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はてなキーワード: 職能とは

2012-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20120707020127

顔が可愛くて今の職能があれば絶対もっといいところに就職できる。

顔が可愛ければ自信がついてコミュ力もっと上がると思う。

そしたら良い結婚もできると思う。そのためなら200万くらいぽんと出せる。

2012-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20120629193735

よく読んだら容姿についても学歴についても職能についても不問だぜこれ

そんなに贅沢かね

2012-04-27

薬剤師について思うこと

3月就活・4月就職…「別世界」の売り手市場

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120426-00000156-yom-bus_all

公立大学を今年卒業して「別世界」にいた者です。

といっても簡単に就職できちゃうから就職してないんだけどね。

でも色々調べてたので、普通の人が薬剤師について疑問に思うことについてまとめてみる。

薬剤師って薬つめて渡すだけじゃないの?」

調剤薬局薬剤師は主にそれが仕事です。しかし、ただ薬をつめて渡すわけではなく、医師が処方を間違えていないかチェックします。

また、飲み薬ならつめるだけですが、軟膏だったり液薬だった場合はしっかり計算して、正しい順序で作ります

「処方のチェックなんて簡単じゃないの?」

簡単です、と言いたいところですが、全然簡単じゃありません。

医師自分の専門領域を見る方が多いですが、薬剤師は全ての処方箋を扱います

すべての領域の薬の飲み合わせを把握していることが求められます

といっても全てを把握することは難しいので日々勉強です。

最近電子カルテなので医師が処方する際に、処方がおかし場合エラーになることが多いので、少しは楽になってきました。

ドラッグストア薬剤師っている意味あるの?」

自分意見としては法律必要です。

普通に買える薬については、飲み合わせのチェックを積極的にしていないので、あまり意味は無いかもしれません。

でも給料新卒年棒600万(なぜか年俸表記)というところもあったりして薬剤師的には嬉しい所。

大手のドラッグストアエリアマネージャーとかになれば1000万超えるらしいです。

薬剤師の数って飽和するって聞いたけど?」

そう聞いていますが、全くその気配はありません。

記事のグラフにもありますが、受験者数も2年のブランクで減りました。

しかし、薬科大学が乱立したので、いずれ合格者数過去最高になることも時間の問題です。

それでも飽和するとは思えません。

昔に比べて薬剤師仕事が激増しているからです。

薬剤師仕事って増えてるの?」

洒落にならないほど増えていますが、給料は増えていません。

増えた仕事を箇条書してみました。

薬局

・薬の種類(先発品、後発品)の選択

・薬の飲み方を患者さんの家に行って説明

老人ホームの薬の用意

病院

抗がん剤栄養剤の調製

入院患者さんへの薬の説明

感染症チームや栄養チームへの参加

ほんとに簡単にしか書いてませんが、とりあえずしなくてはならないことが増えました。

また、就職先は薬局病院、製薬企業の他に、公務員があります

薬剤師公務員って何するの?」

食品検査や水の検査などをしています

海開きを決めるのも薬剤師らしいです。

ちなみに薬剤師地方公務員の倍率はかなり低いので狙い目です。

長々と書いてきて疲れてしまいました。

もっと書きたかった気もしますが、これくらいで。

質問がありましたらお答えします。

ちなみに職業薬剤師ではありませんので、回答に限界があります

薬剤師はいらないって仰る人たちが多いですが、結構頑張ってるのでそんなこと言わないでほしいところ。

■追記

http://agora-web.jp/archives/807191.html


こちらの方ですが、twitterの方でも薬剤師を毛嫌いしている発言がとても多い人でしたので、

自分としてはあまり信用してほしくない方です。おそらく、この方の病院薬剤師がよっぽどダメだったのでしょうか。

実習の経験ですが、疑義照会義務は積極的に行っていますよ。実習でも遠慮なく行っていました。

病院ですが、しっかり患者さんの体の機能を考えた上での投与量の疑義照会もしていました。

食品衛生は薬剤師とはまた別分野じゃね? 上の方は医師だろうし、下の方は検査系か栄養系か農学食品系かその辺の人の仕事では。」

私の友達薬剤師公務員として就職して食品系の検査を行なっていますよ。

まり検査系や栄養系の方もいるのでしょうが自分がそこまで詳しくないのでお答えできかねます

って登録販売者も知らんのか。

身内がドラッグ勤務だが聞いた事ねーぞ。それガセか、怪しい所じゃないの?

普通に薬剤師以外も新卒採用してて、上にも行けるし。

つかドラッグ薬剤師って法律満たす為だけに雇ってる訳で、実務上は薬剤師の知識や経験なんて要らないか

(それより販売業としてのスキルの方が遥かに重要だ)

一部の管理職候補以外は製薬会社定年後の再就職ジジイだの主婦だのをパートで使ってる。

そりゃ普通パートよりは時給高いけど、一般的な正社員と比べたら別に高くない。

仕事が激増しようと雇う人数はそう簡単に増えないよ。単に激務になるだけ。

病院なんてどこも経営大変なんだから(公立なら赤字で当たり前だし)、余計な人件費は出せない。

もし人件費余ってたら医師看護師に回す(まあ、これらは金出しても求人難だけどさ)。それ以外は削れるだけ削る。

薬剤師はまだ法律で雇わなければならない人数決まってるからマシな方だけど、そのぎりぎり人数以上に雇える潤ってる病院はあまり無いだろうね。

つかその「仕事激増」って、医薬分業という名の経費節減策で薬剤処方が外注され病院薬剤師立場が怪しくなる中で

病院勤務薬剤師自分仕事作ろうとして必死で捻り出した仕事では?

登録販売士は知っていますが、販売できるのは2類までですよね。リアップとか登録販売士では売れませんし。

1類医薬品を販売しないドラッグストアだったら本当にいらないかもしれません。

ドラッグは小売としての職能が求められるので高いというのはあると思います

年収の話は今年大手ドラッグストア就職した友達から聞きました。

自分もあまり信じてませんがうらやましい限りです。

やっぱり激務になるだけでしょうか。これ以上薬の種類や色んな法律が増えるときついと思うので、人員が増えてほしいものです。

2012-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20120426131050

俺はADHDだけども。

こういう文章見る度に思うんだけどさ。社会で働いて生きていくってことは、そこに馴染んでいかなきゃいけないわけで。

んで、「金をもらう」っていう立場に立つ以上、選択権は向こうにあるんだよね。社会を批判したってさ、既存民間企業みたいな組織ってのは

営利ベースに動いてるから、結局その中で役立たない存在ってのは辛い目にあうのよ。

んで、「ヘンテコな脳みそを持って生まれた少数の個人が健やかに生きるために社会よ変われ」って発想はさ、ADHDの俺が思うにムリがあるんだよな。

だって、フツーの人たちでフツーに回ってる社会に俺たち異物が入りこんだら上手くいかないのは当たり前じゃんね。変なのは俺らで、少数派なんだからさ。

発達障害の人に必要なのは、「社会の変化」とかそういうあんまり期待出来ないデカい話じゃなくて

「障害を抱えて(あわよくば能力として活かして)いかに生きるか」のロールモデルと、早期に受けられる適切な診断なんだよ。

例えばさ、俺は大学卒業して就職するまで自分ADHDだと気付いてなかったのよ。「時々うっかりするけど行動力溢れるアイディアマン」ってのが

周囲の評価だったから。ところが、就職金融機関に入ってしまったものから、あっというまにキチガイっぷりが露見。

まぁ、金融事務とかADHDがやってはいけない仕事ランキングトップ3には入るよね。そののち診断を受けて今に至ると。

んで、自分の特性を掴みなおして職を変えて成功した。まー、苦労はあったけどさ。

つまるところ、「何が向いていて、何が向いていないか」を適切に理解したうえで、仕事を選ぶしかないわけよ。俺の場合は営業→起業だったけどさ。

でさ、こーいう「選ぶ」っていうのはある程度社会的評価がないと難しいわけじゃないですか。

俺の場合は運よく出来たけど、そうもいかない人はたくさんいる。

アスペでも得意分野があるなら任せとけばいいじゃん」って言葉引用してるけど、実際社会ってわりとそんなもんよ。とんがった得意分野があれば結構いける。

俺は際立った営業能力のおかげで生きてこれたしね。でも、「得意分野」がそもそも無い人、あるいは社会的評価が低い人ってのはそうもいかない。

からアスペとかADHDの人が生き残るためには、早い段階で自分の特性を正しく理解したうえで「ふつうに生きていったら俺は死ぬしかなくなる」っていうシビアな危機感を持って

得意分野を作るしかないわけよ。アスペADHDが生き残るには「学歴」+「得意分野」が絶対必須

そりゃさ、社会が俺らを理解していい子いい子してくれるくらいに優しくなりゃ、それはそれでいいけどさ。そんなんムリだから

だって、俺自分会社の経理にADHDがいたらクビにするしかないし、営業部門にアスペがいてもやっぱりクビにするしかないもの

まぁ、配置転換くらいは考えるけどさ。でも、やっぱりアスペADHDは採りたくないよ。何か際立った職能が無い限りは。

発達障害人間にとって一番必要なことは「自分は何か一芸が無ければ社会にとってただの異物、ゴミ以下のキチガイ野郎だ」

っていうシビアな自覚そのものだよ。「発達障害を理解しない社会が悪い」なんて考え始めたら、もうゲームオーバー確定。

そういう意味で、元増田の考え方は、あんまり当の発達障害の人の役に立たないと思うんだよね。

現実にどうするのか、こそが差し迫った課題なんだからさ。

2012-04-02

社長、それは御無体だ

から会議ではかなり荒っぽい言葉が乱れ飛ぶ会社になった。

まずここさ、

なにが「だから」なのかさっぱりわかんないよね。

ここの繋がりが全然論理的でないことは議論が好きな人ならわかるはず。


1「自由闊達な議論を推奨する」ことも、

2「意見や提案を入念な議論で精査する」ことも、

3「かなり荒っぽい言葉が乱れ飛ぶ」ことを正当化はしないよね。

そもそも全然つながってねーし。

むしろ3は1や2を萎縮させかねないと思うけど。

そこんところを社長はどうお考えかお聞きかせ願いたい。

これは皮肉で聞いてるんじゃないから是非ご回答を。


形式的なものは一切重視しない、立場上下も無い。意見をひたすら出せ、戦わせろ。という会社風土には満足している。

荒い言葉が乱れ飛んでるって状況は

「自由で柔軟で風通しのいい社風」なんてものとは全く似て非なるものなのに

親分がそこを理解しないまま満足してるのはいけないと思う。


だいたい

俺は攻撃的な人間である

俺が論戦を挑む時はネガティブ意味合いはなく、ただ単にあらゆる側面から

これはすでに矛盾してることにお気づきだろうか。

「攻撃的」というのは議論のネガティブ要因の最たるものだ。

タフな議論が物凄く好きだし、12時間ぶっ続けで討議しても飽きないくらいの議論好きだ。

この性質自体は実用的な能力とは全然違うし、

むしろ他人と接するときにはほとんど「欠点」と言った方がいいことにお気づきだろうか。(個人的には同性質なんだが。)

その性質と仕事での議論を分別してないらしいところが大変危うい。

それで通ってきたのは偏にあなた社長という地位ゆえだ。

(そしてあなたに諫言出来る部下が居なかったゆえだ…)


ところで、最近新しく人を雇った。財務会計スペシャリストで、別の会社から引っこ抜いてきた。

一般的な観点から見れば、高い給料を払っている。会社の規模から考えれば、少々ムリをしたと言えるかもしれない。

しかし、この人材を動かしてみるともちろん専門領域では想定通りの有能さを見せるものの、

議論が成立しないのだ。「反論」を人格否定と受け取られてしまう。

あんたの会社は、

あんたの強引なパワーと、それに洗脳されて従順な子分達のインチキ合議制で運営されてる。

外部からいきなり入ってきた人はそりゃ馴染めないはずだ。一人だけ洗脳受けてないのだから


そして、自分の専門領域以外では一切の発言をしない。

まあこれは一般的に経理マンの特徴って面もあるかもしれない。


俺は、部下の職務内容は100%理解しておきたい人だ。

「私は」。「人間」。「です」。でしょ。

そもそも言葉いからだけでもあんたの独りよがりナルシシズム過多な性格が読み取れるんだよ社長

増田の気安さを差し引いても。

全文そうだけど。


そういうのも会社の推進力になるのかもしれないし

しかしたらそれはあんたの才能なんだろうけど

自分性格の負の面は常に考慮に入れて、自制すべき場面では自制しろよ。

してるならいいけど、あんたの文読むとしてなさそうに思える。


から、彼が提出して来たレポート企画書にも、細かく質問意見を出す。わからないところは教えろと言う。

彼はこれが煩わしいようなのだ

これは無理だよ・・・。

専門分野について知識の土台すらない人に100%の説明するのは不可能だ。

ごく浅い説明をもっともらしい口調でやる、素人騙しなら出来るけどね。

それをやらないだけ誠実な人だよその人は。


社長さんが本気で経理財務を、経験豊かなスペシャリストと同じぐらい把握する気なら、そのガッツはいいと思う。

けど、それならまず最低限として簿記1級をとってもらわないといけない。

それぐらいの労力投下をしたうえで「さあ教えろ」って言うならまだ対等なやり取りといえる。

でももし、自分は経理の知識ゼロのまま「すべて把握させろ」っていうなら

それはそもそも不可能な話の上に、相手にだけ負担押し付けててフェアじゃない。


ウチの会社ジェネラリストっていうか、専門的な職能を持たない人間って社長の俺しかいないんだからさ・・・。

我が社は、誰かが提案を上げて来たら、他のメンバー全てがその提案の粗を探す。

徹底したブラッシュアップを図る。ミーティングは闘争的にやれ、つまらない会議するくらいなら帰れ。

これは余計なお世話だが、

小さい新しい会社ならそのやり方もいいけど、

大きくなればどっち道その制度は持たないと思う。

大会社から経理マンを連れてきたのを見ても、そろそろ過渡期なんじゃ?


確かに、自分の専門領域にケチつけられるのは不愉快かもしんないよ。でも、ウチってそーいう会社で、別にみんな

あなたが憎くてバシバシ議論振って来てるわけじゃないのよ。むしろ、あんたを尊重しているから矢のような質問と反論が来るのよ。

内容にもよるけど、

ほとんどの場合は、

経理実務の話に簿記すら理解してない人から「矢のような質問」をされても閉口するだけだと思う。

その場で時間とって簿記講座から始めるんなら別だけど。


論戦と人格否定は違うし、それは全くかかわりないってことを、どうやったら理解してくれるんだよ・・・。

それが別個のことだと理解してるなら、

まず「かなり荒っぽい言葉が飛び交う」状況は改善すべきだと思う。

それで喧嘩にならずに済んでるのは単に、怖い親分がトップに居るから&全員親分のイニシエーション済み子分だからで、

よその水で育った人(つーより社長んとこの水で育った人以外すべて)にそれは通用しない。


ウチの会議のやり方には慣れてくれ・・・。ウチでは合意と意思疎通のためだけのミーツは一切やらないんだよ。会議は常に議論なんだよ・・・。

まとめるよ。

専門性の高い分野について、実務家と素人の間に「議論」は成り立たない。どんなに素人達が「議論」のつもりでも。

・そもそも社長のところの「議論」の健全性はかなり怪しい。

・本気で部下の仕事を100%把握する気なら、会社が発展すればするほど寝てる暇なんかなくなる。睡眠時間勉強をすべき。


あと最後質問だけど、

社長はこういう突っ込みを部下から受けたことはある?



突っ込みばっかり書いたけど、

飲み会免除とか、社長なりにその人に気を使ってるとか、よき上司であろうっていう配慮はわかってるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20120402024538

議論出来ない部下がきつい。

俺は攻撃的な人間である

タフな議論が物凄く好きだし、12時間ぶっ続けで討議しても飽きないくらいの議論好きだ。

から本質的な対立の無い相手に対しても、ある種意見や提案のストレステスト的な意味合いを込めて

反論を試みることが多い。どんなすばらしく見える意見や提案もある程度「叩いて」みないと真価はわからないものだと思っている。

そういう風に経営をやって来た。俺が論戦を挑む時はネガティブ意味合いはなく、ただ単にあらゆる側面から

提案や意見の真価を問うているだけだ、と部下には理解して貰って来たと思う。

自分が面倒くさい経営者であり上司であることは十分理解しているけれど、その代わり俺は闊達な議論こそを是として

どんな立場にある人間にでも、極めて自由な発言を許して来た。俺に対して「おまえは間違っている」と面と向かって言える会社を目指してきたし

ある程度は実現出来て来たと思っている。だから会議ではかなり荒っぽい言葉が乱れ飛ぶ会社になった。

形式的なものは一切重視しない、立場上下も無い。意見をひたすら出せ、戦わせろ。という会社風土には満足している。

ところで、最近新しく人を雇った。財務会計スペシャリストで、別の会社から引っこ抜いてきた。

一般的な観点から見れば、高い給料を払っている。会社の規模から考えれば、少々ムリをしたと言えるかもしれない。

しかし、この人材を動かしてみるともちろん専門領域では想定通りの有能さを見せるものの、

議論が成立しないのだ。「反論」を人格否定と受け取られてしまう。そして、自分の専門領域以外では一切の発言をしない。

俺は、部下の職務内容は100%理解しておきたい人だ。現実的にはそれは難しいとしても、最低限部下の土俵で論議が出来なければいけない

と思っている。だから、彼が提出して来たレポート企画書にも、細かく質問意見を出す。わからないところは教えろと言う。

彼はこれが煩わしいようなのだ。専門領域外には口を出さないから、自分の領域にも口を出すな。そういうことらしい。

もちろん、俺はそれを絶対に認められない。

そして、財務会計スペシャリストとして雇ったとはいえ、会社全体のことも理解して貰わなければ困る。

率直に物を言い合うことを是とする他のメンバーと同じ土俵に立ってもらわなければ困る。

「この会議にわたしが呼ばれる理由がわかりません」とか、ホント困る。つーか、俺言ったよね?面接であれだけ念を押したよね?

ウチには基本的に何かのスペシャリストしかいないけど、業務領域は一切特定されてないって言ったよね?

そりゃ、元が大企業の人だからわからんでもないけど、ウチクラス会社で「専門領域しか触らない」なんて出来るわけないのよ・・・。

ウチの会社ジェネラリストっていうか、専門的な職能を持たない人間って社長の俺しかいないんだからさ・・・。

我が社は、誰かが提案を上げて来たら、他のメンバー全てがその提案の粗を探す。

徹底したブラッシュアップを図る。ミーティングは闘争的にやれ、つまらない会議するくらいなら帰れ。

そーいう会社なんだよ。そりゃ、あなた職能は高いよ。だから高い給料出してんじゃないですか。

確かに、自分の専門領域にケチつけられるのは不愉快かもしんないよ。でも、ウチってそーいう会社で、別にみんな

あなたが憎くてバシバシ議論振って来てるわけじゃないのよ。むしろ、あんたを尊重しているから矢のような質問と反論が来るのよ。

論戦と人格否定は違うし、それは全くかかわりないってことを、どうやったら理解してくれるんだよ・・・。

そりゃ、プレゼンが始まったらガンガン質問と批判が降り注いだのにビビったのはわかる。

でも、それがウチの社風で俺のスタイルなんだよ。変える気はないから、適応してくれよ・・・。

毎回会議の後にブチギレて憔悴しきった顔されても困るんだよ。別に会議が終わった後の飲み会に来いとまでは言わないか

ウチの会議のやり方には慣れてくれ・・・。ウチでは合意と意思疎通のためだけのミーツは一切やらないんだよ。会議は常に議論なんだよ・・・。

そして議論の中でどれだけ敵対しても、個人間の対立にはしちゃいけないんだよ。そーいうルールなんだよ。わかってくーれーよー・・・。

2012-03-12

人口構成のミスマッチは個人の努力ではどうにもならない

http://anond.hatelabo.jp/20120311225639

どういう職能でもかまわないけれども、技術者だの有資格者が余ってくれば、そのお仕事価値は下がってしまう。

歯医者が街にあふれているとか、新制度弁護士にしごとがないだとか、就職狭き門だとか

本来は絞らなくてはならない教育機関での定員を教育を商売にしたいがためにそれなりの教育を受けた人があぶれる構図ができてしまったのだ。

仮に職人肌の腕のいい人がいたとしても、寡黙にいい仕事をすることで存在を認められるってことが、許されない世の中になってしまった。

よい職人でありつつ、愛想もよくないといけない。

これから評価経済だのという人がいるけど、裏をかえせば、談合経済だったり、コネ経済だったり、世襲経済だったりで、近代以前の自由はきかないけれども、みんなそれなりにしあわせかも的な状態に戻っていくのかもしれない。

職業選択の自由自分探し、憧れ就職ブラック企業みたいなのは、これからは、もうおしまい、許されない価値観なのかもしれない。

2012-03-05

僧侶リア充呪われろ」感想

http://blog.livedoor.jp/minnanohimatubushi/archives/1757512.html?1330947220

久し振りに良いSSを読ませて貰った。軽い気持ちで読みはじめたのにいろいろと考えさせられた。ロードス島を思い出して懐かしくもなった。ありがとう

私自身僧侶のような経験をしたことがある。その時聞こえてきた他人への怨嗟は、結局自分への怨嗟であると気づいた時愕然としたものだ。故に僧侶の陥る「なんで?」という、自分の「足りなさ」からくる苦しみに共感し、そしてそれ故に魔王の場面では手に汗握った。はたしてこの主人公は乗り越えられるのかと。置いて行かれた、という想いは、同時に置いて行かせたという後悔でもある。主人公は友人達の弱さも知っていたのだから。「選ばれてしまった」が故にその重圧から逃れるため「選ばれた自分」として振る舞うしかなかった弱い勇者達。僧侶ははたしてそこに気付き彼等を「赦せ」るのか、と。杞憂だった。僧侶は目に見える形での強さとそこに生まれる妬みや恐怖といった人の弱さを利用し怨嗟の渦に巻き込んでいこうとする「悪意」そのもの対峙し、その真なる根源を呪い打ち勝った。勇者や街の人々、世界の姿、全てが「そう在らざるを得なかった」状況の元凶と対峙するその姿は正に「僧侶」であったといえるだろう。人の生まれし時から死ぬ時まで、自身を捧げその性と向き合い続ける生き方なのだから。そこをぶれずに描ききった筆者に敬意を表する。

また、僧侶職能である懺悔」は呪いにも似ていると感じさせられた。「懺悔」とは罪を共有しその贖罪を神に代わり見届け、罪を犯した者自身が自身を赦せるようにつきそう技だ。赦し勇者への「最初最後呪い」は「ルルーシュ二期」の最後彷彿とさせるもので、真実を唯知り、自身の存在を隠匿することで赦しをその生き様に問う。これはこれ以上ない呪いであり、清々すると同時に、僧侶の心を想うと切なかった。女戦士も、「特別な人に特別だと想われる」ことがアイデン手ティで在ったが故に、また呪いから逃れきれない。役割から逃れることが出来ない、全うすることでしか許されない呪い。「もっと痛めつけろ」というコメントを散見するが、これ以上のモノはないだろう。

魔法使いとの「約束」は、尚切ない。これは僧侶自身の「懺悔」でもある。「好きだ」という想いを伝えられなかったこと、それを伝えていればなにか変わったのかも知れないという想いが透けて、そしてそれはもう帰ることの出来ない過去である。この約束を信じ切ることが出来ないことを僧侶自身知っている。今、自分の罪を悔いて許しを請うても自分が赦されることがないことを、そしてそれでも尚、贖罪として待つことを赦してくれた僧侶の優しさを女魔法使い自身知っている。なにより、彼等は互いと自身の狡さを知っている。縋りたい気持ち、赦されたいと思う気持ちを利用していることを、全て吐露して楽になりたいという自身の弱さを知った上で見つめてくれることを。僧侶は「世界を呪う呪い」を一生抱えて生きていくために充分だと思える言葉が、愛する人が居ると信じる心を預ける場所が欲しかった。女魔法使い過去の罪を抱えそれでも生きていく為に心の拠り所が、赦される未来への希望が欲しかった。そして消せない過去の上、約束をするには遅すぎた別れの時間の中、それでも交わす約束。「愛した」が故、「愛された」が故の、「待たせる」、「待つ」という互いの心を此処に縛る呪い。そしてそこへ赦しが、互いに訪れる日が来るのか、正に神のみぞ知るところである

最後門番との会話には希望が見える。彼自身が自身を赦すための旅路にふさわしい。赦すとは愛すると言うことだ。そしてその為には愛されると言うことを信じられるようにならねばならない。彼の旅路に祝福を

2012-03-02

大人になってはいけないのか?

「こんな大人になってはいけない」を書いた増田さん、まだ読んでますか?

 

転職を繰り返し、その場その場の知恵で何とか切り抜けてきたけど、職能と呼べるものはない。

なのに、一部の人からは「できる人」とみなされてしまった。で、堕落した。

気がついたら何もない。だからたいした仕事もしていない。

http://anond.hatelabo.jp/20120122160534

 

このエントリーに反応が無かったのでそのままになっていたのですが、蒸し返させてください。

一部の人からはできる人とみなされてしまった」と書いてあるのですが、そこら辺の具体的な事情は書けますか? あるいは、似たような事情経験された方、どなたかいらっしゃいますか?

 

上司の指示命令が会社の「成果」になっている場合は、指示命令に従うことは「成果」になるので、ルール上も倫理上も問題はおこりません。

しかし、上司の指示命令が会社の「成果」にならない場合、あるいは「成果」に見えない場合は、成果に見えない仕事に対して報酬が支払われるので、「成果」を出している社員から見れば給料泥棒に“見える”でしょう。

たとえば、対立派閥の動向を探るために成果の出ない仕事をやりながら上司スパイをやらされているようなケースでは、対立派閥社員から見れば成果を出さない給料泥棒社員に見えますしかし、スパイの指示を出した上司から見ると「こいつは使える」と思われているでしょう。

窓際の机で新聞を読んでいるだけの仕事でも、その職場にいる人の言動を監視したいとか、いざという時に職場に対して組織の命令に従わせる犬がほしいと思う上司から見れば、組織の番犬の仕事も立派な仕事だという人もいます

このようなケースは「堕落」でしょうか? そんな大人になってはいけないのでしょうか? 堕落も併せ呑むのが大人だ、という考え方は受け入れられませんか?

 

社会には成果主義という言葉があって、「結果に対する報酬」という考え方がある一方で、現行労働法の「労働」の定義のように、「行動が拘束される契約に対する報酬」が「労働」として取り扱われる契約主義という考え方もあります。少なくとも日本社会の法制度はそうなっています

まり、成果があってもなくても、会社(上司)になんらかの形で行動が拘束制限され、上司の指示命令に従う契約をしていれば、法律上は、報酬が支払われる“ルール”になっているわけです。

 

職能技能のようにわかりやすい技能なら、仕事と成果の因果は誰の目にも明らかなので、給料泥棒かどうかの判別も容易いでしょう。私は、職能技能のある人を否定するつもりはないし、むしろ尊敬しています技術だけで報酬を勝ち取る職人こそが本当の仕事なのだ理想を掲げる人を、私は青臭いなどと非難するつもりはありません。「たいした仕事」ができる人は、それをすればいいと思います

しかし、仕事と成果の因果がわかりにくい仕事があることも事実です。給料泥棒と呼ぶ人もいるけれど、そう呼ばれた人がした仕事の成果が見えないだけで、結果的になんらかの役に立っている人というのは、世の中にたくさんいるとは思いませんか?

 

2012-02-25

起業における経験則10個

① 起業に最低限必要なのは、良いプロダクトでもカリスマ性でもなんでもなく資金力。

② 投資を得られることだけが起業家必須素養。それ以外は自分で身につけるより買ったり借りたりした方がコスパ良し。

③ 手元人材の「意見を戦わせる」のは時間無駄自分で吸い上げた意見ひとつ案件に構築するか、さもなくば全て部下にブン投げるべき。

④ 1つの構想が実現するまでには100程度の想定外があり、うち5%程は致死的なもの

⑤ 致死的な問題にブチ当たったときの解決策は、九割方「力技」or「コネの活用」。

⑥ 土下座をするシュチュエーションはそうそうない。正確に言えば、土下座意味を持ちえるような状況は滅多にない。

⑦ 人材能力面も重要だが、相性が何より重要。どれほど有能な人材も、雇用主と噛み合わなければ全く用を成さない。

⑧ 職能の属人化、ブラックボックス化は致死的な問題。「社内専門家」は時々モノスゴい勢いで牙をむく。

⑨ 全ての書類にはミスが起こる。担当者を責める暇があったらチェックシステムを構築しろ。

⑩ 食える時に食え、寝れるときに寝ろ。

2012-01-22

こんな大人になってはいけない

既婚40代中盤。

いまのところ収入はあるが、会社の将来は暗い。

仮に食いつないでも退職金はない。

転職を繰り返し、その場その場の知恵で何とか切り抜けてきたけど、職能と呼べるものはない。

なのに、一部の人からは「できる人」とみなされてしまった。で、堕落した。

気がついたら何もない。だからたいした仕事もしていない。

妻の収入は少なく当てにならない。

貯金はあるが、だんだん減っていくだけ。これで失業でもしたら住宅ローンが返せなくなってアウト。

いまのうちに手を打たないといけないんだけど、何もやりたいこと、向いていることがないので何もしない、できない。いろんなことをごまかしながら、内心びくびくと生きている。

子どもがいないのが唯一の幸運

何をするにもやる気がないので、どうしようもない。

もっと悲惨人生もいくつも知っているけど、こうやって崩壊する前のぼんやりとした不安の中で過ごすのも、それなりにつらいもんだよ。自業自得なんだけどね。

2012-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20120119105021

年齢による価値暴騰・暴落とかは

恋愛市場に乗った場合の話でさ

安定した穏やかな人生を送りたければそういうのから距離をとればいいんじゃねえかな

あとやっぱりそれなりに勉強して強い資格とか職能を取ること

俺は男だけどそういう人生だし、女で恋愛市場に乗れないって人のサバイバルは応援したい

2012-01-02

一生独身で行こうと思った正月

一生独身で行こうと思った2012年正月

理由は次の通り。

職場から結婚しろという同調圧力が弱まった。

年功序列給与体系を組まれていた頃は、結婚と子作りが昇進条件で未婚だと定昇しか年収が上がらなくなったが、

成果主義職能給になってからは既婚や子持ちが昇給要因から完全に排除された。

離婚タブー視されていたころは、熟年離婚もそれほど多くなかったが、

今では定年してかつ子育てが終わったとたんに、嫁から離婚を告げられた上に、慰謝料財産分与の名目で家も取られて

いきなり独り身で放り出されるリスクが非常に高くなっている。

セックス風俗ですればいいし、たまたま恋愛に陥ったら同棲だけすればいい。

結婚というシステムに乗る価値をまったく見いだせなくなった2012年正月

2011-12-18

従軍慰安婦問題をきちんとしたいのなら

日本は性文化消費先進国として『性』への態度をはっきりさせるべきなのだと思う。

■性は消費されるという問題から逃げないこと。

 性は消費されることがある、ということを正しく啓蒙すること。今までこれをなあなあにしていたから、反社会的組織下駄を預けることになったり、ポルノグラフィと非実在創作物との関係をうまく説明できなかったりしている。その結果として、望むと望まざるとに関わらず性文化提供する側に立っている人間への対応が遅れてしまっている。日本で性を消費物として扱っている企業はほぼブラック労働形態を強いられている中小企業であり、若者向け産業界萌えという言葉浸食しているという現状だ。

 きちんとした『性産業』や『性風俗』の再定義、それに従事する人間への対応が必要ではないか? 例えば日本売春婦は立派な職業である、ということを、いま制度設計する必要があるんだと思う。何故国家をあげてそのような仕事をする必要があるのか? というと、おそらく、国が認めた職業じゃないと従軍の部分が説明つかなくなるから。これをやらないから援助交際を含めた素人の無秩序な淫行が蔓延しているわけだし、暴力団収入源にもなっている。暴力団を撲滅させたところで働く場所として無秩序さが高まり、不幸になる人間が増える可能性は否定できない。そういう国としての姿勢を明らかにしないと、なんとなく『慰安婦という一方的な奴隷じゃねえ、売春婦という国が認めた職業だ』と言ったところで誰も納得しないんじゃないか

性教育から逃げないこと。

 一方で、生産の根源としての性を正しく伝えなければならない。男性性・女性性の相互理解、性科学的な観点からの正しい知識の継承啓蒙妊娠出産に対する社会の関心を高め、子育てへの理解と環境改善を促す。生きることに関わる情報子どもに対して先回りして伝わる可能性は、現代社会ではとても高い。そのような状況に対応するために、性教育についても、小学校から担任に任せるのではなく、専門教員による指導が適切であろう。最低でも助産師を担える程度の看護師保険医であることが望ましい。医者溢れ、看護学校卒業生溢れ対策、女性雇用創出にも繋がるかもしれない。非常勤教員化するのであれば、地域警察青少年課などでも働くことで、知識や経験を蓄えることが出来ると思う。収入も上がるし。

 こういう地道な努力を正しくやり続けることが、慰安という職能への理解を生み、さらには少子化抑制につながるかも知れない。慰安婦の人たちを救うのは賠償というお金ではなく、多分『あのとき慰めてくれてありがとう』という男達の言葉なのではないだろうか。

2011-08-31

差別がない社会ってよくわかんない

性差

  1. 性別問わず採用結果がすべて女性、あるいはすべて男性でも問題なし。
  2. 採用男女比が必ず5:5になるようにして、採用能力考慮するなら、各性別の上位を採用
  3. 特定の性別だけを採用

学歴編(ただし、学部新卒を対象)

  1. 学歴わず採用結果がすべてFラン、あるいはすべて東大でも問題なし。
  2. 採用校比をできるだけ平等にするように、大学別の多様性を重視した採用能力考慮するなら、各大学の上位を採用
  3. 特定の大学だけに求人を出して、そこから採用
  4. 大学レベルに応じて重み付けをし、高学歴をより多く採用し、低学歴をより少なく採用する。

専攻編

  1. 文理問わず採用結果がすべて文系、すべて理系、あるいはすべて芸術系、体育会系でも問題なし。
  2. 採用比が各系列平等になるように採用
  3. 特定の専攻のみを採用職能的に文系が出来る仕事でも、理系のみを採用しても問題はないか

年齢編

  1. 年齢問わず採用結果がすべて18歳、あるいはすべて64歳でも問題なし。
  2. 採用年齢比が限りなく平等になるようにする。能力考慮するなら、年齢別に上位を採用
  3. 特定年齢だけを採用

追記:学歴編に4:を追加。

2011-07-20

東電を潰せば東京人が喜び福島人が泣くということ

政府内はともかくとして、"世間"的には東電は潰すべきという威勢の良い主張が多数を占めているようだ。

そういう主張をする人は、東電を潰すのが原発被害者にとって不利益であることを知らずに主張しているのか、それとも知った上で己の利益のために主張しているのか、どちらなのか気になる。が、前者であることを多少なりとも期待して、説明しておく。

 

世間一般で東電を潰す、つまり倒産破産or民事再生or会社更生)させるべきだ、との主張は、潰して現有資産を売却することで賠償の原資を確保すべきだ、との理由によるようだ。

しか倒産処理は、資産現金化だけではなく、債務の減免を伴うということが、何故か無視されている。倒産主張者は「債権者にも負担を求めるべきだ」と言うが、今回の被害者もその「債権者」に他ならないことを、何故か無視している。

まず破産場合債権届出期間内に届け出なかった債権者配当を受けられない。破産手続きが終われば会社が消滅するから債務を負うものがいなくなるから、請求できなくなる。

民事再生または会社更生の場合債権届出期間内に届け出なかった債権者は、債権の内容を、再生計画・更生計画の定めに従って変更せられる。つまり債権額が一定割合に縮減される。

今回の原発事故に起因する損害は、今後数十年にわたり発生し続ける。例えば今年生まれた新生児が30年後に産む奇形児についても(少なくとも理論的には)賠償の対象となる。

しかしこうした遅れて現れる被害者は、債権届出期間内に届けることは出来ない。

それゆえ東電を潰した場合、被害賠償は不完全なものとなる。

なお朝日新聞社説なんかは、倒産処理により賠償を受けられなくなる被害者には国が補償をすれば良いとする。しかし、東電の負う不法行為責任と違い、この「補償」とやらは国にとって義務的なものではない、いわゆる「見舞金」に過ぎない。この財政難の折に、賠償と同じだけの見舞いを、国民が容認するとは考えがたい。「原発を誘致した福島土人にも責任がある」というわけだ。

またとある有識者」は原発被害については債権届出期間を延長する特例を設けて対処すれば良いとする。しかし、かかる特例の法的問題をクリアしても、次なる問題として、債権届出期間が継続している限り倒産処理は終結せず、それゆえ東電裁判所監督下に置かれ続けることになる。国民でも国会でも行政でもない、裁判所である裁判所はその職能からして現状維持的な経営しか行えないが、それを30年続けるのは異常かつ危険だ。

30年後に産まれる奇形児を救済するには、東電は潰れていないほうが良い。チッソ社の存続が水俣病患者を助けるように。

 

倒産主張者はこういう。「そうは言っても債務超過で賠償できないじゃないか。」

なるほど短期的に見れば東電現金は賠償に不足するだろう。

しかしそれなら借金すれば良いのだ。

東電は必需品の独占が約束された企業であり、それ故に継続企業価値無限大だ。したがって時間をかければいかなる借金も返済できる(だからこそ東電社債は安全とされてきた)。

このように確実に返済できる以上、国が貸し手になることもできる。税金を投入しても、最終的に国の財政にとってプラスになる。国民負担ゼロだ。

 

では何故、借金による賠償が"世間"の評判が悪いか

それは、東電借金の返済のために電力料金を上げると考えられるからだ。

関東人はこれを「国民負担」と呼ぶ。しか現実には関東負担だ。関東人は日本人の1/3を占めるため、彼らの不満があたかも"世間"の不満であるかのごとく扱われる。

 

この関東負担を免れる論法の一つとして、倒産とともにまたは倒産に代えて、発送電分離提唱される。値上げした東電から電気を買いたくないというわけだ。関東人大喜びである

しか発送電分離を行えば東電の独占が崩れ、しかも賠償金負担によって競争上不利な地位に立つから、遠から東電倒産破産)することになる。そうなれば上に述べたように、被害者が泣きをみることになる。

原発による被害の賠償は普通会社には荷が重い。これは「補償」(賠償ではない)を国がすべきだという主張者がしばしば言うところである国民全員の負担にすれば関東人の負担希釈される。関東人大喜びである

しかし、幸いにも東電普通会社ではないから賠償が可能なのだ。だというのに、現に賠償責任が生じた段になって市場競争に晒される普通会社にしようというのは、被害賠償軽視に他ならない。

ついでにもう一つの論法として、原発保有電力会社に分担させよ、というものがある。しかし各電力会社負担はその地域の電力料金やサービスを通じて各地域の住民の負担となる。つまり負担を全国に肩代わりさせることが出来るというわけだ。関東人大喜びである

 

まとめよう。

世間ウケの良い一見東電に厳しい案は総じて、関東負担を減らし、被害者負担にするかまたは国民全体に希釈しようとするものである

現に被害が発生してしまった以上、被害者が泣くか、東電(ひいては関東人)が負担するか、国民全体に帰責するかのいずれかとなる。

しかるに東電は(東北電力のように高台に原発を作る等の)安全確保のためのコストケチってきた。

今そうして回避努力を怠ったリスク現在化した以上、そのコストは全面的に東電が負うべきである

そしてそのコストが電力料金に反映されようとも、それまでリスク回避費用を免れた電力料金を享受してきた以上、やむを得ないものというべきである

2011-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20110518154103

・「いくらでも」というのは基本的に「限界考慮する必要が生じない程度に、まるで無限であるかのように」って意味合いで使われる言葉なんであって、

 そこに「いや有限だ」って突っ込むのは、中学生レベル揚げ足取りだろう

いや、そんなことはない。

そもそも人材が潤沢にあるかどうかなんてのは職能水準の高さやその業界貢献する人間の数によって異なる。

「いくらでも」というのはそういった細部を徹底的に無視した、「すべての人間はすべての人間代替しうる」という超弩級の暴論。

これこそ中学生レベルの話。

・「自分でやる」ってのがどういう意味なのかよく分からないけど、「嫌ならやめろ、俺が代わりにやる」って人はいるだろうし、

 もちろん「俺は嫌なら辞める」って人もいるだろう

 「嫌だけどやめられない」というのは弱者の振る舞いであって、それを批判するのが強者の主張だというのは当然のこと

そういえばこれ見て思ったんだけど「嫌ならやめろ、代わりは俺がやる」って後に、「嫌になったけど代わりが弱者ばっかりだからやめられない」っていうケースは十分考えられるわけだ。思えばこの弱者強者というのはわれながら恣意的に過ぎる運用だったようで。

2011-04-30

頭の良さの指標

  1. ものをゼロから創りだす人(創造者)
  2. ものをゼロでなくても作れるように改良する人(製造者)
  3. ゼロから創りだされたものを掛けあわせて新規性を打ち出す人(捏造者)
  4. それらを自分流に真似したりして、間接的におこぼれをもらう人(寄生者)
  5. それらを書かれたとおりに真似して、直接的におこぼれをもらう人(模倣者)
  6. 何も生み出さず口だけの人、また口だけほどしか生み出すことのない人(批判者)
  7. 何も生み出さず、ただ右から左へものを横流しにする人(横領者)
  8. 何も生み出さず、喋る頭もなく、受け取るだけの人(受益者)


多くの人間はこれらが重ねあわせて存在するが、年令を重ねるにつれて上に上がることは難しくなる。つまり、製造者でありながら受益者となることもあるが、主に受益者に甘んじる人が製造者になれることは少ない。

日本では横流しにするだけの仕事が高付加価値を生み出す稀有な例が多く見られるゆえ、これに当てはまらないこともある。

情報が多様化することでこれらを整理して見やすくする<分解者>の存在が一時期貴重化されたが、その職能は個人に分配されたためそれを生業にする人はいずれ受益者寄りとなる。

2011-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20110319184637

数万人単位労働力が必要になりました

では、求職者はそれにマッチしている職能を備えているでしょうか?

漁業農業はいどうぞと提供できるわけじゃありませんね。

土地持ってる人が死んじゃ技術伝承などできませんね。

というわけで、この犠牲で生まれた雇用経済はそのまま喪失しつづけると見たほうがまとも。

で、それを見ながら狭い頭脳労働の枠を巡るわけですね。職業選択の自由バンザイ

ちなみに僕は体力も筋力もなく運動音痴でそういう仕事は適性ないので他の人にやらせてください。

2011-01-17

タイガーマスクよりプロボノを。

仮面の模倣者たちより、プロボノを行う人たちをもっと評価して欲しい

なにやらランドセルとかを不法に投棄するのが流行っているようなのでこのチャンスに乗じてプロボノを紹介しようと思う。

そしてこの増田エントリプロボノを知る機会になってくれたらと思って書く。きっと最も良い奉仕の行動であるから

ボランティアというと奉仕活動で困っている人や相対的に苦しい立場の人のために無償で行動すること。ってみんな理解していると思う。

ボランティアには2つの側面がある。

奉仕している人の受益

1.自分が良いことをしている事を実感する。

2.人に喜んでもらう充実感

3.体を動かした仕事をすることそのものの満足感

奉仕される側の受益

1.しにくいこと、出来ないことを助けてもらう。

2.直接的に利益を得る。

この側面が合致することが条件でボランティアは成り立っている。

どちらかが欠落してもそれはボランティアはない。

プロボノとは、自分職能を使って「直接被支援者を助けること」を言います。(語弊があったら指摘下さい)

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普通ボランティアと聞くと、困っている人のために行う雑用みたいなもの。というイメージはありませんか。

私もなんとなくそんなイメージした

・ドブさらい

ゴミひろい

草刈り

・清掃

・要介護者への支援

など、など。

ボランティア奉仕する人の満足感が大切です

本来「困っている人を助ける。」というボランティア大義名分を合理的に果たす方法を考えてみてください。

最も自分が相対的に高いスキルを持つ「仕事」をこなし、得た給与を配分することにほかなりません。

自分価値を最大化し、それを提供することです

価値の最大化の例

・大手商社に勤めるAさんは1時間あたり5000円の給与をもらっています。

・町の美化活動委員会は、先日の大雨で詰まった自然公園排水溝を掃除するボランティアを募集しています。

Aさんが半日かけて慣れない手つきで掃除を手伝うことはとても素晴らしいことです。まさにボランティアです

「1.自分が良いことをしている事を実感」し「2.人に喜んでもらう充実感」を得て、「3.体を動かした仕事をすることそのものの満足感」もあります

しかし合理的に考えたらAさんは半日休日出勤して仕事をこなし、そのお金で清掃専門業者を5倍ぐらい雇うことができます。((※大手商社給与が高く、清掃業者への報酬が安いという偏見!という批判は命題ではありませんので割愛させて下さい。))

清掃専門業者に支払う代金を1時間あたり1000円だとしましょう。

5,000円*半日(4時間)=20,000円 == 1,000円*5人*半日(4時間)

さらに、普段運動不足のAさんとそれを生業にしている清掃専門の作業者では効率も倍近く違うかもしれません。

ということは10倍もの価値損失がおきていますね。

大抵の社会人自分が相対的に最も秀でている技術能力を使って生活費(現金)を得ています。それが最も『効率が良い』からです

つまり、Aさんはボランティアなんかに参加せず、休日仕事がある!と言って金だけ出したほうが町の美化委員会にとって何倍も助かる。という事になります

でも、なにか違うと思いませんか。

ボランティアにあるべき奉仕する側の受益がないのです

それどころか、なにか良いことをしたかったはずなのに休日出勤までして金をむしり取られた気持ちです

あるいは、煩わしいからと金だけだして知らんぷりの「嫌味な金持ち」という感じさえします。

ここが募金ボランティアの違いです。

募金より提供した側の満足感が大きいのがボランティアです

つまり、「純粋奉仕される側の事」を考えたら、本来最も良い方法はお金提供する事。なんですね。

ところが、実はもっと良い方法があります。それがプロボノです

プロボノというのは「自らの職能をもって相手を直接支援する事」です

SEが孤児院のホームページを構築してあげる。

弁護士が無償で弁護すること。((※士のつく職業は実は法律的にややこしい制限もあったりします。))

大工さんが棚や机を作ってあげる

何か違う。とお考えの人もいるでしょうか。

仕事仕事であって、ボランティアはない。とか。私も初見ではそう感じました

でも、もう一度思い出して欲しいです

奉仕している人の受益

1.自分が良いことをしている事を実感する。

2.人に喜んでもらう充実感

3.体を動かした仕事をすることそのものの満足感

奉仕される側の受益

1.しにくいこと、出来ないことを助けてもらう。

2.直接的に利益を得る。

この両方の利益を最大化するのがプロボノです

職能が直接的に相手に供される。というのは仕事で稼いで現金提供するよりももっと効率的なのです

会社で業務として行う仕事とは違い「会社利益」や管理工数等として搾取される手数料のようなものも発生しません。

自分したことが「直接相手の利益」になります

ということは、それだけ相手にも「より喜んでもらえる」のです

プロボノという働き方

http://www.shibuya-univ.net/class/detail.php?id=608

http://gkmyhn.blog106.fc2.com/blog-entry-28.html

プロボノは自分仕事スキルをフルに活かしたり、普段仕事にはあまり直接結びついてない自分の得意分野を存分に発揮して生き生きと成果を出せることにあります

普段商社デスクワークをこなすAさんにとって「排水溝の掃除」は得意分野ではありません。不慣れな場所に足を運び、持ち慣れないスコップで泥をさらう作業をすることは心細いものです

まして、気心の知れた人ばかりがまわりにいるとは限りません。

でもプロボノは日ごろ仕事で培った技術や知識をフルに披露することがそのまま社会貢献につながる、という魅力があります

そして、そこで得た経験がさらに自分仕事の幅や経験や知識になっていきます

仕事を続け、両立しながら空いた時間を使って自分経験や満足感を得ることができる社会的な活動なのです

Aさんがすべきプロボノは例えば「商社で培った人脈を生かし、公園自然保護活動に積極的な近隣の団体に声かけをする」だとか「企業広報活動の一環として組織的に手伝ってくれそうな法人や団体を探す」等だと思います。

その上で自分も手があいていたらスコップを持てばよいのです。疲れていたら寝ててもいいと思います。十分貢献したですから

プロボノ最大の問題点は「職能と助けてもらう人のマッチング」にあると思います。

私の夢はそのマッチングを行う仕事をすることです

http://servicegrant.or.jp/

2010-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20101103180806

簡単に言えば、起業していた期間はサラリーマンにとって多くの場合キャリアにならないってこと。

大手企業のような場所に勤めるサラリーマン比較的余剰資金を貯めやすく、信用や知識を得やすい側面があるけれど、

一度3年ほどもキャリアに穴を開けてしまうと再就職は非常に難しい。

多くのサラリーマンは一度起業するなら、自分がそれまで積み上げて来たキャリアを残らず捨てる覚悟がいる。

まぁ、IT系みたいな技術職や個人の職能に根ざした起業ならそうでもないかもしれないけれど。

儲けの仕組みが思い浮かんでトライするような起業だと、ほぼそれまでの全てを捨てることになる。

だからサラリーマン起業しないし、出来ない。

まぁ、日本雇用流動性のなさが問題って話でもある。

リスクってのは基本的に失うことだけれど、既にいろんな面で多くを持っているサラリーマンにとっては

お金を失ったり借金を背負ったりすること以上に、サラリーマン立場を失うことがリスクなんだよね。

2010-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20101011021147

いや、というか。

お仕事とか大学における英語ってのは所詮ツールに過ぎないわけで。

お互いの意思と意味が的確に通じて、かつそれが内容として評価されればぶっちゃけなんでもいいんですよ。

我々はお互いの専門分野をとりあえず英語というツールを媒介に交換・伝達しているわけで、

言うなればエスペラント語がないからしょーがねえなと思いながら英語使ってるわけで。

だから、誤読がおきなきゃなんでもいいし別に誰も笑わない。

だってそこは便宜的に「じゃあ英語で」ってエリアなんだもの。

それよりは中身が超大事で、それさえ良いものならぶっちゃけなんでもいい。

だから、語るべきツールを得るのは職能の分野であってアカデミズムの分野じゃないのね。

国際教養大学大学という名には値しないと個人的には思うな、もちろんこれは定義の問題だから汎用性に乏しいけども。

大学選びのコツについて。

http://anond.hatelabo.jp/20101010195957

を読んで考えたことをつらつらと。

この増田はそもそも大学選びに失敗してる気がする。

俺が思うに、大学には二種類ある。もちろんこれは超テキトーな分類で全般に通じるかはわからないが。

俺は某旧帝の教育学部中退して早稲田に入りなおしたんだけど、この二つの間にはモノスゴイ違いがあった。

前者は、カリキュラムが入学時点でほぼ確定してる。何の免許を取るか、くらいしか多様性がない。ある意味職能的な大学だった。

俺はそれが非常にクソつまらなく感じてあっという間に中退してしまったんだけど。

逆に言えば、こういう大学はブレがない。卒業生はある程度の能力キッチリ叩き込まれる。

その上国立教育学部場合実習がほぼ強制で入ってくる。(私立の場合は任意のところが多いはず)だからその部分に関しては手抜きが出来ない。授業の選択肢もぶっちゃ言って「第二言語を何にするか」くらいしか選択肢がない。まぁ、教育学部なんだから当然なんだが。自然、全員の持つ大学学問への意識が統一される。元増田はこういう環境に身をおくべきだったんだろう。

その点、マンモス私大というのは超フリーダムだ。

ほとんど何の縛りもない。早稲田場合(除く理工)四年間超適当単位を取ってクソみたいな卒論を書いても卒業は出来る。

学内で同じ専攻でもやってることは全く違ったりもする。学部レベルではやってることに全く統一感がない。

授業は本当に何をとってもいい。だから楽勝授業ばっかり選んでると自分が何をしてるのかあっという間に見失う。

ある意味モラトリアムダメ人間育成所と言ってもいい。意識が低いと自然にそうなる。

だから、早稲田名物ダメ学生が大量発生する。「日大と大差ない」というのは嘘でもなんでもなく、ホントに大差ない。

入学時の学力なんか大学三年目でドロドロに腐っている。推薦組もアホほどいるし。

だから、ダメ学生の群れの中で自分のやりたいことを探して実行していける自信があるヤツはマンモス大学に行けばいい。

その逆はカリキュラムのカッチリ固まった大学に行けばいい。

元増田は前者がダメ後者が良いと言う。俺は全く逆で、後者絶望して退学してる。

この二つをしっかり見極めて選ぶことは、実は物凄く大事なんじゃないかとふと考えた。自分職能を持った人間になりたいのか、それとも良い環境の中で学問をやりたいのか。この二つはホントにしっかり見極めないと入学金をムダにする。俺はムダにした。

あともう一つ。

小さめの大学意識が周囲と違うっていうのはマジでやばい。小さい大学の小さいコミュニティマジで多様性を許容しない。

逆に、大きい大学の大きいコミュニティは多様性の塊で、自分を見失うヤツが後を絶たない。とことん腐っていくやつが多い。

この二つのメリットデメリットをしっかり見極めて大学に入ったほうがいいと真剣に思う。マジで

2010-09-05

どうしたものか

簡単に言ってジレンマである。

正直、転職可能な年齢ではないので、現職にとどまらざるを得ない。幸いにして業績は悪くないので雇用は確保されている。

が、以前に休職し、職能的にもキャリア的にも断絶期間があるため、同期の中では給料は安い方である。

この世の中、給料がもらえるだけでもありがたいのかもしれないが、色々な収支を考えると給料を上げないと破綻することがわかった。

従って、休職して以降自分でこなせない仕事量は決して引き受けない方針できたのを、転換した。

基本的に、仕事は受ける。どう考えても今の手持ちの仕事の上にその仕事はできないのはわかってるが、受ける。

もちろんできるだけそれらが終わるように努力するが、時間は有限なので所詮単位時間内にできる仕事は同一である。

ところが、驚くべきことに同じだけしか仕事が終わらなくても引き受けた方が評価が高いのだ。

俺が引き受けなくて他の誰かにアサインされていれば、その仕事が終わっていたと誰が見ても明らかで、組織全体からすると生産性が落ちているのにもかかわらず、である。この現象は弊社の当部門だけだと思いたい。

ところが。

仕事量を調整して余裕を持って仕事をしているときと、あれもこれもとがんばりながら、結果として仕事がこなせてないときとでは、完成する仕事の量は同一でありながら、俺の精神的負担が大違いなのだ。

そもそも、なぜ休職したのかと言えば、仕事がきちんと終わらないと気が済まない、頼まれたら何とかして助けたい、と言う思いが強くて、深夜まで残業して休日も出勤して仕事をして、精神的にも体力的にもぎりぎりで仕事を何とかこなしていたあの頃。本当に微妙バランスで生きていたそのときに、他人が失敗した到底実現不可能な納期の仕事を押しつけられて、色々なものの限界を越えたからである。

従って、この「仕事が常に終わらない状態」がじりじりと精神をむしばんでいく、というのはあのときの再来を感じさせるという意味でも、さらに精神的負担が高い……。

もっとも、今は休日は基本的にはきちんと取るし、残業も月あたり標準時間を40時間超えるぐらいしかしてはいないので、体力的なつらさには陥らないようにしてはいるが、さすがに。

まあね、仕事を引き受けるだけで評価されるのは、とりもなおさず「他の人ができるだけ仕事を引き受けないスタンス仕事してるから」に過ぎないので、便利屋になってつぶされるというパラダイムから未だに抜け出せてないと思うと、ぞっとするわけですよ。

まあ、とはいえ、お金も欲しいので、適度にがんばるしかねーよなー、ぶっ倒れないように。

2010-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20100811143716

被雇用者権利」を一生懸命守った社会が生み出したものが、派遣労働という歪み。

正規雇用人間が、自分の安全を守りつつ、他者に不利益押し付けたものだ。

あなたの言う不利が、「何に対して」の不利なのかによって話が変わりそうだが、少なくとも生活保護などの機構は今でも機能している。

そこに対して、再出発のハードルを下げるのが、「流動性」の効用

当然、自身の雇用者としての「安定性」は下がる。

そこを補うのは、本来職能であるべきだったのだけれど、日本では規制により実現してしまった。

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