた。

父はもちろん母にお金を渡さず、切り詰めた生活を強いられていた。ご飯が足りないということはなかったけれど、贅沢や外食は一切なかった宿泊するような旅行帰省以外ほぼなかった。

高校生になるまで両親の喧嘩は絶えず、母の信仰も続き、早々に家を出られるよう努力した。

無事国家資格を得て、21歳で就職一人暮らしを始めることができたが、家を出る直前まで両親の喧嘩は続いていた。

家に残っていた兄弟たちからそれ以降どうだったのかは聞いていない。

私がお金を得るようになってからは、貸してほしいと言われることが何度もあった。

献金のためとわかっていたので貸さなかった。父か自分の親に頼めと言い続けている。

母は普段から教会の教えのようなものを私にしてくる。

先祖の行いが現代の我々に降り掛かってくるから祈らなきゃいけないだとか。(祈りには献金必要らしい、なにそれ。)

サタンがどうだとか、酒はサタンおしっこで、タバコサタンおならだとか。あほか。

家庭連合ということもあり、結婚しろとよく言う。天国は二人で行く国だから、独り身でいることは未熟な人間でいることだと言う。

両親の喧嘩を見て育ってきた私が結婚にいいイメージがあるわけないだろうに、無責任に言ってくる母が嫌だった。

一応母とは普通に話すし、両親も離婚していない。

DVの父とも私は仲がいいし、家族食事をしたりもする。

今両親だけで住んでいるが、今回の事件実家がどうなっているのか怖い。

そういえば選挙のたびに母が自民党投票してと言っていたことを思い出した。

今回の事件で、ああそういうことかと納得できた。

殺人絶対に許されないけれど、犯人殺人を決意した家庭環境には共感できてしまう。

身近な友人には誰にも言えないけれど、今回の犯人はどうにも責めきれない私がいる。

2022-07-07

自助グループがしんどかった話

※論旨に影響が無い程度のフェイクを混ぜています

また、特定自助グループ非難する意図も、自助グループ存在非難する意図もありません。

あくま自分体験です。

自助グループがしんどかった

先日、初めてある自助グループに参加した。

私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関相談したところ、自助グループに参加することになった。

自助グループとはなんなのか

自助グループとはどういうものかというと、なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさな気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。

なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。

そもそも正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーン出来事タイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。

とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。

結論からして、具体的なアドバイス医師カウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思う。

ただ、他の人の経験を聞ける、自分経験を話せると言う点では自助グループ有意義だとも思う。個人的感想です。)

私もメンタルの病を持っており、医師カウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタル問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。

~~~~~~~~~~~

びっくらこいた。

ガンガンアドバイスをされるのである

形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ち吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。

また、ミーティング中は特定施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。

しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。

①全体的に否定される

前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。

正直病んでてもともとなのである

自分の話になるが、物心がついたときから死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。

親との関係そもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである

病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。

そこに状況の否定が来ると、混乱する。

おかしいと言われれば、たしかおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。

②繋がりを否定される

まあ、おかしいだとか普通じゃない否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つが、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。

前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。

また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。

そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。

友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。

死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。

しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院カウンセリングに頼る。友人にサービス要求しない。傾聴はするし、お互いの嬉しかたことや悲しかたことを共有こそするが、それは友人関係範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手相談することはない。

これは(成人して一応社会生活を送れる身としては、)友人を親に置き換えてもほぼ当てはまる。少なくとも私の状況では。

なので、病院カウンセリングを中心に頼っている今は、友人たちとも親ともかなり良好な関係が築けていると思っている。

友人や親とは一応心配しあってはいるし、お互いの状況や気持ちを聞いて「そりゃきびしいなあ」とか「やったやん」などと言うことはあるが、それで「あれをしてあげた、これをしてあげた」ということはない。

そんな関係を、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。

③傾聴が機能していない

また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。

夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情考慮した結果、また同居をするつもりでいる。

その旨を話すと、鬼のように止められた。

絶対同居はダメ」くらいの勢いである。

しかに同居にはデメリットもある。心理的距離が保てない(=自他境界曖昧な)二人が同居すると、それはそれはトラブルが絶えない。

しかし、「自他境界曖昧問題が起こる」ということを自覚した上で、病院カウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。

実際、別居のメリットも十分感じた。

最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。

でもその上で、仕事場へのアクセス金銭事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。

トラブルがあれば、その都度カウンセリング医療機関を頼る、また一時的親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。

細々(こまごま)とした事情自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである

これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。

そのことがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。

もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。

そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。

また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもやもやもや

~~~~~~~~~~

その自助グループに参加してから、混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ

それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。

その場では参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。

行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリング相談したらいいのではないかと考えた。

ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しか意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。

カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。

一通り打ち明けたところ、自助グループ役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。

心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。

結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー医師相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。

自助グループしんどい人へ

何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループ行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。

自助グループしんどいとき、これらを見ると、更にしんどい。

その自助グループや、自助グループというもの自体否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。

私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。

でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。

場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。

その場合は、カウンセラー医師相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先だ。

それに、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点でも、医師カウンセラー相談して、安心して話せる自助グループを探してみてほしい。

(カウンセラーについても、無資格カウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック

臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます

http://www.jsccp.jp/near/rinsho/indexsch)

この記事にたどり着いた人が、無理せず、良き生活、良き自助グループライフを送れるように、祈っています

自助グループがしんどかった話

※論旨に影響が無い程度のフェイクを混ぜています

また、特定自助グループ非難する意図も、自助グループ存在非難する意図もありません。

あくま自分体験です。

先日、初めてある自助グループに参加した。

私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関相談したところ、自助グループに参加することになった。

自助グループとはどういうものかというと、

なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさな気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。

なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。

そもそも正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーン出来事タイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。

とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。

具体的なアドバイス医師カウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思われる。(個人的感想です。)

私もメンタルの病を持っており、医師カウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタル問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。

~~~~~~~~~~~

びっくらこいた。

ガンガンアドバイスをされるのである

形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ち吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。

また、ミーティング中は特定施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。

しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。

①全体的に否定される

前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。

正直病んでてもともとなのである

自分の話になるが、物心がついたときから死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。

親との関係そもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである

病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。

そこに状況の否定が来ると、混乱する。

おかしいと言われれば、たしかおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。

②繋がりを否定される

まあ、おかしいだとか普通じゃない否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つは、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。

前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。

また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。

そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。

友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。

死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。

しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院カウンセリングに頼る。友人にサービス要求しない。嬉しかたことや悲しかたことを共有こそするが、それは友人関係範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手相談することはない。

友人たちとはかなり良好な関係が築けていると思っている。そこを、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。(今思うとあまり詳しく話をしていない状況だったか否定されたのかもしれない。)

③傾聴が機能していない

また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。

夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情考慮した結果、また同居をするつもりでいる。

その旨を話すと、鬼のように止められた。

絶対同居はダメ」くらいの勢いである。

しかに同居にはデメリットもある。心理的距離が保てない(=自他境界曖昧な)二人が同居するとそれはそれはトラブルが絶えない。

しかし、「自他境界曖昧問題が起こる」ということを自覚した上で、病院カウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。

実際、別居のメリットも十分感じた。

最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。

でもその上で、仕事場へのアクセス金銭事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。

トラブルがあれば、その都度カウンセリング医療機関を頼る、また一時的親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。

細々(こまごま)とした事情自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである

これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。

これがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。

もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。

そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。

また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもやもやもや

~~~~~~~~~~

それで混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ

それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。

それで参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。

行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリング相談したらいいのではないかと考えた。

ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しか意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。

カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。

一通り打ち明けたところ、自助グループ役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。

心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。

結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー医師相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。

何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループ行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。

自助グループしんどいとき、これらを見ると、更にしんどい。

その自助グループや、自助グループというもの自体否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。

私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。

でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。

場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。

その場合は、カウンセラー医師相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先かと考えている。

あと、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点も、医師カウンセラー相談して探してみてほしい。

(カウンセラーについても、無資格カウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック

臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます

http://www.jsccp.jp/near/rinsho/indexsch)

この記事にたどり着いた人が、無理せず、良き生活、良き自助グループライフを送れるように、祈っています

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん