はてなキーワード: 生活費とは
この話にどうしても乗っかりたい。
元増田が書いた話は元々増田の主張とずれてる気がするけどお金の話なのでここに付けちゃう。
うちは専業世帯で都内の賃貸マンション暮らし。都心駅徒歩3分に住んでる。必要なものが全て徒歩圏内にある。そのかわり家賃が高い。
食品を買うスーパーはマンションの下階にあるから買い物がすごいラク。エレベーターで降りるだけ。そして高い。生鮮食品、惣菜、日用品、全てが地元と比べるとやはり高いそうだ。
とはいえ家計に打撃を与えるほどの金額ではないのでそこで全部買う。チラシ見て安いスーパーに行く必要はない。お米、水が重たいときは有料で届けてもらったりネットスーパーで玄関まで運んでもらうことができる。
スーパーの他にレストランもあるので遊びに出かけて疲れた日は外食になる。
こどもの習い事も全て徒歩圏内。塾やプール、学校もすぐ近く。小2からは自分で行って帰ってくるようになった。小さい頃は妻が送り迎えしてたけど不要になった。
幼稚園を決めるときも弁当を作るのは大変だから給食ありの私立幼稚園にしたいとのこと。受験は必要はないが高かった。
家事は食洗機とルンバと乾燥機能付きの洗濯機?を買いそろえるとそこそこの金額するよね。
生活費のやりくりとか学費の計画とか保険とか資産運用とかローンなんか妻は全てノータッチ。
「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」という気はないけど
私は以前、ガイナックスというアニメ会社を起業し、社長をしていました。アニメを作るたびに赤字になり、それを救ってくれたのがパソコン用のエロゲーム開発でした。最初に作ったのは『電脳学園』。クイズに正解すると美少女が脱ぐという内容です。よく売れて会社を経済的に救い、同時に私たちはエロであろうともゲーム作りの楽しさを知りました。シリーズ3作目の『電脳学園Ⅲ』では、自社の人気アニメ『トップをねらえ!』のキャラクターを脱がせました。実際のアニメ監督がゲームの監督もしたので、絵は非常に高レベルで評判も高かったのです。ログイン前の続きそのエロゲームの監督こそ、庵野秀明さん。いまや『新世紀エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』で世界的に有名な大監督です。私も庵野監督も、エロゲームを作ったことを恥ずかしいと思ったことも、隠したこともありません。その後の活動に支障をきたしたこともありません。というわけで、経験者としては、息子さんの説明も「一理ある」と思います。
同時に、あなたの「息子には人を傷つけるもの、子どもに見せられないものを仕事にしてほしくない」という価値観にも「一理ある」と思います。だから「そんな仕事に加担したくないから、残りの学費や生活費を出さない」のもしかたないでしょう。正直な話、18禁ゲームに関わってる程度で「海外に留学」というのはなんでやねん?と思っている私もいます。
この理由で学費援助をやめても、あなたの望む効果はありませんよ。
アニメ業界では学歴はあまり関係ありません。現に、僕も庵野監督も、大学中退です。
なので大学を辞めたとしても将来、息子が大成功して庵野監督のようにメジャーになるかもしれません。
鳴かず飛ばずのままかもしれませんが、それはしょせん、本人の才能と、やる気と、運次第です。
ただし、どっちにしても
息子は、あなたが自分のやりたいことを認めず学費を止めたことで、非常に傷つき、あなたを恨むでしょう。
おまけに学歴は関係ない業界だから、息子は自分の望む世界に行く可能性は高いです。
まずは話し合いですよね。「あなたにあきらめられない夢があるのと同じに、母には譲れない信念がある」と。どちらも正義はなく、単なる好み・ポリシーのすり合わせと割り切って、話し合ってみてください。
頭が腐り切ったのか、エミヤが嫁(役職名)でいいのでは、ってなってる。
自分の遺伝子は今代で絶やすと決意してるので結婚願望はないんだけど、結婚相手はエミヤがいいと思う。っていうかあれだ、現実に言及するのやめよう、この話はフィクション(に思いを馳せるゴミ)です。
今自分がしてる仕事、というか弊社の業務内容と家事とを比較して、筋力や体力が必要なのがどう考えても家事の方だという結論になった。食材って重い。子供って重い。掃除洗濯草むしりゴミ出しなんて腰超辛い。ゴミ出しのこと思うとジャンプそろそろ買うのやめなきゃって思う。なんで家事って女の仕事なんだろう。筋力ある男性の仕事でよくない? そろそろ時代に合わせません?
それにしてもエミヤはなんて自然に家事するんだろう。すごい。尊敬する。結婚してほしい。おちんぎん少ないけどこの間ちょっと昇給したから二人なら慎ましやかに生活できるんじゃないだろうか。私は家事する人は一生家で家事してろとは思わないので、世界を救ったり正義の抑止力としての活動は全く止めない。というかそういうことは就職してるとできませんよね、生活費調達という支援活動は私に任せてくれませんか。そんで炊事はできれば私の有無にかかわらず『好きだから』という理由でやってくれてて、私が帰る頃にエミヤのご飯と笑顔があるとすごく嬉しい。全力で早く帰る。メシへの愛が足りなくて体重がマイナスの一途を辿っているけどエミヤのご飯ならきっと太れる。太りたい。そんでだらだらTV見たり仕事の愚痴言って心配されたり呆れた顔されたりしたい。夢デビューかよ。つってもボーイじゃなければ相手役私にこだわらないんだけど。経験値少ないせいかNLでしっくりくる組み合わせが公式しかなくて、それだと理想の夫婦像とはまた違ってしまうんだよ…みたいな葛藤。ゴミ妄想が大分臭ってきたのでそろそろゴミ箱に帰る。
今月も給料日がやってきた。
専業主婦の嫁さんと3歳の娘が一人。
娘は順調に育ってて、傍から見たら平凡で幸せな家庭に見えると思う。
毎月それほど高くない給与から、決して低くない生活費が家庭用の口座に入金される。
どの家庭でも当たり前の景色だろう。
子どもにお金がかかるのは当然だしいろいろ事情はわかってるけど、口座に入金された後僕が小遣いとして使えるお金は2万円くらい。
ランチ食べて終わり。
何もできなくて悲しくなってくる。
独身時代だったらすぐにでも転職していただろうが、僕も年をとった。
多少薄給でも安定した会社で働けているのだから贅沢はいえない。
でも、嫁さんからは最近「ありがとう」一つ言われなくなってしまった。
言われないどころか、僕の給与が高くないことが不満の一つになっているようだ。
ごめん。
何とかしたいけど、給与はすぐに上がらないし、僕みたいな低スペは今の給与がてっぺんに近い。
気づいたら今年一回もセックスをしていない。
人並みに性欲があるけど、最近嫁さんに拒否されるようになってしまった。
単純に僕の魅力が低下してきただけなのかもしれない。
もちろん小遣いが2万円なんだから外注なんか不可能だし、そこまでしてセックスしたいとも思わない。
僕は、今でも好きな嫁さんと肌を重ね合わせたいだけだ。
よく「夫婦で話し合えばいい」という人もいるが、夫婦間でこじらせている問題を当事者同士が気軽に話すのはけっこう難しい。
解決の糸口がみつからないまま、僕たち夫婦はこのままセックスレスになっていくのだろう。
何か悲しくなってきたなー。
母親はちょっとずつためた全財産(100万くらい)を財布に入れるような高リスクの生活をしてて、
そうなるとパチンコで負けたあとに全財産を盗んで失踪するクズの父親っていうのができあがりますよね。
で、生活費すらなくなった母親は金を貸してもらうために某宗教に入信して、
でもその時一家が生き延びれたことには、某宗教に対して感謝しています。
もう●●先生のことは信じてないけどね!
自分は現金持ち歩かずほぼカードなので、ほんとにお札持ってない。
高校生かよ、と言われたらそうかもだけど、彼らはカード決済しないでしょう。
今は、お堅い会社でOLやってるけどつい2年前まで兼業風俗嬢だった。
学生の頃からで、ピッチピチの10代から随分長いことやっていたものだ。
やってた理由は単純に金。
学費も生活費も自分で賄っていたので、割りのいいバイトが必要だった。
だけど、普通の接客業のバイトも掛け持ちしていた。酷い時は学生 兼 風俗嬢 兼 パン屋 兼 カラオケ屋店員 兼 派遣バイターだった。何が本業なのかわからないくらい寝る間も惜しんで働きまくった。
稼ぎたいだけなら風俗一本でもいいけど、心も体ももたなかった。だから、いろんなバイトをして安らぎを得ていた。
今振り返ってみると、よくやっていたなと思う。今、おっさんのちんこしゃぶれと言われても無理だと思う。
けど、仕事自体はそこまで嫌いじゃなかった。接客業の延長だから?常連も沢山いて、意外と楽しくやっていた。
ストレスで耳管開放症になり、ハゲるし、日に何度もシャワー浴びるせいで全身ガッサガサだし。性病はもらわなかったけど、カンジダが再発しまくるし。
ああ、わたしにはやっぱり向いていない。そう思った。
幸い、豪遊していたわけではなかったので金銭感覚はそこまでおかしくなくて辞める時もあっさり辞められた。
振り返ると不思議な時間だし、酷い経験も多く記憶が断片的な部分もある。
誰にも言えないし、こうやって増田に吐き捨てるくらいしかできない。
でも、なんだろう。後悔とかはない。
やっぱりその辺りは常人とは違うのだと思う。
ニートで何もしなくても食べていけるの?いいご身分だなぁ。実家住まいで両親が元気で生活費の面倒みてくれるとか?それだとすると将来絶対詰むからせめて何かアルバイトでもやってみた方がいいと思う。あまり切羽詰まってないなら、えり好みせずにとりあえずやってみて「これは自分の求めているのと違う」と別の仕事に行くのもありだし。
俺のような年収300万に満たない人間は、金持ちと付き合ってはいけないということが良く理解できた。
会場は、たべログでみたら一人7,8000円ぐらいの家庭風フレンチで、2つしかテーブルがない完全予約制の小さな店だった。
食い物は友人がコースを頼んでいたみたいでラムの肉やら焼きアスパラみたいのが適当に運ばれてきてワインと一緒に飲んでなかなか旨かった。
それで会計。
友人が男多めで割り勘ねとかいって、女は5千円でいいよね?だから男1人2万8千ね、って言い放った。
ほえ?
財布には余裕持たせて2マン入れてたっていうのに、8千オーバーじゃん。
店主に「2万8千円分、カードでいいですか?」っていったら快くOKしてくれた。
会計中、頭んなかは、ワイン知ったかぶりのブスクソ女が値段も確めないで勝手に頼んだワインをガボガボ飲んでる姿が浮かんで、なんでコイツらの酒代を俺の生活費を削って払わなきゃならんのか??でいっぱいだった。
「それじゃあ、2次会レッツゴー!!」だと?
さっきお父さんに「いますぐ出て行け」と言われました。
そもそもの話は、私と妹とでふたりで家を出ていきたくて、でも引越し費用がないから初期費用をお父さんに出してもらいたくて、それで話をしました。
私の借金返済が終わってからにしろ、とお父さんが言いましたが、私はもうここの家で生活するのが精神的にきつすぎて限界だと伝えました。
そうしたらお父さんは「おまえたちふたりは生活費を出したこともないんだから、今回の金を出したら今後いっさいおまえらの世話はしない」と言いました。
そこで話を終わらせればいいものの、そのあとお父さんが「お母さんのことは昔のことで死人に口なしなんだから、本当のことは誰にもわからないんだからもうその話を出すな」「おまえはここの生活がつらいと言うが、今まで育ててくれたのはおばあちゃんだし大学の金を出したのも俺たちだ」と怒鳴ってきました。
それで私は余計なことを言いました。
「私は思春期に母親を亡くしてから精神的にずっとつらかった。そのことと、あなたたちに今まで育ててくれたことを天秤にかけても、つらかったことが勝つ」と言いました。
お父さんは「育ててもらった親に向かっておまえは人の心がないのか」「もういっさい金は出さない。いますぐ出て行け」と怒鳴りました。
私はもうどうなってもいいと思ったので、「お母さんのことをあっちの家からしか聞けていないから、あなたたちから話を聞きたかった、言ってくれるのを待っていた」「精神的にずっとつらくて、そのときそのときに浪費しなければ生きていくのもつらかった」「私はまだお母さんのことでがんじがらめになっていて今こうやって話すこともつらい」と伝えました。
お父さんは「一度家を出てみて自分の力だけで生活していく大変さを味わったほうがいい」と言いました。
たぶん家からは金の工面をしてもらえませんが、5月くらいには家を出ていきます。少なくとも私はお父さんを怒らせたので出て行かなくてはいけません。
お父さんが「おまえの都合に妹を巻き込むな」と言っていました。私もそれはわかっています。
妹は、私と一緒に出て行ってふたりで暮らすのか、それとも妹だけでひとり暮らししたいのか、まだはっきりと本人からは聞いてません。
妹にはちゃんとひとり暮らしできるほどの貯金があるようなので心配はありません。
お父さんは、私がそっちの家に入れ込んでいるのが気に入らないそうで、「あっちにでも行けばいい」とも言いました。
正直そう言う気持ちもわかります。私にとってお父さんもお母さんも親なのだから、結局どうあがいてもお父さんのことは嫌いになりきれない、頼りにしたくなってしまう存在です。でも不倫したことと怒鳴ってくるときは本当に嫌いですけど。
私のほうから、そっちの家に行ける機会があるかも正直もうわかりません。
私は運転免許は持ってるけど3年以上運転していないし、正直もう運転できる気がしないし、運転することはこわいし苦手です。
こっちからそっちの家に行けたらいいとは思うのに、それができる気がしません。いろいろ尽くしてもらってるのに恩返しできなくて本当にごめんなさい。
でもお母さんが亡くなってから、今までずっと溜めてきた気持ちをやっと伝えることができて、気持ちだけはすっきりしました。
「人の心がないのか」と言われて、火事で自殺した母親と不倫してる父親の娘なんてまっとうな人の心に育つわけがないと、私は思っています。
というかお父さんは人のこと言えないだろうと思います。
それを言ったら「親のこととおまえのそれは関係ない」と言われました。私だってそんなこと関係なく自分の人生を歩みたかった。
私自身が強烈にそう自分に対して思い込んでしまっているので、もう自分の人生とお母さんのこととを切り離して生きるのは無理です。そこまで人として強くなれなかったし成長もできなかった。
お父さんもおばあちゃんもお母さんのことはなかったことにしたいみたいです。そこまで言わなくても、過去のことにしたいみたいで、たしかに過去のことだし、重荷にしかならなそうだし、その気持ちもわかります。だけど私は重荷を背負ったまま生きていきたい。
何が残ってるかは知らないけど、お母さん関係のものはすべて持っていっていいと、お父さんが言いました。本当に何かモノがあるのかはわかりません。
お金のことはどうにかできるか全然わからないですが、とりあえず5月くらいにこの家を出ます。
昨日の夕方に電話したときには、お父さんとここまで話をすると思ってなかったので全然タイミングを合わせたわけではないです。
とりあえず今は何を言ってくるか、何をされるかわからないので、このことでこっちの家の番号には連絡しないでください。
電話するときはいつもみたいに私の携帯に電話してください。妹には、あまりお母さんの話をしてないですが、今回の件で「知りたい」と言われたのでのちのち伝えるつもりです。
長いこと書いてごめんなさい。読んでくれてたらありがとうございます。
お母さんの生きていた年齢までは生きていたいと思ってるけど、ちゃんと生きていけるか現実的に怪しくなってきました(笑)
でも死にたくはないので、どうにか頑張ります。
あっち、そっちの家というのは母方の実家、という言い方でいいのか。
私がクレカで限界だったとき親より先に相談してたから、そのせいもある。でも父親に信用ないもん。
上記の長文をメールで送るのを踏みとどまってここに流している。
私が趣味に現実逃避しすぎてクレカ残高を爆発させなければよかった。
約15年前、中学生だったときに私は火事による自殺で母親を亡くしました。
今までずっと(父方の)祖母と父親と妹の4人住まいです。私は趣味に没頭、浪費が激しくなり、大学の奨学金も趣味にあてていました。
一人暮らしするための貯金ができずに、毎日現実から目を背けるように生きてきました。
当時父親は不倫しており、母親にはそれが原因かは知りませんが多額の借金があったことを、ここ一年で知りました。
去年私はクレカの支払いに苦しみ弁護士に相談、いまは給料の半分を使い借金の返済をしています。
いやほんとなんでこんなお金の計算できないまま生きてしまったのか
趣味やめるときは本当に死ぬときだと思うし抜けだせないし抜けだしたくないし結局その気がない
だめにんげんすぎる
とりあえず妹には余計な事言わずに聞かれた事だけ話したい
また進展あったら吐く
46歳童貞ですが今からでも大逆転して結婚できる方法を教えてください
仕事で使う経費や、母親との生活費を除くとあまり残らないので働いている女性が希望です
見た目はよくあるキモオタ顔です
アイドルとかアニメはまったく興味ないのに立派なキモオタ顔になりました
数年前まで犬を飼っていました(老衰で死にました)
暇な日は車で近場をウロウロするのが好きです
よろしくお願いします
割と嫌われがちだけど、つい、口に出しちゃうんだな。
今の時代女の人もバリバリ仕事できてしっかりした人が多いでしょ。そういった方と肩を並べて同じ時代に生きてると、時々こっちの理解の遅さとか応用力とか会話力のなさとかキャパの狭さに申し訳なくなって恥ずかしくなって、つい『格下だから許してつかぁさい』って白旗を振ってしまう。振っとかないと、いつまでも無駄に時間を使わせてしまうでしょ。馬の耳にアメージンググレース状態になってしまうでしょ。
頭のレベルが違う相手が理解できるまで説明するのって骨が折れるでしょ。
あぁ、今まで接してきた人の苦々しい顔が思い出されてつらい。
教え方が下手なひとももちろんいたんだろうけど、でもきっと私も悪い。他の人が理解できることを理解できなかったから。
リクルートとかああゆうとこで揉まれながらバリバリやってました!今はNPO立ち上げて女性の地位向上を支援してます!って綺麗な服着て笑顔でインタビューとか受けてみたかった。妊娠中に独学で資格とって今は子供育てながらエンジニアしてます!って女の幸せ全てを手に入れてみたかった。でも無理だった。
貯金残高や生活費すら把握してない、投資や株の話もわからない、税金の滞納もあるけどまだ電話もしてない、仕事もうまくいかない。未だに男の人とちゃんと話せず友達もいないのがいまのわたし。
私頭悪いから。
私、専門卒の社会人1年目。
この給料で都市部で生活しているわけですが、正直厳しいところ。
趣味が若干お金かかるので、食費を毎月数千円に設定して残りをすべて趣味に費やすという感じ。
そして最近は精神科に通うようになってしまい通院・薬代で毎月2万程消える。
コンビニでの買い物もためらい、友達と遊ぶほど余裕もないので誘いもすべて断っている。
彼女もいるが、どこにも遊びに連れていけないし、生活費がキツキツなので100円の出費を考えつつ毎日生活していると精神的にも参ってしまい、当たってしまうことがよくあった。本当に悪いと心では理解しているにもかかわらず、態度は違う態度がでてしまう。
そして彼女とは別れ、友人からは誘いがくることはなくなってしまった。
しかし友人の中でも事情を話すと奢ってくれたり、話を聴いてくれたりしてくれる友人もいることが唯一の救いだと思う。
そんな彼らは同じ歳にもかかわらず僕の倍の年収を稼ぐ。正直やってられない。
転職をしよう。活動するにも現職が不定休なのでなかなか面接にも参加できず、声を掛けてくれた会社に申し訳ない気持ちもありつつ断ってしまったり、向こうから断られたり。
とはいえ、会社を辞めて転職活動をすると生活が不安定になってしまい、二週間程度で回らなくなるのが見えているのが現状だ。
同じ年代で他社の人にこの給料じゃ生活厳しいよねって話を振ると「一人暮らしできるほどないのでいつまで経っても独り立ちできないし仕事はまともに教えてくれない、昭和かよ」
ほんとだよ。
一般的な事務職などが上がると大半の人間は得をするのかも知れないが、僕らのような特殊な専門職では全く上がらないし報道されないのだ。報道されない理由はちゃんとある。専門の低賃金労働代表といえばアニメーターや工場職のイメージがあるがそれらは見かける機会はよくあるだろう。僕がいる業界は皆がすでに意識せず当たり前に利用していて、そしてどこかで見かけることがある職だ。そして報道されない。鬱で辞めたり、常識はずれの人間やパワハラ上等、コンプライアンスも何もかもが存在しない、そんなクソみたいな人しかいない。まともな人間は本当に一握りだと思う。
そして最近はそんな現状を知ってか、入ってくる若者の数が圧倒的に少ない。そして近い年齢に人たちが圧倒的に少ない。入っても数ヶ月、数年で病んで辞めるか病む前にやめているからだ。誰も変えようとしない、変わろうとしない。
潰れろ。
やってられるか。
追記
皆様ありがとうございます。一応現在資格11種類持っているので転職には困らないのですが、コミュニケーションがやや難しく面接で落ちてしまうのが現状の問題点です。
普通の家ってなんだろう。
私は自分の家を普通の家だと思っていた。むしろ、大学まで行かせてもらって、その上生活費も出してもらっていたのだから、すごくいい家庭である。憎まれるほどいい家庭だ。
子供に暴力をふるうことはなかったが、父は母を叩いて殴って蹴って踏んで罵倒していた。母は金切り声の叫び声をあげてわんわん泣いていた。物心ついたときから家はこの状態だった。
記憶してるなかで一番はじめの夫婦喧嘩は、3歳くらいの、まだ市営住宅に住んでいたときだ。
夜遅く、母は洗濯物を畳んでいて、私は母のそばでテレビを見ていたと思う。車の音がして父が帰ってきた。母が玄関まで鍵を開けに行くと、酔っ払った父が家の中に入ってきた。私はなぜかすぐにコタツの中に潜って隠れた。父と顔を合わせたくなかったんだと思う。あと、酔っ払うと絶対に喧嘩になることを知っていたからかもしれない。私は真っ暗なコタツの中で息をひそめていた。しだいに口論になっていくと、突然父が怒鳴り声を上げる。いつもここでびっくりしてしまう。本当に突然大きな声で怒鳴るのだ。そしてバシッと叩く音が聞こえる。何度も叩く。母はその度に「もう!やめて!やめてよ!!」と甲高い声で泣きながら叫ぶ。ドカドカと殴る音になると「やめてーーーー!」と母の絶叫が聞こえる。私はコタツの中でずっと震えていた。隠れているのが見つかったら私も同じ目にあってしまうと思っていた。喧嘩が終わると、まだ興奮がおさまっていない父の口から漏れるシーシーという息と、母のすすり泣く声に変わる。怒鳴り声か金切り声はだんだん慣れていくが、すすり泣きの声だけはいつまで経っても心臓がぎゅっと掴まれるような痛みを感じる。
両親はほとんど毎日喧嘩していた。父がいない日は心からホッとした。母が私を寝かしつけたあとに父が酔っ払って帰ってくると、ドスドスという足音とひどい喧嘩で起こされた。それでも布団にもぐって怯えながら寝たフリを続けなければならなかった。母をかばったことは、たぶんなかった。
次に記憶があるのは、小学校の高学年のときだと思う。父は自営業を始め、母は事務を手伝っていた。工場に隣接されるように建てた一軒家には自分の部屋がつくられた。
仕事は忙しく、夕飯はいつも11時くらいに食べていた。共に自営業を始めたことで、喧嘩のレパートリーが増える。母も気が強い方なので、父に対して仕事の意見を言うが、父は「口出すな」「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」「黙っとけ」と応戦する。「くらすぞ!!」と拳を振り上げ、しだいに喧嘩はヒートアップする。プロポーズだと笑われてる九州の方言だけど、聞くと少し複雑になる聞きなれた言葉。
また始まった...と呆れながらテレビを見続けた。うしろで行われる喧嘩が聞こえてないようにじっとテレビを楽しむふりをしていた。怒鳴り声で音なんか聞こえないのに、ずっとその場に固まったままテレビを見続けた。喧嘩が始まると、その場から動いちゃいけないという気になるのだ。トイレに行きたくても、立ったその瞬間に「聞こえてません知りません」のフリは解けてしまうと思っていた。自分の部屋に戻りたかったけど、その場から逃げることはなんだか卑怯だと思っていた。母を助けないくせに。
怒鳴りながら暴力をふるう父と、泣きながらやめていたいと泣き叫ぶ母と、テレビから目を離さない子供。今考えると異常な光景だった。すぐうしろで母が泣き叫んでるというのに、見ないふりをしていた。
その日はなかなか喧嘩がおさまらなくて、近所迷惑だなと呑気に考えていた。その時、怒り狂った父がとうとう台所から包丁を持ってきた。この時の光景はずっと忘れないと思う。父は「ころすぞ!」と怒鳴りながら泣きじゃくる母に向けて包丁を何度も振りかざすまねをしていた。母がその時やめてと叫んでいたのか、刺せばいいでしょと反抗していたのかはもう覚えていないけど、ただ包丁を母に向ける父の姿から目が離せなかった。
頭の中で「終わった...」と考えていた。父が母を殺して、両親をどっちも失うことになって、どうやって暮らしていけばいいんだとまで考えていた。その喧嘩はなんとか父が冷静を取り戻して終わったが、ずっとこの喧嘩のことは忘れないだろう。
父は交友関係が広い人だった。外に出ると、何度も友人や知人に明るく挨拶をする姿を目にする。外での父はとてもいい人だった。明るくて面白くて輪の中心にいるような人だ。私に対しても優しくて少し甘い普通の父親だった。だからこそ、その二面性がこわくて気持ち悪かった。
父の友人は私に「いいお父さんでしょ?」とにこにこしながら聞いてくる。私はいつもなんと言っていいかわからなかった。
やがて反抗期に入った私は父とまったくしゃべらなくなっていた。そこまでは良い。よくあることだ。しかし、私は母に対してひどい態度をとるようになってしまった。母を小バカにするような口はまるで父のようだった。私の中で無意識に「母にはひどい態度をとっていい」という意識が生まれていた。今考えると、父の母に対する態度の影響が出ていた。
大学に入って地元を離れることになった。簡単には両親と会えない距離だ。そこで私は一人暮らしのあまりの快適さに感動してしまう。怒鳴り声も暴力もない、近所迷惑も考えなくて良い生活は本当に心地よいものだった。
そして、両親が今まで不自由なく育ててくれたことに自然と感謝できるようになった。夫婦喧嘩の記憶もだんだんと忘れていった。
でも、正月や盆に帰るたびに夫婦喧嘩は日常的に行われていた。私は理由をつけて帰らないようになっていった。
大学にいる間、たびたび友人間で両親の話題をするようになる。もちろん良い部分だけを話した。そうすると友人の中でうちの両親のイメージは「優しくて天然なお母さん」「面白くてちょっと寂しがり屋なお父さん」という理想的な両親になる。私も誇らしかった。「私の両親は良い人なんだ」と思うことができた。久しぶりに帰ると、そのイメージは壊され、やるせなかった。
うちは普通の家庭である、と思っていた。喧嘩が少し多いだけの、普通の家庭だ。でも、親元を離れて暮らす中で、あれは普通ではなかったかもしれないと気づいていく。夫婦喧嘩で包丁は振らないし、「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」なんて言葉は出てこないらしい。
大学を卒業して地元に戻ってきた私は、いまだ喧嘩を続ける両親に向かって言った。「夫婦喧嘩がほんとに嫌だった、辛かった。喧嘩するのもうやめてほしい」と伝えた。父は笑って「どこの家もこんなもん。だいたい喧嘩じゃなくてじゃれてるだけ」と言った。情けなくて、もう何も言いたくなくなった。
夫婦喧嘩について調べていく中で、「面前DV」という言葉があることを知った。直接子供に暴力を向けなくても、夫婦喧嘩で子供に精神的DVを与えるというものだ。たしかに辛かったが、私はあんまり精神的DVを受けたとは思っていない。なぜならいつも知らないふりをしていたからだ。母がどんなに泣き叫んでも庇わなかった。でも面前DVを受けたという話の子供はほとんど母を庇っていた。怖かったとはいえ、自分が情けなくてたまらなかった。
今では大人になり、父の言い分も母の言い分も理解できるようになった。仲裁に入るようになった。ずっと離れていたためか、暴力をふるう姿はあまり目の当たりにすることはなくなった。母方の祖父と共に暮らしているため、怒鳴り合いだけに抑えているのかもしれない。職場では、従業員の前でも怒鳴り合いの喧嘩をしている。人のいないところでまだ暴力をふるってるのかもしれない。
そういえば、病気で目が見えづらくなってきたのに配達に行かせるのよ、と母にこの前愚痴られた。なんでもないただの愚痴のように言われた。一歩間違えば事故を起こすというのに、「父は昔からそんな人だったのか」と改めてショックを受けた。
仲裁をしていく中で、私の意見なら父はちゃんと聞いてくれるということがわかった。母も「あなたの言うことならちゃんと聞く耳持つのよ」「あなたから言ってよ」と言うようになった。
私が言わなければならないということはわかっているし、母を庇おうとしなかった負い目もあるため私から話をすることが増えた。しかし口論になって、怒りを滲ませた父の表情を見ると、恐ろしいと思ってしまう。白目のところが赤くなっていくのだ。次には拳が飛んでくるのではないかという考えがよぎる。
離れたら穏やかに暮らせると思う。だけど、私がいない間の両親の喧嘩を想像すると苦しい。いつかどちらかが殺してしまうのではないかとずっと思っている。
私に対しては優しい父への接し方がいまだにわからない。
卒業間近になり卒論だの就活だので時間的にも金銭的にもいよいよどうにもならなくなってやっと風俗という選択肢に気付いたんだけど、もっと早く気付きたかった。
折角大学に行ったのに、勉学に打ち込む余裕もなく、最低限の単位を取るだけで精一杯になってしまった。
でも風俗は心身ともにきつい仕事だし、長く続けたら同じように心が折れていただろうとも思う。
そしてなんとか大卒の資格を手に入れたけど、高校から借りていた奨学金は結構な額になっていて、返済しながらの生活はまだ豊かなものとはいえない。
私も貧乏の連鎖から抜け出したくて藻掻いたけどなかなかままならないね。
貧乏は本当に嫌だ。
親に学費や生活費を援助してもらって大学生活を満喫できる友人たちを羨ましく思ったりして、そんな自分の性格の悪さも嫌になった。
外で働く一家の大黒柱の側と、家の中で家事や育児に専念する側の両者は、本来では共依存の関係のはずである。
それでもこの問題がもめるのは、やはり生活費を稼いでくる一家の大黒柱(大部分は男)の立場が圧倒的に強くなるからなんだよね。
経済力を持っている側の立場が強いのは当たり前であり、男は自分の配偶者となる女を、自分の好みで選ぶことが可能となる。
経済力のある男の配偶者は、若い美人の女になる傾向が高いことも、男の方が立場が強いから。
よくはてな界隈では「女が男を選ぶ」なんて意味不明な論理が流行っているみたいだけど、それは女全般ではなく「若い美人な女」だからできるだけのこと。
そもそもブスでモテない女は、経済力のある男から最初から拒否されているのだから、女が男を選ぶこと自体が成立していない。
お金を稼ぐ側の立場が圧倒的に強いわけだから、ブスは女磨きよりも経済力を身につけた方がいいはずなんだけど、はてな界隈ではあまり受けないんだよね。