はてなキーワード: 自分探しとは
追われて逃げたというと、留まりたかったのに逃げざるを得なかったというニュアンスだが、
そうではなく、パニクった末の逃走であって、追い詰められて立場を放り出したわけだろう。
そのあと一人になったところで、様々なしがらみを捨てて、吹っ切れた。
身構えない、かっこつけない、ということであり、
それが「無垢」のイメージにつながる。
自分探しというのは「自分を偽る必要のない立場を見つける」ということで、それも「ありのまま」だ。
言っておくが、これはおまえの言うところの「前者」、日本語としての「ありのまま」の話だぜ。
エルサは「ありのまま」なんて言っていない。
エルサが言う「let it go」は、「ありのまま」とは逆に、力を込めることだ。
力を込めてしがらみを吹っ切る、ということだ。
良き王であらねば、良き姉であらねば、魔法を隠さねば、そういう重しをぜんぶ放り投げることだ。
悪く言えばそれは「自棄」「無責任」「独りよがり」だけど、そこを肯定的に捉えるのが「let it go」という言葉なのだ。
そういうことなんじゃないのか。
示唆に富む内容だったのでまとめました。ご本人からの要望があれば削除します。
出典:http://b.hatena.ne.jp/Midas/20140223
[世界Twitter同時革命]エジプト暴動の時にもこの違和感を覚えたのだが何だかんだいってクルマがきれい。この写真とかで見れる自動車どれも当ってない(過去に事故歴がない)しこんな暴動の中で普通(1こ前のモデルとはいえ)ベンツ停めとかない(燃やされたりしたら困るから)。ベンツの1番高いの買えるお金持ちは普通そういうとこすごい気をつかう人たち。今やラゴスでもカイロでもキエフでも下手したら東京よりいい自動車にみんな乗ってる。だから報道で「ウクライナは景気後退」とか言われてるけどこの貧困はこれまでの歴史上のどれとも違う。故に「ロシアが正しい」や「米国が裏にいる」「ナショナリズム許すまじ」は誤り。第三次世界大戦は覇権争いでなくポトラッチ
[世界Twitter同時革命][ピンポイント][ハルマゲドン]ユーゴ内戦はソ連崩壊の結果。シリアやウクライナは米国、日本、中国、EUの金融政策の結果。市場原理に任せてれば必ず訪れるバブル崩壊が今や不可能(起これば世界破滅)になった代償(局地的破綻)。小国は経済大国の犠牲
この件を「左翼は目的の為にウヨと共闘すべきか否か」と(反原発運動やチベット人弾圧でそうしてきた様に)捉えるのは誤り。報道も含め参加者が「自由」「民主主義」と言ってるのは実は全く別の事が問題になってるから
良識ある人々(エジプト革命をクーデターと呼ぶ様な)が受け入れないのは『もしも参加者の行動(自由を求める)が崇高なものでなく単なるストレス解消でウヨと変わらずなおかつそれが唯一の選択だったら』という可能性
[ああ勘違い][↓バカ勢ぞろい]↓「河野えらい」とか言ってる奴はバカ。本件は『排外主義』vs 『 国際協調』の争い(我々は自由と人権の為に闘おう!的な)ではない。河野もサヨクも全く解ってない。現在(特に日本において)『ナショナリズム』ほど誤解されてる概念はない。皆うすうす「まさか戦前のあの感じになるとは思わないけどそうなったら困るし…」としかイメージできてない。この場を借りてはっきり言っとくがいま全世界で復活してるナショナリズムはウクライナの極右もイラク武装勢力も日本のウヨもアメリカンウェイオブライフ『アメリカ的なものとは何か?』の『アメリカ』をそれぞれの国の名前に置き換えただけ。問題の本質は全員が同じメロディで踊ってるにも関わらずそれに気づいてないとこ。既にグローバリズムは世界中の人の心に染み付いてる。これは断じて「排外主義」vs 「自由、人権、民主主義」でなく『同質の人々同士の衝突』。みんなが「それぞれの『アメリカ』心の中にあるマイプライベートアイダホ」を求めた結果。なぜ気がつかないかというと『アメリカ的なものとは何か?』この理想の愛国主義は常に「個人」vs 「 社会」であって国家ではなく荒野(ウエスタン)の論理だから
[内戦の世紀][第三次世界大戦]どの国も今度のナショナリズムは国土を荒野化しようとしてるのであってこれは全体主義やファシズム国家とは正反対(故にもっと悪質)。河野やサヨクのいう事を絶対に信じてはならない。彼らもウヨも(そして我々も)同質
[他人の夢]皆社会的状況(しがらみ)から己を切断したがってる。「国歌で起立したくない」「勝ち逃げしたい」「歴史から解放されたい」は同じ自分探し。『荒野(新天地)でなら真の自分が定義できる』アメリカ神話に巻き込まれてる
社会人なのに親から小遣いもらってデリヘル呼んでる。最初は月一ぐらいだったのが、段々2週間に1回ぐらいのペースになり。そしてとうとう週1に突入しつつある。というかしてる。
大丈夫まだ冷静だやめようと思えばいつでも辞められる我慢すればいいだけ etc... という言い訳はいくらでも浮かぶものの。一方でここまで色事にハマれるのなんて滅多にない機会ではある。せっかくなので、何で風俗狂いになってるか、を考えてみた。
まず思いつく理由。気持ちよくなりたいか? ぶっちゃけどうでもいい。「金払ったんだから出さないと」とは思うが、出なけりゃ出ないで仕方がない。
ズッコンバッコンやりたいか、と言われるとそうでもない。むしろ嬢の中に自分のマイセルフをぶち込んだ時、最初はいきり立って腰を振るんだが、そのうち必死こいてヘコヘコやってる自分がアホらしく思えてしまう。「何やってんだろう」とセルフツッコミ入って萎える。
嬢とイチャイチャしたいのか。というわけでもない。適当にソフトタッチ混ぜつつ「へぇ」「ふぅん」「そうなんだ」あとは「君はどうなの?」でまぁ何とかなる。
それでは、何が僕を風俗に駆り立てるのか。「嬢をイかせたい」なんだろう。指でも舌でもいい。自分が気持ちよくなるよりも、嬢をイかせたい。
例えば乳首に触れる時。同じ触れるにしても、人差し指の腹で先っぽを撫でるのと、中指の先でデコピンみたいに弾くのとでは、女の子の反応は全然違う。
僕は全神経を集中させる。まるで1つのセンサーになったつもりで、彼女の微妙な反応を読み取る。んで、「多分コレがいいんだろうな」と思って、触り方を変えてみる。
読みが当たると、明らかに嬢の反応が変わる。いきなりビクビクしたり、ビクビク通り越してガクガクしたり。あの痙攣する瞬間。たまらない。「フリじゃね?」という不安は常に付きまとうが、「フリであんなにガクガクするかよ」と思いたい。
嬢をイカせる、つまり「気持ちよかった」と言わせることで、僕自身のアイデンティティを確立させてるんじゃないだろうか。
「嬢に奉仕する(=イかせる)」行為を通じて「彼女に満足を与えられた自分」に価値を見出している。「イカせる俺カッコEEEEEE!!!」みたいな。デリヘルを通じて、いわば自分のアイデンティティを再確認してる気がする。逆にそこまでしなけりゃいけないほどモロいんかい、というのも情けないが。
そして改めて↑を読み返すと「自分探しと称して、親の金で風俗通ってる」という、くそみそな結論に至ったわけであり。果たして似たようなこと考えてるはてな民はいるのか、が知りたい。
※なお、ここでいってるのは所謂デリヘル(\20k~25k/回)である。ピンサロも数回行ったが、肌に合わず。渋谷のホテヘル(エルメとか)もホテル代高いよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140216003541
この人もそうなんだけど、世の中には無駄な努力、を努力だと思ってる奴が多すぎる
必要のない努力ってのは、ただの暇つぶしでしかないし時間の無駄なんだよね
例えば、彼の場合は
業務にさし当たって必要のないプログラミングを覚えようとしている
使う予定のない英語を覚えようとしている上に
ヤる前から、実を結ぶことがない事に膨大な時間を裂こうとしている訳だから
今、自分のいる場所、これから自分が生きていく場所で自分の価値を最大化させる為に
努力をするべきなのであって、漫然と身につけておきたいものをやったって無価値なんですよ
周囲に出来る人が居るのであれば(まぁだいたいは居るだろうけど)、その人の持ってる能力を
模倣しようとすればいいし、プラス、その人の弱点を補完するような能力も身につけたらいい
自身に投資をするのは大事なことだけど、それを作業にしないように
良く自他を観察して、どこに時間と金を突っ込めばいいのかを考えるべき
それが出来る人は、始めっから自身のキャリアマップが描けているので、無駄はないんだけどw
とりあえず、今の自分の立場を引き上げ、強化する方向で、自分の回りの一番出来る人を目標に努力をすればいい。
上手く行けば未来が見えるかもしれないし、悪くしてもその人の半分程度は出来る様になるでしょうw
http://point.recruit.co.jp/doc/campaign/cm/20140206/
今日も走りつづける。
時計は止められない。
後戻りできないマラソンコースだ。
時の流れという一本道を
僕らは走り続ける。
その先に未来がある。
かならずゴールはある。
ランナーは信じている。
だけど。
それはどこにある?
そのゴールはだれが決めた?
なんのために走っている?
なんのために生まれてきた?
未来はたった一本の道なのか?
世界は広い。
どこを走ってもいいはずだ。
。。。と思っていたんだけど。
人生のコースは1つじゃないって信じていた。
あれから数年。
人生のコースは1つじゃないが、人の数ほど多様でもないと今は思う。
久しぶりに会った同級生は、職場で揉まれて逞しく成長していた。
今さら就職したくても、職歴を理由に敬遠される自分とは大違いだ。
両親が手にしていた幸せが、自分には手の届かない贅沢品に思える。
なんのために走るのか、なぜ生きてるのか、そんな問いに答えはない。
マラソンを走るように、信じた一本道をひた走ってみたい。
もう一度。
学ぶこと、体験すること多くあるが、時に自分のやっていることが有意義なものなのかどうかわからなくなる。
よく、人生での体験はどんなことでも無駄にはならない。と言うが、
ここでは、大学生時代という自由で、可能性があり、限りがある貴重なものを、いかに我が成長のために使っていけるかを問題とする。
男に産まれたからには、高みを目指すということを常に理想としている。
何の高みかは問題ではなく、ある程度の実力が伴った人間には相応の風格が漂い、それが彼を男たらしめる。
そうして、いろいろな物に手を出していく、言わば自分探しをしている最中であるが、ある時ふと、それぞれの興味が異なるベクトルで自分を引っ張って力を相殺しあい、果てにはどこにも向かっていないんじゃないかと思う時がある。更には四肢を引っ張られることで、自身は干物のように伸ばされ、地面についている部分がなくなる。つまり、強い信念なしに動き回っているという状況。
そんな様は自分の描く理想とはほど遠く、なんとなくだが理想としてイメージしている男の像には当てはまらない。
男はきっと自分の行動に発言に迷いと後ろめたさを感じない。または周りにそうは思わせない振る舞いをするものなのだ。
この日記は、自分が高みの男になるため、またイメージする男とは具体的にどういう者なのかを発見するために、また、自分の知恵を思考を向上させるために活用するとする。
気長に、自分が納得できるまで続ける。
秒速1億円稼ぐ男どもが雑誌を創刊するらしい。今は秒速3円くらいなんだっけ? 知らんけど。
http://kai-you.net/article/1114
あのやり方で情報商材を売りさばいてきた与沢翼とその取り巻きたちなら、
ある程度売ることもできるんじゃないの。
出版不況が何だとか雑誌自体が旧メディアだ何だっつー話はあそこでは関係ないわけよ。
どんなことが書かれてるか読んではみたいって興味示すやつもいれば、
とっとと滅びてくれ、早く人の心を取り戻せって言ってるやつもいるけど。
「人の心を取り戻せ」ってのも解せない話で。
「楽したい」「他人を出し抜いてでものし上がりたい」「なりふり構わず金儲けたい」ってのもまた人情だから。これが残念なことに。
情報商材ビジネスに加担する気は微塵もないどころか、どっちかっつーと撲滅したいくらいだけど、
宝くじ買う人がいなくならないように、誰が表舞台から去ろうが騙される人は勝手に騙されるんだよ。
昔、泣けるくらいバカ正直なやつがいた。
履歴書の長所の欄に「正直なところ」って書いて先輩に見せたら「おまえの場合は短所の欄に『バカ正直なところ』って書けよ」って言われたみたいで、
「正直なことって短所なの? 長所じゃないの? ねえどう思う?」って言われた俺は「おまえはそのままでいいじゃん」としか返せなかった。
家が金持ちでイケメンだけどほんとに正直なところしか能がない泣けるくらいバカなやつで、
そいつに言い寄ってくる女はろくでもないのばっかだった。
みんなが止めたのに金目当ての女と付き合って買いたいもんだけ買わされて金なくなったらすぐ捨てられて、
みんなで止めたのに自分探しにピースボートとかいうのに乗って案の定下手に感化されて戻ってきて、
酒の席で受け売りの環境問題や貧困について語り出す意識高いよくわからんつまらんやつになって、
みんなにだんだん愛想つかされてきてそのうち自分からどっかにいなくなった。
誰かがぶん殴ってでも止めてやるべきだったのかもしれない。
そいつはもう、かつて俺の知ってた、バカで金持ちでイケメンでバカ正直なところしか能がないけど大事だったかけがえのない友だちじゃなくなってた。
何も去らなくてもいいのにと思ったけど、その変化を受け入れたくない自分たちがいたからだ。それも勝手な言い分てのはわかってる。
どこにいったんだろ、今何をやってんだろ、また誰かに騙されてないだろーか。
何の話だっけ。
そうそう。誰が何を言っても、どんなに騙す側の人間の企みをくじいても、騙されるやつは勝手に騙されるって話。
吐き気がするくらい果てしなくどうでもいいけど。
2つほどブログの記事を読ませてもらいました(専門学校・自分探し)。
文章書くの苦手。というか、何を書けばいいのか。
> omegaさん
文章力については僕よりももっとうまいブロガーさんが言うには「校正をちゃんとやればつく」そうです。
書きまくるだけじゃダメだそうです。いや、書きまくれば、ネタやタイトルなどの方向性を作って、記事としてそれなりに形を作るセンスはつくのです。ただ、それだけではプロの文章には届かないそうです。
読書して、書いて、自分の文章を自分で手直しする。この流れを繰り返さないと、自分の文章は上手くならないそうです。
書く事を作るためのアドバイスとしては、自分が気になったことはどんどん調べましょう。辞書で言葉を調べる、ウィキペディアで学問や社会で使われてる定義を調べる、本で調べる…自分のやりやすい方法でいいから気になったことは調べる。その習慣がついていると、書きたいことは自ずと形になってくると思います。
なぜ伝聞形
いわゆる俺×嫁やNLが好きなオタクに比べて、腐と呼ばれるオタク(あと百合好きも?)はこういう自己言及的な問いを立てたがる気がするのだけど、
まあそれは置いといて。
自分探し(笑)の一環で腐女子文化(と言えるだろうか)周辺について考える事が多いので興味深く読んだ。
その中でこんなことが言われていた。曰く、
自分はリアルのホモは嫌、だが女子力とやらで男にアピールするのも違う、対等に見て欲しい願望がBLなのかと思ってるんですが。
こういう「『女』として見られることに違和感があるから」というのは今まで見た「腐女子が801を読む理由」の中でも割とメジャーな説だと思う。
その他にもこちらの
自分より可愛い女が出てきて、そいつがチヤホヤされても全然嬉しくないから、
じゃあ女を男に変えちゃえばいいんだ!って単純な動機もあるんじゃねーの?
ジェンダーの本だと「『見られる性』と『見る性』の逆転による反逆」云々というのもあるし、
ツイッターでは「そんなの大抵うっかり見たアンソロに載ってた受けの痴態に欲情したからだよ!!!」みたいなラディカルな説も見た。
だけど、私が801、BLと呼ばれるものに触れるようになったのはそのどれでもない。
「好きなキャラたちをいっぱい見られる手段が、それしかなかったから」
なのだ。一番しっくり来る理由が。
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原作の彼らはそこそこ絡みがあって、親しいと言っても差し支えないと思う。
でもいかんせん二人とも脇役なので、出番はそこまで多くない。
当然、飢える。もっと二人の姿を見たい、他愛ない日常会話を聞きたい。そう思う。
そうなってくると、二次創作の世界に飛び込む。幸い今はインターネット上にそういうものがたくさん公開されている。
だが、そこにいる彼らの多くは、何故かデキている。もしくは、片思いしている。セックスしてることだって少なくない。
そういうものを見た時、どうするか。
こんなのありえない、気持ち悪い、馬鹿にするな、と一切二次創作の彼らを見なくなる、こともある。
でも、その解釈のズレ――好意の種類とか身体的接触の有無とか――が許容範囲内におさまった時、
「多少私の思ってる二人と違っててもいいから彼らが見たい」と思った時、
私はA×B(もしくはB×A)の801二次創作に手を伸ばし、貪り読み、萌えを覚えていくのだ。
801というのは裾野が広くて、需要も供給もめちゃくちゃある。
そこのルールを覚えて適応すれば、好きなキャラクターたちへの飢えが満たされる確率は跳ね上がる。
勿論、カップル化していないAとBを扱った二次創作も存在するし、本当はそれが一番見たい。
でも、それだけではお腹がすくし、寂しい。
そうやって腐女子文化圏に浸かっているうちに、徐々に許容範囲が広がりオリジナルにも食指が動き出し、
気付けば立派な腐女子がそこにいた――
こういうケースは、実際少数派なのかもしれない。
「私は最初から『この二人が恋人同士だったら』って妄想してた」という方が多いのかもしれない。
それでも、「なんで腐女子やってんの?」と聞かれた時、私は
「彼らが見られるなら何でも良かった」
と答えるんだと思う。
igiのツイートは一般層に広く届くものもあり、RTで回ってきてうっかりフォローしてしまう人が5000人を超えた。
しかし、毎回名言を吐くわけではなく、どちらかというと意味のわからないことを言うigi
過去のかっこいい発言についてはクソイルカさんがまとめてくれたこちらを見てもらうことにしよう。
上のまとめでもかなり親切なほうで、もっと理解に苦しむigi用語があるので実例を交えて解説しておこうと思う。
igiが何を面白いと思うかというと、何かに深く切り込んでる人達を好む傾向がある。
かなり曖昧な定義だが、igiがよくRTする人達を深淵クラスと思ってもらっていいだろう。
例
@fladdict、@puffyietting、@futanacchi、@yoneko、@wooser、@gentledog、@raf00、@raurublock、@SiTube、@RPM99、@medtoolzなどなど。
RTだけでなく、igiのツイートに名前がよく出てくる人に「カトゆーさん」「常見さん」「◯tsune」「ムラオサ」などがいる。
順に@katoyuu、@youheitsunemi、@otsune、@kanoseのことであり、常見陽平と最近仲がいい。
igiは意図的に深淵をコントロールすることができ、変化する時にはこんなことを言う。
たまに深淵クラス同士の飲み会をやってるらしく、その時igiは全力全開を出せるが疲労することもある。
igiがネット業界のあれこれについて連続ツイートする時に発する言葉。
これにより深淵を高めている。
igiに実際に殺された人がいるという話は聞いたことがないので、脅し以下のものであると推測される。
http://twitter.com/igi/status/344443609002700801
社会人に向いてないか。じゃあ大人に向いてないとか親に向いてないとか男に向いてないとか女に向いてないとか日本人に向いてないとかカルマをガンガン高めて増田ごとぶっ殺すってのどうかな?
http://twitter.com/igi/status/314233274434207744
ネット社会において無条件の悪とは何かといえば「アクセス可能性のあるアウトプットの芽を絶つこと」であって、情報の出し手の方が基本的に上位概念に当たるので、それを阻害するような言説は無条件でブッ殺すと決めてる
igiの後輩。
「破滅後輩」と呼ばれる。
「破滅2」なる人物もいるが、twitterアカウントなどは不明。
何故か津田氏がテレビに出る時にはigiのテレビもついていて、「テレビつけたら金髪」などとツイートする。
津田氏とigiは顔なじみらしいが、igiは金髪のポジションにかなり懐疑的。
http://twitter.com/igi/status/346657262246453248
金髪の迷走をみる限り、専門性がなければ自分探しの旅に出かけるしかないし、マスメディアの仕事に専門性は要らないね的な感想が漏れ出るわ。
津田氏にしろ切込隊長にしろ、一般人に知られてるネット業界人を嫌うigi。
メジャーになったが故に無難なとこに落ち着く姿がヤンキー体質のigiには耐えられないのであろう。
自身の著書の感想ツイートをRTする著者は多いが、igiはテラフォーマーズの感想ツイートをRT。
「MO手術」「マーズランキング」などの言葉もigiツイートによく出てくるが、テラフォーマーズ用語である。
テラフォーマーズと関係ないツイートにも使うところがかっこいい。
それにしてもigiって誰なんだ。
ゲームが分岐で表現されるのは、そうすることしかできんかったからだよ。
それが大事だからと、ターニングポイントで「ああしてなかったら」という
別の可能性を考えて、選択肢をつくることができるな。
「もし大学受験でもっと勉強して、1ランク上の大学に入学できてたら?」
という選択肢を考えることができる。
の2つの分岐が考えられるな。
だがな、こんなの所詮は設定した人間の意志に狭められてんだよ。
他にも、「日本からアメリカへ旅行に行くとき」の選択肢を考えてみりゃわかる。
選択肢2「船」
選択肢3「なるべく陸伝い」
一応は、陸海空の3つを用意したが、
この選択肢の設定では、致命的なまでに
「朝鮮半島までフェリーで行って、大陸に上がってからは北上してロシアまで。
カナダに着いたけど、アメリカ行く気分じゃなくなったから飛行機でそのままイギリスへ。
資金が底をついて慌てて日本へ帰国」
みたいなわちゃわちゃなルートは辿れない。致命的なまでに。
こうした複雑な選択肢は、ところどころに更なる分岐を設定しない限り無理。
さらに複雑にするには、そこから更なる分岐をもっと設定せにゃならん。
そして「更なる分岐を設定する」という人為的な行為には、限界がある。
DQ・FF・テイルズ、どのRPGも「世界を救う」というゲームの目的上、
ことによれば最終目標を反故にして「幸せにならない」というのもアリ。
「選択肢を設定する製作者の意志を裏切ることは絶対にできない」ってことだ。
そんなことのんべんたらり述べつつ、
後半言ってる事は大体賛成で他の人が言いたいことも含んでるとは思うけど
むしろ俺は大学は大学として高等教育(研究)機関であるべきだと思ってるし、俺自身はそうであろうと一生懸命やったよ。意識高い系(笑)とか今は笑ってるけど、傍目から見れば俺もそんなやつだったんだろうな。
や、別に大学の勉強をちゃんとやる人は"意識高い"系ではないよね。意識高い系は、授業?なにそれ役に立つの?そんなことより人脈、セミナー、自分探し、とかでしょ。
大学の授業を真面目にやってるのを嘲笑する様な風潮があるなら、それこそ世の中終わりだと思う(それとも"Aランク"の大学すらそういう風潮が当たり前にあるのだろうか...)。
うん、まあこれ、授業まじめにやってるから、って付くあだなじゃないよね...あなたが回りから浮いてたのは明らかに違う理由だよね...
大学の授業は楽しかったし、他学部の授業もとったりして。でも授業受けるよりはやっぱり自分で調べて考えるのが一番楽しかったな。学術と言えないくらい幼稚なレベルだったけど、一緒に学術的な話ができるやつがいたらと思った。同じくらいの学年の人はほとんどそういうのに興味が無いみたいだった。他学部まで探せばもっといたのかもしれないけど、50人中2人しか話に乗ってくれる人を見つけられなかった(めんどくさい奴に付き合ってくれた二人には多謝)。
良く分からんけど、授業、って大概が調べるきっかけでしかないからね?授業で先生が言ってることへーってその場聞いてるだけなら意味ないからね?
なんか皆勘違いしてるけど、なんで大学であれだけ授業空いたり時間あるかって、本来、1つの授業に対して予習なり復讐するなり、それだけの時間が必要だからなんだよね。
高校までみたいにフルに授業入ってたら理解する時間が足りない、と。空いてる時間はバイトとサークルやってれば良い、って話じゃないんだよね。
で、どんな幼稚なレベルかしらないけど、もうちょっとまともな議論が出来れば付き合ってくれる人が居たかもね。
大学生のころに見知った博士の知り合いはみんなそういうのが自然にできてて、勉強っていうものに嫌々やるものなんてイメージを感じなかったなあ。何を言っているのかはちんぷんかんぷんだったけど、物理やら数学やらいろんな分野のハイレベルな学問の話が日常会話でされるのは聞いてるだけでもほんと面白かった。まるで漫画やラーメンの話するみたいにそんな話をするんだよ。漫画やラーメンの話もしたけど。そういうところを見つけられただけ幸せだと思う。
なんか、何の博士なのか知らないし、物理やら数学やらハイレベルなガクモンだとか良く分からないけど、
その専門家は自分の専門なんだから、その仲間内で当たり前の様に専門の話するし、他からすれば意味不明だろ。
まあ、多少議論をしたり、ちょっとしたことを突き詰めて見ようとしたりする部分はあるけど、きっとそこまでは理解してないし、
貴方みたいな人がいる場でそいう話まではしないです。
社会学的に言うと、自分探しが生じるのは「選択の余地が増えたから」ということになる。
どういう職業に就くのか、結婚するか否か、するとすれば誰とか等々、自分で決めなくてはいけないことがすごく増えた。それらの選択がうまくいけば良いけど、うまくいかないと自分のせいになってしまう。自分が無能だから、自分に魅力がないから、みたいな話になるわけだ。なので、選択の余地が増えるほど「自分の存在価値を自分で証明する必要性」は高くなる。
なので、自分が特別な存在であることを示すためにも、良い選択をする必要がある。しかし、重大な選択にあたっては当然、とまどいが生じる。そこで選択そのものを先延ばしにするのがいわゆるモラトリアム。どんな職業に就くのがいま決めるのが怖いので、とりあえず大学に行こう、みたいな。しかも、選択したところで「もっと良い選択肢があったのでは…」という思いは消えない。そこで、もっと良い選択肢を探して彷徨するのが自分探し、ということになる。
多くの場合、こういう自己の存在価値についての悩みは中学、高校生あたりから出てくるようになる。リンク元では親からの承認が必要だという話になっていたけど、それだけではやがて物足りなくなる。「親が自分を承認してくれるのは親だからなのであって、自分に価値があるからではない」という話になる。そこで、手短に承認を得るための手段として彼氏、彼女をつくるというのが出てくる。「彼(彼女)が自分を好きでいてくれる」というのは自我の強力な安定材料になりうる。「職場で自分は不可欠な存在」だという思いを悪用したブラック企業による「やりがいの搾取」も同じ話。なので、親からの承認だけでは根本的な問題は解決しない。
とはいえ、それでも親による承認は無いよりもあったほうがいい、と思う。無論、存在価値の肯定を家族だけに委ねることが正しいか否かは別として。最初に書いたように、現代社会ではどうしても自己の存在価値は動揺しやすい。封建社会に戻すでもしないかぎり、それは不可避だ。そんななかで、自己の存在価値が見えなくなったとしても、無条件に自分を承認してくれる存在がどこかにいるというのは、やはり安心材料になるし、厳しい選別の過程に入っていくための足場になりうる。
子育ての観点から言うと、別に徹底的に甘やかせと言っているわけではなくて、自尊心の確立と躾とのバランスをうまく取っていく必要があるんだろう。テストの出来が悪くても、受験に失敗しても、「それでもお前は自分たちの大切な子どもなんだ」と言ってあげられる親であって欲しい。
宗教による自己承認の獲得は否定しないけど、食いものにされてしまう可能性はちゃんと考える必要がある。宗教に目覚めた人たちの迷いのなさは羨ましいような気もするが、怖くもある。外部社会や異教徒との闘いに自己の存在意義を見出すようになると手に負えなくなってしまう。
この問題に「こうすればいい」という万人に効く解決策はたぶん存在しない。個々人が自己の承認欲求と向い合って、その不安定さを受け入れていくしかないように思うのだが。