はてなキーワード: コラージュとは
社会人になって新しい趣味に手を付けた。趣味は一人でも十分楽しいけど、やっぱり誰かと一緒に楽しみたいときもある。
そう思ってX(旧Twitter)を開いて、そこで止まってしまった。
趣味のコミュニティは有産者同士は仲良くなるのは容易だろう。作品を発表したり、文章を書いたり、写真を撮ったり、そういう人はそういう人たち同士で仲良くなるものだ。
翻って自分はといえば、与えられたコンテンツを消費するだけのいわゆる無産市民である。趣味垢なんて作ったところで誰もフォローしようとはならないだろう。
「繋がりたい」なんてタグもあるが、のぞいてみたら明らかに若さが違う。ポストが輝いている。なんなんだALTに追記って。リトリンってなんだ。どうやって写真をコラージュしてるんだ。
こんなところに社会人が混ざったところで、ノリについていけない。老害待ったなしである。
新しく作った趣味垢は1日で消した。タグをつけてポストを固定して、そうしてフォローしたところで誰もフォローを返してくれなかったからだ。
自分は確かに無産市民だ。できることといえばコンテンツに金を払うことだけである(そして、20代の金遣いなんてたかがしれている)。
それでも自分も誰かと話したい。コンテンツの感想を言いあったり、互いに触発されたり、一緒に現場に行ったりしたい。
同じ現場の無産市民の同志たちよ、どこにいるんだ。教えてくれないか。
広いネットの海で、どうか私と繋がってはくれないだろうか。
自分の作品が不本意に利用されないっていうけどさ、何百万枚も学習されたうちの数十枚がお前の絵だったとして、いま俺が一枚AIイラストを出力したとして、お前の影響ってどの程度よ
そもそもAIイラストってコラージュのようなものではなくて、学習したAIがいちから書いてると認識してたんだけど、千歩譲ってコラージュのような仕組みだったとして、このAIイラストの中にお前の影響ってどのくらいあんの?
ほとんどないだろ。つまりお前の被害なんてない。あっ今i2iとかLOARの話してないから。それらが問題ならi2iとかLOARだけを叩けばいいよね?そうだとしても、もそもそも画風に著作権はないって話とかになるけどここでは置いておく
で、被害なんてないのにぎゃーぎゃー騒ぎまくってる一方で、自分はちゃっかり他人の著作物パクって同人誌描いて売って金銭得てるんでしょ?あっ全部の絵師が同人やってるわけじゃないとかいうまぜっかえしはどうでもいいから。同人やってるくせにAIイラストにキレてる絵師様(笑)は実在するから
LOARを叩けばいいって言ったみたいに同人やってる絵師様(笑)を叩けばいいとかいう話ではないから。被害ないのにぎゃーぎゃー騒いでるのは同じだから。ていうかそもそも絵師側でコンセンサス得ようって話してるんなら、まず絵師側で他人の著作権無視の同人文化を糾弾しろよw
AIイラストで自分の絵がパクられたわけじゃないのに大騒ぎしてるけど自分たちは同人誌で人の絵をパクりまーすw←醜悪だよね?
ていうか、絵師と言うかオタク側が「お気持ち」を重視するようになるとは思わなかったよね。お前らフェミのクレームに対して「お気持ちにすぎない」とかって退けてたんじゃねえのかよ
俺は表自だから、フェミのクレームに関してお気持ちに過ぎないとして退けたし、絵師様(笑)のAI絵師叩きも実際に被害もないのにぎゃーぎゃー騒いでるのはお気持ちに過ぎないとしてるので、一貫性はあるんだよね
でも、絵師本人とか絵師の肩を持つオタク共は「お気持ちは大事にすべきだ」とか言い出し始めてるよね?じゃあ改めてお前ら宇崎ポスターやらたわわ広告に噛みついてたフェミに対してどう思ってんだよ
ちらちらツイッターを眺めているとリプライ欄にはありとあらゆる人々が集まる。
その中にももちろん40代~50代とかのおっさんたちもいるのだがリプライの内容は総じてひどい。
興味が湧いてどういうことを呟いているのか覗くと数多のRTの中に見慣れた画風のイラストが出てきた。
タグには#AIアートと書かれておりツイートは日常のことやこういうイラストを生成してみました♪的なのが多い。そのツイートを見るとさらに年がいったおっさんたちが律儀に挨拶をしている。
不思議なのはどのおっさんのツイートを見ても必ず一個はAIアートを見かけることだ。
明らかに指の形がおかしいのもあれば体型が歪なのもある。それに付属しているセリフもおじさん好みの80年代のお色気漫画のようなクサさ。(私のデカ尻でおしおきヨ!みたいなさ、、、)
RTしているのはデイトレーダーで人の揚げ足を取るのが趣味な者やその場暮らしで特定の政党の没落を願う者、難病を抱えていたりあるアイドルの追っかけをしている者もいた。
AIアートは技術がなくとも一定水準のクォリティなら環境があれば簡単に生成できるようになった。Pixivや静画に拙いイラストやツギハギのアイドルのコラージュを上げて糊口を凌いでいる人でもまるで初めて火を見た原始人のごとくそれに飛び付いた。
我々目が肥えた人からすればただの判子絵ではあるが彼らにしてみれば立派な作品であり新しい拠り所であるのだ。
いくらヘイトスピーチを重ねたり女性に届かぬラブコールを送っている人達でも何かしらAIアートを嗜んでいるのは面白かった。今後も注視していきたい。
まあセリフは考え直した方いいけど...
その音楽的ピークはとうとうあっちの世界に踏み込んじゃいました。
アメリカーナとは関係なく、フォークロアや地域性に根を張った手垢のようなものを感じさせない普遍的、天国的で透徹した音楽。
(などと勝手に感じてしまってるけど勿論、この国の偏った舶来文化の大勢の意識の中で生きている一個人の独りよがりですが)
全ての曲が完璧ですが、とりわけrebecca sylvesterはこのアルバムのハイライトです。
そしてGastr del Solの最高到達点…のひとつでもあると思います。
「why did the sharks watch him drown?(なぜ 鮫たちは彼が溺れるのを見守ったのか)」
という述懐と共に奏でられフェードアウトしていくコーダの、夜空へ飛び立つような心地よさに何度涙したことか。
the sea incertainの複雑な和音を多用した繊細なピアノのつぶやきは、大友良英さんのおっしゃる「恋をしている気分」そのもの。
hello spiralはポストミニマルがロックやノイズと結びついた、明るみに向けてグラデーションを伴いながら上昇していく、
構造的ではあるものの、光の回廊を進んでいくようにみずみずしい喜びにあふれた名曲。
バランスを失うとときに過剰な禁欲性を聴き手に要求しがちなミニマリズムの厭味がありません。
孤独とメランコリーの彼方を遠目に深呼吸するよう甘やかな浮き沈みを繰り返すthe relay、
our exquisite replica of “eternity”の一部分と同様のループの中で(この形態での)最後の爪弾きと独白のような歌を終えるGrubbs…。
そしてエンディングはJohn Faheyの名曲に、天かけるTony Conradの純正律バイオリンと、
わずかに3(4)回ピアノの和音が雨しずくのようにそっと寄り添う雄大なもの。
もちろん冒頭our exquisite replica of “eternity”はコラージュにおけるGastrでのO'Rourke畢生の大作。
そしてアメリカ、スイス、スウェーデンなどから参集した数々の即興・ノイズ畑の実験音楽ミュージシャンとのインタラクションは壮絶です。
これは共同的な創造プロセスの成果としても音楽史に刻まれるものではないでしょうか。
中核となる二人にしろ、誰が強固に支配的であってもこの音楽は生まれなかったのは間違いありません。
聴きすぎて一通りの音が頭に入ってしまった後は(それ俺です)自分の聴く環境・コンディションの変化の中でいつまでも楽しみましょ~!
GrubbsとO'Rourkeの敬愛するLuc Ferrariが言っていました。
「結局、私の最も興味があることは擦ることのようだ」
人にもモノにも、擦り合わせることで新しい何かが生まれる興奮があるっていう事でしょうね。
さまざまな異種の要素たちが無時間的な感覚で摩擦し、それらの反発や調和が要素の単なる総和をはるかに超え、躍動的・神秘的に関わり合っていくGastr del Solの作品群も、その音楽的大成者に違いないと思います。
先日「実写映画 トランスフォーマー」シリーズの新作、「トランスフォーマー ビーストの覚醒」が放映された。
この作品は現在も放映中で、自分もこの作品を見て楽しいと感じることもあったし、映像技術が最初期の実写映画からは格段に進歩していると感じられ、作品としては好きだと思った。
トランスフォーマーを同人活動のメインジャンルとして活動するべきではない。
既に公式アカウントをチェックされている方はもうご存知かもしれないが、出処不明のリーク動画を平然と引用リポストで公式情報として紹介したり、ファンアートどころかネタバレ、二次創作的意味合いを含むイラストをリポストしたことでファン側から注意喚起がなされる事態にもなった。
まずシリーズ作品をニコニコ動画や海外の動画サイトで違法視聴する一部のファンがいる他、数年前にIDWパブリッシングで連載されていたコミックスのコマをtumblrなどから拾い画として投稿したり、その切り抜いたコマの画像をコラージュしてイラストを付け加えたりなどする投稿も多い。
また、センシティブな画像を鍵やワンクッションなしで投稿したり、挙句の果てに公式作家では無いのにskebなどのコミッションでトランスフォーマーのキャラクターを描き金銭を得ている人もいる。
更に多いのがリークや連載中のコミックスの進捗画像などの流出だ。
ネット上の問題だけではなくリアルで行われているイベントでも問題が起こっており、コラボカフェでトラブルを起こしている人間や、同人イベント活動でもひとつのサークルに居座って帰らず、アフターまで着いてくるような人間も複数見かける。
また、ファン同士の横の繋がりが広いため、解釈や絵柄で陰口を叩かれる人も居り、ライト層が入ってきた場合高確率でトラブルに巻き込まれたり、怖い思いをする可能性があるのだ。
ネットの一部では映画の公式アカウントがバーベンハイマーミームに対して迂闊な反応をした事が盛り上がっている。
ただ、個人的にはそれに対してワーナーは十分に謝罪も行ったと思うしこれ以上企業の経済活動として批判されるような物は無いと思う。
……一方で映画「バービー」が熱を失ってしまったという問題は解決してないとも言えるのだが
映画に限らず小説や漫画やアニメやゲームなどどれも作品にはメッセージが込められがちだ。
私達は作品のメッセージを脳回路の中の単なる理性でしか無い部分で自分の解釈を行った上で受け取る事もあるけど
メッセージはしばしば理性回路など突き抜けて楔のように脳に深く刻まれる事がある。
しん次元クレヨンしんちゃんみたいなメッセージがわざとらしく伝え方が下手くそな映画だと熱が無かったりするが
映画「バービー」のメッセージは熱を持って脳に刻まれていたかもしれない。
しかし私を含めバーベンハイマー騒動を見た日本人の一部は映画「バービー」のメッセージを直接脳に刻みつける事はできそうにない。
映画が公式にバーベンハイマーのロクでも無いコラージュに乗っかってしまった、その残念な事実と並列させながら「バービー」のメッセージを解釈する事しか出来ないだろう。
一応自分は作品のメッセージというのはそこまで重要な物と考えてる訳じゃない。
映画「君たちはどう生きるか」の前に「バービー」の予告がやってたけど、何か話のやり取りを楽しむ事は出来そうな感じだったし
メッセージの込め方の巧みさに感心出来るだろうから日曜に見に行きたいとは思ってはいる。
ただメッセージが重要だと思ってて尚且つワーナーのバーベンハイマー騒動を否定的に見てる人ってこの映画を見る価値あるの?とは思う。
熱の伝わらない映画を単なる理性回路を使ってメッセージを受け取る事になるなら
映画なんて見ないでインターネットで似たような主張してる記事とか読んでもだいたい同じ受け取り経験になるのでは無いだろうか。
メッセージを重要視する人がそんな体験に1000円~2000円くらいのお金を払う価値ってあるんだろうか。
…まぁメッセージが存在する事自体を重要視する人達もいる。そういう人達は熱を受け取れない事なんてどうでもいいかもしれない。
反・反核な保守層への忖度でオッペンハイマーが放映されない方がずっとヤバい…だの
男性中心的な運営体制のワーナーの宣伝部門が「バービー」をアメリカ中心的で軽薄な手法で商品化しようとした…だの
自分に都合の良いメッセージを並列させれば熱の問題なんてどうでも良くなりながら映画を見れるだろう。
もし監督もしくはワーナー本社がバーベンハイマーミームの中のロクでも無いコラージュに対して必死に抗議してれば
「バービー」の熱はあったのかもしれないが、今となっては意味のない考えだろう。
バーベンハイマー騒動を否定的に受け取っている人に対して「バービー」が熱を取り戻すにはどうすればいいだろう?
とにかく日本人がバーベンハイマーミームに対して熱を持って徹底的に抗議してワーナーサイドに熱が伝わって
ワーナーや監督が抗議から受け取った熱と同等の熱でもって「バービー」について語り
バービーとオッペンハイマーを合わせた #BARBENHEIMER ハッシュタグについてまとめた
togetter が Hatena のホットエントリに入ってるけど、
問題のある画像と、内容を読めば特に問題ないものが混じってるので翻訳を載せとく。
https://togetter.com/li/2196541
https://twitter.com/MovieMantz/status/1681176592507363328
まず↑については、
Now that I’ve seen #BARBENHEIMER, I highly recommend watching #BARBIE first, then #OPPENHEIMER!
#BARBENHEIMERのハッシュタグを見ちゃったから言っとくけど、まず『バービー』を見てから『オッペンハイマー』を鑑賞することを強くお勧めする。
“Barbie” is really fun, but “Oppenheimer” stays with you —
you don’t wanna be thinking about “Oppenheimer” while watching “Barbie!” (Or maybe you do?)
『バービー』はひたすら楽しいんだけど、『オッペンハイマー』はいつまでも心に残る映画だ。
『バービー』を観てる間も『オッペンハイマー』のことが頭を離れないなんてことになったら嫌でしょ?(気にしない人もいる?)
と述べた上で、例のコラージュ画像です。
これは、心置きなく『バービー』を楽しみたいのに『オッペンハイマー』のことが忘れられなくてダブって見えてしまう図ですよね?
つまり、『オッペンハイマー』を観て、原爆の恐怖、人類の罪が深く心に刻まれて、
『バービー』のようなおバカ映画を観てる最中でさえも、それが頭を離れないという状況…
それって問題ですか?
https://twitter.com/RishiSunak/status/1682812164111728643
The family vote was only ever going one way…
Barbie first it is #Barbenheimer
はい(いつもの通り、妻と娘の要望にしたがって今回も)まずは『バービー』を観るってことで決定
という内容だけど、まずスナク首相は「自分はオッペンハイマーを観て原爆についてじっくり考えたいんだけど…」
また、インド系は男尊女卑という偏見が根強くあるという文脈を押さえておくのも有益でしょう。
家族が妻と娘というのがポイントで、「ちゃんと話しあった上で、女性の意見を尊重してますよ」
ということをユーモアを交えて言っている側面もある。
そういう画像を作ったらどうだと提案したのは親父だ。「いいね」をしたら親父と同じ価値観ということになる、
みたいな説明をしてて、「いいね」するなよと仄めかしてる節がある。
それで、逆にみんなが面白がって「いいね」したというか、最初からそれを狙ってた
(押すなよ!絶対に押すなよ!!と言いながら押されるのを待ってるやつ)
のかもしれないけど…
とにかく、不謹慎(親次世代は許容されたかもしれないが今はダメ)なのはわかってるっぽい
ただ、これについてはアウトだと思う。
バービー公式アカウントが「スタイリストの Ken がここにも」的な反応するのは完全にアウト。
無視すべきでした。
働きたくない。
でも働かなきゃ、という言葉の前置きでしかないそれと違って大真面目に働きたくない。
世の中少なからずの人々も似たようなことを言うけれど、それでも求職に労力を割き、日々労働している。その程度には労働に対する気力を持っている、もしくは絞り出せるらしい。
それなりに暮らしていくには何かしらの労働をしなければいけない。どうせ働かなければいけないのなら少しでもマシな環境を探そうと折り合いをつけて、ちょっとの辛抱を耐え抜くのがきっとベターなんだろうと頭では分かっている。
そうやって考えてみても、やっぱり働きたくない気持ちは誤魔化しきれない。
こうやってくだらないことを考えているのが問題の先送りでしかない事も分かっている。現に今もそうしてきた割を食っている。
働きたくない、さりとてそこそこの暮らしをしたい、を反復横跳びしてばかりいる。出口のない考えをぐるぐるさせても仕方がないので、少し前から取り敢えず職を見繕うくらいはしてみようかと思い立った。おれにも絞り出せば少しばかりの気力があったみたいだ。
趣味を軸に生きたいと考えており、それを実現できる職場を探しています。
特別な技能、資格が要求されず、最低限の労働かつ高い給与水準という貴社の環境は私の希望と一致する所であり、応募させて頂いた次第です。
具体的な事業内容につきましては一切関心がありません。
と言って雇ってくれる、希望通りの待遇の会社は存在するだろうか。
志望動機も何も、そもそも働きたくないのだから嘘をつくしかない。100に膨らます1がないのなら、0から作るより他人から拝借した方が良さそうだ。
Unistyleの投稿を適当にコラージュしてみたESは案外通る。中学以来身に着けたその場しのぎの技術は中々役に立つ。大学でも通用しているのだし、これからもし働くがあれば役立つかもしれない。
そもそもESで落とされる事は無いのではなかろうか、なんて思う。時期のせいだろうか。でも面接では落ちる。
高望みのしすぎか。舐めた態度を隠しきれてないのか。経歴のキズをロクに取り繕いもしないからか。踏んだ場数の少なさから緊張や喋り下手が丸出しなのか。
どれも正解なんだろうな。割り切って精力的な就活生を演じるなんて簡単な事だと思っていたけれど、中々嘘に徹しきれない。
他人にはいくら嘘をついても良いけれど、自分には納得に従って正直に生きようと決めたのは人生の指針になった。それが特に間違っていたとは思わない。でもここに来てそれが枷となっている。今くらいは嘘をつくのもやぶさかではないのではなかろうか。
いや、本当にそうか?ESでは嘘をつきまくっているのだし。文面では隠せるものが対面のコミュニケーションで滲み出たりはするだろうけど、それだけか?
おれは今ゴミを売りつける営業活動をしている訳だけど、それっておれがやりたくない労働のトップに近い。
もしかしたら働きたくない気持ち以上に、今まさにやっている就職活動が嫌なだけではないか?
つまりこの営業を済ませて希望の職種にさえつけば、ライスワークといえどある程度は割り切ってやっていけるのではないか?
なんて考えてみるけれど、まあ働いたら働いたで一瞬にして仕事辞めて〜が口癖になりそうだ。
いや〜面倒臭い。
なんで働きたくもないのに働かせてくださいなんて頭を下げなあかんのか。まあ世の中そうなってんだから仕方ないわな。
おれの希望に合わせるよりも世の中の仕組みに合わせた方がラクだろうな。でも自分の納得に従った生き方をしなければ生きている意味がない。
今おれにある選択肢は何だろうか。
割り切って就職活動を進める。
まあグチグチ理屈を並べようが、これを進めるのがベストなんだろう。希望に近い仕事を得られるか、ロクでもない所に転がり込むかは知らん。おれと運次第だ。
心にもないモチベーションを語るよりは、出来る事を言った方が精神の衛生には良さそうだ。労働が減り余暇が増えるかは微妙な所だが、賃金は高くなるかもしれない。でもそもそも労働がイヤなのに、それを軽減するための労力を割くというのも倒錯している。投資といえば聞こえはいいが……
何にしても、これは今からではちょっと遅すぎる。考えるとすれば新卒就職後の転職とかになってくるのだろうか。しかし新卒採用程度でもやる気が起きないおれの無気力さを考えれば、働きながら勉強というのはちょっとありえなさそうだ。あまり考えない事にしておこう。
自殺。
悪くない。
生きる事に意味はない。生きて楽しい思いをする事には意味がある。楽しくないなら死んでしまった方がいい。
面倒事の一切から解放されるのはデカいが、好きなことをしている時間や憧れを追っている時の充足感も同時に全て手放すのは寂しい。
というか自分で言っときながら、どうせ死ぬ勇気は無いんじゃないかとも思う。でも時々訪れるデカめの希死念慮の全てどうでもよくなってしまう感じを思い起こせば、あるいは……
まあある程度本気で視野に入れておけば、こういう道もあるという精神安定剤として機能するかもしれない。
好きなことで、生きていく。
これはなさそうだ。だからこそ趣味に軸足置いて生きようと決めたんだし。得意な事は金稼ぎに繋がらない。好きな事はあっても得意な訳ではないし、金稼ぎに繋がる望みは限りなく薄い。
ライスワークの目処が立ったら、ちょっとずつ何かしらのトライをしていくのも悪くないかもな。
生活保護。
最近になってこれもまたかなり現実的なのではないかと思ってきた。他人に対する申し訳なさみたいなのが1ミリもないのはおれのアドバンテージだ。根気よくゴネれば働ける身体の人間でも受給できるとの話もあるし。
ただ、おれの想定するそれなりの暮らしを実現できるかは怪しい。楽器とか持っていいんだろうか。靴は何足まで持てるんだろう。あと中途半端に内面化した社会性がちょっと邪魔をしてくる。
しょーもない人生をただ維持させるだけになってしまうかもしれないし、おれの場合そこから抜け出せなくなる可能性が高い。
死んだり生活保護受けたりもあるよ、なんて気休めを胸に淡々と職を探すのがおれが今すべき事か。いくら理屈を並べようがやる事は変わらないな。
奴隷に仕事を任せて遊び呆ける古代ギリシャ人か、そうでなきゃAIが仕事を奪った未来に生まれたかったよなあ。
自分の為に生きるって結構大変なんだな。社会性をすっかり内面化してしまうのって実はラクな生き方への近道なのかもしれない。働きたくねマジで。
今って主に「プロンプトで絵を生成する」やつが話題になってると思うけど
「絵や写真をAI的解釈して描き直す」系の方が闇深そうだし悪用されそうだよね
例えばこういうの
https://twitter.com/aikanshishakai/status/1658031326002548743?s=20
こういうのってグレースケールじゃん?
黒↑
白↓
どこからアウトかっていうのは個人の感覚や法律で色々変わると思うんだけど
これがじゃあ自動ならどうなるのかってのがまた難しくなりそうだし
トレパクが自動化により一層かんたんになってしまったので問題の度合いが確実に大きくなる
例えば好きな写真をコラージュして(クソコラして)、それをAIに読み込ませればいい感じに解釈して絵ができあがる
自動だから、「上手い具合に気づかれないくらい元絵から変える」みたいな設定をしたらより一層わからなくなる
わからないならやったモン勝ちになる
どうなるんだろうね
本当に必要なんか?
時々「絵描きはAIに嫉妬している!絵描きはバカ!」とか親でも殺されたのかと思うぐらい目の敵にしてる奴おるけど、本当にそこまで煽る必要あるんか?
情報を提示して誤解されている部分を解くことは必要だが、そこに攻撃性はいらないのではないか?
自分の意見・AI絵は普通にみるし、生成に力量や研究が必要で大変なことも知っている。だが、AIが禁止されているプラットフォーム(skebなど)でAI絵を発表したりするなど、ルール違反者が目立つのでそういう人間ばかりなのか?と思ったりしている。
i2iによる絵師の絵の取り込みについては法的には微妙だが反感買うからやめとけと思っている。