はてなキーワード: アラバマとは
以下抜粋
私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。
これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができ るだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれ は、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。
まさにその日にこそ、すべての神の子たちが、新しい意味を込めて、こう歌うことができるだろう。「わが国、それはそなたのもの。うるわしき自由の地 よ。そなたのために、私は歌う。わが父祖たちの逝きし大地よ。巡礼者の誇れる大地よ。あらゆる山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。」
アメリカ合衆国大統領による
西暦1862年9月22日、アメリカ合衆国大統領より、特に以下の事項を含む宣言が発せられた。
「西暦1863年1月1日の時点で、その人民が合衆国に対する反逆状態にあるいずれかの州もしくは州の指定された地域において、奴隷とされている すべての者は、同日をもって、そして永遠に、自由の身となる。陸海軍当局を含む合衆国の行政府は、かかる人々の自由を認め、これを維持する。そして、かかる人々が、あるいはそのうちの誰かが、真の自由を得るために..行ういかなる活動についても、これを弾圧する行為を一切行わない。
行政府は、前記1月1日に、宣言によって、人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域を指定する。また、同日時点で、州またはその人民が、その州の有権者の過半数が参加する選挙で選出した議員を、誠意を持って合衆国議会に送っている場合には、これを否定する強力な証言がない限り、それをもってその州およびその人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にないことを示す確実な証拠とみなされる」
これにより今、私、合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは、合衆国の権威ならびに政府に対する武力による反逆が実際に起きたときの合衆国陸海軍の最高司令官として私に与えられた権限に基づいて、またかかる反逆を制圧するための適切かつ必要な戦争手段の1つとして、前記の日付から丸100日間の全期間にわたり、そうすることを公式に宣言してきたことに伴い、本日1863年1月1日、本日時点でその人民が合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域は、以下の通りであることを定め、明示する。
アーカンソー、テキサス、ルイジアナ(セントバーナード、プラクマインズ、ジェファソン、セントジョン、セントチャールズ、セントジェームズ、アセンシオン、アサンプション、テレボーン、ラフォーシュ、セントメリー、セントマーチン、ニューオーリンズ市を含むオーリンズの各教会区を除く)、ミシシッピ、アラバマ、フロリダ、ジョージア、サウスカロライナ、ノースカロライナ、バージニア(ウェストバージニアと指定された48の郡と、バークレー、アッコマック、モーハンプトン、エリザベスシティ、ヨーク、プリンセスアン、ノーフォークおよびプリマス両市を含むノーフォークの各郡を除く)。そして例外とされた地域は、差し当たり、本布告の対象外とする。
前述の権限に基づき、また前述の目的のために、かかる指定された州および州の地域内で奴隷とされている者はすべて自由の身であり、今後も自由であることを、そして陸海軍当局を含む合衆国行政府が、かかる人々の自由を認め、これを維持することを私は命令し、宣言する。
そして私はここに、今自由であると宣言した人々に対し、自衛上必要でない限り、いかなる暴力も慎むよう申し渡す。また、あらゆる労働の機会において、正当な賃金を得るために誠意を持って働くことを推奨する。
さらに、適切な健康状態にある者は、要塞、陣地、駐屯地、その他の場所を守備するために、あるいは種類を問わず軍隊の船舶に乗り組むために、合衆国軍隊に受け入れられることを宣言し、周知させる。
そして軍事上の必要性に関して憲法で保障された正しい行為であると、心から信じているこの行為に対して、私は、人類の思慮深い判断と、全能の神の寛大なご加護を祈念する。
バンジョーといっしょに
恋人に会いにやってきた
一晩中雨が降ったり乾いたり
日照りだったり凍えたり
ああスザンナなかないで
ああスザンナなかないで
おれがバンジョーといっしょに
500人のニガーをやった
汽車は爆発 馬は脱走
もう死んだと思って
息を止めようと目を閉じた
ああスザンナなかないで
ああスザンナなかないで
おれがバンジョーといっしょに
この前の晩夢を見た
みんな寝静まった夜に
目には涙を浮かべてた
おれは南から来たとスザンナに言うよ
ああスザンナなかないで
ああスザンナなかないで
おれがバンジョーといっしょに
おれはもうすぐニューオリンズ
そこで周りを見渡して
スザンナを見つけたら
うれしくて倒れてしまうだろう
もしスザンナが見つからなかったら
それでおれが墓に埋められても
ああスザンナなかないで
ああスザンナなかないで
おれがバンジョーといっしょに
それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
サンフランシスコが酷い有様…住民投票で可決した法案で$950(日本円で約10万)以下の窃盗が微罪扱いになってる関係で窃盗天国に - Togetter
こういう話題が出ると詳しくないのにいっちょ噛みしたがるあほピッピが湧くので牽制球をシュート!
カリフォルニア州は2014年に住民投票で"Proposition 47" (以下Prop47)を可決した。
いろんな刑法に影響したが、話題になっている窃盗に関しては「被害額が$950以下の窃盗(万引きからグランドセフトまで)は"微罪"(Misdemeanor)とする」という改正である。
これについてネットの無知無知パーソンは「そんな高額な窃盗まで微罪だなんておかしい!」とおっしゃるが、実はそんなに高額じゃないのだな。
テキサスなんて$2500(日本円で約277万円)までなら"微罪"なんですぜ?
アメリカの犯罪はだいたいMisdemeanorとFelonyというカテゴリに分けられていてね、前者は軽め(だいたい1年以下の懲役とか)の犯罪で、後者は重め(懲役なら少なくとも1年は超える)。ぶっちゃけこの2つはアメリカの法律用語なんで適切な訳が困難。
直訳するとMisdemeanorは軽犯罪とか軽罪とか微罪になるんだが、"serious misdemeanor"のような使い方からわかる通り、適切な訳じゃない。深刻な微罪ってなんやねん。
Felonyも重罪とか重犯罪、重大犯罪なんて直訳があるが、懲役2年くらいの犯罪でもFelonyだったりするんでやっぱり変。
さらに第〇級Misdemeanorや第〇クラスFelonyみたいなランク分けもあって大変。しかも州ごとに違う。
ちなみに裁判の結果でFelonyかMisdemeanorかが決定するタイプはWobblerと言います。
これらを踏まえてProp47を説明すると「被害額が$950以下の窃盗はMisdemeanorとし、それを超える窃盗はWobblerとする」という改正である。ちなみに改正前は$400以下がMisdemeanorだったはず。
なんにせよ"微罪"の持つニュアンスが強すぎるので「住民投票で可決した法案で$950(日本円で約10万)以下の窃盗はMisdemeanor扱い」とでもした方がニュートラル。
さっきカリフォルニアの$950設定は特に高額じゃないって話したんで、アメリカの州で窃盗がMisdemeanor扱いになる被害額をまとめた。
ただし州ごとに異なる様々な条件――盗んだのが自動車や家畜や銃器だったり、人から直接盗んだり、盗んだ相手が政府や警察やお年寄りだったり、盗むときに暴力的だったり、犯人が前科持ちや銃の所有者だったり、エトセトラ、エトセトラ――が存在しており、被害額単独でMisdemeanor or Felonyが決定するわけではないのに注意。
アラバマ:$500以下
アラスカ:$750以下
カリフォルニア:$950以下 ※$950を超えてもWobbler。
コロラド:$2500未満
コネチカット:$2000以下
デラウェア:$1500未満
フロリダ:$750未満
ジョージア:$1500未満 ※$1500以上25000未満はWobbler。$25000越えからFelony。
ハワイ:$750未満
イリノイ:$500以下
インディアナ:$750未満
アイオワ:$1500以下
カンザス:$1500未満
ケンタッキー:$500未満
メリーランド:$1500未満
マサチューセッツ:$1200以下
ミズーリ:$750未満
モンタナ:$1500以下
ネブラスカ:$1500未満
ネバダ:$1200未満
ニュージャージー:$200未満?
ペンシルバニア:$2000未満
ロードアイランド:$1500以下
サウスカロライナ:$2000以下
テキサス:$2500未満
ユタ:$1500以下
バーモント:$900以下
ワシントン:$750以下
ウィスコンシン:$2500以下
見てわかるようにカリフォルニアの$950は特別変な値段設定と言うわけじゃない。
「住民投票で可決した法案で$950(日本円で約10万)以下の窃盗が微罪扱いになってる関係で窃盗天国に」なってるんだったらアメリカの大体の州は窃盗天国だぜ。
別にリベラルな州が高く設定してるわけでもないんで「リベラルが~」とか言ってたアホぽんは一回脳みそ取り外して水洗いしてどうぞ。
ぶっちゃけよくわからん。2014~2016のデータでは窃盗が少し増えたっぽい(https://www.ppic.org/wp-content/uploads/r_0618mbr.pdf)けど、Prop47のせいなのかはよくわからん。Prop47の無かった仮想のカリフォルニアのシミュでは現実のそれと差が無かったという研究はある(https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/1745-9133.12378)。
さらにコロナ禍のインパクトが大きすぎて今後の統計にも期待できない。犯罪率がガタ落ち――例えばサンフランシスコでは2019→2020で窃盗4割減――したので、もうアレのせいで増えただの減っただの言いようがない。
出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』(2004年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記。記述形式は
[ページ数]
(初出)
です。
[p166-167]
【※】『キル・ビル』に関する話題から、時代の証言に移ります。
町山:はっきり言えるのは、『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』とか『直撃地獄拳』(74年)が好きなだけで、もう、絶対にダチだってことだよ。
柳下:どうして?
町山:モテないからさ!ダサいからさ!この手の映画は今でこそ『映画秘宝』でしられるようになったけど、それまでは誰も見向きもしないクズだったんだ。特に80年代は完全に忘れられていたんだ!
柳下:急に力入ったね。
町山:いいか、オレがそういう映画を観ていたのは十六歳から二十六歳にかけて、つまり、人がいちばん恋愛してセックスする期間だよ。しかも80年代はバブルで、男はダブルのイタリアン・スーツ、女はボディコンで恋愛とセックスに狂っていたトレンディ・ドラマな時代だったんだ。でも、オレは六本木や西麻布に行く代わりに浅草や池袋で酔っ払いのジジイに交じって、タバコの煙越しに千葉ちゃんを観てたんだよ!中野監督や杉作J太郎さんや、きっとタランティーノもそうなんだよ!
町山:でも誕生日には自分へのプレゼントとしてソニー千葉三本立てオールナイトを観てたんだよ!『トゥルー・ロマンス』(93年)は本当の話なんだよ!でも、現実にはそんな映画を一緒に観てくれるアラバマみたいな女の子はいないんだ!その悲しさがエリック・ロメールだのR・W・ファスビンダーだの観てた貴様にわかるか?え?
【※】「モテない/モテなかった」こと自体は別に罪ではありませんが、しかし、何故コレで「オレは恋愛論を語れる!」と勘違いできたのでしょうか。
(初出『映画秘宝』03年vol.49)
【感想】
世の中には「モテない/モテなかった人間」は多数います。そのことは当人にとって、当人にしか理解し得ない、理不尽な現実だろうと思います。しかし、それでも真っ当に生きている人たちの方が大多数であろうと、私は信じています。
そういう中で「モテなかった!」と過去の怨念を叫びながら、権力勾配を利用してセクハラ的な言動をする町山智浩らのような人間の存在は、偏見を助長しかねない甚だ迷惑千万なことだと思います。
ニュースを見ていると、そんな疑問が浮かぶのだけれど、いくら空気を読まない私だって、それを口に出す勇気はなかった。これは、そんな私が一冊の新書によって、正義のために物を破壊するのにも、道徳的・理論的根拠があるのかもしれない、と知った経緯だ。
増田に入りびたっていると、世の中にはいろいろな立場があって、さまざまな正義があることがわかる。残念ながら、複数の正義の間でぶつかり合いがあることもまれではない。表現の自由と見たくないものを見ない権利で、レスバトルが毎日のように起きている。あるいは、外国人・移民の権利を尊重したら、女性の安全をないがしろにしてしまったケースもある。2015年のケルン大晦日集団性暴行事件なんかがその例だ。弱者をいたわろう、財産はみんなで公平に分けよう。そうした基本的な原理では同意できるのに、個別のケースでは意見の一致が見られることはめったにない。工学部出身の私としては、実験すればすぐに答えの出る理系の学問と勝手が違い、社会の複雑さに戸惑うばかりであった。
そうするうちに、結局のところ正義の根拠ってかなり曖昧でいい加減なんじゃないか、みたいなことを思うようになった。正義の論理的な根拠がわからなくなったのである。もともと正義についてはサンデル教授の本くらいしか読んだことがなく、哲学は専門外だ。
たとえば、大日本帝国が中国北東部に傀儡政権を作るのが悪だとすれば、アメリカがイラクやアフガニスタンを空爆したり、親米政権を樹立したりするのとどう違うのか。アメリカが中東に派兵するのならあまり気にならないが、ロシアがクリミアを占領・併合したときに動揺してしまったのはなぜなのか。本質的な違いはほとんどないのに。
日韓関係だってそうだ。たとえば、国家の間で解決済みであるはずの補償問題を、個人が請求することは可能なのだろうか。それとも、個人の権利が拡大する世界的な流れのなかでは、必ずしも不合理な話ではないのか。大統領が変われば民意が変わったことを意味するので、前政権の約束を反故にすることは許されるのか。
他にも、裁判員制度で、発達障害のある犯人に厳しい判決が下されたことがあるけれど、市民感覚は医学の最先端の知識と乖離していることも多い。専門家ではなく、偏見もある市民を本当に裁判に参加させていいのか、心配だ。
で、直近の例で特に印象的だったのが、冒頭に述べたように、BLMで無残に引き倒される銅像だった。革命直後に独裁者の像が倒されるのには全く違和感がなく、それどころかほとんど何も感じない。しかし、歴史上の偉人がこうして再評価されるのを見ると、これは正しいのかどうか、よくわからなくなった。現代の価値観からすれば、彼らの過ちは確かに明白だが、こうして公衆の面前で侮辱に近い目に合わせていいのか。法の不遡及の原則、という聞きかじった知識を思い出してしまう。
道徳的には、人種差別は絶対的な悪である。しかし、それに抗議する過程で必ずしも公共のものを壊す必要はないのではないか。撤去を求める署名運動を起こせば十分なのではないだろうか。銅像を破壊する意図は正しいが、間違いなく違法な行動だ。違法であるならば、BLM運動の正当性に傷がつくのではないか。結局、正しさには根拠などやはり存在せず、その場の大衆の熱狂しかないのではないか。そんな次々と浮かぶ懐疑に苦しめられた、反差別運動に対しての恐怖まで感じるようになってしまった。
そんな自分に困惑しつつ、久々にリアル書店に足を運ぶと、「あぶない法哲学」という新書を見つけた。法哲学の本らしい。つまり、どうして法律や道徳が正しいのかを理論的に分析する学問だ。
これだ! と私は膝を打った。私のもやもやはこれで解決するかもしれない。早速購入し、一気に読了した。著者はオタクらしく、ところどころ漫画やアニメのたとえが出てくるのでわかりやすい。しかし、レベルを下げたり読者に媚びたりするようなことはしていない。そして、実在の事例や過激な思考実験を見せることで、常識を疑ってかかることを、私に教えてくれた。
この本で学んだ重要な概念として、法実証主義と自然法論がある。
法実証主義というのは、ざっくりまとめると、法律が正当性を持つのは、定められた手続きに従っているからという理由しかなくて、そこに道徳的な価値判断は介在しない、というものだ。そして、どれほど内容がおかしな法律であっても、正当な手続きで撤廃されない限りは、それは守られるべきものだ、とする。
もう一つの自然法論は、大まかにいえば議会で定めた法律よりも優先すべきルールがある、というものだ。さっきと違って道徳がかかわってくる。もちろん、人間の良心や常識は、時代や地域で一貫したものではありえない。しかし、法律が追い付かないほど変化の激しい現代にあっては、法が整備されていない状態での一つの指針・根拠とすべきではないか、と著者は述べていた。
ここで大事なのは、法律を正当化するのは手続きのみであり、それが人道に則っているかどうかは、実は関係がない、という考え方が存在することだ。
ソクラテスの最期はよく知られている。アテナイの若者を堕落させたという不当な罪を着せられ、死刑となった。弟子たちはソクラテスに逃亡をすすめた。というか、当時は死刑判決を受けたらその都市国家から逃亡するのが当然だった。しかし、ソクラテスはあえてその判決に従った。悪法であろうともそれを守る義務がある。私はここで死ぬ。悪法を制定した市民はその結果を引き受けよ。ソクラテスは命を賭して法を制定した市民たちに、自分たちがどれほど愚かな法律を無自覚に作ってしまったか、を訴えたのである。
一方で、市民的不服従という考えもある。キング牧師はアラバマでの激しい抗議活動のゆえに逮捕された。彼の方法は、多くの人々の抗議の模範となった。つまり、自分が良心ゆえに受け入れることのできない法律は自覚的に破るが、国家を尊重しているという姿勢を示すために、甘んじて法の罰も受ける。これを繰り返すことで、逮捕している国のほうがおかしいのでは? と多くの人が考え、行動するようになる。確かに法律を破ってはいるが、法律に従って罰を受けることで、遵法とは別の手段で正義への敬意を示しているわけである。
道徳とは関係なく、法律を制定することは可能である。そして、不正な法律や、放置された不正義に抗議する手段として、法律を破るという方法が理論化されている。よって、違法な手段で正義を追求することは可能である。この結論は、良くも悪くも定められた手続きを重んじるタイプの私としては、非常に大きな驚きであった。
人種差別に抗議する方法として、銅像を引き倒すのは、確かに器物損壊罪だ。しかし、それが正しいと考える人々は、単純な感情で動いている暴徒とは限らない。正しいかどうかはともかく、彼らの立場をサポートする理論化された法哲学が、実際にあるのだ。
自分は、法学部の一年生が学ぶことを、この年齢になってやっと知ったのだろう。だが、こうして知識が増えたことで、自分の感じていた違和感を少しだけ言語化できた。今後は、何らかの形で国際法とその背景の思想について学び、先ほどの例に挙げた、大国の軍事行動の背後にある理論を理解したい。
本論では法律の有効性に対して一定の疑問を投げかけているが、積極的に法律を破ることを推奨する文章ではまったくない。また、法に関しては無知も同然なため、誤解があるかもしれない。ご指導ご鞭撻のほどを乞う。
たとえ映画だとしても、戦中の30-40年代日本が舞台なのに戦争関係の描写が一切なかったらおかしいでしょ?
どういう意図なんだ?って思うはず。
で、フォレストガンプはその取捨選択がすべて、アメリカ極右の歴史史観なの。
左翼を馬鹿にし続けて、右翼が気持ちよくなるように捏造したりパッチワークした展開だけが続く。
日本でいえばポツダム宣言を受諾しなかったりGHQが存在しないみたいな。
しかも、アラバマが舞台なのに公民権運動が存在しない=黒人に人権は認めないとか、かなりヤバいやつ。
(言い訳としてババって黒人キャラを出してるけど、これもよくある卑怯な手法)
当時文革を批判してたジョンレノンを実際の映像に吹き替えして「中国万歳の馬鹿アーティスト」として笑いモノにするような映画だし、他にも色々やばい描写が腐るほどあるから調べてみるといいよ。
バックトゥザフューチャーもロックという黒人発祥の文化を、チャックベリーが白人からパクったものとして描いてたり、レーガン政権の思想そのままだったりと、こっちも実は結構ヤバい映画。
そう?アラバマだけどいっぱいいるよ
「日本のリベラル、左翼はダメダメ。なぜ日本には海外のようなまともなリベラル派、左翼がいないのか」ってやつ。
では海外のリベラル派、左翼が日本にいたら評価されるんでしょうかね。
今年の夏の英国選挙で、「なぜ日本にジェレミー・コービンはいないのか」とか言ってる人がいましたけど、
大企業と富裕層に課税して福祉を拡充して教育無償化してJRを再び国鉄にします。
なんて政治家が日本にいたら「経済音痴のマルキスト、時代遅れのお花畑左翼」で終わりでしょ。
なぜ、日本にスティーブン・コルベアのようなコメディアンはいないのか
行政府の長、日本でいえば阿部首相を徹底的にこき下ろして笑いを取るコメディアン、司会者が
子役上がりの女の子が女性の権利向上について声高に訴えたらどうなりますか?
「おねえ系」として道化扱いされてるタレントを除き、役者とか歌手とかスポーツ選手がゲイを公言したらどうなりますか?
実際ゲイ向けのAVに出てたスポーツ選手がネットでどんな扱いを受けてるか見ればわかるでしょう。
有名人に限らず市民団体とか労働組合とかでも同じです。「日本の労組は御用組合だ、話にならん」
じゃあストをやるような組合が日本にあったら支持されるんでしょうか?
数年前に相模鉄道がストやりましたが、世論は「利用者に迷惑かけるな」でしたよね。
最賃1500円にあげろデモとかの反応も「そんなことしてる暇があったら働け」でした。
例を挙げようと思えばいくらでもあげれるんですが、要は海外の「まともなリベラル左派」の人が
日本にいても実のところ支持されないだろうということです。
べつに日本のリベラル左翼が特別ダメダメなんじゃない。単に日本人の多くはリベラル左翼的な価値観が嫌いなだけです。
アラバマとかテキサスは圧倒的に共和党支持者が多くて民主党嫌いなのと同じこと。
今年に入ってから既に77行の銀行が破綻。今回こけたのは、アラバマのコロニアル・バンクである。主に住宅ローンや建設会社への融資を膨らませていた結果、破産によって焦げ付きが増えて倒れたのだ。
そも多国籍企業と補助金で食べている一次産業しかないアメリカで、コマーシャルバンクをやろうという考え方が間違っている。
非上場で設備投資がでかい工業がたくさんあるか、もしくは日銭が入ってくるサービス業が無い限り、間接金融のお金が運用できる余地は無いのだが、銀行には、日々の決済業務を請け負うという方向のサービスも存在する為に、存続していたのであろう。
しかし、そのサービスゆえに、市民の銀行に対する感情は、冷ややかなのである。アメリカでは小切手による決済が主流であり、この小切手決裁で、口座の残高が足りなくなった時に課せられる手数料というのがある。口座の残高を超えて小切手を振ることをOverdraftと言い、その手数料はoverdraft feesと呼ばれている。通常は不渡りにするのであるが、特別に、手数料を払う事で不渡りにせずに、小額の融資をしてくれるので、サービスと言えなくも無い。しかし、この手数料が馬鹿にならない金額になっている。去年一年間で銀行業全体で$380億(3兆6千億円)となっている。口座の残高を超えて小切手を振り出したミスは事実であるし、不渡りにされると口座がクローズされてしまって現金でしか決済が出来なくなる事から、救済措置は必要なのだが、その救済にかこつけて取る手数料が暴利なのだ。
記事では、バンク・オブ・アメリカは初犯で$6、再犯で$35。チェースは初犯で$25、再犯で$32、以後は$35。SunTrustは常に$35となっている。
一見、合理的で妥当そうに見えるが、小切手の決済は給料日の翌日等に設定されている事が普通で、その日に、全ての小切手が処理されるという点に問題がある。このとき、銀行は、金額の大きい順に残高を取り崩し、金額の少ない小切手を最後に処理するのである。つまり、残高が不足すると、金額の少ない小切手が、複数枚同時に不渡りになり、一枚ごとにoverdraft feesが掛かる。
小切手の処理の順番は銀行側の自由だが、顧客の側としては小額の小切手から決済していってくれればoverdraft feesの対象になるのは一番額面の大きい最後の一枚だけになるという場合も多い。しかもどちらの順番で処理しても口座貸越の融資の金額は変わらない。変わるのは$35のoverdraft feesが一回分か数回分かの差である。初犯が低めに設定されていても、数枚が同時に不渡りになるのだから、多少は減るという程度でしかない。よって、顧客が銀行に対して抱く感情は、決して良くないのである。
小切手決済を行う為には銀行口座は必要であるが、クレジットカードで決済できるのであれば、そっちの方が良いという方向に向かう事になる。全ての支払いをクレジットカード一社に集約し、カード会社への支払い小切手一枚だけしか振り出さないとなれば、もしもの事があってもoverdraft feesは一回分だけで済むからだ。
クレジットカードが広まり受け入れられる素地として、一般人が銀行に抱く感情と制度の問題が根底にあり、その感情ゆえに、銀行がばたばたと倒れていくのに対し、人々が冷ややかに見ているのである。