・「いくらでも」というのは基本的に「限界を考慮する必要が生じない程度に、まるで無限であるかのように」って意味合いで使われる言葉なんであって、
いや、そんなことはない。
そもそも人材が潤沢にあるかどうかなんてのは職能水準の高さやその業界に貢献する人間の数によって異なる。
「いくらでも」というのはそういった細部を徹底的に無視した、「すべての人間はすべての人間と代替しうる」という超弩級の暴論。
・「自分でやる」ってのがどういう意味なのかよく分からないけど、「嫌ならやめろ、俺が代わりにやる」って人はいるだろうし、
もちろん「俺は嫌なら辞める」って人もいるだろう
そういえばこれ見て思ったんだけど「嫌ならやめろ、代わりは俺がやる」って後に、「嫌になったけど代わりが弱者ばっかりだからやめられない」っていうケースは十分考えられるわけだ。思えばこの弱者強者というのはわれながら恣意的に過ぎる運用だったようで。
「嫌ならやめろ。代わりはいくらでもいる」っていうけど、本当に代わりはいくらでもいるのか。 まあ私的には「代わりはいくらでもいる」ではなく「他にもいる」なら納得はする...
・「いくらでも」というのは基本的に「限界を考慮する必要が生じない程度に、まるで無限であるかのように」って意味合いで使われる言葉なんであって、 そこに「いや有限だ」って...
・「いくらでも」というのは基本的に「限界を考慮する必要が生じない程度に、まるで無限であるかのように」って意味合いで使われる言葉なんであって、 そこに「いや有限だ」っ...