はてなキーワード: 公開処刑とは
自分は運動音痴だ。だから運動を楽しいと思えたことは皆無に等しい。健康のために運動をしなくてはいけないのだろうが自発的にやることが困難でやったとしても「やらされ感」が付き纏う。
事の発端は小学生の頃にまで遡る。自分が通っていた小学校は「体力作り」をスローガンに挙げていた狂っていた学校だった。朝学校に着くやいなや体操服に着替えさせられ「朝のかけ足」と称して全校生徒全員が運動場を走らされた(※そしてその後の授業も体育以外でも体操服で受けさせられた)絶対義務でなかったのは不幸中の幸いだったが「冬でも半袖裸足が良い」みたいなのが暗黙の了解としてあって靴を履くのが気まずかった記憶がある。他にも朝のかけ足とは別に持久走とか縄跳び大会だとか様々な体育系のの行事があって拷問だった。まるで野生児でも育てているかのような感覚だった
あと、嫌だったのが競争ベースだった。朝のかけ足にしても専用の用紙に運動場を何周したかマスを塗るというのがあって「どれだけ多くマスを塗ったか」で否が応でもカーストみたいなものができていた。別に朝のかけ足でなくてもそういう競争ベースが体育会系の根性論と合わさって体育はさながら使役と公開処刑のようなものだった
そんな母校の小学校も今では運動場は土から人工芝に変わり、朝のかけ足なんてものはなくなり、小学生は冬になったらジャージを履いて昼休みは遊んでいる
せめて体育の授業が「がっつりやるコース」と「ほどほどにやるコース」みたいなものに分かれていたらよかったのかも知れないがそんなことを日本がやってくれるわけはこれからもない、もしくはあったとしても非常に限られた話だろう
話は逸れるが「運動音痴だけどスポーツを見るのは嫌いじゃない、でも運動しないけど見るのが好きなのは恥ずかしい」と思うことがある。落とし方がわからなくなったのでここらで終わる
たぶん皮肉で同じこと書いてるのいくつか見たけど、私は本気でこう考えてる。
結局のところ負けたら死ぬか死んだ方がマシな人生になると確信してる人間しか命を掛けて戦わないから。アフガニスタンでその立場にいるのは女性だよね。
政府軍の軍人がさっさとタリバンに降参した理由は家父長制の部族社会に逆戻りしても男である彼らは大して困らないから。
むしろタリバンが勝った方が占領地の女性を戦利品としてもらえたり、就労を禁止されて困窮した女性を第二、第三、第四婦人にできるメリットすらある。
そんな地獄に戻りたくないと願う女性を訓練して武器を与えれば必ず死ぬまで戦う。異教徒の侵略者(米軍)に訓練された女性兵士なんてタリバンの教義からすれば絶対に許されないから降参しても死刑だろうし。
腰抜け男しかいない中、女性が自分と家族と仲間を守るために今も戦い続けている。軍司令官や大統領まで逃げ出してもカブールの市街で最後の一人が死ぬまでゲリラ戦を続けると悲痛な叫びを上げている。
捕縛された女性兵士がタリバンにレイプされて公開処刑されるあり様がスマホ動画で世界に流れる。
これは世論が盛り上がる。
世界は、アメリカはなぜこのような悪を見過ごしているのだ? いったい男はどこで何をしているんだ?
徒労に終わった二十年間の戦争にウンザリしているアメリカ市民でさえ再派兵を求めるようになるかもしれない。
アフガニスタン政府には一応女性閣僚もいるみたいだから、亡命政府の暫定大統領にするのも良さそう。
大統領は女性、軍最高司令官もゲリラを率いる女性、政府高官のポストはタリバンに下った男どもに代わって亡命政府に参加した女性たちで占められる。
アフガニスタンのジェンダーギャップ指数は日本などぶち抜いて一気にトップ集団へ。現地ではイスラム過激派が女性にヴェールを被せて家に押し込める神権政治なのだが……
見てみたいなあ、女の戦争。
予言しておくと、こういう筋書きのハリウッド映画はきっと作られる。
さすがに米軍が女性を救う歴史改変はアメリカ人も恥ずかしいと感じるだろうから、アメコミ映画とかになるだろう。
もちろん敵もイスラム過激派ではない。
特に意味無く女性を虐めるキチガイ白人男が集まった架空の国際ミソジニスト過激派『インセル・プライド』に支配された小国で抵抗を続ける女性主体のレジスタンス。
彼女たちが追い詰められたその時、アイアンマンとキャップが降臨し非モテ男どもを蹴散らす!
そういうものを私は観たい。
学生のころアフガニスタン専門の日本人研究者やジャーナリスト、現地人の人権活動家や留学生の講演会に何度か行った。
「タリバンというのはイスラム原理主義で、支配地域で異教徒や言論の自由を認めずに公開処刑するわ女性の教育を禁止してブルカを強制するわのろくでなし連中であります」
という説明を、昔の美しい街並みや綺麗な花畑やタリバン支配後の同じ場所の廃墟のスライドと一緒に聞かされて(実は街が破壊されたのはソ連侵攻で、花畑が荒れ地になったのは大旱魃のせいと後で知ったが)、
「へぇ、酷い連中がアフガニスタンを支配してたんだな。アメリカの援助で民主的で平和な国になるといいな」と初心な自分は素直に思ったのだった。
だけど、ちょっと深くあの国の歴史を勉強するとそんな単純な善悪の図式じゃないことにはすぐ気づいた。
タリバンが出てくる前から、王党派やソ連の援助を受けた共産勢力や軍閥が内戦を繰り返していて、それぞれのグループの内輪でもさらに小さな部族単位での小競り合いが絶えないカオスがアフガニスタンだった。
そんな中でイスラム主義による世直しを掲げた学生や知識層の運動としてタリバンは生まれた。
自己利益しか考えない腐敗した各軍閥に比べて、イスラム法に基づくある程度は公平でクリーンな統治を行うタリバンは草の根の支持も集めてアフガニスタンの支配勢力になった。
アメリカはタリバン政権を打倒して形式としては民主的な選挙で選ばれた政府を建てたが、中身は昔の腐敗した軍閥のままで、地域ごと、官庁のセクションごとに部族が利益誘導をする、全くバラバラの政府だった。
侵攻から20年かけても日本の明治維新のような国民国家の建設ができなかった。
「タリバンのような暴力的な組織に対して同じように暴力的に反撃するなどできません」
この他人事感!
そこは現実には無力だとしても「私は女性ですが武器を取って最後まで祖国を守ります!」と言うべきだろうと。
こんなことになる前に彼女は、「女子供の人権が守られる世俗国家を防衛するために戦って! 私たちを守って!」と夫や兄弟や息子たちの尻を全力で叩くべきだった。
世俗国家の恩恵を一番受けるであろう都市部の知識階級の女性という立場ですら国民意識が無い。政府軍の兵士がすぐに逃げ出し、司令官があっさり降伏して無血開城したのも当然というもの。
動画の女性のこの後の運命が、西側への協力者としての処刑か、戦利品としてタリバン兵士の第二婦人として分配されるのか、かなり幸運なケースとしてブルカを被り家族の男たちに庇護されて静かに暮らすのかは分からない。
なんにせよ、もうすぐタリバンが正統な政府となるのだから、アフガン人は民主主義と世俗主義よりも、イスラム法と部族の慣習への回帰を願って戦って勝利し、彼らの国を取り戻したということだ。
笑うしかない。
と思った。
あの漫画自体はテンポよく読めて笑いもありそして腐女子という生態をよく描いているなとは思う。
それは差し置いて、やっぱ二次創作BLってクソじゃね?というのがまず出てきた感想だ。
そもそも作中でも出版社に電話するな!とあまり大っぴらに公言出来ない趣味なのは承知しているみたいだし
若干タブーだと分かっておきながらどうしても妄想は止まらないと言いたいんだろうけれど
そもそも人様の作品の男性キャラを勝手に同性愛者にして他の同性キャラとくっつけて楽しむのがさっぱり理解できない。
受け攻め議論があったけれどそもそもまずは原作にない設定を強引に引っ張ってきて同性愛者にする方が問題視するべきじゃないか?
しかも一次創作となった作品は学ランを着ている事だし中学生か高校生だとしてその未成年同士をゲイにしてその絡みを見るわけだろ?
原作読め!という見開きを使ってまでなんか決まった台詞を吐いたけれどむしろ原作を冒涜してねぇか?
言っとくが俺はBLそのものに嫌悪を抱いているわけじゃない。オリジナル作品としてのBLなら俺もたまに読むこともあるからだ。
しかし二次創作はどうしても擁護できないし、そしてこの作品に対する反応もヒスバンだね!いいやバンヒスだね!と頭空っぽにして面白がってるようなのばかり。
いや、この作中作自体がもうオリジナルだから正確には二次創作でもないけれど似たような事例がそこら辺に起きているわけだろ?
逆カップリングは認めないとか同担拒否とか検索除けで謎の造語で会話してたりとか、もしそこでターゲットにされてしまったら開かれる学級会と言う名の公開処刑。
正直言っていいのか?何もかも気持ち悪い。しかも二次創作の方を読みすぎてて原作だっけ?二次創作だっけ?とあるあるネタになってるのも馬鹿馬鹿しい。
こいつらは原作への愛だとかそんなものはなくてCPするのになんか良い餌がないのかなと群がっているにすぎない。その汚らわしい手で原作に触れないでほしい。
そしてそれを面白がって反応している周囲も同罪だ。お前らが乗っかった事で腐女子共がこの文化は許されてるんだ!と勘違いして増大してるだろうが。
これらを用意するだけで日本人に多い「正義に酔って残酷なことを出来るやつ」「人の死が娯楽なサイコ」「人の苦しみが見たいソシオパス」の需要を満たせると思う
正義に燃える無自覚なリンチャー共は公開処刑で悪人が死ぬ瞬間を見て溜飲を下げる事ができる、執行ボタンで己が悪を裁いたという満足感を得られる
サイコパス野郎やソシオパス野郎は人の死を見てズリネタ代わりに気持ちよくなれるし、執行ボタンで合法的に人殺し出来て快感を得られる
精神的苦痛を負いながらボタン押すくらいなら、逆に快感を得られる輩に押させるほうがいいんじゃねえかな
ガス抜きになるだろうし
まあ、そんなことあり得ないんだろうけどね
それも突然変異のように現れたのではなく、前々から隠然と人々の心のなかに息を潜めて存在していたんですよ。
コロナになって、人々が完全に分断されて、
建前の薄皮一枚で繋がっていた社会の紐帯がボロボロと解けていったのです。
今までは言えなかったけれどコロナ禍の今なら言える、
文句いうだけの立憲民主党その他野党は根絶やしにされてほしい、
遺伝子操作ワクチンなんて作るやつ打ちたがるやつ全員死ねばいい、
等々、分断を糧にあらゆる憎悪が軛から解き放たれて自由を謳歌する時代。
いまはてなブックマークではこの憎悪の自由を謳歌するブックマークコメントで溢れかえっています。
今年で6周年を迎える人気ソーシャルゲームFate/Grand Order(以下FGO)の3月の恒例イベントであり、ホワイトデーにちなんだ男性キャラクターメインの企画のようなものである。
近年ではシナリオやスキンがつくこともあるが、このイベントのメインは女性向け界隈で有名なイラストレーターを外部から呼んで、男キャラの美麗な新規イラストを描かせることだ。有名乙女ゲームやその時話題だった女性向けアニメのキャラデザ担当などが、数名の男性キャラをあらゆるシチュエーションの1枚のイラストに仕上げる。年に1度の企画だからか力が入っていて毎年良いイラストが多く、推しが選抜されていない年もなんだかんだ楽しんでいることが多かった。
今年までは。
今年のビリー・ザ・キッドの扱いは酷すぎるのではないだろうか。
当たり前だ。女性向けのキャラ商売ではこういうネタは嫌がられる傾向にあるし、それでなくてもせっかく外部からイラストレーターを呼びよせて美麗なイラストを描かせる企画なのだ。
今年もすっかりそのつもりでいたので、イラストが発表されたときには「推しがいるかなー」と軽い気持ちで見に行った。シナリオで推しがいたと事前に聞くとそれが良いものでもあまり喜ばしくないネタでも緊張するが、良くも悪くもそういう感情とは無縁の企画だったのだ。
それがなんだあれは。
今年のビリーの扱いは下記の通りだ。
②ガンマンなのにシューティングゲームで当て馬扱い
③とどめのようにCBC告知バナーでギャグ顔を目立つ位置に一人だけ隔離・配置されている
以下、それぞれについて詳しく吐き出していく。
前述のようにこの企画は女性向けで活躍している有名イラストレーターを起用してそれっぽいシチュエーションのイラストを描いてもらうものだ。今年ビリーがいるイラストも某女性向け人気ソーシャルゲームのキャラデザを務めたイラストレーターが描いている。
そこまでしておいてわざわざ顔を崩した表情を描いてもらうなんてありえないのだ。
普通は。
普通なら。
シチュエーションとしてはスプラトゥーンのようなゲームを現実世界でやっていて顔にインクを被弾した……というものであるが、被弾する顔にしたってもう少しやり方というものがあるだろう。文章にすると改めてひどいが、それでも女性向けっぽいイラストに仕上げることなど特に難しくはないはずだ。
だがビリーの表情は女性向けのそれとはかけ離れたものだ。見開いた目はデフォルメが強い三白眼で他のパーツも単純になっている。
ガンマンでヘッドショットを受ける事は致命的であるはずなのに、あまりに締まりのない表情はらしくない。
それに彼の性格や設定を抜きにしてもあの表情はおおよそCBCには相応しくないだろう。
少なくとも例年ではこのような描かれ方をしているキャラは見た事がない。
そして、それ以前にビリーが描かれている面積は小さすぎないだろうか。
あまりに小さすぎて礼装一覧をざっとTwitterで確認した初見の時は、別のキャラだと思った。正直これいる必要あります……?
前提としてFGOは総キャラ数が多いため、この企画のイラストにいるのは選ばれたキャラのみだ。FGOは年々新キャラが実装されているため、特に人気という訳でもなければ過去に一度選抜されたキャラが新規にイラストをもらうのは難しくなっているだろう。
……つまり、一度描かれたら次回以降のCBCでまた選抜されるかどうかはわからないのだ。貴重な機会をこんな小さい面積とギャグ顔で消化しないでほしい。
というか1つの年で選ばれないキャラなんてたくさんいるのだし、こんな扱いならいない方が遥かに良かった。そもそもビリーは過去のCBCで一度イラストをもらっているので今年いなくても特に気にしていなかった。
【②ガンマンなのにシューティングゲームで当て馬扱い】
別に負けること自体は構わない。ビリーだって最強のキャラというわけではないのだ。サーヴァントとしては銃の腕しか取り柄がないと本人も自嘲しているが、射手という大きな括りで見るとビリーより優れている者もいる。そうした設定に不満はない。
だがそれとこれとは別の問題だろう。
男性キャラが主役のイベントで、一番の得意分野である射撃で、無様に負けていい理由にはならない。
そもそもこういう企画でなぜわざわざ一番の得意分野で踏まれなければならないのか。
ビリーはこのゲームではガンマンの代表格のような扱いを受けており、かませ犬にするにはぴったりの立ち位置な分邪推したくなってしまう。
なお、ビリーの他にこのイラストでは2人のキャラが描かれているが、この2人はビリー程にひどい描かれ方はしていないし無様にヘッドショットも食らっていない。
【③とどめのようにCBC告知バナーでギャグ顔を目立つ位置に一人だけ隔離・配置されている】
CBCは毎年バナーで各イラストのキャラの顔だけをピックアップして集めているのだが、例に洩れずビリーもそのうちに入っている。
そしてビリーはなんと一番右下に配置され、バナーにかけられたリボンで、他のキャラたちと隔離されている。
あのギャグ顔だけを切り抜いて。
まるでオチ役かのように。
公開処刑かな?
繰り返し言うが、他の年ではこのように一人だけ隔離というようなことは一度もなかった。
逆にこれさえなければ先述の二点も「気にしすぎかな?」とスルーしていたかもしれない。
本当にひどいのでもしまだ見ていない人がいるなら今すぐFGOを開いて確認してほしい。
もしこれが所謂ネタキャラだったとしても私はドン引きしていただろう。
わざわざキャラをあらゆる女性向けシチュエーションに当てはめて売り出すイベントなのにこういう扱いをするのは客を舐めているとしか思えない。この運営はもともと女性顧客を馬鹿にしている節があるのはたびたび感じていたが、女性向けと銘打ったイベントで一定以上のラインは超えてきたことはないため不快に思いつつもスルーしてきた。
こんな不快なネタをキャラを変えて来年も再来年も見せられるのは嫌だし、ビリーがこれ以降このような扱いをされて当然のキャラとして運営や他のファンに認識されるのも嫌だ。
別に普段ならギャグなんていくらでもやってくれて構わないし、汚れ役だってそれでシナリオが面白くなるならあまりにひどい扱いでない限りいい。
ここでこんなことを吐き捨てても仕方ないと思う方もいるだろうが、今回感じた事はきっちり次のアンケートに書くつもりだし、文章がまとまったら運営に直接今回感じた意見を送ろうと考えている。
もちろん今年のビリーのイラストを喜んでいる人もいるが、私は悲しかった。よりにもよってCBCでこれをやられたのが尚の事ショックだったのだ。
えんとつまちのプペル予告編とか、キンコン西野とかはYoutubeで最近よく目にする。最近の芸人系Youtuberが何故か挙っで西野をヨイショしているのが気持ち悪いなと思っている。
頑張る人をあざ笑う世界をどうにかしたいという気持ちが映画には込められているらしい、というのがほうぼうの情報から見て取れた。つまり、周囲の人がひたすら足を引っ張るが、主人公の子供は目的を達成する映画だな。
Hydeのハロウィンパーティーかっこいい。主題歌の歌詞はよくわからない。ハロハーローハロハロウィンプププップププペル?きゃりーぱみゅぱみゅくらい発音しにくそう。なんか可愛らしい歌詞に壮大な楽曲で不思議な気分になる。
ハロウィンの夜に起きたことらしいが、公開時点でハロウィンが終わっていたのでコロナは大きな傷跡を残していったと思う。
母ちゃん命令だ、必ず帰ってくるんだよ!という所、「ここ泣き所ですよ!」という感じがしていたのにまんまとうるっと来たのが悔しい。というかあんな子供に命がけの冒険させる親、もっと強固に反対しろよと思わなくもない。何帰りを信じて見送っちゃってんの?どうも軍隊まで敵に回しているよね?
雲の向こうを誰か見たのかよ、という点、若者ならではの無鉄砲さが出てるなあ。
予告編やほうぼうから見た情報を察するに、こういうストーリーだろう。
えんとつまちはどうやら雲がいつも立ち込めていて空というものを見た人がいないらしい。雲こそが空であり、空は雲がずっと続いているとみんな信じている。
主人公の子供は雲の向こうがきっとある、こりゃなんかありまっせ、みたいですなあ、と思っている。
周囲の人は何もないと思っているので「おまえなにいってんだよ」と普通に反応する。何なら暴力沙汰になるくらい(カジサックの動画)この話しされたくないらしい。なにかトラウマでもあるんか?
予告編からどうやら空を飛ぶ乗り物を手に入れて冒険に出るらしい、つまり雲の向こうには行けるそうだ。ここまで書いたが雲なの?煙なの?えんとつまちっていうくらいだから煙だろうな。
努力している人をあざ笑う世界をどうにかしたいんだから、煙の向こう側に行くんだろうな。そして星を見るに違いない。
めでたしめでたし、という話だろう。
まず、えんとつ「まち」なので、街から出れば普通に空が見えると思うんだが、なんで命を危険にさらしてまで冒険に出るんだろうか?努力はいいがコスパ悪くね?
街の大人たちも煙の向こうは何もないと思っているくらいにずっと煙に覆われているんだが、呼吸器系疾患大丈夫?
主人公のお父ちゃんは信じていればいつか夢は叶う式の話をしていたようだが、結局実行力、実行手段、いいパートナーに出会える運がなければ話は始まらなかったという話でもありそうだ。
くのも向こうにたどり着けて、空を見た主人公が帰ってきたとして、それを周囲の大人は果たして信じるのか?という疑問がすごい。「俺は雲の向こうに言って空を見た!」「いやいやいやいやwwwwwお前何いってんの?ねーからwwwwww今すぐ空の煙全部どけて空とやら見せてみろよwwwwwそしたら信じてやるよwwwwww」となりそうだし、おそらく報道なんかでもひどいネガキャンはられるだろう。
空が雲で覆われててその先に何もない、と人々が認識しちゃうということは、おそらく数世代に渡ってこの状況が続いていて、独裁政権による洗脳教育も施されているだろう、こんな世界で主人公の子供だけが洗脳から逃れられているという状況も説明されているのだろうか?