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はてなキーワード: 逆効果とは

2019-10-31

anond:20191031195354

昔女オタクが男から叩かれてひどい目にあったみたいな話もあるんだけど、それは2chとかニコニコ動画コメとかで声が大きい人がヤバいって話で、大半のオタクは当時の(そして今も)常識だった荒らし無視方針を決め込んで結果的いじめられてるのを助けなかった印象を持たれてるだけだから(宇崎ちゃん擁護してる女オタクたまにいるけどその勇気には感謝してる、ただ自分はほかのコンテンツが叩かれてるときに真似できそうにないし、それは大半の女性もそうなんじゃないかな)。

これなー。「荒らし無視」本当にそれが良かったんだと思う。自分はそれができなくて、ミソジニー発言を見つける度に突っかかって行ってたんだが、逆効果だったのかなぁと。

そもそも中学生とか高校生とかそれくらいの年齢だったし、自分馬鹿だったから、今思えば擁護すら雑で無意識に傷つけた女性すらいただろう。

いま擁護してくれている女性、全力で怒ってくれる人もいるし、すごくありがたい。そして何となくいいなと思うのが、「話題の宇崎ちゃん読んだー。面白かったー」みたいなことを呟ける人。いまこのタイミングで、あえて。

伊坂幸太郎魔王って小説で、「クラレッタのスカートを直しに行く」ってあるじゃん?あれを思い出す。(余談だけど大須賀めぐみ漫画版は神。)自分最近は、何かしらの差別集団を見た時、そういうことが出来ないかって考えてる。ここでどういう水滴を落とせば波紋を広げられるのか。反論に全力を尽くすというよりも、「どうすれば"流れ"を変えられるのか」を考えてる。それがどれだけ意味のあることかわからないけど。

2019-10-30

anond:20191030150709

彼らはそんなの分かってていじめをして喜んでるだけだから

そういう事を言うと逆効果

anond:20191030113936

日本から馬鹿にされたとは思わなかったが

被る傘とか朝顔とか金がないか冷房なし競技場とか大金かけて舗装したら逆効果でしたとかやってるのみると、もーこいつらダメだわと馬鹿にされてもしゃーないと思った

anond:20191030100710

ガイガだともう遅いよ 違和感程度の頃に飲まないと逆効果になる

2019-10-29

anond:20191029134705

煽りカスそもそも手で払わせるのを狙って飛んでるハエみたいなもんだから逆効果では?

献血ポスターセリフは圧迫的干渉

https://hbol.jp/205097/2

 現代において、血液提供は、いかなる場合も「自発的かつ無償」でなされるべきです。また血液提供者へは「強制すべきではない」とされています。その論理によって「血液提供者がその自由意志により全血、血漿あるいは細胞成分を提供」することが求められています。これらを満たすことによって「自発的意志決定定義されています

献血自発的意思決定で行われるべし、という事ですね。なるほど。

『宇崎ちゃんは遊びたい』(以後、宇崎ちゃん)と言う作品は、いわゆる「ウザカワ」作品ですので、圧迫型のセリフが多く、血液提供者の自由意志への圧力干渉が避けられません。勿論このポスターでは、干渉成功するかと言えば、実のところほぼあり得ませんので、広告として余り意味がありません。むしろ逆効果であり、広告宣伝では、典型的な失敗と言えます

意 味 が 分 か ら な い 。


という訳で、分解して少しずつ読解してみる。 

『宇崎ちゃんは遊びたい』(以後、宇崎ちゃん)と言う作品は、いわゆる「ウザカワ」作品ですので、圧迫型のセリフが多く、血液提供者の自由意志への圧力干渉が避けられません。

牧田氏曰く、ポスターセリフは“圧迫的干渉”になるらしい。


勿論このポスターでは、干渉成功するかと言えば、実のところほぼあり得ません

干渉しないのかよ!!!

ので、広告として余り意味がありません。

圧迫的干渉成功しないと広告として意味がないのかよ!!!!!!!!!

圧迫的干渉はよくないよって話じゃなかったのか・・・なんなんだ一体・・・

しろ逆効果であり、広告宣伝では、典型的な失敗と言えます

逆効果っていうのはつまり、あのセリフではホイホイされない、むしろ避けていくという意味だよね?本当に逆効果なのかは知らないけれど、少なくとも牧田氏の中では逆効果なんだよね?

だとしたら、牧田氏の脳内ですら血液提供者の自由意志への圧力干渉めっちゃ避けられてるじゃん。後段で述べられてる“同調圧力”みたいなパワー、全然ないじゃん。

あとそれ、話の流れからして「広告宣伝では、自由意志への圧迫的干渉ができてこそ成功と言える」と述べてるに等しいんだけど、気付いてます



結局、ポスターセリフは圧迫的干渉ではないってのが真実なのに、それじゃ困るからってこんなわけのわからない論理展開しちゃうのはどうかと思います

2019-10-26

児童ポルノ方面は順調に禁酒法コースを歩んでいるな

ネットに激増している「幼児性的虐待」の実態

https://toyokeizai.net/articles/-/309872

2019-10-25

思考停止せずにという言葉を使う人に、思考停止せずに読んでほしい。

目的が本当に「思考停止してほしくない」というのであれば、「思考停止せずに」と書かくことは逆効果です。

思考停止せずに」と書くと、相手はあたかも「思考を停止し、何も考えずに相手を痛めつける目的言葉を発している奴」とラべリングされたと感じてしまい、余計にあなた言葉のアラを探すようになって内容が届かないからです。(しか相手は一人ではないのです!その多様性無視して一人に諭すように言っても無駄です。)


こういった相手への伝え方や議論の仕方ついて、心理学に詳しい増田から記事への言及がありますので、そちらをご参照ください。またその心理についてや過去事例・歴史事例の参考資料などはブクマカ提示くださいますので、そちらも併せて参照いただければ幸いです。

献血に行く女が宇崎ちゃんポスターに思うこと

宇崎ちゃん関連のニュースで”献血に行くのは男性が圧倒的なので男性ターゲットにしたキャンペーンの展開頻度が高い”という記事を読み、マーケティングとしてはそうだよなと納得した。献血ルームで女性が少ないと思ったことはなかったが、おそらく女性看護師が多いかなのだろう。


女性で全血400mlしかやらない(一度体外に出たものを戻すのはなんか嫌)ので年に2回とかだけど、初めて献血に行った時の血液検査結果が我ながら非常に素晴らしく、これを何かに活かしたくてここ数年献血に通ってる。

まあまあの二次元オタクなのでコラボグッズ目当てに行くこともある。献血に行く女の一人として、あのポスター感想を書く。


1、献血を怖がる人を揶揄するセリフは良くない

まず最初に思ったのがこれだ。正直このセリフについては、赤十字謝罪を出したほうがいいと考えている。

私もかつては献血経験者であり、初めての献血へのハードルの高さはよくわかる。おそらく、献血を躊躇する人たちの一番の理由は”針を腕に刺す”ことだと思う。

自分身体を傷つけることに感じる嫌悪感本能的なものであり、食べ物好き嫌い等の趣向的なものとは次元が違う。それを揶揄するような言葉献血経験者に投げかけたところで、”献血に行こう!!”と思えないのではないか

ツンデレ彼女の挑戦的な台詞は、元来のファンには受けるのだろう。しかし、宇崎ちゃんを知らない人には逆効果だと思う。


もう一つ、このセリフについて忘れられている視点がある。あの台詞既存献血常連者の思いも無碍にしている。

献血の針が怖いというのは、献血をする人なら少なからず思っていることだ。

献血の針は検査用の針より太いし、少なくとも10分はその針を体に刺したまま。何度か通って多少慣れた私でも針を刺す時は緊張する。じーっと見てしまう。

それでもなんで献血に行くかって、やっぱり患者さんを助けたいからだ。みんな程度の差はあるかもしれないけど、献血に行く理由の一つだと思う。かつて自分の一部だった細胞達には、十分に働き輸血者の役に立ってくれと念じているし、見ず知らずの誰かがこれで少しでも楽になるといいなと思ってる。

前述の通り、身体に針が刺されることに抵抗があるのは本能的なものだ。針は怖いけど献血に通っている人には”注射が怖いんスか?”は、何当たり前のこと言ってんだコイツ、とちょっとイラッとくる。赤十字には、この点について事前にもっとよく考えて欲しかった。


2、献血ポスターに赤らむ頬と乳袋必要なのか

ここまで書いておいてなんだけど、ipadでちまちま打つの疲れた、、、

これについてはいろいろなツイートブログでよく触れられているので、主張だけ書いて割愛したい。

余談だが、あのイラストは3巻の表紙らしい。1巻の表紙には全年齢な可愛い宇崎ちゃんが描かれている。胸についてはそれが特徴なんだなと大した印象もなく、可愛いな、としか。なぜ3巻の表紙を選んだのか純粋に気になる。漫画好きとしては、こんなバズり方じゃなく宇崎ちゃんを知りたかった。純粋作品として見たかったなと思ってる。

[]暴力がすべて3

片山さんは浩太朗さんと同級生なんでしょう。人柄はよく知っているんじゃないかしら」

小学生のころのコータは知っているよ。でも大人になってからどんな風になっているかなんて分からないだろう。」

穏やかに語る片山を見ながら、暴れだしたい気分になった。酒を飲んですでにべろんべろんになっている。小学生のころカタブツだとおちょくっていた片山社会人になってからも相変わらず堅物で、不真面目だった俺は相変わらず不真面目なつもりでいるのに「鰯野さんの仕事ぶりは真面目」というクソみたいな評価を得ている。

気がかりは浩太朗のことだ。小学生のころは愉快な奴だと思っていたが、傷害事件を起こして逮捕されたとき「俺は鰯野の知り合いだ」とわめいたらしい。デモの時におまわりの前でチ◯コを出して逮捕された俺の名前を出せば警察がひるむと思ったらしい。馬鹿野郎逆効果だ。俺から警察から袋叩きの目に遭わされたことが勲章になっているが、それが致命傷になる人間がいる。それが分からないほど馬鹿だったか

「まあ、警察人権侵害なんか今に始まったことではないでしょ。浩太朗さんのことを信じましょう。」

俺はあたりさわりのない言葉で論評する。浩太朗が獄中で人権侵害だとわめいているのに俺が人権侵害だと言わないわけにはいくまい。

浩太朗が警察の取り調べのあとに反警察に振れるかどうかは気がかりだ。それなら反警察シンボルとして生きる道もあるだろう。しかし、そうではなくて「もうこりごり」となった挙げ句常識人を気取って「鰯野、警察なんか敵に回すもんじゃないぜ」と言い始める気がする。そうなれば俺は浩太朗を殴らざるを得ない。

そんなことを考えながら酒を煽った。いろいろ言いたいことはあるが、「仕事がいい加減だ」と片山に3時間説教されたので議論する気が起きない。あとで匿名掲示板で暴れれよう。ちくしょう。俺はなんで真面目だとか言われるんだ。

2019-10-24

anond:20191024010204

そういう話をするんであれば、社会全体の価値観は徐々に変わっていくかもしれないが、個別問題を取り下げさせるだけの権力批判側にまだ無いと思うが。

献血ボイコットなんておおっぴらになりゃ、それこそ逆効果だろ。

2019-10-21

anond:20191021002154

集客効果はあったのか?なかったのか?はたまた逆効果だったのか?あるいは炎上したおかげなのか?誰も答えてはくれない。

2019-10-17

オタクもっとヘラヘラしててほしい

俺はおっぱい協調したポスターくらいは許されてほしいと思ってるし、

なんならもっとエッチな図画が街に溢れてほしいんだけど、

オタクの皆さんはそういうのに何か言われるとすぐブチ切れちゃうじゃないですか。

それってすごい逆効果だと思うんですよ。

おっぱい協調したポスターを貼って欲しくて屁理屈こねてブチ切れてる人は

から見たらめちゃめちゃキモいので。

あと全然エッチじゃないんですけど〜?みたいな言い訳してんのもキモい

エッチさをそんな必死否定したらエッチなことはいけないことという敵の論を強化しちゃうじゃないですか。

からみんなもっとヘラヘラして別にエッチでも良くない?笑みたいなテンションでいてもらって

世界中もっとエッチに寛容になるような空気を醸成してほしいです。

よろしくお願いします。

2019-10-16

anond:20191016163629

コラボすることで「イラストの手柄」とされるの(あるいは直接的に金銭も得ているのかもしれない)だからコラボ先によっては逆効果ということもありえる。

2019-10-09

anond:20191008225958

分かります

男性でも女性でも、一人の時間を楽しめない、

一人で楽しんでる人が許せない人ってホントうざいです。

大体、結婚して一緒に寝起きする時間が増えると接点が増えすぎて精神がきつい人もいるわけで、そこにさらに接点を増やそうってのは逆効果ですわ。

2019-10-08

20年間発達障害者として生きてきた私の話2

はじめに

はてな匿名ダイアリーにおいてパート2というのはアリなのでしょうか…? 文化が分かりません。もし痛々しいようでございましたら申し訳ございません。

以前投稿した記事https://anond.hatelabo.jp/20190926105149)にて私見を交え自分の持つ症状について解説いたしました。が、「タイトルイメージが違う」とのご指摘がありそういえば元々は自分人生について書いてみようとしたのだということを思い出しました。前振りだけでいい具合にまとまったのでそれで良しとしてしまっていました。

というわけで本題の発達障害者である私の自分語りをさせていただきます自閉症多動症を持って生まれた私がいかように生活してきたのか、振り返って書き連ねていきます。詳しい症状につきましては省略いたしますので、不明点がございましたら上述の記事を参考にしながらお読みください。

幼少期 -既に変な特徴はあった-

出生の頃から追って話しましょう。さすがに私の記憶は流石に薄れていますが、当時から私が育てるコツのいる子であることは母には察しがついていたようです。

目を合わせて話さない。集団行動ができない。特定のモノに極めてこだわる。このような特徴が見られたようです。もちろんこれらは赤ん坊であるならば持っていても変ではない特徴も含まれますが、私の場合幼稚園年長くらいまで続いていたらしく「他の子とは明らかに違っていた」と言います

集団行動の苦手さを表す具体例としては、前回の記事にも書きました幼稚園から脱走していたことが主だったモノとしてあげられます。とにかく放っておくといなくなる。あまりにいなくなるものから、見失わないように私だけ違う色の帽子を被せられていたり園長先生が抱っこして確保していたり特別措置が取られていました。「差別的ではないか」と保護者会で話題になったとか。まぁ当の両親は正しい判断である先生にいたく感謝をしていたようですが。

まぁ幼い子であれば”ひょうきん”だとか”手のかかる子”という表現だけで済むのです。迷惑はかけましたが面倒な問題にはなりませんでした。

ここであげておきたいことが”目を合わせて話さない”という点とそれに対する母の対策です。

子供は成長しながらコミュニケーション能力を身に着け、その一環で「目を合わせて話す」ということの重要さを学ぶものです。大人の真似をし、後々意義を理解するというのが発達の基本ですからコミュニケーション能力もそうやって身に着けるのでしょう。

ただ私はとにかく誰かが話しかけてもそちらの方を見ないし、私が誰かにしかけるときこちらを見ない。私には会話中に相手の顔を見るという発想がなかったらしいのです。おそらくですが、やる意味は分からなかったのでしょう。「そういうものからそうする」とか「みんなそうしてるから」といった発想は私には薄いのです。ゆえに真似をせず、発達が遅れる。この性分が字のごとく発達への障害になっています

今思えばこちらを見ずに話しかけるサマというのは、やや気味の悪いように見えたことは想像に難くありません。

この悪癖を放っておいたらいけない、と母が実践したことが「とにかく自分から顔を見て話す」ということ。

子は親を見て育つ、それで覚えないならもっと見せていくしかないという発想のようです。とにかくちょっとした会話でもしゃがみ込んで目線を合わせる。呼びかけられたら自分から私と目が合う位置に移動する。意図が分かりやすいよう、たまに口でも「目を合わせて話してね」と言う。母の行動は徹底していました。

そうしているうちに、私は目を合わせて話すようになったんだとか。

つまるところ、覚えが悪い子もちゃんと教え込めば理解できるようになるのです。特に口で言うことは大事です。「こっち見てくれないと誰に言っているのか分からいから」など理由もつけましょう。意義が理解できればやるようになります。言い過ぎると逆効果という例もありますから、難しいところではありますが…。

こういったことが母の育児論です。

また今更なのですが、ハッキリ言って私は親に恵まれています。「うつ病ブログ見てたら”恋人が助けてくれて~”とか書いてあった」とか「食費節約記事見てたら”米は実家から送ってもらって~”とか書いてあった」などに近い事案かもしれません。ご了承ください。うつ病患者にとっての恋人とか、米を送ってくれる実家みたいな存在自分がなるんだという気持ち知識をつけることにこの記事が役立ってくれるなら幸いです。

小学校入学 -いじめ先生の劣等生認定-

問題が徐々に起き始めるのはこの頃からです。先生から露骨に出来ない子という扱いを受け、いじめを受けたりいたします。もう”ひょうきん”で済む年齢は終わってしまったのです。

実際私は色々なことができませんでした。運動は大の苦手で、漢字テストは毎回落第し、常識はずれな行動も多く、そして正直に色々言い過ぎます。私としては何がなんだか分からないまま先生に怒られ続ける日々でした。本当に何がいけなかったのか分からないので、具体的な問題の例を挙げられません。ただ先生から見たらよほど出来の悪い子だったのでしょう。そんな私がクラスメイトに標的にされるのは自然なことでした。

いじめトドメになったのは噛み癖があったことです。どうも私は触覚に安らぎを覚えるようで、自分のモノは噛みたくなるし顔にこすりつけたがります鉛筆他色んな所有物をよくかじっていました。正直言って、これに関してはいじめられる側の原因と言えます

私に触れることはアウト、私の触ったモノはアウト、しっかり拭けばセーフになる。他の生徒からはそのような扱いを受けていました。

さてまぁ壮絶な過去に見えますが、我ながらこの時期はずいぶん気丈に過ごしています

まず絶対親にこのことを言いませんでした。というのも、大事な人が傷つくのは嫌だったのです。偉いとか優しいとかではなく、それが破ってはいけないこだわりの一つだったのです。

学校いかように過ごしていたかと言えば、とにかくクラスメイトに話しかけました。嫌な顔をされたりするのは当然ですし、拒絶された記憶もいくつかあります

なぜそんなことをしたかと言えば、話していい人と悪い人を判断するためです。クラスメイトが全員いじめに参加していましたが、それが全員の本心というわけでもないのです。心底私が嫌いな人、みんながやっているかいじめに参加している人、実はほぼ嫌悪感を持っていない人など色々います。なんというか、これが分かっていないと学校生活で困るのです。分からないことや授業中など、学校生活では会話は必ず必要になります。ですからこの人は話しかけていい、この人は絶対ダメという判別をする必要があったわけです。給食の配膳なども私が配るものを受け取る人受け取らない人がいるので、それも覚えていた方がスムーズでした。

それで大丈夫だったのかなんて思う人がいるかもしれませんが”私に触ることはアウト”なので殴る蹴るは絶対にされないわけで、だから私もこのような行動をとっていました。ちなみに話しかけていい人にも必ず距離を置いて話していました。これらのおかげで嫌悪感をぶつけられることも減りましたし、触らなきゃ話せる相手もできたので大成功だったと言えるでしょう。

今思うと自分でもやや呆れる行動ですが、このような割り切った行動ができるのは発達障害者の強みだと理解しています

ちなみにダメージが無かったかと言えばまったくそんなことはなく、ストレスが振り切れて”触ったらアウト”をということを使って逆襲したりもしました。本気で泣かれたことがよりショックで私も泣きました。発達障害者も人なのです。無関心でいられるのはよかろうとも嫌悪精神的に来ます

はてさてそんなのが一年ほど続いて、私の噛み癖も抑えられた上にクラス替えいじめウヤムヤになった頃の話です(子供いじめなんてそんなものです)。

いじめが無くなったとはいえ、私が色んな事が出来ない状況は変わりありません。未だ先生心証は良くなかったようで、三者面談では母が怒りかけるほど小言を言われたそうです。

これではいけないと判断した母は育児について調べ初め、発達障害について知るやいなや私を児童精神科に連れていき、正式に診断を受けることになりました。診断結果を話した結果、先生対応は一変。連絡帳を通してたくさんの配慮をしてくれるようになったそうです。

診断を受けるということは自分が症状を理解することはもちろん、相手配慮を求めることにも役立つのです。

私の母などもそうですが、先生の態度について色々思うことがある人もいるかと思います。ただ実際にいじめを目の当たりにしてできることはあまりにも少ないですし、しつけのなっていない子が存在するのも事実です。ですからやはり自分自覚して問題を起こさないためにも、ただ出来ない子と思われないためにも診断は大事ことなのです。診断には強い説得力があります。少なくとも小学校教師になれるほどの英才の方であれば、医師判断の重大さは分かるはずです。

中学時代 -自分を見つめまくる日々-

さて通院や教師配慮を通して自分が他の子とは違うことを十分に理解し、列から抜け出さないとか家に勝手に帰らないだとか当たり前のことは覚えながら成長していました。大人の方はみなそうですが、私の問題を挙げても存在否定はいしませんでした。今自分のことが大好きなのはこのおかげであると考えております

中学生になった頃には自閉症的な特徴がプラスな要素になることも多くなっていました。他人に無関心という点などは特に強かったですね。

なにせ中学校はけっこう面倒な社会です。どこのグループにいて、誰と誰が喧嘩して、あいつはどこに受験して、あの先輩はあんなことしてて…などなど。面倒です。そして誰もが面倒と思っているのに、多くの人はこの面倒な風評を気にしてしまます。ただ自閉症患者としてはこれは本当にどうでもいいことなんですよね。立ち位置とか気にするの面倒なのです。知らんわ。

そういうわけで私は特定グループにいることはなく、基本的面白い人なら誰だろうと話しかけていました。それのおかげか誰とでも平等に話すなどと評価されることが多かったです。よく気軽に話せるなどと言われました。あとは趣味偏見がなかったのも大きいでしょうか。バント小説アニメスポーツ、変わったところではジャニーズなどの話を聞いていました。自分が知っているわけではないものも多くありましたが、楽しく話せる分には何でも歓迎でした。しがらみがない人間というのは中学校においてはとても貴重な人材だったのでしょう。ゆえに”他人に無関心”はお気に入りなのです。健常者に自閉症マウンティング取れますね。

また他人からしてみれば強烈に個性的に見えるようでけっこう人気がありました。良くも悪くも目立つ人だったのでしょう。

さてかなり上手いこと発達障害個性にできたと書けば見栄えは良いようですが、決して楽なだけではありません。

とにもかくにも自己分析を続ける日でした。「お前は客観視ができない」と両親からひたすら言われ、客観視とはなにかからまり自分がどういう特徴があるのかズラズラ考え続けていたものです。あるモノにどういう特徴があるか知る時の基本は、他のモノと比較することです。障害の本もいくつか読みましたが、自分は平気でやるが他人がやろうとしないことを色々見て知ることが一番客観視につながったのだと今では思います。まぁおそらくそんなことは小学生の頃にやっておくのが一般的なのでしょうが…。

意義が分からない限りやらないのが私でございます自分理解しないと人に迷惑をかけることになると知って、ようやくこういったことを始めたのです。

まず自分が失礼なことをたくさん言う人である理解いたしました。ウケ狙いとかではなく、何とも思わず指摘するのだからタチが悪い。特に女性容姿については言うべきではないと学びましたね。

それに自分は集中すると周りが見えなくなるし、やると決まったことは徹底的にやるし、陰口は言いたがらないし、ツッコミで強く手を出しやすい方だし、婉曲な言い方が理解できない。こういうことをとにかくたくさん知りました。この記事を書くこと自体客観視の一環ですね。

しっかり向き合ってみれば結構分かるものです。ただまぁ前回の記事の通り「~~という特徴であるらしい」とか上手く自覚の出来ない特徴も多くありますが。ただ、これを知るだけでも行動は変わるものです。怒られたり驚愕されることはずいぶん減りました。

月並みではありますが、大事なのはとにかく障害に向き合うことです。なんでも知っておけば「あっこれやったらダメかも」と分かるモノです。「これはしちゃダメ!あれはしちゃダメ!これはしろ!」といったようにルールを決めるのではなく、特徴を知ってその都度対応しましょう。ルール決めが必要な時があったとしても、第一優先はそこではありません。

ここまで書いて気付きましたが、中学校でのエピソードに欠けていますね。強いて挙げるなら友人がバカにされてハチャメチャに怒ったことでしょうか。

やけに他人を見下す阿呆がいまして、彼奴が私の友人を散々に罵倒したと聞いて教室に殴りこんだことがあります。結局ロクな解決にもなりませんでしたが、他人に無関心というのは「他人がどうでもいい」のではなく「自分が好いている人以外がどうでもいい」のだと知ったキッカケです。友人は他人に入らないらしく、むしろ思い入れが強いのかもしれません。

前回の記事発達障害者ストーカーになったなどと反応がありましたが、なるほどと少し納得いたしました。

おわりに

高校時代についても書こうと考えましたが、エピソード不足でありますし少し疲れたのでここで筆をおきます

さて前回にて「アスペで友人がいるなど詐欺だ」などという反応がございましたが、実のところ私も不思議に思っていた時期がございます。おそらくはとにかく正直で、フラットで、好きな人にはそれなりの接し方をしていたからではないか結論付けています20年生きてきて分かりましたが、正直は美徳と言うわりにそういった人は案外少ないものです。外面を固めるのが上手い友人が私の前では豹変したようにドサドサとキツイ言葉を吐くサマは中々愉快でございます。私が楽しいから友人といるのと同じく、彼らも私といて楽しいからいてくれるのでしょう。友人への敬意と多少のユーモアがあれば、あとは個性として楽しまれるのではないでしょうか。

記事の中では母についてはいくつか触れましたが、父の出番はありませんでしたね。というのも父は私のことを本当に放っておいたのです。好きなことをしていればそれでいい、とそれだけは言っていましたが強く干渉することはありませんでした。実際に父も自分の好きなことをたくさんしていました。食事が大好きで今ではメタボなほどですが、誰の忠告無視してまだ食べ歩きを続けています。子は親を見て育ちます。私が自分に正直に、好きなように生きているのは父が影響しているのでしょう。結局両親ともども私のために色々してくれたのです。

ご参考になれば幸いです。

追記:どうも前回記事とのツリーになってしまますね。治し方が分かりません。

2019-10-04

anond:20191004114057

夫多分捨てられたくないんだろうね 逆効果で笑うな

2019-10-02

「今頑張らないと」「逃げちゃダメだ」「ここでやめられない」って思えば思うほど辛くなるってすごいわかるわ

逃げられない、耐えなくては!と思えば思うほどもう逆効果

朝の通勤ラッシュの中で腹が痛くなった時によーくわかった

遅刻を恐れて降りないで耐えるくらいなら、次の駅で降りてトイレに向かった方が良い……

2019-09-25

大体なんでも人より上手

自分の特徴の一つに、大体何をしてもすぐに人よりうまくなるというものがある。

歌、絵、カメラスポーツ乗り物勉強仕事、、、などなど、これといって始めればうまくいかないなんてことはない。

でも、最近ではそれが原因で人生が息苦しくなってるんじゃないかなって思うようになった。

自分より下手な人間には嫉妬され、自分より上手い人間には見下されていることに気がついたのだ。

例えば写真を撮ることが楽しくなって趣味にしてみたりする。

大体コツを掴んでSNSで発表すればいいねが人より沢山集まる。

すると最初のうちは「○○さんすごーい。わたしもがんばてみてるけどそんなにうまくできなーい」とお世辞を言われるのだが、気がつくと「大して努力もしてない人間ちょっとうまくなった程度で調子に乗っている」とか陰口を叩かれるようになる。

誓ってもいいが人を卑下するようなことは言わないし、人前で(物陰でだって)自慢するなんてことはない。

ただ、自分の中ではうまく行っていることが楽しいので、次々に写真を撮っては世に出し続けている。

そうすれば自然と失敗もするし、失敗をすればどうしたらうまくいくかを考える。それが上達の必須条件だと自分では考えているからだ。

そうなると人に紹介されるとき写真の上手な〇〇さんというような紹介のされ方をするようになる。

自分ではそれほど上手だとは思っていないので、「好きでやっている程度です」と割と本音に近い言葉を返す。

さて、困ったのはそれからで、そういう紹介をされるとどこからともなくとてつもなく上手な人が現れたりする。

わたしのことは上手な人間だと紹介されているので、まずはどんなものかと品定めから始まる。

当然そこでもはったりをかましたり上手い人の作品を知ったような口で語りだすこともない。

素直に誠実に、今自分が取り組んでいることや相手作品から感じ取ったことなどを口にする。

するとやはり最初のうちは「すごいですね。趣味範囲を超えていますね」とかお世辞を言われるのだが、これもまた気がつくと「確かに上手いけど、プロならあれくらいは当たり前だしずばぬけてセンスいいわけではないね」などと自分がいないところで言われるようになる。

別にプロになりたいだなんて思ってもいないし、楽しいだけでやってるのだからセンスだとかなんとか言われる筋合いはない。

しかも腹立たしいことに、そうした陰口の類はいつも同じ趣味を楽しんでいてくれるわたし親友がいる席に限って話題に挙がるのだ。

親友はどちらかというと何をしてもあんまり上達しないタイプだが、いつもわたしに色々な趣味の話しを持ってきては一緒にやろうと誘い出してくれる。

この親友がいなければ、自分ひとりではこれほどまでに色々な趣味経験することもなかっただろう。

からこそ、わたしがいないときに限って親友にそんなわたしの陰口をいう人間が許せないのだ。

今回写真を辞めたときも、親友は泣きながらわたし電話をくれたことがきっかけだ。

なんとなく趣味でつながった人間同士で集まった、わたしが参加できなかった食事会のときの話だ。

わたしの陰口を聞いてしまたことがショックだったと、涙ながらに教えてくれたのだ。

これだけどこにいっても人からうらまれるのだから、何か自分では気づいていない大きな原因がわたし自身にあるのだろう。

しかしたらしらずしらずのうちに人のことを傷つけるようなことを言っているのかもしれない。

からといって、どうしてそんなことをわたし親友に告げ口する必要があるのか。

わたし親友の仲を裂きたいなら逆効果だとどうしてわからないのか。

親友は、まだ他にも楽しいことは沢山あるよと言ってくれている。彼女がやってみたいというならなんでも楽しいに決まっている。

それにしても世の中が息苦しい。別に誰彼いなくても親友と楽しめればそれだけでよいというのに。

2019-09-24

感情に訴えるのは良くないこと

っていうのを、まさに感情に訴えられて動かされてる人に言っても逆効果になるので、義務教育であらかじめ教えとく必要がある

2019-09-23

お得意様に手書き葉書送ってくる文化

気持ちいからやめて欲しい、逆効果じゃないのか?

俺のためにわざわざ手で書いてくれた!って喜ぶ奴おるん?今時ほとんどの人がブラックしか感じないだろ

2019-09-21

anond:20190921152020

関係ないがはてサって日本叩きに使える韓国ネタは大好きだけど、台湾香港ネタには食いつき悪いよね。

最近中国も国際評判悪くて逆効果になるから中国ネタも使わなくなってきた。

2019-09-18

anond:20190918102810

汚い言葉のほうが「刺さる」から発言の重み付けに使う

もちろん使えば使うほど人間は軽くなるから長い目で見ると逆効果

2019-09-17

アル中家族

「酒飲みに『酒を飲むな』と怒るのは逆効果」だと、

悩んで求めた情報のほぼすべてに書いてある。

でも、毎日一緒に生活をしていて、ストレスMAX状態

「怒るな」「責めるな」は不可能なんだよな。わたし菩薩じゃないし。

怒らないように気をつけられる日もあれば、怒って大喧嘩になる日もある。

ここ数日、うちの旦那

「酒の飲みすぎ」っていう、たったひとつ理由だけで

仕事ひとつ飛ばして、

依頼された原稿も遅れて、

SNSで大暴れして、

知人と喧嘩して、

予約していた健康診断ドタキャンして、

家族であるわたしは家にいることに耐えられず、避難(外泊)したりしている。

「本人もつらい」そんなこたあ、わかってる。

頭では。冷静でいられているときは。そりゃそうなんだけど。

「酒のせいだ」って本人も薄々気づいていることに自ら蓋をして、

色々なことを誤魔化して逆ギレしたりして生きている状態

いよいよ自分自覚して受け入れて、

蓋を開けて問題解決…に向かうまで、あと何年かかるんだろう。

わたしは、もうずっと「限界」の状態のまま、

だましだまし生活している。

数年前に別居して、その間もずっと悩んでいて、

何度も何度も、お酒問題で泣かされたり問題を起こされたりしていて

別居のままでもしんどくて、

とうとう1年前に「酒をやめるか離婚するか選んでくれ」と伝えた。

そしたら、今まで見たことのない態度でまっすぐに「お酒をやめたい」と言ってくれた。

ようやく少し蓋があいたかな…と思って、最後のチャンスを与えるつもりで同居に戻した。

数ヶ月でほぼ元通り。

「今までと同じ飲み方を続けたいならもう別れよう」って何度もお願いしているのに

「そんな話には乗らない」と、向き合ってもくれない。

本人が「そろそろマジやべえ」って問題解決の蓋をあけるためには、

わたしとの離婚必要不可欠なんじゃないか、とも思うんだよな。変な話だけど。

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