はてなキーワード: 体感とは
なにはともあれ、ウマ娘。だ。好きな人たちが作っているコンテンツ群なのか、それとも、好きな人が集まってきてるのかはよくわからんくらいになってきた。
年寄りの体感的に、過去の競馬ブームはいくどかおこり、それぞれテンポイントの死でおわり、ライスシャワーの死でおわり、サイレンススズカでを終わったような気がする。2000年代以降は、引退が早くなったためか、そうそうこういうい悲劇を目にしなくてよくなった。
ウマ娘。のアニメ(1期、2期ともに)、漫画、ゲーム中などなどは現実の競馬が下敷きになっている。引用癖は悪癖ではあろうが、それぞれ知っていると、作り手と握手したような気持ちになれるし、私が拾えていない要素もあるのだろうと思うとさみしくもある。
ゲームでストーリーがあるけれども、その元があり、なによりレース中の実況は有名どころ、印象的な一文は引用されているように思う。
ゲーム中のストーリー以上に、現実の競馬の物語がそこにあると紐解けるとき、この穴はどれだけでも掘って行けると気づいたとき、どんな気持ちになるのだろう。
ナイスネイチャのバースデードネーションがえらいことになったのを見ながら、イクノディクタスに思いをはせる春の終わりだった。
https://anond.hatelabo.jp/20210414094946
元増田を誤解している人が多いのはとても残念。誤解が解けるかどうかわからないけど、ひとりの愛犬家として知ってることは書いておきたい。
なお、前提としてこれは大型犬の話。小型犬は飼ったことがないのでわからないけど、同じようにすると死んじゃうかもしれない。
まず大前提として、犬は叩いて言うことを聞くようになると思うなら大きな間違いで、暴力では怯えてガタガタ震えたり唸ったり吠えたりするようなるだけで、言うことを聞くようにはならない。
叩いても絶対に人の言うことを聞くようにはならない。
大事なことなので2回書いた。ますます問題行動がひどくなるだけなので、無駄な暴力は絶対に駄目だ。これは元増田も同じだと思う。
でも、子犬は次々といたずらばかりするので、飼い主が怒っていることを教えないといけない。
最初は言葉でダメと伝えるのだけど、最初から言葉だけでやめる子犬はまずいない。それでいてどんどん大きくなってどんな大型犬も30キロくらいにはなるので、いたずらをでやめさせないと人間の生活が成り立たなくなる。
そこで、マズルを掴む、耳を引っ張る、首根っこを押さえる、ひっくり返して上から抑える、口に手を突っ込む、鼻を噛む、肉球を噛むなどなど、悪いことをした程度に応じて人間が反撃してやめさせる。
これがひどいと思う人は一度、子犬同士がじゃれ合ってるのを見てほしいのだけど、想像以上に激しい。追いかけっこ程度で済むのはまれで、お互い噛みあったり、勢いよくぶつかって吹っ飛んだりするんだけど、それでいて喧嘩しているわけではなくて、じゃれ合ってるだけ。
一度見れば犬の体感と人間の体感は随分と違うんだと実感できるし、犬は身体で伝えないと言葉だけでは難しいのは飼えばすぐに理解できると思う。
人が犬に何かを伝えるためには最初はある程度の有形力の行使は必要で、とはいっても叩いたり噛み返すのは本気で噛み付いてきた時くらい。普通は犬をひっくり返して上から抑えるんだけど、毎日何度もやるからあちこち傷だらけあざだらけになるし、筋肉痛で全身が痛いのは人間だったりする。
人はこれだけ苦労して叱ってるつもりなんだけど、犬はプロレスごっこしていると勘違いしているような気もしないでもないんだけど、まあ、それでも飼い主としては叱っている体は絶対に崩さない。
それを毎日、何回も何回も延々と繰り返すと、だんだんと、ダメと言えば止まるようになって、おすわり、待て、伏せができるようになって、散歩でも引っ張ったり飼い主の前を歩かなくなる。そこまでになるのに早くても1年、時間のかかる犬だと3年くらいはかかる。
いたずらを口で注意して、やめなかったらマズルや首根っこを掴んで、それでもやめなきゃひっくり返して、噛み付いてきたら噛み返す。毎日毎日、その繰り返し。繰り返すことで犬はやっていいことと悪いことを理解するし、人との間に信頼関係が生まれる。
元増田の話に戻る。犬が元増田の言うことを聞いているのは信頼関係ができてる証拠だからね。そして、それは元増田の日々の積み重ねの結果なんだってわかってもらえただろうか。
特定ジャンルでオタクを続けていると、人の出入りをなんとなく体感したりするよね。新しい人が来たらそりゃあ嬉しいし、神の更新が止まったらそりゃあ悲しい。
でもいちばん悲しくなるのは、神が別ジャンルに移行した時だと思うんだよね。
もちろん、ジャンルが移ったからといって、元のジャンルが嫌いになったとか、興味が無くなったとか、そういう事じゃないのはわかるよ、わかるけどさ。別ジャンルで生き生きと色んなお話とかさ、イラストとか上げてるの目の当たりにするとさ、やっぱり心の中でモヤモヤが生まれてきちゃってさ、この裏切り者!って詰りたくなるような気持ちになっちゃうんだよ。
詰らないけど。
たま〜に流れてくるバズりマロとかで、もう〇〇は描かないんですか?に対しての、そんなこと言われたら描きにくくなるよね!って回答。
わかるよ、わかるけどさ。
そりゃあ今ハマってるジャンルのお話を描きたいだろうし、元ジャンルのも気が向いたら描こうかな〜、って時に、何で元ジャンルの描かないの?なんて言われたら、ハァ?今描こうとしてましたが???みたいな気持ちになるの分かるよ。
まだ元ジャンルへの愛残ってますか〜?もう興味無くなっちゃいましたか〜?
基本的に煽っていい結果になることは無いんだけどさ。
神がハマるジャンルなら面白いだろ!私もハマります!!みたいな人間だったら、こう、このモヤモヤも抱かずに済むのかもしれないけど、神だろうが何だろうが、私が好きなものが好き、他の人が何にハマってようが関係ねぇ!みたいな、我がつよつよ人間だと、来る者拒まず去るものは決して許さないみたいになりがち。
そして立ち去った神が、何かの折に、〇〇くんのイラスト描きました!ってなると、ハチャメチャに嬉しくなるんだから、割と単純なんだよな。
自分は引っ込み思案で、ネット弁慶、といってもロム専で基本的には発信しないタイプの人間なのだけど、
最近仕事が変わって、あんまり人と話せないのもあって、考えたこととか、あっとことをはてなに投稿している。
一日の振り返りとかできてよいし、人につたえるようにするようが、記憶にも残るし、
多分自分と同じような引っ込み思案で、考えを言葉にすることに対して、ハードルが高い人は一定いるのだと思うけれど、
お酒を飲みながらとかでもよいので、まずは思ったように自由に気持ちを言葉にしてみてほしい。
これまで、自分の考えがどれだけ周りに規定されていたのかを最近すごく体感できるんじゃないかと思う。
大人になると、顔色を伺ったり、だれかのことを想定して発言したりしないといけないから、
どんどん思考が狭くなってくるけど、こういう場があることで、自由でいいんだって思えることができるよ。
少なくとも自分は。
自分と同じように、見る専で、引っ込み思案な人に届くと嬉しい。
星あつまるの好きで、よくブコメするんだけど、コメントした後、コメント一覧表示させて自分の投稿を確認するじゃん?いいコメントだなって改めて悦に入りたいじゃん?なのに最近、コメントが反映されるまでに結構なタイムラグあるよね?投稿した後、俺はiPhoneなんだけど、コメント一覧で下にスワイプして更新しても、俺の冴えたコメントが反映されてない!何回もやってみるけど反映されない。そのうち、コメント者一覧のところに俺のアイコンが表示され始める。やっとコメント反映されたか。星を得るのにこの数分間えらく機会損失させられたやん。と思って一覧見てみたらまだコメントは反映されてない。結局コメントがちゃんと反映されるまでに体感5分くらいかかるんだど、みんなもイライラするよね?その挙句に結局別に星一個とかそんなんやったりすると目も当てられない。
100回程度は観てる映画だと思うんだけど劇場では観たことなかったし、
今回はクソデカ大画面でやるというので行ったのだ。
観る前は大画面ならではの、今まで見逃していた何かを発見しようとか、
そんなことを考えたいたのだけれど、
映画館で観ることの利点は、大画面迫力云々とかもあるんだけど、
それよりも、映画に100%集中するということのほうが大きい。
具体的に言うと、スマホなりPCなりをいじること無く、映画を観続けることを強制されるということ。
これは自分にとっては大きな利点だ。
シン・エヴァのときも思ったんだけど、これをアマプラで観てたら何度も中断を挟んでしまって映像体験が大きく違ったものになったろうなということだ。
今回の逆シャアでも同じように思った。
何度も観てるけれど、集中して通してみたのなんて何年ぶりのことだろう?
映画というのは、きちんとみると体感が全然違ってくるものなのだ。
とか書いてたら、もう一度観たくなってきたなあ。
https://anond.hatelabo.jp/20210405233005
前回ミソジニーに塗れた弱者男性(KKO)は救う価値が一切無いと書いた。
それでもミソジニーを抜いたところにある弱者男性(KKO)は救われなければならない。
というよりもミソジニーを駆逐するためにも弱者男性(KKO)は救われなければならない
弱者男性(KKO)の本質は社会におけるプレゼンスの喪失および社会からの疎外感にある。
結婚や経済的な性交が槍玉に挙がるのもそれらが社会において一定の役割を付与するものであり、それらが達成できないことはすなわち社会的なプレゼンスを獲得できなということに他ならないからである。
ただの貧困であれば社会福祉でカバーできる部分もあれば労働問題としてカバーできる部分もある。
ただの婚姻の問題であれば少子化対策などを絡めた制度と的な問題としてカバーできる部分もある。
しかし弱者男性(KKO)が抱える問題はあくまでも喪失感と疎外感なのでそういった制度の問題として解決できる部分は少ない。
となるとそんなの放置すればいいじゃんという主張が出てくることは自然なのだけれども、それはそれで問題がある。
最近の増田の流れの中で弱者男性(KKO)のような存在を救っていたのが宗教だったのではないかという指摘をする増田もいたが、真っ当な宗教観を持つ宗教に救われるならともかくカルト的な宗教に嵌まってしまえば社会からの距離は縮まらないどころからさらに離れてしまう。
弱者男性(KKO)がミソジニーに絡め取られやすいのも宗教的救い・精神的支柱を白饅頭のようなミソジニーを含む弱者男性(KKO)論に求め縋ってしまうからであり弱者男性(KKO)を放置してきた結果でもある。
つまり弱者男性(KKO)を救うということはミソジニーに縋る人間を減らすという事でもあるのだ。
あとちょっと付け加えると、実は弱者男性(KKO)は男性にだけある存在ではなく性別セクシャリティーなどの属性による垣根のない存在であるという事も念頭に置いておきたい。
男性以外の属性の場合、社会からの疎外感はそのまま社会による構造的差別に繋がる部分も多く、そのための属性内で一体となった社会変革運動が行われている場合も多い故に社会から疎外感を感じても属性内の一体感があるのでそこまで目立っていないと言うだけの話で。
数日で構わないので、メッセージのやりとりは重ねた方が良い。
→これをやるにはメッセージを相手に苦痛に思わせないコミュ力/積極性が必要。
メッセージのやり取りという面倒を相手に強いてるわけで、相手にとってはプロフでしか知らない女であってそこまで労力を割いてられないことは理解すべき。
結果会わないまま自然消滅しがち。
なので自然消滅する前に、自分から誘うなり誘いやすい話題振るなりできるならいいと思う。あのカフェ行ってみたいんですよね~とか。
メッセージからの自然消滅を繰り返すと結構な確率で長くペアーズに居ることになる。そして「あまり長くペアーズにいると多分心が死ぬ」
体感としてはいいね〜80くらいでもしっかりやりとりしてくれる人はいる。
→「ライバルが多いということなので時間の無駄。」になりがち。
男のいいね~80はかなりの上位層なので、ほぼ間違いなく計画的に盛ってる。
努力は無駄になる可能性がある そんなん含みある言葉で匂わせるようなクソい大人は無人島で暮らすかさっさと墓に入れ。
報われ方を知らないだけで、ゴールが1つしかないと思い込んでるのが視野狭すぎな。
高みに向けて努力することで得られる代用可能な能力の体得を忘れんな。
報われてる事に気が付かないだけ。
そこに目向けもせずに、てめえの無能さ加減を棚にあげんな恥ずかしい。墓ん中に隠れてろ。
誰のどのどういう背景で努力できてんの?
支えもなしにやれんの?
気づけよ他人のありがたみ。
ここまでは独りで努力できた?自分の底力を自分で体感したやろ良かったやんやるやん。底力がさらに深まるよ
精神論は?
メカニカルトレーニングのどういうポイントがどう作用したの?逆にどういう要素がトレードオフになった?
ルールの言語は?英語由来?ドイツ語?日本語と言語的ギャップはあった?
業界の動向とか追ってた?
全部至近距離で見てきただろ。
それらは部分的な違いは当然あれど、他の分野にも有るから。少し頭をスイッチしたら名詞と目標、構造、規模が違うだけで、それぞれが持ってる依存関係や共存関係は一緒だから。
その報われ方は君が「今」望んでなくても、
必ず両手いっぱいのお土産を持って、次のステージでもそのステージのどこかにでも居られるはず。
将来孫に聞かせてもいい。
君の意外な一面になるだけかもしれない。
けど、それこそ個人の深み。
そういう努力の先に、男性とか女性とか性別や職業で呼ばれるような人間・個人を無視したような姿勢から、くっきりとした個人を獲得できるよ。
大人の多くは傷付かない、傷付きたくないプロなんだよ。傷のなめあいも得意なやつらだよ。頼り方、関わり方は考えたほうがいいやつらばっかりだよ。
キャンセルカルチャーに勤しんでるしょーもないはてなブックマカーの諸君、聞きたまえ。
これは努力は報われない と微塵でも思ってる奴ら全員に
仲のいい友だちみたいな距離感で言うよ。
お前ほんっとつまんなくなったな。
ボカロの歴史についてはドにわか…というのもおこがましい、ドシラソファミレドにわかだ。
初めて聞いたボカロは覚えていないが姉がイカサマライフゲームを聞いていたのが最後の記憶
昔、学校でミクが流行っていたから初音ミクプロジェクトミライを買ってもらった。
今思えばこの頃の環境が一番オタクに優しかったな、カースト上位が全員オタクだったから
やってみて好みだなって思ったのがささくれPとピノキオPだった。これが出会いだな。
母親に頼んでスマホを貸してもらって、ピノキオピーのマイリスを見たそのときの最新投稿が頓珍漢の宴だったのをよく覚えている。
ピノキオピーは曲が多いから、アルバムのクロスフェードで大体の位置を記憶していた。
個人的には漫画が好きだ。comic and cosmicの発売がすごく嬉しかったのを覚えている
引っ越しで環境がかなり変わったことがあって、そのときは、ちょっと周りにトゲをばら撒くような歌詞が自分の心を守ってくれるような気がした。
だからはっぴーべりーはっぴーとか、人間なんか大嫌いが好きになった。
このあたりの曲は言葉を選んで強いことを言っているから、言ってやった!感が強くて、歌っていて気分が良い。
うっせぇわが流行ってるのってそういうところあるんだろうなって思う。
関係ないけどadoはマジで歌が上手いから消費される歌い手にならないでほしいし、語彙がちゃんとしている上で言葉の強い歌を歌ってほしい
それからしばらくして、生活に少し慣れてきたときには何気ない歌に励まされた。
あと本当に辛いことがあったとき、今でもネガポジを歌ってしまう。
最初期ピノキオPの何気ない素朴な歌詞がすごく好きだ。今も。それが強い気はする。
ピノキオピーの好きなところはやっぱり歌詞だ。曲調も好きだが。
いろいろあるんだけどレアノの毎分毎秒毎時間感動してられないものとかブラックホールヶ丘商店街のアイスの棒のあたりとかの素朴さが好きなんだ。
そういう歌詞の身近さが、最近のピノキオピーでは少なくなってるきがしてさみしい
どうしてちゃんのテーマとかどうなのって言われそうだが最近のピノキオピーの歌詞のリフレイン率はヤバい 体感だけど
404もリアルにぶっとばすも愛されなくても君がいるもちょっとキャッチーじゃなくリフレインしている、その隙間にもっと、もっと自我をさらけ出してほしいと思っちゃうのはオタクのキモくてイタい欲求なんだとは思う
でも正直言ってさんさーら!では感動した、ARuFaを表現する言葉の巧みさに脱帽した
全部好きだけど、友達百人できる?できないのところが彼らしくてやっぱり好きだなと思った。
彼の夢と希望と少しの諦めと内輪ノリがないまぜになったような言葉遣いは沁みる。
インターネット上の元気いっぱいバカ真面目バカARuFaを体現した歌が良かった。
MeiMeiみたいなユルさとはじめまして地球人さんを聴いたときのワクワクが同時にきて、ちょっと嬉しかった。
俺としては一番ピノキオピーがとっつきやすいキャッチーさとひねくれ感と共感を上手く歌にできているのがはじめまして地球人さんだと思ってて、本音を言うとこの時期にコンパスの楽曲提供を依頼されて欲しかった この欲求は無茶すぎるけど
でしゃピノもよかったピノキオピーが調整する声が好きだがね、可愛くて聞き取りやすくて
今ちょっとマイリス見に行ってらリアルにぶっとばすが99作目だった、マジ!?100作目は祝いたい
散文すぎるが次100作目ってわかったらもう言いたいことなくなった、とにかく大好きだピノキオピー…アンタのポップな曲調、内面に迫ろうとしたり、どうでもいいことを急に言ったり、たまに説教臭いことも言う、距離が近いけど頼れる先生みたいな歌詞が好きだ。これからも作曲していってくれ…頼む…生きて作曲してくれてありがとう
前提として、以下を読みました。
1. 元記事 https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31
2. chokudaiさんの返信 https://chokudai.hatenablog.com/entry/2021/04/01/115755
3. nucさんの謝罪(?) https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/04/02
ふだんはインターネットのあれこれについてROM専ですが教育と教育倫理に携わる者の端くれとして3の記事に対し、このような方が教育を大声でかたることの危険を感じたため筆をとった次第です。
私は教員→ソフトウェアエンジニアとして数社→公教育ではないとある教育機関で勤務、といった経歴にあり、大学で学ぶ程度の教育学と小中高領域の教育に関しては多少通じています。ちなみに務めた会社にGoogleは含まれず、競技プログラミングについてはソフトウェアエンジニア時代にちょっとかじった程度で歴史やコミュニティに詳しいわけではありません。
1の記事についても賛同・異論含めていろいろあるのですが、そちらは各個論点についての意見が異なる程度の話ですので割愛します。なお、両者の知り合いでもないので通りすがりによるネットの怪文書程度の位置づけで結構です。
いきなり教育の話から逸れて恐縮ですが、謝罪慣れしていない方がやりがちな失敗がいくつもあり、謝罪文として看過できない点をいくつか指摘します。
教育哲学・児童心理などを学んだり活用する立場にある私にとって、トラブル対応や謝罪について考え実践する機会は山程あるのでその経験から思ったことでもあります。
他人のためを思ってやったことが相手に対して失礼だったとき、傷つけたとわかったとき、「そんなつもりはなかった」と言い放つことがどれほどひどいことか、私は見てきました。
ハラスメントやそれらにまつわる謝罪で最も悪手の1つです。間違えた側にできるのは一切の言い訳なく謝ることです。
https://note.com/tm88817/n/ne5025239f31a から私が肝要と思っている節を引用しました。
この文章がタイトルに示されるような謝罪文であるならば、この一点においてすでに重大な間違いを犯しています。
余談ながら、謝罪の本質を中学生ぐらいの子どもにそのように教える機会があります。経験上、成績がよく普段は問題を起こさないが内実プライドが高く誤り慣れていない子どもは「そんなつもりはなかった」「相手が勘違いした」といった言い訳をする傾向にあります。私の個人的な体感ですので一般化はできませんが。
これについては、意図せず失礼なことを書いたとお詫びしたいと思うと同時に少し背景の説明と本来の意図をご説明させてください。
先述と同様です。失礼なことを書いたと自覚しているなら本来の意図の説明は不要です。
背景と意図を説明するのは「自分に過失がないと確信しており、誤解を解くために誠意を尽くす」場合です。過失が誰にもなくても誤解やすれ違いというのは生まれるものですから、そのときは真摯に伝え直すのみです。
私は、このけんちょんさんのために仕方ないと思って記事を書いたのですよ。本当に面倒で書きたくなくて、他に書くものもあり、ツイッターで書こうかなと宣言して自分を鼓舞までしたのに、2ヶ月以上かかりました。
nucさんがchokudaiさんを不快にさせる文章を書いたことについて謝るために、矛先を向けさせるような形で第三者を巻き込む必要もなければ、あなたの事情を説明する必要もありません。
また、自分を鼓舞までして2ヶ月以上かけて書いた事実があったとして、謝罪を受けた側に何の意味があるでしょうか。過失を避けるように努力したのであれば法的にも情状酌量の余地はありますが、「努力をしてやったことだから引き起こしたことの罪が軽くなる」、なんてことはないのではないでしょうか。
言いたいことはたくさんあるのですが、「教育者として避けてもらいたいこと」に焦点を絞ります。
結論だけ言うと、これだけの悪手を悪意なく行う人に、教育者として後進の育成に関わってほしくないと感じました。成功者だけでなく被害者が生み出されることを危惧しています。直接指導でなくとも、技術力を活かして別の形で関わって頂くこともできるのではないでしょうか。
そりゃそうじゃないですか、「競技プログラミングをする」という表現は当時はなくて、「プログラミングコンテストに出る」と言っていたわけです。だから、競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指すわけです。
発端となった1の記事では田舎初段といった言葉を用い、まさにそのことをご自身で説いておられたかと思うのです。
特に後者の「競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指す」は少なくとも私にはまったく自明ではありません。ある程度客観性を持った事実なのかどうかを確認するためGoogleで「競技プログラミング」について検索をかけてもnucさんと同じ解釈を見つけることはできませんでした。
5歳くらい歳が離れると一部の言葉が通じなくなることがあるのは、少し前に「アンチ」という言葉で強く実感したことがあります。これもそうなのでしょう。
唐突に、。穿った見方をすれば、今回のコミュニケーションの失敗の原因を年齢差に帰しており、自身には過失がないといった主張に読み取れます。
歳が離れると一部の言葉が通じなくなることは、年の離れた相手の教育に携わっていればどうやってもわかることです。
ですがこれを理由にしてこちらから対話を閉じたり、「言ってもわからないだろう」といった態度をとるような方に教育を声高に語っていただきなくないです。
私がかつてドラゴン桜に対して抱いた印象を思い起こさせます。東大に入るのは「かんたん」、かんたんには但し書きのカッコが付きます。
ただし適切な素地があり適切な対策を十分かつ継続的に行えた場合、です。場合によっては家庭からの適切なサポート、障害やハンディキャップを持っていないこと、も条件に含まれます。
1の記事で以下のように述べられており、大学院に行くことが人生の選択肢にない人の存在にショックを受けたとありますが、そのときに培われた想像力を今一度働かせて頂ければと思うのです。
まさか戦後生まれで大学院に行くことが人生の選択肢にないことがあるとは思わなかったので、私は本当にショックでした。30を過ぎるまでこれにまったく気が付かなかった自分自身への怒りで、視界がおかしくなっていました。
とある医学部教授から「読んだよー。文章はいいけど、お前が卒業生をひょいひょい適当にエンジニアにすると教授会で問題になることがあるから、するんだったら出来の悪いのにしてよね。いいね。ほんと頼むよ。特にそこにいる生徒会長みたいなのはだめだから。」ということなので、今後は、あらかじめ「出来が悪いかを問い合わせる」約束をしてきました。
ちょっとした怒りが湧きました。
今後nucさんに面接対策を依頼し、OKをもらえた学生は医学部教授が出来が悪いと認定した医学部生になる、ということとなります。
このような文書を公開し、残し続ける限り、nucさんの生徒・元生徒が目にする可能性があります。
教え始める前にせよ後にせよ、もし私がnucさんの生徒としてこの一文を見たらと思うと激しい動悸がします。
この一文をどんな思惑があって追加したのかわかりませんが「諸事情により今後は医学部生の生徒を取ることを控える可能性がある」程度で良かったのでは。
「かわいそうなことに、りりあんさんは、いかれた3人の模擬面接官が今まで何をやっていたんだと慌てふためいたことにより、2週間のリアルタイムアタックを宣告され、無理やりクリヤーさせられました。コスパがよかったですね。でも、こっちの胃までおかしくなるから真似しないでね。」で終わるのですが、これだけ書いてもぜんぜん広まらなさそうですよね。そこに、フィロソフィーと教育関係の問題意識の話を突っ込むとこうなります。
1の記事における教育関係の問題意識の話については首肯できる箇所もあり、志の高い方という印象を受け共感もありました。しかしながら1の記事で持ち込まれた教育関連の話が、自身の記事を広めるための方便・道具であったことをここで暴露しておられます。
自身の教育論を手段として使われることは主張自体の価値や正当性を毀損するものではないですが、3の謝罪文の端々にあらわれる不味さから、教育を声高に語らせてはいけない方だという印象に修正されました。
特に教育と一言に言っても指す領域は広いことを認識されておられない点。アカデミックな領域についてはnucさんは私などより遥かに広く深い見識をお持ちなのだと思いますが、それが全てであるかのようには誤解されたまま教育問題をバズるための方便として喧伝することは事実認識を歪めることにつながります。
以上が教育関連で私が主張したいことです。
女。意見が違うところも多かった。
・顔の写ってない写真でもOK
→美人と自認しているなら別だが、リアルで会った時にがっかりされない覚悟が必要。ぼんやりでも顔出しして「この程度の顔ですよ」とわからせておく方が直接対面時のハードルは下がる。
・プロフィールは少しは書け
→個人的には「相手に求める条件」をプロフィールに書いてしまう人は即地雷だと感じる。多分女性に多そう。メリットよりデメリットの方がとても大きい。そんなもんは書かず、心に秘めておいて何ら問題はない。プロフィールは自分の特徴と、ただ誠実に相手探しをしていることをアピールできれば良いだろう。
・いいねが多い男を選ぶな
→確かに、いいね数件でとても良い男性はたくさんいた。趣味のコミュニティなどからそういう人を探す面白みもある。
体感としてはいいね〜80くらいでもしっかりやりとりしてくれる人はいる。
→メッセージでのやり取りというのは程よくめんどくさい。めんどくさいからこそ、「程よくめんどくさいことに付き合ってくれる男性かどうか」というのは確認できる。
よって、もちろん冗長になると良くないが、数日で構わないので、メッセージのやりとりは重ねた方が良い。
個人的には、相手の趣味の分野で興味があれば、おすすめのものを聞いてみる。そして時間的余裕があれば試してみる、などした(ポッドキャスト、音楽、本、映画など)。これは良いものを薦めてくれる人が多く、単純に楽しかった。逆に相手が聞いてきてくれて、何か薦めることもまた多かった(忙しい合間でも相手がチェックできそうな軽いものを基本的には選ぼう)。ペアーズは興味のある趣味をすぐ語り合える異性ができるので楽しい。あまり良くないが、お互い何となく会うつもりがなさそうな雰囲気のまま、お互い楽しく何かをリコメンドし合い、だらだら盛り上がり続けるということもあった。
すぐ通話、会うというのは、単にセックス目的の男性、不誠実な男性をあまりフィルタリングできないという弱点がある。真剣な出会い目的であるならストレスの多い戦略になりそうである。
・大前提として女慣れしてない男を狙うことになる。よってお前がリードしろ
→良いと思う。しかし、自分は極端な受け身非モテ男子を一から育てる体力がなさそうだったので、こなれていなくても極端な受け身でなく、どこか積極性がある人が良いと思った。
→収入ではフィルタリングしなかった。現在の年収の高さだけ見ても、将来的にどうなるかなんてわからんし。学歴に関しては、ぼんやり近しい方が交際がうまくいきやすいかもしれない。しかしそれもマストではない。結論として無職は困るが、タフに生きていけそうな人であれば良いと思っていた。(それはどういう基準なんだ、という話になってしまうが、プロフィールやメッセージから感じ取れるものを信じよう)
→「プロフィールの○○が気になっていいねしました〜云々」と、いいねした理由をしっかり書いてアピールしてくれる人は好印象。明らかな雑いいねは無視して良い。
<一番大切だと思ったこと>
あまり長くペアーズにいると多分心が死ぬ。極端にゲーム化させず、愛を持って一人ひとりと接することができるよう自分も努力しよう。また、「この人か?」と思ったら大胆に決心することが大切だと思う。