「こんな大人になってはいけない」を書いた増田さん、まだ読んでますか?
転職を繰り返し、その場その場の知恵で何とか切り抜けてきたけど、職能と呼べるものはない。
このエントリーに反応が無かったのでそのままになっていたのですが、蒸し返させてください。
「一部の人からはできる人とみなされてしまった」と書いてあるのですが、そこら辺の具体的な事情は書けますか? あるいは、似たような事情を経験された方、どなたかいらっしゃいますか?
上司の指示命令が会社の「成果」になっている場合は、指示命令に従うことは「成果」になるので、ルール上も倫理上も問題はおこりません。
しかし、上司の指示命令が会社の「成果」にならない場合、あるいは「成果」に見えない場合は、成果に見えない仕事に対して報酬が支払われるので、「成果」を出している社員から見れば給料泥棒に“見える”でしょう。
たとえば、対立派閥の動向を探るために成果の出ない仕事をやりながら上司のスパイをやらされているようなケースでは、対立派閥の社員から見れば成果を出さない給料泥棒社員に見えます。しかし、スパイの指示を出した上司から見ると「こいつは使える」と思われているでしょう。
窓際の机で新聞を読んでいるだけの仕事でも、その職場にいる人の言動を監視したいとか、いざという時に職場に対して組織の命令に従わせる犬がほしいと思う上司から見れば、組織の番犬の仕事も立派な仕事だという人もいます。
このようなケースは「堕落」でしょうか? そんな大人になってはいけないのでしょうか? 堕落も併せ呑むのが大人だ、という考え方は受け入れられませんか?
社会には成果主義という言葉があって、「結果に対する報酬」という考え方がある一方で、現行労働法の「労働」の定義のように、「行動が拘束される契約に対する報酬」が「労働」として取り扱われる契約主義という考え方もあります。少なくとも日本社会の法制度はそうなっています。
つまり、成果があってもなくても、会社(上司)になんらかの形で行動が拘束制限され、上司の指示命令に従う契約をしていれば、法律上は、報酬が支払われる“ルール”になっているわけです。
職能技能のようにわかりやすい技能なら、仕事と成果の因果は誰の目にも明らかなので、給料泥棒かどうかの判別も容易いでしょう。私は、職能技能のある人を否定するつもりはないし、むしろ尊敬しています。技術だけで報酬を勝ち取る職人こそが本当の仕事なのだと理想を掲げる人を、私は青臭いなどと非難するつもりはありません。「たいした仕事」ができる人は、それをすればいいと思います。
しかし、仕事と成果の因果がわかりにくい仕事があることも事実です。給料泥棒と呼ぶ人もいるけれど、そう呼ばれた人がした仕事の成果が見えないだけで、結果的になんらかの役に立っている人というのは、世の中にたくさんいるとは思いませんか?
既婚40代中盤。 いまのところ収入はあるが、会社の将来は暗い。 仮に食いつないでも退職金はない。 転職を繰り返し、その場その場の知恵で何とか切り抜けてきたけど、職能と呼べる...
「こんな大人になってはいけない」を書いた増田さん、まだ読んでますか? 転職を繰り返し、その場その場の知恵で何とか切り抜けてきたけど、職能と呼べるものはない。 なのに...
anond:20120302215139 ずいぶん遅くなってしまったけど。 レスしてくれたことにお礼言います。ありがとう。 あれから転職して、まだなんとか生きてます。 相変わらず、希望のかけらもあり...