2024-09-03

社会幼稚園教室も一緒なんだと割り切ったら耐えられるようになった

自己啓発本定番フレーズである相手にも赤ん坊だったことがあると思えば許せないか?」が長年全然さらなくてさ。

赤ん坊だった所から何十年もかけて成長してコレかよ!成長してませんって顔ならともかく、「俺って成長したなあ」って面して結局書きのままな所こそが許せねえんだよ!死ね!」って感じでさ。

からもういっそ相手は成長なんて一切してないし、成長したつもりになってる大人ぶった子供なんだって割り切る切ることにしたの。

でも小学生程度のものだって考えると「この程度のことも出来ねえやつは小学校でも廊下に立たされてるわ!クラスハブられてるわ!小学生未満だろうが!」みたいな気持ちが吹き上がってくることがあってさ。

もう諦めて幼稚園だと思うことにしたの。

ずっと悪口言ってる奴→ あーそんな奴いたわー

ずっとなんか食ってるデブ→ あーいたいた

噂話大好きだけど嘘ばっかの奴→ いるねー

化粧のこと気にしすぎな女→ いるわー

ナルシストだけどイケメンって程じゃない男→ ありがちありがち

誠実キャラっぽい癖にピンチですぐ嘘つく→ もはや定番

なんかもう全部「あるある~~」で終わるんだよな。

だって幼稚園児の中にそういうのがいるのはもう自然の理みたいなものもの

大人なんだからさあ・・・」という概念を完全に諦めるだけでなんかもう全部許せるのな。

三つ子の魂百まで」とも言うけどさ、結局ちゃんとしてる人間幼稚園の年中ぐらいでもう本当にちゃんとしてる片鱗があるし、キチガイはその頃からキチガイ性格ネジ曲がってる奴はその頃からネジ曲がってるじゃん?

成長による社会適応は実際あると思うんだけど、それって結局は「他者自分とは違う」とか「他人自分と同じように痛みを感じる」とか「世界観が人によって違う」とか「俺の見えている世界は俺中心の世界だけ」とかを知識として理解するに留まるだけでしょ?

そういうのを超えた所、結局人の痛みが分かるようになった所で「でも、俺は痛くないよね」と考えるサイコパスとか、「こんだけ痛めつけてやったと思うと胸がスッとするぜ!」ってゲス野郎とかは、3歳時の頃に見せたクズの片鱗を開花させる方向にしか進まんわけじゃん。

ゆーて人前でクズムーブしすぎるとアカンって感じるから、大部分はある程度隠すように努力するようになるけど、それでもふとした時に性根のカスっぷりが社会で滲み出たり、弱い相手の前でだけ見せつけることで鬱憤を晴らしてるカスがいたりするわけで。

そういうのに対しての苛立ちを抑える方法として俺と相性が良かったのが「ここは幼稚園教室で、俺達はみんな幼稚園児なんだ。年齢の差なんて年少と年長ぐらいのものしかないんだ」と割り切るようにしたこと

いわゆる「他人に期待しない」って奴を自分流に解像度を高めた形として俺にはこれがシックリ来た。

俺が通っていた保育所がほどよく世紀末かつほどよく秩序があったから、実社会をそれの相似形とするのに都合が良かったのはありそう。

もっとずっと世紀末社会が成立しない所に通っていたら「いやいや流石に社会幼稚園じゃないよ」と感じてただろうし、もっとちゃんとしてたら「社会幼稚園未満だ!デカ赤ん坊が暴れまわるこの世の終わりだ!滅ぼそう!」とか考えていたかも。

俺が今働いてる職場とか、住んでいるマンション治安が、ちょうどいい具合に「先生の目が光っていれば大人しく、自由時間になればモラルなぞどこにもなくなる幼稚園の1クラス」というイメージに当てはまるだけな所もあるね。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん