はてなキーワード: 職能とは
ずっと言っているけれど、「それはそれで」良いんじゃないんですか?
職能といった限られたリソースに商売が縛られるべきではないと「あなたが」思うのは自由ですしね。
でも、それと同じく、そうした職能で商売したいと思う人も、世の中には沢山居るでしょう。
そうした人に、各論を無視して一般論を言うのですよね。
あなたのしようとしていることは効率の良い商売ではありません。
かなり博打要素が強く、邪道とも呼べるものです。
とか。
ちなみに、こうした考えで行くと、世の中の人はみんな、出来うる限り不動産商売「など」を目指すべきで、
そうできなかった人が、「仕方無しに」そうした「リスクの多い低級な」商売を選択するようになるのですかね?
女の価値…と言っただけでキレる人がいそうだがキレさせておけばいい
ビジネス誌なんかに書いてある「自分価値を高めよう」みたいな価値だと思いねえ
婚活だのなんだのと
A・いい歳まで働き仕事で自己実現、そののち職能生かして共稼ぎ妻
B・若くて可愛いうちにさっさと嫁になって甲斐甲斐しい専業主婦
女は大変だと言われるけど選択肢がAしかない男に比べたらもう一個あるとこは自由度高いよね
…で本題なんですけどね
そろそろ度を越してきたんですよ
なんか最近「もう仕事疲れたから専業主婦になりたい」とか言い出しちゃってんの
でもあんたAルートじゃん、Aルートを選んじゃったじゃんと言いたい
言いたいってか問い詰めたい
面倒くさいから言わないけどね
あんた今年32じゃん
給料俺と同程度取ってるじゃん
今更その長所全捨てしてBルートに参戦するなんて気が狂ってるじゃん
って言いたい
面倒くさいから言わないけどね
誰かの不合理性を見つけ出して指摘することに人一倍意欲旺盛な彼女が
なんで自分の結婚のことだとああも破綻しきった混沌発言をするのだろう
「それstrategy的に何点なんですかー」
って突っ込みたい
面倒くさいから言わないけどね
まあ多いと言っても週4ぐらいの頻度なんだけどさ
積み重なると本当こっちも神経やられてくるの
※ ここで言うプログラマは日本的な意味でのプログラマ。広い範囲を職能とする海外のプログラマは対象にしていない。
どうもプログラマという職業の評価というのは曖昧だ。営業マンのようにうまいこと数字で表せない。ロジカルな世界であるはずのプログラマという職業は、評価において非常にアナログだ。
何によって評価されているのか?ということがわからないと、人は迷走してしまう。
ゴールドマンサックスのリーダー養成担当であったスティーブ・カーという人が、「仕事に対するフィードバックが無いのはピンの見えないレーンでボーリングをやるようなものだ。結果を把握しないで仕事をしていると2つのことが起こる。1つには上達しない。もう一つに、どうでもよくなる。」と言ったそうだ。深い。
コーディング能力や言語の知識だけで評価されないどころか、その評価軸は半分以下であることは言うまでもないが、私の同僚の中でも有数のキレモノは、この解いに対して、「最も大切なのは、勤怠と週報ですよ」と断言した。さすがキレモノw
せっかくなので、派閥でまとめてみよう。
この派閥はイキオイがあるし、だいたいこの派閥の人はイケメンだったりカワイコちゃんだったり、話が面白かったりするので、周囲としても軽々には扱えない。がしかし残念ながらあまり周囲の評価は受けていないようだ。多分周囲の嫉妬を買う部分も多いのだろう。ただ、この派閥にいる人が一番迷走している傾向が強い印象を受ける。
少数派なんだけど確実にいる。コミュ派とは敵対関係。彼らに迷いは無い。もし周囲が彼を評価しなかったとしたら、それは彼の実力を正しく評価できない周囲が悪いのだ。
この仕事しててあまり学歴の事を問題にされることが無かったので、絶滅したものと思っていたが、存在するようだ。学歴と「地頭の良さ」みたいなものがリンクするという考えのようだ。マクロ的には相関があるかもしれないが、個人個人の揺れ幅が大きすぎていまいちピンとこない。学歴そのものをお客さんが評価するとは思えないので、学歴のあるヤツは何でもうまいことやるだろうという信仰に基づく意見だと思われる。
少数派である。新人は平気でこれを言うかもしれないが、むしろ大勢は、「成果で評価されたらたまらんわ」くらいの勢いがある。案件の当たり外れが大きすぎるのが問題だ。新人でも無く、経験年数10年以上になってもこれをちゃんと言ってる人と言うのは、そもそもハズレ案件を自分に持ってこない政治力を持っている。ただまあ、質問に対する応えにはなってない気はする。「実力だよ」って回答するのと大差はない。
あまり何言ってるのか主張がよくわからない場合が多いが、とにかく才能であると、なんだかよくわからないが才能であると。コミック「THE3名様」のミッキーみたいな感じの派閥。(読んでない人すみません)
文句のひとつも言わず、残業はサービス残業でモクモクとやる派。仕事を頼みやすいので、お客さんもどんどん彼に中途半端な仕事を投げてくる。結局のところこの派閥が頭角を顕して行く・・・のか?
そうそう。そういう話なら納得性あるんだよね。
人間だから失敗はする。失敗を許すことができるのもまた人間だが。
失敗しても取り返しがつくようなレベルであれば、許す事で成長を促すという手段を使える。そのような環境は、未成年とか、成人でも下っ端従業員や陣笠代議士の間であり、まかり間違っても、幹部や大臣といった、それなりの地位になってしまったら、失敗を取り繕う側であり、失敗を許す側であって、許される側ではないとなる。
そういう地位にある者が失敗したら、面目を失したとして蟄居謹慎し、復帰の際には、その人の能力で勤まるであろう格下の地位で、失敗を許す側が居ない程に高い地位にある者ならば、切腹してケジメをつけるというのが筋であるのだが、このような進退をやれる人間は、めったに居ない。また、そのようなゆとりのある企業等の民間組織も、もはや日本には存在しないと言って良いだろう。
そういったゆとりある組織は、行政と政党だけになってしまったようである。
行政においては、一度上がった給与を引き下げることは出来ないから、自主返納で済ませ、返納の期間が終わったら、給与の額に相当する仕事をしてもらわなければならないから、それほど難しくは無いが肩書きと給与だけは高いという仕事を作り、移動させるという事をやる。すると、無意味なポストが増え、人員が増加し、さらに、仕事は楽で給与は高い方が良いという心根が広がり、組織が腐り始める。行き着く先は、失敗を揉み消し、かばいあう事が常態となる。そのような組織では、無能は罪ではなくなる。むしろ、無能がたくさん居る事が、自分の地位を安定させるとなり、より、無能な人を増やそうというインセンティブが働く事になる。
建前として、失敗をした人には懲戒や解雇といった処分が下されるが、それらの処分は下っ端だけに課せられ、幹部は、失敗を許す側になる。下っ端は、休まず遅れず働かずの三ず主義になり、ありとあらゆる手段をつかって責任を回避し、書類を作るだけしかしなくなる。それらを無理やり働かそうとするならば、待遇を良くし、おだてて働かせるという手段しかなくなっていく。職階や俸給の階級を増やし、出世や昇給という飴玉で釣らなければならなくなる。
一時期民間で流行った職能給という制度は、職能が上がらなければ賃金も上がらないという制度で、利益を上げない仕事は、幾らやっても賃金の上昇には繋がらないという結果を招いた。現場の技能での昇給は頭打ちになり、経営職だけが青天井の職能給を手に入れられるという制度となり、現場軽視を招いた。職能を持つ現場の人々は、自分達の能力が正当に評価され、宣伝やマーケティングといった利益に貢献しない後方部門との格差が更正されると期待したが、その期待は、真っ先に裏切られたのである。
現在では、職能給という制度は成果給という制度に変わっているが、本質は変わっていない。職能給では職能を認定する人が、一番高い職能を持つとされ、管理職の高給だけが正当化された。それに対し、成果給は、成果が評価の対象であり、成果を認定する人の能力とは関係ないとされたが、実際には、管理職が成果に対する報奨の大部分を取っていき、現場には雀の涙という結果にしかならなかった。現場で働く人々には、都市近郊の工場を潰して土地を売って利益を上げる時に、リストラの対象となるか、地方の工業団地や海外工場の管理職になるかという選択肢が与えられたが、地方の工業団地でも海外の工場でも、派遣や請け負いの労働者だけが部下となり、工場の現場で伝わってきた徒弟制度に近い技能の継承は断ち切られている。
失敗が許されるのは、その失敗をフォローできた時に、フォローした人が、もう一度チャンスを与えようという事で失敗した人を許すのである。日本の工業がぼろぼろになっている失敗は、フォローできていない。家族制度や雇用が不安定になっているのも、フォローできていない。失敗の原因となった変化は、変化に対応する補完的制度改革とセットになっていた筈なのに、一方だけが実行され、制度的補完がなされない為に、失敗という結果になっているとも言える。有権者の、結果的には失敗になってしまっている片手落ちの改革をさんざん行ってきた"古い自民党"をぶっ壊して欲しいという一票を投じても、その願いは通じなかった。通じなかったどころか、麻生内閣は財政赤字を増加させた小渕内閣時代にまで逆戻りしてしまっている。民意を汲めないならば、民意を汲めない人々を外さなければならない。
麻生首相は、自民党と公明党が過半数をとったら続投すると言ったらしい。民主党が自爆敗退しそうなので、自民と公明で過半数というのは実現するかもしれないが、議員を落選していれば首相にはなれない。民間人の首相就任は、さすがにありえない。福岡8区の376382人だけが、事実上の首相公選権を行使できるというのは、現状の制度の問題点の一つであろう。
っぽいのでちょっと書きたくなった。
えーと、そういうのは既に通り過ぎてようよ。つうか細田監督ももうそこは通り過ぎてるよ。
そりゃみんな苦手だよ。得意な人なんかいねーだろ。ましてやヤクザな商売の典型みたいなアニメ屋なんぞになろうって人ならなおさらそれは分かってるだろ。だから一番若い嫁をこき使ったりして必死にバランスをとって、安易な家族礼賛=ナショナリズムの回路や「家族の崩壊と再生」みたいな願望含みのお涙頂戴を回避してんじゃん。
だから社会人になって冷静に考えてさ、
「アレ? うちのクソ親父って実は大した仕事してるんじゃね?」
「あのエロ叔父さんって、そんなことしてるの?」
っていう感覚、あるでしょ。そういう違和感がこの映画のコアにあると思う。ズブズブの愛憎をちょいと離れてクランをクランとして対象化して見たときの、絶妙のバランスというかキャラ立ちぶりのおもしろさ。じっさい細田監督はついこないだ結婚したわけだけど、そのことで広がった親族のおもしろさに気付いた、ってタマフルで言ってた。リアルを振り返っても、機能するからこそ法事だ結婚だと何かと理由をこじつけてはメンテしてるんだ。
バランス。たとえばあの映画は、10代は才能で勝負し、20代〜30代はプロフェッショナリズムというか職能で勝負、40代以上はため込んだ資産で勝負、という構図があって。一見いちばん表舞台で活躍した3人も、一人で万能のHEROじゃなくて、それぞれの世代からの贈与があってはじめて成立してる。こちとらNO MORE HEROESよクソッタレ。
っていうかさ。そういう疎外された人にしか感情移入できないなら、もっと侘介に感情移入しろよ。カズマは単にハザマの世代で同年代の親戚が少なくて一人遊びしてるだけで、べつに疎外されてない。「東大出てるリア充だし……」とか言いたいの?
あとなんか細田監督史抜きでこの映画を初めて見る非オタク向け映画評としては、自分が書くよりウィークエンドシャッフル宇多丸細田対談が決定版な気がしてきたので起こし中。ただ自分の起こし性能の悪さを忘れていて泣きそう。できたら増田にUpします。
なんかはてな界隈のSI業界話に強い既視感があったので掘り出してみる
Edsger W. Dijkstra, 1972 Turing Award Lecture, http://awards.acm.org/images/awards/140/articles/4860551.pdf
Nowadays one often encounters the opinion that in the sixties programming has been an overpaid profession, and that in the coming years programmer salaries may be expected to go down. Usually this opinion is expressed in connection with the recession, but it could be a symptom of something different and quite healthy, viz. that perhaps the programmers of the past decade have not done so good a job as they should have done.
1960年代にはプログラミングは好待遇すぎる職能だった、今後はプログラマの給与は下がると思われる、という意見を最近よく耳にします。景気後退に伴ってこういう意見が出てくるのはいつものことですが、同時にこれはもっと別の、まったく健全な何かの兆候でもあると思います。即ち、おそらく1960年代のプログラマは本来やっていてしかるべき水準の仕事をしてこなかったのです。
違うだろ。必要な人間かどうかじゃなくて必要不可欠かどうかを聞いてるんだろ。
なに生意気言ってんだwwwっておれだって思うよ。
日本の会社がどうとかじゃなくて問題は弟さんがいろいろこじらせて職能と己の存在意義をごっちゃにしてたとこだろ。
いじめるったって「ナマいいやがってwwwおまえがいなくったってこまりゃしねえよバーカwww」程度の愛のあるものだったんじゃねえの。
わかんねーけど。
しかしさ、思春期に他者評価から自己評価への切り替えをうまくできなかった類の人は、「人の役に立つことでしか生きている価値がない、そうでなきゃいけない」と思い込みがちで、そんな風に思っちゃったらもう地獄しか残ってないんだ。
友達に死なれたりとか、ある種の呪いを掛けられてるしね。大変な苦悩だったと思う。
でもな、SOSのサインなんて発してるほうは必死でも、そうそう気づけるこっちゃないし、気づけば救えたのかっていうのもまた別の話だよ。
労働者は団結すべき、に基本的に賛同します。
現状、労働者の立場がどう推移しようとしているのかということについて考えたとき、
長きにわたる自動化の成果により、社会を回すためだけに本当に必要な労働力は減っていて、
さらに、新規に技術開発していく旨味も少なくなっていることから経済発展という動機からの労働力需要も少なくなっていることも手伝って、
金融危機の影響を差し引いても、全世界的に労働力需要は減っている可能性が高いと思われます。
その中で労働者というものの立場を壊滅的に悪化させないためには、団結し、発言力を持つことが重要でしょう。
従来から、労働組合というものはある訳ですが、元エントリで指摘されているような専従職員の問題のみならず、企業単位で分断されているうえ勤務形態の異なる労働者が互いに連携できないといった問題もあり、今の時代に求められる労働者代表という役割を果たせる組織にはなっていません。基本的には所属企業や勤務形態に拘らない職能ギルド的な組織で労働者の利益を守る組織が必要だと思います。例としては極端ですがアクチュアリー団体などはうまくやっていると思います。
労働者の待遇を良くすれば、国際競争力が低下して云々という逃げ口上もよく耳にしますが、そもそも情勢が変わるたびに相対的に低下していった労働分配の程度を引き上げる為にこそ、労働者は発言力を強める必要に迫られているのであり、同等の輸出時単価をキープしたと仮定した場合の労働者の取り分の増加を基本の主張として団結するべきでしょう。
仮にも国民主権を謳う憲法を持った国にあって、従前の利権を作り上げた連中はうまくやったものだと他人事ながら感心しますが、彼らの勢力が相対的に弱まる結果によってのみ労働者という層が立場を維持できる時代になっている以上、労働者は声を上げ、交渉をきちんとするべきだと思います。
以上です。
拙い筆致を乗り越えてここまで読んで下さった方、感謝です。
アメリカは基本的に年俸契約で、それを12分割して毎月もらうとか、24分割して月2回づつもらうみたいな感じ。「bonus」というのはある時もあるけど、完全に業績連動、つまり自分のプロジェクトが大成功した時にのみ還元されるもの。ゲーム・映画業界なら、プロジェクトごとに「どのライン以上売れた場合に何%もらえるか」って契約をあらかじめしておくことが多いかな。セールス業なら、「commission」いわゆる歩合給があってそれが大きかったりするけれど、まあ基本的には年俸=税引き前年収と考えておいていい。
でも、残業代、ボーナス、家賃手当or寮、年金(大きな企業は自社でもってる。条件も有利)、健康保険(同じく)、昇給などでものすごく差がつく。だから、わざわざ福利厚生を明記する。むしろ月給が飾りなんですよ。
で、まあ福利厚生については実際の就職交渉では検討材料になるけれど(fringe benefitなどと呼ばれる)、課税対象になっちゃうものについては同じことだから給料に一本化すればいいじゃん、って考え方が多いと思う。
まあ、そういう事情なんで、アメリカの年俸と比較する場合は、日本では基本給+ボーナス+各種手当て+各種積立の税引き前合計額を使うべきでしょうな。
「働きたくても働けない人」ってのを聞くたびに、なんかもやもやとしたものを感じる。
能力を得ることが出来たそれそのものがラッキーだったのだ、との意見も分からなくもないが、
実際問題として、職場に使えない奴が居るのは御免被りたいのも本当じゃなかろか?
働きたいのは分かる、家族を養う必要もあったりするだろう。
でも、その人が居ると効率が下がるって人は一定数いる。
言ってしまえばその職に向いてないわけだが、再出発と簡単に言っても、そういう人って同じ職種に就いても駄目な気がするんだ。
職能開発とか言っても、職業選択の自由ってのもあるわけで、バランス難しいよな。
別の視点だと。
社内仕様に特化した仕事能力しかなかった人とかが、リストラされるときつそうなんだよね。
その社内では問題なく仕事できても、他社では何も出来ないとかさ。
必要とされる能力が無いから再出発できないのだけれど、じゃその能力を何処で手に入れればいいのか?
未経験などの中途採用者を一から教育しようとしない企業が悪いのか、訓練機構が貧弱な国の施策が悪いのか?
両方なのかねぇ。
http://anond.hatelabo.jp/20081217100125
元増田に同情的なのが多いのは分かるけど、他の二人がそう悪いようにも思えない。
多分、それぞれの特技やアイデアを寄せ合って面白いものを作ろう!ってノリで始まったんじゃないかと推測してるんだけど、どうなのかな。
そうだとしたら、
(ある時は私が書いたラフスケッチに「ここは太く!ここは不要!」などの上書きがされて送り返されてきました)
なんてのも普通でしょう。元増田のラフスケッチに対して他の人の意見を乗せていく。そうしないで元増田を全肯定して進めていくなら、他の人はいらないもん。
そこで自分の負担が不当に大きいと思ったり、対案を出す時にももう少し自分に気を遣って言ってほしいと思うようになったってことなんだよね。
その想いが妥当なのかは判断付かないけど、元増田の場合、自分の職能を活かして参加しちゃったことがそういう想いにつながってる気がする。
自分の思い通りにならなくても、お金がもらえる仕事と思えば我慢できる。
普段ならこれだけのことをしたらいくらもらえるのに。
って考え始めちゃうと、しんどい気がするよ。普段ならお金を取ってやることを無償でやってるんだ、っていう想いが、変に正当性を持っちゃう気がする。
かといって辞めるに辞められない元増田の気持ちも分かる気がする。だって今辞めたら、自分の意見が通らないから面白くなくなって辞めたって思われるかもしれないし、責任感なく見えるだろうし。
他の二人は、より良いものを作ろう!っていう想いで言ってるかもしれないし、元増田がコーディングする分、他の作業をしたりアイデアを出してるつもりかもしれない。
ようは言い方と受け取り方の問題なんじゃないかな、って思うよ。
強いリーダーがいない共同企画は、お互いに敬意を持ちあって、さらにそれを逐一態度に表さないと、うまく回らないよね。ここは経験談。
「アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本」と題されたそのエントリからはとても香ばしい童貞臭が放たれていて、集まった村人たちは自分たちが若かった頃の少し苦い思い出を思い浮かべたりしながら口々に「俺はこのアニメがおすすめ」「こんな女いねーよ」「私女だけどこれはないと思う」など、早くも井戸端会議に花を咲かせていた。先走った若者が書き捨てていった浮ついたエントリを囲んで村人たちが談笑する光景は、なんでもない村の日常の一コマとして過ぎ去っていくかに見えた。
最初に気づいたのは誰だったのだろうか。始めは幻聴のように思われたが、なにやらエントリから声が聞こえる。しかもその声は村人たちのコメントに逐一反応しているではないか!
村の長老たちは戦慄した。
そもそも増田山から拾われるエントリに魂は宿っていないというのが定説だ。村人の声に反応したかのようにエントリが変化して数行の補足が書き加えられていることはたまにあるが、村人が発言するたびに逐一反応してみせる増田エントリなど聞いたことがない。死体が動き回っているかのような禁忌の念。しかもこのエントリの内容は、一部の長老にしてみれば痛々しい自分の過去と重なりすぎていてネタ扱いしなければ読むに耐えないような代物だ。
長老たちの対応は素早かった。短い会議の末に長老たちは声明を発表した。これは妖怪モトマスダの仕業である。妖怪は人間とは相容れない存在なのだ、だから打ち倒されなければならぬ。
かくして村の方針は決まり、村長はモトマスダを敵性と判断する旨を村全体に通知した。同時に長老に近い職工たちの組合へ通達が送られ、対モトマスダ兵器の大量生産が開始された。モトマスダ打倒の目的に限っては、普段は避けるよう指導される「オタ」という言葉の罵倒語としての使用すら許可された。
対モトマスダ兵器として作成されたのは、大量の改変エントリであった。改変は古くからある兵器で、元ネタへの注目を集め、その奇異なところを強調するには最適であるとされる。
大量生産された改変エントリは、瞬く間に絶大な効果を発揮した。村の運営に関わらない下々の村民ですらモトマスダを忌むべき存在として認識するようになったし、村の運営に興味を示さないが高い生産能力を示す職能集団(これはさらにギークやファックといった組合にわかれている)までも改変エントリ作成競争へ巻き込むことに成功したのである。
かくしてモトマスダは完膚無きまでに叩き潰された。断末魔の悲鳴とともに「アニオタが非オタの彼女に(ryの元増田によるまとめ」と題したエントリを吐きだしたように見えたが、誰も見向きはしなかった。村民は改変エントリの生産と消費に夢中であった。この熱狂はその後数日間続いた。
他人に興味を持つ方法はわからんけどそんなんでも世界と折り合いをつける方法はある。
1.同じくらいコミュニケーションに対して低体温な伴侶を探す
レス中にある、連絡がないからって責めるような女性は論外。数はすくないが「毎日電話?それニート?」って女性もいる。
2.深いコミュニケーションをとらなくてもいい職種につく
深い専門のある職業はその職能を活かす時間の方がコミュニケーションをする時間より圧倒的に多い。
3.チームプレイを必要としない&経験とともに熟達する趣味を持つ
「人と関わる」以外での価値観を持つ。
「他人に関心が持てない」で悩むのは、「自分に価値があると思えない」と表裏一体だから、
他人に関心があってもなくてもうまくいく方法を若いうちに見つけるといいよ。
でもプロパーを能力不足で堂々と解雇できている例は少ないと思います。(組合系がついて、裁判になれば相当厳しいはず) ただ、大会社になれば子会社出向から転籍とか、左遷異動してパワハラとか、いろいろな技はあるのは事実で、企業文化の問題というのはいい指摘だと思います。
米国の派遣は、確かに紹介予定派遣に近いか、臨時雇いの側面が強いでしょう。ただ一番の違いは、米国は正社員が職能給で、マネージャ・秘書・上級技術者・下級技術者・営業・スタッフ職・アシスタントなどなどで同じ会社だけど正社員の給与がバラバラだと思います。
一方で日本企業は、成果主義といいながらも誤差程度の差しかなくて、実質は「総合職」「一般職」の2種類しか給与上の職種がなくて、出世の早い遅いはありますが、年功序列に近い状況だと思います。そこで低スキルの職種として「派遣」が雇い入れられたり、安い給与体系の「子会社」を作って、バランスを取っています。
そして最大の問題は、米国だとスキルアップすれば上位職種へ転換できますが、日本は年を取ると上位へ行くところに壁があって、壁を越えるのが不可能に近くなっているのが問題なのだと思います。
ところで、「天下り目的の御用派遣子会社なんてのが幅を利かせまくっている」って何でしょう。国内派遣は大きなシェアを握っている企業がなく、外資系vs国内新興企業の乱戦市場+系列派遣会社(グループ内で解雇する代わりに転籍させる先)がほとんどじゃないかと思います。