現代において、血液提供は、いかなる場合も「自発的かつ無償」でなされるべきです。また血液提供者へは「強制すべきではない」とされています。その論理によって「血液提供者がその自由意志により全血、血漿あるいは細胞成分を提供」することが求められています。これらを満たすことによって「自発的」意志決定と定義されています。
献血は自発的な意思決定で行われるべし、という事ですね。なるほど。
『宇崎ちゃんは遊びたい』(以後、宇崎ちゃん)と言う作品は、いわゆる「ウザカワ」作品ですので、圧迫型のセリフが多く、血液提供者の自由意志への圧力的干渉が避けられません。勿論このポスターでは、干渉が成功するかと言えば、実のところほぼあり得ませんので、広告として余り意味がありません。むしろ逆効果であり、広告宣伝では、典型的な失敗と言えます。
意 味 が 分 か ら な い 。
という訳で、分解して少しずつ読解してみる。
『宇崎ちゃんは遊びたい』(以後、宇崎ちゃん)と言う作品は、いわゆる「ウザカワ」作品ですので、圧迫型のセリフが多く、血液提供者の自由意志への圧力的干渉が避けられません。
圧迫的干渉が成功しないと広告として意味がないのかよ!!!!!!!!!
圧迫的干渉はよくないよって話じゃなかったのか・・・なんなんだ一体・・・。
逆効果っていうのはつまり、あのセリフではホイホイされない、むしろ避けていくという意味だよね?本当に逆効果なのかは知らないけれど、少なくとも牧田氏の中では逆効果なんだよね?
だとしたら、牧田氏の脳内ですら血液提供者の自由意志への圧力的干渉めっちゃ避けられてるじゃん。後段で述べられてる“同調性圧力”みたいなパワー、全然ないじゃん。
あとそれ、話の流れからして「広告宣伝では、自由意志への圧迫的干渉ができてこそ成功と言える」と述べてるに等しいんだけど、気付いてます?
結局、ポスターのセリフは圧迫的干渉ではないってのが真実なのに、それじゃ困るからってこんなわけのわからない論理展開しちゃうのはどうかと思います。
よくわからんけど、これってもともと献血のよびかけ自体に批判的な人とかだったりしないんだろうか なんかそんな雰囲気を感じてしまった