はてなキーワード: 同性愛とは
元『映画秘宝』編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも読んで確認してもらえるよう、引き続き頑張ります。前回と同じく、出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(2002年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記します。記述形式は
[ページ数]
です。
なお、問題発言だけでなく「今から見返したら『味わい深い』」と云う発言も有ります。
〈警告!〉「同性愛者に対する差別発言」などの引用が多数含まれるため、読むと気分が悪くなる可能性が有ります。
[p101]
柳下:淀川さんって本当に肉体派でしたね。好きな俳優はシュワちゃんにスティーヴン・セガール。
町山:あとチャールズ・ブロンソンとか、現場労働者タイプ(笑)。シュワちゃん、ジャッキー、ヴァン・ダム、セガール、それにドルフ・ラングレンの映画は『日曜洋画劇場』の独占状態だった。淀川ハーレム。
町山:とにかく男、男、男の映画。淀川さんって自分の欲望に忠実だったねえ(笑)。
【※】相手が死去して反撃してこないのをいいことに揶揄する。景山民夫の時と同じ。そもそも町山智浩に「欲望に忠実」と他人に言う資格は有るのか?他人の女性パートナーの胸を揉んだりキスしたりするのに。
【※】続いて『ゴッド・アンド・モンスター』の話題に移る。これは、’31年版『フランケンシュタイン』の監督ジェームズ・ホエールを主人公とする伝記映画。
[p102]
町山:そもそもさ、フランケンシュタイン博士はなんで怪物を作るんだと思う?
柳下:え、そりゃ自分の手で生命を生み出すためでしょ。神への挑戦として。
町山:でも、それだったら別に男じゃなくてもいいじゃん。男なら普通、まず理想の女から作らないか?
町山:いやいや、フランケンシュタイン博士には男を作る方が自然だったんだよ。なぜかというと博士はホモだったから!
町山:いたって正気。これ、ただの思いつきで言ってるわけじゃないんだよ。実は最近ジェームズ・ホエールの伝記が出て、そこでジェームズ・ホエールがホモセクシャルであることを明らかにしている。
町山:確かに『フランケンシュタイン』を観てると、博士の行動ってすごく変なんだよね。婚約者の美女がいるのに、ちっとも彼女にかまわないで、男の死体をいじってる。
柳下:要するにホモなのに結婚させられそうになって、死体でダッチワイフ作ってるってことですか。ワイフじゃなくてダッチボーイか(笑)。
【※】ここでも「女に手を出すことが『男の証』」という考え方と同性愛者を「異常者」扱いする姿勢が顕れている。
[p109]
町山:それって、『もーれつア太郎』の目玉のつながったお巡りさんだね。あんまりピストルを撃ちまくるから、ア太郎たちが警察署に苦情言ったら「そこ交番ないですよ」って言われるの。要するに勝手に警官名乗ってるキチガイだったんだよ(笑)。
柳下:でも映画版『ポストマン』にはそういうキチガイの部分がないんですよ。
【※】「キチガイ」もよく使う印象。
[p110]
町山:コスナーの人気が落ちたのは、カミさんに全部暴露されたからなんだよ。床屋に行けば床屋の女とヤッちゃう無差別爆撃男でだったんだよ。
柳下:他の俳優なら「しょうがないなー」で済むけど、コスナーは良識ぶってるから反感買うんだな(笑)。
【※】「良識ぶってるから反感買う」は今の町山智浩たちにも噛み締めてもらいたい教訓だと思う。
[p114]
田野辺:あんたら迷惑なんですよ。悪口ばかり言うから、僕らが映画会社に出入りしにくくなるでしょ。
【※】そりゃ、健康も崩すよ。
[p115]
【※】マーティン・スコセッシの『クンドゥン』に触れ、柳下が「ダライ・ラマの生涯を描いてチベット開放を訴える映画ね」と物語を説明した流れから。
町山:スコセッシは一般人に好かれようと思わないで、チビのキチガイが人殺す映画だけ一生作ってりゃいいんだよ!
柳下:チベット救済ってのがトレンドなんじゃない?昔の反原発みたいなもんでさ。チベット救済コンサートとかやってるでしょ。ロクなもんじゃないけど。
【※】「チベット問題」や「原発問題」に関する意識が今日からすれば隔世の感が有りますが、そういえば町山智浩は「天安門広場で死者は出ていない」と云う中国政府寄りの立場なんでしたっけ。
【※】その後、ニコラス・ケイジ主演の『8mm』に話題が移る。
柳下:おかしかったのはニコラス・ケイジの弟分になるホアキン・フェニックス。登場するなり「オレはホモじゃないぜ」って言うんだけど、なぜかケイジのために命を捨てる。やっぱホモじゃん(笑)。
柳下:ジョエル・シュマッカー監督(ゲイ)の自分へのサービスじゃない(笑)?
【※】ここでも「(笑)」を使っている。
[p123]
【※】監督スタンリー・キューブリック、出演トム・クルーズ、ニコール・キッドマンの『アイズ・ワイド・シャット』の話題
柳下:だから試写で、おすぎが「つまんない映画ね!」って言ってたよ。
町山:筑紫は見につまされたんだな。痴漢局長に乱交アナ、覗き記者に囲まれて『ニュース23』やってりゃムラムラくるって(笑)。「オレだって昔は女子大生にモテたんだぞ!」って。
【※】浮気願望といえば、少し前に○人疑惑が持ち上がった人がいた気がしますけど、誰でしたっけ?今日のお風呂は血の色です。
[p124]
柳下:道ですれ違った体育会系のガキどもに「オカマ野郎」って言われるシーンは、モロにトムのホモ疑惑をネタにしたギャグでしょ。
【※】同性愛を揶揄する時に「疑惑」という表現を使って「恥ずべきもの」というイメージを植え付けようとする。
(初出『映画秘宝』99年vol.13)
元『映画秘宝』編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも読んで確認してもらえると幸いです。自分が「やる」と書いた以上やりますが、小分けしてやります。全部で何回になるかは現時点では未定です。
出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(2002年、洋泉社)です。
同書の本文中では、それぞれ町山智浩が「ウェイン」、柳下毅一郎が「ガース」とそれぞれ表記されていますが、ここで引用するに当たり、閲覧する皆様が発言者を把握し易いように「町山」及び「柳下」として表記します。
以下では、
[ページ数]
なお、問題発言だけでなく「今から見返したら『味わい深い』」と云う発言もピックアップします。
〈警告!〉今回以降の投稿には「同性愛者に対する差別発言」などの引用が多数含まれるため、読むと気分が悪くなる可能性が有ります。心身の状態がすぐれない場合は、読まないで下さい。
【まえがき】
[p004]
町山:残念ながらファビュラス・バーカー・ボーイズは双子でもホモでもありません。
【本編】
[p026]
柳下:そうそう、ヴェルサーチ殺したクナナンもカリフォルニアからフロリダまで大陸横断の旅したんですよね。行く先々でホモの相手探して泊めてもらっては、相手を殺して町を去るというパターンで。
【※】エド・ゲインの墓参りに行って墓地の土を採取する予定と言う柳下毅一郎と、彼に「ゲインの墓をあばいて骨を盗め」と冗談でけしかける町山智浩。「ホモ」と云う表現を使う時には「(笑)」を伴う印象。明らかに差別意識が見てとれる。
[p051]
町山:あの人(※注)、ほとんど虚言症でさ、書いてること嘘ばっかなんだけど、自分でもその嘘を信じてんだよ。
[同上]
【※】景山民夫の『虎口からの脱出』は山田正紀の『崑崙遊撃隊』の盗作であると述べた際の発言。ここで町山智浩の言う「神罰」とは、景山民夫が火災で死亡したことを指す。
[p074]
【※】『トゥルーマン・ショー』に対する批評家の評判が高いことを受けて。しかし、町山自身はどうなのか?
[p082]
【※】注:米国内に暮らすキリスト教の一派「アーミッシュ」の人々を指す。
町山:決まってるじゃん。セックスだよ!だってそれしかないじゃん。奴らはセックスだけを楽しみに生きてるんだよ!
柳下:そう言うと、なんかスゴイ変態みたいだなあ(笑)。ホントはいちばん厳格で敬虔な人たちなのに(笑)。
町山:あいつら、そんなにいい人間じゃないよ。だって、他の人間が自動車乗ったり化粧したりするのを見ながら「お前らはそうやって今は贅沢してるけど、最後の審判で地獄行きだぞ、イッヒッヒ」ってほくそえんでるんだもん。
柳下:そんなに言って怒られない?
【※】異文化に対する偏見と嘲笑。「相手から反撃を受けないことが分かっていると強気に振る舞う」と云うお決まりのパターン。
[p084]
町山:どいつもこいつもレッドネック。
【※】『アルマゲドン』に触れた際の発言。念の為に記すと「米国内の、非・都市部に居住する非・富裕層で、高等教育を受けていない者に該当する白人層」を指して使う表現。語源は、野外での肉体労働に従事する白人労働者が、首周りに赤い日焼けをすることと言われる。侮蔑的なニュアンスがある表現。
【感想】渡米した町山智浩は「差別する側の人間」になれて、嬉しくて浮かれていたようにも見えますね。
今回はここまでにします。
発達障害、精神障害、身体障害、ブサイク、低学歴、貧乏な人たちは子供を作れなかったり、作らないようにしてる人はいっぱいいます。
緊急時に電話が来て、死んだときに相続できる新しい制度を同性愛者用に作ってもらえばいいのでは?
なぜ結婚にこだわるのでしょうか。現状結婚と表現するしかないのはわかりますが、ちょっとニュースを見るだけで食欲が落ちてしまいます…。
同性愛者の方々は、精子提供してもらったり代理母だの子供をもらうことに必死な方も多いですがそれも議論が必要ではありませんか?
子供が同性愛者に育てられた研究結果が出てからでも遅くないのでは?
もし認めるとしたら発展場とか公共の場でいかがわしいことをしないようにゲイたちがキチンと人として当たり前のことができるようになってからでいい。
このままの流れで同性婚が認められたら、次は代理出産を合法にしろと騒ぐのが目に見えてる。
異性愛者のカップルでも産む機械にする人たちがいるけど、代理出産なんて本当の本当に産む機械でしかない
経済的に有利なゲイが経済的に厳しい女性に出産をお金でしてもらうなんてありえないでしょ
そのうえ同性愛者を騙って特定の性別の子供を養子にもらう小児性愛者も現れるかもしれないから危険性が高すぎる
同性愛者は他者に害がないことを証明してから色々動いたらいいんじゃないのかなあ。
手始めに同性愛関連のニュースで時々同性カップルのキスシーンが流れるけどああいうのをまずやめるように動くのはどうですかね
ご飯どきや家族団らんの時間、仕事から帰ってきてホッと一息ついたときに唐突に見せられるから自衛のしようがない。
同性同士がキスしてるのが気持ち悪いといいたいのではなく、ドラマでもない一般人のキスの映像を見たいと思う人はいないのでは。
そこらへんの異性愛者がキスしてるところなんてどんなニュースでも見せないし、異性愛者だろうと気持ち悪いのになぜ同性愛者だと許されるんだろう・・・
https://anond.hatelabo.jp/20210316232303
この増田の反応見て思ったんだけど、ポリコレって信教の自由に負けるんだな
だとしたら表現の自由にも負けるんじゃね?信教の自由と表現の自由のどっちが強いかって憲法上定義されてるのかな?されてなさそー
じゃあ信教の自由と同じ条件と考えればポリコレより優先されるじゃん。おお
しかも「憲法は政府を縛る為にある」って謎の理屈も、政府ではなく国民がキリスト教の教義をポリコレ文脈で批判する際に信教の自由を忖度してるって事は嘘だったって事だよな
おおー。だとすると憲法上定義されている表現の自由もまた政府ではなく国民がポリコレ的批判をする際に勘案するべき人権と言う事に成るな
表現の自由とポリコレがコンフリクトし得る事が確認できた以上、ポリコレ文脈の批判はそれが表現の自由を侵害しないか、している場合は侵害するに足る理由を備えているか検討を避けられない(しかも信教の自由を侵害する際と同じ強度で)
更に信教の自由はポリコレ的規範から自由であるなら、表現の自由も同様だと言えそうだな、ふーん、ポリコレ雑魚じゃん
→当事者以外による表現に対するポリコレ文脈の批判も同様と言えそうだな、これは大きい
→空飛ぶスパゲッティモンスター教の様な新しい宗教を作って表現を教義化すれば同じ恩恵に預かれそうだな
あと教義で定義されてると言うのは本当なのかな?例えば聖書にそう書いてあるならカトリックだけじゃなくてプロテスタントでも同じく祝福不可になるはずでは?なってるのかな?
なってないなら解釈次第で同性婚の祝福も可能だという事に成らない?だとすれば可能な解釈変更を行っていない教皇は同性婚に十分に譲歩しているとは言えないんじゃない?少なくとも「変更は不可能」では無いよね?可能だけどやろうとしていないだけ
・気に食わないなら改宗すれば良い、改宗の自由は確保されてる等
→表現の自由版に直すと「嫌なら見るな」だな、これがアリなら殆ど全ての表現へのポリコレ的批判は無意味になりそうだな
一応「公共の場では事情は違う」という反論も有り得そうだけど、今回のキリスト教の教義というものが「公共」に入らないかと言えば非常に微妙だよな?
ポリコレ的には時には公共機関ではない日本赤十字社や私企業のコンビニさえ「公共」に入るらしいが、特にキリスト教の強い国での教会の公共性はこれらを上回るのでは?
だとすれば「公共の場」である教会において改宗の自由と言う「嫌なら見るな」でポリコレが無効化されるなら、表現についても同じことが言えそうだね
・実害は無い
→実害の定義次第かなぁ、少なくとも信者の同性愛者にとっては祝福を授けられない事は非常に大きな精神的苦痛を伴うのでは?
実害の中に精神的苦痛を入れないなら、表現による精神的苦痛も実害には入らないという事に成る
更に表現への攻撃によく使われる強力効果論や限定効果論等のメディア効果論(表現に影響を受けた人が暴力的になったり性的な影響や差別的になるという考え)についても、
今回の教皇庁の発表が信者の差別を助長するという二次被害の懸念をも信教の自由でキャンセルできるなら、メディア効果論が仮に正しかったとしても表現の自由でキャンセルできるだろう
(まぁメディア効果論はそれ以前に、科学的なエビデンスが無い事が問題で、「仮に正しかったとしても」と言う仮定がそもそも疑わしいのだが)
→何故出来ないのだろう?出来ない理由に非常に興味がある、もし他の表現が同じ条件に該当するなら、表現の修正を迫るポリコレは同じ理由で拒否できるという事だから
聖書を修正すると信者が暴れるから?なら修正するとオタクが暴れる表現は修正できない事に成るが・・・・流石にこの理由は無いか
聖書の修正が信教の自由を侵害するから?いや、それも微妙だな、修正が信教の自由を侵害するというロジックが無い
本当に一体どういう理由なんだろうね?よく考えて見ると正しそうな理由が見当たらないや
・批判を諦めているだけ
→あまり好ましくない結論だが、オタク側も説得を諦められるようなパワープレイをずっと続ければその内諦めてくれる、という結論に成りそうだな・・・・
引用するくらい真面目な増田なのでそのうち気づくと思うが、聖書に書いてあることってめちゃくちゃなんだよね。
引用の「コリント信徒への手紙」にも出てくる偶像って要は、十字架とかキリスト像マリア像のことだからね。
知らない人はびっくり。
ゲイ?同性愛?に関する記述なんて片手で数えられるほどで聖書は同性愛を認めてるかと揉めるくらいなのに、「偶像崇拝の禁止」についてはほぼ全編でくどいほど訴えまくってます。
引用したら多分文字数制限で引っ掛かって増田に投稿できないレベルです。
なんで偶像崇拝が禁止なのかは今回の騒動を見てもわかりますね。
「カトリックがー」って騒ぎになってるのは「カトリックという権威」が偶像化されてるからで、偶像化した権威って宗教の形すら歪めちゃうわけですよ。
恐ろしいですね。
十字架とかキリスト像なんかは、「特にカトリックのみなさんが大好きなもの」っす。
いやあ、「聖書に書いてあるから~」とか主張してたのが馬鹿らしくなりますよね。
聖書の記述なんて鵜呑みにしてたら、カトリックの時点で神の国に行けねーから。(byプロテスタント)
他にも姦通だとか人のものを奪うとか強欲とか酒におぼれるとか、まんまカトリックのやってきた負の歴史そのものですねえ。
十戒(神の意志そのもの)にある「人殺すな」「物盗むな」すら守れてないわけですし。
まあそういう腐ったカトリックに反発してプロテスタント(十字架やキリスト像を崇拝しない)が生まれたんだけど、このプロテスタントも「聖書の記述に忠実」とか言いつつ、やってることめちゃくちゃなんだよね。
(プロテスタントはアメリカの宗教と言えば意味が分かってもらえるかもしれない。プロテスタントもゲイがお嫌い。でも近親そうk)
ほんで、アル中だったりDVしたり人種差別してる田舎のプロテスタント親父が「ゲイとかありえねえよな」って言ってるわけ。すごいね。
他にも、みだらな者とか酒好きとか嘘つきとかある通り、「聖書の記述通りならゲイは~」とか言うんだったらすべての人類が同じ扱いだから。
知ってるか、オナニーって許されてないんだぜ。
自分の妻以外に欲情したら神への裏切りなんだぜ。そういえば教会関係者の児童ぎゃk
「ゲイどころかお前ら全員ゴミで地獄いきだボケ」って書いてあるのが、聖書。
娼婦を赦したり、信者からすると本当に困った人ですねキリスト君は。
それを解釈で捻じ曲げて、殊更にゲイを「政治的に」悪者にしてるってことなわけ。聖書の内容じゃなくてそれを利用する側の話。
まあ死刑囚が刑の執行前に神父に祈ってもらったりするけど、死刑になるような凶悪犯だってそんぐらいの扱いはしてもらえるわけで。
ゲイがどうとかってのは(宗教を利用する教会側という)「政治的な問題」でしかなくて、宗教的な問題じゃないのですよ。
ゲイも赤ちゃんも社長さんも等しくすべての人類がゴミだけどお前らゴミを救ってやるよってのがキリスト教なんだけど、
誰がどんな理屈を必死でこねようと、「人殺す」「物盗む」より同性愛の方が罪が重いなんてことはあり得ないわな。
聖書に従うなら偶像を有り難がってる全カトリック教徒よりも罪は軽いんじゃね。
アーメン。
増田氏が貼ったBBCの記事では以下のことにも触れられている。
「教皇フランシスコ1世は昨年10月に上映されたドキュメンタリーの中で、同性カップルにも婚姻関係に準じた権利を認める「シビル・ユニオン」を認めるべきだとの考えを明らかにしていた。」
「また昨年のドキュメンタリーでは、「(同性愛者)は神の子であり、家族の一員になる権利がある。誰も見捨てられたり、惨めな思いをさせられたりしてはならない」と述べた。」
「ローマ教皇庁はこのドキュメンタリーの上映後、教皇の発言は文脈から引き離されて引用されたものであり、同性婚を支持するものではないと説明した。」
とも書かれている。
以上から、教皇自身は同性愛者の存在自体を神の子として認めており、迫害の対象であってはならないと考えている。またローマ教皇庁の公式見解も「同性愛関係には「前向きな要素」がある」と述べることによって、同性愛者の存在を受容する方向を示している。と同時に、あくまで「婚姻」という制度概念において教義的に「祝福できない」と言っているのだ。
増田氏は「キリスト教の同性愛忌避は歴史的に同性愛者への迫害と差別の一番大きい要因だった」と言ってるが、少なくともそのようなことを繰り返してはならないという意志は、公式見解や教皇の過去の発言からははっきりと読み取れる。しかし教義上、子孫を残すための男女間の関係を「婚姻」として神が祝福を与える制度としているため、子孫を残さない同性愛者のパートナー関係を「婚姻」という制度と認めて祝福することができないとしているのである。
もちろんその教義自体が既に差別じゃないか、と言われればそうかもしれないが、そもそも古い価値観で石頭になってるのは、クリスチャンでも宗教的でもない、世俗的価値観で生きてるつもりの、増田氏も含めた現代人もそうなんじゃないだろうか?つまり「婚姻」という制度概念自体に頭を縛られ過ぎなのだ。
「婚姻」という言葉に基づく制度は、「子孫を残すための男女間の関係」に限定したままでも別にかまわない。それとは別に、世俗的法制度では性別に関係なく生活を支え合うパートナシップ関係に法的保護を与えればよいのだ。その点教皇は「シビル・ユニオン」というパートナシップ制度を認めるべきだと言ってるわけで、宗教的教義とのバランスにおいて、実質的な権利のあり方に踏み込んでるのである。
また「子孫を残すため」という点では、あくまで出産・子育て支援制度として、パートナーシップ制度とは別に親権者へ法的保護や優遇措置を与えればよい。実子がいない夫婦も養子縁組で親権者になれるのだから、同性愛カップルが親権者になって孤児を育てることだって可能だろう。ヴァチカンの公式見解も、このような方法を否定するものではない。
Masterpiece Cakeshop v. Colorado Civil Rights Commission(マスターピース・ケーキショップ対コロラド州公民権委員会事件)では、
wikiにもある通り
だぞ
https://www.oyez.org/cases/2017/16-111
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Masterpiece_Cakeshop_v._Colorado_Civil_Rights_Commission
同性愛を理由に断ったことは支持しないが明らかにこのケーキ屋の主人を潰そうとしている
いくらキリスト系保守派やトランパーみたいなのが支援してるからってやり過ぎ
アメリカってすげーなって
でも言えるなら言いたいよね。
同性婚禁止は違憲だと同性愛カップルが訴訟起こしたらしい。その判決が地裁で出て、それに対するコメントなどを読んで当事者として思ったこと。
賛否両論色々言われてるけど個人的には結婚まではいらないんじゃないかなー、と思ってる。多分世間の人は「勝手にすりゃあいい、俺らに迷惑かけなければ」みたいな感じで、憲法や法律変えるって? いやそこまでやるのは怖いなー、ってな感じに思ってそうだから多くを望まなければ小さな変化は望めるのでは。
大きな変革に戸惑う気持ちはわかるので、こちらとしても欲張っちゃいけないかと。憲法法律もちろんそのままでいいから、人様に迷惑かけない範囲で変わって欲しいことがいくつか。
一つ目は病院での病状説明と手術や死に目などの立ち会い。今は大分緩くなったけど血縁者に限るって所も多い。臓器提供カードみたいに患者本人がちゃんと相手を指定しとけば、意識不明でもその人に連絡が来る、みたいな。お願いだから、せめて死に目にくらい会わせてもらえませんかね…。出先で急に倒れて病院運ばれて、それっきり連絡も取れないし状態もわからずお亡くなりになるまで何も知らない、のは辛すぎる。同性愛者に限らず家族と上手くいってない独身の人は友人や恋人を緊急連絡先や立ち会い人に指定出来れば便利になるだろう。同性愛者だけのメリットに留まらなければ世間に認められやすかったりしないかな。
二つ目は…って色々書こうとしたけど他は諦められるわ。遺産残せなくても仕方ないし、車の保険が高くなるとか賃貸借りづらいとかずっと周りに嘘つかなきゃならないとか小さな不満はあるんだけど、次の世代を残さない代償みたいなもんだから我慢する。別に子供産まない人とか同性愛の権利を主張する人を批判するつもりも毛頭ないけど、何でもかんでも認めろと全員が言ってるわけじゃないことを知って欲しかった。昔みたいに石投げられたりしなくなっただけでも万々歳だ。あとは自分らが死ぬ前に病院関係だけでも変わってくれたら幸せです。
実は欧米、特に欧州諸国では信教の自由というのはそこまで強固に守られているわけではない、というのはブルカ禁止から見ても分かると思う
むしろ個人の自由を武器に他文化の信仰を尊重しない自由みたいな感覚があるので(欧州系航空会社のスタッフがアラブ諸国で頭髪を隠さなかったことを理由に逮捕されたが雇用主はスタッフを支持して大々的に不当性を訴えたり、個人の人権>集団としての宗教という感覚がある)
アメリカは福音派が強かったり未だにキリスト教的価値観がかなり理不尽に幅を利かせてるけどそれでも同性愛者を積極的に攻撃してその理由に信教の自由を挙げても免責されることはないと思う
宗教に差別的意識が刷り込まれていたとしても、宗教ならセーフなの?
例えばその人が人事やチームリーダーで、その刷り込みのせいで同性愛者を低く評価するようになったら、それは差別だよね。
たぶんGoogleはその人をクビにすると思う。
でもそれは個人の差別心ではなく、宗教の信心からの行為ならクビは不当だよね?信条は自由だから。
仕事に宗教は持ち込むな、っていうのも仕事をしている間は無宗教になれと強要していることになるから信条の自由に反するよね。(もしかして反さない?)
能力だけで評価しろって言うならいいけど、割と最近はチームに貢献できるか?とか人間性も評価する流れになってる気がするけど、キリスト教徒のリーダーが同性愛者は邪悪でチームの輪を乱すと判断したらどうするの?
キリスト教徒にとっては同性愛者は邪悪なので、輪を乱していると考えても仕方ないよね。
別のチームに移ることはできるけど、そんなことしたら社内で反同性愛者が集まって先鋭化して会社として歪になってくるよね。
どうするんだろうね。
コンピュータに少しでも興味があれば知らない人はいない御大アラン・チューリングとかなあ…
俺はお前に非常に怒りを覚える
俺の立場を明確にすると、どちらかといば保守寄りだし、所謂「行き過ぎたポリコレ」には警戒さえ抱く事も有るタイプの人間だ
ただし女性差別や同性愛差別には怒りを覚える(自分自身はヘテロの男性)
なぜお前は差別反対が人任せなんだ
俺は本気でお前に「ローマ教皇庁を炎上させろ」と言いたい(勿論物理的な炎上ではなく、ネット上の炎上だ)本気だ、本気でそう言っている、他の誰でもない、お前の手でやれと言いたい、それが責任だからだ
お前なら出来る、それはこれまで起きた反ポリコレ運動が証明している、お前なら出来る、だからやれ
本気でやれ
ガチでやれ