はてなキーワード: ベテランとは
もちろん今でも良く腹を壊す。深夜に泥酔してラーメンを食した翌朝など酷いものである。どのぐらい酷いかと言えば、ここに書けないほど酷い。
小学生の時分は、なぜか「大の方のトイレに入ると自動的にコミュニティの晒し者にされる」という厳格なしきたりがあり、大きな方をぶりぶりっと出していると、トイレの壁をよじ上って誰かしらが覗いて来たり、偉大なるウンコマンの誕生、登場を大勢で迎える。というのが流行していた。
もちろん、俺もその偉大なるウンコマンとして降臨したこともあれば、尊大なるウンコマンを迎えたこともある。
やがて中学生になり、異性への興味が花開く年頃になると、さすがに男子のウンコマンへ対する興味、情熱も薄れていくのだが、今度は授業中に腹が痛くなってしまった場合、好きな異性の目の前で「ちょっとトイレに……」と手を挙げて行くのが恥ずかしいという、なんだか今の日本人が忘れてしまった、恥じらいにも似た初々しい事態に直面するのであった。
そう言えば、中学の教師に「ウンコに行きたい」というと「あと10分で終わるから待てないのか」と言われた記憶があるが、そもそもウンコを我慢出来ないからわざわざ手を挙げているわけで、終業まで待てる奴が「ウンコしまーす!」と手を挙げるわけが無いのである。思い出したら腹が痛くなって来た。
そうした甘酸っぱい春色の青春も終わりを迎え、受験の後、俺は男子校に入学するわけであるが、男子校と言えばもともと肥溜めみたいな場所であるので、つまりはウンコみたいなものである。
休み時間、授業中に関わらず、勝ってくるぞと勇ましく、大手を振りながらウンコをできる環境に「これが大人ってやつか」としみじみ感じ入ったものである。
そんな糞まみれのうんこく時代を過ごした高校生活であるが、友達も居たし、彼女も居たし、いつでも気兼ねなく脱糞出来る余裕からか、胃腸の様子も少しは良かったように思える。
そして高校を無事にノー漏れで卒業し、死にたいくらいに憧れた華の都大東京に上京することとなる。
3年ぶりに女性と同じ屋根の下で学ぶことになった専門学校であるが、もはや18年毎日行われた胃腸との対峙、対決の結果により向かうところ敵なしとなっていた俺に死角は無かった。
ただ、死角は無かったと言っても、腹は痛くなるので、この頃より将来の夢は「家で出来る仕事」となる。
また、このぐらいの年になると、車に乗って何処かへ行ったりと、遠出をすることが多くなるが、その時は、さすがの玄人である俺もかなり困った。電車のようにその駅ごとにトイレがあるわけでは無い。
冷静に自分の腹具合と相談しなければ、腹腹時計が爆発し、車中脱糞という壮大な悲劇と、ちょっとした喜劇が待ち構えている。
そんな時には、気管支炎喘息の症状を活かして多目にもらっておいた、リン酸コデインが役に立った。
この鎮咳剤は、基本的には咳を鎮めるためのものであるが、もうひとつの作用として、下痢止めがある。医者に処方される際に「便秘になる作用もあります」と言って処方されることの多いこのリン酸コデインであるが、正露丸も効かないロシア以上の胃腸を所持する俺に効く唯一の下痢止めと言っても過言ではない。
正確には、万年下痢なので、コデインを飲むと、その便秘の作用と相まってなぜか丁度良い状態になる。という素晴らしい効果なのである。ウィリアム・バロウズの小説に出てくることもポイントが高い。
閑話休題。
そうこうするうちに、あっという間に30歳を過ぎた。
ということは、もうこの胃腸との付き合いは30年を超えるわけであり、30年も毎日己の胃腸と向き合っていれば、それはもう健康問題どうこうというよりはもう「道」すなわち「タオ」である。
脂っこいものを食せば下痢になる。これはもう宇宙自然の普遍的法則、そして根源的実在であり、衆目の前で漏らして迷惑をかけないというのは、道徳的な規範はもとより、美や真実の根源なのである。
30を過ぎた頃から「屁だと思ったら実だった」というちょっとした逆転現象が起きることが多くなって来たように思える。
ベテランだと思っていたウンコ我慢道も、まだまだ知らないことばかりである。
頑張って生きていこうと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150826143739
「高学歴娘のくせに淫乱」に萌える人が結構いる。しかし、実際に高所得を得て、国や経済や社会インフラを支える知的職業に就いているのは、高学歴淫乱娘または高学歴淫乱娘を嫁に持つ高学歴男子だ。
ではなぜ、高学歴娘は真面目なんて言われるのだろうか。
まず、「高学歴娘ほど真面目だ」と妄想している人はほぼ低学歴だ。だが、低学歴だから淫乱さが分からないわけではない。彼らが遭遇した高学歴淫乱娘は、彼らを相手にしなかっただけだ。そして、低学歴が高学歴娘に出会うためには、高学歴娘が低学歴の生活圏に来るしかない。
なぜ高学歴娘が低学歴の生活圏まで来てしまうのか。それがまさに「真面目娘」だからだ。大企業の幹部候補や官僚エリートコース男子にはじき出され、天才や超秀才がちょめちょめしていくのを見ながら、一応大企業かも?という会社に高学歴娘が就職していくのだ。そして、なんとか大企業に就職すると、その真面目娘はリーダーとしてふるまうことになる。もちろんメンバーは子会社の社員や契約社員やバイトである。
職場にズームアップしてみよう。そこにはベテランの契約社員(低学歴)ベテランのパートさん(低学歴)ベテランのバイト(低学歴)などがいる。低学歴でも淫乱でないと相手にすらされない(もっと賃金の低い職場はいっぱいある)ベテランとして残るのはそれなりに淫乱な人間となる。そこへ、学歴だけ高い真面目娘がリーダーとして入ればどうなるか。
学歴なんか仕事には関係ない。高学歴なやつほど使えない。そんな風に思っている人は結構いる。しかし、そんなことは無い。実際に高所得を得て、国や経済や社会インフラを支える知的職業に就いているのは高学歴のエリート達だ。
ではなぜ、高学歴ほど使えないなんて言われるのだろうか。
まず、「高学歴ほど使えない」と言っている人はほぼ低学歴だ。だが、低学歴だから有能さが分からないわけではない。彼ら遭遇した高学歴が無能だっただけだ。そして、低学歴が高学歴に出会うためには、高学歴が低学歴の生活圏に来るしかない。
なぜ高学歴が低学歴の生活圏まで来てしまうのか。それがまさに「無能」だからだ。大企業の幹部候補や官僚エリートコースからはじき出され、天才や超秀才が起業していくのを見ながら、一応大企業かも?という会社に無能な高学歴が就職していくのだ。そして、なんとか大企業に就職すると、その無能はリーダーとしてふるまうことになる。もちろんメンバーは子会社の社員や契約社員やバイトである。
職場にズームアップしてみよう。そこにはベテランの契約社員(低学歴)ベテランのパートさん(低学歴)ベテランのバイト(低学歴)などがいる。低学歴でも無能だとそのまま切られてしまうから、(もっと賃金の低い職場はいっぱいある)ベテランとして残るのはそれなりに有能な人間となる。そこへ、学歴だけ高い無能がリーダーとして入ればどうなるか。
社内ではかなりのベテランっていうか、いわゆるスタートアップのメンバーだったのに、数年前にリストラされました。
ちなみに公式にはグループ役員との出向(出向期間未定)ってことになってるけど、私のいたポジションにはもう後釜がきてて、戻る場所なんてない。
「今後の海外展開にあたり、らむりんという名前はlamb=羊肉という動物ではなく食べ物を想像させるので健全にキャラクター展開にそぐわない」んだってさ。
マジふざけろ。
「ママー、らむりんはどうしてらむりんなの?」
「らむりんはひつじさんでしょ?ひつじさんのことはらむって言うのよ」
「それ以上いけない」
そういう感じなの?ていうかそれくらい立ち上げ時点で気づけただろ。なんで私だけ食べ物由来だったんだよ。
それととりっぴぃだって将来的にアウトでしょ。trippyって。
おクスリキマってるヤツじゃん。
はあーもうやだやだ。
2chなんかでIT系の採用の話があると「学生のときに勉強してた新人は変なクセがついてつかえない。なにも知らない新人のほうが伸びる」みたいな人がよくいるんだけど、こういう事を言ってる所は地雷だよな。
これを言ってるのは、言ってる本人が勉強したことなくて、職場のガラパゴス化した技術しかしらなくて自分自身に変な「クセ」がついてるんだと思うわ。(実際にはスキルにクセなんてないんだけど)
で、自分が劣ってるんじゃなくて「勉強してるやつは変な癖がついてダメだ」って合理化してんの。
「クセ」といえばよく、はじめに学んだ言語が○○だとクセがついてダメだとか、最初にIDEでやるとダメだとかいう説があるじゃん。
プログラミングのスキルをスポーツのフォームみたいに捉えてるんだろうけど、こういうのも言ってる本人がダメっぽいな。
世の中には言語を一個覚えるのがやっとみたいな人と、簡単に複数の言語を覚えられる人がいて「プログラミングのスキルはクセがつく」という発想をしてしまう人は、前者のほうなんだろうと思う。
自分が言語一個覚えるのに四苦八苦するのを、世の中みんなそうだと思って「クセがつく」と称してるの。
CのベテランがJavaの現場にきて、悲惨なコードを書いてるとかあるけど、それはCのクセがついてるからじゃなくて本人にJavaを勉強する気がないからだよね。
「クセ」と言われてるのは、学習曲線が一年くらいで伸びなくなって複数の技術を身につけるのが困難な人が、最初に学んだ技術しか使えないのをそう言ってるだけで、そういう人からしたら確かに「クセ」が存在するんだろうけど、そういう人を前提に新人教育を考える必要はないと思うわ。
IDEから入るとコマンドラインが使えなくなるって話も、そういう人はコマンドラインから入ってもすぐ学習曲線は頭打ちになって、どのみち大したこと技術者にはならないだろうし。
出だしと1番サビの
Say☆いっぱい輝く 輝く星になれ
っていうところ、「輝く」っていう言葉を繰り返しているのが、ちょっと下手な感じで逆に慣れてない感じが良いなぁと思ってたんです。
「せいいっぱい輝く!輝く!」「輝く!輝く星になる!」っていうがんばる気持ちがすごく伝わってくる。
2番サビだと
Say☆いっぱい羽ばたく 一人に一コずつ
ってなっていて、とくに韻も踏んでないしイマイチ言葉もつながってないしですごい気持ち悪いんですよね。
「せいいっぱい羽ばたく、ひとりひとり」「せいいっぱい羽ばたく、この煌めき」、っていう歌詞の流れになってるのかなぁ。
Say☆いっぱい羽ばたく 羽ばたく一人ずつ
だったらわかるんだけど。
飛び立つ前のヒナががんばってるみたいですごく応援したくなる。
まったくこんな歌詞を書いたのはどこのどいつだ、と思っていたら森由里子とかベテランさんじゃないですか。
もっと素直に読むとどうなるんだろう。
業界側から言うと、アニメーターって個人が浮かび上がってこないので感謝を向けづらいってのはあるんだよ。
声優や脚本や委員会や原作者からの視点だと、アニメーターさんは制作会社のしたについていてふわっとしたクラウド的なイメージにしかならない(そういうお付き合いしかできない)。打ち上げなんかでも呼ばれるのは(大規模打ち上げであっても)制作会社の撮影さんとかキャラデザさんとか、ごくまれな事情でアニメーターさんが呼ばれるにしても最終回スタッフだけとかだ。
またこちら側の視点で「第n話の作画がよかった」って話があったとしてもそれはアニメーターさんがよかったのか原画家さんがよかったのかレイアウトががんばったのか演出という名の助監督が血尿して個人的にフル修正かけたのか、結果のフィルムからはわかりにくい。二重数分の尺や枚数の中に、個人の奮闘が隠れてしまうんだよ。そして、個人を認識できていないのに、ふわっとした感謝を向けるのも筋が違うだろうし、何より不誠実だと思ってしまう(当のアニメーターさんはそんなこと思ってないかもしれないが)。
もちろん、すごい奮闘や激戦はある。アニメーターさん個人にも様々な思いがある。進行さんと飲みに行けば、そういうエピソードをうっすら聞くことはできる。n話のどこそこのカット、女の子が走り回るところはAさんがやってくれた。Aさんは売れっ子であちこちで引っ張りだこなのに、この作品のあの娘が好きだからというのでものすごく難しいカットなのに素晴らしい速度でやってくれた。Bさんは最近ほかの番組では作画監督までやってるのに、あのカットだけは動画で参加だからどのコマを止めてみても表情が全く崩れてないんだ。すごすぎる。ビルが爆発するシーンの煙、Cさんがやってくれた。Cさんは大ベテランだからロボットでモノ壊すの本当に得意。あれは匠の技だよね。Dくんは今回かなりのカット数をやってくれた。Aパート数人で回したんじゃないか? D君はまだ若手で正直絵が崩れるときはあるけどあれだけこなしてくれる人がいなかったら正直間に合わなかったんだ。などなど。
自分は進行ではないし制作会社の人間ではないのでそれが本当にそのままの話なのかどうかははっきり判断はつかないが、あんな納期の中で深夜のV編直前まで大激戦やってるんだから、どれもそれなりの真実は含まれていると思うし、感謝する。流し見されてしまうカットの一個一個が、手書きした人にとっては一生モノの記憶なのもわかる。
でも個人として立ち上がってこないし、たとえば番組Aの第n話のすべてのカットとメーターさんの対応表なんてものが発表されない理由もわかる。パンドラの箱だもの。だから、公の場所で個人名を挙げた感謝はなかなか難しい。ふわっとした「制作会社の方も死に物狂いで頑張ってくれました、感謝してます」なんて表現になってしまう。たぶん、メーターさんを本当の意味で評価できるのって進行さんや同職くらいじゃないかな。
でもだからと言って感謝がないわけではない。のでここで小さく書きました。いつもありがとうございます。ちゃんと放映されました。どのカットも穴が開くほど見ています。本当に感謝です。
今年で30。知名度そこそこの少し大きめの会社で働き始めて5年が経った。
先月から会社の命運をかけた(と言われている)新プロジェクトが発足してそこのメンバーの一人に抜擢された。
メンバーは若手からベテランまで様々で、実績のあるのはもちろん、そのプロジェクトでやりたいこととか夢とかすごく熱く語れるようなメンバーばかりだった。
俺以外は。
みんな本当に優秀な人ばかりなんだろう。
とにかくみんなやる気に満ち溢れてた。
今の仕事に飽きてきたこともあって、俺も全くやる気がなかったわけじゃない。
でもその話を最初にもらって真っ先に気にしたのは、仕事量増えて残業増えないかなとか、休日出勤することになって趣味に影響出ないかなとかそんなん。
この年になってもオタクやってるせいもあって、行きたい推しのイベントとか行けないと心を病むくらいだし、もうすぐコミケだし原稿間に合うかなとか、そんなことばかり気にしてた。
それで初めてプロジェクトのメンバー集められてやる気に満ち溢れたメンバー見て、ああ俺働くの向いてないクズなんだなあって実感した。
なんで俺こんなところにいるんだろうなあって思ってしまった。
みんなあんなにやる気を出して働けて凄いよ。
俺は本当は働きたくなんてないし、家でゴロゴロしながらアニメでも見て、たまにイベントとか行ったりとか、オタク仲間と集まったりとか、絵描いたりして好きなことだけやっていたい。
仕事で成し遂げたい事とか無いんだよ。毎日好きなことやってダラダラと過ごせればそれで良いんだよ。会社はそのための金を稼ぐところであってそれ以上でもそれ以下でもない。適度な頑張りで適度な成果が出てればそれで良い。
仕事に対して全くやる気が無いわけでは無いんだけど、自分の趣味とか潰してまで働く気には到底なれない。
年齢は適当なので、つじつまあわないとこあるかも
はじめは普通に1軍の選手が好きだったけど、だんだん2軍の選手のファンになって、個人運営のサイト見たり、プロ野球ai、月刊ジャイアンツ読んだりしてた。地方在住だから、ジャイアンツ球場に行くのが憧れだった。結局行かなかったな。
手軽に行けるので、夏の甲子園は何度も見に行ってた。甲子園の星買ってた。今見るとおもしろいだろうな。あの頃の選手はちょうど30才でもうベテランかー。
大学生の時はたくさん映画見てたと思う。週1本は見てた気がする。
花男落ちの友達につられて、好きになって櫻井担。大野君もおんなじくらい好き。社会人になって、先立つものもある程度はあるので、遠征とかできるし楽しかった。あと、嵐だけじゃなくて、ジャニーズならなんでもコンサート行く!って時期もあった。正直、最近は冷めてる。ただ、コンサートはほんっと楽しいので、コンサートだけは今年もぜったい行きたい。あと、はじめはみんなでわちゃわちゃ仲良し感がものすごく好きだったけど、だんだん特定の2人を見てしまうようになった。オタクになって、腐った目で見ることを覚えてしまったからかな。まぁ、ジャイアンツ好きな頃から、選手同士、誰と誰が仲いいとかでテンション上がってた人間だからな。。。
・乙女ゲー(22才~26才くらい)4年間
ここからオタクになった。声優のイベントにも行ったかなー。アニメとかも見るようになった。銀魂、コードギアス、ガンダム00とかはハマった。
乙女ゲーとアイドル!両方わたしの守備範囲です!ということでハマった。ホモ同人誌とか買いだしたのもこのころから。他のジャンルも同人誌買うようになった。
若干腐った目で見てる。球場楽しー。ジャニーズみたいに年1回、多くて2回のツアーとかじゃなくて、シーズン中はテレビでもほぼ毎日見れるし、土日は球場へ行けば、生で見れる。これってすごい。
狭い業界で身バレするんで細かいことは書けないが、アニメ業界の低賃金について。
低賃金は手塚治虫のせいだとか、いろんなことが言われてるが、俺としてはピンとこない。
今までメディアに出てきているのは、割と現場のアニメーターや、評論家の話が多いので、
また実際には業界は単価仕事だが、はてなはSEが多いので、工数に置き換えてみる。
アニメの制作費は1話につき現場に落ちるお金が1,000万〜1,500万。
それ以下の場合もあるが、その場合は製作委員会からの分配で相殺するなど、なんらかのカラクリがある。
1,000万〜1,500万という金額は今は大体、
DVDとBlu-ray(通称「円盤」)の売上が1巻あたり3,000枚という目標数値から捻出されている。
(製作委員会は、実際には、原作料や、テレビの放映料含む販促のお金が必要なため、もっと多くのお金を集める)
キャラグッズなど他にいろいろ作られるものはあるが、多くは原価率が高く、製作委員会で分配できるお金は僅かになる。
22分のテレビアニメ1話は、約300カット、動画3,000枚で構成される。
業界内の標準的な1日あたりのノルマは長時間労働の温床なので、8時間労働を基準に考えた。
・原画は1日2カット=1人月40カット。つまり、1話=7.5人月。
・動画は1日8枚=1人月160枚として、1話=18.75人月。
・背景は1日2カット=1人月40カット。つまり、1話=7.5人月。
・仕上(彩色)1日16枚=1人月320枚として、1話=9.4人月。
・脚本
・絵コンテ
・演出
・作画監督
・美術監督
・撮影監督
このあたりはベテランで月2本やるひとも多いが、長時間労働と特殊能力の賜物なので、
・撮影(コンポジット)1日2カット=1人月40カット。つまり、1話=7.5人月。
音響制作費はちょっと工数がわからないが、大体100〜150万なのでそのまま据え置き。
編集やプリントや機材費、用紙などの備品はトータルで一旦100万とする。
またなにより、上記の工数にはまだ、SHIROBAKOの宮森あおいでお馴染みの、制作進行の費用が入っていない。
大手SIer並の人月100万とは行かないまでも、ゲーム系で標準的な人月70万+進行管理費10%で計算してみると、
・4,660万円
・3,391万円
となる。
念のため書くが、上記の70万とか50万という数字は、そのままスタッフの給料ではない。
漏らしたうんことともに流れていった。
仲の良い母親同士が集まって、となり町に住む友人の家まで出かけていったんだ。
その中には初恋のあの娘もいた。
彼女はそんなぼくの恋心を知ってか知らずか、とても無邪気な様子で祭りを楽しんでいた。
わたあめか?りんごあめか?それともお昼に食べた冷やし中華か?
目の前には憧れのあの娘がいるのだ。
流れていく笹舟を眺めながら、「うんちがしたい」の一言だけは口が裂けても言えなかった。
今の自分くらいのベテランになれば、腹痛の種類と波長で緊急度が判断できたであろう。
しかし当時はまだ毛も生えていないこどもだ。
それがどの類の便がもたらす便意かの判断をすることはできなかった。
幾度なく襲いかかる腹痛と便意。
その度に立ち止まっては括約筋を限界まで締め付けた。
友人の家まで行ければなんとかなる。
そう言い聞かせながらも、友人たちが縁日の奥へと進んでいくことに絶望を予感していた。
わたしは自分の括約筋に限界があることを間もなく知ることとなった。
最も緊急度とお漏らしリスクは高いながら個体を伴わない液便だったのだ。
抑えきれなかった一緩みを感じた後、腸に集まっていた血液が身体に戻っていくことを感じた。
この様子ならまだいけるかも知れない。
その後は友人グループと付かず離れずの距離を保ちつつ、ひと通り祭り会場を回るまで緊急を伴う便意に襲われることはなかった。
ミッションは最低限のダメージで切り抜けられたと思われていたのだ。
そんな帰り道、突然イタズラっぽい表情を浮かべながらで初恋のあの娘が近づいてきた。
「なんか、さっきから臭うけど、○○くん漏らしたりなんかしてないよね(笑)」
しかし、その直後の表情から、彼女が全てを察したことがわかった。
その一言で青ざめたぼくの顔と、近づくことでいっそう強くなった臭いが合わされば当然だろう。
何かをごまかすようにあの娘がぼくの元を離れていったのは、友人の家の玄関まで30mのところだった。
真っ先にトイレに直行したぼくはズボンをみて驚愕することになる。
ほんの一緩みと思われた液便は、尻からももにかけて激しくズボンの色を変えていた。
もちろんわかっていたのだ。
ももが湿ったような感覚が、夏の湿気と汗によるものではなかったことを。
その事実をもっと早くに認めて、一人勝手にでも離脱してしまえばよかったのだ。
そこからの記憶は曖昧だが、おそらく一向にトイレから出てこない息子を心配した母親に発見され、ろくに挨拶もせず家に帰ったと記憶している。
この雨が続けば織姫と彦星の逢引はまた一年持ち越されてしまうからだ。
「さっきは変なこと言ってごめんね。増田くんは漏らしたりしてないし、誰にも言ったりしないからね。」
そう言い放ち、こちらの返答も待たずして受話器の置かれる音が響いた。
もういいんだ。一番知られたくない人に知られているのだから。
私が好きなジャニーズのアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。
それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。
(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)
ジャニーズのコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間がセットリストに組み込まれている。
それは大体アイドルがトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。
ツアー名に自分たちのグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。
…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。
本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。
これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、
構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、
他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、
薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。
コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。
自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。
だから、私はコンサートでもアイドルの名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。
そんな私が変わったのは今年の春。
好きなアイドル、ジャニヲタ的に言うと自分の担当するアイドル=自担、が出演するコンサートツアーが始まった。
今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)
自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分の名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。
でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。
ファンサが手厚いアイドルはお手振り指差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。
それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。
全国に何万人いるか分からないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。
そのおかげで、今春のコンサートツアーの概要はほとんど覚えていない。
いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担の視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題のJr.の活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担の視線しか追ってない。
これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。
自担に干された。
「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡も横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。
そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサートの満足度に影響するようになったことを自覚した。
ただ平穏にパフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。
もう"正しいファン"ではなくなっていた。
自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。
その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。
自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。
これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。
「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。
「アイドルがグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。
アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足でしかないけど、それにしても自己満足、自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。
というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。
コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじ込まれる私の団扇は自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。
もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。
コンサートで披露されるパフォーマンスも、自担の視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。
たった半年前までは、ファンサ厨は自分の幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。
そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。
でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。
時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。
こうしてファンサ厨が一人できあがりました。
例えばAさんが超すごいロボを作ったとしよう。
しかもはじめから人間のベテラン以上の仕事力で一日中働いてくれるの。
作ったり動かしたりするコストも人を雇うのに比べたらすぐ元が取れるくらいなの。
で、この超すごいロボは当然大量生産されて世界中で使われるようになる訳。
そうしてあっという間に人間の仕事がなくなったとしたらどうなるの。
国というか世界がAさんから超すごいロボの何もかもをぶんどってイエーイ皆でこれ管理しようぜーってなるのかな。
そうしたらもうみんな無理して働かなくて良いよおめでとーってなるね。
でもAさんは当然イヤだって言うよね。