はてなキーワード: 美化委員会とは
日々のつらさに耐えかねたのび太は、出木杉くんに相談を持ちかけた。出木杉くんはその協力要請をこころよく承諾し、のび太にこう助言した。
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剛田武くんは少し乱暴な子として職員室のあいだでも有名であった。しかし、公立小学校には様々な問題を抱えたクラスや複雑な家庭事情を持った生徒が数多く在籍しているため、教員たちは剛田武くんの言動にいちいち構っている暇はなかった。
いじめ慣れしている剛田武くんはひとの目に付かない暴力や強奪がうまく、クラスで大きな問題になることはこれまで一度もなかった。それは彼のいじめっ子としてのセンスのよさであり、また「剛田武は少し乱暴な生徒」というレッテルによって彼の乱暴性を個性として許されてきたところがあった。
のび太くんの声なき声を出木杉くんが拾い上げたのは、彼の中にある揺るぎない正義感に加えて、政治的な意味で次第に声が大きくなっていく剛田武くんに対して個人的に嫌気が差し始めていたからだった。のび太くんはそのことも承知の上で、助かるならなんでもいいという気持ちであった。
「でも、どうすればジャイアンに勝てるんだろうか」と弱気になるのび太に対して、出木杉くんはエリートらしい得意げな笑みを浮かべながら、もうひとつ踏み込んだ助言をした。
「ジャイアンに勝ちたければ学校を動かすしかない。学校を動かしたければ、世論を動かすのが有効だ。そして世論を動かしたければ、メディアを動かすんだ」
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出木杉くんはあくまでもクラスの内戦に過ぎないこの紛争を、"学校ごと"に格上げさせる方針を示した。
まず出木杉くんは友人である朝日くんに情報提供を行った。朝日くんは学校新聞の編集長で、学校新聞の編集室の中でもっとも発言力を持っていた。
出木杉くんはこれまでの剛田武くんによる悪行をまとめた資料(以下、デキスギ資料と呼ぶ)を朝日くんに手渡した。朝日くんはデキスギ資料に目を通しながら、出木杉くんに対してこう言った。
「確かに剛田武くんの行いは非人道的かもしれない。だけど、これくらいのことはどこのクラスにもよくあることだよ。それに、大きな声では言えないけど剛田武くんを敵に回すことは我々にとっても得策じゃない。我々学校新聞が報道することに意義を感じないね」
出木杉くんはその反応が返ってくることをわかっていたかのようにうんうんと頷く。
「確かに。朝日くんの言う通りだ。5年2組のちょっとした暴力なんて、学校にしてみれば裏庭で起きている猫の諍いみたいなものだろうね」
「じゃあどうして持ちかけたのさ、出木杉くんらしくないぜ?」
出木杉くんはその言葉には応えず、にっこりと爽やかに微笑みながら席を立った。
「とにかく、これからも連絡はするよ。記事にしたくなったらいつでも言ってくれ」
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のび太くんはこれまで殴られた回数や奪われたおもちゃの数を数えて、デキスギ資料をより具体的な数字で補強していた。それはもちろん出木杉くんの指示であったが、出木杉くんはそんな数字よりももっとセンセーションなものの必要性を感じていた。
出木杉くんはデキスギ資料の改訂版を何度か朝日くんに送っていたが、この日はたった一文だけを載せて送った。
「来週の朝礼で、野比のび太氏が剛田武氏に宣戦布告をします。」
毎週月曜に体育館で行われる朝礼では、校長先生のあいさつと各委員会からの報告が行われる。出木杉くんはのび太の所属する美化委員からの報告時間を巧みにハッキングすることで、のび太に宣戦布告を告げる機会を与える作戦に出た。
校長先生の定型的なあいさつが終わり、学級委員会から順に今月の報告が行われる。美化委員会の順番は最後であることは出木杉くんにとって都合がよかった。続いては美化委員会からのお知らせです、という進行役の声を合図にして、のび太くんが全校生徒の前に立った。
のび太は美化委員として、校舎前の花壇が何者かに破壊されていたことを報告した。本来であれば報告はここで終わりだが、のび太は続ける。5年2組の剛田武くんが教室の備品を勝手に持ち出したり、箒とちりとりを剣と盾に見立てて遊び、すぐに掃除用具を壊してしまうことを報告した。そして、剣のように振りかざされた箒によって、自分の肩や腹に青あざができていることを、お気に入りの黄色いカットソーをめくって見せた。体育館内がざわつく。
のび太の手足は緊張で震えていた。声も震えていた。しかし、出木杉くんにとってはそれも計算済みであった。全校生徒はのび太の震えを見て、緊張ではなく剛田武くんへの恐怖心を連想するはずだと確信していた。のび太の震えは、今まさに剛田武くんから殴られてきたかのようなリアリティを持たせていた。また、のび太の弱々しい外見が同情を引き寄せることも計算に入れていた。
教員たちが異常事態に気づき、近くにいた教員がのび太の近くまで駆け寄ってくる。だらだらと演説している時間的な余裕がないことを察したのび太は、演説の最後に剛田武くんを象徴する3つの行為「モノを奪う行為」「モノを壊す行為」「人に暴力をふるう行為」をまとめてこう呼ぶのだと強く訴えた。
「これはジャイアニズムだ」
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朝礼は中断され、それぞれのクラスがぞろぞろと体育館を出て教室に戻っていく。その道中、全員が校舎前を通る。つまり、破壊された花壇を見るのだ。そして全員のこころの中で先程の言葉がリフレインされる。
「ジャイアニズム」
実際に花壇を破壊したのは出木杉くんであった。しかしあの朝礼が終わったあとに全校生徒が目撃する象徴的なものを壊すことによって、それが剛田武くんによる破壊行為であるかのように印象づけられる。それに、一見は百聞にしかずという言葉があるように、報告を耳で聞くよりも実際に破壊されたものを見てもらうほうが印象に残ると考えたからだ。
次の日には、学校新聞がのび太の演説をトップ記事として伝えた。ジャイアニズムというキャッチーな見出しもさることながら、これまで出木杉くんがデキスギ資料として学校新聞に送っていた剛田武くんの悪行が記事内容に厚みを持たせていた。のび太の演説と破壊された花壇は全校生徒が知っている。それ以外の皆がまだ知らない情報が載っていることにニュース性はある。新聞が貼られた廊下の前で、あれもこれもジャイアニズムだったんだと誰もが語り出した。メディアが動いたことで学校の話題は剛田武くんの悪行に一気に傾くのをのび太は感じた。
「ジャイアニズム」という言葉はあっという間に一人歩きをし出した。具体的な事実であろうがなかろうが濫用され、よくある単なるケンカではなく、ジャイアンという特別な力による暴力であると印象付けることに成功した。
剛田武くんは怒りに震え、一度教室でのび太の胸ぐらを掴んだことはあったが、周りの目が明らかに自分を悪者として見ていることに居心地の悪さを感じ、それ以降はのび太を無視するようになった。クラスだけでなく学校中から悪のレッテルを貼られた剛田武くんが廊下をとぼとぼ歩いていると、教頭先生が「剛田くん。放課後、校長室に来なさい」と声をかけた。しょんぼりしながら小さな声で返事をする剛田武くんの背中はこれまでにないくらい小さく見えた。
のび太はその様子を遠くから眺めていた。気が付くとのび太の隣には出木杉が立っていて、ふたりで剛田武くんの背中を眺めていた。
最初にのび太に助言したときのように、出木杉くんはエリートらしい笑みを浮かべながら言った。
「でも間違った情報もあった。ぼくがジャイアンや妹の悪口を言ったがばかりに殴られたこともジャイアニズムとして処理されてしまったし、それに、花壇を破壊したのは出木杉くんだろう?」
「花壇を壊したのがジャイアンだなんて一言も言ってないよ。君の読み上げた原稿にも書いてないし、学校新聞にも書いてない。みんなが勝手に誤解したんだ。でもまあ、実際に剛田武くんが花壇を踏みつけたり蹴り飛ばしたり姿を見たことがあったんだ。後日誰かがきれいに整えたので、ぼくは破壊されたときの様子を忠実に再現した。つまり演出したんだ」
「危なっかしいね」
「そうさ。情報の誘導の仕方次第では、世論はどちらにも傾く可能性があったんだよ」
「でもきみは上手に情報を操作することで、クライアントであるぼくを勝利に導いた」
「ジャイアンに勝つにはそれしかないんだよ。ジャイアンが実際の暴力を行なってくるのであれば、きみは虚構の拳を振るわなくちゃならない」
「虚像の拳か。情報は武器になる、っていうのはこういうことなんだね」
感心するのび太の顔を見ながら、出木杉くんは微笑んでこう言った。
「いいかい、のび太くん。情報を武器に仕立て上げる何者かが、その背後には常にいるんだよ。仕掛ける必要のなかった戦争、次世代通信規格の主導権争い、あるいは新型コロナウイルスのワクチン接種まで、情報を武器に扇動する者がいることを、もっと意識しなければならない」
<おしまい>
※この記事はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。のび太やジャイアンといったキャラクターたちは実在しますが、記事中のような人格ではありません。ジャイアンお誕生日おめでとう。
虎仮面の模倣者たちより、プロボノを行う人たちをもっと評価して欲しい。
なにやらランドセルとかを不法に投棄するのが流行っているようなのでこのチャンスに乗じてプロボノを紹介しようと思う。
そしてこの増田エントリがプロボノを知る機会になってくれたらと思って書く。きっと最も良い奉仕の行動であるから。
ボランティアというと奉仕活動で困っている人や相対的に苦しい立場の人のために無償で行動すること。ってみんな理解していると思う。
・奉仕している人の受益
1.自分が良いことをしている事を実感する。
2.人に喜んでもらう充実感
・奉仕される側の受益
1.しにくいこと、出来ないことを助けてもらう。
2.直接的に利益を得る。
この側面が合致することが条件でボランティアは成り立っている。
プロボノとは、自分の職能を使って「直接被支援者を助けること」を言います。(語弊があったら指摘下さい)
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普通ボランティアと聞くと、困っている人のために行う雑用みたいなもの。というイメージはありませんか。
・ドブさらい
・ゴミひろい
・草刈り
・清掃
・要介護者への支援
など、など。
本来「困っている人を助ける。」というボランティアの大義名分を合理的に果たす方法を考えてみてください。
最も自分が相対的に高いスキルを持つ「仕事」をこなし、得た給与を配分することにほかなりません。
価値の最大化の例
・大手商社に勤めるAさんは1時間あたり5000円の給与をもらっています。
・町の美化活動委員会は、先日の大雨で詰まった自然公園の排水溝を掃除するボランティアを募集しています。
Aさんが半日かけて慣れない手つきで掃除を手伝うことはとても素晴らしいことです。まさにボランティアです。
「1.自分が良いことをしている事を実感」し「2.人に喜んでもらう充実感」を得て、「3.体を動かしたり仕事をすることそのものの満足感」もあります。
しかし合理的に考えたらAさんは半日休日出勤して仕事をこなし、そのお金で清掃専門業者を5倍ぐらい雇うことができます。((※大手商社の給与が高く、清掃業者への報酬が安いという偏見!という批判は命題ではありませんので割愛させて下さい。))
清掃専門業者に支払う代金を1時間あたり1000円だとしましょう。
5,000円*半日(4時間)=20,000円 == 1,000円*5人*半日(4時間)
さらに、普段運動不足のAさんとそれを生業にしている清掃専門の作業者では効率も倍近く違うかもしれません。
大抵の社会人は自分が相対的に最も秀でている技術や能力を使って生活費(現金)を得ています。それが最も『効率が良い』からです。
つまり、Aさんはボランティアなんかに参加せず、休日も仕事がある!と言って金だけ出したほうが町の美化委員会にとって何倍も助かる。という事になります。
でも、なにか違うと思いませんか。
それどころか、なにか良いことをしたかったはずなのに休日出勤までして金をむしり取られた気持ちです。
あるいは、煩わしいからと金だけだして知らんぷりの「嫌味な金持ち」という感じさえします。
つまり、「純粋に奉仕される側の事」を考えたら、本来最も良い方法はお金を提供する事。なんですね。
ところが、実はもっと良い方法があります。それがプロボノです。
プロボノというのは「自らの職能をもって相手を直接支援する事」です。
・弁護士が無償で弁護すること。((※士のつく職業は実は法律的にややこしい制限もあったりします。))
・大工さんが棚や机を作ってあげる
何か違う。とお考えの人もいるでしょうか。
仕事は仕事であって、ボランティアではない。とか。私も初見ではそう感じました。
・奉仕している人の受益
1.自分が良いことをしている事を実感する。
2.人に喜んでもらう充実感
・奉仕される側の受益
1.しにくいこと、出来ないことを助けてもらう。
2.直接的に利益を得る。
職能が直接的に相手に供される。というのは仕事で稼いで現金を提供するよりももっと効率的なのです。
会社で業務として行う仕事とは違い「会社の利益」や管理工数等として搾取される手数料のようなものも発生しません。
ということは、それだけ相手にも「より喜んでもらえる」のです。
プロボノという働き方
http://www.shibuya-univ.net/class/detail.php?id=608
http://gkmyhn.blog106.fc2.com/blog-entry-28.html
プロボノは自分の仕事のスキルをフルに活かしたり、普段仕事にはあまり直接結びついてない自分の得意分野を存分に発揮して生き生きと成果を出せることにあります。
普段商社でデスクワークをこなすAさんにとって「排水溝の掃除」は得意分野ではありません。不慣れな場所に足を運び、持ち慣れないスコップで泥をさらう作業をすることは心細いものです。
まして、気心の知れた人ばかりがまわりにいるとは限りません。
でもプロボノは日ごろ仕事で培った技術や知識をフルに披露することがそのまま社会貢献につながる、という魅力があります。
そして、そこで得た経験がさらに自分の仕事の幅や経験や知識になっていきます。
仕事を続け、両立しながら空いた時間を使って自分の経験や満足感を得ることができる社会的な活動なのです。
Aさんがすべきプロボノは例えば「商社で培った人脈を生かし、公園や自然の保護活動に積極的な近隣の団体に声かけをする」だとか「企業の広報活動の一環として組織的に手伝ってくれそうな法人や団体を探す」等だと思います。
その上で自分も手があいていたらスコップを持てばよいのです。疲れていたら寝ててもいいと思います。十分貢献したのですから。