はてなキーワード: 幼稚園とは
※はじめに、この話はなんの比喩でもありません。
結構前から、小学生の背負うランドセルの色が多様になってきてるよね。30代の私は、小学校入学した時は同級生みんな赤か黒だったけど、私が高学年になるくらいにはピンクや水色の女子達が入学してきてた。最近は、男子も色んな色のランドセル持ってて、いいよね〜…。
でも、
人に説明できるような理由なんてない。ただ、男子は赤ランドセルダメでしょ。だって女の子の色だもん。だって私は赤ランドセル背負って小学校行ってたもん。ダメだよ。気持ち悪い。
赤が好きなのは別にいいけど、それをランドセルでやる必要なくない?近所にもいるんだよね、赤ラン男子。背中から見るとさ、一瞬女子かと思うじゃん?ややこしいことするなよ。
私には幼稚園児の息子がいるけど、ランドセル買うって時に赤は絶対選ばせない。6年間も、自分の息子が赤いランドセル背負って登校して、近所の人に見られ続けるなんて、あってはならないこと。そんなの恥ずかしすぎる。「あそこの家の子、男の子なのに赤いランドセルなんだねえ」って思われるでしょ?耐えられないよ。普通じゃない。変な子って思われる。赤ラン男子の家の教育はどうなってんの?
でも、私はこの話を人に言ったりはしない。
例えば親戚の男の子が赤いランドセルを買っていたら、「かっこいいね〜!」と言うだろう。
だって、赤ラン男子反対なんて、今のご時世言ってはいけないと分かってるから。
リアルでは他人に絶対言わないし、SNSでもそんなこと投稿しない。
だけどもし「男子赤ランドセル禁止」を掲げている政治家が立候補していたら、私はその人に投票する。投票してしまうと思う。
誰にもこんなこと言えないけど、明らかに今の時代に合っていないけど、こんな意見正しいとは自分でも思ってないけど、
その候補者を支持していることも、もちろん誰にも言わない。政見放送でこんな馬鹿げた公約を口にしていたら、ネットで炎上するだろうし、「誰がこんな奴に投票するんだよw」ってみんな言うと思う。なんなら私もそうコメントするかも。
だけど投票する。
そんな人当選しないだろうけど。
赤ランドセル禁止条例について、きっとこんなことを言う人がいると思う。
・これに賛成してる奴、もう小学生じゃねえだろwwww
・自分が、男の赤ランドセルが嫌いだからって、他の小学生達には関係ないでしょ。
・小学生男子が赤ランドセルを使うことによって、賛成派の大人達になんの影響があるんだよ。お前らの生活、何も変わんねーよwwww
いや全部その通り。ぐうの音も出ないほどの正論。私はなんのロジカルな反論もできない。
ただ嫌なだけだもん。
近所に、赤いランドセルを背負ってる男子小学生達が普通にいて、なんの違和感もなく当たり前に受け入れられている。男子のランドセルの選択肢として、他の色と全く同様に赤色が存在している。そんな世界は、気持ち悪いから、絶対に嫌だって、ただ思ってるだけで。
私だけなのかなって思う。
もはや、そんなことに文句言ってる大人は存在していないんだろうな。ネットで「赤いランドセル 男子」で検索して、私の代わりに誰が否定してくれよって思うけど、誰もそんなこと言ってない。私だけが頭がおかしくて、だけど自分の意見をを公の場で言うこともしない。
だって、そんなこと言ったら、赤ラン男子や、その親・祖父母・友達が、傷つくかもしれないから。
私はきっと、「気に入らないなー」と思いながら、この変わった世界を受け入れていくしかないんだと思う。
だけど、赤ラン男子禁止条例に賛成している政治家に、私は投票するよ。
間違ってるってちゃんと分かってるよ。
でも、投票用紙がこんなカスにも配られて、秘密投票なんだから、票を入れるよ。
例えば娘が
「パパ、お話があります、妊娠しました、学校辞めて彼と同棲して育てます、いずれ結婚します」
「バカかおめぇ、堕ろして学校続けなさいボケ、厚労省の調査で17歳妊娠の女子が相手と30歳まで関係が続く確率は4%しかない(嘘)、無理だカス、アホな夢見るなトンマ、今度からちゃんと避妊しろエロ、無責任なチンピラと付き合うなバーカ」
「じゃぁ出ていく、ター君と二人で頑張るもん、自分で責任取るもん」
「いいけど一切の援助はしないよ、生活も子育ても自力でやるんだよ、ママも同じだよ」
「ぷいっ」
で、さ、案の定、出産する頃にはター君バックレ、シンママ、どうしようもなくて戻って来る
「パパごめんなさい、私が甘かったです、パパの言う通りでした」
ここまでは納得してもらえるかしら?おおむね同意を得られると思う
俺酷くないじゃん?自己責任じゃん?娘アホじゃん?
大人が自分で人生の決断をするのだから親とて干渉するような話ではない、好きにすりゃいい。
とはいえ、「自分で責任を取って」もらわんと困るわな、大人なんだから余計
で、話は変わる
それはいいんだが
親父よ、たー君、どーすんの
ヤカンに水入れてお湯も沸かせない親父を誰が面倒みるんですか?
若い頃脱サラして事業起こして、そこそこ成功して好き勝手生きて、事業売却してリタイヤ
傲慢で鬱陶しさ指数240%、口から皮肉と愚痴と説教しか出てこない団塊世代、
喋る内容だけではなく態度も鬱陶しいから100%超えちゃってるの。マジクソ。
これどーすんの、
あなたが生涯の伴侶と決めて責任取るつーて結婚したわけじゃん?
なら責任取れよ、まぢで
親父が死ぬまでお湯沸かしてあげなよ
かーちゃん先に死んでどーすんの、ばっくれか?
家事一通り自力で出来る程度の教育しなさいよ、半世紀も時間あったんだから
周囲の人間に好かれる人間性、立ち居振る舞い、処世術、ちゃんと仕込みなさいよ
なーんもしてないじゃん
散々甘やかしてこーゆー人格に育ったわけじゃん
無責任にも程がある
ちなみに親父は若い頃の不摂生を60過ぎて猛省し今は超健康優良児
誰が面倒みるの?
妹は1000km離れた島に嫁いでる、ばっくれやがった
ガイジンの嫁に、信号機のない横断歩道で蹴っ飛ばしてみてはどうかと相談したらブチギレられた。
で、嫁は、「私が面倒みる!」とかいいだすし、家族愛、結構なこった
キミは親父のクソ面倒臭さを知らない
つても嫁は8年間親父の会社でバイトしてたから嫌というほど知ってるんだが
無慈悲な妹と違い俺は実家からチャリで5分のところに住んでいる
これが裏目に出た
夏くんが1人で頑張りたいとか言って、海ちゃんを転校させ、祖父母の家から自分の家へ連れ出そうとするのを見て、息子を出産する前の夫との会話を思い出した。
そして母になることも怖かった。
出産時に命を落とした女性のエピソードをSNSで致死量くらい読み怯えた私は、夫にこう尋ねた。
すると主人は
「もちろんだよ。そうなったら俺は仕事をやめて、実家(関西)の近くに転職して、実家で一緒に育てるよ」
100点の答えである。私が死んだらこの子の1番の養育者は夫で、その夫が1番育てやすい環境に寄せていくのが世間的、法律的に正しい。
ただ、子どもにとってはどうだろうか。
今私が死んだとする。
4歳の息子は住み慣れた関東を離れることになる。通い慣れた保育園をやめ大好きな先生と別れ、生まれた時から持病で通っている病院から離れる。しょっちゅう家を行き来していた祖父母とは、家族ではなくなり、年に一度しか会わない父方の祖父母の家に入る。いい人たちだが教育方針が厳しい。パパは日中仕事で会えない。その教育方針に基づいて選ばれた幼稚園に身を置き、母を失った悲しみに耐えながら生活する...考えるだけで胸が絞られる。ドラマの中で海ちゃんが夏くんと暮らしたいからと言って転校を認めるシーンはすごく苦しかった。分別のない子どもにそんな選択をさせてはいけない。
だが子供の成長は素晴らしい。きっと最初は辛いだろうが、周りに働きかけながら順応するだろう。
子供にとって、と大きく出たが、今まで苦労して、金も労力も使って息子と私を妊娠中から支えてくれた実家の両親の気持ちを想像してもいたたまれないというのも大きい。ほとんど何もせず、息子(夫)には娘が生まれてきてくれた方がよかったわーとのたまった義実家に孫を取られるのはあまりにも可哀想。いくら娘と孫の希望とはいえぽっと出の男に孫を奪われた大竹しのぶには本当に同情する。
水季はやっぱちょっと変わってる。普通元カレより両親の方が信頼できるから、死んだあとしゃしゃり出てこないように彼につながるレールは徹底的に切るでしょ。つなげてどうする。
障害児ってほどじゃなくても、たとえば保育園や幼稚園、小学校を行きたくないヤダヤダってされたら9時出勤はほぼ絶望的だよね
ってかうちは毎日そうなんだけどさ
まあうちは嫁が専業主婦で俺も朝はそんな早くない職種だからなんとかなっちゃってるけど
1984の詳細もうかなり忘れちゃってるんだけど、暴力的なぐらい男性視点でゲラゲラ笑える作品があるんだから、
暴力的なぐらい女性視点でゲラゲラ笑う、まあ、男性は不愉快になるかもしれんけど、そういう作品があってもいい気はするけどな…😟
小中学生時代から、BLとかやおい界隈も眺めてた自分としてはそう思うんだけど、
そういえば、ロリコンブームの火付け役でもあった吾妻ひでお先生とかは、コミケからやおいを撲滅しようとかやってたみたいなんだよね
ロリコンブームのとき、自分は幼稚園、小学生だったし、ド田舎だったから、コミケなんて行きようがないんだけど…
田舎だけど、駅前の本屋(家から駅まで30分から1時間かかる)まで行けば、普通の漫画の棚の隅の方に、エロとかやおいとか置いてあって、
そういう本屋の隅の方を漁るのが好きだったし、親がクルマを買ってからは、東京駅まで連れてってもらって、
昔の話
3歳児クラスで実習してた。
子供らは「つまんない」「よくわかんない」と言ってた。
遠足の帰りに子供らと当時放送されていた子供向けアニメの話で盛り上がった。
それを実習記録に書いたら先生に激昂された。
「なんのための遠足だと思っているんだ、遊びじゃない、ふざけるな!!仏様のお顔が穏やかだったねとか遠足に関わる話をしろ!!!ふざけてるのか、本当に常識がない!!!本気で先生になる気があるのか!!信じられない!!!」
当然実習は不合格だった。後に別の園で実習やり直したけど私には絶対先生なんて出来ないと再確認したから就職は全然関係ない方面に行った。
子供の気持ちに寄り添うっていうのを理解できない奴がやるもんじゃないよなって思った。
でも、あの遠足は本当につまんなかった。
水戸黄門だって相手が権力で逃げようとした時に格さん助さんに言わせていたし
元記事を読みました。うちも似たような感じです。つーか、常日頃から「なんにもしなかったよね」「父親じゃないもんね」と言われています。
本当になんにもしなかったかというと、そんなことはなくて、幼稚園のときに奧さんの希望で始めさせた空手は毎週僕がクルマで連れて行って、自分も一緒にやって子供たちが2人とも黒帯を取るまで頑張ったのだけど、それでも奧さん的には「なんにもしなかった」と。
まあ、他は確かに何もしなかったので、そういうもんかなと思っていましたが、先日、「息子とキャッチボールしなかった」ことをやたらと責められて、そこはさすがにムカつきました。なぜか、彼女の中では、正しい父親は息子とキャッチボールするものだったのです。
現代の日本社会の病理、目を背けたくなるようなグロい現実が描写されていると感じます。結局、オウム、統一教会、創価学会のようなカルト宗教団体の信者は奴隷なんですかね。
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いつも思っていた事なのですが、パチンコ中毒と同じく、集団ストーカーも中毒ですよね。
今まで私なりに観察をしてきて思うには、
① 生まれた時から、親の集ストに付き合わされ、当たり前の事として参加する。
② 2~3才位から、ターゲットの前で、奇声をあげたり、飛び跳ねたり、歩くのを邪魔したり、少し使命感を持ってやらされ、達成すると、こんな簡単なことで、異常なくらい褒められる。
③ 幼稚園、小学校、中学校と創価学会の集会に真面目に参加し、「今日も頭に手を乗せ、アンカリングしてやりました。」「笑ってやりました。」「咳をしてやりました。」「くしゃみをしてやりました。」「異常な行動をとってやりました。」「仄めかしてやりました。」等々 発表などして、「今日も勝ちました。」(爆笑)とか言って、またまた簡単な事で、異常に褒められる。
④ 高校生以上になると、もう集スト無しでは生きていけません。体が脳内麻薬を求めてしまいます。
(他人に自分がどんな風に見られようが、集ストが欲しくてたまらなくなります。)
⑤ しかし集ストには限界が有ります。警察に捕まるような事、又は自分がターゲットに殺されてしまうような事までは出来ません。ここで問題なのは、どんどん今までの脳内麻薬の分泌量では足りなくなってくると言うことです。覚せい剤と同じです。
(創価学会員の家の子息は、熱心な家ほど、引き篭もりや、統合失調症が多いそうです。脳内麻薬の量が足りず、常に不安感が付きまとい、精神が安定しません。)
⑥ 犯罪者になるか、廃人になるまで続けるしかありません。被害者の皆さんが、「ゾンビのようで気持ち悪い。」と言うのは多分、薬切れの状態か、脳内麻薬が効いている状態かどちらかかも知れません。
(年寄りほど、そして女性ほど、中毒から抜け出すのは難しいと思います。)
不幸な病人を次々と作り出す、創価学会という金集めの組織。人間なら赦してはならない。
(書き足りませんでした、笑)
現代の脳科学では、人間の脳が大人の脳として確立するのは、36歳前後なのだそうです。
まだ成長過程の大切な若い脳に、「過剰な使命感」「過剰な達成感」「過剰な選民意識」「題目とやらを長時間唱えることによる過剰なトランス状態」「過剰な集団での喜び(集団催眠)」等々、脳内麻薬漬けの日々。
それだけに留まらず、今度は集団ストーカーという行動を行わせることによる、体への快感の刷り込み。
ほぼ絶対に見つからない状態からの「電磁波等の科学力」を用いて、人間をいたぶる「過剰な黒い喜び」
ターゲットが、「社会的に再起不能」か「自殺」「病死」「事故死」等した時の「勝った」という大きな勘違いの「過剰な達成感と黒い喜び」
これだけ脳内麻薬漬けになれば、もはや抜けられない「中毒患者」です。
ちなみに、薬物中毒に例えると、
50代以降はもうきっと、集スト無しでは生きていけませんよね。
40代 う~ん 命懸けでギリギリ。30代、20代、10代と若くなるにつれて、自分自身の強い精神力で抜け出せる。という処でしょうか。
ところが、創価学会という所は、この中毒から抜け出せない年寄りジャンキー達が、若者にしがみつき、自分と同じジャンキーに仕立て上げようとする。
実に目も当てられない、「負のスパイラル構造」になっているのでしょう。
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発達障害の子供から「発達障害で生まれたくなかった!」と叫ばれた。
私もADHDとASDの合併を生みたくなかったわ。育てんのしんどすぎ。何度しのうと思ったか。
・40代の夫が中学生時代からのヘビースモーカーで、私が妊娠中も喫煙をやめなかった
・義父もヘビースモーカー(死んだ)
・夫がADS、クレプトマニア、虚言癖、慢性遅刻症候群、自己中心的、親から躾されていない、その他
・私が妊娠初期から8ヶ月まで会社員勤務。つわり、持ち帰り残業、家事をしない夫に疲弊してストレスが多かった
こんなクズとの間に妊娠してこんな環境で生活していたら、そりゃ胎内環境劣悪すぎるし障害児も生まれるわ。
優生保護法は、復活させてほしい。
なんでこんなのと結婚した?って思うでしょ。
支援級は全く役に立たないし、担任からは「知的障害学級に行け」って言われたし。
支援級職員は毎回幼稚園児用の玩具渡して、何の支援もしてないし。
同級生も学年上がるごとに知能低めの子しか寄り付かなくなったわ。
で、うちの子ついに同級生から犯罪的ないじめのターゲットになったわ。
自己啓発本の定番フレーズである「相手にも赤ん坊だったことがあると思えば許せないか?」が長年全然刺さらなくてさ。
「赤ん坊だった所から何十年もかけて成長してコレかよ!成長してませんって顔ならともかく、「俺って成長したなあ」って面して結局書きのままな所こそが許せねえんだよ!死ね!」って感じでさ。
だからもういっそ相手は成長なんて一切してないし、成長したつもりになってる大人ぶった子供なんだって割り切る切ることにしたの。
でも小学生程度のものだって考えると「この程度のことも出来ねえやつは小学校でも廊下に立たされてるわ!クラスでハブられてるわ!小学生未満だろうが!」みたいな気持ちが吹き上がってくることがあってさ。
もう諦めて幼稚園だと思うことにしたの。
ずっと悪口言ってる奴→ あーそんな奴いたわー
ずっとなんか食ってるデブ→ あーいたいた
噂話大好きだけど嘘ばっかの奴→ いるねー
化粧のこと気にしすぎな女→ いるわー
ナルシストだけどイケメンって程じゃない男→ ありがちありがち
なんかもう全部「あるある~~」で終わるんだよな。
だって幼稚園児の中にそういうのがいるのはもう自然の理みたいなものだもの。
「大人なんだからさあ・・・」という概念を完全に諦めるだけでなんかもう全部許せるのな。
「三つ子の魂百まで」とも言うけどさ、結局ちゃんとしてる人間は幼稚園の年中ぐらいでもう本当にちゃんとしてる片鱗があるし、キチガイはその頃からキチガイ、性格ネジ曲がってる奴はその頃からネジ曲がってるじゃん?
成長による社会適応は実際あると思うんだけど、それって結局は「他者は自分とは違う」とか「他人も自分と同じように痛みを感じる」とか「世界観が人によって違う」とか「俺の見えている世界は俺中心の世界だけ」とかを知識として理解するに留まるだけでしょ?
そういうのを超えた所、結局人の痛みが分かるようになった所で「でも、俺は痛くないよね」と考えるサイコパスとか、「こんだけ痛めつけてやったと思うと胸がスッとするぜ!」ってゲス野郎とかは、3歳時の頃に見せたクズの片鱗を開花させる方向にしか進まんわけじゃん。
ゆーて人前でクズムーブしすぎるとアカンって感じるから、大部分はある程度隠すように努力するようになるけど、それでもふとした時に性根のカスっぷりが社会で滲み出たり、弱い相手の前でだけ見せつけることで鬱憤を晴らしてるカスがいたりするわけで。
そういうのに対しての苛立ちを抑える方法として俺と相性が良かったのが「ここは幼稚園の教室で、俺達はみんな幼稚園児なんだ。年齢の差なんて年少と年長ぐらいのものでしかないんだ」と割り切るようにしたこと。
いわゆる「他人に期待しない」って奴を自分流に解像度を高めた形として俺にはこれがシックリ来た。
俺が通っていた保育所がほどよく世紀末かつほどよく秩序があったから、実社会をそれの相似形とするのに都合が良かったのはありそう。
もっとずっと世紀末で社会が成立しない所に通っていたら「いやいや流石に社会は幼稚園じゃないよ」と感じてただろうし、もっとちゃんとしてたら「社会は幼稚園未満だ!デカイ赤ん坊が暴れまわるこの世の終わりだ!滅ぼそう!」とか考えていたかも。
俺が今働いてる職場とか、住んでいるマンションの治安が、ちょうどいい具合に「先生の目が光っていれば大人しく、自由な時間になればモラルなぞどこにもなくなる幼稚園の1クラス」というイメージに当てはまるだけな所もあるね。
30代男性。結婚して10年弱。子供二人(上が小学生、下が幼稚園年中くらい)。
年収X000万円くらい。手取りで言うと月90万円前後(ボーナス月は別)。
家計は一馬力でやってきた。新居、車、旅行、あらゆる金銭的負担は自分が負担している。全て妻が望むような条件のものを買っている。
女性にとって出産は大変なのでそのくらいは当然のことだろうと思う。
以前から家族カードを渡しており、お互い好きにお金を使えるようにしている。
自分の出費を見せないように邪な考えをもち、お互いの明細が見えない家族カードにしたところ、妻が毎月X0万円前後使うので、ローン等々で自分の貯金が増えることはあまりない。
むしろ想定外の浪費っぷりに、下手すると毎月赤字になることもある。ここ2年くらいようやく妻がバイトを始めて、おこずかいなどもあげなくなったが、カードの消費は変わらなかった。
普段の買い物は自分が行く、子供の送り迎えも自分だ。毎日のご飯や洗濯も、仕事をやりながら、全部自分がやっている。
妻はバイトから帰ってきたら疲れてソファーで横に寝ている。週2-3のバイトで、バイト休みでもご飯が準備されていたことはほぼない。
休みの日もソファーでゴロゴロしながら携帯をいじり、お腹がすいた、アレ食べたいこれ食べたいと言われたら、自分が子供の迎えのついでにスーパーで食材を買って、料理する。
そして、料理をしながら洗濯をしたり、風呂を洗ったり、食器を洗ったりする。
こないだは、自分が調理している横で、妻がお腹が減ったといいながら出来上がった料理とハシを自分自身の分だけ準備して食べ始めていた。子供の分も当然用意をしない。
妻は月に数回平日・週末問わず遊びにいく。自分も行くが会社の飲み会くらいでそれよりも頻度は低い。妻がいない方がいろんな手間が減ってありがたい。
自分が飲み会の日は、さすがに妻が子供のお迎えやご飯をやってくれるので、そこは感謝している。ただ、自分が帰ってきた時に、あらゆる食器が出しっぱなしで、洗濯なども行われていないので、夜中に後始末をしないといけないのがわかっているので、飲み会から帰る気力がでない。それ以外にも、出かけるときや夜寝る前などに出したコップなどは妻はそのままで片付けることもあまりない。
妻は、低血圧で寝起きが悪く、朝子供が騒いでいたり、妻のものをいじったりすると、普通にキレる。
数ヶ月前に、子供に昼ごはんを食べさせている途中で、妻が起きてきて切れたので、さすがにそれはいかがなものかと怒り返したら、臍を曲げる。
それからは会話はするが、性行為どころか身体的接触すらなくなった。
まあつらつら文句はかいたが、そんな細かいことはどうでもいいことだ。そういう相手と結婚したのだからそんなものなのだろう。
ただ虚しいのは、ご飯を作って出しても、妻からありがとうと言われないことだ
仕事を毎日して、家計を100%支えて、(ブランド物とかを好きにかえるわけではないが、)ある程度自由にお金を使えて、子供や家事を9割くらいやって(もちろん全部完璧ではないが)、
なかなかこんな男は少ないと思っている。
しかし、いつも仕事頑張ってくれてありがとう、とか一度もない。ご飯おいしいありがとう、と言われることもない。
妻が飲んで帰ってくるときにお腹がちょっと空いているわーと言われたら、夜食も準備してお風呂も沸かしているが、それに対してありがとうといわれたことすらない。
芋ほりイベントがすごく好きで、どろんこになって芋ほりをしていた。
卒園前のプールで、ビート板とヘルパー(※背中に着ける浮き輪みたいなもの)と、腕に着けて浮かびやすくする器具を着けたのにも関わらず溺れて生死を彷徨ったことがある。
けど、水に対する恐怖心等は全くなかったので、小学校1年生から水泳教室に通う。
小学1年生 or 2年生の時、友人と一緒に運んでいた[食パンが入ったケース]を落としてしまい、食べる量が減ってしまった。
小学6年生の時、学校の廊下を走っている時に、1コ下の女の子とぶつかってしまい、怪我をさせる(怪我は軽傷。痕も残らなかった。)
中学1年生からいじめにあう(物を隠される・しばかれる・主にコンプレックスな部分について悪口を言われる・カバンを壊される等)
また明日、気が向いたら書くか
そもそもが婚活で知り合った相手で、結婚を前提にお付き合いすることになった時点では割と冷静だった。
「この人となら多少の苦労をしてでも一緒に暮らしていけそう」
くらいの気持ちでいた。
それが、婚姻届を提出する少し前くらいから、冷静じゃいられなくなってきた。
夫が好きすぎて怖い理由は、いくつかある。
まず、この「好き」は恋愛というよりもっと幼い、幼稚園児が親に甘えるような感覚だと思っている。
そもそも私は気を許した相手の前では子どものようになってしまう性質で、夫にもしょっちゅうスキンシップを求めている(手を握る、肩にもたれる、ハグなど)。
言葉遣いも、うまく説明できないが、子どものような語彙と発声になってしまう。
夫は私よりも5歳ほど年上なので、余計に安心して甘えてしまうというか、同世代相手に比べたら、年齢の割に幼すぎることがバレづらいのではないか?みたいな慢心もある。
自分としては、もっと対等な大人同士の関係になりたいのに、実際は夫のことを親(父と母を足して2で割ったような)のように感じることが少なくない。
夫はサラリーマン、私は扶養内パートだ。家計はほぼ夫持ちだが、そのことについて何か言われたことはない。
その上、私は家事も苦手だ(特に掃除)。夫は一人暮らし歴も長く、料理も掃除も何でもできるので、多分私がいなくても普通に生活できる。
これこそが夫が好きすぎて怖い理由の2つ目だ。
私は物心両面で夫に依存しまくっていて、その依存心を「好き」という感情にすり替えている気がする。
だからこの「好き」は純粋な愛情じゃなくて、夫に寄りかかっている自分をごまかすための錯覚ではないか?という疑念は、いつもある。
そして、夫が好きすぎることの何が怖いって、重いと思われることが怖い。
夫婦にせよ友人にせよ、お互いの気持ちの量や質が同程度≒「両思い」でなければ絶対しんどくなる、というのが私の持論だ。
昔、別の男性と付き合った時、私が勝手に盛り上がってしまい、温度差から別れたことがある。
私がもっと気持ちを抑えないと、また同じことになってしまうのではないか?ということが怖いのだ。
私は夫と結婚したことで、「『既婚者』になった」「気の合う話し相手・遊び相手ができた」「経済的に豊かになった」「実家を出られた」「苦手な家事をやってもらえる」等々たくさんのメリットを享受させてもらっている。
一方、夫が私と結婚したことで得られたメリットといえば、上に挙げたもののうち、せいぜい最初の2つくらいだろう。
夫にとって、それがどの程度の価値を持つのかは分からないが、少なくとも私は夫にほとんど何も渡せていないし、それがすごく申し訳ないし、そのうち愛想を尽かされるんじゃないかとおびえている。
私が夫を好きすぎる気持ちの内訳の何割かは、こういう罪悪感と見捨てられ不安で出来ていると思う。「別にそれでいいじゃん」と思ってもいいのかもしれないけど、そう思えないから怖い。
いい歳をした成人女性のいうことじゃないだろうが、早くもっと大人にならなきゃいけないと思う。
夫を怖くない程度に好きでいられるように。夫が私を好きでいてくれるように。